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炎の凪唄
魔雄の課題
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俺は、両手を前に、厳かに唱える。
光よ
輝け
「『光球』」
ーー何の反応もない。
俺は、両手で包み込むように、優しく唱える。
明かりよ
灯れ
「『光』」
ーー以下同文。
「……ぅ、だぁ~っ!」
リラックスするため、座っていた状態から、体を投げ出すように後ろに倒れる。
労いのつもりなのか、或いは、慰めなのか、やわらかな風の絨毯に迎え入れられる。
「お疲れ様です。これでめでたく、すべての属性で、適性がありませんでした」
「…………」
アルの言う通り、俺には、魔法の適性がないようだった。
史上最高の、至高の魔法使いである、魔雄の見立てなのだから、間違いないのだろう。
サイクロプス戦のあと、移動しながらアルの魔法講義を受け、現在、落第が決定したところだ。
「はは、ラクンさん。複雑な表情をしていますね」
「……大抵のことは、他人より上手くできたし、上達も早かった。適性がないというのは、ーー残酷だな」
魔法には、興味があっただけに、残念だ。
届かない、ということは散々味わった。
できない、というのは、初めてかもしれない。
ーーこれは、空虚?
地面を這う生き物が、空を飛ぶ生き物を見上げる、心地に近いーーというのは、たぶん違うのだろうが、そんな感傷的な気分になってしまう。
「試みに魔法を使ってみたことはないんですか?」
「幻想団では、魔力や魔器はご法度だったからな。欠員や病欠の穴を埋めることもあったから、疑いを持たれるようなことは控えておいた」
実際には、そんな余裕はなかった。
様々な雑用をこなしながら、残った時間はすべて、研鑽に費やしたというのに。
輝ける光に、ただの一度も、触れることが敵わなかった。
空に、手を伸ばしてみる。
夕焼け空ーーとは呼べなくなるくらいに、夜の支配が広がっている。
焚き火の音が心地好く、このまま眠ってしまいたいが、そうもいかない。
「触れても揺るがないもの……星霜に惑う……内包する形の……力強き足音を聞け……声を荒らげるときは今……永久に歌え……」
「ボルネア。暗記が苦手なのか?」
「得意じゃないだけでっ、苦手じゃないわ!」
体を起こしながら聞くと、速攻で打ち消してくる。
眉を顰めた、苦々しい顔で、美人が台無しだ。
人は、事実を言われると怒る、などという至言は、口に出さないおく。
「俺は、台詞を覚えるのは、苦手じゃない。団員から、コツも教わっている。ーー聞きたくないか?」
毛並みの良い、内面を如実に伝える素直な耳が、ぴくりと動く。
「……き、聞いてあげないこともないわ。早く、言いなさいよ」
教わる側の態度ではないが、今回は問題ない。
ボルネアとオルタンスーー旅の仲間。
旅をするのなら、意思疎通はできるようにしておかないといけない。
嫌われるのは仕方がないが、それはそれ、これはこれ、である。
幻想団でも、最低限の約束事が守れない者は、所属することを許さなかった。
彼女たちから歩み寄るというのは、現実的ではないから、俺が機会を作らないといけない。
それに、アルから、そう振る舞うように期待されている、というのもある。
そう、彼は、二人の教育のために、最大限、俺を利用するつもりなのだ。
「一つ目は、頭文字を覚える、ことだな。文字に付随して、全体を思い出すようにする。他に、書いた紙など、そのものを記憶する、というのもある。文字を思い出すんじゃなくて、書いた紙を思い出すんだ。あとはーー、呪文を、物語にしてしまう」
「物語?」
「そう、一つの物語として、意味を持たせる。言葉の羅列ではなく、それぞれを物語の場面としてしまえば、言葉は勝手についてくる」
「…………」
俺の真面な助言に、拗ねた顔になる人猫。
ボルネアも、オルタンスも、俺より断然強い。
絶雄から百年以上、直接指導されていたのだから、当然。
ただ、大切に、甘やかされて育った所為なのか、熱意は買うが、どこか抜けたところがある。
アルなら、そうした部分を改善していくのだろうが、思った以上に時間が掛かるのかもしれない。
「オルタンス。まだ、撫でてもらっていないのか?」
「……まだ」
こちらも、膨れっ面になる犬人。
いつもは凛々しい彼女だが、子供っぽい姿に、頬が緩みそうになり、慌てて引き締める。
「『ハビヒ』としての生を全うしたあと、サッソとヌーテを撫でた感触を忘れたくなかったので、獣種を撫でないようにしていました。ーー失敗しました。正直に言うと、僕は、二人を、早く撫でたいです。でも、課題を達成してくれないと、撫でられません」
禁断症状なのか、もどかしそうに手をわきわきさせる。
課題を達成した、一つ目の「ご褒美」が、頭撫で撫で。
アルにとっても残念なことに、彼女たちは、まだ一つも達成できていないのだ。
それは、俺も同じことで、随分とネーラ、というか獣種を撫でていない。
目覚めたあとの、毎日の日課だったから、寝起きに、兎人を求め、勝手に手が彷徨ってしまうことが未だにある。
「呪文には、基本の形があります。それを覚え易くしたり、唱え易くしたりすると、威力が増すこともあります。大抵は、自分の好みに合わせて、変化させます。そこで、ラクンさん。手本として、先程、ボルネアが唱えていた呪文を、自分好みに変えてみて下さい。上手くできたら、『ご褒美』として、『課題』を上げます」
料理の手を止めずに、アルは、淡々と提案してくる。
「魔雄様に料理をさせるなんて、申し訳ない気分になってくるな」
すぐに答えるのは、死に急ぐのと同義なので、決断まで時間を稼がせてもらう。
「僕は、『ハビヒ』として、概ね、遣り切りました。だから、『アル』は、『ハビヒ』のときにやらなかったことを、たくさん経験しようと思っています。知っての通り、『ハビヒ』は味覚がおかしかったので、料理は、あまりしませんでした。それに、恋愛もそうですね。できれば、子育てとかもしてみたいので、二人には、頑張ってほしいです」
「っ!?」
「っ!!」
優しい笑みのアルと、途端に赤面するボルネアとオルタンス。
妙な関係の三人だ。
その気があるのかどうかまったくわからない人種の青年と、普段は積極的なのに、肝心なところで弱気な青年期の獣種。
