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炎の凪唄
魔雄ハビヒ・ツブルク 2
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ーーおや、「結界」が動作不良を起こしたようです。
アルが、そんなことを言い出したのが、三日前。
コネーラのお墓を造り、三人の許に戻ったときだった。
白兎と同じくらいの大きさの、小さい墓でも良かったのだが、兎人よりも大きなものを造ってしまった。
簡素な墓の下に、コネーラの、骨を埋めた。
「…………」
思い出し、涙ぐんでいる場合ではない。
それからは、移動がメインになった。
ボルネアに追い掛けられながら、初級魔法を散々に打ち込まれたが、直撃はなし。
ほんの少しだけだが、コネーラの仇を取ってやった。
翌日は、アルが「結界」を解き、三人で魔物退治。
その日の、最後の獲物は、大鬼十匹。
ボルネアが「土壁」で分断し、出遅れた俺は、四匹を担当することになった。
強くなった、自覚はない。
そうだというのに、一度、体当たりを食らった、打撲だけで、四匹を倒すことができた。
どれだけアルに弄られたのかと、複雑な心境になった。
ーー少し、急ぎましょう。
アルの言葉で、朝から、歩き詰め。
もちろん、ただ歩くだけではない。
本日のテーマは、ーー恐怖の克服。
鬼ごっこ。
鬼はーー魔雄ハビヒ・ツブルク。
角を曲がり、目の前に魔王がいても、普通に挨拶できそうなくらい、精神を痛めつけられた。
もうすぐ到着ということで、やっとこ三人は解放され、「普通」というものの尊さを、身に染みて味わっているところだ。
ーー八百九十年。
実験が成功しているか、楽しみにしているように見えた、アルは、拗ねていた。
失敗を、謙虚に受け止めるだけの度量は、アルにはなかったらしい。
「アル」と「ハビヒ」で、百三十一歳の癖に、俺より子供っぽいーーというより、負けず嫌いなのかもしれない。
魔法で、魔雄を倒せるのは、魔雄だけ。
「アル」が負けるには、嘗ての「ハビヒ」と競うくらいしか、存在しないのだろう。
「そろそろ着くんだろう? 好い加減、機嫌を直せ」
「はは、おかしなことを言いますね、ラクンさん。僕は、機嫌など、損ねたりしていませんよ」
忠告はした。
これ以上は、どうにもならない。
ーーアルが不機嫌な理由。
本来なら、遺産を求めてやってきた者を通すはずの「結界」が、十全に機能を発揮せず、来訪者を足止めさせていた。
かてて加え、「結界」を維持していた四大石も不調だったらしく、魔力機構を物理的に破壊されてしまったらしい。
魔法に対し、魔法ではなく、野蛮な手段での、解決。
魔法使いとしての矜持だろうか、アルには、こちらのほうが遥かに効いたようだ。
それが、今しがたのこと。
もう一つ。
ーー見られないように、しておきましょう。
「結界」が破壊される前、小高い山に視線を向けながら、アルは、そう言った。
「隠蔽」か何かの魔法を使い、相手の「探査」か「感知」か、魔法を防いだらしい。
ーーアルが、軽く驚いていた。
魔雄を驚かせるほどの存在ーー魔法使いだとしたら、ボルネアよりも上手かもしれない。
魔法使いと、雇われ冒険者だろうかーーと考え、その線は薄いだろう、と結論づける。
「魔雄の遺産」を狙うーー狙えるような手合いだ。
そんな抜けのある、安易な手段など取らないだろう。
十分な準備を整えた末に、決行の至ったはず。
「にぃや~」
「わぉ~ん」
どうしてくれよう。
