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七章 侍従長と魔法使い
「厄介者」と「智将」
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さて、基本は六十人、七列である。
部隊の中央に、交代や連絡用の間を取っているので、一列三十人が二組。前衛に三列、中衛に二列、後衛に二列。
前衛の前二列が正面を、中衛と後衛が上空からの攻撃に対処。前衛後列が、主に上空からの攻撃に対する「風吹」行使の間隙を埋める。カレンが考案した、この支援列は大いに機能して、訓練の際の模擬戦闘でも効果を発揮したらしい。
緻密で正答のある分野での彼女の手腕は見事である。補佐に前衛を任せて、指揮官は中衛後衛部隊と、必要があれば補佐に指示を出す。
更に、カレンが指示する部隊は、一列が四分割されていて、細かな調整が可能とのこと。他の二部隊は、そんな面倒なこと出来るか、と当然の反応で、基本形のままである。
いや、基本のままでも、指示にはかなり神経を磨り減らすことになるだろう。
長引かせず、最良は勿論、衝突する前に交渉の席に着くことだが。
「こちらが攻撃してこないことを見越していますね。大岩を用意しておけば……」
「はいはい、物騒なことを言わない。同盟国の兵を油断させる為にも、その美貌で彼らを魅了しておいてくださっ!?」
「サン、ギッタ。遣るのなら、見えないようにね」
僕の不用意な発言に、抓ってきた双子。
どこを抓られたかは秘密だが、カレンのお墨付きを得て、更なる手管で僕を苛む。
遣るのなら、が双子には、殺るのなら、に聞こえていなかったことを祈ります。
こうして緩んだ場面を見せたので、戦いの予兆、雰囲気に硬くなっていた竜の民の表情が和らいでゆく。
翻って、同盟国はというと。
老師の魔力量では、竜の国を「結界」で囲うことは出来ない。会議での発言ははったりなので、竜の国の現状はある程度漏れていると考えていい。
同盟国が有利、とでも伝わっているのだろう、彼らの表情に悲壮感はない。
あとは同盟国にとっての気懸かり、翠緑王とミースガルタンシェアリ。魔法使いは病で倒れたが、「始まりの炎竜」とも「要の真竜」とも呼ばれ、名を轟かす希代の竜が健在なのである。
ミースガルタンシェアリが人の諍いに介入することはない。そう考えていたとしても、最後の最後、もっとも深いところの不安が消えることはない。
それが、薄っすらと彼らを覆う沈鬱なものの正体なのだろう。だが、はたと風向きが変わる。同盟国の兵たちの重たい空気に、暗い風が紛れ込む。
正体を見極めようと目を凝らすと、奇妙なことに気付いた。
「ランル・リシェ。同盟国の兵があなたを見て、戦々恐々としています」
呆れるようにカレンが答えを教えてくれる。
失念していた、というか、忘れていたわけではないが忘れていた。つまり、忘れたままでいたかった。
僕の特性、魔力がないことに因る影響の一つ。
初対面の相手に、奇異に映ったり、違和感や嫌悪などを抱かせたりする。
竜の国の殆どの人は、「窓」ですでに僕の姿を見ていたので、ここしばらくこういった反応に触れることがなかったので、いや、僕自身に対するあからさまな悪感情と拒絶は受けていたので、良い意味でも悪い意味でも気にせずにいられた。
彼らとはだいぶ距離があるので、影響は少ないのだろうが、別の要因が助長させる。
はぁ、そうだった。こちらも忘れたままでいられればなぁ。彼らが恐れるのは、翠緑王と炎竜だけではなく、侍従長である僕も含まれているのだった。
違和感の源泉は、同盟国の兵の視線。
皆僕を見ているのだ。まぁ、その内の何割かは、そのまま隣に立つカレンに移って、薫風のように澱を吹き払って冴えさせてゆく。
「王様代理の役目の一つは、女性特有の和やかな雰囲気で相手の意気を挫くこと。だから、無遠慮に眺めてくる男たちが居たとしても、睨み返したら駄目だよ」
「心配などいりません。里でも、私の作り笑いは評判が高かったでしょう」
「…………」
ここで余計なことを言って、カレンを動揺させるのは本意ではないので、頷きがてら見澄まして、頭の中で両陣を俯瞰する。
「風吹」部隊の間には、個々の部隊が二部隊を同時に攻撃できないだけの(相手が部隊を分ければ別だが)、射程を考慮した距離を取ってある。
これは、相手もこちらに合わせて、それぞれの「風吹」部隊の正面に布陣してくれることを前提にしていたが。事前の予測通り、同盟国側は協調する様子を見せず、部隊ごとに行動するようだ。
潮目が変わる。と思って、海を見たことがないのに、この言葉を使うのは適切でないような。などと考えている自分の胸に手を当てて、殊の外冷静であることを確認する。
これまでなら危難に際して自身を偽る必要があったが、これは、成長した、と言っていいのだろうか。
いや、違うか。今は、僕一人ではなく、皆がいるから。
今は、そう思っておこう。
「風吹」三部隊に正対して、三国の陣が整う間際を狙って、予定通り指示を出す。
「カレン。交渉の申し入れを……」
「全軍っ! 突ぅ~げぇ~きぃぇっ、ごほっ、ぐほっ」
ーーっ、……あのっ、厄介者めがっっ!!