兎さんに角を生やしている場合ではなく、俺が考えるのは、別のことだ。
アルの「課題」は、きっと、途轍もなく有益だ。
だが、それに比例し、危険度も鰻登り。
絶雄からも、助言されている。
畢竟するに、断るという選択肢はない。
「ーー物語は、輪となって踊る」
俺は、指針としている言葉を、あえて口にする。
ネーラ以外で、一番仲が良い獣種が教えてくれた、物語。
言葉を、感覚にまで落とし込み、再構築する。
見上げた星空を忘れない
遥かな星空から見下ろせば
彼らもまたひとつひとつの星で
輝ける星座となる
ひとかけらの光を奏でよう
かすかな生命の息吹は
絆で紡がれた希望の吐息となり
この大地に芽吹くだろう
ーーやはり、駄目だ。
団員のように、言葉は物語とならず、光り輝くようなことはない。
「ーーラクンさん。最後に、術名を唱えないと、物語が完結しません」
「……必須なのか?」
「はい。魔法使いとして、そこは譲れません。ですが、僕は、ラクンさんの呪文が気に入りました。夕餉のあとを、楽しみにしていて下さい」
どうやら、及第点には達したらしい。
アルに認められた(?)ことで、またぞろ二人が睨んでくるが、悪意の量は、何故か、いつもより少ない。
「しかし、その分厚い肉といい、美味そうな匂いのスープといい、いったいどこから食材を調達したんだ?」
この、刺激的な匂い。
料理には、香辛料が使われている。
野菜は、新鮮そのもの。
料理自体は、王宮での饗応に比べても遜色のないものだ。
「夕餉のあとからが、本番ですから。皆には、精をつけてもらわないといけませんからね」
単眼の巨人との激闘は、本番ではなかったらしい。
毎度の微笑で、俺たちをどん底に突き落とすが、夕飯を美味しく食べてもらうためだろうか、魔法で配膳しながら兎の鼻先に人参をぶら下げる。
「食事をしながら、僕に聞きたいこと、知りたいことがあれば、答えられる範囲で応えます。二人からの質問は、鍛錬の前にするとして、今は。ラクンさん、何かありますか?」
彼女たちを後回しにしたのは。
俺に聞かれたくない質問、ということだろう。
「聞きたいことは、幾らでもある。そうだなーー、教えてくれるというのなら、それが知りたい」
俺は、ふよふよと移動してきた、料理を指差す。
「料理のことですか? 隠し味は、秘密ですよ」
「んなわけあるか。というか、アルは、予想できているんだろう?」
「はは、魔法のことですか?」
「そうだ。アルは、呪文を唱えずに、魔法を使う。アルのことだから、別に、秘密ということじゃないだろう?」
「はい。話しても、問題ありません。ーーということで、食べながら話します。魔法の神の恵みに、感謝いたします」
「そういえば、カナロアは、魔法の神でもあったっけか。ーー今日も良い風を吹かせていただき、風の女神に感謝を」
ボルネアとオルタンスは、魔雄様に感謝を捧げたので、げんなりする。
人種の教団に、魔雄ハビヒ・ツブルクを神と崇める、魔雄教というものがある。
彼らの主張の一つが、人種こそ至高の種族である、というもので、勧誘のしつこさもあり、人種から煙たがられている。
「うおぉ……、美味えぇ~!」
疲れてお腹が減っているということもあるが、それを差し引いても、明らかに通常の料理とは一線を画している。
幻想団が雇っていた料理人ですら、ここまでのものは作れなかった。
とはいえ、これは腕というより食材の違いだろう。
「二人とも、お代わりはありますから、ゆっくり、味わって食べてください」
一気に掻き込んでいた二人は、ばつが悪そうに、ほどほどに食べる速度を緩める。
住み慣れた居館から旅立ち、初めてのことばかりで、心も体も疲労し、栄養を求めているのだろう。
美味しいご飯と、アルの優しい微笑みで、ーー二人は、微妙な表情になる。
彼女たちの理想の情景では、立場が逆だったのだろう。
アルを癒やすはずが、逆に、癒やされ、かてて加えて料理の腕で、勝てないことを実感したのかもしれない。
「では、まず、これを見てください」
アルが手を振ると、焚き火が、雪の女神に抱き締められたかのように、一瞬で火勢が衰え、薄暗い闇に溶け込む。
そこに、闇を打ち払う、淡い光源が浮かび上がる。
「わぁ……」
「……綺麗」
青白いーー星の光を集めて描いたような光景に、二人は、感嘆の声を上げる。
俺たちを囲むように、二重の円が描かれ、円の内側には複数の文様ーー単独文。
二重の、円の合間や、文様の周辺に、古代期の文字が散らされている。
「本来なら、起源期の文字を用いるのですが、僕は、古代期の文字のほうを気に入っているので、こちらを採用しています」
「ーーこれで、魔法が使えるのか?」
今は見えているが、魔法を使う際には、何らかの手段で隠蔽していたのだろう。
「これは、魔法陣です。この描かれた陣が、呪文の代わりとなります。正確には違いますが、説明すると長くなるので、そういうものだと思って下さい」
「これは、呪文が、発展した形なのか?」
「一応は、そうなります。通常の魔法陣は、地面に描いたり、紙や木版に描いて持ち歩いたりと、呪文とは用途が異なります」
「ああ、何となくわかった。魔法陣の、技術が向上するまでは、使い勝手が悪かったんだな」
アルは、魔力で描いているようだが、恐らく、そんな高度なことができるのは、魔雄だけだろう。
「さすがラクンさんです。初期の頃は、単純な魔法ですら、大きな魔法陣を描かなければなりませんでした。羊皮紙は高いし、木版は嵩張るし、地面に描いたら動かせません。用途が限られている上に、使い勝手も悪いとあって、魔法陣を継続して研究する人がいなかったのです」
アルが指を鳴らすと、魔法陣が回転を始める。
それから、一つ、二つーーどころか、様々な大きさの、数十の魔法陣が、俺たちの頭上を埋め尽くす。
同じく、大小色とりどりの光の輪が形成され、魔法陣を取り巻くように回転し始める。
神々が装飾したかのような、幻想的な光景。
声もなく魅入られ、放心状態となった二人と違い、演劇の演出に使えるなーーなどと野暮なことを考えていたが、一つの可能性に思い至った瞬間に、血の気が引いた。
「……おい、アル。これ、ーーこの、とんでもない数の魔法陣は、一つの魔法じゃないだろうな?」
「ラクンさんが、女性だったら良かったのに」
