竜の国の魔法使い

風結

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六章 世界と魔法使い

追跡と策動

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「ーー三人とも、視線はそのまま、楽しんでいる振りをして」

 ゆっくりと後ろに下がって、笑顔を崩さず指示を出す。訝しむ双子だが、

「窃盗? 不審者?」

 質しながらカレンが笑顔で頷くと、顔を見合わせた姉妹が応えてくれる。

「周囲を警戒せず、いつも通りいちゃつきながら、僕の後ろに付いてきて。魔法使いを追う」
「言いたいことは色々あるけれど、今はよしておくわ。サン、ギッタ、あなた……っ」

 カレンの言葉を先読みして、姉妹が彼女の二の腕辺りをつねる。

「駄目ですよ~、カレン様。あたしたちはカレン様の奴隷、じゃなくて、護衛」
「その通りです。あたしたちは三人で一心同体。もはや分離は不可解、じゃなくて、不可能。とギッタが言ってます」
「そういうわけで、もっと密着しましょう、そうしましょう」

 余裕があるようで何より。双子の力は信用しているが、実戦ではどうなるかわからない。だが、彼女たちの言葉にあるように、カレンだけは絶対に死守してくれるだろう。

 フラン姉妹の意志が固いことを気色取けしきどって、カレンは了承の二の腕抓り返し。

「ふゆっ」
「ふやっ。とギッタが言ってます」

 カレンが手加減した所為なのか、擽ったそうな声を出す双子。

 う~む、言葉は違うが、仕草はまったく同じだ。刺激に対する反応まで同じとは、恐れ入る。

 ーーこれは僥倖。

 向かう先の、左斜めの支路しろから、巡回中らしき三人の竜騎士が見えた途端、

「譲りませんからね」

 カレンは、僕の心肝を見透かして笑顔で釘を刺してくる。

 ああ、ばれてますか。三人娘と竜騎士たちで役割を交代してもらおうかと思っていたのだが、時間がないし仕方がない。

 三人の先頭、ザーツネルさんが僕に気付く。

 魔法使いは背を向けている。こちらに来るように、と二度手で招く合図をする。

 合流してから、前方を指差して、短く告げる。

「魔法使い。尾行、僕らを追跡。戦闘時、助勢」
「了解」

 過たず状況を理解してくれたザーツネルさんが歩みを止めて、僕たちから距離を取ってくれる。

 相手は件の魔法使い。何があるかわからないので、慎重を期して彼らには後方支援に回ってもらう。

 状況の推移によって、伝令を出したり、竜の民の安全を図ったりと、重要な役割だが、ザーツネルさんなら任せても大丈夫だろう。

 大広場から出て、竜の背骨方面の住宅街に向かってゆく。

 魔法使いは振り返らず、こちらを警戒しているようには見えないが、不自然な行動にならないよう姉妹に話し掛ける。

「カレンの腕に抱き付いたまま、器用に歩くものだね。えっと、まさか魔力操作とかしてる? あ、序でに聞いておくけど、魔法使いが魔法を使っている気配は?」
「むぎぃ、ここは翠緑王おーさまに倣ってやるの」
「ぐびぃ、竜に百回唾を吐かれて、ふやけてしわしわになるといいのだー。とギッタが言ってます」
「こっちもあっちも魔力無しなの」

 コウさんやみーの真似なのだろうが、ちょっと切れがないな、と辛口の評価になってしまったので、双子の機嫌を損ねない為に笑って誤魔化す。

「さっきのミニレムだけど。実は耐用訓練とか実用訓練とかで色々やっていてね、五、六体で一班として、大陸で一番高い山に登ったり、別の大陸に小船で漕ぎ出したり、大陸外周を闊歩かっぽしていたり、と大忙しみたいだ」
「ーー竜の国の外、ということは、間者の役割も兼ねているのかしら」
「ん~、フィア様にそのつもりはないだろうね。でも、僕たちの王様は、抜けているところがあるから。『竜の国の為になることをしてくるのです』と命じて、ことはあるかもしれない」
「そうなると、他に……」

