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被害者
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1
今日は珍しく声が掛からなかった。
「先週、金使い過ぎたから、みんな金欠なのかね」
放課後の、まだ夕暮れ前だ。
夕飯には早く、仕事帰りもいないから、意外に人通りは少ない。
「さ~て、家帰って何するかな」
爺さんとこにあった文庫本があるから、それでも読むか。
幸い、本を読むのは嫌いじゃない。
軽く読めるのが好きだが、たまに分厚い本も読んでる。
コンラート・ローレンツは面白かったし、ためになった。
エリアス・カネッティは微妙だった。
戦争論とかで有名だからクラウゼヴィッツを読んでみたが、よくわからんかった。
最良の策は敵の全滅ーーだったっけか?
そのあとで見た映画で、兵士が「つまり敵を全員ぶっ殺せばいいんですね」って上官に答えてたけど、役に立ったのはそんくらいだった。
本はいい。
適度に知識をひけらかすことが出来る。
あと、ガキの頃、空手をやってたから素人よりは強い。
適度な努力。
空手をやめたのは、自分って奴を知ったからだ。
俺はたぶん、真剣、になるってのが苦手なんだ。
無我夢中、とか、のめり込む、ってのが出来ない。
だからって、努力してる奴を否定してるわけじゃない。
中学のとき、医者になるつって、ダチと縁まで切って勉学に打ち込んだ奴がいた。
親が病気で死んだのが切っ掛けらしい。
そいつは難関の高校に合格した。
ほんとに、オメデトウ、だ。
心からそう思う。
何かを成し遂げる奴ってのは、ほんとに凄い。
ただ、俺はそういう奴にはなれないってことだ。
普通より上。
俺が目指すのは、そこだ。
学力、知識、武力、話術、処世術、それに家事や日曜大工、ゲームとかの趣味まで。
自分と、それから周囲が必要だってものは、他人より一つか二つ、上にいるようにしてる。
自分が所属する集団、環境で埋もれずに尊重される立場。
そう、その為の「適度な努力」なら、何の苦にもならない。
「ーーとと、やべぇやべぇ」
俺の癖だ。
何もしないでいると、ついつい考え事をしちまう。
気づくと、別の場所にいたり凄く時間が経過してたりと、損した気分になる。
「踏切渡った記憶がねぇ」
これまで問題なかったけど、こりゃいつか事故を起こすかもしんない。
少し気を付けたほうがいいか。
「って、思ったそばから」
さっそく考え事してる。
って、もう家の近くだ。
丁字路を曲がって少し行ったとこにある。
「……?」
ーー違和感。
俺はカンがいいほうだ。
直感ってのは、認識の外側から拾い上げる技術、って前に読んだ本に書いてあった。
俺は立ち止まって、違和感の正体を探る。
車の音はないし、誰かが喧嘩してるわけじゃない。
変な臭いはないし、火事とか人が倒れてるわけじゃないーー。
「人……?」
カーブミラー。
いつもそんなの見ないから、認識の外側だった。
男ーーか?
ギリギリ確認できる位置。
てことは、相手からは見えてない確率が高い。
家のある方向。
男が立ってるのは、俺の家の前じゃない。
陰気、ってか不気味、そんな雰囲気だ。
顔は見えないが、背は低く痩せてる。
「会社員? 営業?」
三十くらい?
さすがにまだ学生だから、そっち方面には疎い。
業種については多少知識があるが、見分けんのは無理だ。
「こーゆーとき、俺にも『能力』があったらなぁ」
世の中には、「能力者」って奴がいる。
有名人に会うよりレア、とか何とかタケが言ってた。
有名人と結婚するよりレアじゃなかったっけ、っていつも通りクマが適当ほざいてた。
噂じゃ「能力」があると国に管理されるらしいから、幾ら力があったって、そんなの御免被る。
「なに、してんだ?」
男はじっとしてる。
手帳か何か、確認してるようにも見える。
ーー引き返す?
危険からは身を遠ざける。
これまで何度も聞いてきた、読んできた言葉だ。
火事があったら野次馬なんてしないで風上に逃げる。
火事ーー燃えてるってことは、何が燃えてるかわからないってことだ。
有毒なものが発生しているかもしれない。
電車で誰かが荷物を残したまま降りたら、即座に自分も降りる。
その荷物の中には、悪意が形になったものが入ってるかもしれないからだ。
「って、オイオイ」
こんなときまで考え事しててどうする。
ってことで、決める。
男がナイフかなんかの武器を持ってたら勝てない。
勝てるかもしれないが、怪我した時点で俺が損。
足は、確実に俺のほうが速いだろう。
つまり、逃げ切れるってことだ。
戦いっていうのは本当に必要なときにだけやるものさ。
これは漫画の主人公の台詞だ。
この漫画が昔の俺の聖典だったのは、黒歴史だ。
「こりゃ、逆に俺のほうが不気味だな」
道路で突っ立ってブツブツ言ってる学生。
学生だから通報はされないだろうが、近所で変な噂が立つのは「適度な努力」を標榜してる俺の沽券に係わる。
難読語(?)を二つ使って気合い入れたとこで、俺は歩き出す。
男は手前側にいたから、大回り。
先ずは横目で男の姿をーー。
「ーー、……」
……生まれて初めてだった。
フツーの、どこにでもいるオジサン。
……これは生存本能だ。
キケンなんて、どこにもナイはずなのに。
……今すぐ逃げ……ーー