「ぶぎゃーーっ!!」
「ぎゃるるるっ!!」
石や剣が飛んでくる、賑やかな夕食時。
サイクロプス戦では、意味がないので使わなかった、盾で防ぐ。
「はい。これを見て下さい」
生き物のように、頭上から魔法陣が逃げ出すと、巨大な硝子のような円い板が出現する。
円盤の中心には、満月。
「う…ぎぃ……っ!」
仰け反って後ろに倒れそうになったが、ぎりぎりで体勢を立て直す。
突然、月が落ちてきたのだ。
「……?」
だが、直後に、勘違いだと、無理やり自分を納得させた。
「そのほうが見易いでしょうから、二人は、その体勢のままでいて良いですよ」
俺と違い、堪え切れなかった二人は、アルの魔法で受け止められていた。
いっその事、寝転がってしまいたいが、アルが魔法を使ってくれるかわからないので、首に負荷を掛ける。
「満月が落ちてきたんじゃなくて、遠くのものを近くにーーというのも違うのか? 兎にも角にも、視力が上がったみたいに、見え易くなったんだな」
円盤の中の、小さな円に過ぎなかった満月は、円盤より大きくなり、今は、荒々しい月の表面の大地が見えるようになっている。
「これはーー、神々は月に住んでいる、という神学者もいたが、それはなさそうだな」
何もない、荒れ果てたような大地。
こんな殺風景な場所を、神々が住み処とするとは思えない。
「ラクンさん、ラクンさん、そろそろ別のところに注目して下さい」
俺ではなく、ボルネアかオルタンスに振れば良いものを。
これもアルの教育方針だと諦め、円盤の中心の、穴に言及する。
「円い、でっかい、底が見えない穴があるな」
「はい。あれは、『ハビヒ』が晩年に、穿ったものです。この魔法陣は、『ハビヒ』が使えた、最大火力の魔法です」
「『ハビヒ』が使えた?」
「以前、僕が言ったことを覚えていますか?」
海底から、浮上するように、情景が浮かび上がってきたので、そのまま口にする。
「『僕はやっとこ、魔雄ハビヒ・ツブルクの足元に及んだところです』ーーか」
これもまた、アルに弄られた結果の、能力か何かなのだろう。
「正解です。僕はまだ、『ハビヒ』の足元に及ぶ程度にしか、魔法を再現していません。ーーそのまま、必要がなければ良いのですが、そうもいかないのでしょうね」
「魔雄の予言なんて、不吉すぎるから、やめてくれ」
「あれだけの穴を開けても、天罰はなかったのですから。兎さんに角が生えるくらいの確率で、神様は住んでいないと思います」
「それは良いが、何だか、暴発しそうな気がするから、この魔法陣を消してくれ」
魔法陣の効果を知った途端に、薄気味悪くも見えてしまうから、不思議だ。
「はは、暴発の心配はありませんよ。この魔法は、言うなれば、十魔雄の魔力量が必要なんです」
「十魔雄って……、単位か? それは、魔雄の魔力、十人分ということか……?」
「はい。ですので、魔法をぶっ放すまで、二週間も掛かってしまいました。魔法陣を維持しつつ、魔力を注ぎ込まないといけなかったので、邪魔が入らないように、サッソに護衛をお願いしました」
わかっていたことだが、改めて四英雄が規格外だということを思い知る。
「あっ、そうでしたわ!」
何かに気づいたボルネアが荷物を漁ると、直感したオルタンスも、彼女に倣う。
「あった!」
先に荷物から目的の物を取り出したのは、オルタンスだった。
どうやら、几帳面なのは、彼女のほうらしい。
遅れて取り出したボルネアの物も、銅製だったので、アルに尋ねることにする。
「見たところ、二人は、登録したばかりに見えるんだが、何でD級なんだ?」
俺の問いに、キョトンとする二人。
「カステルが、登録だけはしておいたのでしょうね。絶雄と闘っていたという『功績』が認められて、承認されたのでしょう」
アルは、喋りながら手を振る。
魔法陣が消え、炎神の息吹で、炎を宿す。
焚き火だけでなく、四方に「光球」が散らされる。
二人が持っているのは、手に納まるくらいの大きさの、銅製の冒険者のカード。
アルの説明だけではわからないだろうから、俺も荷物から取り出す。
「む、鉄だわ」
「ーーC級?」
そうだったら良いのだが、早とちりだ。
俺は、結わえた紐を解きながら、説明する。
「組合に登録したあと、半年は、見習い期間だ。期間内に、既定の依頼をこなせば、D級に昇格する。駄目なら、また半年、見習いだな。そして、組合から最初に課される依頼が、見習いのカードを半年間、紛失及び損傷させないことだ」
「ぷっ……、木?」
「っ、……木製」
好きなだけ嗤うが良い。
冒険者なら、誰もが通る道。
損傷しないように、二枚の鉄板で挟んだ木製のカードを見せてから、とっとと仕舞い込む。
事情は、考慮されない。
ないとは思うが、二人に渡したら、悪戯で破損させられるかもしれない。
せっかくこれまで守ってきたのだから、最大限の注意を払うのは当然のことだ。
「そして、これが、B級のカードですね」
毎度の如く、アルの手元に突然現れる、銀製のカード。
「それくらい、厭わずに、魔法じゃなくて、普通に取り出せば良いんじゃないか?」
「ああ、まだ言っていませんでしたね。僕の魔力量は、規格外ですので、色々と悪さをするんです。こうやって、魔力を消費して循環させておかないと、周囲の人が、魔力中毒になってしまうんです」
アルはいつも通りだが、彼に突っ掛かった格好の俺に、二人が険悪な雰囲気を漂わせ始めたので、話を逸らすことにする。
「アルがB級というのは、意外ーーでもないのか」
前言を翻した俺に、目線で促してきたので、アルの求めに応える。
結局、二人に睨まれることになるが、険悪、よりも、嫉妬、のほうが増しだろう。
「A級は、地域で一人か二人だから、目立つ。C級だと、侮られる。そこで、目立たず、侮られない、B級ということだろう」
「他にもあります。冒険者のカードは、身分証にもなっていて、他国へ簡単に入国することができます。ですが、C級以下は、入国後、その国の組合の本部に赴かないといけません。B級以上は、それが免除されます。当然、規則を破れば、通常より重い罰が科されます」
特権に見合う、義務。
冒険者組合の組合総長は、やり手との噂で、そうした点で怠ることはなく、各国から信頼を得ているらしい。
「アル様。そうなると、A級のカードは、金製かしら?」
「C級のカードは、鉄製?」
