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炎の凪唄
絶雄カステル・グランデ
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大きくはあるが、簡素な造り。
カステルらしい。
領都の端、北の森の手前。
「八百九十年も経てば、趣味も変わるか」
静けさが、最も似合わない男だったというのに。
獣種の姿もなく、風の女神が自由に遊び回っている。
「何者か!」
居館の敷地に入ると、槍を構えた二人の獣種ーー門衛に誰何される。
「俺は、ハビヒ・ツブルクだ。カステルに会いに来た」
槍が届く範囲まで近づき、用件を告げる。
「っ! 噂の……。カステル様から、通すよう仰せつかっております」
人犬が頷くと、豚人が一礼し、屋敷に入る。
「魔雄様。お連れ様は……」
「ん? アルは、俺の弟子だ」
俺もアルも、魔法使いの恰好をしていないから訝しんだようだ。
「左様でございますか。それでは使いの者を……」
「それで、よろしいのでしょうか?」
態とだろう。
アルの悪い癖だ。
俺とアルと、二度も話を遮られた人犬が、それでも丁重に聞き返す。
「何が、でございましょう?」
「いえ、確認を取ろうとする、あなたの行動は全く以て、正しいものです。ですが、正しいだけです。その結果、師を待たせることになります。あなたの権限と責任に於いて、魔雄ハビヒ・ツブルクを通してください。あなたは、規則を破ったと、上から叱責を受けることになるでしょう。ですが、もし、僕があなたの上役なら、叱責すると同時に、こいつは使える奴だ、と認識を改めることになります。何もしなくても、何かが起こるかもしれない。それでも、僕なら、自ら動くことによって、自らの手で、つかみ取ることを尊びます」
「…………」
「それで、どうするんだ?」
俺に促され、呆けていた門衛は、即座に立て直し、二人の人種を検分する。
犬種は、集中すると、顔の部位をぴくぴくさせる者が多い。
ヌーテは、垂れ耳の先端だった。
笑ってはいけない。
鼻が細かく動き、厳つい見た目であるのに、可愛らしくも見えてしまう。
「ーーどうぞ、お通りください」
どうやら、力の差を感じ取れたようだ。
カステルが門衛に選んだだけあって、優れた資質があるのだろう。
「アル。優しいじゃないか」
「ハビヒ様ほどではありません。ただ、僕も魔法使いの端くれ。当人は気づいていないようでしたが、彼の内在する魔力は、かなりのものでした。一介の兵士で終わるのは、惜しいと思っただけです」
弟子は、師に似る。
弟子にした当初は、かなり性格がひん曲がっていたが、涵養に努めた結果、ようやく真人間に近づいてくれた。
成果、そのものは与えない。
差し出すのは、機会だけだ。
自らの手でつかんでこそ、更なる先に、透徹なる瞳を投げ掛けることができる。
「衰退期の、熊人か?」
「ふぉっ、ふぉっ、さすが魔雄様。犬種や猫種、鼠種などと間違われるようになりましたが、聞きしに勝る慧眼」
通路を塞ぐように立っていた、俺より背の低い毛むくじゃら。
服装からして文官のようだが、動きを見ればわかる。
壮年期や青年期には、武勇で腕を鳴らしたのだろう。
案内役を務めるようだ。
ゆったりと、俺たちを先導する。
どうやら、会話を所望らしい。
「門衛もそうだったが、魔雄だとわかるんだな」
「ふぉっ、ふぉっ、私は、カステル様に、三百年ほど仕えさせていただきました。絶雄と称えられる御方を、ずっと、ーーそう、ずっとお傍で見て参りました。魔雄様であるかどうかなど、一目見れば、わかります」
「ーーハビヒ様。御老の名は、サミュエル・ティソ。ミュスタイアの元宰相で、半ば引退している絶雄様の補佐をしているとのことです。『鉄さえ噛み砕く』と恐れられた、絶雄様の右腕です」
「おやおや、そのような古い、二つ名をご存知とは。よく調べておりますな」
