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六章 世界と魔法使い
治癒魔法と疫病
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「怪我人の有無を確認。重傷者がいたら、優先して治癒魔法を施します。竜騎士と近衛隊は、引き続き竜の民の沈静化をお願いします」
オルエルさんと長老たちに任せて、僕とコウさんは、みーの許へ急ぎ足で向かう。すると、居回りに無数の「窓」が現れた。
どうやら、「遠観」で今回の一件を説明するらしい。
「私が魔法を解法するより、魔法そのものを取り払ったほうが、みーちゃんに後遺症が出ることはないのです。みーちゃんに触れてあげてなのです」
コウさんは、みーの鼻先まで寄って、みーの状態に問題がないことが確認できたのか、一旦離れて「窓」に向き直る。
みーは、先程からずっと怯えたまま、抵抗する素振りを見せることはない。
術者が居らず、待て、或いはお預け、の状態なのか、逃げることも出来ず、畢竟、無抵抗な小動物のようなのだが。
いや、そんなことはどうでもいい。今は、みーを呪術師の束縛から一刻も早く解放してやらないと。
ああ、でも、そのですね、竜の牙って鋭くて、ばくりっ、と食べられてしまいそうで。
挨拶回りのときに、もう経験しているではないか、などと言うなかれ。あのときとは状況が……くっ、みーの炎眼がぎょろ、って、その、根性無しとか言わないでくださいね。巨大な生き物を前にしたときの、根源的な恐怖というのは、克服するのは難しいんですから。
「竜の民の皆さん、こんにちは。お久し振りです、竜の国の王様を務めさせて頂いているコウ・ファウ・フィアなのです。この度は、呪術師によって、みーちゃんが操られてしまう、という事態が発生しましたが、我が国の侍従長が問題を解決したので、みーちゃんは魔法による後遺症が出ることもなく回復したのです」
コウさんの説明を聞きながら、みーの顔の横に回って、竜のほっぺ辺りに、ぽんっと手を当てる。
いつもなら蟠った光の群れが圧縮されるように「人化」するのだが、呪術師の呪術を無効化したからなのか、光群が渦巻くように一点に集まって繭形になる。
二度、三度と脈動すると、みーを包み込んだ光繭が散華して、粒子は空へと昇ってゆく。
まるで、生命の誕生のような厳粛で神秘的な光景に、大広場や「窓」の竜の民が釘付けとなる。
本来なら、竜の民よろしく僕も見蕩れていたいところなのだが、王様の所為で侍従長の心は穏やかならざる思い……って、いやいやいやいや、そうではなくて、穏やかならぬものが、悪戯っ子なみー、みたいに暴れ回っています。
……ふぅ、さて、コウさん。今、しれっと何を言いましたか?
まるで今回の事件を僕が解決したような物言いじゃないですか。それに、みーに掛けられた呪術を無効化したとき、「窓」は僕の姿を映していた。
「窓」を通して、これら一連の動向を観た竜の民は、勘違いすること請け合いである。
竜を屈服させたのは侍従長で、王様ではありませんよ。怖いのは侍従長で、王様は怖くないんですよ(王様の内心の代弁者、ランル・リシェ)。と印象操作を企んだようだ。
ぐぅ、王様のくせして、なんと狡辛くてみみっちぃ。おうさまをやる、と言った女の子の、高潔な魂はどこへやってしまったんですか。
それと、コウさんは気付いていないようだけど、彼女が大広場でみーを沈静化させたのを見ていた人からすれば、僕が功績を横取りしたような格好になっている。
はぁ、よりどぎつい二つ名とか付かなければいいんだけど。
じろりんちょ、と頑是無い魔法使いに視線をやると、にこりんちょ、と翠緑王が防御。
どうやら、純粋無垢だった女の子は、もういなくなってしまった……いや、出逢った当初から、純粋でも無垢でもなく、兄と姉に甘やかされて自侭に振る舞っていたような。
「よっと」
エンさんが飛び上がって、光繭から解き放たれたみーを抱き留めると、見事に着地。明らかな重傷にも係わらず、彼は普段と変わらない軽快さでコウさんの許まで駆けてくる。
「眠ってんよーに見えっけど、ちび助、ちみっ子んなんか問題あっか?」