大声を出し慣れていないのか咳き込む「厄介者」に向かって、危うく罵倒の言葉を投げ付けてしまうところだった。
この時点での交渉の望みは薄いとは思っていたが、まさか試みそれ自体を潰されるとは。予想の範疇ではあるものの、腹の底のもっと下の辺りから怒りが込み上げてくる。
だが、こうなった以上、切り替えなくてはならない。「厄介者」は紛う方なく厄介者だったと、事実を確認できたということで満足しておくとしよう。
右翼のキトゥルナの部隊が、竜のお尻に潰されたギザマルの悲鳴のような「厄介者」の裏返った掛け声に、鬨で応じる。「厄介者」と違い、こちらは竜の咆哮の如き威勢である。
「さぁっ、栄光あるキトゥルナの英雄たちよ! あの可愛い旗を奪い取れぇ~!」
後方の馬上から「厄介者」が兵を鼓舞する。と言いたいところだが、ところどころで笑いを堪えている兵の姿があることから、効果は芳しくないようだ。
……これは何かの戦法なのだろうか。
弓矢などの牽制もなく、「厄介者」を除いたキトゥルナのすべての兵が突撃してくる。常道を排したこの遣り口も、彼の仕業なのだろうか。
見ると、クラバリッタとサーミスールは静観の構え。「厄介者」がこちらの手の内を曝け出すように動いてくれるのだから、それまで両部隊が傍観するのは必定。
「クラバリッタとサーミスールは、性急に動くことはないだろうから、一旦左翼に行ってくる」
「そうね。『智将』は弓兵でこちらを試すような……っ、ふふっ、うふふふふっ」
カレンが突如上品に笑い始めるが、戦いの空気に呑まれておかしくなったわけではない。
如何にも上級貴族といった風袋の初老の男性ーーダグバース卿。将としての精悍さと洗練された振る舞いを併せ持つ「智将」が、王様代理に向かってにこやかに手を振ってくる。
心を竜にして、カレンは極上の笑顔を「智将」とクラバリッタ兵に撒き散らす。
あ~、何も聞こえない何も聞こえない。カレンに魅了された兵の賞賛と、双子の反発は聞こえなかったことにして、居回りに焦燥が伝わらないくらいの駆け足で、後方に下がる。
「準備しておいたよ」
「ありがとうございます、老師。あとはよろしくお願いします」
「よろしくされても困るのだけれどね」
「里長からカレンを任されているんでしょう。ちゃんと働いてくださらないと、弟子だけでなく多方面からお叱りが来るかもしれませんよ」
老師が察して用意してくれていた汗馬に乗って、彼の反駁を振り切るように走り出す。
キトゥルナに対して、「風吹」の有効範囲ぎりぎりのところで、エンさんは「風吹」部隊に放出を命じる。
先手で突撃してきた騎馬の足が鈍って、再度の放出で騎馬が引き返してゆく。
相手に衝撃を与えるのが目的なら、まだ威力が割れていない「風吹」を、引き付けてから放つべきであるが、今回は両陣営に犠牲者を出さず、同盟国に退いてもらうことが本旨となる。
クーさんやカレンと違い、ディスニアたちの捕縛に向かったエンさんは、戦術水準での打ち合わせや摺り合わせをしていないのだが、斯様に適切に対応してくれるので助かる。
まぁ、逆にああしろこうしろとエンさんを縛り付けると暴走してしまう危険があるので、彼には自由に振る舞ってもらうのが最適だと学習している。
騎馬は無駄だと悟って、キトゥルナの全兵が徒歩である。ここからは、「風吹」部隊の前衛を任されているフィヨルさんの出番である。
弓矢などの攻撃はないと判断して、僕は部隊の後方から中央の間を前衛まで走らせて、中衛に遊牧民が居たので馬を預ける。
途中、レイの玩具になっていたシーソが両頬を抓られながら無表情で僕に手を振っていたので、もう少し手加減してあげてね、と愛娘に苦笑を向けておいたが、効果の程は期待できない。
「一列目、右。足を掬ってあげなさい。二列目、頭を抑えて、中央を這い蹲らせなさい」
躊躇逡巡とは無縁の、果断な指示。
隙を見せて、兵を呼び込んでから吹き飛ばしたり、密集しようと試みる相手の邪魔をしたりするなど、いつもは冷静で物静かな印象があるフィヨルさんだが、あに図らんやその指示は過激で粘着質で、遠慮がない。
中衛後衛を担当しているザーツネルさんが、手持ち無沙汰を紛らわせようと話し掛けてくる。
「昔、性格が悪かった頃は『からりとした陰湿者』とか呼ばれてたこともあったな。黄金の秤を率いてからは、何やら一念発起したみたいで影を潜めてたんだが、再発したかな」
フィヨルさんの活躍を二人で観戦していると、キトゥルナの用兵に疑義を抱いたのか、ザーツネルさんが尋ねてくる。
「あいつ等、何で馬鹿正直に正面から突っ込んでくるんだろうな」
「たぶん、『厄介者』は正面から戦うことこそ王者の戦法、とか思っているんでしょうね。迂回とか挟撃とか要撃とか、あと奇策を用いるのは、卑怯者のやることだと勘違いしているんでしょう」
こちらとしては有り難いのだが、左右からの分散攻撃などの対抗策を練っていた僕たちとしては、歯噛み、とまではいかないまでも、何というか、もやもやする。