「A級は、金製ですね。あと、面白いーーと言ってはいけませんが、C級も、D級と同じく、銅製なのです。冒険者の死亡率が一番高いのがC級で、D級からC級になって、一端の冒険者になったことで得意になり、また、B級になろうと無理をするので、自然死亡率も上がってしまいます。昇格する際に、その辺りを言い含めながら、銅製のカードを渡します。それと、S級は、魔石が使われているそうです」
「あ……、討伐部位」
アルの、昇格の話を聞いていて、思い出した。
三人は、サイクロプスを倒した。
だが、それを証明するものがない。
「サイクロプスの討伐部位は、単眼、です。あれ、持って帰りますか?」
俺が剣を打っ刺したので、今頃、真面な状態ではないだろう。
というか、もう喰われているかもしれない。
「もしかして、単眼を傷つけないように倒すのが、定石なのか?」
「あれは、サイクロプスの亜種ですが、単眼を傷つけずに持ち帰ったら、好事家が買い取るので、金貨二百枚くらいになります。組合を通して、カステルに伝えれば、部位がなくとも、ラクンさんは、D級昇格は確定ですし、ボルネアとオルタンスは、C級に昇格できます」
「それと、今、気づいたんだが、絶雄様は、組合に依頼を出したんじゃないか?」
「父様が、依頼を?」
「あっ、ーーそういうこと」
オルタンスは、気づいたようだ。
そこで彼女に振ってやれば良いものを、アルは、また俺を見てくる。
「親心ーーみたいなものだろうな。『魔雄の遺産』をどうにかする、そんな依頼を、俺たちが請けたことになっているんだろう」
組合の者からすれば、絶雄の後ろ盾がある俺たちを、蔑ろにすることはできない。
逆に言うと、目をつけられた、とも言える。
「昇格については、気にする必要はありません。ボルネアとオルタンスには、遠からず、最低でもA級になってもらいます。S級でも、『ハビヒ』の『足元』にも及ばないのですから、数年以内に『膝』くらいの力量になる予定の二人には、放っておいても名声や称賛が付き纏ってくるでしょう」
「が、頑張るにゃー」
「わーん、犬突猛進」
空元気でも、出るだけ増しだろう。
絶雄は、先を見据え、二人を育てていた。
アルの見立ての通り、二人で生きていけるだけの、素地は出来上がっていたはず。
そうなると、懸念は、もう一つ。
恐らく、魔雄の膝に及ぶ程度でないと、二人は、自身の魔力を完全に制御することが敵わないのだろう。
ただ、そこまで強くなってしまえば、他人を魅了してしまうという弊害も、意味のないものになっているはず。
アルはまた、すべてを言っていない、のかもしれない。
「食べ終えたことですし、これから僕は、二人に魔法を教えるわけですが、何の魔法を教えるか、ラクンさん、わかりますか?」
明らかに、罠だ。
悪戯小僧の、笑みだ。
それでも、アルに応えたいと思ってしまっている俺は、どこかおかしくなっているのかもしれない。
「幾つか候補はあるが、一気に向上させようとするなら、『飛翔』だろう」
「ラクンさんが、是非にと推すのであれば、『飛翔』にしましょう」
尤もらしく、アルが頷く。
目論見通りだろうに、態とらしいにも程がある。
「ラクン。どうして、『飛翔』を選んだのかしら?」
今、言わずとも、あとで嫌でも気づく。
だが、初めて名前を呼ばれた、この機会を逃したくはない。
ウキウキなんてしていない俺は、極力、冷静さを装いながら、説明する。
「普通の魔法なら、失敗しても、それだけだ。だが、『飛翔』は、空を飛ぶわけだから、下手をすれば、墜落死する。命懸けで取り組むから、能力の向上が期待できる」
「死の危険があるとわかっていて推したのか、ラクン」
ーー仕舞った。
そこまでは、考えていなかった。
どうやら、俺は、舞い上がっていたらしい。
こうして二人に睨まれているというのに、オルタンスにも名前を呼ばれたので、俺の心は、未だ風の女神とダンスの途中だ。
「というわけで、ラクンさん。これを、どうぞ」
「硝子玉?」
アルが渡してきたのは、真ん丸の、透明な球体。
「おっと……」
受け取ると、風のように軽く、両手で押さえる。
両手で余るくらいの大きさだ。
「魔法の適性がない、と言ったときの、僕の言葉を覚えていますか?」
「ん? ああ、そういえば、『これでめでたく』とか言ってたな」
てっきり皮肉かと思っていたが、どうやらそういうことだったらしい。
「魔力を、魔法として発現できないことで、対魔法使い用の、有用な手段を得ることができます」
「そんなもの、初耳なんだが」
「これに気づく魔法使いは、それなりにいると思います。ただ、自分たちに不利となるかもしれないので、大抵は口を噤み、人口に膾炙していません」
「これを破壊するのが、今日の、『課題』というわけだな」
「『結界』を張っておきます。僕たちは、日付が変わる前には帰ってきませんので、達成したら、先に寝ていて構いませんよ」
アルの課題だ。
自分から望んだこととはいえ、気が滅入る。
どうやったところで、一筋縄ではいかないだろう。
「は~い、それでは、楽しい鍛錬の始まりですよ~」
一人だけ、陽気なアル。
一つは羽のように軽々と、それを追い、重々しい二つの足音が離れていく。
見送るのは、自虐のような気がしたから。
俺は犠牲者を、顔を上げずに、手を振って送り出したのだった。
光よ
輝け
「『光球』」
ーー何の反応もない。
俺は、両手で包み込むように、優しく唱える。
明かりよ
灯れ
「『光』」
ーー以下同文。
「……ぅ、だぁ~っ!」
リラックスするため、座っていた状態から、体を投げ出すように後ろに倒れる。
労いのつもりなのか、或いは、慰めなのか、やわらかな風の絨毯に迎え入れられる。
「お疲れ様です。これでめでたく、すべての属性で、適性がありませんでした」
「…………」
アルの言う通り、俺には、魔法の適性がないようだった。
史上最高の、至高の魔法使いである、魔雄の見立てなのだから、間違いないのだろう。
サイクロプス戦のあと、移動しながらアルの魔法講義を受け、現在、落第が決定したところだ。
「はは、ラクンさん。複雑な表情をしていますね」
「……大抵のことは、他人より上手くできたし、上達も早かった。適性がないというのは、ーー残酷だな」
魔法には、興味があっただけに、残念だ。
届かない、ということは散々味わった。
できない、というのは、初めてかもしれない。
ーーこれは、空虚?
