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六章 世界と魔法使い
竜饅事件 そのに 炎竜の涙
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「リシェさんは、竜人なのです? 研究が行き詰まってる理由に納得がいったのです」
「えっと、お願いします、フィア様。その、誤解を助長するような物言いは控えて下さると嬉しいのですが。それと解明が滞っているのは、僕の所為ではないと思いますので……」
僕の弁明というか懇願のようなものを、シアが冷たい目で一蹴する。
「みー様を肩車しながら、宰相と隊長たち、数百人の竜の民の追跡を逃れるのは、とても人間の所業とは思えないです。それと、怪我人が多数出ています。竜人侍従長殿、皆を治してくれたフィア様に感謝してください」
「むっ、シアったらまたなの。姉さん、と呼ぶように言ったの」
「ふぃ、フィア様っ、公式な場所では、敬意を込めた呼び方で……」
姉弟の仲が良好なようで、何よりです。
「昨日、みーちゃんが『竜の残り香』で北の洞窟に帰ったから、シアと一緒に寝ようと思ったの。なのに、逃げるなんて、いけない弟なの」
……姉弟の仲が、良好? なのは良いことなのだろうか。
「あ、ふっ、フィア様っ、そんなことを口にっ」
「そうだぞ、シア。その所為で、あたしがコウと一緒に寝ることになったのだから、これからも存分に逃走を許す」
夕べはお楽しみでしたね、とうっかり聞いてしまいそうになるくらい、艶々な肌のクーさんなのであった。
竜の都にいた枢要が、騒ぎを聞きつけて炎竜の間に集まっている。参集したのは半分以下なので、正式な形ではなく、玉座の前にいる僕らを取り囲むような形になっている。
僕ら、というのは、僕とみーのことである。
二人で、足を畳んで絨毯の上に座っている。コウさん曰く、古い文献にあったそうだが、反省をするときは、この姿勢を取るのだという。下が絨毯で柔らかいからいいが、もし硬い床だったら、これは拷問になるのではないだろうか。膝の上に重しでも置かれたら、正にそんな感じだ。
僕は騒乱と謀反の罪で、みーは翠緑王との約束を反故にした罪で、いや、咎ではなく、まだ容疑なのだが、こうしてしょっぴかれることと相成りました。
竜の国始まって以来の大事件。国家転覆と、大使と認可を受けた商店による癒着を裁く、重要な場面。と噂が拡がりそうだが、法廷の間である地竜の間を使っていない時点で、まぁ、お説教、或いは折檻で済むだろうことは、想像に難くないのだが。
そこら辺は、コウさんの匙加減しだい。
ところで、先程から僕の横に座らされているみーが妙にそわそわしているのだが。
足を畳んだ座り方が苦手なのか、それとも、じっとして黙っているのが駄目なのか、はたまた実は現在の自分の置かれている状況を理解していないのかもしれない。
「みーちゃん~、一日三個までって私と約束したの、覚えていますか~?」
「あーう、おぼえてるのだー、みんながくれたのは、べつばらなのだー」
ぷっ、やばい、失笑しそうになってしまった。ちょっとおたおたしながら言い訳するみーの言葉に、僕だけでなく、皆が絆されそうになっている。
こほんっ、と似合っていない空咳で、皆を窘めるコウさん。
みーが、びくんっと震える。
んー、先程からどうしたのだろう、こんな気不味そうなみーを見るのは初めてなのだが。
「あら~、ということは、みーちゃんは私との約束を破っていないのですか~」
「そ~う? そこのところのかいしゃくは、ひとそれぞれなのだー」
「わかりました~。では、何個食べたのか、きちんと申告できたら、許してあげても良いのですよ~」
「あうあう、いまかぞえるのだー」
「間違えないようにね~。親方さんから、正しい個数を聞いていますよ~」
指をひとつひとつ折りながら、必死に思い出しながら、数えていくみー。
然し、寄贈者から貰っていたのが、半分ずつだった所為か、四苦八苦しているようだ。個数が五個を超えると、上手く数えられない。
