竜の国の魔法使い

風結

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七章 侍従長と魔法使い

氷の美女 炎竜の柔らかな感触

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 シャレンが母親から離れて、老師の許に向かうと、成り行きを見守っていた百竜が、すたすたと歩いてゆく。

 向かう先は、呪術師。

 「千竜賛歌」の後から、呆けた顔で微動だにしなかったエルタスは、百竜に睥睨へいげいされてうっとりとした顔をすると、頭を下げて両手を前に出して、地に手の甲をつけた。って、何でこの呪術師は、初恋を自覚した少年のような甘酸っぱさを醸しているのか。

 まぁ、竜にも角にも、彼の行為が示すものは、完全服従。命をも差し出す覚悟がある、ということだが、これは謝罪というより、忠誠を誓っているように見えなくもない。

「そなたは、我が友に二度助けられたが、自覚はあるか」
「ぁうよぉわぅ、あれで、あの『千竜賛歌』というもので治癒していただけたこと、ことならばわかっているであります」

 エルタスは、百竜の問いにきょどりながら即答するが、その姿が卑屈で痛々しい所為なのか、炎竜の勘気を被る。

 百竜は無言で、エルタスの頭を、ふみっ、とする。

「あ、あぅあ、百竜様っ」
「何ぞ?」
「そ、そのでなのですが、その柔らかなおみ足で、もっと強く踏んでいただけないかと愚考したしだっ……」
「少う黙っておれ」
「っ、ありがとうございますのであります?!」

 ああ、なんかもう、見たくないなぁ。

 百竜に強く、ふみふみっ、とされて、地面と接吻したエルタスがとっても嬉しそうで、って、そこのデアさん、何を羨ましそうな顔をしているんですか。

 竜の民の皆さんも呪術師の痴態に辟易へきえき……ん? いや、幾人かがデアさんと同じ様な顔をしているんだけど、あ~、止めよう、人の趣味や嗜好をとやかく言うものではない。

 僕だって、百竜のやわらかいところ……ごふんっごふんっ、何でもありません。

「そなたはコップの中の水のようなもの。竜の湖が竜の……ふむ、譬えが良くないか。そなたは、大樹の細き根っ子のようなもの。大樹が揺れねば、根っ子が大樹に影響を及ぼすこともできよう。然るに、所詮木っ端に過ぎぬ故、細き根っ子だけで大樹は支えられぬ。勘違いしよう根っ子は、憐れに弾け飛ぶであろうよ。それ故、我が友は疾くそなたを物理的に、魔法的にみーより引き剥がし、事なきを得た。そなたは我が友に恩義があろう」

 コウさんの魔力解放には、斯かる企図があったのか。

 あの傍迷惑な行為は、みーを助けることを優先した王様の短慮からきたもので、もっと上手くやる方法はあっただろうに。と先にそんなことを考えた僕を許してください。

「はっ! 百竜様の下知げちに、この身を捧げる所存であります!」
「……斯様でも良いわ。主は、そなたに魔法使いとして注力することを望んでおる。一切怠らず、一切背かず、務めよ。我の機嫌を損なってくれるな」
「炎竜様の炎に誓って焦げても燃えてみせますっ!」

 用は済んだと、或いはもう見るのも嫌になったのか、百竜がこちらに顔を向けたので、

「えっと、百竜は大丈夫?」

 曖昧な、気遣いの言葉を発してみる。

「ふむ。主の期待に応えたくはあるが、みーは魔力の水簾すいれんにて盛大に竜の都によった。然して我も、我が友に持ってゆかれてすっからかん。幾日か静養を欲するところ」

 やましい、ということではないが、言外の願いをあっさりと看破されて、気不味い、というか、恥ずかしい、というか。

 スナのときもそうだったが、自分の浅知恵の程を思い知らされる。

 斯くて、治癒術士の三人目を期待したのだが、ぺよんっと竜の尻尾にすげなくあしらわれる。いや、違う違う、僕が勝手に期待しただけなんだから、竜の尻尾は好い尻尾。

「ふふっ、ではわたくしが手伝いをして差し上げるのですわ」

 ……ですわ?

