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家族
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1
涙を、流していたのでしょうか。
雨が降っているのでわかりません。
記憶が曖昧です。
「大丈夫か?」
男性の声のあとに、大きな傘。
冷たい雨に濡れた体は冷え切っているのに。
不思議と、彼の声は弱った心を温めてくれました。
でも、悲しいことに。
本当のことを知ったとき、彼は僕から離れていってしまうでしょう。
いえ、そうならない為に、優しい人ほど僕から遠ざけないといけません。
「ありがとうございます。でも、僕に係わらないほうが良いです」
「君は優しいな。ーーだが、何かを守りたいと思うのなら、人に頼るということも覚えるべきだ」
予期しない言葉。
男性の顔を見てみると、彼はーー同じでした。
僕と同じ傷を負い、そして、「永遠の傷」となってしまっていました。
痛みを抱えすぎて、薄くなってしまった表情。
本当はいけないというのに。
僕は彼に話しかけてしまっていました。
「……あなたは?」
「心配しなくていい。私は君の事情を知っている。身分は刑事だが、対『能力者』の人間だ」
「味方、なのですか?」
「今は君のーー『妹』の担当ではない。君たちの味方になれるまでは、もうしばらくかかる。ーー立てるか?」
大きく、逞しい手。
何より、たくさんの悲しいものを見てきた眼差し。
救われなければいけないのは彼であるはずなのに。
どうしてでしょう。
僕は彼の手をつかんでしまいました。
「僕はどうなっても構いません。どうかどうか、『妹』の味方になってあげてください」
「ーーそんな悲しいことを言ってくれるな。『妹』を幸せにしたいのであれば、君自身もまた、幸せにならなければいけないのではないか?」
そう、なのでしょうか。
父と母は、「妹」を守って亡くなりました。
交通事故ーーと警察は言っていましたが、本当かどうかはわかりません。
ただ、一つだけわかることがあります。
両親は「能力者」の、いえ、そんなことは関係ありません、大切な「妹」を命懸けで守ったということです。
僕も、両親のように「妹」を守らないといけません。
でも、僕の力はちっぽけで。
一人でできることの少なさに、胸が絞めつけられます。
「国は、今すぐにでも、『妹』を保護していただけないのですか?」
「すまないが、法がそうなっていない。君の『妹』が同意してくれないことには、我々は動くことができない。彼女を説得できる者がいるとするなら、君だけだ」
守るーーそのことの意味を、僕は履き違えていたのかもしれません。
でも、同時にこうも思うのです。
今の「妹」の味方は僕だけ。
その僕が、「妹」の手を放したら、「妹」は世界で一人になってしまいます。
何が正しくて、何が間違っているのか。
両親が亡くなったときから、ずっと考え続けていますが、未だに答えは見つかりません。
降り頻る、雨の中。
立ち去ってゆく男性。
彼の背中に答えがあるような気がして、その姿が見えなくなるまで僕はずっと見詰めていました。
2
男性から借りた黒い傘を傘立てに。
この時間、「妹」は部屋から出てこないでしょうが、万が一ということもあります。
びしょ濡れで汚れた服。
この姿を見られたら、「妹」を悲しませてしまいます。
「妹」の食事の時間ですので、風呂は後回しに、服だけ着替えて準備に取りかかります。
「ご飯だよ。置いておくね」
お盆を部屋の前に置いてから、しばらく待ってみますが返事はありません。
両親が亡くなってからは、ずっとこうです。
でも、ご飯はきちんと完食してくれているので、あとは「妹」を信じるしかありません。
ーー「能力者」。
僕がそうだったら良かったのに。
神様は不公平です。
噂でしか聞くことがなかった「能力者」になってしまったのは「妹」でした。
それからは、あっという間でした。
造次顛沛ーー躓いてから転ぶまでの間ーーそう思えるくらい短い間に、「妹」と僕の世界は一変しました。
ーー「能力者」。