そんな僕の不満そうな顔を見て、エンさんがかんらかんらと笑う。
「はっはっはっ、こぞー、辛辣だなぁ。何だ、羨ましーんか?」
「……どこをどう聞いたら、そう思えるんですか」
「はっはっはー、俺ぁ羨ましーぞ。あんな後ろん踏ん反り返ってーんに、他ん奴らぁ全員突撃突撃突撃ぃーだぞ。俺なんか、さぼったら誰ん付いてきやしねぇってんに」
「『厄介者』の場合は、父王である『堅硬』の威光が大きいですね。兵としては、キトゥルナ王が溺愛している、出来れば自分たちも期待したい、いずれ現キトゥルナ王のようになってくれるーーそんな複雑な心情から従っているんじゃないかと」
見ると、中央のクラバリッタ、左翼のサーミスール、共に「風吹」部隊の把握が済んだようで、攻撃を開始していた。
「こちらはエンさんに任せます。あと一つ、お願いがあります。僕が中央に戻る際、竜の国の侍従長であることがわかるよう名前を呼ぶなりして同盟国に認識させてください」
「ん? ようわからんが、ようわかった」
「あとは、エンさんの好きに、遣りたいように遣ってください」
「おうっ、んじゃあ、さっさく遣っとすっかねぇ」
あとはザーツネルさんが、エンさんとフィヨルさんの手綱を上手く握ってくれるだろう。
馬に跨がると同時に、部隊の最前でエンさんが張りのある馬鹿でかい声で呼び掛ける。
「くぉ~らぁ~、そこん後ろん、う~ら~な~り~!!」
「むむっ、うらなりとは、若しや余のことか!? 貴殿は『火焔』などと称せられているようだが、別に羨ましくなどないのだからなっ!」
「んなこたぁ知らん! だいてぇおめぇーずりぃーぞ。何もしてねぇんに周りから助けてもらいやがって! 俺なんてなぁ、さぼってたら誰んついてきやしねぇぞ! だいたいなぁ、なぁーんで俺ん一番働かなきゃなんねぇーんだー!!」
「むゅむっ?!」
エンさんの魂の叫びが木霊して、奇妙な声を上げた「厄介者」と、キトゥルナの兵だけでなく、同盟国すべての兵の動きを一時停止させた。
これは慮外、時間短縮の為に前衛部隊の前を駆け抜けてしまおう。
「だいてぇあれだ、あのこぞー!!」
「侍従長~、侍従長が戻られるぞ~!」
びしっと僕に指を突き付けたらしいエンさんと、彼の手落ちを補完して、僕の役職を連呼してくれるザーツネルさんの声が後ろから聞こえてくる。
「こぞーんひでぇぞ! こぞー休んだくせん、こん国造ってんときから俺にゃ休みなんて一日もねぇ。それんだ、『お前が担当してんとこが一番忙しいんだ、馬車馬みたいに働きやがれ』なんて血ん涙んねぇ、全竜が泣いた! ってくれぇだ、俺んさぼらせろーー!!」
エンさんの特大爆発。
……そういえば、エンさんには休みを上げていなかったかもしれない。王様と宰相には、適度に休日を用意しておいたのだが、両団長のことは失念していた。
まぁ、老師のほうは適当にさぼって、もとい休んでたんだろうけど。意外に、やるべきことは熱心にやる好漢は、妹たちと竜の民の為に身を粉にしてくれていたらしい。
エンさんの大音声は、対角線上のサーミスールまで届いたらしく、両陣地の一万二千個くらいの目ん玉が、冷血どころか無血涙侍従長に突き刺さってくる。
だが、突き刺さるべく迫ってきたものはそれだけではなかった。
「放てっ!」
中央、クラバリッタからの一斉射撃。
手を振り下ろした格好の「智将」と。
僕に向かって放物線を描いてくる数百の矢を追って、空に視線を遣れば、実際の脅威よりも空々しく感じる、それでいて、まるで悪意ある空間そのものが迫ってくるような、光を反射しながら、線を引いてーー、初めて見る、感じる光景が、視界を埋める。
矢は、矢である。本来の意味など、それ以外にはない。ただ、それが人を殺めることを目的として射られたのだということが、命じられたということが、与えられた役割通りに機能しているということが、一瞬、僕の魂を凍えさせようとするが。
脳裏を過ぎった、スナとの、温かかった情景が僕を緩めて。
矢が、見上げそうになった中空より遥かに下の、最高点に達したところで。
僕は、ばっと勢いよく左の掌を突き出す。
きぃぃん。
束の間、戦場に氷の華が咲く。
純粋過ぎる巨大な氷柱が割れるような音がして、すべての矢が破砕される。
矢の残骸がきらきらと、氷の粒子に紛れて舞い散ってゆく。
「あれはっ、竜人掌! いや、違うぞ、あれこそはっ、氷華竜人波!! ひぃっ……っ!?」
邪竜侍従長の眼差しで睨んであげたら、中央後方待機の妄言竜撃隊長は、頭隠して角隠さず。
微妙に隠れ切れていないギルースさんのことは、あとで筆頭竜官に告げ口である。
然ても、驚いた。
この馬は誰が用意したのだろう。遊牧民の長老か、老師の見立てなのか。ここまで乗ってきたが、竜馬と呼ぶべき優れた速さに乗り心地。
先程のエンさんの大声にも泰然とし、矢に怯えることもなかった。何より、僕を怖がっていない。基本、動物に怯えられるか嫌われかするので、僕からすると天佑と言うべき贈り物だ。
この竜馬なら大丈夫だろう。というか、僕のほうが我慢できなくなってきたので、