2
ーー白い部屋。
「前にタケの見舞いに行ったときは、そんな感じじゃなかったけどなぁ」
タケは相部屋で、俺は個室。
家は死んだ爺さんのものだから、家は金持ちってわけじゃない。
なのに個室にいるってことは、相応の理由があるってことだ。
「殺風景。物が少ないってのは、なにか暗示してんのか?」
この状況で落ち着けってのは、俺には無理だから、無理やりにでも考え事をする。
オジサン。
ーー違う。
あのオジサンじゃない。
もっと、別のモノだ。
オジサンのようなモノと目が合ったとき。
俺は、下、だった。
いつも上にいるようにしてたから、わかる。
見下ろされる、使われる。
そうされたとこで、なにもできない。
俺は、そっち側だった。
なにがあったかはわからない。
ただ、この体が覚えてる。
「はぁ……」
まだ心も体も整理がついてないってのに、ドアがノックされる。
俺の返事も待たず男と女が入ってきて、確認だけして出ていった。
入れ替わりに、男が入ってくる。
「医者と看護婦ーーじゃなくて、今は看護師って言うんでしたっけ。医者のほうは仕事柄って言うのか、普通だったけど、看護師のほうは怯えを隠せてませんでした」
あまり使い慣れてないが、敬語を使ったほうがいいと、男を見て判断した。
男は椅子を持ってきて座ると、間を置かず話し掛けてきた。
「それだけ冷静なら、今すぐ話しても大丈夫か?」
「いえ、見た目ほどまだ冷静にはなれてません。先ず、あなたが何者か教えてください、刑事さん」
「へぇ~」
俺が言うと、刑事さん(?)は野太い笑みを浮かべた。
当てずっぽう、ってわけじゃない。
状況からして、刑事の可能性が高いが、そうじゃない。
ドラマの刑事役なんて嘘っぱちだ。
雰囲気、というか存在。
言葉で説明なんて出来ないが、この人はホンモノだ。
「半分、当たっている」
「半分、ですか?」
「身分は刑事だ。対『能力者』で、まんまの組織など作ったら標的にされる」
「全滅でもしたことがあるんですか?」
「君のことは軽く調べたが、ーー普段は韜晦でもしていたのか?」
本をたくさん読んできたから、韜晦、の意味はわかる。
ただ、変に買い被られると、後々厄介なことになるかもしれない。
俺は、中途半端な位置に留めておくことにした。
「大丈夫、冷静になれました。俺に何があったのか、教えてください」
もう少し時間が欲しいとこだが、これ以上先延ばしにされると、逆に不安が増して冷静になんてなれなくなる。
男は俺を見ると、事務的な口調で話し始めた。
「先ず、君に起こったことを、事実だけを順に並べていく。ーー君は、『能力者』に操られた男と接触した。目が合った瞬間に、君は『能力者』の『傀儡子』になった。それから一週間、君は操られ、倒れているところを発見された」
「あの、操られてるとき、俺は……どうだったんですか?」
仕舞った。
口が勝手に動いて、聞いちまった。
「能力者」?
なんだそりゃ。
頭が真っ白、じゃなくて、透明だ。
白だったら、まだ増し。
何もない。
何もないから、どうすることも出来ない。
「君が『傀儡子』だったことは確認が取れている。だから、『傀儡子』の間に何をしたとしても、君の罪にはならない。すべて『人形遣い』の咎だ」
「……『人形遣い』?」
……俺は馬鹿か。
いや、馬鹿だ。
まだ頭がまともに機能してないってのに、なに聞いてんだ。
「未だ『能力者』の正体は割れていないから、隠語のようなものだ。その『人形遣い』に操られた君は、宗教団体を襲撃した」
「……俺が無事ってことは、宗教団体は『能力者』、或いは『人形遣い』に詳しい? それに『人形遣い』の『能力』にも限界があるはずだ。そうじゃなきゃ、もっと大問題になってるはず……。操れる人数とか範囲とか、そういう制約があって、ーー俺は運よく、用済みになったのか? あ……、なったんですか?」
駄目だ。
強制的にでも頭を回転させないと、おかしくなっちまう。
ーー用済み。
自分で言っといてなんだが、ずいぶんと虚しい言葉だ。
「わからない。君ならもう、予測がついているだろうが、この病院は『能力者』方面に対応している。『傀儡子』のときも食事はしていたようで、身体的には何も問題はない。これは私の勘だが、五分五分だと思っている」
「……どうして、そう思うんですか?」
「君には正しく伝えたほうが良いと思うから、正直に話す。君は恐らく、『人形遣い』の『お気に入り』だ。『人形遣い』の護衛で、ーー恋人のような立場だった。『人形遣い』は執念深く粘着質だ。きっと『お気に入り』の君を取り戻しに来るだろう」
「……は?」
……恋人?
ってことは、「人形遣い」は女?
てっきり、「能力者」は男だと決めつけてた。
って、「人形遣い」の性別なんてどうでもいい。
いや、男の恋人なんて御免だが、女のヤバいのはほんとにヤバい。
中学のとき、俺を好きだった後輩の女が少しおかしくなって、そんときに向けられた目がーーって、だからそうじゃない!
「人形遣い」が俺を取り戻しに来るかもしれないってことだ。
いや、ちょっと待て。
それならなんで、俺はこんな病院でのうのうとしてんだ?
カーテンが閉められてる隙間から少しだけ見える。
たぶんこの部屋は、上下階の上階だ。
ここにいるのは男一人だけだが、部屋の外もそうだとは限らない。
俺が「人形遣い」の恋人なら、最も網が張りやすい人間ということにーー?
