めぐる風の星唄

風結

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炎の凪唄

魔雄ハビヒ・ツブルク

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 絶雄カステル・グランデが建国した、ミュスタイア。
 王都ユングフラウは、今では大陸ルツェルンで最も栄えた都として知られる。
 には、交易の要衝ようしょうにあった街だった。
「カステル。らしくなく頑張ったじゃないか」
 人獣シオン獣人ニヨンでごった返す煌びやかな表通りを、肩で風を切って歩く。
 人寄りの獣である人獣と、獣寄りの人である獣人。
 目に見える範囲に、人種アオスタは確認できない。
 幾星霜いくせいそうを経て、九百年。
 正確には、八百九十年。
 変わらず大陸の主導権は、シオンとニヨンがーー獣種が握っている。
 その王都を、アオスタである俺が闊歩している。
 驚き、猜疑、不審。
 ちらほらと、蔑視を、敵意を放つ者もいる。
「ん?」
 角を曲がり、視認する。
 二人の人種が馬車に荷を積んでいた。
 カステルの影響力もあり、大半の国では人種を奴隷とすることを禁じている。
 彼らは、ミュスタイアで罪を犯した。
 鎖につながれた若い女は、目が死んでいる。
 俺が近づいても気づかない。
 刑期が短い、首輪をけている男が顔を上げる。
 初老の男の、暗い眼差し。
 ーー俺がこんな目に遭っているのに、何でお前は苦痛もなく自由なんだ。
 手に取るようにわかる。
 不幸自慢をするつもりはない。
「その程度、苦痛でもないだろうに」
 二人を助けるのは簡単だ。
 短慮に実行すれば、獣国との間に、亀裂を生む。
 ーーすべてを助けられないのなら、一人も助けない。
 特に、俺のような力を持った者には、自制が求められる。
「良かった。今でも同じ場所にあったか」
 獣種の寿命は、人種よりも格段に長い。
 それでも、爺さんはとっくに亡くなり、孫か曾孫が店を継いでいるのだろう。
 ーー「絶魔の杯亭」。
 絶雄カステル魔雄おれが友情を誓った場所とはいえ、爺さんもセンスのない店名を遺してくれたものだ。
 匂いでわかる。
 足取りも軽く、建てつけの悪いスイングドアを押して入る。
「は~い、いらっしゃい……にゃ?」
 猫人ジッテンの店員が、珍客アオスタに首を傾げる。
 にぎわった店内に、風の女神ラカが沈黙を運ぶ。
 運が良い。
 飯時とあって満席だったが、ちょうど空いた席に座り、足を組む。
「アオスタが、何しに来やがった」
「くせぇ、くせぇ、飯が不味くなるぜ」
 悪意がたんまりと投げつけられるが、手を出す者はいない。
 しかし、それは何の保障にもならない。
 彼らは、敵ではないだけで、味方ではない。
 人種が一人、行方不明人なったところで、獣種は気にも留めない。
「おい、追い出すか……」
「注文は?」
 野太い声が、客を再び静寂にかしずかせる。
 店主の、人牛サルドナ
 爺さんの面影がある。
煮込みツヴィングリをくれ。極めつけカルヴァンでな」
「ーー待ってろ」
 店主が奥に下がると、客の悪意が好奇心に変わる。
「あのアオスタ、ツヴィングリをカルヴァンで頼んだぞ」
「馬鹿か? 俺らでもあんなゲテモノ、食えねぇってのによ」
 人種と獣種の味覚は異なる。
 獣種は、脂っこい料理を好む。
 獣種の通常の料理でさえ、人種が食えば腹を壊す。
 客が言ったように、獣種ですら嫌厭けんえんする極めつけの料理。
 「炎神ペレの怒り」という別名があることからも、その酷さがわかる。
「ーーーー」
 無言で置いていく店主。
 強烈な臭気に、客の半分以上が顔を顰める。
「久し振りだ。この匂い、堪んないな」
 待ち焦がれた、俺の好物。
 最初に食べるのは、「絶魔の杯亭このみせ」と決めていた。
 周囲の雑音を気にせず、掻き込んでいく。
「……嘘だろ。あいつ、食ってるぞ」
「なぁ、誰か、あのアオスタのこと知らねぇか?」
 ざわめく店内に、三人の獣種が入ってくる。
 乱暴に扱われた扉が不平不満を訴える。