「師から、現在の国を調べるよう頼まれましたので」
困ったものだ。
アルは、俺に心酔し過ぎている所為か、他者への敬意が足りないことがある。
だが、カステルと長く付き合ってきたティソなら、見逃してくれるだろう。
「ただ、アルは、やり過ぎる嫌いがあるからな。ミュスタイアの内情の、余計なことまで調べているかもしれん」
「ふぉっ、ふぉっ、それはそれは恐ろしい。痛い腹でも、探ってほしくはありませんので」
「痛いのか?」
「性に合いませんが、カステル様には正しくあってほしいと願い、存外無理をいたしました。『夜の行進』に遭遇しないよう、気をつけるといたしましょう」
俺とは違い、カステルの周囲には、多くの人が集まった。
四英雄の中心にいたのも、カステル。
大陸も同じ。
カステルという存在が、その有様が、浸透していったのが、この世界。
古代期の、波乱の時代に比べれば、四大神に祝福されたような世界。
創世に耽るも黄泉に迷うも思いのまま
ああ、「絶対の主」カステル・グランデ
カナロアの如き彼の者の、手の内にこそあり
吟遊詩人の言葉だが、カステルの頭を抱えている姿が目に浮かぶ。
「それでは、私は、ここで下がらせていただきます」
扉の前まで来ると、ティソは、振り返らず去っていく。
当然、扉を守護する者などいない。
カステルを、絶対の存在を守るなど、考えるだに愚かしい。
魔力で内を探る必要すらない。
扉など、何の障害にもならない。
なつかしい気配。
四英雄で過ごした日々が蘇り、胸を熱くし、魂を穏やかに奏でてくれる。
「ハビヒ様。絶雄様の気配が、膨らんでいます。意地悪などなさらず、早々に、カステル様を喜ばせてあげてください」
アルの言葉が硬い。
表情には出していないが、カステルの気配に中てられたようだ。
怯えを誤魔化そうとしているのか、普段より笑顔がぎこちないようにも見える。
「そう心配するな。会えば、アルもカステルを気に入るさ」
扉を開け、溢れる。
俺のすべてだった、光だった、三人。
俺の、唯一の、居場所だった。
「ぷっ、老いたな、カステル」
「ふんっ、衰退期に入って五十年も経ったのじゃから、当然じゃろう」
そうだな、八百九十年は、永い。
話し方も老人らしくなり、体も縮み、俺より二回りほど大きいだけだ。
竜人とは違い、人竜には髪が生えているが、完全な白髪。
「炎と譬えられた髪も、雪になった、か。だが、案外、似合っているじゃないか」
部屋に調度品はないが、テーブルと椅子は、職人の手による高級品だ。
ティソから言われたのだろう。
カステルが誂えた、長椅子二つと、左右に一つずつ、一人掛けソファが備えられている。
随分と趣味が良くなったようだ。
俺がカステルの対面の長椅子に座ると、アルは、背後に侍る。
「そちらのアオスタは、もしかしなくても、ハビヒの弟子だったりするのかの?」
「はい。師、ハビヒ様よりお噂はかねがね。僭越ながら、絶雄様とは、初めて会った気がいたしません」
「はっは、言いよるわ。わしの魔力と気勢を浴びても、平然としておる。良き者を見つけたようじゃの」
老いて尚、鋭い竜眼が、アルから俺に。
一点の曇りもない、澄んだ眼差しが、正面から向けられる。
「それで、今頃、化けて出てきたのは、どんな理由からかの?」
「俺は、絶雄と剣雄、爆雄に、一通ずつ手紙を遺した。そして、カステルには、それ以外にも一通、遺した」
「……っ!」
絶句するカステル。
この反応は、もしかしなくても、そういうことのようだ。
「さすがに呆れたぞ、カステル。手紙を、ーー失くしたのか?」
カステルの、俺を見る目が変わる。
他にも何か、やらかしていることがあるのかもしれない。
「確かにそうじゃが、今、ハビヒから聞けば、問題なかろう」
相も変わらず、腹芸は、苦手なようだ。
あの頃、交渉事は、すべて俺が担っていた。
俺が死んだあとも、多くの者に助けられてきたのだろう。