 雑談に興じて、何やら考え込んでしまうカレンだが、状況の変化に対応する。

「右折したわね。あちらは、住宅街と組合の工房があったはず。人通りは少なくなるから、制服は目立ってしまう……かしら?」
「高つ音の休憩時間を使った買い出し、は通用しなくなるし、目的を視察や査察に切り替えるか。カレンは僕の隣に。えっと、申し訳ないけど、サンとギッタは僕たちの後ろを、早く仕事を終わらせたいなぁ、って感じのふてぶてしさを醸しながら付いてきて。それと二人は魔法使いとの接触までは無言でお願いします」

 歩きながら、ぺこりっと頭を下げると、んべっ、と僕に向かって舌を出してから、名残惜しそうにカレンの腕から離れる。

 カレンに目配せしてから、歩く速度を上げる。同時に動いた僕たちふたりに、すぐさま合わせてくれた姉妹だが、阿吽の呼吸の〝目〟の二人に、殺意で装飾された嫉妬を投げ込んでくる。

 いや、純度混じりっけなしの敵意を向けられているのは、たがわず僕だけなのだが。

 ああ、失敗した。姉妹に一言掛けてからにすれば良かった。

「僕たちって尾行に向いてないよね。そうだ、二人に『隠蔽』を、って、そうか、魔法を使ったら気取られてしまうか、……ああ、それに、後ろのザーツネルさんたちが僕たちを追えなくなるのか」
「このまま追うしかないわ。竜の尻尾を踏んだのなら、竜の角まで、よ」
「……えっと、わかってるかな、カレン。誰何、と確保まではするつもりだけど、先ずは話し合いからだよ?」
「無論。でも相手が抵抗したなら、制圧や昏倒こんとうさせる必要があるかもしれないでしょう。その覚悟で向かわなければ、痛い目を見ます」

 是非そうなって欲しい、みたいな声色で言わないでください。

 〝サイカ〟に至る為には様々な経験を積まなくてはならないが、必要以上に機を求めるのは、賢い遣り方とは言えない。

 危なっかしくて仕様がないが、これには僕が〝サイカ〟に至るかを尋ねられたことも影響しているのだろう。あのときは気付けなかったが、今の時点で僕を〝サイカ〟に至らせることを里長が認めるはずがない。

 里長があの場で口にしたのは、僕だけでなくカレンや老師に思うところ、本旨ほんしがあったからだと思うが。至高の〝サイカ〟の深甚しんじん玄奥げんおうな内を量るなど、竜に周期を尋ねるようなもの。

 まったく、厄介の種を残してくれたものだ。

 喧騒とは無縁の、落ち着いた雰囲気の生活路といった趣。水路を挟んで、右に工房、左に住宅街。竜の背骨付近には、騒音や臭いなどによる弊害の少ない、住人の生活を脅かさない種類の工房が立ち並んでいる。

 それ以外の、如何にも工房、という感じの職種は、竜地の氷竜や竜の右手や左手に。カレンの提案で、竜の宝珠を活用することになるだろう。

「カレンは、この先の袋小路のことは知らない、よね?」
「主要路は地図を見て記憶したけれど、細かいところは実際に足を運んでみないとわからないから、知らないわ」
「えっと、時間がないから説明は割愛。袋小路に追い込むよ」
「仕掛けるのね、了解」

 実は、設計段階の過誤で、本来水路が通っていなければならない場所に路はなく、地続きになっていたのだ。

 そのことに誰も気付かず、完成して水路から水が溢れて、やっとこ炙り出されて、応急処置でコウさんの魔法が遠方から放たれることになる。

 さて、これも氾濫はんらんというのだろうか、こちらの被害は最小限で済んだのだが、お察しの通り、慌ててぶっ放した攻撃魔法の、力加減というか魔力加減を誤った王様の一撃で、まぁ、何というか、魔法被害はそれなりだったとさ。と軽く言ってみたものの、「おしおき」二回だったことから、大変さの度合いを理解していただけるかと。

 設計通りに造ってくれた魔法人形たちに罪はない。

 ミニレムと違って、命令や指示を熟すだけだった魔法人形は、人間だったら当然気付く過誤や違和感を思考の俎上に載せることはない。それだけミニレムが凄いということなのだが、ーーいや、今は境界線上の悩ましのミニレムのことを考えている場合ではない。

