なんとなく、「能力者」の物語を書きました。

風結

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被害者

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     1

 今日は珍しく声が掛からなかった。

「先週、金使い過ぎたから、みんな金欠なのかね」

 放課後の、まだ夕暮れ前だ。
 夕飯には早く、仕事帰りもいないから、意外に人通りは少ない。

「さ~て、家帰って何するかな」

 爺さんとこにあった文庫本があるから、それでも読むか。
 幸い、本を読むのは嫌いじゃない。
 軽く読めるのが好きだが、たまに分厚い本も読んでる。
 コンラート・ローレンツは面白かったし、ためになった。
 エリアス・カネッティは微妙だった。
 戦争論とかで有名だからクラウゼヴィッツを読んでみたが、よくわからんかった。
 最良の策は敵の全滅ーーだったっけか?
 そのあとで見た映画で、兵士が「つまり敵を全員ぶっ殺せばいいんですね」って上官に答えてたけど、役に立ったのはそんくらいだった。
 本はいい。
 適度に知識をひけらかすことが出来る。
 あと、ガキの頃、空手をやってたから素人よりは強い。
 適度な努力。
 空手をやめたのは、自分って奴を知ったからだ。
 俺はたぶん、真剣、になるってのが苦手なんだ。
 無我夢中、とか、のめり込む、ってのが出来ない。
 だからって、努力してる奴を否定けーべつしてるわけじゃない。
 中学のとき、医者になるつって、ダチと縁まで切って勉学に打ち込んだ奴がいた。
 親が病気で死んだのが切っ掛けらしい。
 そいつは難関の高校に合格した。
 ほんとに、オメデトウ、だ。
 心からそう思う。
 何かを成し遂げる奴ってのは、ほんとに凄い。
 ただ、俺はそういう奴にはなれないってことだ。
 普通へーきんより上。
 俺が目指すのは、そこだ。
 学力、知識、武力、話術、処世術、それに家事や日曜大工DIY、ゲームとかの趣味まで。
 自分と、それから周囲が必要だってものは、他人より一つか二つ、上にいるようにしてる。
 自分が所属する集団、環境で埋もれずに尊重される立場。
 そう、その為の「適度な努力」なら、何の苦にもならない。

「ーーとと、やべぇやべぇ」

 俺の癖だ。
 何もしないでいると、ついつい考え事をしちまう。
 気づくと、別の場所にいたり凄く時間が経過してたりと、損した気分になる。

「踏切渡った記憶がねぇ」

 これまで問題なかったけど、こりゃいつか事故を起こすかもしんない。
 少し気を付けたほうがいいか。

「って、思ったそばから」

 さっそく考え事してる。
 って、もう家の近くだ。
 丁字路を曲がって少し行ったとこにある。

「……?」

 ーー違和感。
 俺はカンがいいほうだ。
 直感ってのは、認識の外側から拾い上げる技術、って前に読んだ本に書いてあった。
 俺は立ち止まって、違和感の正体をさぐる。
 車の音はないし、誰かが喧嘩してるわけじゃない。
 変な臭いはないし、火事とか人が倒れてるわけじゃないーー。

「人……?」

 カーブミラー。
 いつもそんなの見ないから、認識の外側だった。
 男ーーか?
 ギリギリ確認できる位置。
 てことは、相手からは見えてない確率が高い。
 家のある方向。
 男が立ってるのは、俺の家の前じゃない。
 陰気、ってか不気味、そんな雰囲気だ。
 顔は見えないが、背は低く痩せてる。

「会社員? 営業?」

 三十くらい?
 さすがにまだ学生だから、そっち方面にはうとい。
 業種については多少知識があるが、見分けんのは無理だ。

「こーゆーとき、俺にも『能力』があったらなぁ」

 世の中には、「能力者」って奴がいる。
 有名人に会うよりレア、とか何とかタケが言ってた。
 有名人と結婚するよりレアじゃなかったっけ、っていつも通りクマが適当テキトーほざいてた。
 噂じゃ「能力」があると国に管理されるらしいから、幾ら力があったって、そんなの御免被る。

「なに、してんだ?」

 男はじっとしてる。
 手帳か何か、確認してるようにも見える。
 ーー引き返す?
 危険からは身を遠ざける。
 これまで何度も聞いてきた、読んできた言葉だ。
 火事があったら野次馬なんてしないで風上に逃げる。
 火事ーー燃えてるってことは、何が燃えてるかわからないってことだ。
 有毒なものが発生しているかもしれない。
 電車で誰かが荷物を残したまま降りたら、即座に自分も降りる。
 その荷物の中には、悪意が形になったものが入ってるかもしれないからだ。