「あ、いやっ、ちょっと待ってください! ってことは、俺は囮……ですか?」
「そうできない事情がある」
思い至った途端に、否定される。
しかも、中途半端な否定。
俺が聞く前に、男はさっさと先に進んでしまう。
「囮にも出来なければ、匿うことも出来ない。明日には君を解放し、自由にしなければならない」
「な、なんで……」
「はぁ~。何故かというと、法がそうなっているからだ。ーーわかるか?」
考える時間をくれたのか、或いは自分で言いたくないのか、男が聞いてくる。
焦った俺は、思いつくままに喋る。
「上の連中、というか、立法……だから、政治家? 『能力者』を甘く見てる?」
「政治、だけじゃないがな。というか、この国の政治家など、ただの代弁者だ。『能力者』は問題だが、絶対数が少ない。『能力者』だけでは世界は引っ繰り返らない。あいつらはーー」
苦悩、が垣間見える。
医者を目指したあいつのように、男にも対「能力者」の職につくだけの、なにかがあったのかもしれない。
そこで俺は気づいた。
もみ消してるのかもしれないが、そうだとしても「能力者」がらみの事件なんてこれまで聞いたことがない。
いくらなんでも、それはあり得ない。
「『能力者』の味方がいる?」
「逆だ。国は『能力者』の保護と、管理をしている。当然、『能力者』を飼い殺しに、利用している。敵にーー『堕落者』になるほうが、少数派だ」
「庇護された『能力者』たちは、優遇されてる?」
「当然だ。抑圧すれば反抗される。微温湯で悠々自適ーーとまではいかないが、従順である内は、それなりの自由も与えられている。『能力者』を野放しにするという選択肢はない。ある意味、『能力者』もこの社会に組み込まれているとも言える」
「正義感を拗らせた『能力者』が、『堕落者』狩りに協力とかしてる?」
「君はーー、本当によく見えている、……と、そういうことか?」
気づいた男は、自分にも同様の黒歴史があるのか、半ば断定して聞いてくる。
ここは変に隠さないほうがいいだろう。
「正解です。そういう物語は、俺の好物です。自分の身に降り掛かるなんて、……何度も考えましたけど、実際に起こるなんて夢にも思っていませんでした」
「残念だが、君の言う『上の連中』の損にならない限り、現状が変化することはない。君の安全のために、君を厳重に守られた場所で保護する、ということができない」
「ほんと、世の中って世知辛いですね」
「ーーああ、本当にな」
男の同意。
だが、そこに込められたモノは、男のほうが遥かに重い。
男は席を立つと、最後に言い残して去っていった。
「明日の朝には、君は強制退院だ。なにもなければ、私はもう、君の前に現れない。二度と会わないことを、願っている」
3
暗い。
いつの間に夜になったのか、或いは最初っから夜だったのか、思い出そうとしたけど、どうでもよくなった。
部屋に、時計はない。
俺のようになった奴が、自棄になって壊さないためか?
何もない部屋ーー。
「はは、朝飯くらいは出るんかね」
何もないことに耐え切れず、俺は衝動的にベッドから出る。
「寝る?」
無理だ。
気持ちが昂って、眠れる気がしない。
それまで、じっとこの部屋でーーそう考えた瞬間、俺は扉に向かって歩いてた。
幸い、なのかどうか微妙なとこだが、扉に鍵は掛かってない。
開けるかどうか悩む。
夜の病院を歩き回っていいのか、とかそんなことで悩んでるんじゃない。
不安、なんて言葉じゃ言い切れない、正体不明。
わからないモノに、もう少しだけ手を伸ばしてみる。
「昔、見たことがあったな」
冤罪で、何十年も刑務所に入れられてた男。
同じ境遇の二人の男が、近い時期に記者会見をやってた。
中学のとき、俺はテレビでそれを見て、その二人が物凄く胡散臭く見えた。
そこで俺は考えた。
なんでそう思ったのか。
他人の身になって考える。
やってみると結構難しいんだが、気になった俺は丸一日使って、冤罪で何十年もぶち込まれたらどう思うのか、ひたすら考え続けた。
そんで、気づいた。
怒りだ。
どうしようもない、怒り。
冤罪で俺がぶち込まれてる間、本当の犯人は、代わりに罪を被ってくれた俺を嗤いながら、娑婆の空気を堂々と吸ってるんだ。
許せるか?
どうやったって、許せるはずがない。
そんな奴ーー千回殺したって、怒りが治まるはずがない。
世界を壊したっておつりがくる、そんな業火のはずだ。
だが、記者会見の二人の男は、警察とかに怒りをぶちまけたが、真犯人(本当に男が冤罪なら)に対する怒りを、一言も口にしなかった。
実際に何十年もぶち込まれたわけじゃないから、断定はできない。
人間は嘘をつくし、意図せず記憶の改竄もやってしまう。
って、そうじゃない。
二人の男のことなんてどうでもいい。
今は、俺のことだ。
それ以外に重要なことなんて、ありはしない。
「まだ、……実感がないな」
道路で「人形遣い」に操られた男と目を合わせて、それで、気づいたらベッドの上。
その間の記憶はなし。
男が説明してくれたことが本当だという確証はない。
「嘘、だっていう確証もないんだけどな」
俺は、扉を開けていた。
廊下に人はいない。
だから、歩いていく。
病院にいたくない。
足は勝手に、階段を下りていく。
「どうしてですか!?」
病院の一階、受付があるフロアに下りてから、俺の足は止まった。
それ以上、足が動かなかったのはーー動いてくれなかったのは、叫び声が聞き覚えのあるものだったからだ。
「落ち着いてください、奥さん」
「これが落ち着いていられますか! だってまだっ、操られいてる可能性があるんでしょう!? 一緒にいられるはずがないわっ、嫌っ、嫌よっ?!」
「お前、少し落ち着きなさい。騒いだところで、どうにかなるわけじゃないよ」
「だって、……だって、アナタ!」
男と、母さんの声。
それから、父さんの宥める声。
母さんは、いいとこのお嬢さんだった。
生まれたときから、ずっと見てきたんだから知ってる。
母さんは、弱い人だ。
身に降り掛かった不幸に、耐えられる人じゃない。
逆に父さんは、堅実で強い人だ。
俺以上に、現状をしっかりと把握しているはず。
「何故、隔離していただけないのですか?」
「法律でそうなっています。今は、家族の助けがもっとも必要です。受け容れていただけない場合は、あたな方が罪に問われることになります」
父さんと母さんが相手だからか、男は敬語で喋ってる。
ーー隔離。
俺もそうして欲しいって思ったが、父さんの声はーー冷え切っていた。
冷静に判断して、冷静に……切り捨てた。
「何かが生じた際の責任は、誰が取っていただけるのですか?」
「補償金がーー」
「お金っ!? お金なんていらないわ!! なんでっ、なんで私がこんなことに巻き込まれないといけないの?!」
「法律が問題なら、施設等に預けることはできないのですか? それに、高校生なら一人暮らしをしても、なんら不思議ではない。アパートくらいなら借りられる余裕はあります」