「それなんだがな、記憶にばらつきがある。『魔雄の遺産』と、今では言われているようだが、その場所が思い出せないから、カステルに聞きに来た」
「遺産ーー? そのようなものを遺しよったのか?」
嘘を吐いている風ではない。
本当に知らないようだ。
「アル」
「はい、ハビヒ様。ーーこちらが、ハビヒ様が遺された、日記になります。この日記が、僕とハビヒ様をつないでくれました。日記には、遺産のことについて記されていますが、漏洩を防ぐためでしょうか、場所は記されていませんでした」
「日記ーーときたか。くくっ……、がっはっはっはっ!」
顔に手を当て、カステルは、豪快に笑う。
纏う空気が歪む。
圧倒的な力、それ故に、世界のほうが軋む。
「やっぱりな。老人然とした喋りは、振りか」
「四英雄を騙る者は、これまで幾人もいた。ーー実際、わしは老いた。万が一の、可能性を考慮するなど、昔のわしにはなかったことだ。それ故に、わしらの思い出を汚す者には、絶望を与えてやった。死が、生温く感じるような、生を、神から与えられたことを呪うような、痛苦に塗れさせてやった」
似合わないことをするものだ。
吐き出した言葉とは裏腹に、すべてが解ける。
「どうした、カステル?」
何故か、カステルは、溜め息を吐く。
疲れ果てた、本物の老人のようだ。
「ーー嘘だ。そうしてやりたかった、というだけだ。だから、毎回、同じことをしている。わしは魔法が苦手だ。とはいえ、今の、この世界に、わしの拙い魔法を防げる者はいない。ーー苦痛は、ない。それなりに、楽しめたぞ」
そんなことをしても無意味だというのに、カステルは、俺に手のひらを向ける。
めぐる星霜。
ここまで残酷とは。
カステルは、耄碌してしまった。
すべてを預けられた、あの、大きな背中。
哀しむ必要はない。
それが、生きている、ということだ。
俺は、間に合ったことを、カステルとの邂逅を用意してくれた何者かに、感謝するだけで良い。
騒ぎ立てよう
精霊も祝福するほどに
跡形もなく燃やし尽くした情熱
ここに証しを示せ
自らを色彩と成せ
カステル特有の、誓いを立てるような呪文。
水音に似た、魔法発動の音色ではなく、燃え立つような激情。
魔力を媒介に、「火球」が生成される。
「『紅炎撃……」
「くぅひっ、ぃひぃいひひひぃ、ひぃひぃ~~」
思わず振り返ってしまった。
アルが、笑っていた。
最も聞き苦しいと言われる、沼蛙の魔物の鳴き声よりも、おかしな奇声。
カステルの魔力で、気が触れたのかと思い、「沈静」の魔法をアルに施す。
「……その…笑い声っ! ハビヒか!?」
「何を言っているんだ、カステル。俺なら、ここにいるだろう」
理解できない。
カステルは、俺ではなく、アルを見ている。
「ひびぃ、ひひぃ~ぃ~。ーーハビヒ様、残念です。もう少し、楽しめるかと思いましたが、カステルの遊び心が足りない所為で、ここらが潮時です。さすがに僕が防いでしまうと、バレてしまいますから」
アルは、長椅子を一足飛びで越えると、俺の横に座る。
俺は、アルの頭に手をやり、不肖の弟子の、艶やかな髪をぐしゃぐしゃにしてやる。
「また発作か。今、大事な話をしているんだ。あとで診てやるから、しばらく眠っていろ」
「睡眠」の魔法を、アルに施す。
どうしたことだろう。
いつの間に耐性を身につけたのか、アルは、ばっちりと目を開けている。
「ぶっ、……がっはっはっはっ、傑作だ! ハビヒがっ、あのハビヒが! 頭ぐしゃぐしゃっ!! がっかっかっかっ!」
痴呆も患ってしまったのか、またぞろ、カステルは、おかしな物言いをする。
「これは、予想外でした。本当に、あなたは面白く、興味深い人ですね」
徐に、手を叩いたアルは、見知らぬ者の名を口にする。
「ラクン・ノウ」
「な……?」
かちり、と頭の中で音がした。
「……ぅどわぁああぁっ!!」
体が勝手に反応した。
生存本能というやつだ。
手をつき、長椅子を飛び越え、陰に隠れる。
「なるほど、面白い男だ。今の今まで、わしと相対していられたというのに、正気に戻った途端に、これか」