自分と異なる者に対しての、大衆の反応。
石を投げられるより辛い、拒絶の眼差し。
普通の中学生だった「妹」が耐えられるはずがありません。
周囲の世界から拒絶された「妹」は、周囲の世界を拒絶しました。
追い打ちをかけたのが両親の死。
最期まで「妹」を守った、父と母。
ーーあの日から。
「妹」は部屋に閉じこもって、僕とも顔を合わせなくなりました。
「神様って、信じたら助けてくれるのかな」
そうではないことを知っていても、願ってしまうのはなぜなのでしょう。
神様が助けてくれないのであれば、僕が「妹」を助けないといけません。
時間だけはあったので、何度も何度も考えました。
「傷は見えないかな?」
幸い、風邪は引きませんでした。
襲撃された際の、体の傷も、見える場所にはありません。
「能力者」である「妹」は狙われています。
反「能力者」団体から暴行を受けました。
でも、それだけなら問題ありません。
僕が傷つくだけで済みます。
問題は、「妹」の「能力」をつけ狙う連中です。
自分たちの欲の為に、「妹」を利用しようとしているのです。
彼らは、必ず「妹」を不幸にします。
その前に、国に保護してもらいたいのですが、未だ僕の言葉は「妹」には届いてくれません。
「これで終わりかな」
食器を洗い、僕が居ない間に「妹」が壊した食器や家具などを片づけます。
心配事が多い所為でしょうか。
最近、寝つきが悪くなったので、部屋に戻る前にソファに座って考え事をします。
ーーずっと。
ずっと考えていました。
あの、男性の言葉。
ーー僕の幸せ。
でも、何度考えても、答えは同じでした。
「妹」が幸せになることーーそれが僕の幸せなのです。
僕が幸せになる為には、「妹」が必要なのです。
それは絶対。
たった一人の「家族」。
「妹」を守る為なら、命だって惜しくありません。
「っぁ!」
「妹」の、擦り切れるような叫び声に続いて。
叩きつけられました。
でも、大丈夫です。
部屋は暗いので、僕がどれだけ傷つこうが「妹」からは見えません。
「ぃっ!」
最初は箒でしたが、それだけでは満足しなかったようで、「妹」は椅子を何度も何度も投げつけてきました。
ここで声を上げてはいけません。
そうすれば、「妹」が傷ついてしまいます。
「妹」の、どうにもならない「傷」を受け留めてあげられるのは僕だけなのです。
痛みなど、大したことではありません。
「妹」の魂が悲鳴を上げています。
軋んでいます。
僕を傷つけることで、「妹」も傷ついているのですが、今はこれしか方法が思い浮かびません。
「妹」の、壊れかけた心をつなぎ留めてあげられるのは僕だけなのです。
「あぁ!!」
大丈夫です。
「妹」は怪我することなく、部屋に戻ってゆきました。
体の節々が痛みますが、僕は起き上がって部屋を片づけます。
今夜、二度目があれば、「妹」が踏んづけて怪我をしてしまうかもしれないからです。
わずかに開いた、カーテンの隙間から見えた満月は。
未来の幸せの象徴のようで、とても綺麗でした。
3
朝ーーになったようです。
あまり眠れなかったようで、時間の感覚が曖昧です。
二度目、だけでなく、三度目もありました。
僕にはわかります。
「妹」が能動的に動いているということは、同時に、心も動いているということです。
きっとこの先、良い方向に風は吹いてくれるはず。
久しぶりに心が弾みました。
でも、得てして、不幸というのはそんなときにやってきます。
「『能力者』が! 死ね!!」
「能力者」への対応にも色々あります。
普段の生活で傷ついている者ほど、相手を傷つけるということを知りました。
充実した者の多くは、そもそも係わろうとはしません。
存在しない者、として扱うことが一番の方策のようです。
「汚らしい! ゴミがうろついてんな!!」
他者だけでなく、自分をも傷つける言葉が飛んできます。
でも、大したことはありません。
彼らは罵倒しか投げつけてこないからです。
面白いーーと言っては失礼ですが、彼らは法を、一線を越えてこないのです。
それが彼らなりの「正義」らしいのです。
本当に怖いのは、限度を知っている反「能力者」団体ではありません。