「って、オイオイ」

 こんなときまで考え事しててどうする。
 ってことで、決める。
 男がナイフかなんかの武器を持ってたら勝てない。
 勝てるかもしれないが、怪我した時点で俺がマイナス
 足は、確実に俺のほうが速いだろう。
 つまり、逃げ切れるってことだ。
 戦いっていうのは本当に必要なときにだけやるものさ。
 これは漫画の主人公の台詞だ。
 この漫画が昔の俺の聖典バイブルだったのは、黒歴史いいおもいでだ。

「こりゃ、逆に俺のほうが不気味だな」

 道路で突っ立ってブツブツ言ってる学生マヌケ
 学生だから通報はされないだろうが、近所で変な噂が立つのは「適度な努力」を標榜ひょうぼうしてる俺の沽券こけんに係わる。
 難読語(?)を二つ使って気合い入れたとこで、俺は歩き出す。
 男は手前側にいたから、大回り。
 先ずは横目で男の姿をーー。

「ーー、……」

 ……生まれて初めてだった。
 フツーの、どこにでもいるオジサン。
 ……これは生存本能だ。
 キケンなんて、どこにもナイはずなのに。
 ……今すぐ逃げ……ーー



     2

 ーー白い部屋。

「前にタケの見舞いに行ったときは、そんな感じじゃなかったけどなぁ」

 タケは相部屋で、俺は個室。
 家は死んだ爺さんのものだから、うちは金持ちってわけじゃない。
 なのに個室にいるってことは、相応の理由があるってことだ。

「殺風景。物が少ないってのは、なにか暗示してんのか?」

 この状況で落ち着けってのは、俺には無理だから、無理やりにでも考え事をする。
 オジサン。
 ーー違う。
 あのオジサンじゃない。
 もっと、別のモノだ。
 オジサンのようなモノと目が合ったとき。
 俺は、下、だった。
 いつも上にいるようにしてたから、わかる。
 見下ろされる、使われる。
 そうされたとこで、なにもできない。
 俺は、そっち側だった。
 なにがあったかはわからない。
 ただ、この体が覚えてる。

「はぁ……」

 まだ心も体も整理がついてないってのに、ドアがノックされる。
 俺の返事も待たず男と女が入ってきて、確認だけして出ていった。
 入れ替わりに、男が入ってくる。

「医者と看護婦ーーじゃなくて、今は看護師って言うんでしたっけ。医者のほうは仕事柄って言うのか、普通だったけど、看護師のほうは怯えを隠せてませんでした」

 あまり使い慣れてないが、敬語を使ったほうがいいと、男を見て判断した。
 男は椅子を持ってきて座ると、間を置かず話し掛けてきた。

「それだけ冷静なら、今すぐ話しても大丈夫か?」
「いえ、見た目ほどまだ冷静にはなれてません。先ず、あなたが何者か教えてください、刑事さん」
「へぇ~」

 俺が言うと、刑事さん(?)は野太い笑みを浮かべた。
 当てずっぽう、ってわけじゃない。
 状況からして、刑事の可能性が高いが、そうじゃない。
 ドラマの刑事役なんて嘘っぱちだ。
 雰囲気、というか存在けはい
 言葉で説明なんて出来ないが、この人はホンモノだ。

「半分、当たっている」
「半分、ですか?」
「身分は刑事だ。対『能力者』で、まんまの組織など作ったら標的にされる」
「全滅でもしたことがあるんですか?」
「君のことは軽く調べたが、ーー普段は韜晦とうかいでもしていたのか?」

 本をたくさん読んできたから、韜晦、の意味はわかる。
 ただ、変に買い被られると、後々厄介なことになるかもしれない。
 俺は、中途半端フツーよりマシ位置てーどに留めておくことにした。

「大丈夫、冷静になれました。俺に何があったのか、教えてください」

 もう少し時間が欲しいとこだが、これ以上先延ばしにされると、逆に不安が増して冷静になんてなれなくなる。
 男は俺を見ると、事務的な口調で話し始めた。

「先ず、君に起こったことを、事実だけを順に並べていく。ーー君は、『能力者』に操られた男と接触した。目が合った瞬間に、君は『能力者』の『傀儡子くぐつ』になった。それから一週間、君は操られ、倒れているところを発見された」
「あの、操られてるとき、俺は……どうだったんですか?」