 道だった場所には橋を架けるという案もあったが、利便性が薄いので組合の倉庫が建てられることになって竜の国唯一の袋小路が現出することとなった。と、そろそろ頃合いか。

「三、二、一……」
「っ!」
「「っ」」

 魔法使いが十字路に差し掛かる前に走り出して、大声で指示を出す。

「左の道に逃げて行ったぞ! あっちは住宅街だ、増援を呼べ!」

 僕の声に、振り返る素振りを見せた魔法使いだが、歩調を変えることなく自然な動作で右の道に、袋小路になっている工房方面へと消えてゆく。

「カレンは奥からお願い!」
「……承知っ」

 工房が密集している場所なので、道幅は馬車が悠々通れるくらいの広さがある。

 相手は魔法使いである。僕が最短距離で追走するという一番危険な役割を負うのは自明なことなのだが、カレンはーー、……あれ?

 カレンって僕に魔法が効かないこと知ってたっけ!? いやいや、今更そんなことを確認している間などない。カレンが回り込むように奥から、状況を把握して対処できる位置に向かうのを視認してから、先鋒として飛び込んでゆく。

「ーーっ!」
「ーーっ!?」
「…………」
「……。とギッタが言ってません」

 予想外の事態に、いや、予想の範囲内ではあるが、そうくるとは思っていなかったので、妙に空しく響いたサンの言葉に突っ込みを入れるだけの余裕はなかった。

「奥の手を使います! サン、ギッタ、『結界』で防いで!!」

 双子に指示を出したときには、すでにカレンの右手が振り上げられていた。彼女の剣質である、実直で豪胆な剣撃のように、振り下ろした手が苛烈に地面に叩き付けられる。

 せぃっ、とカレンの、裂帛れっぱくの気合いの余韻が響くが、それだけ。

 ……叩き付けた手から、音は聞こえなかったし、周囲に変化はない。

 魔法を使ったのだろうが、詮索は後回し。

 居回りを警戒するが、状況に変化はない。道に突入したときと同じく、人っ子一人いない。昼の休憩時間を過ぎたのか、職人たちの姿もない。

 そう、魔法使いは居らず、忽然こつぜんと姿を消してしまったのだ。

 無感動に見回すフラン姉妹の様子から、魔法使いはもう近くにいないようだと察しをつけるが、カレンの奥の手、或いは竜の手の結果が出るまで警戒は緩めないほうが良さそうだ。

 然なめりと思った通り、僕たちを追跡してくれていたザーツネルさんが駆け付けて。

 意味深な発言をする。

「侍従長……は、問題なさそうだな。双子は『結界』、被害者は俺だけか?」 

 偏頭痛をこらえるような仕草をしながら二人の隊員に確認するが、彼らは質問の意図がわからなかったようで、首を傾げている。

「緊急事態でしたのでーー、申し訳ございません」
「いや、構わんよ。それで侍従次長、結果はどうだったのかな?」
「……魔法使いを捕捉することは敵いませんでした」

 意気消沈するカレンは、不自然さや不可解な部分に納得がいかない、というような苦い表情で、自分が行使した魔法の説明を行う。

「私が用いたのは、『探査』の応用、いえ、『探査』の劣化版のようなものです。周囲の魔力を感知することが出来ますが、魔力量の多い者や魔法を行使している、今回で言えば『浮遊』『飛翔』『隠蔽』『結界』を発動しているなど、魔力的なものしか察知できません。
 この魔力探査の効力は、副産物のようなもので、もとは魔力量の多い者に衝撃を与える手段として。ーーこう、闘いの際、剣に魔力を叩き付けることで発生させます」
「なるほど、闘いの最中にこれを遣られたら効くな、って、そんな場合じゃなかったな」
「あの時機であれば、魔力強化や『飛翔』で撤退したとしても、『探査』に引っ掛かるはずです。『隠蔽』や『幻影』など魔法を行使していれば、見えなくとも、惑わされても、居場所を感知することは、出来るはずなのですが……」

