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五章 竜の民と魔法使い
「やわらかいところ」対策 中級編?
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三つ音の鐘が鳴ると同時に、コウさんが遣って来て、南の竜道へ出発である。
一巡り、仕事と睡眠だけと言ったが、それ以外に二つの例外というか、日課というか、そういうものがある。
一つは、夜の鍛錬。
エンさんとクーさんが竜の都に居るときに、闘技場で行っている。
闘技場は、大劇場や演舞場を兼ねているので、いずれ落ち着いたら、興行について考える必要が出てくるだろう。各竜地には、多目的用の施設を設けている。
話が逸れたが、二つ目がコウさんとの時間である。
その内の肝要が「やわらかいところ」対策である。ただ、これをどう位置付けしたらいいものか。侍従長の大切な役目だが、積極的に人に言える事柄ではないので、仕事とするには躊躇いがある。
他に、結果としてコウさんと時間を共有することになった役目がある。
王の裁可が必要な案件は、初めはコウさんに直接渡されていたのだが。残念ながら、いや、喜ぶべきことに、かもしれないが、彼女の意思決定は遅かった。
ひとつひとつを忽せにできない彼女は、真剣に熟慮の上で決めていったのだ。その熱意は歓迎するのだが、如何せん時間が掛かり過ぎて、案件が溜まっていく一方だった。
それではいけない、ということで、僕が事前に確認して、要点を纏めたり要約したり、相談にも乗ったりと、効率化を図った。
始めは、膨れっ面をしていたコウさんだが、作業効率が比較にならないほど上がったことで、あと自分が楽をすることが竜の国の為になると知って、リシェさんは意地悪なのです、という台詞を僕に投げ付けるだけで甘心してくれた。
コウさんとみーには、積極的に国内を巡ってもらっている。その為にも削れる時間は削っておかないと。
伝え聞いたところによると、王様と炎竜の大使は、皆に迎え入れられて、親しまれているらしい。まぁ、それは当然といえば当然。二人とも、あの可愛さである。二人の本性を知って、嫌いになる人は少ないだろう。
と、これまでの事項を再確認していたが、自分を誤魔化すにも限界があった。
「…………」
「…………」
失敗した。
氷焔と行動を共にするようになってから、何度思ったことだろう。とはいえ、今回の失敗は、ある意味、失敗とは言えないものなのかもしれないが。
コウさんと二人っきりで、手を繋いで、空を飛んでいる。
いや、語弊がある。空を飛んでいると言ったが、正確には、竜の都の人々が見えるくらいの低空を飛んでいる。
先程ザーツネルさんに言った通り、遊牧民を歓迎する目的で南の竜道の入り口まで向かっている。
以前は、遺跡からディスニアたちの許に向かったときのように、コウさんに掴まっていないといけなかったが、今は彼女に触れているだけで、同行できるようになっている。と、まぁ、そろそろ本題に触れなければならない……。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
本日の魔力放出の為に、手を繋ぐという方法を思い付いて、実行したのだが。
コウさんの負けず嫌いの部分を刺激して、目的通りに手を繋いだまでは良かった。
……やわらかい。と意識した瞬間、どくんっ、とまた僕の心臓が強く跳ねる。
うぐぅ、ただ手を繋いでいるだけだというのに、どうして僕はこんなにも胸中をざわつかせているのか。落ち着かないし、恥ずかしいし、焦ってしまうし、コウさんのほうに視線を向けることさえ出来ない。
掌に、もう一つの心臓があるのではないかと錯覚してしまいそうだ。
すでに掌の感覚がおかしくなっている。
僕が繋いでいるのは、本当にコウさんの手なのだろうか。そもそも、僕の手と違って、彼女の手は、何と表現すればいいのか、そう、繊細だった。
魔力放出という、こんな理由で触れていいものじゃなかった、とか今更そんなことを考えても遅いのだが。
然ても、僕の内はぐちゃぐちゃである。然あれど、僕には使命がある。たといどんな状態だろうが、コウさんの「やわらかいところ」に触れねばならぬ。と覚悟を決めて力を込めたら、少しだけ人差し指が動いた。
「……ぇ」
「……っ」
コウさんが、ぴくんっ、と小さく体を揺らす。それを感じて、僕のほうも、ぴくっ、と体が勝手に反応してしまう。
うぐぅぁ……、僕のなけなしの覚悟が霧散してしまう。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
……誰か助けてください。
切に願った。
みーが後から遣って来るということだったが、救世竜はまだ現れない。
みーのお仕事は、一つ音から始まる。北の洞窟まで飛んでいって、籠に一杯の竜の実を採って、指定のお店まで届けるのだ。
コウさんと御飯を食べて、コウさんに撫で撫でしてもらって、コウさんに身支度をしてもらって、コウさんにすりすりして、その後、コウさんに用事があるときは、竜の休憩所に特別に用意された「炎竜の寝床」で微睡の時間である。
七祝福の一つである「竜の寝顔」を拝した人々の顔を、出来立ての幸せにしていると、隠れた、いや、隠れてはいないが、知る人ぞ知る穴場となっているらしい。
ただ、困ったことが一つある。
みーに予定があるときは、例えば今日であれば、南の竜道に赴くので三つ音に起こしてあげてください、という書付の紙を持たせてあるのだが。休憩所で休んでいる人たちが、あまりに気持ち良さそうに眠っているみーを起こすことが出来ず、遅参することが何度かあった。
ーー今日もそうなのだろう。
ぐぅ、竜の民の皆さん、心を竜にして、みーを可及的速やかに目覚めさせてあげてください!