 仕舞った。
 口が勝手に動いて、聞いちまった。
 「能力者」?
 なんだそりゃ。
 頭が真っ白、じゃなくて、透明だ。
 白だったら、まだ増し。
 何もない。
 何もないから、どうすることも出来ない。

「君が『傀儡子』だったことは確認が取れている。だから、『傀儡子』の間に何をしたとしても、君の罪にはならない。すべて『人形遣い』のとがだ」
「……『人形遣い』?」

 ……俺は馬鹿か。
 いや、馬鹿だ。
 まだ頭がまともに機能してないってのに、なに聞いてんだ。

「未だ『能力者』の正体は割れていないから、隠語のようなものだ。その『人形遣い』に操られた君は、宗教団体を襲撃した」
「……俺が無事ってことは、宗教団体は『能力者』、或いは『人形遣い』に詳しい? それに『人形遣い』の『能力』にも限界があるはずだ。そうじゃなきゃ、もっと大問題になってるはず……。操れる人数とか範囲とか、そういう制約があって、ーー俺は運よく、用済みになったのか? あ……、なったんですか?」

 駄目だ。
 強制的にでも頭を回転させないと、おかしくなっちまう。
 ーー用済み。
 自分で言っといてなんだが、ずいぶんとむなしい言葉だ。

「わからない。君ならもう、予測がついているだろうが、この病院は『能力者そちら』方面に対応している。『傀儡子』のときも食事はしていたようで、身体的には何も問題はない。これは私の勘だが、五分五分だと思っている」
「……どうして、そう思うんですか?」
「君には正しく伝えたほうが良いと思うから、正直に話す。君は恐らく、『人形遣い』の『お気に入り』だ。『人形遣い』の護衛で、ーー恋人のような立場だった。『人形遣い』は執念深く粘着質だ。きっと『お気に入り』の君を取り戻しに来るだろう」
「……は?」

 ……恋人?
 ってことは、「人形遣い」は女?
 てっきり、「能力者はんにん」は男だと決めつけてた。
 って、「人形遣い」の性別なんてどうでもいい。
 いや、男の恋人なんて御免だが、女のヤバいのヒステリックなのはほんとにヤバいコワイ
 中学のとき、俺を好きだった後輩の女が少しおかしくなって、そんときに向けられた目がーーって、だからそうじゃない!
 「人形遣い」が俺を取り戻しに来るかもしれないってことだ。
 いや、ちょっと待て。
 それならなんで、俺はこんな病院とこのうのうのーのーとしてんだ?
 カーテンが閉められてる隙間から少しだけ見える。
 たぶんこの部屋は、上下階の上階だ。
 ここにいるのは男一人だけだが、部屋の外もそうだとは限らない。
 俺が「人形遣い」の恋人なら、最も網が張りやすいカノーセーがたかい人間ということにーー?

「あ、いやっ、ちょっと待ってください! ってことは、俺は囮……ですか?」
「そうできない事情がある」

 思い至った途端に、否定される。
 しかも、中途半端な否定。
 俺が聞く前に、男はさっさと先に進んでしまう。

「囮にも出来なければ、匿うことも出来ない。明日には君を解放し、自由にしなければならない」
「な、なんで……」
「はぁ~。何故かというと、法がそうなっているからだ。ーーわかるか?」

 考える時間をくれたのか、或いは自分で言いたくないのか、男が聞いてくる。
 焦った俺は、思いつくままに喋る。

「上の連中、というか、立法……だから、政治家? 『能力者』を甘く見てる?」
「政治、だけじゃないがな。というか、この国の政治家など、ただの代弁者だ。『能力者』は問題だが、絶対数が少ない。『能力者かれら』だけでは世界は引っ繰り返らない。あいつらはーー」

 苦悩、が垣間見える。
 医者を目指したあいつのように、男にも対「能力者」の職につくだけの、なにかがあったのかもしれない。
 そこで俺は気づいた。
 もみ消してるのかもしれないが、そうだとしても「能力者」がらみの事件なんてこれまで聞いたことがない。
 いくらなんでも、それはあり得ない。