困って、コウさんを見上げるが、いつも優しいコウさんは、怒った風を装って、みーを見詰めている。
頑張って、指を折りながら数えようとするが、二進も三進もいかず、みーの顔から表情が少しずつ消えていって、って、え……。
到頭数えられなくなってしまったみーが、コウさんを大きな炎眼で見詰める。
縋っているような、拒絶するような、ただただコウさんを求める純粋な幼い心に、みしり、と亀裂が入ってゆく。
不思議とそれが感じられてしまった。
溢れた想いが、何もかもを奪い去って、大粒の涙が、ぽたり、と一つ落ちた。
「やぁああああああああああああああああああああああぁぁあああああああああぁあぁぁ」
力を失った腕は、だらりと垂れて。大きな瞳は、一心に。
心が空っぽになったら、そこには何があるのだろう。
堪らなくなるのかもしれない。
みーの泣き声に、想いだけが零れていく姿に、閉じ込めたはずの何かが、ぎりぎりと刺激されて、顔を出そうとしている。
みーは竜なのだ、なら僕は……。
泣くことしか出来なくなった生き物のように、とめどなくはらはらと流れ落ちる熱い衝動が、みーから際限なく奪ってゆく。
最も衝撃を受けたのは、生まれ落ちたそのときより失い続けてきたコウさんだったのかもしれない。
だから、一瞬、躊躇った。
「やあああああああああああああああああぁぁ……」
翠緑宮ごと震わすような竜の泣き声が、衝動を伴って再び駆け抜けてから、コウさんが動く。
みーの無防備な想いに触れて、泣き出しそうな歪んだ顔で、一刻でも早く。
「転移」でみーの許まで移動して、みーの頭を胸に掻き抱く。それでも嗚咽が収まらないみーを抱き締めたまま、「飛翔」で玉座の横の扉から飛び出していった。
恐らく、行く先は居室なのだろう。
まだ耳に、心に響いている。誰も彼もが、竜の慟哭を受け止め切れずにいる。いや、みーは悲しくて泣いていたのではない。もっと大きな、心の隙間のーー。
「やーい、こぞー。ちび助ん名ぁ使って、ちみっ子脅したろう?」
先程の言葉は間違いだった。みーの心を受け止められた者が一人いた。
静寂というより空虚のほうが近いだろう、何かを失ってしまったかのような沈黙をエンさんが引き裂いた。
正鵠を射たエンさんの確認に、言葉もなく、頷くことしか出来ない。
「だろーなぁ。ちみっ子ぁ、ちび助ん隠し事作っちまった。自分が悪ぃことしてんって、認めちまった。ちみっ子ぁあれで、ぶきっちょだかんな、ちび助ん駄目んこと二つ抱えて、謝って許してもらおーってぇんは、卑怯んことだと思っちまった。そんでも、でぇ好きなちび助ん、どーにか許してもらおうって頑張ったけど、最初から袋小路、どーにもならねぇって。で、いっぺぇいっぺぇんなって、爆発しちまった。最初ん叱ってやらんかったこぞーん罪ゃ重ぇなぁ。そん場所ちび助いりゃー、って、こりゃ、後ん祭りか」
耳から心に至る経路のすべてが、ずきずきと痛んだ。
返す言葉もない。最初から間違えていたのだ、不運が重なったと言い訳することなど出来ようはずがない。
「団長、あれほど拾い食いは駄目だと……」
「ちゃんと防御しろー」
エンさんの慧眼、本質を見抜く力の本領を見慣れていなかった、或いは知的な団長の言行に戸惑ったギルースさんが、うっかり口を滑らせる。
言葉の途中で、どかんっ、と吹き飛ばされて、僕の近くまで転がってくる。
「あともー一人いたなー」
「ひっ」
続いてフィヨルさんが吹っ飛ばされて、ギルースさんの上に落ちる。
「ごぼっ」
「ふびっ」
「騒ぎ大きくしたってーんと、あとぁ、こぞーん捕まえらんなかったみてーだし、明日一日みっちり扱いてやんから、覚悟しやがれ」
「……へい」
「はい」
再び僕に視線が向けられたので、とりあえず差し障りのない言葉でお茶を濁す。
「えっと、エンさん、詳しいですね」
「あん? だてん二人、妹育ててねぇからな」
育てたかどうかの真偽はさておき、見守っていたのは確かだろう。