「ーーそれは、あなた方の不利になります」
「不利、くらいで済むのなら、問題ありません。子供なら、また作れます。養子をもらう、という手段もある。私にとって重要なのは、子供ではなく妻です。妻を幸せにすることが、私の幸せでもあるのです」
「……アナタ」
母さんを冷静にさせるために、父さんは嘘をついた。
そう思えたなら、どれだけよかったか。
やっぱりそうだ。
父さんは、母さんのために、俺を切り捨てた。
ゴミをーー不用品を捨てるように。
なにが大切かをしっかりと理解した上で、選び取った。
なんだか、納得だ。
俺は父さんの強い部分と、母さんの弱い部分を受け継いでるんだ。
ーー俺はなにも悪いことをしてないのに。
ーー巻き込まれただけなのに。
「はぁ~。仕方がありませんね。それではーー」
俺は歩き出して、父さんと母さんの前に姿を現した。
驚愕する二人。
ーーそんな妄想をしながら、引き返して、音を立てないように階段を上っていく。
たぶん上ってた。
それで部屋にいた。
もしかしたら別の部屋かもしれないが、そんなことはどうでもいい。
眠れないとかそんなことも、どうでもいい。
ベッドで布団を被って、それから、俺はなにもしなかった。
4
放課後の学校。
その日のことは、とくに話すことはない。
誰も、俺と喋らなかったからだ。
無視、ではあるが、少し違う。
目は、俺を見てるんだ。
俺は、下、だ。
最下層に置かれたと同時に、最上層にも置かれた。
触れてはいけない、よくわからないモノ。
それが俺だ。
俺の近くにいた奴ほど、俺と係わりがないことを示すためか、積極的に離れていった。
ーー誰か一人、いてくれれば。
俺が問題ないと、みんなと同じだと、よくわからないモノじゃなくて、わかるモノにまで引き摺り下ろしてくれる奴がいれば。
「自業自得、なのかね」
友達はたくさんいたーーいると思ってた。
いや、卑下する必要はない。
友達はいたんだ。
そして、いなくなっただけ。
逆の立場だったら、俺もそうする。
周囲に迎合して、「一人目」になることなんて絶対にない。
ーー親友。
中学のときの、あいつはどうだろう。
「邪魔しちゃ悪いよな」
もう大学受験に備えて、猛勉強してるはず。
帰るーー帰る、か。
とりあえず席を立つ。
教室に一人だけ。
同じ場所にいたら、うつっちまうと思われてるようだ。
だが、それも強ち間違ってない。
「能力者」の「能力」は、あまり解明されてない。
解明されてたら、「堕落者」にこんな手古摺るはずがない。
そう、俺はまだ「人形遣い」に操られているかもしれないのだ。
さすがにそれはないと思うが、いつでも操ることができる状態になってる、というのは普通にありそうだ。
もう、周囲を気にするのは止めた。
朝の時点で、半分。
学校で、半分。
困ったことに、俺の小さな世界で、重要だった二つ。
朝、連絡がなかったから家に戻ってみると、誰もいなかった。
俺が出てくのかと思っていたら、出てったのは二人のほうだった。
爺さんの家は、俺が自由に使っていいそうだ。
ーー爺さん。
爺さんが生きてれば。
病気で先が短かった爺さんなら、俺を邪険にしなかっただろう。
なんだろう。
爺さんが死んだとき以上に、悲しい気がする。
「結局。俺はこの程度なんだな」
団地。
ずいぶんと懐かしい。
あれから、来たことはなかった。
ここにはもう、あいつは住んでない。
ここは社宅だ。
働いていた父親が死んだんだから、あいつは出ていった。
階段を上っていく。
上って、上って、それから登る。
あいつの家だった六階から、屋上に。
前はジャンプしないと金属の梯子に手が届かなかったが、しっかりと握ることができた。
ーー建築基準法の前の建物だからウンタラカンタラ。
古い建物で、エレベーターはない。
一緒に六階まで上るたびに、そんなことをあいつは愚痴ってた。
あいかわらず侵入禁止の割に、蓋に鍵は掛かってない。
気づかれても面倒なので、蓋は閉めておく。
「……空が低い」
高々、六階分。
錯覚だ。
空が近くなったような、気がするだけ。
屋上の端まで行ってみれば、開けた空間。
高校の屋上みたいにフェンスはなく、一望することができる。
あいつには言わなかったが、俺はここから見る景色が好きだった。
「よっと」
俺は一段高くなった場所に、片足を掛ける。
体を前に傾けると、地面が見える。
「中学のときは、落ちても死ぬような気はしなかったな」
怪我はするかもしれないが、自分が死ぬ、というイメージをまったく持てなかった。
昔と今で、なにが変わったのか。
「こりゃ、落ちたら死ぬな」
確かめたかった。
半分、と、半分、でぜんぶ。
俺の世界の、すべてから拒絶されて、それでもまだ俺は生きていたいのか。
ーー未練。
ここまで来て、やっと気づく。
誰かの迷惑になるくらいなら、自分から命を絶つ。
違う。
俺はそんな殊勝な人間じゃない。
俺は俗な人間だ。
父さんのように、割り切って捨てることだってできるはずだ。
そう、だ。
ーーたった一つ。
確かめてからでも遅くない。
「何やってんだよ、あいつーー」
あとをつけてたんだろうか。
昔と変わらず、美人にもなってなければ、可愛くもなってない。
「恋人、ねぇ?」
今のあいつに、俺をくれてやる気にはなれない。
ーー宗教団体。
あいつの父親は病死だと聞いてたが、もっと面倒なことに巻き込まれてたのかもしれない。
あのとき、俺はなにもできなかった。
なにもできず、あいつから離れていった。
忘れてなかったものを、いや、忘れたくなかった想いを思い出す。
今でも変わらない。
俺が好きだったのは、あいつの、底抜けの間抜けな笑顔だ。
それがどうだ。
「ったく、あんな病んだ目で見つめてきやがって」
久し振りの再会だってのに、思い出に浸る間もくれないらしい。
あのときと同じ。
目が合った。
もう、時間がない。
あいつの親友だった俺が、最後にできること。
「俺と同じで、もうなにもないなら、同じとこに来い」
そうすりゃ、もう誰にも迷惑を掛けることもない。
いや、こんなとこで死んだら、死体を片づける奴の迷惑になるか。
浮遊感。
これで俺の勝ちだ。
「はは、情けねぇ……」
最後に考えるのが、そんなことなんて。
それは嫌だったから……。
なぁ、……もう一度、わら……
今日は珍しく声が掛からなかった。
「先週、金使い過ぎたから、みんな金欠なのかね」
放課後の、まだ夕暮れ前だ。
夕飯には早く、仕事帰りもいないから、意外に人通りは少ない。
「さ~て、家帰って何するかな」
爺さんとこにあった文庫本があるから、それでも読むか。
幸い、本を読むのは嫌いじゃない。
軽く読めるのが好きだが、たまに分厚い本も読んでる。
コンラート・ローレンツは面白かったし、ためになった。
エリアス・カネッティは微妙だった。
戦争論とかで有名だからクラウゼヴィッツを読んでみたが、よくわからんかった。
最良の策は敵の全滅ーーだったっけか?