拗ねたアルは、ボルネアとオルタンスの手を握り、俺を追走してくる。
人猫と犬人の、幸せそうな、或いは、腑抜けた顔が、緊張感をしこたま殺いでくれる。
ーーアルは、傍観者に徹している。
そんな予感はしていたが、アルは、決定権を俺に委ねている。
三日前から、アルは、選択肢を差し出すだけで、俺の意思を尊重している。
ーー「魔雄の遺産」への、侵入。
アルが本気を出せば、ーーどころか、小指を動かすよりも簡単な労力で、事態は解決を見るだろう。
ーーこれまでの、アルの言葉。
この世界での、傍観者でいたいのかもしれない。
ーー世界のほうが、それを許してくれないだろう。
ふと、涌き上がった想念を、頭を振って消し去る。
「造ったときは、更地にしましたが、植物というものは、ーー強いものですね」
笑顔が、ーー深い。
その笑みに含まれた成分を、未だ何者でもない、俺なんかでは、読み取ることは敵わない。
森が生まれ、植生が形成され、世界の片隅で、小さな世界を祝福している。
アルは、小さな世界を、望んでいる。
望まれた、世界はーー。
「ーーと、森を抜けるな。ボルネア、オルタンス。アルの成分は、十分に摂取しただろう。『魔雄の遺産』が目の前にあるんだから、気合いを入れてくれ」
アルがいるので、二人に、命の危険はない。
それでも、やる気を出してもらわないと、俺の命のほうが不味いことになる。
「ーーっ」
踏み込んだ瞬間、体を、熱が駆け抜けた。
ーー草地。
森が領域への侵入を拒まれたように、そうさせるだけの、熱に満ち満ちている。
「あの、馬鹿げた大きさの一枚岩に、入り口らしきものがあるな」
「当時の建築を参考にしただけで、僕の趣味ではありませんよ」
誤解されたくなかったのか、聞いてもいないのに、小声で説明してくる。
入り口の、壮麗な両開きの門は、単眼の巨人よりも大きかった。
随所に、高浮き彫り。
どうやら、モチーフは、魔王を倒した際の、軍勢らしい。
そこに、四英雄の雄姿は、見当たらない。
「魔雄の性格からして、こんなところに大切なものを遺したりしないか」
返ってきたのは、アルの、やわらかな声ではなく、三十半ばの、渋い、男の声だった。
「……また、お客さんかい。それとも、あの女の、お仲間か?」
三つ巴、というには、配分が悪い。
男の言う、女とやらは、門の横で、何か作業をしていたようだ。
女に、逃げ場はない。
二十人の、男たちの包囲は、完了している。
そこに、突如、四人が乱入してきたという状況。
人数だけを見れば、野盗の割には、装備がしっかりとしている男たちに軍配が上がるが、実力では、アルとその他三名が、兎を可愛がるほど容易く、制圧することができる。
この状況だと、どうしても目がそちらにいってしまう。
男たちに囲まれているーー女?
随分と、荒んだ雰囲気を纏っている。
ボルネアよりも小さく、オルタンスより大きな胸が、間違いなく、女であることを教えてくれる。
ーーそれにしても。
不思議な、女だ。
あの汚れは、返り血なのだろうか、元は高級な服だったのかもしれないが、そうとわからないくらいに、草臥れている。
髪はぼさぼさで、後ろで簡単に縛っている。
だのに、みすぼらしくも見える、その女に、引き寄せられる。
その双眸は、猛る大炎。
この窮地にあって尚、妖しく輝く緋色の眼光。
ーー炎神ですら見惚れる輝き。
炎の、純粋な成分を集めたような、まるで、あの女自体が、根源であるかのようだ。
「お前たちか! 魔雄様の遺産を狙う、コソ泥どもは! 今すぐ道を空けろ! 魔雄様のご帰還であるぞ!」
俺の横に並んだ、アルは、鼻息荒く、言い放った。