「魔力を消耗して、眠ってるだけなの。対策をせずに巨大化したから、魔力がだだ漏れになってたの。回復を早める為には、一度北の洞窟にーー」
コウさんは言葉を切って、走り寄ってきたフィヨルさんから報告を受ける。
「みー様が回転された際の礫にて、頭部負傷と腕を骨折したと思しき少年が一人、団長に巻き込まれて捻挫した男性が一人、あとは軽傷が十人程。それと……、重傷が二名です」
フィヨルさんは、エンさんとクーさんを複雑な感情を宿した眼差しで見詰める。宰相と竜騎士団団長が、重傷の身で平然と場を取り仕切っているのが、常識人である彼には受け容れ難いようだ。
魔力で応急処置のようなことをしているのだろうが、確かに違和感のある光景である。コウさんに治してもらえることを知っている二人は、そこら辺無頓着なわけなのだが。
これはあとで注意しておいたほうがいいだろうか。
あ、クーさんが十人ほどの、群がった近衛隊の女性たちに止められて、無理やり安静にさせられている。エンさんとは違い、周期が上の同性には逆らい難いようだ。
直感、と言っていいのか、コウさんの呼吸の調子に違和感を覚えて。
僕がコウさんの右肩に手を置くと同時に、みーを器用に抱えたままエンさんが左肩に手を置いた瞬間。
視界が一瞬で切り替わって、「転移」が発動したことを知る。
……あれ?
思わず手を置いてしまったが、僕まで一緒に「転移」してしまったようだ。これまでなら、僕だけを残して、コウさんと、彼女に触れている者が消えていたのだが。もしかして、空間ごと転移した、とかなのだろうか。ならば「空移」とでも名付けておこう。
移動したのは、西側の大路へと続く街道の手前。突如現れた僕たちに周囲の竜の民が驚くが、今は配慮よりも拙速を優先する。
見ると、みーと背格好が同じくらいの少年が、額と腕から出血していた。額の傷は小さいが、負傷箇所の所為か出血量が多い。衝突の衝撃が大きかったのだろう、腕は皮下出血で腫れて、赤と暗色の斑になっていた。
少年を支えるシアと、側にシーソも居た。
どうやら、歯を食い縛って痛みと涙を我慢している少年は、シアの仲間の……ん? あれ、この少年をどこかで見たような。
少しばかり頼りなげな印象がある、元城街地の子供ーーと、そこで記憶と符合する。
氷焔が城街地に、竜の国への移住をお願いしに行ったとき、サーイに追われて人垣から転び出た少年だ。
少年をシアが庇い、シアをコウさんが庇った。
「フィア様! 私たちに向かって飛んできた破片から、この子が庇ってくれたんです! お願いします、治して上げてください!!」
赤子を抱えた母親らしき女性が、コウさんに深々と頭を下げる。
コウさんは、女性の肩に手を遣って、頭を上げさせる。
「大丈夫なのです。傷跡も残さず治してみせるのです。お子さんが無事で良かったのです」
女性を安心させるように朗らかな笑みを浮かべてから、赤子の小さな手に触れると、コウさんの笑顔が深まる。
竜の民の無事を心から喜んでいる、それが伝わって、周囲の大人たちに小さな驚きの波が拡がる。
皆、まだどこかで信じていなかったのかもしれない。
王が民に寄り添うことなど本当にあるのかと。いずれまた裏切られて、捨てられて、弄ばれる。それがこの世界の有様なのである。そうなったとしても、同じことが繰り返されたというだけのこと。諦観して、予防線を張って、傷付かないようにして。
「サキナさんが護ってくれなかったら、赤ちゃんは亡くなっていたかもしれないのです。亡くなった人は、私には治せないのです。竜の民を護ってくれて、ーーありがとう」
ふんわりと、光が解けたような微笑。
向けられた少年、サキナが呼吸を忘れて、炎竜に中てられたような高潮。彼を支えるシアが、聖職者のような面持ちで耐えようとするが、失敗してシーソの無表情攻撃の的になっている。
僕はというと、これまでもそうだったが、どうしてこんなに響くのだろう。
生まれて初めて触れた優しいもののように、
振り返りたい衝動に駆られる。
記憶の底に、
心の裏側に、
取り戻すことが出来ない暖かさに、
愛しさに擽られた儚いもののように。
王様は、魔法に依らず竜の民を魅了する。周期頃の男共が、少女に見蕩れてしまったことに様々な感情を想起させて、誤魔化したり照れ臭がったりと色々忙しいようだ。