たすけりゅー、もとい助け竜は来ないと、なんか妙な熱でふやけてしまった精神に、もう一度覚悟の火を猛らせて、コウさんに気付かれないよう深呼吸を三回……と、二回追加。
あっ、急がないといけない。もう南の竜道に入ってしまった。
「僕には、魔法が効かない特性がありますが、鍛錬を積むことで、それを応用して、魔法の効果を任意で一度に一つだけ打ち消すことが出来るようになりました。そういうわけで、今回は『隠蔽』の魔法の効果を打ち消してみました」
大嘘である。
鍛錬する暇なんて僕にはなかった。それ以前に、鍛錬したところで、そんなことが可能になるとは思えない。
僕の言葉の意味がすぐには理解できなかったのか、ぽかんと口を開けるコウさん。なので、僕はその効果のほどを具体的に説明することにした。
「つまり、僕とコウさんは、仲良く手を繋いで飛んでいましたが、竜の民の皆さんからは丸見えだったというわけです。気付いていましたか? 皆さん、こちらを見て驚いたり指差したり、他にも手を振っている方もいましたね」
僕の説明が、ゆっくりとコウさんの頭に沁みこんでゆく。
理解が及んで、潤み始めた彼女の翠緑の瞳を窺って、より大きな成果を得ようと、繋げた手を持ち上げて、にぎにぎする。序でなので、空いている手でコウさんの手の甲をすりすり。お負けでエンさん笑顔。
「はっはっはっ、ここまで黙っていた甲斐がありました、はっはっはっ」
「ふぁ……っ!」
ぼぉぶんっ。
前方の竜道の入り口に向かって、多量の魔力が放出された。
「…………」
「……、……っ」
「…………」
「ーー、ーーっ」
「……?」
今日のお仕事は恙無く終了したはずなのだが。どうも、しっくり来ない。
見ると、居た堪れず三角帽子で顔を隠すかと思いきや、なぜかスカートの裾を掴んで隠すような仕草をしていた。
よくわからないが、目的は達成したので、早々に誤解を解いておかなくては。
「もちろん、嘘です。大嘘です。僕が身に付けたことといえば、夜毎の鍛錬で防御の技術が向上したことと、攻撃に使えそうな手を発見したことくらいです」
魔力放出の為なので許してくれるだろう。と甘い考えでいたら大間違い。そうは問屋が卸さない。怠け者には竜をくれてやれ。
……いや、僕も遣り過ぎたのではないかと、反省する部分があるとは思うのだが。あの、今から謝ったら許してくれたりしますでしょうか。
怖い。コウさんが無表情です。やばい、コウさん、やばい。
判決を待つ罪人の心境とは、こんなものなのだろうか。コウさんは、変わらず感情の宿らない瞳で僕を見て。
不意に、にこっと笑った。
駄目です。笑顔も怖いです。翠緑の瞳には、光ではなく闇が澱んでいます。
コウさんの、魔力で強化された握力で、僕の手がやばいことになっています。
馬車が通っていない時機で急降下。地面すれすれを滑空。
「えい」
そんな簡単な掛け声とともに、汗でほんのり湿っていた掌は、手荒く歓迎してくれる風の嘶きによって乾いてしまうのだった。
「ひっ」
手を放されてしまったので、「飛翔」や「結界」の効果がなくなって、ちょっぴり風と仲良くなったあと、地面と篤い友情を奏でるのだった。といい感じに言葉にしてみても、現実は変わらない。
落ちたり、転がったりと、もう何度目だろう。
侍従長の正装は一着しかないので、この格好のときは手加減して欲しいのだが。
ぐぎゃああぁあああぁ、げぐっ、がっ、痛ってたっ、がぁあああああぁ~~。
ごぶぇ……。
体裁というものがあるので、叫び声は心の中だけに留めておく。
褒めて欲しい。そんなものがあるのか微妙なところだが、竜の国の侍従長の沽券に係わるので。入り口へと転び出た僕の痴態に、左右の衛兵や受付に並ぶ人々は気付いていない。
皆が空を見上げている。
急坂を上って来た集団が目に入る。時機としては最高だった。彼らの到着を祝福で迎えることが出来た。
「祝福の淡雪」ーー僕がそう名付けた、魔力の光雪。
コウさんから放出された魔力が上空で爆発して、黄金色の粒子を降らせるのだ。
あのときは交換条件としてお願いしただけだったが、こうして淡雪に見惚れる人々の表情を見ると、結構な名案だったのではないかと思えてくる。
コウさんが入り口から歩み出て、僕の横で儚くも美しい光景に面を上げる。
起き上がって、コウさんの肩に手を置く。
コウさんの色彩。
何度見ても、優しい心地にさせてくれる。光雪に触れれば、ほんのり暖かい。それが、コウさんの魔力。
コウさんは、どんな表情で自身の魔力の名残を眺めているのだろう。そんなことを思いながら、視線は空に向けたまま。魔力を綾なす少女の、心の色彩を溶かし込んだような、物語をなぞったような淡光の幻想世界との、邂逅の余韻に揺蕩っていると、
「おいっ、何してる! 早くしないか!」
それを台無しにする焦燥を含んだ大声が耳を打つ。
竜道の入り口の横では、竜の国への、入国の受付を行っている。
移住者の宿営地の関係で、四つ音の時刻から人が増え始めるので今はまだ閑散としているが、それでも途切れ途切れに人は遣って来て、複数の移住希望者が並んでいた。
異変を察した衛兵二人が、同時に僕たちに気付いて、護衛するように左右前方に付く。その判断は、巡り巡って正解かもしれない。
本来なら、護衛など必要ない僕たちを放って、受付に駆け付けるべきだが、この場には、コウさんがいる。
竜の国の王様の邪魔をしないのが、足手纏いにならないよう行動するのが、適切な判断となる。
「私を誰だと思っている!!」
何を急ぐ必要があるのか、外套を纏った男は苛立ちを隠そうともせず、受付の女性に食って掛かる。
ただの悶着なら珍しくない、人の営みには付き物である。移住という状況なら尚更、起こる頻度は高まる。
僕たちが出しゃばると面倒になることもあるので、衛兵に任せるのが適当なのだが。同じことを二度言って恐縮だが、この場には、コウさんがいる。
竜の民が巻き込まれようとしているのに、彼女が他人任せになどするはずがない。と諦めていたら、周囲の空気が変わった。身に刺さるような冷たさと鋭さに、緊張が走る。
男がナイフを取り出して、女性の喉元に突き付けたのだ。いや、あれは、ナイフというより、儀式にでも用いられそうな凝った作りの、装飾用か?
