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四章 周辺国と魔法使い
少年の蹉跌と優しい王様?
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南の竜道を抜けると、竜の国の玄関口とも言える半円状の、翠緑宮の敷地を上回る用地が、平野の遥かな景色とともに迎えてくれる。
国の物流を担うことになる重要な地点である。
彼方まで見渡せる空と風から視線を下ろせば、清浄な青を湛える人造湖。余熱を攫う、緩やかで肌寒い風が湖面を小さく波立たせて、耳に快い微かな余韻を響かせている。
中央の大路と、八つの竜地に続く左右四つずつの中路が放射状に、古の巨人の手のように広がっている。まぁ、そうなると指が長過ぎなので、手と表現すると語弊がありそうだ。
湖の群青に揺られてしまえば、その路が空まで届くような錯覚に抱かれることだろう。水と光が戯れていなければ、薄っすらと、対岸とその先の山々を望むことが出来る。
それぞれの路の左右には、魔工技術を用いた運搬装置である湖竜が浮かんでいる。
実はこの湖竜、初期の計画よりだいぶ複雑になって、現行の技術を大掛かりにしただけ、というコウさんの言葉では説得力がない出来栄えになってしまった。
始めは一本の縄に複数の湖竜を固定するという方式だったのだが、湖竜の転覆が相次いでしまった。因みに、原因は不明である。
そこで、まぁ、僕が提案したのだが。一本の縄は一定区間だけで稼動して、終わったら次の縄に移行されるーーという湖竜を一本ではなく複数の縄で引く方式に改良。
つまり、巨人が一人で縄を引くのではなく、たくさんの中人(そんな魔物はいない、はず)が、自分の担当する場所だけ引っ張っている、と言ったらわかり易いだろうか。
然しもなき問題が二つあった。
いや、一つは重要だが、気付かれなければ問題は起こらない、かな?
中人引き方式は、明らかに現在の魔工技術の水準を超えてしまい、コウさんの魔力を過剰に注ぎ込んだ由々しき問題を孕んだ代物になってしまった。
もう一度言うが、犯罪はばれなければ、もとい革新的技術はばれなければただの一般的技術。
そして、もう一つ、僕にとってはこちらのほうが大問題、って、とどのつまり二つとも問題だらけなのだが、まぁ、こちらも僕が我慢すれば大丈夫、なのかな。
然ても、何があったかというと、僕がいみじくも問題を解決してしまったが為に、魔法の第一人者を標榜している、とまでは言わないが、魔法に並々ならぬ熱意を注いでいるコウさんが拗ねてしまったのだ。
「竜の残り香」の説明を聞けなかったのも、その所為だったりする。
子供っぽい、と言えばそれまでだがーーん? ああ、そういえばそうだった。彼女は紛う方なき子供だった。
周期相応の癇癪と言っていいが、これから王様になるのだし、可愛らしい膨れっ面や愛らしい仕草など、卒業しなくてはならない。
……いや、それはもったいないかも。
うん、強制すべきものではないだろうし、自然にそうなっていければいいな、ってことで。
「その醜く歪んだ顔は、悪いことを考えてるときのものなのです」
エンさんだけでなく、コウさんまで断言してきた。いや、エンさんより酷い。ただ考え事をしていただけだというのに、僕の惟る表情は、そんなにも悪人顔に見えるのだろうか。
「その美しく儚げな顔は、千の竜が焦がれる姫そのものなのです」
然てこそ仕返しである。即興で返した割には、まあまあの出来だと自負する。
僕とコウさんが居るのは、南の竜道から出て二十歩くらいの場所である。そこに横長の机を置いて二人で仲良く座っている。という風に見えればいいが、どうだろう。
コウさんが左で、僕が右に座っている。そして、僕たちの後ろには二十体のミニレムが控えている。
人々と接するので、本日は正式な服装である。
僕たちに散々に、もとい執拗に、……ああ、まぁ、そんな感じで見られ捲って、王様の、魔法使いの服に慣れたかと思ったが、まだまだのようで、ときどき短いスカートの丈を気にしている。
当然、今日は謎塊禁止。顔が良く見えるようにと、三角帽子は僕が強奪して、ミニレムに預けてある。
見ると、帽子と杖を捧げ持つミニレムの姿は、どことなく誇らしげである。
さて、コウさんだが、残念なことに魔力放出には至らなかった。
言い返そうとして、それが出来ず、然ても、毛を逆立てた子猫のような健気な威嚇の姿を見せられると……。いや、別に、もっと苛めたくなるとか、そんなことは微塵も考えていませんよ。本当ですよ?