ときどき思わされていたが、やっぱりエンさんは侮れない人のようだ。こうして、貫禄たっぷりに捌いていく様は、不思議と王者の威厳が感じられる。
「ちび助いねぇから、こぞーん処遇俺ぁ決めっかぁ。そーさなぁ、譲ちゃん、指揮官やんな」
「っ! 武器の使用は?」
「王宮壊さねぇなら、罠もいーぞ」
「開始音は?」
「あんま時間掛けてもなぁ、四つ音んしときな」
「『神遁』を相手にするには、心許ないですが、致し方ありません」
「ほれほれ、竜騎士と志願者ぁ、譲ちゃんとこ行きなー」
移動を促したエンさんの手が真横に伸びて、がすっ、とカレンの許に集おうとしていたクーさんの襟首を掴む。
僕には見えないが、エンさんの手の辺りで魔力による激しい攻防が繰り広げられているようだ。
皆からは見えていない位置なので、気付かない振りをして参加しようとする宰相だが、竜騎士団団長はびくともしない。
「相棒ぁ駄目だ。王宮ぶっ壊すだろーが。俺ん一緒ん判定役だ」
「…………」
今回の一件を掻き回した自覚があるのだろう、肩を落として、とぼとぼと炎竜の間から退散してゆく。それとは逆に、きびきびと精彩を放つカレン。
「〝サイカ〟の里にて、三度の煮え湯を飲まされた私が指揮を執らせていただきます。先ず、ランル・リシェを人間だと思っている者がいるなら、その間違った考えを今すぐ捨てなさい。あれは、逃走に特化した魔獣よりえぐい異質な化け物です」
カレンの訓示が続いているが、そんなことより陣形とか罠とかに取り掛かったほうがいいのではないだろうか。
自分で自分の首を絞めるだけなので、黙りを決め込む。
然し、どうしてこう、すらすらと僕の悪口が止め処なく溢れてくるのだろう。
それと、今のがカレンの本音なら、僕に裏切られたということになってしまうのだが。そこまで信用されていた覚えなどまったくない。コウさんといいカレンといい、やっぱり女の子の根本のところは男には理解できないようになっているのかもしれない。
んー、考えても碌な答えに辿り着けそうもないし、誰も見ていない間に、足を……。
「こら、こぞー、足崩すんじゃねぇ。あとは、だ。こぞーん捕まえたら、褒賞で竜ん雫やらぁ。それん『ちみっ子と一日わくわく遊覧飛行』ん権利もお負けだ。あー、『ちび助と一日お昼寝ごろごろ』でんいーぞ」
「『侍従長に何でも一つ言うことを聞かせられる』の権利は?」
「許す。『団長と一日ごりごり秘密特訓』でん……」
「「「「「要りません」」」」」
あ、珍しい、エンさんが本気で落ち込んでいる。あ、ちょっと、そこのシア、なに素知らぬ風を装って参加しようと、って、クーさん、名残惜しそうに見てないで、判定役なんですから、さっさと持ち場に戻ってください。ああ、長老方は周期を考えてくださいって。
「近辺の竜騎士を動員、職員にも『フィア様みー様仲良し小好し』の権利のことを伝え、手広く集めなさい」
「あの、それでは職務が滞って……」
「優先順位を間違えてはいけません。これは、演習を兼ねています。何より、これは国として下した最優先事項です」
幸い、フラン姉妹はいないし、カレンは呼び寄せるつもりはないようだ。エンさんやクーさんより強いだろう、スーラカイアの双子がいないだけで、かなり助かる。
「譲ちゃん、俺ぁそこまで……」
「すべての責任は、竜騎士団団長が負ってくださいます。各位傾聴! 己が矜持に恥じぬ戦いを! 己が望む願いを叶えんが為! 我らが祖国に仇なす敵を討ち滅ぼす、その瞬間まで! 死力を尽くしなさい!」
「「「「「はっ!!」」」」」
竜に魂を喰われてしまったのだろうか、カレンが壊れてしまった。
狂気は伝染する、と言うが、皆さん目が血走っておられます。あぁ、足が痺れて痛くなってきたんですが……。
ーー四つ音の鐘は鳴り、世界が狂乱と激情の巷と化す。
竜の涙に報いようと憂き身を窶す竜の民は、心を竜にして、炎竜をよすがにその身と魂を焼べるーー、……っ!? ……。
「きぃーー! 覚えてらっしゃい!!」
翠緑宮から出た僕の後ろから、負け犬の遠吠えが響く。