 カレンとザーツネルさんだけでなく、彼女の力になろうとフラン姉妹も必死に、魔法使いの消失の理由を考えている。

 魔法に疎い僕は、消失の考察は皆に任せて、別のことを考えていた。ザーツネルさんが、お手上げ、という感じで嘆息したので、尋ねる。

「ザーツネルさん。魔法使いにとって、僕は、どんな存在だと思いますか?」

 質問の内容に面食らったようだったが、即座に答えてくれる。

「天敵……かな。遺跡で遭ったとき、そりゃ驚いたもんさ。魔法しか手段のない魔法使いからしたら、この世の害悪とか、邪竜とかに見えるかもしれないな」

 懐旧に揺られて、笑みを零すザーツネルさんに、僕も同感して釣られそうになるが、言葉を継ぐことで無理やり抑え込む。

「魔法使いを見掛けたのは二度目。今回、僕以外にも魔法使いが見えていたことから、恐らく僕たちはここに誘導された」
「私たちが行動を起こしたから、ではあるけれど。ここに目立ったものはなく、周囲は工房に住宅街、魔法使いの姿はない。ーーということは、遠ざけられた、ということになるのかしら」
「そう、僕、乃至は僕たちを遠ざけたとするなら、ーーそれは準備が整った、ということだと思う」
「……そうね」

 然あらば魔法使いの、直接の目的は僕ではないということになる。

 そこで違和感に気付く。

 一度目に魔法使いを見たとき、僕はあの場に偶然居合わせただけだ。「竜饅事件」でみーを肩車して翠緑宮に遁走、という偶発以外の何物でもない出来事。

 それはギルースさんやフィヨルさん、そしてクーさんも同様だろう。だが一人だけ、いや、一竜だけ例外がいた。

 思い返してみれば「竜の半分こ」で、みーに竜饅を半分上げていた人たちは、慣れた様子だった。「竜の半分こ」が何日目なのかは知らぬが、初日ということはなかろう。

 ぞくり、と斯かる可能性に至った瞬間、這い登るような悪寒に襲われた。

 然てだに終わればいいが、そうもいかず無意識の内に口を、自分の手で塞ぎやる。不用意に言葉を漏らしてはならぬ。然のみやは、考えないわけにはいかない。たとい可能性の話であろうと、起こり得るのならば対策を練っておかねばならぬのだ。

「らっ、ランル・リシェっ、突然どうしたのですっ!」
「おいっ、リシェ殿!」

 ーー思考に余裕がなくなっている。

 自分が間違った方向に進もうとしたことを自覚する。抱えるものが大き過ぎて、自然と嘔吐えずいたような格好になっていた僕に二人が声を掛けてくれる。

 ザーツネルさんに肩を揺すられて、ゆっくりと体を起こす。

「……魔法使いの目標は僕ではありません。魔法使いの狙いは、恐らく、みー様です」

 黙っていても仕方がないと、体の中の澱のようなものを言葉とともに吐き出してゆく。

「そういや、みー様が竜の国にいらっしゃることが当たり前になってたが、有り得ないくらい特別なことだったな」
「そうですね。馴染んでしまっていましたが、史実に刻まれていない人と竜の交流。そこに興味を惹かれない者はいないでしょう。人の歴史が教えてくれます。そこに悪意が雑ざらない理由など……」
「「「「「…………」」」」」

 カレンの途切れた言葉の先を想像して、皆が押し黙る。だが、問題は、その先。

 独りで抱え込もうか、という誘惑が、楽なほうへ流れようとする甘美で暖かなものを。

 ーーっ!?