ーー二人とも、アルが好き過ぎるだろう。
ボルネアとオルタンスは、新たな一面に、ほくほく顔である。
現実を直視したくないので、目を逸らしたが、早々に帰還を果たす。
「魔雄様? ミュスタイアに現れたという、偽魔雄か?」
動きと判断に、そつがない。
元兵士か、冒険者崩れだろうか、首領らしき男が手を上げると、半分の十人が、俺たちに対応する。
三つの冒険者の団に所属したが、練度では彼らのほうが上だ。
俺たちを囲う半円は、女のものより二回りほど大きい。
彼らが警戒しているのは、人獣と獣人を伴っているからだろう。
俺とアルだけなら、人種の問題で済むが、獣種を害すれば、国家間の問題に発展しかねない。
「どこまで愚かなのか、人種よ! さぁ、魔雄様! 身の程を弁えぬ、このゴミ虫たちに、御力を見せつけてくださいませ!」
「…………」
ーーどうせなら、ここに着く前に、「魔雄」にしてくれれば良いものを。
そうすれば、心の負担も、少なくて済んだだろうに。
男たちは、疑惑と困惑を。
そして女からは、敵意を向けられていた。
ちりちりと、俺の内側が、ざわめく。
あの女の、何かが、終ぞ感じたことがない、俺の、熱と呼応する。
ーーその、熱のままに。
術名。
アルは、必須だと、言っていた。
考える、必要すらなく、決まった。
なら、あとは、団の友人である人犬の、バーデンの言葉を、もう一度、刻み込もう。
ーー物語は、輪となって踊る。
欠けた物語。
アルのことを、俺は、まだ何も知らない。
ーー自惚れるな。
そうであるからこそ、奏でられるものがあることを、俺は、知っている。
唄うままに、感覚を、言葉に浸していく。
希望の欠片は
あとを追う者たちが拾い集めた
夢見ることを許された者たちは
誰も彼もが心を預けた
それは 眩しい光
手に入れてしまえば失われてしまう
ひとときの 輝き
前を向いたまま
振り返れば 心付く
炎に唄う 高らかな声を
踏み越えて尚 刻む足音を
物語の欠片は
見送った者たちが投げ渡した
夢追うことを忘れなかった者たちは
願いの袂に勝利を打ち立てた
ーー駄目だな。
勝利をーー自分に打ち克ったことのない俺では、最後まで成し遂げた者たちの心情はわからない。
それでも、今の俺にある、精一杯だ。
「英雄たちの行進」
唱えた、刹那に、俺の横から圧倒的な気配が溢れ、染め上げる。
光とも、炎ともつかない輝きに目を晦ませたあと、すべての者が戦慄とともに見上げることになる。
まるで希望の欠片が集まったかのように、無数の光が吸い寄せられる。
優しくも、力強い光群は、しだいに形を成し、ーー物語の幕を開ける。
空に、巨大な門が、四つ現れる。
四大石の上空に出現したであろう、光り輝く門のうち、北にある、峻厳たる扉が開け放たれる。
「絶対の主」ーー絶雄カステル・グランデ。
青年期の、人竜。
衰退期の絶雄ですら、圧倒的だったというのに、青年期のそれは、もはや絶対的だ。
震えるほかない。
前に立てばそうだろう、だが、彼の後を追えば、魂の底まで、奮えることだろう。
絶雄のあとを、各国の騎士団が追随する。
次いで、西にある、爆轟の如き、鮮烈な門が開け放たれる。
「爆轟の主」ーー爆雄サッソ・コルバロ。
獣寄りのネーラと違い、平均的な兎人は、服を着ていた。
ーーお姉さんの、可愛い兎さんには、逆らえませんでしたから。
アルの言葉通り、可愛い兎さんは、ネーラよりも包容力があるように感じられる。
爆雄、などと称えられるようには見えないが、追随する者たちは、異彩を放っていた。
戦士、傭兵、冒険者といった、荒くれ共。