「欲望」に駆られた者たち。
「妹」の「能力」を得ようと、手段を選ばない人々です。
「我々も暇ではない。そろそろ諦めてもらえないかね?」
また、遣って来ました。
この度の彼らは本気のようです。
殺気立った雰囲気。
それでも、僕の答えが変わることはありません。
「僕が『妹』のことを諦める。そんなことは死んでもあり得ません」
「そうか、残念だ。死んでもあり得ないのなら、仕方がない。ーー死んでもらおう」
相手は十人。
全員、武器を持っています。
彼らの目的は知りません。
聞いたとしても、本当のことを言うとは思えません。
ーーわかっています。
こんなことを繰り返しても意味はないと。
相手は何度でも遣って来ます。
相手が諦めないのであれば。
そう遠くない内に、僕は「妹」を守れなくなってしまいます。
それでも、僕は戦わないといけません。
この命が尽きるまで戦うこと、それが僕の「役割」だからです。
だから僕は、体が動かなくなるまで戦いました。
「被害は?」
「幸い、死者はいません」
「これで『兄』は使い物にならなくなった。ーー行くぞ」
そう遠くない内、どころか、今、その時は訪れてしまいました。
「妹」を守ることができませんでした。
僕の命は何と軽いのでしょう。
どれだけ想いを注ぎ込んでも、体は動いてくれません。
また、です。
雨が降ってきました。
周囲には誰もいません。
もう、僕の命も終わってしまうようです。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、足音が聞こえてきました。
「まだ、意識はあるか?」
不思議です。
体も意識も、もうボロボロで、壊れた玩具のようだというのに。
そうーー暖かかったのです。
あの時と、同じです。
変わらず、大きく逞しい手。
僕の手を握ってくれる男性の手から、溢れてゆきます。
壊れかけの魂。
動かないはずの口が、心の底から沸き上がった想いを紡いでゆきます。
「……僕は、大切なものがあったような気がします。そうです。『』が大切だったはずなのに、『』のことが思いだせません。『』のことを忘れるのが僕の最後の『役割』ーー」
「駄目だ! 本当に大切だと言うのなら、最期まで抱えて逝け! 誰が許さなくてもいい! それが、たった一人の『兄』である君の役目だ!!」
ーー「兄」。
男性の言葉が響きます。
ーー僕の役目。
そうなのでしょうか。
それはわかりませんでした。
ーーでも。
でも、男性の顔を見ていると、僕がやらないと彼が悲しんでしまうような気がして。
僕は命を費やしました。
大切なものを、忘れずにいられる幸せ。
そんな幸せを享受してもいいと、彼は言ってくれているのです。
僕は弱い「」です。
彼の言葉に、甘えてしまいました。
「……ああ、そうでした。『』は……僕の大切な……、そう……『妹』。でも、わかります。僕は『妹』のことを忘れないといけないのに。……手放さないといけないのに。大切なものを抱えたまま、……消えても良いのでしょうか」
「それは誰にも、神様だって決められない。だが、ーーそれでも許しが必要だというなら、私が許してやる。それが罪だというのなら、私が背負ってやる」
ーー幸せ。
思いだします。
僕が幸せになったら、「妹」も幸せになるのでしょうか。
ーー傘。
男性の傘があるから、僕は自分が泣いていることがわかりました。
僕は酷い奴です。
最期まで、「妹」のことだけを想っていなければいけないというのに。
消える間際に想ったのは、男性のーー……。
4
雨は、やんだようです。
……何もわかりません。
何もわからないというのに。
ただただ、悲しいような気がします。
女の子が倒れています。
大きな布がかけられています。
わかりません。
ただただ、すっぽりと抜け落ちてしまったようです。
「『家族』で間違いないようだな」
「くくっ、今頃、本庁の奴らが悔しがっているでしょう」
いつからでしょう。
男性が二人居ました。
「『人形遣い』と、そして『家族』。今回は学ばせてもらいました」
