竜の国の魔法使い

風結

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七章 侍従長と魔法使い

いざ 戦場へ

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 夢の続きだと思いたかった。

 空にある湖に落ちてゆく。地面には、逆さの氷竜。

 薄靄に揺蕩たゆたうなだらかな光に照らされた威容は、炎竜に勝るとも劣らない、どっぼーん……。

 実際には、ばっしゃーん、という感じだったのだろうか。頭から落っこちた、早朝の竜の湖は、遊泳に向いていない冷たさである。

 先ずは慌てない。水面がどこかわからかったので、力を抜いて居回りの確認をしていると、ぷかりと顔が空気に触れた。そのまま顔を出して、仰向けの体勢でのんびりと手足で水を掻く。

 寝巻きで、靴は履いていない。里は水が豊富で、泳ぎも一応習得済みなので、溺れることはないのだけど。

「……どうやって、あんなとこに落っこちやがったんだ」

 見上げると、サーイが居た。彼だけでなく、二十人くらいが不審者まっしぐらな僕に注目している。

 思ったよりも静かだった。「風吹」部隊は、陣を敷く為にすでに出発したようだ。ぽつりぽつりと寝具を回収しに来ている竜の民の姿が見受けられる。

 転落防止用の柵に掴まって、固定するようにしながら腕の力だけで登ってゆく。

 体を持ち上げたまま、腕の外側で、柵の棒を押すようにするのが骨だ。

「あら、リシェ。湖で目を覚まそうとするなんて、気が利いてますわね。ほら、着替えを持ってきてますわ。早く上がってくるのですわ」

 レイがころころと笑う。

 氷の淑女の登場に、サーイを始め、朝っぱらから男連中の情けない顔を拝む破目になる。そして、毎度の嫉妬の嵐。

 ああ、うん、何となく、いや、そこそこ覚えている、かな。

 氷竜の意趣返しなのだろう。僕の安眠の為に、愛娘を利用させてもらったのだから、湖に落とされるくらいのことは甘んじて受け容れよう。

 見ると、仮設の指揮所だろうか、あれを使わせてもらうとするかな。

「着替えに利用させてもらっても問題ありませんか?」
「…………」
「商人に竜札を渡したのは、良い判断でしたよ」
「……誰もいねえから、使ってもいいんじゃねえか」

 了承を得たので、中に入って出入り口の留め紐を解いて、布を下ろす。

「着替えさせてくれたんだね」

 それが世界の理である、とばかりに、一緒に付いてきたスナに尋ねる。

 侍従長用の制服を着たまま寝てしまったが、その服はきちんと折り畳まれて、スナの腕の中にある。

「心配はいらないのですわ。父様のは、じっくりことことねっとりさらさら、隅々までひゃっこくしてあげたのですわ」
「服は『浄化』してくれたんだね、ありがとう」

 ここは平常心。寝巻きの中は何もいてなかったが、心を乱してはスナの思う壺である。

 スナは、樹液を入れた水をーー最近では「竜水」と呼ばれているそうだがーー寝起きの僕の為に用意してくれる。

 スナが顔を逸らしている間に、さっさと着替えてーー。

 くるりくる~り。と素早く半回転したスナは、じっくり僕のものを眺めて、ゆっくりと半回転して元に戻ったのだった。

 ……うん、もういいや、のんびり着替えよう。

「人間の戦いは、相も変わらず、ややこしいですわね」

 コップを受け取って、一気に飲みやる。然く喉が渇いているのは緊張の所為だ、などと思いたくはないが、事実は事実として受け止めねばなるまい。

「うん、そうだね。結局、同盟国が攻めてきた理由の本当のところはわからず終いだったし。彼らも、僕たちが戦う本当の理由はわからないのかもしれないね」

 ……ふぅ、またか。

 言葉が硬くなりかけている。軽く頭を振って、体と心の強張りを解そうと試みる。然てまたスナが竜水を容器から注いでくれる。容器を卓に置くと、とことこと僕の周囲を回る。

「ここは態と服を乱れさせて、娘に直してもらう場面ですわ。まったく、いけずな父様ですわ」
「布陣は順調なのかな?」
「私たちが着く頃には完竜してますわ。同盟国とやらは、行軍速度も変えていませんし、父様の想定通りになりそうですわ」
「聞くのは怖いけど、ーー竜はいるかな?」
「娘をたんと可愛がるのですわ」

 愛娘のご要望通り、抱え上げて、人に見られたら言い訳できないくらい、ぎゅっとする。

 もう喉は渇いていない。氷竜の優しさで潤っているから。

 情けない父親でごめんなさい。

「活動中の竜はいないのですわ。父様は考え過ぎですわ。あの男ーー伯父の存在に囚われ過ぎていますわ。まったく、父様は娘を嫉妬させて、どうするつもりですわ」

 伯父? って、ああ、兄さんのことか。

 スナの言いたいことはわかる。身の丈に合った範囲で物を考えろ、ということだろう。

 兄さんに触発されて、更に高く、手を伸ばそうとしている。でも、今の僕では、届く場所は限られているのだ。考えたところで答えが出ないのなら、一旦捨ててしまえばいい。

「えっと、何をしているのかな?」
「出発は、派手なほうが縁起が良いのですわ」

 僕の後ろに回って、肩車するように頭を股の間にぐいっと突っ込んでくる。

「ひぃぎっ!」

 スナの竜頭に叩き付けられそうになるのを、歯を食い縛って耐える。

 眼下で仮設の指揮所が、スナの羽ばたきの颶風ぐふうで撒き散らされている。

 見上げれば、もう空はそこにあって。見下ろせば、竜の湖が掌で隠せてしまう。

 僕はスナの角まで歩いていって、再び竜の景色に心を奪われる。

 あれは、氷の粒なのだろうか。いや、冷気かな。羽ばたく度に、光に囁く綿毛のような氷の粒子を風の名残に散らしている。

「あら、見なくても良いのですわ?」

 スナの頭の上で、うつ伏せになって額を付ける。

「うん。こんなにも綺麗なものを見ていると、瑣末さまつな地上の出来事に、現実に、還ってこれないような気がしてね。スナを感じていようと思うんだ。難点は、こうしてスナを抱き締めているようで、実際には、ただ引っ付いているだけでしかないということかな」

 目を閉じて、懐かしさに触れると、音が響いた。

 これはスナの情景おと

 スナを形作る、すべてのもの。

「ひゃふ、擽ったいですわ」
「僕も擽ったいから、おあいこだね」

 ぶふー、と盛大なスナの鼻息の音が聞こえてくるのだった。
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