そのあとで見た映画で、兵士が「つまり敵を全員ぶっ殺せばいいんですね」って上官に答えてたけど、役に立ったのはそんくらいだった。
本はいい。
適度に知識をひけらかすことが出来る。
あと、ガキの頃、空手をやってたから素人よりは強い。
適度な努力。
空手をやめたのは、自分って奴を知ったからだ。
俺はたぶん、真剣、になるってのが苦手なんだ。
無我夢中、とか、のめり込む、ってのが出来ない。
だからって、努力してる奴を否定してるわけじゃない。
中学のとき、医者になるつって、ダチと縁まで切って勉学に打ち込んだ奴がいた。
親が病気で死んだのが切っ掛けらしい。
そいつは難関の高校に合格した。
ほんとに、オメデトウ、だ。
心からそう思う。
何かを成し遂げる奴ってのは、ほんとに凄い。
ただ、俺はそういう奴にはなれないってことだ。
普通より上。
俺が目指すのは、そこだ。
学力、知識、武力、話術、処世術、それに家事や日曜大工、ゲームとかの趣味まで。
自分と、それから周囲が必要だってものは、他人より一つか二つ、上にいるようにしてる。
自分が所属する集団、環境で埋もれずに尊重される立場。
そう、その為の「適度な努力」なら、何の苦にもならない。
「ーーとと、やべぇやべぇ」
俺の癖だ。
何もしないでいると、ついつい考え事をしちまう。
気づくと、別の場所にいたり凄く時間が経過してたりと、損した気分になる。
「踏切渡った記憶がねぇ」
これまで問題なかったけど、こりゃいつか事故を起こすかもしんない。
少し気を付けたほうがいいか。
「って、思ったそばから」
さっそく考え事してる。
って、もう家の近くだ。
丁字路を曲がって少し行ったとこにある。
「……?」
ーー違和感。
俺はカンがいいほうだ。
直感ってのは、認識の外側から拾い上げる技術、って前に読んだ本に書いてあった。
俺は立ち止まって、違和感の正体を探る。
車の音はないし、誰かが喧嘩してるわけじゃない。
変な臭いはないし、火事とか人が倒れてるわけじゃないーー。
「人……?」
カーブミラー。
いつもそんなの見ないから、認識の外側だった。
男ーーか?
ギリギリ確認できる位置。
てことは、相手からは見えてない確率が高い。
家のある方向。
男が立ってるのは、俺の家の前じゃない。
陰気、ってか不気味、そんな雰囲気だ。
顔は見えないが、背は低く痩せてる。
「会社員? 営業?」
三十くらい?
さすがにまだ学生だから、そっち方面には疎い。
業種については多少知識があるが、見分けんのは無理だ。
「こーゆーとき、俺にも『能力』があったらなぁ」
世の中には、「能力者」って奴がいる。
有名人に会うよりレア、とか何とかタケが言ってた。
有名人と結婚するよりレアじゃなかったっけ、っていつも通りクマが適当ほざいてた。
噂じゃ「能力」があると国に管理されるらしいから、幾ら力があったって、そんなの御免被る。
「なに、してんだ?」
男はじっとしてる。
手帳か何か、確認してるようにも見える。
ーー引き返す?
危険からは身を遠ざける。
これまで何度も聞いてきた、読んできた言葉だ。
火事があったら野次馬なんてしないで風上に逃げる。
火事ーー燃えてるってことは、何が燃えてるかわからないってことだ。
有毒なものが発生しているかもしれない。
電車で誰かが荷物を残したまま降りたら、即座に自分も降りる。
その荷物の中には、悪意が形になったものが入ってるかもしれないからだ。
「って、オイオイ」
こんなときまで考え事しててどうする。
ってことで、決める。
男がナイフかなんかの武器を持ってたら勝てない。
勝てるかもしれないが、怪我した時点で俺が損。
足は、確実に俺のほうが速いだろう。
つまり、逃げ切れるってことだ。
戦いっていうのは本当に必要なときにだけやるものさ。
これは漫画の主人公の台詞だ。
この漫画が昔の俺の聖典だったのは、黒歴史だ。
「こりゃ、逆に俺のほうが不気味だな」
道路で突っ立ってブツブツ言ってる学生。
学生だから通報はされないだろうが、近所で変な噂が立つのは「適度な努力」を標榜してる俺の沽券に係わる。
難読語(?)を二つ使って気合い入れたとこで、俺は歩き出す。
男は手前側にいたから、大回り。
先ずは横目で男の姿をーー。
「ーー、……」
……生まれて初めてだった。
フツーの、どこにでもいるオジサン。
……これは生存本能だ。
キケンなんて、どこにもナイはずなのに。
……今すぐ逃げ……ーー
2
ーー白い部屋。
「前にタケの見舞いに行ったときは、そんな感じじゃなかったけどなぁ」
タケは相部屋で、俺は個室。
家は死んだ爺さんのものだから、家は金持ちってわけじゃない。
なのに個室にいるってことは、相応の理由があるってことだ。
「殺風景。物が少ないってのは、なにか暗示してんのか?」
この状況で落ち着けってのは、俺には無理だから、無理やりにでも考え事をする。
オジサン。
ーー違う。