「『能力者』の『能力』というのは大抵、周囲の環境を含めてのものだ。そこに切り崩す要因がある。『家族』は、『兄』に多くを与えすぎた。それゆえに『兄』は、『家族』に返さなければいけない『力』を抱えたまま逝った」
「『人形遣い』のときも見事でした。『恋人』の少年と、その両親を利用した誘導。『人形遣い』を自滅に向かわせる手口ーー」
「君は優秀であるがゆえに、なかなか道化を演じることができない。だが、見の内に炎が猛っている内は、それでいいのかもしれないな」
怒りーーそんなものなど、とうに通り越した若い男性の顔。
通りすぎてしまいーーまるで世界を焼き尽くしたかのような男性の顔。
「……『能力者』など、すべて滅ぼしてやる!!」
若い男性は、もう動かない女の子を蹴りました。
悲しいーーような気がします。
大切ーーだったような気がします。
でも、やっぱりわかりませんでした。
「ーー村上」
「……大丈夫です。こんなこと、あなたの前でしか言いません、ーー立花さん」
もう、消えてしまうからでしょうか。
誰が、何が悲しいのか、よくわからなくなってきました。
だから、ただただ見詰めていました。
「上の人間は、前政権の際に一気に引っ繰り返そうとして、失敗した。本庁も議会も、やり直しだ」
「利権を握っている者には、それゆえの弱点があります。そちらでは俺を使ってください」
「ああ、もちろんだ。ーー一般人は、『能力者』のことなど他人事だと思っている。だからこそ、彼らから見えないところで、保護した『能力者』を効率よく『処理』できる法を作る」
「ええ、そこまでやったらーー。最後に、『能力者』を殺しましょう」
晴れているのに、雨が降っていました。
若い男性は、立ち去ってゆきます。
一人になった男性は、女の子に向かって手を合わせました。
その祈りは、女の子だけでなく、もっと大きく、悲しいものに向けられているようでした。
わからなくなってきました。
もう、消えてしまうようです。
でも、消えてしまう前に。
何もわからないというのに、祈っても良いでしょうか。
立ち去ってゆく男性。
あの、悲しい背中が向かう先にーー。
ただただ……、いつか男性…「彼」にも幸せが……訪れて欲しいと……
涙を、流していたのでしょうか。
雨が降っているのでわかりません。
記憶が曖昧です。
「大丈夫か?」
男性の声のあとに、大きな傘。
冷たい雨に濡れた体は冷え切っているのに。
不思議と、彼の声は弱った心を温めてくれました。
でも、悲しいことに。
本当のことを知ったとき、彼は僕から離れていってしまうでしょう。
いえ、そうならない為に、優しい人ほど僕から遠ざけないといけません。
「ありがとうございます。でも、僕に係わらないほうが良いです」
「君は優しいな。ーーだが、何かを守りたいと思うのなら、人に頼るということも覚えるべきだ」
予期しない言葉。
男性の顔を見てみると、彼はーー同じでした。
僕と同じ傷を負い、そして、「永遠の傷」となってしまっていました。
痛みを抱えすぎて、薄くなってしまった表情。
本当はいけないというのに。
僕は彼に話しかけてしまっていました。
「……あなたは?」
「心配しなくていい。私は君の事情を知っている。身分は刑事だが、対『能力者』の人間だ」
「味方、なのですか?」
「今は君のーー『妹』の担当ではない。君たちの味方になれるまでは、もうしばらくかかる。ーー立てるか?」
大きく、逞しい手。
何より、たくさんの悲しいものを見てきた眼差し。
救われなければいけないのは彼であるはずなのに。
どうしてでしょう。
僕は彼の手をつかんでしまいました。
「僕はどうなっても構いません。どうかどうか、『妹』の味方になってあげてください」
「ーーそんな悲しいことを言ってくれるな。『妹』を幸せにしたいのであれば、君自身もまた、幸せにならなければいけないのではないか?」
そう、なのでしょうか。
父と母は、「妹」を守って亡くなりました。
交通事故ーーと警察は言っていましたが、本当かどうかはわかりません。
ただ、一つだけわかることがあります。
両親は「能力者」の、いえ、そんなことは関係ありません、大切な「妹」を命懸けで守ったということです。