 不意に巻き起こった神経を焼き切るような苛立ちで、打擲し噛み砕き、破砕し殲滅し徹底的に磨り潰す。

 終ぞ感じたことのない、明確なる確信のような不安定とくていふのう

「ーーふぅ」

 何に対して苛立ったのか、自分でも分からない。然し、それは後回しである。物事というのは、独りで考えていると無秩序に出鱈目になってゆく。

 天秤に掛ける。僕が至らないことは、誰より自分がわかっている。優先されるべきは何か。時間は宝にして、躊躇は罪。

「ザーツネルさん。みー様を捕まえようとするとき、エンさんとクーさんと同等の団が事に当たったら、どうなると思いますか?」

 自分でもわかる。暗くこごっている。潰れたような声で喋っているのかもしれない。

「そう……だな。『人化』したままでは、抵抗は難しい。となると、竜になって飛んで逃げるんじゃないかな」
「そうですね。みー様は、これまで立ち会いや勝負でも友好的な相手としか戦ってきませんでした。これは想像に過ぎませんが、悪意を持った相手からは、無我夢中で逃げることになるかもしれません。そうなると、遣り過ぎてしまうかもしれない」
「それは、みー様は人を傷付けて、落ち込んでしまわれるかもしれないけれど。相手が、不埒者が怪我を負うのは、自業自得でしょう?」

 カレンの言う事は尤もである。

 然は然り乍ら、見るべきところはそこではない。声を出そうとして、掠れて消えた。頭の奥が痺れているが、今度はきちんと言葉にする。

「もし……、もし、みー様が暴れた場所が人通りの多いところであったなら。逃げる際に、竜の民を傷付け、あやめてしまうことになったら……。彼、または彼らの目的が、人と竜の分断にあるとしたら、どうでしょう」
「「「っ!」」」
「っ!?」
「「…………」」

 まだだ。もっと、もっとだ、必要なことを、語らなくては、搾り出さなくてはならない。

「竜の国、竜の民にとって、竜との交流、良好な関係は、喜ばしいものです。でも、竜の恩恵の域外、他の国々や組織にとってもそうだとは限りません。いえ、そうでないもののほうが多いのかもしれない。いくら竜の国に害意がないと言っても、潜在的な恐怖が消えるわけではありません。それは、竜の国にしてもそう。たった一つの擦れ違いが、竜の民の心を引き裂いてしまうかもしれない。竜という存在には、それだけの影響力があります。そうなったとき、竜の国は、国として、破綻してしまうかもしれない……」

 最悪の情景が脳裏を掠める。

 涙に暮れたみーが、僕たちに背を向けて、北の洞窟に飛び去ってゆく。

 竜の国は成らなかった。エンさんとクーさんは、コウさんの為に、皆で老師の居へ帰ってゆく。僕は、付いて行くことなんて出来ない、見送る側だ。

 スナはどうするだろう。呆れて連峰に帰ってしまうだろうか。

 誰を責めることなんて出来ない。すべて僕の力のなさが原因なのだ。

 今更心付く。兄さんは、自分なら竜の狩場に国を造らない、と言っていた。その理由の一つが、人と竜の関係、だったのだろう。

 本来なら有り得ない関係。不安定で、成立しているようで、いつでも亀裂が入る要素に事欠かない。人と竜という種族の間に楔を打ってしまう。そんな途方もない過ちを犯すことになるかもしれないというのに、その問題の存在にさえ思い至ることがなかった。

「……くっ」

 きっと兄さんは、他にも僕には見えていないものが見えている。

 兄さんは、僕を止めようとしていた。でも、最後には、許してくれた。

 それは、僕を信じてくれたからだろうか。僕なら出来ると、認めてくれたからだろうか。

 兄さんの幻影に縋ってはならない。特別視してはならないと、兄さん自身が教えてくれた。兄さんが、なぜ僕に会いにきてくれたのかを、もう一度刻み込め。

 僕に出来ることはなんだろうか。

 一番得意な、逃げることを選択できないのなら。二番目に得意なことを行えばいい。かくあれかし、必要なら今すぐにでも。

 頭の奥の痺れは治まらない。逆に悪化して、思考を、体を、心を蝕んでゆく。真っ白を通り越して、透明に、何もなくなってしまう。欠片を、残滓ざんしを集めている暇などない。