ひっ、と若い女性が堪えきれず小さな悲鳴を漏らすと、彼女の体から薄皮が剥がれていった。
それは半透明な膜のようなもので、揺らめきながら女性から剥がれると、向きを変えて、武器を持つ男を包み込んで、拘束してしまう。
あっ、という声がしたので見てみると、コウさんが腕を上げているところだった。
やはり、コウさんの魔法のようだ。
薄皮に見えたものは、恐らく「結界」なのだろう。言ってみれば、やわらかい結界、ということで「軟結界」と呼ぶことにしよう。
コウさんは、体勢を崩して倒れる男には目もくれず、慌てて女性の許まで駆けていった。
「エルテナさんっ、大丈夫なのです? 怪我はありませんか!?」
エルテナという二十歳前後の女性の前で、ぴょんぴょん跳躍して、怪我の具合を確認しようとする。
始めはコウさんの言行に面食らっていたエルテナさんだが、
「はい。フィア様が助けてくださいましたので、傷一つありません」
柔和な笑顔で、三角帽子を取って、コウさんの頭を撫でる。
彼女の慣れた様子から、弟妹でもいるのかもしれない、と推測する。子供がいてもおかしくない周期だが、エルテナさんの振る舞いからは、そんな感じはしない。
さて、うちの王様は、安心して、褒められて、てれてれのむずむずである。
家族以外から褒められる機会は少なかっただろうから、良い傾向である。僕が褒めてもあまり喜んでくれないが、それはまた別の話である。
事態が終息したのを見て、長老を先頭に遊牧民たちが遣って来る。
彼らの周囲でミニレムたちがお手伝いの真っ最中。
南の竜道までは、二本の道が整備されている。一直線に坂を駆け上がる道と、蛇行した緩やかな坂道である。
急坂のほうでは、ミニレムが荷物持ちや手押し車の後ろを押したりと、八面六臂、は言い過ぎでも、痒いところに手が届く、くらいの大活躍であった。
コウさんやみーだけでなく、何事にも一生懸命に、健気に働くミニレムも竜の民から好感触を得ているようで何よりである。
彼らの財産でもある家畜は、すでに風竜の地に到着済みである。
安全に家畜を移動させる手段が、どうしても浮かばず、コウさんの魔法に頼ることになってしまった。
どうせ頼るのなら一番楽な方法で、とのクーさんの提案によって、家畜たちは空の道を移動して遣って来たのだった。負荷が掛からないよう、家畜には「幻影」の魔法が使われたそうだ。
彼らを迎える前に、片付けてしまうとしよう。
歩きながらコウさんを見ると、小さく頷いてくれる。これでもう、誰にも危害が及ぶことはない。
僕は、「軟結界」に包まれて、身動きできず地面に転がっている男を見下ろした。
中肉中背の中年。近付いたことでよくわかる。彼は、魔法使いだった。
一見しただけでわかる、魔法使いらしい風体。ただ、何というのか、そう、一言で言うと、地味。コウさんや老師のような華やかさがないので、暗くじめじめした感じが強調されてしまっている。ああ、でも、魔法使いは、こんな心象だったっけかな。
魔法使いといえば、コウさん。コウさんといえば、魔法使い。ずっとそんな感じだったので、違和感が生じてしまう。
ん、でも、最初に話をするまでのコウさんは、三角帽子と外套で姿を隠して、地味というか不気味というか変というか、そういえばそんな頃もあったな、と懐かしい気分になってしまう。
「よっと」
振り払うように「軟結界」があるであろう場所に触れて、男の拘束を解く。
そんな急ぐ必要などないのに、竜を見たギザマルのような慌てようで、僕から距離を取る。
憤怒と憎悪を蓄えた表情で腕を交差させる。
道の周辺は整備されているが、コウさんの指令なのか、魔法人形たちの配慮なのか、大きな岩はそのままにしてある。
その内の一つ、僕の身長ほどもある大きな岩が持ち上がって、小石を投げ付けるような速さで僕に迫る。城門くらいなら、一撃で破壊できそうだ。
「よっと」
先程と変わらず、時機を合わせて、軽く腕で振り払う。
それが魔法なら、慌てる必要はない。
僕の腕に当たって真横に落ちた岩は、地面に激突して粉々に砕け散った。って、うわっ、これは砕け散ったなんて水準ではなく、砂粒、は言い過ぎでも、指で摘めるくらいの欠片にまで粉砕されてしまった。
幸い、と言うべきなのか、これまでの経験が物を言って、動揺から演技を乱すようなことはなかったが。然てしも異様な光景である。
多分だが、岩の内部まで魔力が浸透していたが為に、この奇妙な破壊に繋がったのだろう。すると、この地味な中年の魔法使いは、上位の使い手ということになるのだが。
「ばっ、馬鹿な! こ、こっ、このような、あっていいはずがない!?」
三角帽子ごと頭を抱える魔法使い。
気の毒に思ってしまうくらいの顔面蒼白。このまま卒倒してしまわないかと、心配になってしまった。
どうやら高位の魔法使いのようであるし、周囲に彼に勝る者はいなかったのかもしれない。
斯かる状況に陥ったことがなかったのだろう。
人間の本質は逆境のときにこそ姿を現す、とはよく言ったもの。魔法を絶対の頼みとしてきたのだろう、それが通用しないだけで、すべてを否定されたかのような絶望を抱えて、醜態を晒している。
「それで、あなたは、何をしに竜の国に遣って来られたのですか?」