「ーーこいつか、妙なアオスタっていうのは」
 若い虎人ロックルの兵士が胡乱な目を向けるが、ツヴィングリの臭いに一歩退しりぞく。
 俺と入れ替わりで席を立った獣種が、良心的な通報をしたのだろう。
「そこのアオスタ! 聞いているのか!」
「黙れ。飯が不味くなる」
 若い者にはありがちだ。
 体面メンツを守るために、いくらでも愚かになれる。
 同年代の仲間の前となれば、その傾向も強くなる。
「なっ、ぐっ! 貴様!!」
 遅すぎる。
 俺は、くいっ、と手首を振る。
「……は?」
 長剣を弾かれた兵士は、間抜け面を晒す。
 食事を続けながら、手首を振り、兵士を傷つけないよう正面から対処する。
「ほう、疾いな。目で追うのがやっとだ」
 戸惑う兵士のかたわらの席で、食事の手を止める人狼シュヴィーツ
 濃厚な気配でわかる。
 相当な使い手だ。
「……あんた、あれが見えたのか?」
「見えた、だけだ。体がついていくかはわからない」
 顔に複数の深い傷を刻んだ狼顔が、壮絶な笑みを形作る。
 魔法使いである俺には、いまいち理解できない情動。
「店主、ごっそさん」
 銀貨を一枚ほうる。
「多い」
 そのまま帰ろうとする俺を止める店主。
「何だ? 爺さんのときよりも安くなったのか?」
「昔よりも、食材が手に入り易くなった」
 初めて俺の顔を見た店主は、不愛想な声に、わずかな寂寥せきりょうを籠めて聞いてくる。
「一つ聞かせろ。ーー爺ちゃんのと比べて、どうだ?」
「爺さんの味を思い出したーーが、まだまだだな」
 投げ渡された銅貨を受け取る。
「また、食べに来い。次は、唸らせてやる」
「約束はできない。だが、ユングフラウを訪れるときには、また寄らせてもらう」
「構わない」
 背を向ける前の、彼の表情。
 嘗て、俺がしていた表情もの
 ーーカステル、サッソ、ヌーテ。
 絶雄、爆雄、剣雄、それから魔雄ーー世界を救った四英雄。
 獣種の三人の背中を、ずっと、追いかけていた。
 追いかけて、いたかった。
「魔雄ハビヒ・ツブルクは、『魔法の主』だと思ったが?」
 情緒を解さない人狼。
 だが、慣れている。
 カステルを始めとして、戦士とは、こういった者たちだった。
「得手は魔法だ。だが、剣が使えないと言った覚えはない。ーーとはいえ、カステルの足元に及ぶ程度だがな」
 薄々うすうす、予感していた客たち。
 絶雄カステルの名を、ミュスタイアの王を呼び捨てにしたことで、確信に変わっていく。
 隠すつもりはなかったが、これで、カステルを驚かせることはできなくなったようだ。
 老境にあるカステルを突然訪ねれば、驚愕のあまり、彼の心臓を止めてしまうことになり兼ねないから、これはこれで構わないだろう。
 店を出て、西に向かう。
 カステルは、王都にはいない。
 フレットという領都に、魔物の備えとして居館を置いている。
 半ば、引退していることを理由に、書類仕事から逃げ出し、暴れ回ることができる場所を求めたのだろう。
 建国には俺も手を貸したが、ミュスタイアに愛着はない。
 ユングフラウから西に向かう街道。
 獣種の目があちらこちらから刺さってくる。
 丁度良い脇道があったので、そちらに入っていく。
 追ってくる足音は聞こえないが、殺気が駄々洩れだ。
「さすがだな、気づいたか」
「隠す気もない癖に。そんな楽しげな顔で、言ってくれるな」
 振り返れば、「絶魔の杯亭」にいた人狼。
 店内で、彼の目を見たときからわかっていた。
 予備の剣ではなく、使い慣れたほうを投げ渡してくる。
 純粋に、対等な勝負を希望しているようだ。
「魔法は使わない。それで、魔力も無しか?」
「そうだな、無しで頼む。俺の剣が、『絶対の主』ーー絶雄カステル・グランデの足元に及ぶかどうか、試させてくれ」
 殺気だけで、人を殺せそうだ。
 俺にとっては微風そよかぜのようなものだが、なつかしい心地でもある。
 魔法なら、ありを踏みつけないような、繊細な手加減が必要だが、剣なら全力を出して構わない。
 俺の剣の師であるカステル。
 絶雄の剣技をふるえるのは悦びでもある。
「全力で来い。致命傷だろうと『治癒』で治してやる」