 ああ、でも。……何もなくなってしまったのなら丁度良い。僕の貧しい想像力でも、最低最悪の場所は、見てくることが出来たのだから。

「ーーーー」

 この程度で折れない自分になればいい。そういう存在が自分の中にいると、思い込めばいい。今は、演技では足りない。もっと根本から自分を偽る必要がある。

 僕の中にある、その為に必要な情景おと

 過去の情景より、塗り替えられた現在の光景のほうが、僕を奏でてくれるはず。

 兄さんと出逢い、カレンと出逢い、コウさんと出逢い、みーと出逢った。すべてのかてである。

 ーー完全に思い出したわけじゃない。溶けてはいるが、無くなってはいない。僕が、可愛い、と言ったときの、スナの顔。子供の時分の僕の気持ちがわかる、ああ、確かにスナは可愛かった。あれは暖かかった。

 スナは冷たいから暖かくて、そこには理解が伴われていた。そのとき僕は、気付いたのかもしれない。何一つ気付いていないのに、理解だけが、存在だけが、そこにある。

 音を鳴らそう。辿り着けないとわかっているから。音を鳴らそうこころをひたそう

 どうもみーには嫌われているらしい。まぁ、それはいいとして、少しは近付けただろうか。

 ……炎の猛り、希求をへだつ。純粋が故に、魂に焦がれる。

 スナとの邂逅。古いものが、新しいものより価値があるとは限らない。以前よりも音は深く深く、情景は深甚に響く。今の僕に、特別な存在があるとするなら、それはスナだろう。

 スナとの絆は、父娘という奇妙な形に結実したが、まぁ、この先どうなるかは竜でもわからない。

 ……氷の宜い、ことわりを兆す。清冽せいれつが故に、魂に縛られず。

 音を鳴らそう。情景が鳴っているのか、僕が鳴っているのか。音は鳴らされたさかいはひびわれた

「…………」
「……。とギッタが言ってません」

 ぴくっ、とフラン姉妹が愛嬌のあるおもての、目と耳をそばだてる。

 僕の最悪の予測で凍え切った空気を暖めようと、カレンが双子に尋ねる。

「何か気付いたことでもあるの?」
「何を言ってるのか、あたしにもわからないけど、……竜がいる」
「竜がいるのに、……竜がいない。あたしにもわからないけど、尋常じゃない……。とギッタが言ってます」

 突き詰めれば、僕もフラン姉妹も、魔力異常という範疇カテゴリで括られるのかもしれない。スーラカイアの双子は、境界が不安定。感受性に優れているというのも考え物だ。

「サン、ギッタ。上空から周囲の確認。カレンの責任に於いて、即座に実行」

 状況を弁えているカレンを一瞥。次に竜騎士二人に視線を向ける。

「魔力込みで、足が速いのはどちらですか」
「あ、俺のほうが……」
「直ちに翠緑宮のフィア様に伝令。魔法使いのこと、みー様が狙われていることを伝え、僕に『遠観』を繋ぐよう進言してください。大広場まで走り、そこから大路に出て、これを使ってください」

 竜の文様が描かれた、赤い札を渡す。

 竜の国で使われるのは初めてだろうが、移住の際の注意事項で知らせてある。馬車を接収せっしゅうすることが出来るだろう。

「これって、竜札?」
「御者や乗客が文句を言うようなら、この札が侍従長の物だと告げてください。レナンスさん、最速でお願いします」
「は、はいっ」

 名前で呼んだほうが効率がいいだろう。彼の表情から効果があったことを知る。

 カレンが来てから仕事に余裕ができ、周囲の人物の名を覚えることに充てていたことが役立つ。

「パーキスさんは兵舎に伝令。竜騎士に大広場に集まるよう伝えてください。途中で竜騎士や近衛などと接見せっけんしたら、近衛隊の詰め所や闘技場に走らせ、大広場に集まるよう指示してください」

 真剣な面持ちで頷いてから、黄金の秤隊らしく猪突猛進で去ってゆく。

「拠点は、大広場で良いのかしら。私たちも翠緑……」
「フィア様の能力に鑑みて、竜の民の安全を優先する。順次探索に充てるなら、編成は僕たちで行うのが順当」

 異常が見当たらないのなら、双子を戻す。カレンに手で指示を出す。腹に力を入れ、

「ミニレム! 召喚!」

 魔法人形に呼び掛ける。

 石畳の一つと、袋小路の壁の一部が、ぱかっ、と開き、ミニレムが、ぴょこっ、と顔を出す。しゅたっ、と屋根の上に、五五を刻んだ孤高が参上する。

手空てすきの者と、仕事を後回しに出来る者。近距離ではなく、遠距離から魔法使いの探索」

 これまでミニレムからの、魔法使いの情報は上がっていない。ただ闇雲に探すだけでは見つからないだろう。孤高は静かに立ち去り、二体はわっしゃわっしゃと両手を振る。

「そういうわけで、ザーツネルさんは、竜騎士の編成をお願いします。魔法使いに対処可能な六人を一隊として、積極的な捜索に。それ以外は主要路の捜索と監視に。大広場に着くまでに振り分けを纏めておいてください」