あのオジサンじゃない。
もっと、別のモノだ。
オジサンのようなモノと目が合ったとき。
俺は、下、だった。
いつも上にいるようにしてたから、わかる。
見下ろされる、使われる。
そうされたとこで、なにもできない。
俺は、そっち側だった。
なにがあったかはわからない。
ただ、この体が覚えてる。
「はぁ……」
まだ心も体も整理がついてないってのに、ドアがノックされる。
俺の返事も待たず男と女が入ってきて、確認だけして出ていった。
入れ替わりに、男が入ってくる。
「医者と看護婦ーーじゃなくて、今は看護師って言うんでしたっけ。医者のほうは仕事柄って言うのか、普通だったけど、看護師のほうは怯えを隠せてませんでした」
あまり使い慣れてないが、敬語を使ったほうがいいと、男を見て判断した。
男は椅子を持ってきて座ると、間を置かず話し掛けてきた。
「それだけ冷静なら、今すぐ話しても大丈夫か?」
「いえ、見た目ほどまだ冷静にはなれてません。先ず、あなたが何者か教えてください、刑事さん」
「へぇ~」
俺が言うと、刑事さん(?)は野太い笑みを浮かべた。
当てずっぽう、ってわけじゃない。
状況からして、刑事の可能性が高いが、そうじゃない。
ドラマの刑事役なんて嘘っぱちだ。
雰囲気、というか存在。
言葉で説明なんて出来ないが、この人はホンモノだ。
「半分、当たっている」
「半分、ですか?」
「身分は刑事だ。対『能力者』で、まんまの組織など作ったら標的にされる」
「全滅でもしたことがあるんですか?」
「君のことは軽く調べたが、ーー普段は韜晦でもしていたのか?」
本をたくさん読んできたから、韜晦、の意味はわかる。
ただ、変に買い被られると、後々厄介なことになるかもしれない。
俺は、中途半端な位置に留めておくことにした。
「大丈夫、冷静になれました。俺に何があったのか、教えてください」
もう少し時間が欲しいとこだが、これ以上先延ばしにされると、逆に不安が増して冷静になんてなれなくなる。
男は俺を見ると、事務的な口調で話し始めた。
「先ず、君に起こったことを、事実だけを順に並べていく。ーー君は、『能力者』に操られた男と接触した。目が合った瞬間に、君は『能力者』の『傀儡子』になった。それから一週間、君は操られ、倒れているところを発見された」
「あの、操られてるとき、俺は……どうだったんですか?」
仕舞った。
口が勝手に動いて、聞いちまった。
「能力者」?
なんだそりゃ。
頭が真っ白、じゃなくて、透明だ。
白だったら、まだ増し。
何もない。
何もないから、どうすることも出来ない。
「君が『傀儡子』だったことは確認が取れている。だから、『傀儡子』の間に何をしたとしても、君の罪にはならない。すべて『人形遣い』の咎だ」
「……『人形遣い』?」
……俺は馬鹿か。
いや、馬鹿だ。
まだ頭がまともに機能してないってのに、なに聞いてんだ。
「未だ『能力者』の正体は割れていないから、隠語のようなものだ。その『人形遣い』に操られた君は、宗教団体を襲撃した」
「……俺が無事ってことは、宗教団体は『能力者』、或いは『人形遣い』に詳しい? それに『人形遣い』の『能力』にも限界があるはずだ。そうじゃなきゃ、もっと大問題になってるはず……。操れる人数とか範囲とか、そういう制約があって、ーー俺は運よく、用済みになったのか? あ……、なったんですか?」
駄目だ。
強制的にでも頭を回転させないと、おかしくなっちまう。
ーー用済み。
自分で言っといてなんだが、ずいぶんと虚しい言葉だ。
「わからない。君ならもう、予測がついているだろうが、この病院は『能力者』方面に対応している。『傀儡子』のときも食事はしていたようで、身体的には何も問題はない。これは私の勘だが、五分五分だと思っている」
「……どうして、そう思うんですか?」
「君には正しく伝えたほうが良いと思うから、正直に話す。君は恐らく、『人形遣い』の『お気に入り』だ。『人形遣い』の護衛で、ーー恋人のような立場だった。『人形遣い』は執念深く粘着質だ。きっと『お気に入り』の君を取り戻しに来るだろう」
「……は?」
……恋人?
ってことは、「人形遣い」は女?
てっきり、「能力者」は男だと決めつけてた。
って、「人形遣い」の性別なんてどうでもいい。
いや、男の恋人なんて御免だが、女のヤバいのはほんとにヤバい。
中学のとき、俺を好きだった後輩の女が少しおかしくなって、そんときに向けられた目がーーって、だからそうじゃない!
「人形遣い」が俺を取り戻しに来るかもしれないってことだ。
いや、ちょっと待て。
それならなんで、俺はこんな病院でのうのうとしてんだ?
カーテンが閉められてる隙間から少しだけ見える。
たぶんこの部屋は、上下階の上階だ。
ここにいるのは男一人だけだが、部屋の外もそうだとは限らない。
俺が「人形遣い」の恋人なら、最も網が張りやすい人間ということにーー?