コウさんは、ときどき周期に見合わぬ表情を見せることがある。
自裁を望んでもおかしくない長い痛苦の日々を過ごしてきたことが、深い情感を生んだのだろうか。
「あ、その……、ぼくはこれまで守ってもらってばっかりだった。あのときもそうだった、なにもできなくて、足をひっぱることしかできなくて。でもだめだ、もらってばかりじゃだめだ、ぼくだって……。だから決めたんだ、フィアさまみたいに、シアみたいに、だれかのために、みんなのために、ぼくもなるんだって……」
たどたどしい言葉で一生懸命に心の内を語る少年を、王様は抱き締めた。
「見ておくと良い」
肩に手を置かれたので振り返ると、呪術師を引き摺ってきたのだろう、男の襟首を掴んで気怠そうにしている老師が立っていた。
見た目は若いが、中味は老人という彼には重労働だったのだろう。
意識を失っているらしい呪術師には、「軟結界」が張られているようで、半透明の膜に全身を覆われていた。
そういえば、コウさんの魔力放射後、姿が見えなくなっていたので、呪術師のことをすっかり忘れていた。魔力量は多いようだったから、吹き飛ばされるかして、みーから落っこちたのだろう。
見たところ、怪我はないようだが。
コウさんに視線を戻すと、硬直してがちがちになってしまった少年の頭を撫ぜながら、翠緑王がその魔法を竜の民に詳らかにすることを語っているところだった。
いや、詳らか、というのは違うのだろう。少女が授かった、或いは押し付けられた、ーー本当は意味さえないかもしれない、そんな魔力の行く末を、他者が識ることなんて出来ない。ただ、見て、感じて。魔力の源である女の子のことを、女の子に、近付いて、手を差し伸べて欲しい。
「竜の民の皆さん。これから竜の国に、竜の狩場に治癒魔法を掛けるのです。少し眩しいかもしれませんが、動かず、心を穏やかにして、……受け容れて欲しいのです」
「窓」に向けて紡がれた言葉の終わりに、コウさんから、光の奔流が紐解かれた。刹那、衝撃波のように光が地を疾走って、黄金に染め上げる。
溢れた黄金の魔力が、大広場に流れ出して、竜の民を押し流そうとするが。
それは水のようでいて、風より軽く、ほんのり暖かい。
何度見ても、幾度触れても、魔力の影響を受け難い僕でさえも、魔力の根源のようで、生命の有様のようで、……まただ、また、空へと手を伸ばす、あの憧憬に似た何かが胸を満たす。
光の粒子が空に立ち昇る。
「祝福の淡雪」とは逆に、光は空へと還ってゆく。
コウさんの魔力は、心地良いだけでなく、人の最も深いところに触れているような。人の生命の根幹にまで根付いた魔力が、橋渡しの役目を果たしているのかもしれない。
「ーーーー」
風は夢心地に、姿を隠している。
光は揺れていない。
見詰めている人の眼差しが、心が揺れている。
高つ音に輝く星に、願いを掲げよう。
君にだけ見える、君にしか見えない、空の頂に、願いを捧げよう。
ふと、子供の頃に聞いたへっぽこ詩人の唄を思い出した。
憧憬や懐旧に触れるような、抉るような光景に、涙を浮かべる竜の民もいるようだ。
人々の感嘆の声と、眩さに見上げてみると、「窓」から光が漏れ出ていた。
「窓」は、上空から竜の国を映しているようだった。山脈に囲われた大地のすべてが光に染まって、光の湖となった淡光の情景は、世界中の優しさを集めて創ったような、言い知れぬ切なさを催す。
これが、人の手によって成されたということが、そう思わせるのかもしれない。
僥倖、という陳腐な言葉が思い浮かんだので、明ける、という意味を込めて、まぁ、それもいいかな、と七祝福の一つ「暁光の竜海」と名付けて……、あ、いや、竜の国だし、「赫灼の海」のほうがいいだろうか、って、そんな言葉遊びをしている場合ではない。
「相棒、どーだ? 俺ん背中ぁ、つるっつるーのむきむきーか?」
「心配いらない。いつも通りの暑苦しさ。竜の民の目を汚す前に、さっさと服を着ろ」
「あーはいはい後でなー」
近衛隊の厚意と好意の二重攻撃から抜け出してきたらしいクーさん。
エンさんとの軽妙な遣り取り。重傷だった傷も完治したようだ。これなら、他に傷を負った人も問題なく治ったはず。