「『能力者』の味方がいる?」
「逆だ。国は『能力者』の保護と、管理をしている。当然、『能力者』を飼い殺しに、利用している。敵にーー『堕落者』になるほうが、少数派だ」
「庇護された『能力者』たちは、優遇されてる?」
「当然だ。抑圧すれば反抗される。微温湯ぬるまゆで悠々自適ーーとまではいかないが、従順である内は、それなりの自由も与えられている。『能力者』を野放しにするという選択肢はない。ある意味、『能力者』もこの社会システムに組み込まれているとも言える」
「正義感をこじらせた『能力者』が、『堕落者』狩りに協力とかしてる?」
「君はーー、本当によく見えている、……と、そういうことか?」

 気づいた男は、自分にも同様の黒歴史おもいでがあるのか、なかば断定して聞いてくる。
 ここは変に隠さないほうがいいだろう。

「正解です。そういう物語は、俺の好物です。自分の身に降り掛かるなんて、……何度も考えましたけど、実際に起こるなんて夢にも思っていませんでした」
「残念だが、君の言う『上の連中』の損にならない限り、現状が変化することはない。君の安全のために、君を厳重に守られた場所で保護する、ということができない」
「ほんと、世の中って世知辛いですね」
「ーーああ、本当にな」

 男の同意。
 だが、そこに込められたモノは、男のほうが遥かに重い。
 男は席を立つと、最後に言い残して去っていった。

「明日の朝には、君は強制退院だ。なにもなければ、私はもう、君の前に現れない。二度と会わないことを、願っている」



     3

 暗い。
 いつの間に夜になったのか、或いは最初ハナっから夜だったのか、思い出そうとしたけど、どうでもよくなった。
 部屋に、時計はない。
 俺のようになった奴が、自棄ヤケになって壊さないためか?
 何もない部屋ーー。

「はは、朝飯くらいは出るんかね」

 何もないことに耐え切れず、俺は衝動的にベッドから出る。

「寝る?」

 無理だ。
 気持ちがたかぶって、眠れる気がしない。
 それまで、じっとこの部屋でーーそう考えた瞬間、俺は扉に向かって歩いてた。
 幸い、なのかどうか微妙なとこだが、扉に鍵は掛かってない。
 開けるかどうか悩む。
 夜の病院を歩き回っていいのか、とかそんなことで悩んでるんじゃない。
 不安、なんて言葉じゃ言い切れない、正体不明いたみ
 わからないモノに、もう少しだけ手を伸ばしてみる。

「昔、見たことがあったな」

 冤罪えんざいで、何十年も刑務所に入れられてた男。
 同じ境遇の二人の男が、近い時期に記者会見をやってた。
 中学のとき、俺はテレビでそれを見て、その二人が物凄くスゲー胡散臭うさんくさく見えた。
 そこで俺は考えた。
 なんでそう思ったのか。
 他人の身になって考える。
 やってみると結構むずかしいんだが、気になった俺は丸一日使って、冤罪で何十年もぶち込まれたらどう思うのか、ひたすら考え続けた。
 そんで、気づいた。
 怒りだ。
 どうしようもない、怒り。
 冤罪で俺がぶち込まれてる間、本当の犯人は、代わりに罪を被ってくれた俺をわらいながら、娑婆しゃばの空気を堂々どーどーと吸ってるんだ。
 許せるか?
 どうやったって、許せるはずがない。
 そんな奴ーー千回殺したって、怒りが治まるはずがない。
 世界を壊したっておつりがくる、そんな業火いかりのはずだ。
 だが、記者会見の二人の男は、警察とかに怒りをぶちまけたが、真犯人(本当に男が冤罪なら)に対する怒りを、一言も口にしなかった。
 実際に何十年もぶち込まれたわけじゃないから、断定はできない。
 人間は嘘をつくし、意図せず記憶の改竄かいざんもやってしまう。
 って、そうじゃない。
 二人の男のことなんてどうでもいい。
 今は、俺のことだ。
 それ以外に重要なことなんて、ありはしない。

「まだ、……実感がないな」

 道路で「人形遣い」に操られた男と目を合わせて、それで、気づいたらベッドの上。
 その間の記憶はなし。
 男が説明してくれたことが本当だという確証はない。

「嘘、だっていう確証もないんだけどな」

 俺は、扉を開けていた。
 廊下に人はいない。
 だから、歩いていく。
 病院ここにいたくない。
 足は勝手に、階段を下りていく。

「どうしてですか!?」

 病院の一階、受付があるフロアに下りてから、俺の足は止まった。
 それ以上、足が動かなかったのはーー動いてくれなかったのは、叫び声が聞き覚えのあるものだったからだ。