  あー、う~ん、何というか、聞き覚えのある、というより、もう一度聞きたかった、涼しげな声が響いて。

 僕とエンさんで、やっとこじ開けた人集りが、ものの見事に裂けてゆく。

 竜の民が空けた花道を、凱旋がいせんした英雄のような威風で歩いてくるのは、誰あろうスナだった。

 愛娘の姿を見た瞬間、体の中に湧き上がってくるものに身を委ねそうになったが、同時に感じた違和感のほうに無理やり意識を向ける。

 竜の民の視線が、明らかに僕とは違う位置に向けられている。彼らの視線は概ね、もっと上の二箇所に。成人女性で言うなら、顔と胸に注がれているようだ。

 そして、男性陣のだらしない顔に、女性陣の羨望の溜め息と、悔しげな嫉妬混じりの視線。

 ……どうやら、絶世の美女が現れたようだ。

 お負けに、胸元が大胆な衣装を着ているのだろう。「幻影」かと思ったが、美女に触れたらしい男の反応や振り撒かれる匂いへの反応などから、「幻影」よりも高度な魔法が使われていると推測する。

「初めまして、私はリシェ家の者で、レイと申しますわ。お見知りおきを」

 スカートの裾を持って、優雅に挨拶をする。

 ……ますわ?

 ……これは、高貴な人間の話し方を真似ているのだろうか。

 ん~、多少方向性を間違っているような気がしないでもないが、まぁ、それが何であれ様になってしまうのは、スナの周期の功……げふんっげふんっ、いや、スナが周期のことで怒るほど狭量ではないと思うが、僕の娘であることだし、余計なことを考えるのは控えておこう。

「いいのかい、レイ? 出てきてしまっても」
「ふふっ、身内が困っているのですもの、リシェの心に寄り添うくらいのことはしてあげますわ」

 可愛いスナ、改め、淑女のレイ。ということで、レイの思惑なのか遊戯なのか、申し出自体はとてもありがたいので、乗らせてもらう。

「リシェの為ですもの、私が三人目の治癒術士として、力を貸してあげるのですわ」

 僕たちの会話を解せなかった人々が、レイの明瞭な承諾に沸き立つ。

 百竜に続いてレイとあって、僕への嫉妬もいや増しているわけなのだが。ああ、これが氷竜の試練あいじょうなのだろうか。僕の愛娘は、ちゃんと可愛がってあげないと、拗ねてしまうのかもしれない。

「……ふぅ」

 これで一段落かな、と思ったら甘かったようだ。

「エン様!」
「……何だ?」
「あたしは、シャレン・ザグレイアです」
「そりゃ、さっき聞いたな」
「名前で呼んでください!」
「……や、そのな、なんちゅうか願掛けみたいなもんでな、嫁んなる奴以外呼ばねぇよーにしてんだ、おちび」
「わかりました! 今は、おちび、でいいです。でもいつか絶対あたしの名前を呼ばせてみせますっ!」
「……ぅぐ」

 魔力解放の熱が回って、興奮冷めやらぬ所為なのか、シャレンは公衆の面前で大胆な告白をする。

 エンさんが気迫に圧されて、たじたじである。

 先程の仕返しだろうか、にしし、と彼の行状を揶揄するように笑った老師は、向き直ってダニステイルの纏め役に尋ねた。

「竜地の、暗黒竜の練魔場の使用許可をいただけるでしょうか」
「ーー構いません。私も竜の民、魔法を求める者に、門戸を開きましょう」

 表情には出さなかったが、わずかな遅滞から纏め役の心の内が垣間見える。

 老師の言葉には、言葉の意味以上の何かがあったのだろうが、魔法に疎い僕にはわからない。

 コウさんからダニステイルについて大まかな説明をしてもらったが、今は下手なことは言わないほうがいいようだ。

 老師は、纏め役に一礼すると、無造作に抱えられてあたふたするシャレンを気遣うことなく、暗黒竜の方角に「飛翔」で飛んでいった。

「はぁ、あとで怒られんなぁ」

 よくわからないことをエンさんが呟くと、ふらりと百竜の体が揺れて。

 エンさんが受け止めようとして、くるりと回った百竜が彼のお腹の辺りに手をついて、そのまま後ろに跳んだ。

 その先には僕が居て、百竜の背中がふわりと僕との境界線を失わせる。

「すまんな、エン。今はこちらのほうが良い」
「おう、りゅー、気んすんな」

 眠たそうな百竜に、気軽に応えるエンさん。

 触り心地はみーと同じで、いや、そんなことは当たり前……、いや、当たり前ということもないのかな。ああ、いや、百竜の突然の行動にどぎまぎして、ちょっと頭が茹だっているかもしれないが。