地面を這う生き物が、空を飛ぶ生き物を見上げる、心地に近いーーというのは、たぶん違うのだろうが、そんな感傷的な気分になってしまう。
「試みに魔法を使ってみたことはないんですか?」
「幻想団では、魔力や魔器はご法度だったからな。欠員や病欠の穴を埋めることもあったから、疑いを持たれるようなことは控えておいた」
実際には、そんな余裕はなかった。
様々な雑用をこなしながら、残った時間はすべて、研鑽に費やしたというのに。
輝ける光に、ただの一度も、触れることが敵わなかった。
空に、手を伸ばしてみる。
夕焼け空ーーとは呼べなくなるくらいに、夜の支配が広がっている。
焚き火の音が心地好く、このまま眠ってしまいたいが、そうもいかない。
「触れても揺るがないもの……星霜に惑う……内包する形の……力強き足音を聞け……声を荒らげるときは今……永久に歌え……」
「ボルネア。暗記が苦手なのか?」
「得意じゃないだけでっ、苦手じゃないわ!」
体を起こしながら聞くと、速攻で打ち消してくる。
眉を顰めた、苦々しい顔で、美人が台無しだ。
人は、事実を言われると怒る、などという至言は、口に出さないおく。
「俺は、台詞を覚えるのは、苦手じゃない。団員から、コツも教わっている。ーー聞きたくないか?」
毛並みの良い、内面を如実に伝える素直な耳が、ぴくりと動く。
「……き、聞いてあげないこともないわ。早く、言いなさいよ」
教わる側の態度ではないが、今回は問題ない。
ボルネアとオルタンスーー旅の仲間。
旅をするのなら、意思疎通はできるようにしておかないといけない。
嫌われるのは仕方がないが、それはそれ、これはこれ、である。
幻想団でも、最低限の約束事が守れない者は、所属することを許さなかった。
彼女たちから歩み寄るというのは、現実的ではないから、俺が機会を作らないといけない。
それに、アルから、そう振る舞うように期待されている、というのもある。
そう、彼は、二人の教育のために、最大限、俺を利用するつもりなのだ。
「一つ目は、頭文字を覚える、ことだな。文字に付随して、全体を思い出すようにする。他に、書いた紙など、そのものを記憶する、というのもある。文字を思い出すんじゃなくて、書いた紙を思い出すんだ。あとはーー、呪文を、物語にしてしまう」
「物語?」
「そう、一つの物語として、意味を持たせる。言葉の羅列ではなく、それぞれを物語の場面としてしまえば、言葉は勝手についてくる」
「…………」
俺の真面な助言に、拗ねた顔になる人猫。
ボルネアも、オルタンスも、俺より断然強い。
絶雄から百年以上、直接指導されていたのだから、当然。
ただ、大切に、甘やかされて育った所為なのか、熱意は買うが、どこか抜けたところがある。
アルなら、そうした部分を改善していくのだろうが、思った以上に時間が掛かるのかもしれない。
「オルタンス。まだ、撫でてもらっていないのか?」
「……まだ」
こちらも、膨れっ面になる犬人。
いつもは凛々しい彼女だが、子供っぽい姿に、頬が緩みそうになり、慌てて引き締める。
「『ハビヒ』としての生を全うしたあと、サッソとヌーテを撫でた感触を忘れたくなかったので、獣種を撫でないようにしていました。ーー失敗しました。正直に言うと、僕は、二人を、早く撫でたいです。でも、課題を達成してくれないと、撫でられません」
禁断症状なのか、もどかしそうに手をわきわきさせる。
課題を達成した、一つ目の「ご褒美」が、頭撫で撫で。
アルにとっても残念なことに、彼女たちは、まだ一つも達成できていないのだ。
それは、俺も同じことで、随分とネーラ、というか獣種を撫でていない。
目覚めたあとの、毎日の日課だったから、寝起きに、兎人を求め、勝手に手が彷徨ってしまうことが未だにある。
「呪文には、基本の形があります。それを覚え易くしたり、唱え易くしたりすると、威力が増すこともあります。大抵は、自分の好みに合わせて、変化させます。そこで、ラクンさん。手本として、先程、ボルネアが唱えていた呪文を、自分好みに変えてみて下さい。上手くできたら、『ご褒美』として、『課題』を上げます」
料理の手を止めずに、アルは、淡々と提案してくる。
「魔雄様に料理をさせるなんて、申し訳ない気分になってくるな」
すぐに答えるのは、死に急ぐのと同義なので、決断まで時間を稼がせてもらう。
「僕は、『ハビヒ』として、概ね、遣り切りました。だから、『アル』は、『ハビヒ』のときにやらなかったことを、たくさん経験しようと思っています。知っての通り、『ハビヒ』は味覚がおかしかったので、料理は、あまりしませんでした。それに、恋愛もそうですね。できれば、子育てとかもしてみたいので、二人には、頑張ってほしいです」
「っ!?」
「っ!!」
優しい笑みのアルと、途端に赤面するボルネアとオルタンス。
妙な関係の三人だ。
その気があるのかどうかまったくわからない人種の青年と、普段は積極的なのに、肝心なところで弱気な青年期の獣種。
兎さんに角を生やしている場合ではなく、俺が考えるのは、別のことだ。
アルの「課題」は、きっと、途轍もなく有益だ。
だが、それに比例し、危険度も鰻登り。
絶雄からも、助言されている。
畢竟するに、断るという選択肢はない。
「ーー物語は、輪となって踊る」
俺は、指針としている言葉を、あえて口にする。
ネーラ以外で、一番仲が良い獣種が教えてくれた、物語。
言葉を、感覚にまで落とし込み、再構築する。
見上げた星空を忘れない
遥かな星空から見下ろせば
彼らもまたひとつひとつの星で
輝ける星座となる
ひとかけらの光を奏でよう
かすかな生命の息吹は
絆で紡がれた希望の吐息となり
この大地に芽吹くだろう
ーーやはり、駄目だ。