「落ち着いてください、奥さん」
「これが落ち着いていられますか! だってまだっ、操られいてる可能性があるんでしょう!? 一緒にいられるはずがないわっ、嫌っ、嫌よっ?!」
「お前、少し落ち着きなさい。騒いだところで、どうにかなるわけじゃないよ」
「だって、……だって、アナタ!」

 男と、母さんの声。
 それから、父さんの宥める声。
 母さんは、いいとこのお嬢さんだった。
 生まれたときから、ずっと見てきたんだから知ってる。
 母さんは、弱い人だ。
 身に降り掛かった不幸に、耐えられる人じゃない。
 逆に父さんは、堅実で強い人だ。
 俺以上に、現状をしっかりと把握しているはず。

「何故、隔離かくりしていただけないのですか?」
「法律でそうなっています。今は、家族の助けがもっとも必要です。受け容れていただけない場合は、あたな方が罪に問われることになります」

 父さんと母さんが相手だからか、男は敬語で喋ってる。
 ーー隔離。
 俺もそうして欲しいって思ったが、父さんの声はーー冷え切っていた。
 冷静に判断して、冷静に……切り捨てた。

「何かが生じた際の責任は、誰が取っていただけるのですか?」
「補償金がーー」
「お金っ!? お金なんていらないわ!! なんでっ、なんで私がこんなことに巻き込まれないといけないの?!」
「法律が問題なら、施設等に預けることはできないのですか? それに、高校生なら一人暮らしをしても、なんら不思議ではない。アパートくらいなら借りられる余裕はあります」
「ーーそれは、あなた方の不利になります」
「不利、くらいで済むのなら、問題ありません。子供なら、また作れます。養子をもらう、という手段もある。私にとって重要なのは、子供ではなく妻です。妻を幸せにすることが、私の幸せでもあるのです」
「……アナタ」

 母さんを冷静にさせるために、父さんは嘘をついた。
 そう思えたなら、どれだけよかったか。
 やっぱりそうだ。
 父さんは、母さんのために、俺を切り捨てた。
 ゴミをーー不用品キケンブツを捨てるように。
 なにが大切かをしっかりと理解した上で、選び取った。
 なんだか、納得だ。
 俺は父さんの強い部分と、母さんの弱い部分を受け継いでるんだ。
 ーー俺はなにも悪いことをしてないのに。
 ーー巻き込まれただけなのに。

「はぁ~。仕方がありませんね。それではーー」

 俺は歩き出して、父さんと母さんの前に姿を現した。
 驚愕する二人。
 ーーそんな妄想をしながら、引き返して、音を立てないように階段を上っていく。
 たぶん上ってた。
 それで部屋にいた。
 もしかしたら別の部屋かもしれないが、そんなことはどうでもいい。
 眠れないとかそんなことも、どうでもいい。
 ベッドで布団を被って、それから、俺はなにもしなかった。



     4

 放課後の学校。
 その日のことは、とくに話すことはない。
 誰も、俺と喋らなかったからだ。
 無視、ではあるが、少し違う。
 目は、俺を見てるんだ。
 俺は、下、だ。
 最下層に置かれたと同時に、最上層にも置かれた。
 触れてはいけない、よくわからないモノ。
 それが俺だ。
 俺の近くにいた奴ほど、俺と係わりがないことを示すためか、積極的に離れていった。
 ーー誰か一人、いてくれれば。
 俺が問題ないと、みんなと同じだと、よくわからないモノじゃなくて、わかるモノにまで引き摺り下ろしてくれる奴がいれば。

「自業自得、なのかね」

 友達はたくさんいたーーいると思ってた。
 いや、卑下ひげする必要はない。
 友達はいたんだ。
 そして、いなくなっただけ。
 逆の立場だったら、俺もそうする。
 周囲に迎合して、「一人目」になることなんて絶対にない。
 ーー親友。
 中学のときの、あいつはどうだろう。