仕方がなかったとはいえ、全力で逃げてしまった。「晴れときどき竜」作戦は失敗かなぁ。返上さんや挽回さんの親戚であるところの、汚名さんは侍従長と仲良く謎舞踊で、更にどろどろになったみたいだけど。
「えっと、お願いします、フィア様。その、誤解を助長するような物言いは控えて下さると嬉しいのですが。それと解明が滞っているのは、僕の所為ではないと思いますので……」
僕の弁明というか懇願のようなものを、シアが冷たい目で一蹴する。
「みー様を肩車しながら、宰相と隊長たち、数百人の竜の民の追跡を逃れるのは、とても人間の所業とは思えないです。それと、怪我人が多数出ています。竜人侍従長殿、皆を治してくれたフィア様に感謝してください」
「むっ、シアったらまたなの。姉さん、と呼ぶように言ったの」
「ふぃ、フィア様っ、公式な場所では、敬意を込めた呼び方で……」
姉弟の仲が良好なようで、何よりです。
「昨日、みーちゃんが『竜の残り香』で北の洞窟に帰ったから、シアと一緒に寝ようと思ったの。なのに、逃げるなんて、いけない弟なの」
……姉弟の仲が、良好? なのは良いことなのだろうか。
「あ、ふっ、フィア様っ、そんなことを口にっ」
「そうだぞ、シア。その所為で、あたしがコウと一緒に寝ることになったのだから、これからも存分に逃走を許す」
夕べはお楽しみでしたね、とうっかり聞いてしまいそうになるくらい、艶々な肌のクーさんなのであった。
竜の都にいた枢要が、騒ぎを聞きつけて炎竜の間に集まっている。参集したのは半分以下なので、正式な形ではなく、玉座の前にいる僕らを取り囲むような形になっている。
僕ら、というのは、僕とみーのことである。
二人で、足を畳んで絨毯の上に座っている。コウさん曰く、古い文献にあったそうだが、反省をするときは、この姿勢を取るのだという。下が絨毯で柔らかいからいいが、もし硬い床だったら、これは拷問になるのではないだろうか。膝の上に重しでも置かれたら、正にそんな感じだ。
僕は騒乱と謀反の罪で、みーは翠緑王との約束を反故にした罪で、いや、咎ではなく、まだ容疑なのだが、こうしてしょっぴかれることと相成りました。
竜の国始まって以来の大事件。国家転覆と、大使と認可を受けた商店による癒着を裁く、重要な場面。と噂が拡がりそうだが、法廷の間である地竜の間を使っていない時点で、まぁ、お説教、或いは折檻で済むだろうことは、想像に難くないのだが。
そこら辺は、コウさんの匙加減しだい。
ところで、先程から僕の横に座らされているみーが妙にそわそわしているのだが。
足を畳んだ座り方が苦手なのか、それとも、じっとして黙っているのが駄目なのか、はたまた実は現在の自分の置かれている状況を理解していないのかもしれない。
「みーちゃん~、一日三個までって私と約束したの、覚えていますか~?」
「あーう、おぼえてるのだー、みんながくれたのは、べつばらなのだー」
ぷっ、やばい、失笑しそうになってしまった。ちょっとおたおたしながら言い訳するみーの言葉に、僕だけでなく、皆が絆されそうになっている。
こほんっ、と似合っていない空咳で、皆を窘めるコウさん。
みーが、びくんっと震える。
んー、先程からどうしたのだろう、こんな気不味そうなみーを見るのは初めてなのだが。
「あら~、ということは、みーちゃんは私との約束を破っていないのですか~」
「そ~う? そこのところのかいしゃくは、ひとそれぞれなのだー」
「わかりました~。では、何個食べたのか、きちんと申告できたら、許してあげても良いのですよ~」
「あうあう、いまかぞえるのだー」
「間違えないようにね~。親方さんから、正しい個数を聞いていますよ~」
指をひとつひとつ折りながら、必死に思い出しながら、数えていくみー。
然し、寄贈者から貰っていたのが、半分ずつだった所為か、四苦八苦しているようだ。個数が五個を超えると、上手く数えられない。
困って、コウさんを見上げるが、いつも優しいコウさんは、怒った風を装って、みーを見詰めている。
頑張って、指を折りながら数えようとするが、二進も三進もいかず、みーの顔から表情が少しずつ消えていって、って、え……。