見てくれだけなら、ならず者や浮浪者まで交じっている。
剣や槍だけでなく、斧や棍棒といったものまで、多種多様。
か弱そうな兎人を追い掛けている様は、軍勢が襲い掛かっているようにも見える。
次は、東。
気高き、光輝燦然たる門が開け放たれる。
「剣光の主」ーー剣雄ヌーテ・シャテル。
オルタンスと同じく、犬人だが、ーー格が違った。
彼女には申し訳ないが、存在の、有様から異なる。
剣雄の、聖女ですら霞むほどの、高潔さに、気品。
心が弱い者なら、目を合わせることもできないだろう。
絶雄が、生涯を懸け、愛し抜いた女性。
剣雄に追随するのは、聖騎士と神官。
最後に、南にある、簡素であるが故に、重々しい、鉄門が開け放たれる。
「魔法の主」ーー魔雄ハビヒ・ツブルク。
魔王を倒した頃だろうから、俺より、二つか三つ、歳が上だ。
差は、たったそれだけだというのに。
越えられない、何かがあった。
中性的なアルとは異なる、野性味のある風貌。
鋭い面差しの内にある、寂しげな双眸が、問い掛けてくる。
答えを持たない者を、軽やかに足蹴にする。
アルとは、似ても似つかないのに、あの眼差しの先にあるものが同じであると、疑いもなく、信じられた。
ーー涙が出そうになった。
あの「ハビヒ」は、救われたのだろうかと、俺の心が、勝手に答えを求め、彷徨う。
だが、そんな俺の想いなど置き去りに。
爆雄を先頭に、光の矢となった、四つの閃光が、一枚岩の扉を破砕する。
「ーーーー」
まるで創世のような、温かな光が世界に馴染んでいくと、ーー女の姿がなかった。
「っ! 先を越されたかっ、行くぞ!」
この展開は。
首領の男に声を掛けようとしたが、そこまでの義理はないので、やめておく。
「ごべっ!?」
勘だったが、当たった。
この美味しい状況を、アルが見逃すはずがない。
可哀想に、透明な壁に正面からぶつかった首領は、痛みを堪えながら抜剣し、他の男どもも倣う。
「魔雄様! 『結界』を張っていただき、感謝いたします! あとは、僕にお任せください!」
答える気も起きない。
とはいえ、あとで十倍返しになって俺を苦しめる予感が、ひしひしとしたので、溜め息を吐くついでに、頷いておいた。
乗り乗りのアルは、大仰な動作をしながら、呪文を唱え始めた。
暗黒よーっ
闇よーっ
大いなる暗闇よーっ
漆黒に染まる我の声を聞けーっ
暗き月の祝福は降り注ぎーっ
大地に顕現せし黒王はーっ
闇夜の主となるーっ
涅色に飢えーっ
絶黒に埋まれーっ
「散開してっ、逃げろ!」
もう、何も言うまい。
アルの、好きにさせる。
「ゴッドハルトさん! こっちにも魔雄の『結界』がある!!」
「ちっ! 風の女神よっ、俺に羽搏きを!!」
必死の形相で、迫ってくる。
狙うなら、俺ではなく、諸悪の根源のほうだ。
「毒霧!」
残念ながら、アルの魔法のほうが早い。
俺たちは、風下にいたのに、真っ白な濃厚な霧が、男たちを包み込む。
「どうですか、魔雄様! 呪文を偽装してみました!」
子犬のような目で見られると、頭を撫でたくなってくるが、二人がじと~とした視線を向けてきているので、我慢する。
「では、魔雄様! これが解毒剤です! 彼らは、人殺しです! 沙汰は、お任せします! じゃあ、先に行っていますね! ボルちゃんっ、オルちゃんっ、早くいこう!」
「みぃやぁ~~」
「きゃいぃ~ん」
幸せが過ぎたのか、液状化しそうな表情の人猫と犬人が、アルと一緒に、腕を組んだまま扉の中に消えていく。
「どうするんだ、これ」
俺の手には、解毒剤らしい、瓶が一つ。