「邪魔しちゃ悪いよな」

 もう大学受験に備えて、猛勉強してるはず。
 帰るーー帰る、か。
 とりあえず席を立つ。
 教室に一人だけ。
 同じ場所にいたら、うつっちまうと思われてるようだ。
 だが、それもあながち間違ってない。
 「能力者」の「能力」は、あまり解明されてない。
 解明されてたら、「堕落者」にこんな手古摺てこずるはずがない。
 そう、俺はまだ「人形遣い」に操られているかもしれないのだ。
 さすがにそれはないと思うが、いつでも操ることができる状態になってる、というのは普通フツーにありそうだ。
 もう、周囲を気にするのは止めた。
 朝の時点で、半分。
 学校で、半分。
 困ったことに、俺の小さな世界で、重要だった二つ。
 朝、連絡がなかったから家に戻ってみると、誰もいなかった。
 俺が出てくのかと思っていたら、出てったのは二人のほうだった。
 爺さんの家は、俺が自由に使っていいそうだ。
 ーー爺さん。
 爺さんが生きてれば。
 病気で先が短かった爺さんなら、俺を邪険にしなかっただろう。
 なんだろう。
 爺さんが死んだとき以上に、悲しい気がする。

「結局。俺はこの程度なんだな」

 団地。
 ずいぶんとなつかしい。
 あれから、来たことはなかった。
 ここにはもう、あいつは住んでない。
 ここは社宅だ。
 働いていた父親が死んだんだから、あいつは出ていった。
 階段を上っていく。
 上って、上って、それから登る。
 あいつの家だった六階から、屋上に。
 前はジャンプしないと金属の梯子に手が届かなかったが、しっかりと握ることができた。
 ーー建築基準法の前の建物だからウンタラカンタラ。
 古い建物で、エレベーターはない。
 一緒に六階まで上るたびに、そんなことをあいつは愚痴ってた。
 あいかわらず侵入禁止の割に、蓋に鍵は掛かってない。
 気づかれても面倒なので、蓋は閉めておく。

「……空が低い」

 高々、六階分。
 錯覚だ。
 空が近くなったような、気がするだけ。
 屋上の端まで行ってみれば、ひらけた空間。
 高校の屋上みたいにフェンスはなく、一望することができる。
 あいつには言わなかったが、俺はここから見る景色が好きだった。

「よっと」

 俺は一段高くなった場所に、片足を掛ける。
 体を前に傾けると、地面が見える。

「中学のときは、落ちても死ぬような気はしなかったな」

 怪我はするかもしれないが、自分が死ぬ、というイメージをまったく持てなかった。
 昔と今で、なにが変わったのか。

「こりゃ、落ちたら死ぬな」

 確かめたかった。
 半分、と、半分、でぜんぶ。
 俺の世界の、すべてから拒絶されて、それでもまだ俺は生きていたいのか。
 ーー未練こころのこり
 ここまで来て、やっと気づく。
 誰かの迷惑になるくらいなら、自分から命を絶つ。
 違う。
 俺はそんな殊勝シュショーな人間じゃない。
 俺は俗な人間だ。
 父さんのように、割り切って捨てることだってできるはずだ。
 そう、だ。
 ーーたった一つ。
 確かめてからでも遅くない。

「何やってんだよ、あいつーー」

 あとをつけてたんだろうか。
 昔と変わらず、美人にもなってなければ、可愛くもなってない。

「恋人、ねぇ?」

 今のあいつに、俺をくれてやる気にはなれない。
 ーー宗教団体。
 あいつの父親は病死だと聞いてたが、もっと面倒なことに巻き込まれてたのかもしれない。
 あのとき、俺はなにもできなかった。
 なにもできず、あいつから離れていった。
 忘れてなかったものを、いや、忘れたくなかった想いものを思い出す。
 今でも変わらない。
 俺が好きだったのは、あいつの、底抜けの間抜けな笑顔だ。
 それがどうだ。

「ったく、あんなんだ目で見つめてきやがって」

 久し振りの再会だってのに、思い出にひたる間もくれないらしい。
 あのときと同じ。
 目が合った。
 もう、時間がない。
 あいつの親友だった俺が、最後にできること。

「俺と同じで、もうなにもないなら、同じとこに来い」

 そうすりゃ、もう誰にも迷惑を掛けることもない。
 いや、こんなとこで死んだら、死体を片づける奴の迷惑になるか。
 浮遊感ざまぁみろ
 これで俺の勝ちだ。

「はは、情けねぇ……」

 最後に考えるのが、そんなことなんて。
 それは嫌だったから……。
 なぁ、……もう一度、わら……
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