このままでは埒が明かないので、水を向けてみる。
僕の言葉に活路を見出したのか、魔法使いの双眸に強過ぎる光が宿る。
「私は、見ての通りの、強大な魔法使いである。竜の国は、魔法使いの王が統べる国だと聞く。なればこそ、私が力を貸してやろう。さすれば、竜の国は、この大陸に冠する魔法大国となるだろう! ふはっ、ふはっ、ふははははははははっ!」
得意満面であるところ申し訳ないが、僕たちはそんなものを標榜した覚えはありません。
実際には逆で、魔法に長じた国として突出しないよう、かなりの制限を設けている。
現行水準を超えてしまった翠緑宮や湖竜、地下の施設など、ーーそして、実は機密の塊であるミニレム。
これらには出来得る限りの対策を施して、魔法や魔工技術が他国に流失するのを防いでいる。まぁ、ミニレムの場合、魔法的にあまりに高度過ぎて、誰にも解き明かすことなんて出来ないだろうから(ミニレムの核の構成は偶然の産物、みーの賜物なので、未だコウさんも完全には理解できていないらしい)逆に安全(?)ではあるのだけど。
竜の国の完成後、老師からの言い付けで、コウさんはより大きな制約を課せられることになった。
手足を縛られて、目を覆い耳を塞ぎ、……そんな王様の姿を想像してーーませんよっ、してないったらしてませんよっ、と僕の良心に納得してもらえたところで。まぁ、拘束云々は言い過ぎだが、要は細かいところで、分別を伴う行動を求められたということだ。
例えば、その内の一つが「遠観」の使用基準。
こんなことを言うのは気が引けるのだが、コウさんは覗きが仕放題なのである。
みーが、のぞきみりゅー? と穢れのない真炎のような眼差しでコウさんに聞いたので。
……まぁ、その後の、彼女の魔力が乱れたことによる、ミニレムを巻き込んでの乱痴気振りはーー王様の名誉の為にも記憶から抹消してあげることにしよう。
然てこそその気になれば魔法使いの女の子は、竜の国の中なら、どこでも自由に観ることが出来る。
そこで「遠観」は、連絡時と緊急時に使用が限定されることとなった。
さて、未だに弁舌を弄する魔法使いだが、……臭う。然てしも、臭う。コウさんの心臓を短剣で一突きにした、あの若者と同じ臭いがする。
根拠と言えるほどのものはないが、間違いであるような気がしないので、鎌を掛けてみる。
「また、ですか。竜の国は、罪人の逃亡先ではありませんよ」
「な、なななっ、何を言っているのだっ! 何を根拠に、何を理由に、どんな用件にてっ、そのような戯れ事を申されるに至ったのかを、簡潔に述べられよ?!」
まるで竜が逆立ちしているのを、うっかり目撃してしまったかのような取り乱しようである。
故事によると、竜のあらぬ姿を見た者は、百の不幸に見舞われた後、魂を喰われるという。律儀なのか、暇だったのか、百の不幸を列挙した古書が伝わっている。
ああ、これは駄目だ。色々な意味で駄目だ。上手くいっているときにしか力を発揮できない、典型的な人間だ。
魔法の師範としてならいいかもしれないが、要職に就けられる類いの性質の持ち主ではない。
どのみち彼が全力で肯定しているように、罪人であるなら、受け容れるかどうかを検討する必要すらない。
「魔法使いの国なのだろう! なら、私が必要なはずだっ!」
畢竟するに、最後まで魔法である。
手立てを講じることなく、愚直に正面から訴える。
どうやら、魔法の力を誇示しているらしい。魔法使いの血走った目は、狂気と呼んで差し支えないものかもしれないが、魔法が見えない僕からすると、滑稽でしかない。
次々と僕に魔法が炸裂しているようだ。居回りの様子から、相当な高等魔法が行使されていることが窺える。
意地になっているのかもしれない。
魔法を糧として生きてきた者からすると、魔法が効かない者など認められない、存在ごと抹消しなければならない、そんな汚らわしいものとして映っているのかもしれない。
「……化け物め。なんだお前は……、なんなのだ……」
度重なる魔法の行使で、魔力を消耗したようだ。
辛そうな途切れ途切れの言葉に、今にも泣き出しそうな情けない有様に、憐憫の情が湧くが、判断が揺るぐことはない。
そろそろ卑陋の魔法使いにお引き取り願おうかと、頭の中で言葉を選っていたが、背後からの心地良い気配に触れて、人を傷付ける為に集めたものたちが解けてゆく。
コウさんが僕の横に並んで、王としての言葉を紡ぐ。
「あなたを竜の国に迎え入れるには、条件があります。あなたによって被害に遭った方の許に赴いて、許しを得てきてください」
「そ、そんなことをすれば、私は!」
王が指針を示した。ならば、あとは僕が引き受けよう。
「その結果、どうなろうと、それがあなたのした事です。あなたが受けるべき報いです。それと、あなた程度の魔法の使い手を、竜の国は必要としていません。必要としているのは、魔工技師です。残念なことに、あなたにその素養はないようですが」
果たせるかな、若者同様に魔法使いは逃げ出した。
一巡り、仕事と睡眠だけと言ったが、それ以外に二つの例外というか、日課というか、そういうものがある。
一つは、夜の鍛錬。
エンさんとクーさんが竜の都に居るときに、闘技場で行っている。