「……絶雄様。どうかどうか、お体から、やばい感じで溢れ出ている、物恐ろしいものを、引っ込めてください」
絶雄の言う通りだ。
よくも、こんな化け物じみた気配を発する相手と、向き合っていられたものだ。
良い意味でも、悪い意味でも、自分自身が恐ろしい。
「……アル。日記とか手引書とか、嘘を吐いたな」
核心を衝くのも馬鹿馬鹿しく感じられてしまい、遠回りに糾弾する。
「日記と手引書は、僕が書いて、倉庫に置いておきました。翌日、祖父と倉庫に行って、僕が見つけたので、ーーつまりは、こういうことです」
「…………」
「嘘は言わない、が、すべてを言わない。誤解するのは、相手の自由。ーー僕が好きなことの、一つです」
初めて見る、アルの、本当の笑顔。
優しくもなく、穏やかでもない、悪戯小僧の、小憎たらしい笑顔。
「ハビヒは、悪戯が大好きだった。青年期になってからは、あくどさが青天井だったが」
「あのときは、色々と学びました。脅すよりも、恩を売ったほうが上手くいくと、特売、大安売りしていましたからね」
意気投合の二人。
そろそろ観念しないといけないようだ。
「ところで、絶雄カステル・グランデ様。こちらの、アル。本当に、魔雄ハビヒ・ツブルク様ということで、よろしいのですか?」
魔力や気勢を抑えてくれたようなので、長椅子から顔を出す。
抑えていて、これか。
王の威厳、だろうか、絶雄に視線が引き寄せられ、大きく見えてしまう。
自分が格下だと、弱者だと、奪われる側だと、ーーそうされたところで、何一つ抵抗などできないと、魂の底まで刻みつけられる。
衰退期でこれなら。
青年期の絶雄と遭ったら、気絶していたかもしれない。
「はい、どうぞ、ラクンさん。隣に座ってください」
魔雄様の思し召し。
断れるはずもない。
絶雄と魔雄の再会という、奇跡の瞬間に立ち会うことができた喜びに、冷や汗が止まらない。
逃げ場などない。
促されるままに、アルが適度に空けてくれた、長椅子のうすら寒い空間に、兎人のように身を置いたのだった。
カステルらしい。
領都の端、北の森の手前。
「八百九十年も経てば、趣味も変わるか」
静けさが、最も似合わない男だったというのに。
獣種の姿もなく、風の女神が自由に遊び回っている。
「何者か!」
居館の敷地に入ると、槍を構えた二人の獣種ーー門衛に誰何される。
「俺は、ハビヒ・ツブルクだ。カステルに会いに来た」
槍が届く範囲まで近づき、用件を告げる。
「っ! 噂の……。カステル様から、通すよう仰せつかっております」
人犬が頷くと、豚人が一礼し、屋敷に入る。
「魔雄様。お連れ様は……」
「ん? アルは、俺の弟子だ」
俺もアルも、魔法使いの恰好をしていないから訝しんだようだ。
「左様でございますか。それでは使いの者を……」
「それで、よろしいのでしょうか?」
態とだろう。
アルの悪い癖だ。
俺とアルと、二度も話を遮られた人犬が、それでも丁重に聞き返す。
「何が、でございましょう?」
「いえ、確認を取ろうとする、あなたの行動は全く以て、正しいものです。ですが、正しいだけです。その結果、師を待たせることになります。あなたの権限と責任に於いて、魔雄ハビヒ・ツブルクを通してください。あなたは、規則を破ったと、上から叱責を受けることになるでしょう。ですが、もし、僕があなたの上役なら、叱責すると同時に、こいつは使える奴だ、と認識を改めることになります。何もしなくても、何かが起こるかもしれない。それでも、僕なら、自ら動くことによって、自らの手で、つかみ取ることを尊びます」
「…………」
「それで、どうするんだ?」
俺に促され、呆けていた門衛は、即座に立て直し、二人の人種を検分する。
犬種は、集中すると、顔の部位をぴくぴくさせる者が多い。
ヌーテは、垂れ耳の先端だった。
笑ってはいけない。
鼻が細かく動き、厳つい見た目であるのに、可愛らしくも見えてしまう。