僕も、両親のように「妹」を守らないといけません。
でも、僕の力はちっぽけで。
一人でできることの少なさに、胸が絞めつけられます。
「国は、今すぐにでも、『妹』を保護していただけないのですか?」
「すまないが、法がそうなっていない。君の『妹』が同意してくれないことには、我々は動くことができない。彼女を説得できる者がいるとするなら、君だけだ」
守るーーそのことの意味を、僕は履き違えていたのかもしれません。
でも、同時にこうも思うのです。
今の「妹」の味方は僕だけ。
その僕が、「妹」の手を放したら、「妹」は世界で一人になってしまいます。
何が正しくて、何が間違っているのか。
両親が亡くなったときから、ずっと考え続けていますが、未だに答えは見つかりません。
降り頻る、雨の中。
立ち去ってゆく男性。
彼の背中に答えがあるような気がして、その姿が見えなくなるまで僕はずっと見詰めていました。
2
男性から借りた黒い傘を傘立てに。
この時間、「妹」は部屋から出てこないでしょうが、万が一ということもあります。
びしょ濡れで汚れた服。
この姿を見られたら、「妹」を悲しませてしまいます。
「妹」の食事の時間ですので、風呂は後回しに、服だけ着替えて準備に取りかかります。
「ご飯だよ。置いておくね」
お盆を部屋の前に置いてから、しばらく待ってみますが返事はありません。
両親が亡くなってからは、ずっとこうです。
でも、ご飯はきちんと完食してくれているので、あとは「妹」を信じるしかありません。
ーー「能力者」。
僕がそうだったら良かったのに。
神様は不公平です。
噂でしか聞くことがなかった「能力者」になってしまったのは「妹」でした。
それからは、あっという間でした。
造次顛沛ーー躓いてから転ぶまでの間ーーそう思えるくらい短い間に、「妹」と僕の世界は一変しました。
ーー「能力者」。
自分と異なる者に対しての、大衆の反応。
石を投げられるより辛い、拒絶の眼差し。
普通の中学生だった「妹」が耐えられるはずがありません。
周囲の世界から拒絶された「妹」は、周囲の世界を拒絶しました。
追い打ちをかけたのが両親の死。
最期まで「妹」を守った、父と母。
ーーあの日から。
「妹」は部屋に閉じこもって、僕とも顔を合わせなくなりました。
「神様って、信じたら助けてくれるのかな」
そうではないことを知っていても、願ってしまうのはなぜなのでしょう。
神様が助けてくれないのであれば、僕が「妹」を助けないといけません。
時間だけはあったので、何度も何度も考えました。
「傷は見えないかな?」
幸い、風邪は引きませんでした。
襲撃された際の、体の傷も、見える場所にはありません。
「能力者」である「妹」は狙われています。
反「能力者」団体から暴行を受けました。
でも、それだけなら問題ありません。
僕が傷つくだけで済みます。
問題は、「妹」の「能力」をつけ狙う連中です。
自分たちの欲の為に、「妹」を利用しようとしているのです。
彼らは、必ず「妹」を不幸にします。
その前に、国に保護してもらいたいのですが、未だ僕の言葉は「妹」には届いてくれません。
「これで終わりかな」
食器を洗い、僕が居ない間に「妹」が壊した食器や家具などを片づけます。
心配事が多い所為でしょうか。
最近、寝つきが悪くなったので、部屋に戻る前にソファに座って考え事をします。
ーーずっと。
ずっと考えていました。
あの、男性の言葉。
ーー僕の幸せ。
でも、何度考えても、答えは同じでした。
「妹」が幸せになることーーそれが僕の幸せなのです。
僕が幸せになる為には、「妹」が必要なのです。
それは絶対。
たった一人の「家族」。
「妹」を守る為なら、命だって惜しくありません。
「っぁ!」
「妹」の、擦り切れるような叫び声に続いて。
叩きつけられました。
でも、大丈夫です。
部屋は暗いので、僕がどれだけ傷つこうが「妹」からは見えません。
「ぃっ!」
最初は箒でしたが、それだけでは満足しなかったようで、「妹」は椅子を何度も何度も投げつけてきました。
ここで声を上げてはいけません。