闘技場は、大劇場や演舞場を兼ねているので、いずれ落ち着いたら、興行について考える必要が出てくるだろう。各竜地には、多目的用の施設を設けている。
話が逸れたが、二つ目がコウさんとの時間である。
その内の肝要が「やわらかいところ」対策である。ただ、これをどう位置付けしたらいいものか。侍従長の大切な役目だが、積極的に人に言える事柄ではないので、仕事とするには躊躇いがある。
他に、結果としてコウさんと時間を共有することになった役目がある。
王の裁可が必要な案件は、初めはコウさんに直接渡されていたのだが。残念ながら、いや、喜ぶべきことに、かもしれないが、彼女の意思決定は遅かった。
ひとつひとつを忽せにできない彼女は、真剣に熟慮の上で決めていったのだ。その熱意は歓迎するのだが、如何せん時間が掛かり過ぎて、案件が溜まっていく一方だった。
それではいけない、ということで、僕が事前に確認して、要点を纏めたり要約したり、相談にも乗ったりと、効率化を図った。
始めは、膨れっ面をしていたコウさんだが、作業効率が比較にならないほど上がったことで、あと自分が楽をすることが竜の国の為になると知って、リシェさんは意地悪なのです、という台詞を僕に投げ付けるだけで甘心してくれた。
コウさんとみーには、積極的に国内を巡ってもらっている。その為にも削れる時間は削っておかないと。
伝え聞いたところによると、王様と炎竜の大使は、皆に迎え入れられて、親しまれているらしい。まぁ、それは当然といえば当然。二人とも、あの可愛さである。二人の本性を知って、嫌いになる人は少ないだろう。
と、これまでの事項を再確認していたが、自分を誤魔化すにも限界があった。
「…………」
「…………」
失敗した。
氷焔と行動を共にするようになってから、何度思ったことだろう。とはいえ、今回の失敗は、ある意味、失敗とは言えないものなのかもしれないが。
コウさんと二人っきりで、手を繋いで、空を飛んでいる。
いや、語弊がある。空を飛んでいると言ったが、正確には、竜の都の人々が見えるくらいの低空を飛んでいる。
先程ザーツネルさんに言った通り、遊牧民を歓迎する目的で南の竜道の入り口まで向かっている。
以前は、遺跡からディスニアたちの許に向かったときのように、コウさんに掴まっていないといけなかったが、今は彼女に触れているだけで、同行できるようになっている。と、まぁ、そろそろ本題に触れなければならない……。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
本日の魔力放出の為に、手を繋ぐという方法を思い付いて、実行したのだが。
コウさんの負けず嫌いの部分を刺激して、目的通りに手を繋いだまでは良かった。
……やわらかい。と意識した瞬間、どくんっ、とまた僕の心臓が強く跳ねる。
うぐぅ、ただ手を繋いでいるだけだというのに、どうして僕はこんなにも胸中をざわつかせているのか。落ち着かないし、恥ずかしいし、焦ってしまうし、コウさんのほうに視線を向けることさえ出来ない。
掌に、もう一つの心臓があるのではないかと錯覚してしまいそうだ。
すでに掌の感覚がおかしくなっている。
僕が繋いでいるのは、本当にコウさんの手なのだろうか。そもそも、僕の手と違って、彼女の手は、何と表現すればいいのか、そう、繊細だった。
魔力放出という、こんな理由で触れていいものじゃなかった、とか今更そんなことを考えても遅いのだが。
然ても、僕の内はぐちゃぐちゃである。然あれど、僕には使命がある。たといどんな状態だろうが、コウさんの「やわらかいところ」に触れねばならぬ。と覚悟を決めて力を込めたら、少しだけ人差し指が動いた。
「……ぇ」
「……っ」
コウさんが、ぴくんっ、と小さく体を揺らす。それを感じて、僕のほうも、ぴくっ、と体が勝手に反応してしまう。
うぐぅぁ……、僕のなけなしの覚悟が霧散してしまう。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
……誰か助けてください。
切に願った。
みーが後から遣って来るということだったが、救世竜はまだ現れない。
みーのお仕事は、一つ音から始まる。北の洞窟まで飛んでいって、籠に一杯の竜の実を採って、指定のお店まで届けるのだ。
コウさんと御飯を食べて、コウさんに撫で撫でしてもらって、コウさんに身支度をしてもらって、コウさんにすりすりして、その後、コウさんに用事があるときは、竜の休憩所に特別に用意された「炎竜の寝床」で微睡の時間である。
七祝福の一つである「竜の寝顔」を拝した人々の顔を、出来立ての幸せにしていると、隠れた、いや、隠れてはいないが、知る人ぞ知る穴場となっているらしい。
ただ、困ったことが一つある。
みーに予定があるときは、例えば今日であれば、南の竜道に赴くので三つ音に起こしてあげてください、という書付の紙を持たせてあるのだが。休憩所で休んでいる人たちが、あまりに気持ち良さそうに眠っているみーを起こすことが出来ず、遅参することが何度かあった。
ーー今日もそうなのだろう。
ぐぅ、竜の民の皆さん、心を竜にして、みーを可及的速やかに目覚めさせてあげてください!