俺の前には、死に掛けの、男が二十人。
「そんな顔で、俺を見ないでくれ」
俺は、十秒だけ、途方に暮れることにした。
アルが、そんなことを言い出したのが、三日前。
コネーラのお墓を造り、三人の許に戻ったときだった。
白兎と同じくらいの大きさの、小さい墓でも良かったのだが、兎人よりも大きなものを造ってしまった。
簡素な墓の下に、コネーラの、骨を埋めた。
「…………」
思い出し、涙ぐんでいる場合ではない。
それからは、移動がメインになった。
ボルネアに追い掛けられながら、初級魔法を散々に打ち込まれたが、直撃はなし。
ほんの少しだけだが、コネーラの仇を取ってやった。
翌日は、アルが「結界」を解き、三人で魔物退治。
その日の、最後の獲物は、大鬼十匹。
ボルネアが「土壁」で分断し、出遅れた俺は、四匹を担当することになった。
強くなった、自覚はない。
そうだというのに、一度、体当たりを食らった、打撲だけで、四匹を倒すことができた。
どれだけアルに弄られたのかと、複雑な心境になった。
ーー少し、急ぎましょう。
アルの言葉で、朝から、歩き詰め。
もちろん、ただ歩くだけではない。
本日のテーマは、ーー恐怖の克服。
鬼ごっこ。
鬼はーー魔雄ハビヒ・ツブルク。
角を曲がり、目の前に魔王がいても、普通に挨拶できそうなくらい、精神を痛めつけられた。
もうすぐ到着ということで、やっとこ三人は解放され、「普通」というものの尊さを、身に染みて味わっているところだ。
ーー八百九十年。
実験が成功しているか、楽しみにしているように見えた、アルは、拗ねていた。
失敗を、謙虚に受け止めるだけの度量は、アルにはなかったらしい。
「アル」と「ハビヒ」で、百三十一歳の癖に、俺より子供っぽいーーというより、負けず嫌いなのかもしれない。
魔法で、魔雄を倒せるのは、魔雄だけ。
「アル」が負けるには、嘗ての「ハビヒ」と競うくらいしか、存在しないのだろう。
「そろそろ着くんだろう? 好い加減、機嫌を直せ」
「はは、おかしなことを言いますね、ラクンさん。僕は、機嫌など、損ねたりしていませんよ」
忠告はした。
これ以上は、どうにもならない。
ーーアルが不機嫌な理由。
本来なら、遺産を求めてやってきた者を通すはずの「結界」が、十全に機能を発揮せず、来訪者を足止めさせていた。
かてて加え、「結界」を維持していた四大石も不調だったらしく、魔力機構を物理的に破壊されてしまったらしい。
魔法に対し、魔法ではなく、野蛮な手段での、解決。
魔法使いとしての矜持だろうか、アルには、こちらのほうが遥かに効いたようだ。
それが、今しがたのこと。
もう一つ。
ーー見られないように、しておきましょう。
「結界」が破壊される前、小高い山に視線を向けながら、アルは、そう言った。
「隠蔽」か何かの魔法を使い、相手の「探査」か「感知」か、魔法を防いだらしい。
ーーアルが、軽く驚いていた。
魔雄を驚かせるほどの存在ーー魔法使いだとしたら、ボルネアよりも上手かもしれない。
魔法使いと、雇われ冒険者だろうかーーと考え、その線は薄いだろう、と結論づける。
「魔雄の遺産」を狙うーー狙えるような手合いだ。
そんな抜けのある、安易な手段など取らないだろう。
十分な準備を整えた末に、決行の至ったはず。
「にぃや~」
「わぉ~ん」
どうしてくれよう。
拗ねたアルは、ボルネアとオルタンスの手を握り、俺を追走してくる。
人猫と犬人の、幸せそうな、或いは、腑抜けた顔が、緊張感をしこたま殺いでくれる。
ーーアルは、傍観者に徹している。
そんな予感はしていたが、アルは、決定権を俺に委ねている。