はてさて、コウさんだが、どうやら、美しい、という表現より、可愛い、のほうが効果があるようだ。
次の参考にしよう。
可愛らしい容姿と子供っぽい感じが似合うコウさんにとって、美人という言葉は劣等感をちくちく刺激するものなのかもしれない。さて、って、さて、ばかりを繰り返しているが、知らず知らず緊張していたのだろうか。
多少なりとも自覚があったので、王様で魔法使いな女の子を見ていたわけだが、然ても有り果てず。とはいえ、まったく効果がなかったわけではなく、さてさて、コウさんで和む時間は終了。
光を背にした山々は暗い色を投げ掛けて、空を突き刺すような単調な輪郭になった東の山脈から、炎竜の寝惚け眼のような陽が昇ったので、「もてなし作戦」の開始である。
「それでは、コウさん、魔法を解いてください」
「竜に千回舐められて、三日間くらいひりひりするといいのです」
機嫌を損ねてしまったらしいコウさんは、ぷぅー、と幻聴が聞こえそうな、竜のほっぺと甲乙付け難い王様ほっぺで、膨れながら手を上げた。
いや、竜に舐められるって。
みーに舐められている心象が鮮明に……げふんっげふんっ、然に非ず、僕の中の倫理観とか羞恥心とかそういうものが総動員された結果、妄想は完全無欠に消え去るのだった。
普通なら、竜の姿のみーを想見すべきなのに、どうして「人化」したみーを対象としてしまったのか。
……深くは追及、いや、追究しないことにしよう。
コウさんが手を下ろす。
クーさんの言い付けを守って、魔法を使う際の演技である。
始めの頃は慣れていない所為で、魔法と演技の時機が合わないことがあったが、クーさんの演技指導と、みーに情けない姿を見せまいとするコウさんの熱意によって、今では自然な動作で、普通の魔法使いと遜色のない低水準である。って、ああ、この表現は間違っているかな。というか、他の魔法使いの方々に対して、酷く失礼な物言いになってしまった。
心中で、世界中の魔法使いに誠心誠意頭を下げる。
然てしも有らずのんびり構えていられるのもここまで。呼気一つの間だけ目を閉じる。
僕は気持ちを切り替えた。ここから先は、竜の国の侍従長である。隣にコウさんが居てくれるお陰か、すっと気持ちが入った。
ーー残念、全員、男か。
それまで誰もいなかった南の竜道に、十五人の男が現れた。
服装はまちまちで、どこの街にでも居そうな住人や冒険者風、制服や商人らしき格好の者まで様々だ。一人くらい女性が交っていれば、コウさんの緊張が解れていたかもしれないのだが、是非に叶わず。
「なっ!?」
「ぅわ?!」
「ここは……」
「ひっ!!」
「……やっとか」
「おー、絶景絶景!」
男たちが驚くのも無理はない。
彼らからすれば、突如目的地に辿り着いて、周囲には自分と同じ境遇の男たちが屯していた、といった按配なのである。
中には、自分の置かれた現況を理解していて、納得や呆れなど、別の表情を浮かべている者が幾人かいた。
「状況を理解していない方がいるかもしれないので、説明します。一人ずつ対応するのは面倒なので、フィア様の魔法で皆さまにはその場所で待機してもらいました。皆さまは、重要な客人ですが、同時に、竜の国への不法入国者です。相応の扱いを受けても仕方がない、ということで納得してください」
間者、密偵、斥候など、呼び名は何でもいいが、そういう役目を負っているであろう人々に語り掛ける。或いは、ただの好奇心で遣って来た者がいるかもしれない。
斯くの如き人物が居てくれたなら、喜ばしいことである。願わくば、竜の国で雇いたいものだ。
今説明した通り、一昨日の挨拶回りの結果、竜の国の存在を確認に、若しくは否定しに遣って来た人々への対処の為、コウさんに魔法を使ってもらった。
彼らには、景色の変わらない場所でぐるぐる回ってもらっていた。
コウさんの魔法に気付く者はいても、さすがに破る者はなく、行使された複数の魔法を正しく看破した者も皆無と思われる。
それら冠絶の魔法を易々と成した王様が、ちらりとこちらを窺ってきたので。正面を向いたまま、彼らから見えない位置で掌を裏返す。
きゅっと結ばれた口元が、ゆくりなく仔竜の炎のような優しさに彩られて。僕の求めに応じて、ふわりと、﨟長けた余裕を醸しながら立ち上がると、軽く胸に手を添える。
その女性らしい仕草に、且つ幼く愛らしい笑みを浮かべる妖しさに、男たちが息を呑んだ。
「「「「「……っ」」」」」
「…………」