見ると、サキナの頭部と腕の傷も、まるで怪我など始めから存在しなかったように跡形もなく消え去っていた。
ーーこれで、一件落着なのだろうか。
呪術師は捕縛。みーは無事奪還。怪我人の治癒完竜。コウさんの魔法を体感した竜の民の目に、王様を恐れるような険しさはなく、むしろ暖か味があることを感取する。だのに、なぜだろう、退っ引きならない事態が迫っているような……。
何か見落としていることはあっただろうか。
コウさんの顔が晴れていない。
曇り空、というだけでなく、雷雨を予感させる不穏さがある。
先程抱いた危惧と、今回の事件と、それに符合する過去の事柄を思惟の湖に浸してゆく。だが事態は、悠長に思考することを許してくれなかった。
大広場で、何人かが咳をし始めた。
その数は増えるばかりで、咳が止まらなくなる人も出ている。「窓」の向こう側でも、同じような光景が幾つか映し出されていた。
「フィア様……、これは……?」
尋ねるオルエルさんに、重ねるようにしてコウさんが詳説してゆく。
「これは、ラカールラカ平原の山岳よりの地域で、幾度か発生したことのある疫病なのです。恐らく、呪術師は利用されたのです。疫病に罹患させられた後、当人の与り知らぬところで疫病をばら撒くことになったのです」
コウさんが大仰に杖を振ると、噴水を中心に大きな「結界」が張られた。
すると、咳をしていた人たちが、忽ち回復してゆく。
「皆さん。今、竜の都の各竜区と、竜地に『結界』を張ったのです。体調に異変を覚えた方は、『結界』に入れば、治るのです。『結界』に入っても症状が悪化する方は、『遠観』の『窓』に向かって呼び掛けてくだされば、『転移』で私が迎えに行くのです」
「窓」に向かって切々と語り掛けるコウさんの厳しい横顔が、一瞬泣きそうに歪んで見えたのは、目の錯覚だったのだろうか。
ーー竜の国が、一気に慌ただしくなった。
オルエルさんと長老たちに任せて、僕とコウさんは、みーの許へ急ぎ足で向かう。すると、居回りに無数の「窓」が現れた。
どうやら、「遠観」で今回の一件を説明するらしい。
「私が魔法を解法するより、魔法そのものを取り払ったほうが、みーちゃんに後遺症が出ることはないのです。みーちゃんに触れてあげてなのです」
コウさんは、みーの鼻先まで寄って、みーの状態に問題がないことが確認できたのか、一旦離れて「窓」に向き直る。
みーは、先程からずっと怯えたまま、抵抗する素振りを見せることはない。
術者が居らず、待て、或いはお預け、の状態なのか、逃げることも出来ず、畢竟、無抵抗な小動物のようなのだが。
いや、そんなことはどうでもいい。今は、みーを呪術師の束縛から一刻も早く解放してやらないと。
ああ、でも、そのですね、竜の牙って鋭くて、ばくりっ、と食べられてしまいそうで。
挨拶回りのときに、もう経験しているではないか、などと言うなかれ。あのときとは状況が……くっ、みーの炎眼がぎょろ、って、その、根性無しとか言わないでくださいね。巨大な生き物を前にしたときの、根源的な恐怖というのは、克服するのは難しいんですから。
「竜の民の皆さん、こんにちは。お久し振りです、竜の国の王様を務めさせて頂いているコウ・ファウ・フィアなのです。この度は、呪術師によって、みーちゃんが操られてしまう、という事態が発生しましたが、我が国の侍従長が問題を解決したので、みーちゃんは魔法による後遺症が出ることもなく回復したのです」
コウさんの説明を聞きながら、みーの顔の横に回って、竜のほっぺ辺りに、ぽんっと手を当てる。
いつもなら蟠った光の群れが圧縮されるように「人化」するのだが、呪術師の呪術を無効化したからなのか、光群が渦巻くように一点に集まって繭形になる。
二度、三度と脈動すると、みーを包み込んだ光繭が散華して、粒子は空へと昇ってゆく。
まるで、生命の誕生のような厳粛で神秘的な光景に、大広場や「窓」の竜の民が釘付けとなる。
本来なら、竜の民よろしく僕も見蕩れていたいところなのだが、王様の所為で侍従長の心は穏やかならざる思い……って、いやいやいやいや、そうではなくて、穏やかならぬものが、悪戯っ子なみー、みたいに暴れ回っています。
……ふぅ、さて、コウさん。今、しれっと何を言いましたか?