「あ、いやっ、ちょっと待ってください! ってことは、俺は囮……ですか?」
「そうできない事情がある」
思い至った途端に、否定される。
しかも、中途半端な否定。
俺が聞く前に、男はさっさと先に進んでしまう。
「囮にも出来なければ、匿うことも出来ない。明日には君を解放し、自由にしなければならない」
「な、なんで……」
「はぁ~。何故かというと、法がそうなっているからだ。ーーわかるか?」
考える時間をくれたのか、或いは自分で言いたくないのか、男が聞いてくる。
焦った俺は、思いつくままに喋る。
「上の連中、というか、立法……だから、政治家? 『能力者』を甘く見てる?」
「政治、だけじゃないがな。というか、この国の政治家など、ただの代弁者だ。『能力者』は問題だが、絶対数が少ない。『能力者』だけでは世界は引っ繰り返らない。あいつらはーー」
苦悩、が垣間見える。
医者を目指したあいつのように、男にも対「能力者」の職につくだけの、なにかがあったのかもしれない。
そこで俺は気づいた。
もみ消してるのかもしれないが、そうだとしても「能力者」がらみの事件なんてこれまで聞いたことがない。
いくらなんでも、それはあり得ない。
「『能力者』の味方がいる?」
「逆だ。国は『能力者』の保護と、管理をしている。当然、『能力者』を飼い殺しに、利用している。敵にーー『堕落者』になるほうが、少数派だ」
「庇護された『能力者』たちは、優遇されてる?」
「当然だ。抑圧すれば反抗される。微温湯で悠々自適ーーとまではいかないが、従順である内は、それなりの自由も与えられている。『能力者』を野放しにするという選択肢はない。ある意味、『能力者』もこの社会に組み込まれているとも言える」
「正義感を拗らせた『能力者』が、『堕落者』狩りに協力とかしてる?」
「君はーー、本当によく見えている、……と、そういうことか?」
気づいた男は、自分にも同様の黒歴史があるのか、半ば断定して聞いてくる。
ここは変に隠さないほうがいいだろう。
「正解です。そういう物語は、俺の好物です。自分の身に降り掛かるなんて、……何度も考えましたけど、実際に起こるなんて夢にも思っていませんでした」
「残念だが、君の言う『上の連中』の損にならない限り、現状が変化することはない。君の安全のために、君を厳重に守られた場所で保護する、ということができない」
「ほんと、世の中って世知辛いですね」
「ーーああ、本当にな」
男の同意。
だが、そこに込められたモノは、男のほうが遥かに重い。
男は席を立つと、最後に言い残して去っていった。
「明日の朝には、君は強制退院だ。なにもなければ、私はもう、君の前に現れない。二度と会わないことを、願っている」
3
暗い。
いつの間に夜になったのか、或いは最初っから夜だったのか、思い出そうとしたけど、どうでもよくなった。
部屋に、時計はない。
俺のようになった奴が、自棄になって壊さないためか?
何もない部屋ーー。
「はは、朝飯くらいは出るんかね」
何もないことに耐え切れず、俺は衝動的にベッドから出る。
「寝る?」
無理だ。
気持ちが昂って、眠れる気がしない。
それまで、じっとこの部屋でーーそう考えた瞬間、俺は扉に向かって歩いてた。
幸い、なのかどうか微妙なとこだが、扉に鍵は掛かってない。
開けるかどうか悩む。
夜の病院を歩き回っていいのか、とかそんなことで悩んでるんじゃない。
不安、なんて言葉じゃ言い切れない、正体不明。
わからないモノに、もう少しだけ手を伸ばしてみる。
「昔、見たことがあったな」
冤罪で、何十年も刑務所に入れられてた男。
同じ境遇の二人の男が、近い時期に記者会見をやってた。
中学のとき、俺はテレビでそれを見て、その二人が物凄く胡散臭く見えた。
そこで俺は考えた。
なんでそう思ったのか。
他人の身になって考える。
やってみると結構難しいんだが、気になった俺は丸一日使って、冤罪で何十年もぶち込まれたらどう思うのか、ひたすら考え続けた。
そんで、気づいた。
怒りだ。
どうしようもない、怒り。
冤罪で俺がぶち込まれてる間、本当の犯人は、代わりに罪を被ってくれた俺を嗤いながら、娑婆の空気を堂々と吸ってるんだ。
許せるか?
どうやったって、許せるはずがない。
そんな奴ーー千回殺したって、怒りが治まるはずがない。
世界を壊したっておつりがくる、そんな業火のはずだ。
だが、記者会見の二人の男は、警察とかに怒りをぶちまけたが、真犯人(本当に男が冤罪なら)に対する怒りを、一言も口にしなかった。
実際に何十年もぶち込まれたわけじゃないから、断定はできない。
人間は嘘をつくし、意図せず記憶の改竄もやってしまう。
って、そうじゃない。
二人の男のことなんてどうでもいい。
今は、俺のことだ。
それ以外に重要なことなんて、ありはしない。
「まだ、……実感がないな」
道路で「人形遣い」に操られた男と目を合わせて、それで、気づいたらベッドの上。
その間の記憶はなし。
男が説明してくれたことが本当だという確証はない。
「嘘、だっていう確証もないんだけどな」
俺は、扉を開けていた。
廊下に人はいない。
だから、歩いていく。
病院にいたくない。
足は勝手に、階段を下りていく。
「どうしてですか!?」
病院の一階、受付があるフロアに下りてから、俺の足は止まった。
それ以上、足が動かなかったのはーー動いてくれなかったのは、叫び声が聞き覚えのあるものだったからだ。
「落ち着いてください、奥さん」
「これが落ち着いていられますか! だってまだっ、操られいてる可能性があるんでしょう!? 一緒にいられるはずがないわっ、嫌っ、嫌よっ?!」
「お前、少し落ち着きなさい。騒いだところで、どうにかなるわけじゃないよ」
「だって、……だって、アナタ!」
男と、母さんの声。
それから、父さんの宥める声。
母さんは、いいとこのお嬢さんだった。
生まれたときから、ずっと見てきたんだから知ってる。
母さんは、弱い人だ。
身に降り掛かった不幸に、耐えられる人じゃない。
逆に父さんは、堅実で強い人だ。
俺以上に、現状をしっかりと把握しているはず。
「何故、隔離していただけないのですか?」
「法律でそうなっています。今は、家族の助けがもっとも必要です。受け容れていただけない場合は、あたな方が罪に問われることになります」
父さんと母さんが相手だからか、男は敬語で喋ってる。
ーー隔離。
俺もそうして欲しいって思ったが、父さんの声はーー冷え切っていた。
冷静に判断して、冷静に……切り捨てた。
「何かが生じた際の責任は、誰が取っていただけるのですか?」
「補償金がーー」