 十字路の向こう、その先の角からサーイが姿を見せる。

 こちらを見て表情を緩ませたが、僕を見て顔を強張らせる。情報を抱えていると判断し、命令する。

「駆け足!」

 サーイが来るまでに片付けておくことにする。

「カレン及び双子は、老師の許へ向かい指示を仰ぐよう」
「っ、私も捜索に……」
「黙れ」

 文目あやめも知らぬ者にかかずらう暇などない。とはいえ、カレンは有用であるので一喝する。

「個人の感情と、緊急時の対応の是非を混同するな。双子を老師の下に就けた理由が分からぬわけではあるまい」

 底冷えする声に、失望を散らした、半端者を見る目。

 押し黙るカレン。

 地上に戻ったフラン姉妹がりずに魔法で攻撃しているようだ。

 僕の特性を干渉と捉えるなら、行動によってそれを助長し、回転という撹拌によって最大限の効果を発揮する。

 体を半回転させ、地面を踏み鳴らし、体を取り巻いているだろう魔法を手で掻きまわすよう振り払う。傲岸ごうがんさを振り撒き、不必要な意思を挫く。

細大さいだい漏らさず報告」

 カレンや双子との遣り取りを見せた。サーイを脅す必要はないだろう。

 人のことを言えた義理ではないが、制服が似合っていない。巨体と粗野な言行が目に付くが、長老のバーナスが補佐として使っているのだから、役目を与えれば熟すか。

「魔法使いと遭遇……じゃねぇ、いや、じゃなくて、魔法使いのほうから接触。誰何すっと奴はこう言いやがった。『魔法使い、とは心外ですね。私は呪術師です。名をエルタス・クラスタールと申します。どうぞお見知りおきを』ってな。でだ、捕まえようとっ、とはしてねぇけど、早く報告したほうがいいと思って、そのな……」

 言い訳を始めたので、シーソ張りの無表情でサーイを黙らせる。得られるものは得た。

「呪術師? 名まで明かしたってことは、準備が整ったというのは確定かな。すでに行動を起こしていると見るべきか。それにしても、呪術師、呪術師……か」

 聞き慣れない名称に首を傾げるザーツネル。

 氷焔で冒険者だった頃に、焚き火を囲いながら聞いた魔法使いの歴史。呪術師の話をコウから聞いていなかったら、僕も同じ反応だっただろう。事の重大性を認識させる為に、説明しておくか。

「呪術師、エルタス・クラスタール。恐らく、この者は呪術師の祖とされるソラタス・クラスタールの系譜けいふなのでしょう。委細は省きますが、この者ーークラスタールは魔法の基礎を修めた、本物の呪術師と想定する必要があります。呪術師の特徴に、一つの呪術に特化している、というものがあります。警戒を怠らぬよう」

 呪術師に関して詳し過ぎる僕に、様々な感情が向けられるが、知らぬが竜。

「サーイさんは、南の竜道に向かってください。衛兵や警備兵、職員がいれば彼らを使って構いません。フィア様に抜かりはないと思いますが、周囲の警戒と、必要があると判断すれば、偵察も行ってください。南の竜道は、外界とを繋ぐ最重要拠点の一つです。報告次第では、竜騎士を回すことになるかもしれません。あなたにもこれを渡しておきます」

 二つの竜札を必要とする事態が発生するとは。斯くの如し、詮方なく予備の竜札を渡す。

「ほれ、サーイ、行くぞ。大広場に着くまでに仔細を話してやる」

 ザーツネルがサーイの肩を叩き、行動を促す。語らずとも忖度してくれる、さすが頼れる兄貴分である。

 何故か困ったような顔で僕を見ているが、今はもう片方のことである。だが、必要なかったようだ。カレンは双子を連れて、すでに走り出している。

 そして、誰もいなくなった。

 ーー、……。……、ーーん? んん?