団員のように、言葉は物語とならず、光り輝くようなことはない。
「ーーラクンさん。最後に、術名を唱えないと、物語が完結しません」
「……必須なのか?」
「はい。魔法使いとして、そこは譲れません。ですが、僕は、ラクンさんの呪文が気に入りました。夕餉のあとを、楽しみにしていて下さい」
どうやら、及第点には達したらしい。
アルに認められた(?)ことで、またぞろ二人が睨んでくるが、悪意の量は、何故か、いつもより少ない。
「しかし、その分厚い肉といい、美味そうな匂いのスープといい、いったいどこから食材を調達したんだ?」
この、刺激的な匂い。
料理には、香辛料が使われている。
野菜は、新鮮そのもの。
料理自体は、王宮での饗応に比べても遜色のないものだ。
「夕餉のあとからが、本番ですから。皆には、精をつけてもらわないといけませんからね」
単眼の巨人との激闘は、本番ではなかったらしい。
毎度の微笑で、俺たちをどん底に突き落とすが、夕飯を美味しく食べてもらうためだろうか、魔法で配膳しながら兎の鼻先に人参をぶら下げる。
「食事をしながら、僕に聞きたいこと、知りたいことがあれば、答えられる範囲で応えます。二人からの質問は、鍛錬の前にするとして、今は。ラクンさん、何かありますか?」
彼女たちを後回しにしたのは。
俺に聞かれたくない質問、ということだろう。
「聞きたいことは、幾らでもある。そうだなーー、教えてくれるというのなら、それが知りたい」
俺は、ふよふよと移動してきた、料理を指差す。
「料理のことですか? 隠し味は、秘密ですよ」
「んなわけあるか。というか、アルは、予想できているんだろう?」
「はは、魔法のことですか?」
「そうだ。アルは、呪文を唱えずに、魔法を使う。アルのことだから、別に、秘密ということじゃないだろう?」
「はい。話しても、問題ありません。ーーということで、食べながら話します。魔法の神の恵みに、感謝いたします」
「そういえば、カナロアは、魔法の神でもあったっけか。ーー今日も良い風を吹かせていただき、風の女神に感謝を」
ボルネアとオルタンスは、魔雄様に感謝を捧げたので、げんなりする。
人種の教団に、魔雄ハビヒ・ツブルクを神と崇める、魔雄教というものがある。
彼らの主張の一つが、人種こそ至高の種族である、というもので、勧誘のしつこさもあり、人種から煙たがられている。
「うおぉ……、美味えぇ~!」
疲れてお腹が減っているということもあるが、それを差し引いても、明らかに通常の料理とは一線を画している。
幻想団が雇っていた料理人ですら、ここまでのものは作れなかった。
とはいえ、これは腕というより食材の違いだろう。
「二人とも、お代わりはありますから、ゆっくり、味わって食べてください」
一気に掻き込んでいた二人は、ばつが悪そうに、ほどほどに食べる速度を緩める。
住み慣れた居館から旅立ち、初めてのことばかりで、心も体も疲労し、栄養を求めているのだろう。
美味しいご飯と、アルの優しい微笑みで、ーー二人は、微妙な表情になる。
彼女たちの理想の情景では、立場が逆だったのだろう。
アルを癒やすはずが、逆に、癒やされ、かてて加えて料理の腕で、勝てないことを実感したのかもしれない。
「では、まず、これを見てください」
アルが手を振ると、焚き火が、雪の女神に抱き締められたかのように、一瞬で火勢が衰え、薄暗い闇に溶け込む。
そこに、闇を打ち払う、淡い光源が浮かび上がる。
「わぁ……」
「……綺麗」
青白いーー星の光を集めて描いたような光景に、二人は、感嘆の声を上げる。
俺たちを囲むように、二重の円が描かれ、円の内側には複数の文様ーー単独文。
二重の、円の合間や、文様の周辺に、古代期の文字が散らされている。
「本来なら、起源期の文字を用いるのですが、僕は、古代期の文字のほうを気に入っているので、こちらを採用しています」
「ーーこれで、魔法が使えるのか?」
今は見えているが、魔法を使う際には、何らかの手段で隠蔽していたのだろう。
「これは、魔法陣です。この描かれた陣が、呪文の代わりとなります。正確には違いますが、説明すると長くなるので、そういうものだと思って下さい」
「これは、呪文が、発展した形なのか?」
「一応は、そうなります。通常の魔法陣は、地面に描いたり、紙や木版に描いて持ち歩いたりと、呪文とは用途が異なります」
「ああ、何となくわかった。魔法陣の、技術が向上するまでは、使い勝手が悪かったんだな」
アルは、魔力で描いているようだが、恐らく、そんな高度なことができるのは、魔雄だけだろう。
「さすがラクンさんです。初期の頃は、単純な魔法ですら、大きな魔法陣を描かなければなりませんでした。羊皮紙は高いし、木版は嵩張るし、地面に描いたら動かせません。用途が限られている上に、使い勝手も悪いとあって、魔法陣を継続して研究する人がいなかったのです」
アルが指を鳴らすと、魔法陣が回転を始める。
それから、一つ、二つーーどころか、様々な大きさの、数十の魔法陣が、俺たちの頭上を埋め尽くす。
同じく、大小色とりどりの光の輪が形成され、魔法陣を取り巻くように回転し始める。
神々が装飾したかのような、幻想的な光景。
声もなく魅入られ、放心状態となった二人と違い、演劇の演出に使えるなーーなどと野暮なことを考えていたが、一つの可能性に思い至った瞬間に、血の気が引いた。
「……おい、アル。これ、ーーこの、とんでもない数の魔法陣は、一つの魔法じゃないだろうな?」
「ラクンさんが、女性だったら良かったのに」
「ぶぎゃーーっ!!」
「ぎゃるるるっ!!」
石や剣が飛んでくる、賑やかな夕食時。
サイクロプス戦では、意味がないので使わなかった、盾で防ぐ。
「はい。これを見て下さい」