「ーーどうぞ、お通りください」
どうやら、力の差を感じ取れたようだ。
カステルが門衛に選んだだけあって、優れた資質があるのだろう。
「アル。優しいじゃないか」
「ハビヒ様ほどではありません。ただ、僕も魔法使いの端くれ。当人は気づいていないようでしたが、彼の内在する魔力は、かなりのものでした。一介の兵士で終わるのは、惜しいと思っただけです」
弟子は、師に似る。
弟子にした当初は、かなり性格がひん曲がっていたが、涵養に努めた結果、ようやく真人間に近づいてくれた。
成果、そのものは与えない。
差し出すのは、機会だけだ。
自らの手でつかんでこそ、更なる先に、透徹なる瞳を投げ掛けることができる。
「衰退期の、熊人か?」
「ふぉっ、ふぉっ、さすが魔雄様。犬種や猫種、鼠種などと間違われるようになりましたが、聞きしに勝る慧眼」
通路を塞ぐように立っていた、俺より背の低い毛むくじゃら。
服装からして文官のようだが、動きを見ればわかる。
壮年期や青年期には、武勇で腕を鳴らしたのだろう。
案内役を務めるようだ。
ゆったりと、俺たちを先導する。
どうやら、会話を所望らしい。
「門衛もそうだったが、魔雄だとわかるんだな」
「ふぉっ、ふぉっ、私は、カステル様に、三百年ほど仕えさせていただきました。絶雄と称えられる御方を、ずっと、ーーそう、ずっとお傍で見て参りました。魔雄様であるかどうかなど、一目見れば、わかります」
「ーーハビヒ様。御老の名は、サミュエル・ティソ。ミュスタイアの元宰相で、半ば引退している絶雄様の補佐をしているとのことです。『鉄さえ噛み砕く』と恐れられた、絶雄様の右腕です」
「おやおや、そのような古い、二つ名をご存知とは。よく調べておりますな」
「師から、現在の国を調べるよう頼まれましたので」
困ったものだ。
アルは、俺に心酔し過ぎている所為か、他者への敬意が足りないことがある。
だが、カステルと長く付き合ってきたティソなら、見逃してくれるだろう。
「ただ、アルは、やり過ぎる嫌いがあるからな。ミュスタイアの内情の、余計なことまで調べているかもしれん」
「ふぉっ、ふぉっ、それはそれは恐ろしい。痛い腹でも、探ってほしくはありませんので」
「痛いのか?」
「性に合いませんが、カステル様には正しくあってほしいと願い、存外無理をいたしました。『夜の行進』に遭遇しないよう、気をつけるといたしましょう」
俺とは違い、カステルの周囲には、多くの人が集まった。
四英雄の中心にいたのも、カステル。
大陸も同じ。
カステルという存在が、その有様が、浸透していったのが、この世界。
古代期の、波乱の時代に比べれば、四大神に祝福されたような世界。
創世に耽るも黄泉に迷うも思いのまま
ああ、「絶対の主」カステル・グランデ
カナロアの如き彼の者の、手の内にこそあり
吟遊詩人の言葉だが、カステルの頭を抱えている姿が目に浮かぶ。
「それでは、私は、ここで下がらせていただきます」
扉の前まで来ると、ティソは、振り返らず去っていく。
当然、扉を守護する者などいない。
カステルを、絶対の存在を守るなど、考えるだに愚かしい。
魔力で内を探る必要すらない。
扉など、何の障害にもならない。
なつかしい気配。
四英雄で過ごした日々が蘇り、胸を熱くし、魂を穏やかに奏でてくれる。
「ハビヒ様。絶雄様の気配が、膨らんでいます。意地悪などなさらず、早々に、カステル様を喜ばせてあげてください」
アルの言葉が硬い。
表情には出していないが、カステルの気配に中てられたようだ。
怯えを誤魔化そうとしているのか、普段より笑顔がぎこちないようにも見える。
「そう心配するな。会えば、アルもカステルを気に入るさ」
扉を開け、溢れる。
俺のすべてだった、光だった、三人。
俺の、唯一の、居場所だった。
「ぷっ、老いたな、カステル」
「ふんっ、衰退期に入って五十年も経ったのじゃから、当然じゃろう」
そうだな、八百九十年は、永い。