三日前から、アルは、選択肢を差し出すだけで、俺の意思を尊重している。
ーー「魔雄の遺産」への、侵入。
アルが本気を出せば、ーーどころか、小指を動かすよりも簡単な労力で、事態は解決を見るだろう。
ーーこれまでの、アルの言葉。
この世界での、傍観者でいたいのかもしれない。
ーー世界のほうが、それを許してくれないだろう。
ふと、涌き上がった想念を、頭を振って消し去る。
「造ったときは、更地にしましたが、植物というものは、ーー強いものですね」
笑顔が、ーー深い。
その笑みに含まれた成分を、未だ何者でもない、俺なんかでは、読み取ることは敵わない。
森が生まれ、植生が形成され、世界の片隅で、小さな世界を祝福している。
アルは、小さな世界を、望んでいる。
望まれた、世界はーー。
「ーーと、森を抜けるな。ボルネア、オルタンス。アルの成分は、十分に摂取しただろう。『魔雄の遺産』が目の前にあるんだから、気合いを入れてくれ」
アルがいるので、二人に、命の危険はない。
それでも、やる気を出してもらわないと、俺の命のほうが不味いことになる。
「ーーっ」
踏み込んだ瞬間、体を、熱が駆け抜けた。
ーー草地。
森が領域への侵入を拒まれたように、そうさせるだけの、熱に満ち満ちている。
「あの、馬鹿げた大きさの一枚岩に、入り口らしきものがあるな」
「当時の建築を参考にしただけで、僕の趣味ではありませんよ」
誤解されたくなかったのか、聞いてもいないのに、小声で説明してくる。
入り口の、壮麗な両開きの門は、単眼の巨人よりも大きかった。
随所に、高浮き彫り。
どうやら、モチーフは、魔王を倒した際の、軍勢らしい。
そこに、四英雄の雄姿は、見当たらない。
「魔雄の性格からして、こんなところに大切なものを遺したりしないか」
返ってきたのは、アルの、やわらかな声ではなく、三十半ばの、渋い、男の声だった。
「……また、お客さんかい。それとも、あの女の、お仲間か?」
三つ巴、というには、配分が悪い。
男の言う、女とやらは、門の横で、何か作業をしていたようだ。
女に、逃げ場はない。
二十人の、男たちの包囲は、完了している。
そこに、突如、四人が乱入してきたという状況。
人数だけを見れば、野盗の割には、装備がしっかりとしている男たちに軍配が上がるが、実力では、アルとその他三名が、兎を可愛がるほど容易く、制圧することができる。
この状況だと、どうしても目がそちらにいってしまう。
男たちに囲まれているーー女?
随分と、荒んだ雰囲気を纏っている。
ボルネアよりも小さく、オルタンスより大きな胸が、間違いなく、女であることを教えてくれる。
ーーそれにしても。
不思議な、女だ。
あの汚れは、返り血なのだろうか、元は高級な服だったのかもしれないが、そうとわからないくらいに、草臥れている。
髪はぼさぼさで、後ろで簡単に縛っている。
だのに、みすぼらしくも見える、その女に、引き寄せられる。
その双眸は、猛る大炎。
この窮地にあって尚、妖しく輝く緋色の眼光。
ーー炎神ですら見惚れる輝き。
炎の、純粋な成分を集めたような、まるで、あの女自体が、根源であるかのようだ。
「お前たちか! 魔雄様の遺産を狙う、コソ泥どもは! 今すぐ道を空けろ! 魔雄様のご帰還であるぞ!」
俺の横に並んだ、アルは、鼻息荒く、言い放った。
ーー二人とも、アルが好き過ぎるだろう。
ボルネアとオルタンスは、新たな一面に、ほくほく顔である。
現実を直視したくないので、目を逸らしたが、早々に帰還を果たす。
「魔雄様? ミュスタイアに現れたという、偽魔雄か?」