到頭数えられなくなってしまったみーが、コウさんを大きな炎眼で見詰める。
縋っているような、拒絶するような、ただただコウさんを求める純粋な幼い心に、みしり、と亀裂が入ってゆく。
不思議とそれが感じられてしまった。
溢れた想いが、何もかもを奪い去って、大粒の涙が、ぽたり、と一つ落ちた。
「やぁああああああああああああああああああああああぁぁあああああああああぁあぁぁ」
力を失った腕は、だらりと垂れて。大きな瞳は、一心に。
心が空っぽになったら、そこには何があるのだろう。
堪らなくなるのかもしれない。
みーの泣き声に、想いだけが零れていく姿に、閉じ込めたはずの何かが、ぎりぎりと刺激されて、顔を出そうとしている。
みーは竜なのだ、なら僕は……。
泣くことしか出来なくなった生き物のように、とめどなくはらはらと流れ落ちる熱い衝動が、みーから際限なく奪ってゆく。
最も衝撃を受けたのは、生まれ落ちたそのときより失い続けてきたコウさんだったのかもしれない。
だから、一瞬、躊躇った。
「やあああああああああああああああああぁぁ……」
翠緑宮ごと震わすような竜の泣き声が、衝動を伴って再び駆け抜けてから、コウさんが動く。
みーの無防備な想いに触れて、泣き出しそうな歪んだ顔で、一刻でも早く。
「転移」でみーの許まで移動して、みーの頭を胸に掻き抱く。それでも嗚咽が収まらないみーを抱き締めたまま、「飛翔」で玉座の横の扉から飛び出していった。
恐らく、行く先は居室なのだろう。
まだ耳に、心に響いている。誰も彼もが、竜の慟哭を受け止め切れずにいる。いや、みーは悲しくて泣いていたのではない。もっと大きな、心の隙間のーー。
「やーい、こぞー。ちび助ん名ぁ使って、ちみっ子脅したろう?」
先程の言葉は間違いだった。みーの心を受け止められた者が一人いた。
静寂というより空虚のほうが近いだろう、何かを失ってしまったかのような沈黙をエンさんが引き裂いた。
正鵠を射たエンさんの確認に、言葉もなく、頷くことしか出来ない。
「だろーなぁ。ちみっ子ぁ、ちび助ん隠し事作っちまった。自分が悪ぃことしてんって、認めちまった。ちみっ子ぁあれで、ぶきっちょだかんな、ちび助ん駄目んこと二つ抱えて、謝って許してもらおーってぇんは、卑怯んことだと思っちまった。そんでも、でぇ好きなちび助ん、どーにか許してもらおうって頑張ったけど、最初から袋小路、どーにもならねぇって。で、いっぺぇいっぺぇんなって、爆発しちまった。最初ん叱ってやらんかったこぞーん罪ゃ重ぇなぁ。そん場所ちび助いりゃー、って、こりゃ、後ん祭りか」
耳から心に至る経路のすべてが、ずきずきと痛んだ。
返す言葉もない。最初から間違えていたのだ、不運が重なったと言い訳することなど出来ようはずがない。
「団長、あれほど拾い食いは駄目だと……」
「ちゃんと防御しろー」
エンさんの慧眼、本質を見抜く力の本領を見慣れていなかった、或いは知的な団長の言行に戸惑ったギルースさんが、うっかり口を滑らせる。
言葉の途中で、どかんっ、と吹き飛ばされて、僕の近くまで転がってくる。
「あともー一人いたなー」
「ひっ」
続いてフィヨルさんが吹っ飛ばされて、ギルースさんの上に落ちる。
「ごぼっ」
「ふびっ」
「騒ぎ大きくしたってーんと、あとぁ、こぞーん捕まえらんなかったみてーだし、明日一日みっちり扱いてやんから、覚悟しやがれ」
「……へい」
「はい」
再び僕に視線が向けられたので、とりあえず差し障りのない言葉でお茶を濁す。
「えっと、エンさん、詳しいですね」
「あん? だてん二人、妹育ててねぇからな」
育てたかどうかの真偽はさておき、見守っていたのは確かだろう。
ときどき思わされていたが、やっぱりエンさんは侮れない人のようだ。こうして、貫禄たっぷりに捌いていく様は、不思議と王者の威厳が感じられる。
「ちび助いねぇから、こぞーん処遇俺ぁ決めっかぁ。そーさなぁ、譲ちゃん、指揮官やんな」
「っ! 武器の使用は?」
「王宮壊さねぇなら、罠もいーぞ」