そうすれば、「妹」が傷ついてしまいます。
「妹」の、どうにもならない「傷」を受け留めてあげられるのは僕だけなのです。
痛みなど、大したことではありません。
「妹」の魂が悲鳴を上げています。
軋んでいます。
僕を傷つけることで、「妹」も傷ついているのですが、今はこれしか方法が思い浮かびません。
「妹」の、壊れかけた心をつなぎ留めてあげられるのは僕だけなのです。
「あぁ!!」
大丈夫です。
「妹」は怪我することなく、部屋に戻ってゆきました。
体の節々が痛みますが、僕は起き上がって部屋を片づけます。
今夜、二度目があれば、「妹」が踏んづけて怪我をしてしまうかもしれないからです。
わずかに開いた、カーテンの隙間から見えた満月は。
未来の幸せの象徴のようで、とても綺麗でした。
3
朝ーーになったようです。
あまり眠れなかったようで、時間の感覚が曖昧です。
二度目、だけでなく、三度目もありました。
僕にはわかります。
「妹」が能動的に動いているということは、同時に、心も動いているということです。
きっとこの先、良い方向に風は吹いてくれるはず。
久しぶりに心が弾みました。
でも、得てして、不幸というのはそんなときにやってきます。
「『能力者』が! 死ね!!」
「能力者」への対応にも色々あります。
普段の生活で傷ついている者ほど、相手を傷つけるということを知りました。
充実した者の多くは、そもそも係わろうとはしません。
存在しない者、として扱うことが一番の方策のようです。
「汚らしい! ゴミがうろついてんな!!」
他者だけでなく、自分をも傷つける言葉が飛んできます。
でも、大したことはありません。
彼らは罵倒しか投げつけてこないからです。
面白いーーと言っては失礼ですが、彼らは法を、一線を越えてこないのです。
それが彼らなりの「正義」らしいのです。
本当に怖いのは、限度を知っている反「能力者」団体ではありません。
「欲望」に駆られた者たち。
「妹」の「能力」を得ようと、手段を選ばない人々です。
「我々も暇ではない。そろそろ諦めてもらえないかね?」
また、遣って来ました。
この度の彼らは本気のようです。
殺気立った雰囲気。
それでも、僕の答えが変わることはありません。
「僕が『妹』のことを諦める。そんなことは死んでもあり得ません」
「そうか、残念だ。死んでもあり得ないのなら、仕方がない。ーー死んでもらおう」
相手は十人。
全員、武器を持っています。
彼らの目的は知りません。
聞いたとしても、本当のことを言うとは思えません。
ーーわかっています。
こんなことを繰り返しても意味はないと。
相手は何度でも遣って来ます。
相手が諦めないのであれば。
そう遠くない内に、僕は「妹」を守れなくなってしまいます。
それでも、僕は戦わないといけません。
この命が尽きるまで戦うこと、それが僕の「役割」だからです。
だから僕は、体が動かなくなるまで戦いました。
「被害は?」
「幸い、死者はいません」
「これで『兄』は使い物にならなくなった。ーー行くぞ」
そう遠くない内、どころか、今、その時は訪れてしまいました。
「妹」を守ることができませんでした。
僕の命は何と軽いのでしょう。
どれだけ想いを注ぎ込んでも、体は動いてくれません。
また、です。
雨が降ってきました。
周囲には誰もいません。
もう、僕の命も終わってしまうようです。
ぼんやりとそんなことを考えていたら、足音が聞こえてきました。
「まだ、意識はあるか?」
不思議です。
体も意識も、もうボロボロで、壊れた玩具のようだというのに。
そうーー暖かかったのです。
あの時と、同じです。
変わらず、大きく逞しい手。
僕の手を握ってくれる男性の手から、溢れてゆきます。
壊れかけの魂。
動かないはずの口が、心の底から沸き上がった想いを紡いでゆきます。
「……僕は、大切なものがあったような気がします。そうです。『』が大切だったはずなのに、『』のことが思いだせません。『』のことを忘れるのが僕の最後の『役割』ーー」
「駄目だ! 本当に大切だと言うのなら、最期まで抱えて逝け! 誰が許さなくてもいい! それが、たった一人の『兄』である君の役目だ!!」