生き物のように、頭上から魔法陣が逃げ出すと、巨大な硝子のような円い板が出現する。
円盤の中心には、満月。
「う…ぎぃ……っ!」
仰け反って後ろに倒れそうになったが、ぎりぎりで体勢を立て直す。
突然、月が落ちてきたのだ。
「……?」
だが、直後に、勘違いだと、無理やり自分を納得させた。
「そのほうが見易いでしょうから、二人は、その体勢のままでいて良いですよ」
俺と違い、堪え切れなかった二人は、アルの魔法で受け止められていた。
いっその事、寝転がってしまいたいが、アルが魔法を使ってくれるかわからないので、首に負荷を掛ける。
「満月が落ちてきたんじゃなくて、遠くのものを近くにーーというのも違うのか? 兎にも角にも、視力が上がったみたいに、見え易くなったんだな」
円盤の中の、小さな円に過ぎなかった満月は、円盤より大きくなり、今は、荒々しい月の表面の大地が見えるようになっている。
「これはーー、神々は月に住んでいる、という神学者もいたが、それはなさそうだな」
何もない、荒れ果てたような大地。
こんな殺風景な場所を、神々が住み処とするとは思えない。
「ラクンさん、ラクンさん、そろそろ別のところに注目して下さい」
俺ではなく、ボルネアかオルタンスに振れば良いものを。
これもアルの教育方針だと諦め、円盤の中心の、穴に言及する。
「円い、でっかい、底が見えない穴があるな」
「はい。あれは、『ハビヒ』が晩年に、穿ったものです。この魔法陣は、『ハビヒ』が使えた、最大火力の魔法です」
「『ハビヒ』が使えた?」
「以前、僕が言ったことを覚えていますか?」
海底から、浮上するように、情景が浮かび上がってきたので、そのまま口にする。
「『僕はやっとこ、魔雄ハビヒ・ツブルクの足元に及んだところです』ーーか」
これもまた、アルに弄られた結果の、能力か何かなのだろう。
「正解です。僕はまだ、『ハビヒ』の足元に及ぶ程度にしか、魔法を再現していません。ーーそのまま、必要がなければ良いのですが、そうもいかないのでしょうね」
「魔雄の予言なんて、不吉すぎるから、やめてくれ」
「あれだけの穴を開けても、天罰はなかったのですから。兎さんに角が生えるくらいの確率で、神様は住んでいないと思います」
「それは良いが、何だか、暴発しそうな気がするから、この魔法陣を消してくれ」
魔法陣の効果を知った途端に、薄気味悪くも見えてしまうから、不思議だ。
「はは、暴発の心配はありませんよ。この魔法は、言うなれば、十魔雄の魔力量が必要なんです」
「十魔雄って……、単位か? それは、魔雄の魔力、十人分ということか……?」
「はい。ですので、魔法をぶっ放すまで、二週間も掛かってしまいました。魔法陣を維持しつつ、魔力を注ぎ込まないといけなかったので、邪魔が入らないように、サッソに護衛をお願いしました」
わかっていたことだが、改めて四英雄が規格外だということを思い知る。
「あっ、そうでしたわ!」
何かに気づいたボルネアが荷物を漁ると、直感したオルタンスも、彼女に倣う。
「あった!」
先に荷物から目的の物を取り出したのは、オルタンスだった。
どうやら、几帳面なのは、彼女のほうらしい。
遅れて取り出したボルネアの物も、銅製だったので、アルに尋ねることにする。
「見たところ、二人は、登録したばかりに見えるんだが、何でD級なんだ?」
俺の問いに、キョトンとする二人。
「カステルが、登録だけはしておいたのでしょうね。絶雄と闘っていたという『功績』が認められて、承認されたのでしょう」
アルは、喋りながら手を振る。
魔法陣が消え、炎神の息吹で、炎を宿す。
焚き火だけでなく、四方に「光球」が散らされる。
二人が持っているのは、手に納まるくらいの大きさの、銅製の冒険者のカード。
アルの説明だけではわからないだろうから、俺も荷物から取り出す。
「む、鉄だわ」
「ーーC級?」
そうだったら良いのだが、早とちりだ。
俺は、結わえた紐を解きながら、説明する。
「組合に登録したあと、半年は、見習い期間だ。期間内に、既定の依頼をこなせば、D級に昇格する。駄目なら、また半年、見習いだな。そして、組合から最初に課される依頼が、見習いのカードを半年間、紛失及び損傷させないことだ」
「ぷっ……、木?」
「っ、……木製」
好きなだけ嗤うが良い。
冒険者なら、誰もが通る道。
損傷しないように、二枚の鉄板で挟んだ木製のカードを見せてから、とっとと仕舞い込む。
事情は、考慮されない。
ないとは思うが、二人に渡したら、悪戯で破損させられるかもしれない。
せっかくこれまで守ってきたのだから、最大限の注意を払うのは当然のことだ。
「そして、これが、B級のカードですね」
毎度の如く、アルの手元に突然現れる、銀製のカード。
「それくらい、厭わずに、魔法じゃなくて、普通に取り出せば良いんじゃないか?」
「ああ、まだ言っていませんでしたね。僕の魔力量は、規格外ですので、色々と悪さをするんです。こうやって、魔力を消費して循環させておかないと、周囲の人が、魔力中毒になってしまうんです」
アルはいつも通りだが、彼に突っ掛かった格好の俺に、二人が険悪な雰囲気を漂わせ始めたので、話を逸らすことにする。
「アルがB級というのは、意外ーーでもないのか」
前言を翻した俺に、目線で促してきたので、アルの求めに応える。
結局、二人に睨まれることになるが、険悪、よりも、嫉妬、のほうが増しだろう。
「A級は、地域で一人か二人だから、目立つ。C級だと、侮られる。そこで、目立たず、侮られない、B級ということだろう」
「他にもあります。冒険者のカードは、身分証にもなっていて、他国へ簡単に入国することができます。ですが、C級以下は、入国後、その国の組合の本部に赴かないといけません。B級以上は、それが免除されます。当然、規則を破れば、通常より重い罰が科されます」