「よしよし」
首筋を撫でる。
この程度のこと、造作もない(訳、ランル・リシェ)。と応じると、素早く実行してくれる。軽速歩で手綱を放して、「智将」にシーソを参考にした無表情を向ける。
周囲の騎士たちがダグバース卿を護ろうと、彼の前に立ちはだかろうとして、腕の一振りで部下の掣肘を払う。
大した人だ。僕(が頼んでおいたスナ)が矢を滅した様は見ていただろうに、静かな、見定めるような眼差しを返してくる。彼は「智将」と呼ばれているが胆力も相当なものだ。
「シア様。この竜馬をしばしお願いします」
「……はい」
もう一度撫でてから、「氷華竜人波」をーーではなく、「氷絶」を目撃して若干引き気味のシアに預ける。
戦況は見えていたので、大凡は把握している。
短く尋ねる。
「カレン。どう?」
「一度、防ぎ損ねたわ。矢が三本、軽傷一と、肩を射抜かれた方が治癒魔法を施されています」
「……大丈夫?」
「竜の民の命が私の双肩に掛かっているのです。この程度のことで冷静さを失っ、四、五列、三、四! 六、七列、二、三! ギッタ!」
話の途中で、カレンの指示が飛ぶ。
クラバリッタから飛来する矢を細分された「風吹」部隊が吹き飛ばして、ギッタの合図で追撃の矢を三列目が吹き払う。
そして、間を置くことなく、数本の矢が飛んでくる。そう、たった数本の矢が飛んでくるだけなのだ。
だが、たとえ数本であろうと、見過ごすことなど出来ない中央「風吹」部隊は、律儀に対応しているのだった。その都度、本数や軌道、方向を変えてくるので、カレンは手を焼く、というより、神経のほうが先に焼き切れてしまいそうで心配になる。
涼しい容貌とは裏腹に、好戦的な面があるので、何か手を打っておく必要があるかもしれない。
ダグバース卿がにこにこふりふり、カレンがにこにこにこふりふりふり、クラバリッタの半分、六百程の兵がにこふり。
こちらとしては都合が良いが、何だかなぁ。
「くぉ~、カレン様の笑顔はお前たちにはやらんわ~!」
「くぃ~、貴様ら~、地面に顔を擦り付けて歓喜の涙を流せ~! とギッタが言ってます」
三百人くらいが、スーラカイアの双子に手を振り返す。
ちょっと多くないか?
幼い女の子に罵倒されて喜……げふんっげふんっ、いや、娘や孫を可愛がるとかそんな感じの人たちなのだろう。
すると、残りの四百はーー、と考えて、妙な恐怖を覚えたので速攻で世界の果てまで投げ捨てた。
それと、サンがカレンの名を思いっ切り叫んでいたが、クラバリッタの兵たちは、彼女が翠緑王かどうかには余り興味はないようだ。どちらかと言うと、名を知られてしまった王様代理の、少女の心持ちのほうが心配だ。
見ると、左翼でエンさんが単独で特攻を仕掛けていた。
魔法剣ではなく、強烈な「風吹」の風で吹き飛ばしている。「風吹」の使い過ぎだろうか、或いは「風吹」の制御が出来ていないのか、逆流した風は軋んで牙を剥き、体を傷だらけにしながらも、尚前進を止めない。
風は豪放な男の血を孕んで、血風となってキトゥルナの兵を襲う。
「その意気や見事なり! 余の剣で倒される栄誉を噛み締めながら逝くがよい!!」
「厄介者」が怪気炎を上げるが、周囲の騎士たちがこぞって止めに入ってくる。
エンさんは構わず進撃を続けて、両者の距離が縮まってゆく。
成り行きを見守るだけの時間は僕にはない。エンさんなら何とかしてくれると信じて、クラバリッタに視線を転じる。
「勝たなくとも良い。でも、僕たちが失態を犯せば、その限りではない。というところかな。『奴らと戦うなんて、考えただけでぶるっちまう』と会議で言っていたけど、精兵があのまま最後まで動かないでいてくれると助かるんだけどね」
カレンは、指示の合間に僕を一瞥する。他にも、もっと何かを言って欲しそうな顔だ。
「もし、駄目そうになったら、一旦下がって。相手が向かってきたら、戻って吹き飛ばす。クラバリッタは中央に陣取っているからね、前後の駆け引きくらいならしてもいいよ」
言葉の選択を間違えたのだろうか、ご機嫌斜めの王様代理。
「えっと、はい、これ。何でも、は無理だけど、大抵のことなら、ね」
故郷を離れるときに三つ持ってきた内の二つ目を渡す。
反射的に受け取ったカレンは、小さな木片ーー誓いの木を見て。僕を凝視して、こくこく頷いた。って、爛々と輝く黒曜の瞳が、何だか凄く怖いんですけど。
僕を苛める為の許可証を得たのが、そんなに嬉しかったのだろうか。
うぐっ、胃の中に釘が迷い込んだような痛みを発するが、きっと気の所為に違いない。理由は不明だが、気力を回復させたらしいカレンからそそくさと離れる。
「右翼へ行ったら、サキナに連絡させるので、老師の許で待機をお願いします」
シアに告げてから竜馬に跨がる。老師の姿がない、が言い直す時間も惜しい。
少年が真剣な顔で頷くのを見てから。
一番の激戦区に、サーミスールに対する右翼の「風吹」部隊に向かって走らせる。