まるで今回の事件を僕が解決したような物言いじゃないですか。それに、みーに掛けられた呪術を無効化したとき、「窓」は僕の姿を映していた。
「窓」を通して、これら一連の動向を観た竜の民は、勘違いすること請け合いである。
竜を屈服させたのは侍従長で、王様ではありませんよ。怖いのは侍従長で、王様は怖くないんですよ(王様の内心の代弁者、ランル・リシェ)。と印象操作を企んだようだ。
ぐぅ、王様のくせして、なんと狡辛くてみみっちぃ。おうさまをやる、と言った女の子の、高潔な魂はどこへやってしまったんですか。
それと、コウさんは気付いていないようだけど、彼女が大広場でみーを沈静化させたのを見ていた人からすれば、僕が功績を横取りしたような格好になっている。
はぁ、よりどぎつい二つ名とか付かなければいいんだけど。
じろりんちょ、と頑是無い魔法使いに視線をやると、にこりんちょ、と翠緑王が防御。
どうやら、純粋無垢だった女の子は、もういなくなってしまった……いや、出逢った当初から、純粋でも無垢でもなく、兄と姉に甘やかされて自侭に振る舞っていたような。
「よっと」
エンさんが飛び上がって、光繭から解き放たれたみーを抱き留めると、見事に着地。明らかな重傷にも係わらず、彼は普段と変わらない軽快さでコウさんの許まで駆けてくる。
「眠ってんよーに見えっけど、ちび助、ちみっ子んなんか問題あっか?」
「魔力を消耗して、眠ってるだけなの。対策をせずに巨大化したから、魔力がだだ漏れになってたの。回復を早める為には、一度北の洞窟にーー」
コウさんは言葉を切って、走り寄ってきたフィヨルさんから報告を受ける。
「みー様が回転された際の礫にて、頭部負傷と腕を骨折したと思しき少年が一人、団長に巻き込まれて捻挫した男性が一人、あとは軽傷が十人程。それと……、重傷が二名です」
フィヨルさんは、エンさんとクーさんを複雑な感情を宿した眼差しで見詰める。宰相と竜騎士団団長が、重傷の身で平然と場を取り仕切っているのが、常識人である彼には受け容れ難いようだ。
魔力で応急処置のようなことをしているのだろうが、確かに違和感のある光景である。コウさんに治してもらえることを知っている二人は、そこら辺無頓着なわけなのだが。
これはあとで注意しておいたほうがいいだろうか。
あ、クーさんが十人ほどの、群がった近衛隊の女性たちに止められて、無理やり安静にさせられている。エンさんとは違い、周期が上の同性には逆らい難いようだ。
直感、と言っていいのか、コウさんの呼吸の調子に違和感を覚えて。
僕がコウさんの右肩に手を置くと同時に、みーを器用に抱えたままエンさんが左肩に手を置いた瞬間。
視界が一瞬で切り替わって、「転移」が発動したことを知る。
……あれ?