特権に見合う、義務。
冒険者組合の組合総長は、やり手との噂で、そうした点で怠ることはなく、各国から信頼を得ているらしい。
「アル様。そうなると、A級のカードは、金製かしら?」
「C級のカードは、鉄製?」
「A級は、金製ですね。あと、面白いーーと言ってはいけませんが、C級も、D級と同じく、銅製なのです。冒険者の死亡率が一番高いのがC級で、D級からC級になって、一端の冒険者になったことで得意になり、また、B級になろうと無理をするので、自然死亡率も上がってしまいます。昇格する際に、その辺りを言い含めながら、銅製のカードを渡します。それと、S級は、魔石が使われているそうです」
「あ……、討伐部位」
アルの、昇格の話を聞いていて、思い出した。
三人は、サイクロプスを倒した。
だが、それを証明するものがない。
「サイクロプスの討伐部位は、単眼、です。あれ、持って帰りますか?」
俺が剣を打っ刺したので、今頃、真面な状態ではないだろう。
というか、もう喰われているかもしれない。
「もしかして、単眼を傷つけないように倒すのが、定石なのか?」
「あれは、サイクロプスの亜種ですが、単眼を傷つけずに持ち帰ったら、好事家が買い取るので、金貨二百枚くらいになります。組合を通して、カステルに伝えれば、部位がなくとも、ラクンさんは、D級昇格は確定ですし、ボルネアとオルタンスは、C級に昇格できます」
「それと、今、気づいたんだが、絶雄様は、組合に依頼を出したんじゃないか?」
「父様が、依頼を?」
「あっ、ーーそういうこと」
オルタンスは、気づいたようだ。
そこで彼女に振ってやれば良いものを、アルは、また俺を見てくる。
「親心ーーみたいなものだろうな。『魔雄の遺産』をどうにかする、そんな依頼を、俺たちが請けたことになっているんだろう」
組合の者からすれば、絶雄の後ろ盾がある俺たちを、蔑ろにすることはできない。
逆に言うと、目をつけられた、とも言える。
「昇格については、気にする必要はありません。ボルネアとオルタンスには、遠からず、最低でもA級になってもらいます。S級でも、『ハビヒ』の『足元』にも及ばないのですから、数年以内に『膝』くらいの力量になる予定の二人には、放っておいても名声や称賛が付き纏ってくるでしょう」
「が、頑張るにゃー」
「わーん、犬突猛進」
空元気でも、出るだけ増しだろう。
絶雄は、先を見据え、二人を育てていた。
アルの見立ての通り、二人で生きていけるだけの、素地は出来上がっていたはず。
そうなると、懸念は、もう一つ。
恐らく、魔雄の膝に及ぶ程度でないと、二人は、自身の魔力を完全に制御することが敵わないのだろう。
ただ、そこまで強くなってしまえば、他人を魅了してしまうという弊害も、意味のないものになっているはず。
アルはまた、すべてを言っていない、のかもしれない。
「食べ終えたことですし、これから僕は、二人に魔法を教えるわけですが、何の魔法を教えるか、ラクンさん、わかりますか?」
明らかに、罠だ。
悪戯小僧の、笑みだ。
それでも、アルに応えたいと思ってしまっている俺は、どこかおかしくなっているのかもしれない。
「幾つか候補はあるが、一気に向上させようとするなら、『飛翔』だろう」
「ラクンさんが、是非にと推すのであれば、『飛翔』にしましょう」
尤もらしく、アルが頷く。
目論見通りだろうに、態とらしいにも程がある。
「ラクン。どうして、『飛翔』を選んだのかしら?」
今、言わずとも、あとで嫌でも気づく。
だが、初めて名前を呼ばれた、この機会を逃したくはない。
ウキウキなんてしていない俺は、極力、冷静さを装いながら、説明する。
「普通の魔法なら、失敗しても、それだけだ。だが、『飛翔』は、空を飛ぶわけだから、下手をすれば、墜落死する。命懸けで取り組むから、能力の向上が期待できる」
「死の危険があるとわかっていて推したのか、ラクン」
ーー仕舞った。
そこまでは、考えていなかった。
どうやら、俺は、舞い上がっていたらしい。
こうして二人に睨まれているというのに、オルタンスにも名前を呼ばれたので、俺の心は、未だ風の女神とダンスの途中だ。
「というわけで、ラクンさん。これを、どうぞ」
「硝子玉?」
アルが渡してきたのは、真ん丸の、透明な球体。
「おっと……」
受け取ると、風のように軽く、両手で押さえる。
両手で余るくらいの大きさだ。
「魔法の適性がない、と言ったときの、僕の言葉を覚えていますか?」
「ん? ああ、そういえば、『これでめでたく』とか言ってたな」
てっきり皮肉かと思っていたが、どうやらそういうことだったらしい。
「魔力を、魔法として発現できないことで、対魔法使い用の、有用な手段を得ることができます」
「そんなもの、初耳なんだが」
「これに気づく魔法使いは、それなりにいると思います。ただ、自分たちに不利となるかもしれないので、大抵は口を噤み、人口に膾炙していません」
「これを破壊するのが、今日の、『課題』というわけだな」
「『結界』を張っておきます。僕たちは、日付が変わる前には帰ってきませんので、達成したら、先に寝ていて構いませんよ」
アルの課題だ。
自分から望んだこととはいえ、気が滅入る。
どうやったところで、一筋縄ではいかないだろう。
「は~い、それでは、楽しい鍛錬の始まりですよ~」
一人だけ、陽気なアル。
一つは羽のように軽々と、それを追い、重々しい二つの足音が離れていく。
見送るのは、自虐のような気がしたから。
俺は犠牲者を、顔を上げずに、手を振って送り出したのだった。
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