たすけりゅー、もとい助け竜は来ないと、なんか妙な熱でふやけてしまった精神に、もう一度覚悟の火を猛らせて、コウさんに気付かれないよう深呼吸を三回……と、二回追加。
あっ、急がないといけない。もう南の竜道に入ってしまった。
「僕には、魔法が効かない特性がありますが、鍛錬を積むことで、それを応用して、魔法の効果を任意で一度に一つだけ打ち消すことが出来るようになりました。そういうわけで、今回は『隠蔽』の魔法の効果を打ち消してみました」
大嘘である。
鍛錬する暇なんて僕にはなかった。それ以前に、鍛錬したところで、そんなことが可能になるとは思えない。
僕の言葉の意味がすぐには理解できなかったのか、ぽかんと口を開けるコウさん。なので、僕はその効果のほどを具体的に説明することにした。
「つまり、僕とコウさんは、仲良く手を繋いで飛んでいましたが、竜の民の皆さんからは丸見えだったというわけです。気付いていましたか? 皆さん、こちらを見て驚いたり指差したり、他にも手を振っている方もいましたね」
僕の説明が、ゆっくりとコウさんの頭に沁みこんでゆく。
理解が及んで、潤み始めた彼女の翠緑の瞳を窺って、より大きな成果を得ようと、繋げた手を持ち上げて、にぎにぎする。序でなので、空いている手でコウさんの手の甲をすりすり。お負けでエンさん笑顔。
「はっはっはっ、ここまで黙っていた甲斐がありました、はっはっはっ」
「ふぁ……っ!」
ぼぉぶんっ。
前方の竜道の入り口に向かって、多量の魔力が放出された。
「…………」
「……、……っ」
「…………」
「ーー、ーーっ」
「……?」
今日のお仕事は恙無く終了したはずなのだが。どうも、しっくり来ない。
見ると、居た堪れず三角帽子で顔を隠すかと思いきや、なぜかスカートの裾を掴んで隠すような仕草をしていた。
よくわからないが、目的は達成したので、早々に誤解を解いておかなくては。
「もちろん、嘘です。大嘘です。僕が身に付けたことといえば、夜毎の鍛錬で防御の技術が向上したことと、攻撃に使えそうな手を発見したことくらいです」
魔力放出の為なので許してくれるだろう。と甘い考えでいたら大間違い。そうは問屋が卸さない。怠け者には竜をくれてやれ。
……いや、僕も遣り過ぎたのではないかと、反省する部分があるとは思うのだが。あの、今から謝ったら許してくれたりしますでしょうか。
怖い。コウさんが無表情です。やばい、コウさん、やばい。
判決を待つ罪人の心境とは、こんなものなのだろうか。コウさんは、変わらず感情の宿らない瞳で僕を見て。
不意に、にこっと笑った。
駄目です。笑顔も怖いです。翠緑の瞳には、光ではなく闇が澱んでいます。
コウさんの、魔力で強化された握力で、僕の手がやばいことになっています。
馬車が通っていない時機で急降下。地面すれすれを滑空。
「えい」
そんな簡単な掛け声とともに、汗でほんのり湿っていた掌は、手荒く歓迎してくれる風の嘶きによって乾いてしまうのだった。
「ひっ」
手を放されてしまったので、「飛翔」や「結界」の効果がなくなって、ちょっぴり風と仲良くなったあと、地面と篤い友情を奏でるのだった。といい感じに言葉にしてみても、現実は変わらない。
落ちたり、転がったりと、もう何度目だろう。
侍従長の正装は一着しかないので、この格好のときは手加減して欲しいのだが。
ぐぎゃああぁあああぁ、げぐっ、がっ、痛ってたっ、がぁあああああぁ~~。
ごぶぇ……。
体裁というものがあるので、叫び声は心の中だけに留めておく。
褒めて欲しい。そんなものがあるのか微妙なところだが、竜の国の侍従長の沽券に係わるので。入り口へと転び出た僕の痴態に、左右の衛兵や受付に並ぶ人々は気付いていない。
皆が空を見上げている。
急坂を上って来た集団が目に入る。時機としては最高だった。彼らの到着を祝福で迎えることが出来た。
「祝福の淡雪」ーー僕がそう名付けた、魔力の光雪。
コウさんから放出された魔力が上空で爆発して、黄金色の粒子を降らせるのだ。
あのときは交換条件としてお願いしただけだったが、こうして淡雪に見惚れる人々の表情を見ると、結構な名案だったのではないかと思えてくる。
コウさんが入り口から歩み出て、僕の横で儚くも美しい光景に面を上げる。
起き上がって、コウさんの肩に手を置く。
コウさんの色彩。
何度見ても、優しい心地にさせてくれる。光雪に触れれば、ほんのり暖かい。それが、コウさんの魔力。
コウさんは、どんな表情で自身の魔力の名残を眺めているのだろう。そんなことを思いながら、視線は空に向けたまま。魔力を綾なす少女の、心の色彩を溶かし込んだような、物語をなぞったような淡光の幻想世界との、邂逅の余韻に揺蕩っていると、
「おいっ、何してる! 早くしないか!」
それを台無しにする焦燥を含んだ大声が耳を打つ。
竜道の入り口の横では、竜の国への、入国の受付を行っている。
移住者の宿営地の関係で、四つ音の時刻から人が増え始めるので今はまだ閑散としているが、それでも途切れ途切れに人は遣って来て、複数の移住希望者が並んでいた。
異変を察した衛兵二人が、同時に僕たちに気付いて、護衛するように左右前方に付く。その判断は、巡り巡って正解かもしれない。
本来なら、護衛など必要ない僕たちを放って、受付に駆け付けるべきだが、この場には、コウさんがいる。
竜の国の王様の邪魔をしないのが、足手纏いにならないよう行動するのが、適切な判断となる。
「私を誰だと思っている!!」
何を急ぐ必要があるのか、外套を纏った男は苛立ちを隠そうともせず、受付の女性に食って掛かる。
ただの悶着なら珍しくない、人の営みには付き物である。移住という状況なら尚更、起こる頻度は高まる。
僕たちが出しゃばると面倒になることもあるので、衛兵に任せるのが適当なのだが。同じことを二度言って恐縮だが、この場には、コウさんがいる。
竜の民が巻き込まれようとしているのに、彼女が他人任せになどするはずがない。と諦めていたら、周囲の空気が変わった。身に刺さるような冷たさと鋭さに、緊張が走る。
男がナイフを取り出して、女性の喉元に突き付けたのだ。いや、あれは、ナイフというより、儀式にでも用いられそうな凝った作りの、装飾用か?