思わず手を置いてしまったが、僕まで一緒に「転移」してしまったようだ。これまでなら、僕だけを残して、コウさんと、彼女に触れている者が消えていたのだが。もしかして、空間ごと転移した、とかなのだろうか。ならば「空移」とでも名付けておこう。
移動したのは、西側の大路へと続く街道の手前。突如現れた僕たちに周囲の竜の民が驚くが、今は配慮よりも拙速を優先する。
見ると、みーと背格好が同じくらいの少年が、額と腕から出血していた。額の傷は小さいが、負傷箇所の所為か出血量が多い。衝突の衝撃が大きかったのだろう、腕は皮下出血で腫れて、赤と暗色の斑になっていた。
少年を支えるシアと、側にシーソも居た。
どうやら、歯を食い縛って痛みと涙を我慢している少年は、シアの仲間の……ん? あれ、この少年をどこかで見たような。
少しばかり頼りなげな印象がある、元城街地の子供ーーと、そこで記憶と符合する。
氷焔が城街地に、竜の国への移住をお願いしに行ったとき、サーイに追われて人垣から転び出た少年だ。
少年をシアが庇い、シアをコウさんが庇った。
「フィア様! 私たちに向かって飛んできた破片から、この子が庇ってくれたんです! お願いします、治して上げてください!!」
赤子を抱えた母親らしき女性が、コウさんに深々と頭を下げる。
コウさんは、女性の肩に手を遣って、頭を上げさせる。
「大丈夫なのです。傷跡も残さず治してみせるのです。お子さんが無事で良かったのです」
女性を安心させるように朗らかな笑みを浮かべてから、赤子の小さな手に触れると、コウさんの笑顔が深まる。
竜の民の無事を心から喜んでいる、それが伝わって、周囲の大人たちに小さな驚きの波が拡がる。
皆、まだどこかで信じていなかったのかもしれない。
王が民に寄り添うことなど本当にあるのかと。いずれまた裏切られて、捨てられて、弄ばれる。それがこの世界の有様なのである。そうなったとしても、同じことが繰り返されたというだけのこと。諦観して、予防線を張って、傷付かないようにして。
「サキナさんが護ってくれなかったら、赤ちゃんは亡くなっていたかもしれないのです。亡くなった人は、私には治せないのです。竜の民を護ってくれて、ーーありがとう」
ふんわりと、光が解けたような微笑。
向けられた少年、サキナが呼吸を忘れて、炎竜に中てられたような高潮。彼を支えるシアが、聖職者のような面持ちで耐えようとするが、失敗してシーソの無表情攻撃の的になっている。
僕はというと、これまでもそうだったが、どうしてこんなに響くのだろう。
生まれて初めて触れた優しいもののように、
振り返りたい衝動に駆られる。
記憶の底に、
心の裏側に、
取り戻すことが出来ない暖かさに、
愛しさに擽られた儚いもののように。
王様は、魔法に依らず竜の民を魅了する。周期頃の男共が、少女に見蕩れてしまったことに様々な感情を想起させて、誤魔化したり照れ臭がったりと色々忙しいようだ。
コウさんは、ときどき周期に見合わぬ表情を見せることがある。
自裁を望んでもおかしくない長い痛苦の日々を過ごしてきたことが、深い情感を生んだのだろうか。
「あ、その……、ぼくはこれまで守ってもらってばっかりだった。あのときもそうだった、なにもできなくて、足をひっぱることしかできなくて。でもだめだ、もらってばかりじゃだめだ、ぼくだって……。だから決めたんだ、フィアさまみたいに、シアみたいに、だれかのために、みんなのために、ぼくもなるんだって……」
たどたどしい言葉で一生懸命に心の内を語る少年を、王様は抱き締めた。
「見ておくと良い」
肩に手を置かれたので振り返ると、呪術師を引き摺ってきたのだろう、男の襟首を掴んで気怠そうにしている老師が立っていた。
見た目は若いが、中味は老人という彼には重労働だったのだろう。
意識を失っているらしい呪術師には、「軟結界」が張られているようで、半透明の膜に全身を覆われていた。
そういえば、コウさんの魔力放射後、姿が見えなくなっていたので、呪術師のことをすっかり忘れていた。魔力量は多いようだったから、吹き飛ばされるかして、みーから落っこちたのだろう。
見たところ、怪我はないようだが。
コウさんに視線を戻すと、硬直してがちがちになってしまった少年の頭を撫ぜながら、翠緑王がその魔法を竜の民に詳らかにすることを語っているところだった。
いや、詳らか、というのは違うのだろう。少女が授かった、或いは押し付けられた、ーー本当は意味さえないかもしれない、そんな魔力の行く末を、他者が識ることなんて出来ない。ただ、見て、感じて。魔力の源である女の子のことを、女の子に、近付いて、手を差し伸べて欲しい。