話し方も老人らしくなり、体も縮み、俺より二回りほど大きいだけだ。
竜人とは違い、人竜には髪が生えているが、完全な白髪。
「炎と譬えられた髪も、雪になった、か。だが、案外、似合っているじゃないか」
部屋に調度品はないが、テーブルと椅子は、職人の手による高級品だ。
ティソから言われたのだろう。
カステルが誂えた、長椅子二つと、左右に一つずつ、一人掛けソファが備えられている。
随分と趣味が良くなったようだ。
俺がカステルの対面の長椅子に座ると、アルは、背後に侍る。
「そちらのアオスタは、もしかしなくても、ハビヒの弟子だったりするのかの?」
「はい。師、ハビヒ様よりお噂はかねがね。僭越ながら、絶雄様とは、初めて会った気がいたしません」
「はっは、言いよるわ。わしの魔力と気勢を浴びても、平然としておる。良き者を見つけたようじゃの」
老いて尚、鋭い竜眼が、アルから俺に。
一点の曇りもない、澄んだ眼差しが、正面から向けられる。
「それで、今頃、化けて出てきたのは、どんな理由からかの?」
「俺は、絶雄と剣雄、爆雄に、一通ずつ手紙を遺した。そして、カステルには、それ以外にも一通、遺した」
「……っ!」
絶句するカステル。
この反応は、もしかしなくても、そういうことのようだ。
「さすがに呆れたぞ、カステル。手紙を、ーー失くしたのか?」
カステルの、俺を見る目が変わる。
他にも何か、やらかしていることがあるのかもしれない。
「確かにそうじゃが、今、ハビヒから聞けば、問題なかろう」
相も変わらず、腹芸は、苦手なようだ。
あの頃、交渉事は、すべて俺が担っていた。
俺が死んだあとも、多くの者に助けられてきたのだろう。
「それなんだがな、記憶にばらつきがある。『魔雄の遺産』と、今では言われているようだが、その場所が思い出せないから、カステルに聞きに来た」
「遺産ーー? そのようなものを遺しよったのか?」
嘘を吐いている風ではない。
本当に知らないようだ。
「アル」
「はい、ハビヒ様。ーーこちらが、ハビヒ様が遺された、日記になります。この日記が、僕とハビヒ様をつないでくれました。日記には、遺産のことについて記されていますが、漏洩を防ぐためでしょうか、場所は記されていませんでした」
「日記ーーときたか。くくっ……、がっはっはっはっ!」
顔に手を当て、カステルは、豪快に笑う。
纏う空気が歪む。
圧倒的な力、それ故に、世界のほうが軋む。
「やっぱりな。老人然とした喋りは、振りか」
「四英雄を騙る者は、これまで幾人もいた。ーー実際、わしは老いた。万が一の、可能性を考慮するなど、昔のわしにはなかったことだ。それ故に、わしらの思い出を汚す者には、絶望を与えてやった。死が、生温く感じるような、生を、神から与えられたことを呪うような、痛苦に塗れさせてやった」
似合わないことをするものだ。
吐き出した言葉とは裏腹に、すべてが解ける。
「どうした、カステル?」
何故か、カステルは、溜め息を吐く。
疲れ果てた、本物の老人のようだ。
「ーー嘘だ。そうしてやりたかった、というだけだ。だから、毎回、同じことをしている。わしは魔法が苦手だ。とはいえ、今の、この世界に、わしの拙い魔法を防げる者はいない。ーー苦痛は、ない。それなりに、楽しめたぞ」
そんなことをしても無意味だというのに、カステルは、俺に手のひらを向ける。
めぐる星霜。
ここまで残酷とは。
カステルは、耄碌してしまった。
すべてを預けられた、あの、大きな背中。
哀しむ必要はない。
それが、生きている、ということだ。
俺は、間に合ったことを、カステルとの邂逅を用意してくれた何者かに、感謝するだけで良い。
騒ぎ立てよう
精霊も祝福するほどに
跡形もなく燃やし尽くした情熱
ここに証しを示せ
自らを色彩と成せ
カステル特有の、誓いを立てるような呪文。
水音に似た、魔法発動の音色ではなく、燃え立つような激情。
魔力を媒介に、「火球」が生成される。
「『紅炎撃……」