動きと判断に、そつがない。
元兵士か、冒険者崩れだろうか、首領らしき男が手を上げると、半分の十人が、俺たちに対応する。
三つの冒険者の団に所属したが、練度では彼らのほうが上だ。
俺たちを囲う半円は、女のものより二回りほど大きい。
彼らが警戒しているのは、人獣と獣人を伴っているからだろう。
俺とアルだけなら、人種の問題で済むが、獣種を害すれば、国家間の問題に発展しかねない。
「どこまで愚かなのか、人種よ! さぁ、魔雄様! 身の程を弁えぬ、このゴミ虫たちに、御力を見せつけてくださいませ!」
「…………」
ーーどうせなら、ここに着く前に、「魔雄」にしてくれれば良いものを。
そうすれば、心の負担も、少なくて済んだだろうに。
男たちは、疑惑と困惑を。
そして女からは、敵意を向けられていた。
ちりちりと、俺の内側が、ざわめく。
あの女の、何かが、終ぞ感じたことがない、俺の、熱と呼応する。
ーーその、熱のままに。
術名。
アルは、必須だと、言っていた。
考える、必要すらなく、決まった。
なら、あとは、団の友人である人犬の、バーデンの言葉を、もう一度、刻み込もう。
ーー物語は、輪となって踊る。
欠けた物語。
アルのことを、俺は、まだ何も知らない。
ーー自惚れるな。
そうであるからこそ、奏でられるものがあることを、俺は、知っている。
唄うままに、感覚を、言葉に浸していく。
希望の欠片は
あとを追う者たちが拾い集めた
夢見ることを許された者たちは
誰も彼もが心を預けた
それは 眩しい光
手に入れてしまえば失われてしまう
ひとときの 輝き
前を向いたまま
振り返れば 心付く
炎に唄う 高らかな声を
踏み越えて尚 刻む足音を
物語の欠片は
見送った者たちが投げ渡した
夢追うことを忘れなかった者たちは
願いの袂に勝利を打ち立てた
ーー駄目だな。
勝利をーー自分に打ち克ったことのない俺では、最後まで成し遂げた者たちの心情はわからない。
それでも、今の俺にある、精一杯だ。
「英雄たちの行進」
唱えた、刹那に、俺の横から圧倒的な気配が溢れ、染め上げる。
光とも、炎ともつかない輝きに目を晦ませたあと、すべての者が戦慄とともに見上げることになる。
まるで希望の欠片が集まったかのように、無数の光が吸い寄せられる。
優しくも、力強い光群は、しだいに形を成し、ーー物語の幕を開ける。
空に、巨大な門が、四つ現れる。
四大石の上空に出現したであろう、光り輝く門のうち、北にある、峻厳たる扉が開け放たれる。
「絶対の主」ーー絶雄カステル・グランデ。
青年期の、人竜。
衰退期の絶雄ですら、圧倒的だったというのに、青年期のそれは、もはや絶対的だ。
震えるほかない。
前に立てばそうだろう、だが、彼の後を追えば、魂の底まで、奮えることだろう。
絶雄のあとを、各国の騎士団が追随する。
次いで、西にある、爆轟の如き、鮮烈な門が開け放たれる。
「爆轟の主」ーー爆雄サッソ・コルバロ。
獣寄りのネーラと違い、平均的な兎人は、服を着ていた。
ーーお姉さんの、可愛い兎さんには、逆らえませんでしたから。
アルの言葉通り、可愛い兎さんは、ネーラよりも包容力があるように感じられる。
爆雄、などと称えられるようには見えないが、追随する者たちは、異彩を放っていた。
戦士、傭兵、冒険者といった、荒くれ共。
見てくれだけなら、ならず者や浮浪者まで交じっている。
剣や槍だけでなく、斧や棍棒といったものまで、多種多様。
か弱そうな兎人を追い掛けている様は、軍勢が襲い掛かっているようにも見える。