「『治癒』など無用。ーー剣に捧げた命。俺の覚悟を甘く見てくれるな」
 甘い、と。
 剣雄ヌーテからよく言われた。
 そういうヌーテこそ、誰よりも厳しかった癖に、俺にだけは甘かった。
 魔法剣の使い手であり、俺の、魔法の師であるヌーテ。
「ぅ…ぐ……、ガアァァ!!」
 古き、狼の血に、おのれを委ねる人狼。
 事前に人除けの「結界」を張っておいたから、邪魔は入らない。
 刹那。
 凝縮された時間が、逆に引き延ばされる。
 感情を解放し、感覚を活性化させる。
 獣種に力で及ばない人種が、駆け上がるための、絶雄カステル直伝の術理。
 ーー不純物を捨て去った、単純になったような、空虚な世界。
 そこで俺は、爆発的な力の波動を感じ取る。
 人狼に応え、気合いを声に乗せる。
「はぁああっっ!!」
「…………」
 突如、無表情になった人狼は、ぽいっ、と剣を捨てた。
「はぁああっっ??」
 俺の口から、素っ頓狂な声がまろび出る。
 油断してはいけない。
 人狼の策かもしれない。
「…………」
 やる気の欠片も見られない人狼は、ぱんっ、と手を叩くと、聞き覚えのない名を口にした。
「ラクン・ノウ」
「あ……?」
 かちり、と頭の中で音がした。
 気づけば、そこに人狼はいない。
 いるのは、俺より二つか三つ年下の、十八歳くらいの人種の青年。
 有力商人の息子のような風体ウプランド
 成金とは違う、嫌味のない、風格を醸す、落ち着いた雰囲気。
 魔法使いーーラクル・アル・ファリア。
 それから、アルが口にした、複雑な感情を想起させる名前が、頭に浸透してくる。
 ーーラクン・ノウ。
 聞き覚えがないはずがない。
 生まれたときから、ずっと付き纏ってきた、俺の名前だ。
 ラクン、と、ラクル。
 混同するからと、アル、と呼ぶように言われた。
 ノウ、などと呼ばれるのは勘弁だから、受け容れた。
「では、どうぞ」
 常に微笑を顔に貼りつけた青年。
 女装させれば、多少の違和感で済むだろう、穏やかな佇まい。
 呪文を唱えることなく、アルは魔法を使う。
 空地の、土が剥き出しの地面に、穴が穿たれる。
「……っ!?」
 見た瞬間に、体のほうが先に反応した。
 世界の終わりのような、破滅的な衝動が、全身をむさぼり尽くす。
 ようやく頭が理解し、勝手に足が動く。
 穴だ。
 穴がある。
 穴があるのなら、それを使い、何をするのかは決まっている。
「ぶぉげぇ~~っ、ぅいっ、ごぅごぉ~~」
 腹の内は夢幻世界ラビリンス
 悪寒と、嫌な汗が噴き出してくる。
 しかし、奇妙な心地好さもある。
 嘔吐えずき、呼吸さえ儘ならず、それでも体は排出しようと軋む。
「おみそれしました、ラクンさん。ツヴィングリを完食するとは思っていませんでした」
「~~っ、ぁ~~、うぇ……」
 体が痺れ、目から勝手に涙が出てくる。
 鼻水が、もう吐くものがないので、胃液と混ざり、穴に落ちる。
 それでも吐き気は治まらない。
 あまりの酷さに、死を予感する。
「洗浄します。苦痛が長引かないように、なるべく早く、意識を失ってください」
 アルの言葉は、半分くらいしか頭に入ってこなかった。
 俺の背後に回り、髪の毛をつかむと、容赦なく顔を空に向ける。
 ーー俺がこんなに苦しんでいるというのに。
 快晴の空が不愉快だった。
「や…め……」
 最後まで言えなかった。
 青い空を背景に、透明な棒が浮かんでいた。
 水の棒。
 不自然なそれは、アルの魔法。
 水棒の太さは、俺の口を目一杯、拡げたときと同じ。
「ーーっ!!」
 声も、水とともに呑み込まれていく。
 体の中に入り、そして、逆流。
 生き物のように、口から飛び出していく。
 意識を失え、とアルは言っていた。
 「生命の神カネ」ーー「カネの水」は死者を蘇らせると伝えられている。
「ーーーー」
 死の間際に、穏やかな心地になると、聞いたことがあった。
 ーー蘇るためには、一度、死ななくてはならない。
 浮いていた、二本目の水棒を見ながら、最期にぼんやりと、そんなことを思った。
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