「……ん? あ、えっと……」

 誰もいなかった。

 あ、いや、僕が命令して、皆に対処に当たってもらった……はず。

 何となく覚えているのだが、所々朧気だったりするわけなのだけど。どうやら集中し過ぎて、竜の領域に没入ぼつにゅうしていたようで、また遣らかしてしまったらしい。

 あ~、まぁ、起こってしまったことは仕方がない。と居直ることにして、そこで重要なことに気付いた。

「えっと、僕は何をすればいいのかな?」

 冒険者失格の烙印を押されて、エルネアの剣の本拠地から旅立ったときのことを思い出す。

 この度は、間抜けな人間の為に、風さえ吹いてくれなかった。
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容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。 本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。 しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。 *6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。

悪役令嬢になるのも面倒なので、冒険にでかけます

綾月百花   
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リリーには幼い頃に決められた王子の婚約者がいたが、その婚約者の誕生日パーティーで婚約者はミーネと入場し挨拶して歩きファーストダンスまで踊る始末。国王と王妃に謝られ、贈り物も準備されていると宥められるが、その贈り物のドレスまでミーネが着ていた。リリーは怒ってワインボトルを持ち、美しいドレスをワイン色に染め上げるが、ミーネもリリーのドレスの裾を踏みつけ、ワインボトルからボトボトと頭から濡らされた。相手は子爵令嬢、リリーは伯爵令嬢、位の違いに国王も黙ってはいられない。婚約者はそれでも、リリーの肩を持たず、リリーは国王に婚約破棄をして欲しいと直訴する。それ受け入れられ、リリーは清々した。婚約破棄が完全に決まった後、リリーは深夜に家を飛び出し笛を吹く。会いたかったビエントに会えた。過ごすうちもっと好きになる。必死で練習した飛行魔法とささやかな攻撃魔法を身につけ、リリーは今度は自分からビエントに会いに行こうと家出をして旅を始めた。旅の途中の魔物の森で魔物に襲われ、リリーは自分の未熟さに気付き、国営の騎士団に入り、魔物狩りを始めた。最終目的はダンジョンの攻略。悪役令嬢と魔物退治、ダンジョン攻略等を混ぜてみました。メインはリリーが王妃になるまでのシンデレラストーリーです。

Sランク冒険者の受付嬢

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王都の中心街にある冒険者ギルド《ラウト・ハーヴ》は、王国最大のギルドで登録冒険者数も依頼数もNo.1と実績のあるギルドだ。 だがそんなギルドには1つの噂があった。それは、『あのギルドにはとてつもなく強い受付嬢』がいる、と。 そんな噂を耳にしてギルドに行けば、受付には1人の綺麗な銀髪をもつ受付嬢がいてー。 「こんにちは、ご用件は何でしょうか?」 その受付嬢は、今日もギルドで静かに仕事をこなしているようです。 これは、最強冒険者でもあるギルドの受付嬢の物語。 ※ほのぼので、日常:バトル=2:1くらいにするつもりです。 ※前のやつの改訂版です ※一章あたり約10話です。文字数は1話につき1500〜2500くらい。

エリクサーは不老不死の薬ではありません。~完成したエリクサーのせいで追放されましたが、隣国で色々助けてたら聖人に……ただの草使いですよ~

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エリクサー……それは生命あるものすべてを癒し、治す薬――そう、それだけだ。 主人公、リッツはスキル『草』と持ち前の知識でついにエリクサーを完成させるが、なぜか王様に偽物と判断されてしまう。 追放され行く当てもなくなったリッツは、とりあえず大好きな草を集めていると怪我をした神獣の子に出会う。 さらには倒れた少女と出会い、疫病が発生したという隣国へ向かった。 疫病? これ飲めば治りますよ? これは自前の薬とエリクサーを使い、聖人と呼ばれてしまった男の物語。

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