雨霰と飛び来る矢を避ける為、部隊の後方、交代要員の待機する場所まで大回りする。彼らに竜馬を預けて、居回りを気遣っている余裕などない、全力に近い速度で駆けてゆく。
部隊の中央に、交代や連絡用の間を取っているので、一列三十人が二組。前衛に三列、中衛に二列、後衛に二列。
前衛の前二列が正面を、中衛と後衛が上空からの攻撃に対処。前衛後列が、主に上空からの攻撃に対する「風吹」行使の間隙を埋める。カレンが考案した、この支援列は大いに機能して、訓練の際の模擬戦闘でも効果を発揮したらしい。
緻密で正答のある分野での彼女の手腕は見事である。補佐に前衛を任せて、指揮官は中衛後衛部隊と、必要があれば補佐に指示を出す。
更に、カレンが指示する部隊は、一列が四分割されていて、細かな調整が可能とのこと。他の二部隊は、そんな面倒なこと出来るか、と当然の反応で、基本形のままである。
いや、基本のままでも、指示にはかなり神経を磨り減らすことになるだろう。
長引かせず、最良は勿論、衝突する前に交渉の席に着くことだが。
「こちらが攻撃してこないことを見越していますね。大岩を用意しておけば……」
「はいはい、物騒なことを言わない。同盟国の兵を油断させる為にも、その美貌で彼らを魅了しておいてくださっ!?」
「サン、ギッタ。遣るのなら、見えないようにね」
僕の不用意な発言に、抓ってきた双子。
どこを抓られたかは秘密だが、カレンのお墨付きを得て、更なる手管で僕を苛む。
遣るのなら、が双子には、殺るのなら、に聞こえていなかったことを祈ります。
こうして緩んだ場面を見せたので、戦いの予兆、雰囲気に硬くなっていた竜の民の表情が和らいでゆく。
翻って、同盟国はというと。
老師の魔力量では、竜の国を「結界」で囲うことは出来ない。会議での発言ははったりなので、竜の国の現状はある程度漏れていると考えていい。
同盟国が有利、とでも伝わっているのだろう、彼らの表情に悲壮感はない。
あとは同盟国にとっての気懸かり、翠緑王とミースガルタンシェアリ。魔法使いは病で倒れたが、「始まりの炎竜」とも「要の真竜」とも呼ばれ、名を轟かす希代の竜が健在なのである。
ミースガルタンシェアリが人の諍いに介入することはない。そう考えていたとしても、最後の最後、もっとも深いところの不安が消えることはない。
それが、薄っすらと彼らを覆う沈鬱なものの正体なのだろう。だが、はたと風向きが変わる。同盟国の兵たちの重たい空気に、暗い風が紛れ込む。
正体を見極めようと目を凝らすと、奇妙なことに気付いた。
「ランル・リシェ。同盟国の兵があなたを見て、戦々恐々としています」
呆れるようにカレンが答えを教えてくれる。
失念していた、というか、忘れていたわけではないが忘れていた。つまり、忘れたままでいたかった。
僕の特性、魔力がないことに因る影響の一つ。
初対面の相手に、奇異に映ったり、違和感や嫌悪などを抱かせたりする。
竜の国の殆どの人は、「窓」ですでに僕の姿を見ていたので、ここしばらくこういった反応に触れることがなかったので、いや、僕自身に対するあからさまな悪感情と拒絶は受けていたので、良い意味でも悪い意味でも気にせずにいられた。
彼らとはだいぶ距離があるので、影響は少ないのだろうが、別の要因が助長させる。
はぁ、そうだった。こちらも忘れたままでいられればなぁ。彼らが恐れるのは、翠緑王と炎竜だけではなく、侍従長である僕も含まれているのだった。
違和感の源泉は、同盟国の兵の視線。
皆僕を見ているのだ。まぁ、その内の何割かは、そのまま隣に立つカレンに移って、薫風のように澱を吹き払って冴えさせてゆく。
「王様代理の役目の一つは、女性特有の和やかな雰囲気で相手の意気を挫くこと。だから、無遠慮に眺めてくる男たちが居たとしても、睨み返したら駄目だよ」
「心配などいりません。里でも、私の作り笑いは評判が高かったでしょう」
「…………」
ここで余計なことを言って、カレンを動揺させるのは本意ではないので、頷きがてら見澄まして、頭の中で両陣を俯瞰する。
「風吹」部隊の間には、個々の部隊が二部隊を同時に攻撃できないだけの(相手が部隊を分ければ別だが)、射程を考慮した距離を取ってある。
これは、相手もこちらに合わせて、それぞれの「風吹」部隊の正面に布陣してくれることを前提にしていたが。事前の予測通り、同盟国側は協調する様子を見せず、部隊ごとに行動するようだ。
潮目が変わる。と思って、海を見たことがないのに、この言葉を使うのは適切でないような。などと考えている自分の胸に手を当てて、殊の外冷静であることを確認する。
これまでなら危難に際して自身を偽る必要があったが、これは、成長した、と言っていいのだろうか。
いや、違うか。今は、僕一人ではなく、皆がいるから。
今は、そう思っておこう。
「風吹」三部隊に正対して、三国の陣が整う間際を狙って、予定通り指示を出す。
「カレン。交渉の申し入れを……」
「全軍っ! 突ぅ~げぇ~きぃぇっ、ごほっ、ぐほっ」
ーーっ、……あのっ、厄介者めがっっ!!