ひっ、と若い女性が堪えきれず小さな悲鳴を漏らすと、彼女の体から薄皮が剥がれていった。
それは半透明な膜のようなもので、揺らめきながら女性から剥がれると、向きを変えて、武器を持つ男を包み込んで、拘束してしまう。
あっ、という声がしたので見てみると、コウさんが腕を上げているところだった。
やはり、コウさんの魔法のようだ。
薄皮に見えたものは、恐らく「結界」なのだろう。言ってみれば、やわらかい結界、ということで「軟結界」と呼ぶことにしよう。
コウさんは、体勢を崩して倒れる男には目もくれず、慌てて女性の許まで駆けていった。
「エルテナさんっ、大丈夫なのです? 怪我はありませんか!?」
エルテナという二十歳前後の女性の前で、ぴょんぴょん跳躍して、怪我の具合を確認しようとする。
始めはコウさんの言行に面食らっていたエルテナさんだが、
「はい。フィア様が助けてくださいましたので、傷一つありません」
柔和な笑顔で、三角帽子を取って、コウさんの頭を撫でる。
彼女の慣れた様子から、弟妹でもいるのかもしれない、と推測する。子供がいてもおかしくない周期だが、エルテナさんの振る舞いからは、そんな感じはしない。
さて、うちの王様は、安心して、褒められて、てれてれのむずむずである。
家族以外から褒められる機会は少なかっただろうから、良い傾向である。僕が褒めてもあまり喜んでくれないが、それはまた別の話である。
事態が終息したのを見て、長老を先頭に遊牧民たちが遣って来る。
彼らの周囲でミニレムたちがお手伝いの真っ最中。
南の竜道までは、二本の道が整備されている。一直線に坂を駆け上がる道と、蛇行した緩やかな坂道である。
急坂のほうでは、ミニレムが荷物持ちや手押し車の後ろを押したりと、八面六臂、は言い過ぎでも、痒いところに手が届く、くらいの大活躍であった。
コウさんやみーだけでなく、何事にも一生懸命に、健気に働くミニレムも竜の民から好感触を得ているようで何よりである。
彼らの財産でもある家畜は、すでに風竜の地に到着済みである。
安全に家畜を移動させる手段が、どうしても浮かばず、コウさんの魔法に頼ることになってしまった。
どうせ頼るのなら一番楽な方法で、とのクーさんの提案によって、家畜たちは空の道を移動して遣って来たのだった。負荷が掛からないよう、家畜には「幻影」の魔法が使われたそうだ。
彼らを迎える前に、片付けてしまうとしよう。
歩きながらコウさんを見ると、小さく頷いてくれる。これでもう、誰にも危害が及ぶことはない。
僕は、「軟結界」に包まれて、身動きできず地面に転がっている男を見下ろした。
中肉中背の中年。近付いたことでよくわかる。彼は、魔法使いだった。
一見しただけでわかる、魔法使いらしい風体。ただ、何というのか、そう、一言で言うと、地味。コウさんや老師のような華やかさがないので、暗くじめじめした感じが強調されてしまっている。ああ、でも、魔法使いは、こんな心象だったっけかな。
魔法使いといえば、コウさん。コウさんといえば、魔法使い。ずっとそんな感じだったので、違和感が生じてしまう。
ん、でも、最初に話をするまでのコウさんは、三角帽子と外套で姿を隠して、地味というか不気味というか変というか、そういえばそんな頃もあったな、と懐かしい気分になってしまう。
「よっと」
振り払うように「軟結界」があるであろう場所に触れて、男の拘束を解く。
そんな急ぐ必要などないのに、竜を見たギザマルのような慌てようで、僕から距離を取る。
憤怒と憎悪を蓄えた表情で腕を交差させる。
道の周辺は整備されているが、コウさんの指令なのか、魔法人形たちの配慮なのか、大きな岩はそのままにしてある。
その内の一つ、僕の身長ほどもある大きな岩が持ち上がって、小石を投げ付けるような速さで僕に迫る。城門くらいなら、一撃で破壊できそうだ。
「よっと」
先程と変わらず、時機を合わせて、軽く腕で振り払う。
それが魔法なら、慌てる必要はない。
僕の腕に当たって真横に落ちた岩は、地面に激突して粉々に砕け散った。って、うわっ、これは砕け散ったなんて水準ではなく、砂粒、は言い過ぎでも、指で摘めるくらいの欠片にまで粉砕されてしまった。
幸い、と言うべきなのか、これまでの経験が物を言って、動揺から演技を乱すようなことはなかったが。然てしも異様な光景である。
多分だが、岩の内部まで魔力が浸透していたが為に、この奇妙な破壊に繋がったのだろう。すると、この地味な中年の魔法使いは、上位の使い手ということになるのだが。
「ばっ、馬鹿な! こ、こっ、このような、あっていいはずがない!?」
三角帽子ごと頭を抱える魔法使い。
気の毒に思ってしまうくらいの顔面蒼白。このまま卒倒してしまわないかと、心配になってしまった。
どうやら高位の魔法使いのようであるし、周囲に彼に勝る者はいなかったのかもしれない。
斯かる状況に陥ったことがなかったのだろう。
人間の本質は逆境のときにこそ姿を現す、とはよく言ったもの。魔法を絶対の頼みとしてきたのだろう、それが通用しないだけで、すべてを否定されたかのような絶望を抱えて、醜態を晒している。