次は、東。
気高き、光輝燦然たる門が開け放たれる。
「剣光の主」ーー剣雄ヌーテ・シャテル。
オルタンスと同じく、犬人だが、ーー格が違った。
彼女には申し訳ないが、存在の、有様から異なる。
剣雄の、聖女ですら霞むほどの、高潔さに、気品。
心が弱い者なら、目を合わせることもできないだろう。
絶雄が、生涯を懸け、愛し抜いた女性。
剣雄に追随するのは、聖騎士と神官。
最後に、南にある、簡素であるが故に、重々しい、鉄門が開け放たれる。
「魔法の主」ーー魔雄ハビヒ・ツブルク。
魔王を倒した頃だろうから、俺より、二つか三つ、歳が上だ。
差は、たったそれだけだというのに。
越えられない、何かがあった。
中性的なアルとは異なる、野性味のある風貌。
鋭い面差しの内にある、寂しげな双眸が、問い掛けてくる。
答えを持たない者を、軽やかに足蹴にする。
アルとは、似ても似つかないのに、あの眼差しの先にあるものが同じであると、疑いもなく、信じられた。
ーー涙が出そうになった。
あの「ハビヒ」は、救われたのだろうかと、俺の心が、勝手に答えを求め、彷徨う。
だが、そんな俺の想いなど置き去りに。
爆雄を先頭に、光の矢となった、四つの閃光が、一枚岩の扉を破砕する。
「ーーーー」
まるで創世のような、温かな光が世界に馴染んでいくと、ーー女の姿がなかった。
「っ! 先を越されたかっ、行くぞ!」
この展開は。
首領の男に声を掛けようとしたが、そこまでの義理はないので、やめておく。
「ごべっ!?」
勘だったが、当たった。
この美味しい状況を、アルが見逃すはずがない。
可哀想に、透明な壁に正面からぶつかった首領は、痛みを堪えながら抜剣し、他の男どもも倣う。
「魔雄様! 『結界』を張っていただき、感謝いたします! あとは、僕にお任せください!」
答える気も起きない。
とはいえ、あとで十倍返しになって俺を苦しめる予感が、ひしひしとしたので、溜め息を吐くついでに、頷いておいた。
乗り乗りのアルは、大仰な動作をしながら、呪文を唱え始めた。
暗黒よーっ
闇よーっ
大いなる暗闇よーっ
漆黒に染まる我の声を聞けーっ
暗き月の祝福は降り注ぎーっ
大地に顕現せし黒王はーっ
闇夜の主となるーっ
涅色に飢えーっ
絶黒に埋まれーっ
「散開してっ、逃げろ!」
もう、何も言うまい。
アルの、好きにさせる。
「ゴッドハルトさん! こっちにも魔雄の『結界』がある!!」
「ちっ! 風の女神よっ、俺に羽搏きを!!」
必死の形相で、迫ってくる。
狙うなら、俺ではなく、諸悪の根源のほうだ。
「毒霧!」
残念ながら、アルの魔法のほうが早い。
俺たちは、風下にいたのに、真っ白な濃厚な霧が、男たちを包み込む。
「どうですか、魔雄様! 呪文を偽装してみました!」
子犬のような目で見られると、頭を撫でたくなってくるが、二人がじと~とした視線を向けてきているので、我慢する。
「では、魔雄様! これが解毒剤です! 彼らは、人殺しです! 沙汰は、お任せします! じゃあ、先に行っていますね! ボルちゃんっ、オルちゃんっ、早くいこう!」
「みぃやぁ~~」
「きゃいぃ~ん」
幸せが過ぎたのか、液状化しそうな表情の人猫と犬人が、アルと一緒に、腕を組んだまま扉の中に消えていく。
「どうするんだ、これ」
俺の手には、解毒剤らしい、瓶が一つ。
俺の前には、死に掛けの、男が二十人。
「そんな顔で、俺を見ないでくれ」
俺は、十秒だけ、途方に暮れることにした。
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