大声を出し慣れていないのか咳き込む「厄介者」に向かって、危うく罵倒の言葉を投げ付けてしまうところだった。
この時点での交渉の望みは薄いとは思っていたが、まさか試みそれ自体を潰されるとは。予想の範疇ではあるものの、腹の底のもっと下の辺りから怒りが込み上げてくる。
だが、こうなった以上、切り替えなくてはならない。「厄介者」は紛う方なく厄介者だったと、事実を確認できたということで満足しておくとしよう。
右翼のキトゥルナの部隊が、竜のお尻に潰されたギザマルの悲鳴のような「厄介者」の裏返った掛け声に、鬨で応じる。「厄介者」と違い、こちらは竜の咆哮の如き威勢である。
「さぁっ、栄光あるキトゥルナの英雄たちよ! あの可愛い旗を奪い取れぇ~!」
後方の馬上から「厄介者」が兵を鼓舞する。と言いたいところだが、ところどころで笑いを堪えている兵の姿があることから、効果は芳しくないようだ。
……これは何かの戦法なのだろうか。
弓矢などの牽制もなく、「厄介者」を除いたキトゥルナのすべての兵が突撃してくる。常道を排したこの遣り口も、彼の仕業なのだろうか。
見ると、クラバリッタとサーミスールは静観の構え。「厄介者」がこちらの手の内を曝け出すように動いてくれるのだから、それまで両部隊が傍観するのは必定。
「クラバリッタとサーミスールは、性急に動くことはないだろうから、一旦左翼に行ってくる」
「そうね。『智将』は弓兵でこちらを試すような……っ、ふふっ、うふふふふっ」
カレンが突如上品に笑い始めるが、戦いの空気に呑まれておかしくなったわけではない。
如何にも上級貴族といった風袋の初老の男性ーーダグバース卿。将としての精悍さと洗練された振る舞いを併せ持つ「智将」が、王様代理に向かってにこやかに手を振ってくる。
心を竜にして、カレンは極上の笑顔を「智将」とクラバリッタ兵に撒き散らす。
あ~、何も聞こえない何も聞こえない。カレンに魅了された兵の賞賛と、双子の反発は聞こえなかったことにして、居回りに焦燥が伝わらないくらいの駆け足で、後方に下がる。
「準備しておいたよ」
「ありがとうございます、老師。あとはよろしくお願いします」
「よろしくされても困るのだけれどね」
「里長からカレンを任されているんでしょう。ちゃんと働いてくださらないと、弟子だけでなく多方面からお叱りが来るかもしれませんよ」
老師が察して用意してくれていた汗馬に乗って、彼の反駁を振り切るように走り出す。
キトゥルナに対して、「風吹」の有効範囲ぎりぎりのところで、エンさんは「風吹」部隊に放出を命じる。
先手で突撃してきた騎馬の足が鈍って、再度の放出で騎馬が引き返してゆく。
相手に衝撃を与えるのが目的なら、まだ威力が割れていない「風吹」を、引き付けてから放つべきであるが、今回は両陣営に犠牲者を出さず、同盟国に退いてもらうことが本旨となる。
クーさんやカレンと違い、ディスニアたちの捕縛に向かったエンさんは、戦術水準での打ち合わせや摺り合わせをしていないのだが、斯様に適切に対応してくれるので助かる。
まぁ、逆にああしろこうしろとエンさんを縛り付けると暴走してしまう危険があるので、彼には自由に振る舞ってもらうのが最適だと学習している。
騎馬は無駄だと悟って、キトゥルナの全兵が徒歩である。ここからは、「風吹」部隊の前衛を任されているフィヨルさんの出番である。
弓矢などの攻撃はないと判断して、僕は部隊の後方から中央の間を前衛まで走らせて、中衛に遊牧民が居たので馬を預ける。
途中、レイの玩具になっていたシーソが両頬を抓られながら無表情で僕に手を振っていたので、もう少し手加減してあげてね、と愛娘に苦笑を向けておいたが、効果の程は期待できない。
「一列目、右。足を掬ってあげなさい。二列目、頭を抑えて、中央を這い蹲らせなさい」
躊躇逡巡とは無縁の、果断な指示。
隙を見せて、兵を呼び込んでから吹き飛ばしたり、密集しようと試みる相手の邪魔をしたりするなど、いつもは冷静で物静かな印象があるフィヨルさんだが、あに図らんやその指示は過激で粘着質で、遠慮がない。
中衛後衛を担当しているザーツネルさんが、手持ち無沙汰を紛らわせようと話し掛けてくる。
「昔、性格が悪かった頃は『からりとした陰湿者』とか呼ばれてたこともあったな。黄金の秤を率いてからは、何やら一念発起したみたいで影を潜めてたんだが、再発したかな」
フィヨルさんの活躍を二人で観戦していると、キトゥルナの用兵に疑義を抱いたのか、ザーツネルさんが尋ねてくる。
「あいつ等、何で馬鹿正直に正面から突っ込んでくるんだろうな」
「たぶん、『厄介者』は正面から戦うことこそ王者の戦法、とか思っているんでしょうね。迂回とか挟撃とか要撃とか、あと奇策を用いるのは、卑怯者のやることだと勘違いしているんでしょう」
こちらとしては有り難いのだが、左右からの分散攻撃などの対抗策を練っていた僕たちとしては、歯噛み、とまではいかないまでも、何というか、もやもやする。
そんな僕の不満そうな顔を見て、エンさんがかんらかんらと笑う。