「竜の民の皆さん。これから竜の国に、竜の狩場に治癒魔法を掛けるのです。少し眩しいかもしれませんが、動かず、心を穏やかにして、……受け容れて欲しいのです」
「窓」に向けて紡がれた言葉の終わりに、コウさんから、光の奔流が紐解かれた。刹那、衝撃波のように光が地を疾走って、黄金に染め上げる。
溢れた黄金の魔力が、大広場に流れ出して、竜の民を押し流そうとするが。
それは水のようでいて、風より軽く、ほんのり暖かい。
何度見ても、幾度触れても、魔力の影響を受け難い僕でさえも、魔力の根源のようで、生命の有様のようで、……まただ、また、空へと手を伸ばす、あの憧憬に似た何かが胸を満たす。
光の粒子が空に立ち昇る。
「祝福の淡雪」とは逆に、光は空へと還ってゆく。
コウさんの魔力は、心地良いだけでなく、人の最も深いところに触れているような。人の生命の根幹にまで根付いた魔力が、橋渡しの役目を果たしているのかもしれない。
「ーーーー」
風は夢心地に、姿を隠している。
光は揺れていない。
見詰めている人の眼差しが、心が揺れている。
高つ音に輝く星に、願いを掲げよう。
君にだけ見える、君にしか見えない、空の頂に、願いを捧げよう。
ふと、子供の頃に聞いたへっぽこ詩人の唄を思い出した。
憧憬や懐旧に触れるような、抉るような光景に、涙を浮かべる竜の民もいるようだ。
人々の感嘆の声と、眩さに見上げてみると、「窓」から光が漏れ出ていた。
「窓」は、上空から竜の国を映しているようだった。山脈に囲われた大地のすべてが光に染まって、光の湖となった淡光の情景は、世界中の優しさを集めて創ったような、言い知れぬ切なさを催す。
これが、人の手によって成されたということが、そう思わせるのかもしれない。
僥倖、という陳腐な言葉が思い浮かんだので、明ける、という意味を込めて、まぁ、それもいいかな、と七祝福の一つ「暁光の竜海」と名付けて……、あ、いや、竜の国だし、「赫灼の海」のほうがいいだろうか、って、そんな言葉遊びをしている場合ではない。
「相棒、どーだ? 俺ん背中ぁ、つるっつるーのむきむきーか?」
「心配いらない。いつも通りの暑苦しさ。竜の民の目を汚す前に、さっさと服を着ろ」
「あーはいはい後でなー」
近衛隊の厚意と好意の二重攻撃から抜け出してきたらしいクーさん。
エンさんとの軽妙な遣り取り。重傷だった傷も完治したようだ。これなら、他に傷を負った人も問題なく治ったはず。
見ると、サキナの頭部と腕の傷も、まるで怪我など始めから存在しなかったように跡形もなく消え去っていた。
ーーこれで、一件落着なのだろうか。
呪術師は捕縛。みーは無事奪還。怪我人の治癒完竜。コウさんの魔法を体感した竜の民の目に、王様を恐れるような険しさはなく、むしろ暖か味があることを感取する。だのに、なぜだろう、退っ引きならない事態が迫っているような……。
何か見落としていることはあっただろうか。
コウさんの顔が晴れていない。
曇り空、というだけでなく、雷雨を予感させる不穏さがある。
先程抱いた危惧と、今回の事件と、それに符合する過去の事柄を思惟の湖に浸してゆく。だが事態は、悠長に思考することを許してくれなかった。
大広場で、何人かが咳をし始めた。
その数は増えるばかりで、咳が止まらなくなる人も出ている。「窓」の向こう側でも、同じような光景が幾つか映し出されていた。
「フィア様……、これは……?」
尋ねるオルエルさんに、重ねるようにしてコウさんが詳説してゆく。
「これは、ラカールラカ平原の山岳よりの地域で、幾度か発生したことのある疫病なのです。恐らく、呪術師は利用されたのです。疫病に罹患させられた後、当人の与り知らぬところで疫病をばら撒くことになったのです」
コウさんが大仰に杖を振ると、噴水を中心に大きな「結界」が張られた。
すると、咳をしていた人たちが、忽ち回復してゆく。
「皆さん。今、竜の都の各竜区と、竜地に『結界』を張ったのです。体調に異変を覚えた方は、『結界』に入れば、治るのです。『結界』に入っても症状が悪化する方は、『遠観』の『窓』に向かって呼び掛けてくだされば、『転移』で私が迎えに行くのです」
「窓」に向かって切々と語り掛けるコウさんの厳しい横顔が、一瞬泣きそうに歪んで見えたのは、目の錯覚だったのだろうか。
ーー竜の国が、一気に慌ただしくなった。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
地獄の手違いで殺されてしまったが、閻魔大王が愛猫と一緒にネット環境付きで異世界転生させてくれました。
克全
ファンタジー
「第3回次世代ファンタジーカップ」参加作、面白いと感じましたらお気に入り登録と感想をくださると作者の励みになります!