 どうしたものかと戸惑っていると、百竜の顔が動いて。視線を絡めたスナレイと百竜は、ただ見詰め合ったまま、何事もなく両竜が同時に興味を失う。

 そして、投げ遣りな感じでカレンを一瞥すると、「浮遊」だろうか、すうっと浮き上がって僕と顔の高さを合わせて。

「主よ、我をはらませよ」
「……は?」

 言葉の意味が頭に浸透したときには、左頬に柔らかな感触がーー。

「くははっ、斯様な冗談をる程度には、主を気に入っておる」

 名残惜しそうに反対の頬を撫ぜると、百竜は地に降りて、僕の胸に倒れる。

「……悪くない。我が眠るまで…抱き締めておれ……。これ…は……命令だ……」

 命令を果たす間も与えられず、百竜の寝息が聞こえてくる。

 カレンが凄い目で睨んでいるし、スナは氷点下の冷たい眼差しだし、慙愧ざんきに堪えないことだが百竜との約束は完全無欠に反故としないといけないようだ。

「先に部屋に帰るのですわ。リシェ、あまり待たせると、お仕置きしますわよ」

 こちらはこちらで、誘爆しそうな秋波しゅうはを送ってくると、竜の民の視線を釘付けにしながら悠々と去ってゆく。

 予想通り、またぞろ皆さんが侍従長苛めを開始する。

「くぅ、また侍従長かよ!?」
「人の敵、竜の敵め!」
「焼かれろぉ!」
「だ、大丈夫だ、レイさんは身内らしいし、まだ好機が」
「これはきっと世界のほうが間違っているのだ!」

 ああ、もう、どうしたものやら。まぁ、やることは決まっているので、ひとつひとつ片付けていくとしよう。

 先ずは、目覚めたらみーに戻っているだろう百竜なみーえんりゅうを、起こさないようゆっくりと抱えて、デアさんの許まで歩いてゆく。

「デアさん、これを。これがあれば『結界』を越えられます。北の洞窟にみー様を寝かせたら、起きるまで護衛をお願いします。風竜で食料や必要なものを揃えて向かって下さい」

 僕はみーをデアさんに託して、居回りから見えないように竜の雫を彼の目の前に持ってゆく。そして彼のポケットに滑り込ませて、……去ろうとしたが、一応忠告しておく。

「早期の回復を願っての祈りで、手を握ることは許しますが、それ以外の場所を触ってはいけませんよ?」
「ふっ、不埒者な不届き者のふしだら不審者の不全侍従長め! わっ、わ、我の信仰を、軟弱侍従長の脆弱精神と比較すること、如何にもけしからん!」

 ここまで否定されると逆に怪しく見えてしまうのだが、信仰心を拗らせたデアさんなら、こんなものだろう。

 竜が眠っている間はその属性の発露がある、というようなことをコウさんは言っていたが、彼女が施した対策は今も機能しているようだ。

「ちょーと待てぇ、こっちこーい」
「あ、あの、侍従長に……」

 伝令だろうか、僕を見咎めて走って来ようとした若い警備兵が、横からエンさんに掻っ攫われる。

 程なくしてエンさんに丸め込まれたのか、報告を終えた警備兵が去ってゆく。

「おーい、おっちゃーん」
「エン殿、何か?」
「おっちゃんとこん竜騎士、竜の首辺りん今すぐ集められっか?」
「エルネアの剣隊を? 至急ということなら、半分くらいは」

 オルエルさんと密談、というには大きな声なので、内容の骨子以外は大凡の判断がつく。

「てーわけだ、こぞー。こっちゃーこっちでやっとくから、こっちゃー気んすんな。夜くれぇにゃ戻ってくん」
「了解しました。そちらのことは、すべてお任せします」

 何のことやらさっぱりだが、エンさんが遣ると言ったからには、遣ってくれるのだろう。

 エルネアの剣隊を半分持っていかれるのは辛いが、こういうときのエンさんの勘は、過去の経験上、捨て置くには危険の度合いが高過ぎる。

 勘、というより、直感の類いか。直感というのは、拾い上げることが出来ない情報を繋ぎ合わせたもの。

 エンさんの嗅覚が鋭いのは実証済みである。

 さて、あとはザーツネルさんに呪術師のことを頼んで、バーナスさんに南の竜道に向かったサーイのことを伝えて、……翠緑宮に戻りながらカレンに小言(?)を、フラン姉妹に侮言とか憎まれ口とかを叩かれて。

 ……はぁ、疲れたなぁ。

 雨が降らなければいいけど。手の湿り気を確認する。

 一度だけ、遠くのどんよりとした曇り空に嘆息してから、僕は行動に取り掛かるのだった。
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