「はっはっはっ、こぞー、辛辣だなぁ。何だ、羨ましーんか?」
「……どこをどう聞いたら、そう思えるんですか」
「はっはっはー、俺ぁ羨ましーぞ。あんな後ろん踏ん反り返ってーんに、他ん奴らぁ全員突撃突撃突撃ぃーだぞ。俺なんか、さぼったら誰ん付いてきやしねぇってんに」
「『厄介者』の場合は、父王である『堅硬』の威光が大きいですね。兵としては、キトゥルナ王が溺愛している、出来れば自分たちも期待したい、いずれ現キトゥルナ王のようになってくれるーーそんな複雑な心情から従っているんじゃないかと」
見ると、中央のクラバリッタ、左翼のサーミスール、共に「風吹」部隊の把握が済んだようで、攻撃を開始していた。
「こちらはエンさんに任せます。あと一つ、お願いがあります。僕が中央に戻る際、竜の国の侍従長であることがわかるよう名前を呼ぶなりして同盟国に認識させてください」
「ん? ようわからんが、ようわかった」
「あとは、エンさんの好きに、遣りたいように遣ってください」
「おうっ、んじゃあ、さっさく遣っとすっかねぇ」
あとはザーツネルさんが、エンさんとフィヨルさんの手綱を上手く握ってくれるだろう。
馬に跨がると同時に、部隊の最前でエンさんが張りのある馬鹿でかい声で呼び掛ける。
「くぉ~らぁ~、そこん後ろん、う~ら~な~り~!!」
「むむっ、うらなりとは、若しや余のことか!? 貴殿は『火焔』などと称せられているようだが、別に羨ましくなどないのだからなっ!」
「んなこたぁ知らん! だいてぇおめぇーずりぃーぞ。何もしてねぇんに周りから助けてもらいやがって! 俺なんてなぁ、さぼってたら誰んついてきやしねぇぞ! だいたいなぁ、なぁーんで俺ん一番働かなきゃなんねぇーんだー!!」
「むゅむっ?!」
エンさんの魂の叫びが木霊して、奇妙な声を上げた「厄介者」と、キトゥルナの兵だけでなく、同盟国すべての兵の動きを一時停止させた。
これは慮外、時間短縮の為に前衛部隊の前を駆け抜けてしまおう。
「だいてぇあれだ、あのこぞー!!」
「侍従長~、侍従長が戻られるぞ~!」
びしっと僕に指を突き付けたらしいエンさんと、彼の手落ちを補完して、僕の役職を連呼してくれるザーツネルさんの声が後ろから聞こえてくる。
「こぞーんひでぇぞ! こぞー休んだくせん、こん国造ってんときから俺にゃ休みなんて一日もねぇ。それんだ、『お前が担当してんとこが一番忙しいんだ、馬車馬みたいに働きやがれ』なんて血ん涙んねぇ、全竜が泣いた! ってくれぇだ、俺んさぼらせろーー!!」
エンさんの特大爆発。
……そういえば、エンさんには休みを上げていなかったかもしれない。王様と宰相には、適度に休日を用意しておいたのだが、両団長のことは失念していた。
まぁ、老師のほうは適当にさぼって、もとい休んでたんだろうけど。意外に、やるべきことは熱心にやる好漢は、妹たちと竜の民の為に身を粉にしてくれていたらしい。
エンさんの大音声は、対角線上のサーミスールまで届いたらしく、両陣地の一万二千個くらいの目ん玉が、冷血どころか無血涙侍従長に突き刺さってくる。
だが、突き刺さるべく迫ってきたものはそれだけではなかった。
「放てっ!」
中央、クラバリッタからの一斉射撃。
手を振り下ろした格好の「智将」と。
僕に向かって放物線を描いてくる数百の矢を追って、空に視線を遣れば、実際の脅威よりも空々しく感じる、それでいて、まるで悪意ある空間そのものが迫ってくるような、光を反射しながら、線を引いてーー、初めて見る、感じる光景が、視界を埋める。
矢は、矢である。本来の意味など、それ以外にはない。ただ、それが人を殺めることを目的として射られたのだということが、命じられたということが、与えられた役割通りに機能しているということが、一瞬、僕の魂を凍えさせようとするが。
脳裏を過ぎった、スナとの、温かかった情景が僕を緩めて。
矢が、見上げそうになった中空より遥かに下の、最高点に達したところで。
僕は、ばっと勢いよく左の掌を突き出す。
きぃぃん。
束の間、戦場に氷の華が咲く。
純粋過ぎる巨大な氷柱が割れるような音がして、すべての矢が破砕される。
矢の残骸がきらきらと、氷の粒子に紛れて舞い散ってゆく。
「あれはっ、竜人掌! いや、違うぞ、あれこそはっ、氷華竜人波!! ひぃっ……っ!?」
邪竜侍従長の眼差しで睨んであげたら、中央後方待機の妄言竜撃隊長は、頭隠して角隠さず。
微妙に隠れ切れていないギルースさんのことは、あとで筆頭竜官に告げ口である。
然ても、驚いた。
この馬は誰が用意したのだろう。遊牧民の長老か、老師の見立てなのか。ここまで乗ってきたが、竜馬と呼ぶべき優れた速さに乗り心地。
先程のエンさんの大声にも泰然とし、矢に怯えることもなかった。何より、僕を怖がっていない。基本、動物に怯えられるか嫌われかするので、僕からすると天佑と言うべき贈り物だ。
この竜馬なら大丈夫だろう。というか、僕のほうが我慢できなくなってきたので、
「よしよし」
首筋を撫でる。
この程度のこと、造作もない(訳、ランル・リシェ)。と応じると、素早く実行してくれる。軽速歩で手綱を放して、「智将」にシーソを参考にした無表情を向ける。