高橋翔は地獄の官吏のミスで寿命でもないのに殺されてしまった。だが流石に地獄の十王達だった。配下の失敗にいち早く気付き、本来なら地獄の泰広王(不動明王)だけが初七日に審理する場に、十王全員が勢揃いして善後策を協議する事になった。だが、流石の十王達でも、配下の失敗に気がつくのに六日掛かっていた、高橋翔の身体は既に焼かれて灰となっていた。高橋翔は閻魔大王たちを相手に交渉した。現世で残されていた寿命を異世界で全うさせてくれる事。どのような異世界であろうと、異世界間ネットスーパーを利用して元の生活水準を保証してくれる事。死ぬまでに得ていた貯金と家屋敷、死亡保険金を保証して異世界で使えるようにする事。更には異世界に行く前に地獄で鍛錬させてもらう事まで要求し、権利を勝ち取った。そのお陰で異世界では楽々に生きる事ができた。
転生貴族のハーレムチート生活 【400万ポイント突破】
ゼクト
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ある日、神崎優斗は川でおぼれているおばあちゃんを助けようとして川の中にある岩にあたりおばあちゃんは助けられたが死んでしまったそれをたまたま地球を見ていた創造神が転生をさせてくれることになりいろいろな神の加護をもらい今貴族の子として転生するのであった
【不定期になると思います まだはじめたばかりなのでアドバイスなどどんどんコメントしてください。ノベルバ、小説家になろう、カクヨムにも同じ作品を投稿しているので、気が向いたら、そちらもお願いします。
累計400万ポイント突破しました。
応援ありがとうございます。】
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私のお父様とパパ様
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非常に過保護で愛情深い二人の父親から愛される娘メアリー。
婚約者の皇太子と毎月あるお茶会で顔を合わせるも、彼の隣には幼馴染の女性がいて。
大好きなお父様とパパ様がいれば、皇太子との婚約は白紙になっても何も問題はない。
※箱入り娘な主人公と娘溺愛過保護な父親コンビのとある日のお話。
追記(2021/10/7)
お茶会の後を追加します。
更に追記(2022/3/9)
連載として再開します。
ハズレスキル【収納】のせいで実家を追放されたが、全てを収納できるチートスキルでした。今更土下座してももう遅い
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侯爵家の三男であるカイトが成人の儀で授けられたスキルは【収納】であった。アイテムボックスの下位互換だと、家族からも見放され、カイトは家を追放されることになった。
ダンジョンをさまよい、魔物に襲われ死ぬと思われた時、カイトは【収納】の真の力に気づく。【収納】は魔物や魔法を吸収し、さらには異世界の飲食物を取り寄せることができるチートスキルであったのだ。
かくして自由になったカイトは世界中を自由気ままに旅することになった。一方、カイトの家族は彼の活躍を耳にしてカイトに戻ってくるように土下座してくるがもう遅い。
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異世界に召喚された熱海 湊(あたみ みなと)が得たのは(自分だけにしか効果のない)エリクサーを作り出す能力だった。『外れ異世界人』認定された湊は神殿から追放されてしまう。
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