「お金っ!? お金なんていらないわ!! なんでっ、なんで私がこんなことに巻き込まれないといけないの?!」
「法律が問題なら、施設等に預けることはできないのですか? それに、高校生なら一人暮らしをしても、なんら不思議ではない。アパートくらいなら借りられる余裕はあります」
「ーーそれは、あなた方の不利になります」
「不利、くらいで済むのなら、問題ありません。子供なら、また作れます。養子をもらう、という手段もある。私にとって重要なのは、子供ではなく妻です。妻を幸せにすることが、私の幸せでもあるのです」
「……アナタ」
母さんを冷静にさせるために、父さんは嘘をついた。
そう思えたなら、どれだけよかったか。
やっぱりそうだ。
父さんは、母さんのために、俺を切り捨てた。
ゴミをーー不用品を捨てるように。
なにが大切かをしっかりと理解した上で、選び取った。
なんだか、納得だ。
俺は父さんの強い部分と、母さんの弱い部分を受け継いでるんだ。
ーー俺はなにも悪いことをしてないのに。
ーー巻き込まれただけなのに。
「はぁ~。仕方がありませんね。それではーー」
俺は歩き出して、父さんと母さんの前に姿を現した。
驚愕する二人。
ーーそんな妄想をしながら、引き返して、音を立てないように階段を上っていく。
たぶん上ってた。
それで部屋にいた。
もしかしたら別の部屋かもしれないが、そんなことはどうでもいい。
眠れないとかそんなことも、どうでもいい。
ベッドで布団を被って、それから、俺はなにもしなかった。
4
放課後の学校。
その日のことは、とくに話すことはない。
誰も、俺と喋らなかったからだ。
無視、ではあるが、少し違う。
目は、俺を見てるんだ。
俺は、下、だ。
最下層に置かれたと同時に、最上層にも置かれた。
触れてはいけない、よくわからないモノ。
それが俺だ。
俺の近くにいた奴ほど、俺と係わりがないことを示すためか、積極的に離れていった。
ーー誰か一人、いてくれれば。
俺が問題ないと、みんなと同じだと、よくわからないモノじゃなくて、わかるモノにまで引き摺り下ろしてくれる奴がいれば。
「自業自得、なのかね」
友達はたくさんいたーーいると思ってた。
いや、卑下する必要はない。
友達はいたんだ。
そして、いなくなっただけ。
逆の立場だったら、俺もそうする。
周囲に迎合して、「一人目」になることなんて絶対にない。
ーー親友。
中学のときの、あいつはどうだろう。
「邪魔しちゃ悪いよな」
もう大学受験に備えて、猛勉強してるはず。
帰るーー帰る、か。
とりあえず席を立つ。
教室に一人だけ。
同じ場所にいたら、うつっちまうと思われてるようだ。
だが、それも強ち間違ってない。
「能力者」の「能力」は、あまり解明されてない。
解明されてたら、「堕落者」にこんな手古摺るはずがない。
そう、俺はまだ「人形遣い」に操られているかもしれないのだ。
さすがにそれはないと思うが、いつでも操ることができる状態になってる、というのは普通にありそうだ。
もう、周囲を気にするのは止めた。
朝の時点で、半分。
学校で、半分。
困ったことに、俺の小さな世界で、重要だった二つ。
朝、連絡がなかったから家に戻ってみると、誰もいなかった。
俺が出てくのかと思っていたら、出てったのは二人のほうだった。
爺さんの家は、俺が自由に使っていいそうだ。
ーー爺さん。
爺さんが生きてれば。
病気で先が短かった爺さんなら、俺を邪険にしなかっただろう。
なんだろう。
爺さんが死んだとき以上に、悲しい気がする。
「結局。俺はこの程度なんだな」
団地。
ずいぶんと懐かしい。
あれから、来たことはなかった。
ここにはもう、あいつは住んでない。
ここは社宅だ。
働いていた父親が死んだんだから、あいつは出ていった。
階段を上っていく。
上って、上って、それから登る。
あいつの家だった六階から、屋上に。
前はジャンプしないと金属の梯子に手が届かなかったが、しっかりと握ることができた。
ーー建築基準法の前の建物だからウンタラカンタラ。
古い建物で、エレベーターはない。
一緒に六階まで上るたびに、そんなことをあいつは愚痴ってた。
あいかわらず侵入禁止の割に、蓋に鍵は掛かってない。
気づかれても面倒なので、蓋は閉めておく。
「……空が低い」
高々、六階分。
錯覚だ。
空が近くなったような、気がするだけ。
屋上の端まで行ってみれば、開けた空間。
高校の屋上みたいにフェンスはなく、一望することができる。
あいつには言わなかったが、俺はここから見る景色が好きだった。
「よっと」
俺は一段高くなった場所に、片足を掛ける。
体を前に傾けると、地面が見える。
「中学のときは、落ちても死ぬような気はしなかったな」
怪我はするかもしれないが、自分が死ぬ、というイメージをまったく持てなかった。
昔と今で、なにが変わったのか。
「こりゃ、落ちたら死ぬな」
確かめたかった。
半分、と、半分、でぜんぶ。
俺の世界の、すべてから拒絶されて、それでもまだ俺は生きていたいのか。
ーー未練。
ここまで来て、やっと気づく。
誰かの迷惑になるくらいなら、自分から命を絶つ。
違う。
俺はそんな殊勝な人間じゃない。
俺は俗な人間だ。
父さんのように、割り切って捨てることだってできるはずだ。
そう、だ。
ーーたった一つ。
確かめてからでも遅くない。
「何やってんだよ、あいつーー」
あとをつけてたんだろうか。
昔と変わらず、美人にもなってなければ、可愛くもなってない。
「恋人、ねぇ?」
今のあいつに、俺をくれてやる気にはなれない。
ーー宗教団体。
あいつの父親は病死だと聞いてたが、もっと面倒なことに巻き込まれてたのかもしれない。
あのとき、俺はなにもできなかった。
なにもできず、あいつから離れていった。
忘れてなかったものを、いや、忘れたくなかった想いを思い出す。
今でも変わらない。
俺が好きだったのは、あいつの、底抜けの間抜けな笑顔だ。
それがどうだ。
「ったく、あんな病んだ目で見つめてきやがって」
久し振りの再会だってのに、思い出に浸る間もくれないらしい。
あのときと同じ。
目が合った。
もう、時間がない。
あいつの親友だった俺が、最後にできること。
「俺と同じで、もうなにもないなら、同じとこに来い」
そうすりゃ、もう誰にも迷惑を掛けることもない。
いや、こんなとこで死んだら、死体を片づける奴の迷惑になるか。
浮遊感。
これで俺の勝ちだ。
「はは、情けねぇ……」
最後に考えるのが、そんなことなんて。
それは嫌だったから……。
なぁ、……もう一度、わら……
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