「開始音は?」
「あんま時間掛けてもなぁ、四つ音んしときな」
「『神遁』を相手にするには、心許ないですが、致し方ありません」
「ほれほれ、竜騎士と志願者ぁ、譲ちゃんとこ行きなー」
移動を促したエンさんの手が真横に伸びて、がすっ、とカレンの許に集おうとしていたクーさんの襟首を掴む。
僕には見えないが、エンさんの手の辺りで魔力による激しい攻防が繰り広げられているようだ。
皆からは見えていない位置なので、気付かない振りをして参加しようとする宰相だが、竜騎士団団長はびくともしない。
「相棒ぁ駄目だ。王宮ぶっ壊すだろーが。俺ん一緒ん判定役だ」
「…………」
今回の一件を掻き回した自覚があるのだろう、肩を落として、とぼとぼと炎竜の間から退散してゆく。それとは逆に、きびきびと精彩を放つカレン。
「〝サイカ〟の里にて、三度の煮え湯を飲まされた私が指揮を執らせていただきます。先ず、ランル・リシェを人間だと思っている者がいるなら、その間違った考えを今すぐ捨てなさい。あれは、逃走に特化した魔獣よりえぐい異質な化け物です」
カレンの訓示が続いているが、そんなことより陣形とか罠とかに取り掛かったほうがいいのではないだろうか。
自分で自分の首を絞めるだけなので、黙りを決め込む。
然し、どうしてこう、すらすらと僕の悪口が止め処なく溢れてくるのだろう。
それと、今のがカレンの本音なら、僕に裏切られたということになってしまうのだが。そこまで信用されていた覚えなどまったくない。コウさんといいカレンといい、やっぱり女の子の根本のところは男には理解できないようになっているのかもしれない。
んー、考えても碌な答えに辿り着けそうもないし、誰も見ていない間に、足を……。
「こら、こぞー、足崩すんじゃねぇ。あとは、だ。こぞーん捕まえたら、褒賞で竜ん雫やらぁ。それん『ちみっ子と一日わくわく遊覧飛行』ん権利もお負けだ。あー、『ちび助と一日お昼寝ごろごろ』でんいーぞ」
「『侍従長に何でも一つ言うことを聞かせられる』の権利は?」
「許す。『団長と一日ごりごり秘密特訓』でん……」
「「「「「要りません」」」」」
あ、珍しい、エンさんが本気で落ち込んでいる。あ、ちょっと、そこのシア、なに素知らぬ風を装って参加しようと、って、クーさん、名残惜しそうに見てないで、判定役なんですから、さっさと持ち場に戻ってください。ああ、長老方は周期を考えてくださいって。
「近辺の竜騎士を動員、職員にも『フィア様みー様仲良し小好し』の権利のことを伝え、手広く集めなさい」
「あの、それでは職務が滞って……」
「優先順位を間違えてはいけません。これは、演習を兼ねています。何より、これは国として下した最優先事項です」
幸い、フラン姉妹はいないし、カレンは呼び寄せるつもりはないようだ。エンさんやクーさんより強いだろう、スーラカイアの双子がいないだけで、かなり助かる。
「譲ちゃん、俺ぁそこまで……」
「すべての責任は、竜騎士団団長が負ってくださいます。各位傾聴! 己が矜持に恥じぬ戦いを! 己が望む願いを叶えんが為! 我らが祖国に仇なす敵を討ち滅ぼす、その瞬間まで! 死力を尽くしなさい!」
「「「「「はっ!!」」」」」
竜に魂を喰われてしまったのだろうか、カレンが壊れてしまった。
狂気は伝染する、と言うが、皆さん目が血走っておられます。あぁ、足が痺れて痛くなってきたんですが……。
ーー四つ音の鐘は鳴り、世界が狂乱と激情の巷と化す。
竜の涙に報いようと憂き身を窶す竜の民は、心を竜にして、炎竜をよすがにその身と魂を焼べるーー、……っ!? ……。
「きぃーー! 覚えてらっしゃい!!」
翠緑宮から出た僕の後ろから、負け犬の遠吠えが響く。
仕方がなかったとはいえ、全力で逃げてしまった。「晴れときどき竜」作戦は失敗かなぁ。返上さんや挽回さんの親戚であるところの、汚名さんは侍従長と仲良く謎舞踊で、更にどろどろになったみたいだけど。
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