周囲の騎士たちがダグバース卿を護ろうと、彼の前に立ちはだかろうとして、腕の一振りで部下の掣肘を払う。
大した人だ。僕(が頼んでおいたスナ)が矢を滅した様は見ていただろうに、静かな、見定めるような眼差しを返してくる。彼は「智将」と呼ばれているが胆力も相当なものだ。
「シア様。この竜馬をしばしお願いします」
「……はい」
もう一度撫でてから、「氷華竜人波」をーーではなく、「氷絶」を目撃して若干引き気味のシアに預ける。
戦況は見えていたので、大凡は把握している。
短く尋ねる。
「カレン。どう?」
「一度、防ぎ損ねたわ。矢が三本、軽傷一と、肩を射抜かれた方が治癒魔法を施されています」
「……大丈夫?」
「竜の民の命が私の双肩に掛かっているのです。この程度のことで冷静さを失っ、四、五列、三、四! 六、七列、二、三! ギッタ!」
話の途中で、カレンの指示が飛ぶ。
クラバリッタから飛来する矢を細分された「風吹」部隊が吹き飛ばして、ギッタの合図で追撃の矢を三列目が吹き払う。
そして、間を置くことなく、数本の矢が飛んでくる。そう、たった数本の矢が飛んでくるだけなのだ。
だが、たとえ数本であろうと、見過ごすことなど出来ない中央「風吹」部隊は、律儀に対応しているのだった。その都度、本数や軌道、方向を変えてくるので、カレンは手を焼く、というより、神経のほうが先に焼き切れてしまいそうで心配になる。
涼しい容貌とは裏腹に、好戦的な面があるので、何か手を打っておく必要があるかもしれない。
ダグバース卿がにこにこふりふり、カレンがにこにこにこふりふりふり、クラバリッタの半分、六百程の兵がにこふり。
こちらとしては都合が良いが、何だかなぁ。
「くぉ~、カレン様の笑顔はお前たちにはやらんわ~!」
「くぃ~、貴様ら~、地面に顔を擦り付けて歓喜の涙を流せ~! とギッタが言ってます」
三百人くらいが、スーラカイアの双子に手を振り返す。
ちょっと多くないか?
幼い女の子に罵倒されて喜……げふんっげふんっ、いや、娘や孫を可愛がるとかそんな感じの人たちなのだろう。
すると、残りの四百はーー、と考えて、妙な恐怖を覚えたので速攻で世界の果てまで投げ捨てた。
それと、サンがカレンの名を思いっ切り叫んでいたが、クラバリッタの兵たちは、彼女が翠緑王かどうかには余り興味はないようだ。どちらかと言うと、名を知られてしまった王様代理の、少女の心持ちのほうが心配だ。
見ると、左翼でエンさんが単独で特攻を仕掛けていた。
魔法剣ではなく、強烈な「風吹」の風で吹き飛ばしている。「風吹」の使い過ぎだろうか、或いは「風吹」の制御が出来ていないのか、逆流した風は軋んで牙を剥き、体を傷だらけにしながらも、尚前進を止めない。
風は豪放な男の血を孕んで、血風となってキトゥルナの兵を襲う。
「その意気や見事なり! 余の剣で倒される栄誉を噛み締めながら逝くがよい!!」
「厄介者」が怪気炎を上げるが、周囲の騎士たちがこぞって止めに入ってくる。
エンさんは構わず進撃を続けて、両者の距離が縮まってゆく。
成り行きを見守るだけの時間は僕にはない。エンさんなら何とかしてくれると信じて、クラバリッタに視線を転じる。
「勝たなくとも良い。でも、僕たちが失態を犯せば、その限りではない。というところかな。『奴らと戦うなんて、考えただけでぶるっちまう』と会議で言っていたけど、精兵があのまま最後まで動かないでいてくれると助かるんだけどね」
カレンは、指示の合間に僕を一瞥する。他にも、もっと何かを言って欲しそうな顔だ。
「もし、駄目そうになったら、一旦下がって。相手が向かってきたら、戻って吹き飛ばす。クラバリッタは中央に陣取っているからね、前後の駆け引きくらいならしてもいいよ」
言葉の選択を間違えたのだろうか、ご機嫌斜めの王様代理。
「えっと、はい、これ。何でも、は無理だけど、大抵のことなら、ね」
故郷を離れるときに三つ持ってきた内の二つ目を渡す。
反射的に受け取ったカレンは、小さな木片ーー誓いの木を見て。僕を凝視して、こくこく頷いた。って、爛々と輝く黒曜の瞳が、何だか凄く怖いんですけど。
僕を苛める為の許可証を得たのが、そんなに嬉しかったのだろうか。
うぐっ、胃の中に釘が迷い込んだような痛みを発するが、きっと気の所為に違いない。理由は不明だが、気力を回復させたらしいカレンからそそくさと離れる。
「右翼へ行ったら、サキナに連絡させるので、老師の許で待機をお願いします」
シアに告げてから竜馬に跨がる。老師の姿がない、が言い直す時間も惜しい。
少年が真剣な顔で頷くのを見てから。
一番の激戦区に、サーミスールに対する右翼の「風吹」部隊に向かって走らせる。
雨霰と飛び来る矢を避ける為、部隊の後方、交代要員の待機する場所まで大回りする。彼らに竜馬を預けて、居回りを気遣っている余裕などない、全力に近い速度で駆けてゆく。
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