ーー「兄」。
男性の言葉が響きます。
ーー僕の役目。
そうなのでしょうか。
それはわかりませんでした。
ーーでも。
でも、男性の顔を見ていると、僕がやらないと彼が悲しんでしまうような気がして。
僕は命を費やしました。
大切なものを、忘れずにいられる幸せ。
そんな幸せを享受してもいいと、彼は言ってくれているのです。
僕は弱い「」です。
彼の言葉に、甘えてしまいました。
「……ああ、そうでした。『』は……僕の大切な……、そう……『妹』。でも、わかります。僕は『妹』のことを忘れないといけないのに。……手放さないといけないのに。大切なものを抱えたまま、……消えても良いのでしょうか」
「それは誰にも、神様だって決められない。だが、ーーそれでも許しが必要だというなら、私が許してやる。それが罪だというのなら、私が背負ってやる」
ーー幸せ。
思いだします。
僕が幸せになったら、「妹」も幸せになるのでしょうか。
ーー傘。
男性の傘があるから、僕は自分が泣いていることがわかりました。
僕は酷い奴です。
最期まで、「妹」のことだけを想っていなければいけないというのに。
消える間際に想ったのは、男性のーー……。
4
雨は、やんだようです。
……何もわかりません。
何もわからないというのに。
ただただ、悲しいような気がします。
女の子が倒れています。
大きな布がかけられています。
わかりません。
ただただ、すっぽりと抜け落ちてしまったようです。
「『家族』で間違いないようだな」
「くくっ、今頃、本庁の奴らが悔しがっているでしょう」
いつからでしょう。
男性が二人居ました。
「『人形遣い』と、そして『家族』。今回は学ばせてもらいました」
「『能力者』の『能力』というのは大抵、周囲の環境を含めてのものだ。そこに切り崩す要因がある。『家族』は、『兄』に多くを与えすぎた。それゆえに『兄』は、『家族』に返さなければいけない『力』を抱えたまま逝った」
「『人形遣い』のときも見事でした。『恋人』の少年と、その両親を利用した誘導。『人形遣い』を自滅に向かわせる手口ーー」
「君は優秀であるがゆえに、なかなか道化を演じることができない。だが、見の内に炎が猛っている内は、それでいいのかもしれないな」
怒りーーそんなものなど、とうに通り越した若い男性の顔。
通りすぎてしまいーーまるで世界を焼き尽くしたかのような男性の顔。
「……『能力者』など、すべて滅ぼしてやる!!」
若い男性は、もう動かない女の子を蹴りました。
悲しいーーような気がします。
大切ーーだったような気がします。
でも、やっぱりわかりませんでした。
「ーー村上」
「……大丈夫です。こんなこと、あなたの前でしか言いません、ーー立花さん」
もう、消えてしまうからでしょうか。
誰が、何が悲しいのか、よくわからなくなってきました。
だから、ただただ見詰めていました。
「上の人間は、前政権の際に一気に引っ繰り返そうとして、失敗した。本庁も議会も、やり直しだ」
「利権を握っている者には、それゆえの弱点があります。そちらでは俺を使ってください」
「ああ、もちろんだ。ーー一般人は、『能力者』のことなど他人事だと思っている。だからこそ、彼らから見えないところで、保護した『能力者』を効率よく『処理』できる法を作る」
「ええ、そこまでやったらーー。最後に、『能力者』を殺しましょう」
晴れているのに、雨が降っていました。
若い男性は、立ち去ってゆきます。
一人になった男性は、女の子に向かって手を合わせました。
その祈りは、女の子だけでなく、もっと大きく、悲しいものに向けられているようでした。
わからなくなってきました。
もう、消えてしまうようです。
でも、消えてしまう前に。
何もわからないというのに、祈っても良いでしょうか。
立ち去ってゆく男性。
あの、悲しい背中が向かう先にーー。
ただただ……、いつか男性…「彼」にも幸せが……訪れて欲しいと……
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