「くぅひっ、ぃひぃいひひひぃ、ひぃひぃ~~」
思わず振り返ってしまった。
アルが、笑っていた。
最も聞き苦しいと言われる、沼蛙の魔物の鳴き声よりも、おかしな奇声。
カステルの魔力で、気が触れたのかと思い、「沈静」の魔法をアルに施す。
「……その…笑い声っ! ハビヒか!?」
「何を言っているんだ、カステル。俺なら、ここにいるだろう」
理解できない。
カステルは、俺ではなく、アルを見ている。
「ひびぃ、ひひぃ~ぃ~。ーーハビヒ様、残念です。もう少し、楽しめるかと思いましたが、カステルの遊び心が足りない所為で、ここらが潮時です。さすがに僕が防いでしまうと、バレてしまいますから」
アルは、長椅子を一足飛びで越えると、俺の横に座る。
俺は、アルの頭に手をやり、不肖の弟子の、艶やかな髪をぐしゃぐしゃにしてやる。
「また発作か。今、大事な話をしているんだ。あとで診てやるから、しばらく眠っていろ」
「睡眠」の魔法を、アルに施す。
どうしたことだろう。
いつの間に耐性を身につけたのか、アルは、ばっちりと目を開けている。
「ぶっ、……がっはっはっはっ、傑作だ! ハビヒがっ、あのハビヒが! 頭ぐしゃぐしゃっ!! がっかっかっかっ!」
痴呆も患ってしまったのか、またぞろ、カステルは、おかしな物言いをする。
「これは、予想外でした。本当に、あなたは面白く、興味深い人ですね」
徐に、手を叩いたアルは、見知らぬ者の名を口にする。
「ラクン・ノウ」
「な……?」
かちり、と頭の中で音がした。
「……ぅどわぁああぁっ!!」
体が勝手に反応した。
生存本能というやつだ。
手をつき、長椅子を飛び越え、陰に隠れる。
「なるほど、面白い男だ。今の今まで、わしと相対していられたというのに、正気に戻った途端に、これか」
「……絶雄様。どうかどうか、お体から、やばい感じで溢れ出ている、物恐ろしいものを、引っ込めてください」
絶雄の言う通りだ。
よくも、こんな化け物じみた気配を発する相手と、向き合っていられたものだ。
良い意味でも、悪い意味でも、自分自身が恐ろしい。
「……アル。日記とか手引書とか、嘘を吐いたな」
核心を衝くのも馬鹿馬鹿しく感じられてしまい、遠回りに糾弾する。
「日記と手引書は、僕が書いて、倉庫に置いておきました。翌日、祖父と倉庫に行って、僕が見つけたので、ーーつまりは、こういうことです」
「…………」
「嘘は言わない、が、すべてを言わない。誤解するのは、相手の自由。ーー僕が好きなことの、一つです」
初めて見る、アルの、本当の笑顔。
優しくもなく、穏やかでもない、悪戯小僧の、小憎たらしい笑顔。
「ハビヒは、悪戯が大好きだった。青年期になってからは、あくどさが青天井だったが」
「あのときは、色々と学びました。脅すよりも、恩を売ったほうが上手くいくと、特売、大安売りしていましたからね」
意気投合の二人。
そろそろ観念しないといけないようだ。
「ところで、絶雄カステル・グランデ様。こちらの、アル。本当に、魔雄ハビヒ・ツブルク様ということで、よろしいのですか?」
魔力や気勢を抑えてくれたようなので、長椅子から顔を出す。
抑えていて、これか。
王の威厳、だろうか、絶雄に視線が引き寄せられ、大きく見えてしまう。
自分が格下だと、弱者だと、奪われる側だと、ーーそうされたところで、何一つ抵抗などできないと、魂の底まで刻みつけられる。
衰退期でこれなら。
青年期の絶雄と遭ったら、気絶していたかもしれない。
「はい、どうぞ、ラクンさん。隣に座ってください」
魔雄様の思し召し。
断れるはずもない。
絶雄と魔雄の再会という、奇跡の瞬間に立ち会うことができた喜びに、冷や汗が止まらない。
逃げ場などない。
促されるままに、アルが適度に空けてくれた、長椅子のうすら寒い空間に、兎人のように身を置いたのだった。
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