「それで、あなたは、何をしに竜の国に遣って来られたのですか?」
このままでは埒が明かないので、水を向けてみる。
僕の言葉に活路を見出したのか、魔法使いの双眸に強過ぎる光が宿る。
「私は、見ての通りの、強大な魔法使いである。竜の国は、魔法使いの王が統べる国だと聞く。なればこそ、私が力を貸してやろう。さすれば、竜の国は、この大陸に冠する魔法大国となるだろう! ふはっ、ふはっ、ふははははははははっ!」
得意満面であるところ申し訳ないが、僕たちはそんなものを標榜した覚えはありません。
実際には逆で、魔法に長じた国として突出しないよう、かなりの制限を設けている。
現行水準を超えてしまった翠緑宮や湖竜、地下の施設など、ーーそして、実は機密の塊であるミニレム。
これらには出来得る限りの対策を施して、魔法や魔工技術が他国に流失するのを防いでいる。まぁ、ミニレムの場合、魔法的にあまりに高度過ぎて、誰にも解き明かすことなんて出来ないだろうから(ミニレムの核の構成は偶然の産物、みーの賜物なので、未だコウさんも完全には理解できていないらしい)逆に安全(?)ではあるのだけど。
竜の国の完成後、老師からの言い付けで、コウさんはより大きな制約を課せられることになった。
手足を縛られて、目を覆い耳を塞ぎ、……そんな王様の姿を想像してーーませんよっ、してないったらしてませんよっ、と僕の良心に納得してもらえたところで。まぁ、拘束云々は言い過ぎだが、要は細かいところで、分別を伴う行動を求められたということだ。
例えば、その内の一つが「遠観」の使用基準。
こんなことを言うのは気が引けるのだが、コウさんは覗きが仕放題なのである。
みーが、のぞきみりゅー? と穢れのない真炎のような眼差しでコウさんに聞いたので。
……まぁ、その後の、彼女の魔力が乱れたことによる、ミニレムを巻き込んでの乱痴気振りはーー王様の名誉の為にも記憶から抹消してあげることにしよう。
然てこそその気になれば魔法使いの女の子は、竜の国の中なら、どこでも自由に観ることが出来る。
そこで「遠観」は、連絡時と緊急時に使用が限定されることとなった。
さて、未だに弁舌を弄する魔法使いだが、……臭う。然てしも、臭う。コウさんの心臓を短剣で一突きにした、あの若者と同じ臭いがする。
根拠と言えるほどのものはないが、間違いであるような気がしないので、鎌を掛けてみる。
「また、ですか。竜の国は、罪人の逃亡先ではありませんよ」
「な、なななっ、何を言っているのだっ! 何を根拠に、何を理由に、どんな用件にてっ、そのような戯れ事を申されるに至ったのかを、簡潔に述べられよ?!」
まるで竜が逆立ちしているのを、うっかり目撃してしまったかのような取り乱しようである。
故事によると、竜のあらぬ姿を見た者は、百の不幸に見舞われた後、魂を喰われるという。律儀なのか、暇だったのか、百の不幸を列挙した古書が伝わっている。
ああ、これは駄目だ。色々な意味で駄目だ。上手くいっているときにしか力を発揮できない、典型的な人間だ。
魔法の師範としてならいいかもしれないが、要職に就けられる類いの性質の持ち主ではない。
どのみち彼が全力で肯定しているように、罪人であるなら、受け容れるかどうかを検討する必要すらない。
「魔法使いの国なのだろう! なら、私が必要なはずだっ!」
畢竟するに、最後まで魔法である。
手立てを講じることなく、愚直に正面から訴える。
どうやら、魔法の力を誇示しているらしい。魔法使いの血走った目は、狂気と呼んで差し支えないものかもしれないが、魔法が見えない僕からすると、滑稽でしかない。
次々と僕に魔法が炸裂しているようだ。居回りの様子から、相当な高等魔法が行使されていることが窺える。
意地になっているのかもしれない。
魔法を糧として生きてきた者からすると、魔法が効かない者など認められない、存在ごと抹消しなければならない、そんな汚らわしいものとして映っているのかもしれない。
「……化け物め。なんだお前は……、なんなのだ……」
度重なる魔法の行使で、魔力を消耗したようだ。
辛そうな途切れ途切れの言葉に、今にも泣き出しそうな情けない有様に、憐憫の情が湧くが、判断が揺るぐことはない。
そろそろ卑陋の魔法使いにお引き取り願おうかと、頭の中で言葉を選っていたが、背後からの心地良い気配に触れて、人を傷付ける為に集めたものたちが解けてゆく。
コウさんが僕の横に並んで、王としての言葉を紡ぐ。
「あなたを竜の国に迎え入れるには、条件があります。あなたによって被害に遭った方の許に赴いて、許しを得てきてください」
「そ、そんなことをすれば、私は!」
王が指針を示した。ならば、あとは僕が引き受けよう。
「その結果、どうなろうと、それがあなたのした事です。あなたが受けるべき報いです。それと、あなた程度の魔法の使い手を、竜の国は必要としていません。必要としているのは、魔工技師です。残念なことに、あなたにその素養はないようですが」
果たせるかな、若者同様に魔法使いは逃げ出した。
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