斯く言う僕も、彼女の見慣れぬたおやかな振る舞いに放心しそうになるが、理性とか自制心とか人間に具わっている、いや、後天的でも何でもいいのだが、竜にも角にも、然く尊いもので己を奮起させて視線を男たちに戻して役割を思い出す。
「こちらは、竜の国の王、コウ・ファウ・フィア。僕は、侍従長のランル・リシェです。東の竜道に遣って来た人数は五人。そちらは、宰相のクグルユルセニフと竜騎士団団長のエン・グライマル・キオウの二人が案内人を勤めています」
正規の来訪者ではないので、ある程度、くだけた物言いにする。
「それでは、こちらの紙に名前や所属、来訪の目的などの記入をお願いします。偽名や無記名でも構いませんが、その場合、優先順位が低くなり、相応の扱いを受けることになるかもしれません。あと、お帰りの際に、竜の国のお土産を渡せなくなります」
「おーしおしっ、一番~一番~」
先程、絶景、と叫んでいた長躯の男が、先んじて遣って来る。
それを見て、突っ立っているより有益と判断したのだろう、他の男たちも互いを牽制しながら近付いてくる。
「はい。どうぞ、竜茶です。北の洞窟の近くで収穫される、竜の魔力を浴びながら育った茶葉を使用しています。穫れる量が少ないので、重要なお客様や各国への贈答品として用いる予定です。ーーここに居られる方で、もう一度味わえる方はいらっしゃらないでしょうから、話の種としても飲んでおいたほうがよろしいでしょう」
コウさんの受けがいいようなので、僕は逆に嫌味の成分を程好く散らして、嫌われ者を演じることにする。
ただの水も、汚水を見た後では、清水と見紛うーーことを期待。
王と侍従長を名乗ったとて、そこに居るのは子供が二人。どうしたって、侮りの対象となる。
コウさんの力が知られている今、正しく彼女の魔法が危険なものであると理解してもらわなくてはならない。その上で、コウさんという女の子のことを、王とか魔法とか人を惑わす要素を摘み取って、蕾が綻ぶのを、不器用で優しい、どこにでも居そうな普通の女の子だとわかってもらうのが目的である。
これで、魔法だけではない、コウさんの良性が引き立ってくれればいいのだが。
コウさんは、用意しておいたカップに竜茶を注いでゆく。
優雅で気品がある、まるでどこかの貴婦人のようである。こんな隠れた引き出しを持っているとは。随分と彼女を知った気になっていたが、浅はかだった。
内心で、麗しの魔法使いに謝っておく。
「ほう、こりゃ美味い。確かに、飲んどかなきゃ損だな」
物怖じしない人である。一番手の長躯の男は、三十路くらいだろうか、屈託のない愛嬌のある笑顔はエンさんを彷彿させるので、コウさんも接し易いかもしれない。
「俺は寒国の果て、キュレイスの者だ。うちの王様の花道を作ってくれたみたいなんでな、お礼を言いにきた。その場に居合わせることが出来なかったのが残念でならん」
どうやら、一昨日の一件が伝わっているようだ。
距離的に鑑みて、早期に情報が届くことは有り得ない。即ちそれを可能にする何らかの手段ーー恐らくは魔法に依るものだろうーーを持っているということ。
エンさんとの闘いから、猪突猛進の王かと思っていたが、「最果ての王」は案外抜け目のない方だったのかもしれない。
「よう、兄弟。こっちも似たようなものだ。『凍土』との壮絶な一騎打ちが話題になっている。お互いに仲良くできそうだし、挨拶に来たってところだ」
二番手は、故郷の人のようだ。
長躯の男より周期が幾分上だろうか、中肉中背だが、戦士然とした風貌がある。然あれど、根は三寒国の気風の人らしく、記入を終えると、相好を崩して竜茶に舌鼓を打っていた。
三寒国の人々は、同じ境遇を経てきた為か、連帯感が強い。
ストリチナ同盟国のような盟約ではなく、同胞、仲間意識で繋がっているので、兄弟や同志といった言葉でお互いを呼び合うことがある。
僕が三寒国の出身であることを告げるか迷ったが、嫌われ役を担うと決めたので、親近感を持たれない為にも黙すことにした。
予想していた通り、三寒国と友好関係を結ぶのは難しくなさそうだ。エンさんが喧嘩を売ったときは、何てことをするんだ、と頭を抱えそうになったが、良い影響を与えていた(?)ようで一安心である。
竜茶を飲み終えた二人の許に、二体のミニレムがとたとたと歩いて近付いてゆく。
一人に一体、ミニレムが随行することになっている。
申し訳ないが、彼らにはミニレムの運用試験の手伝いを強制的にしてもらうことになっている。竜の民と接する前の、最後の確認である。
ミニレムを目で追っていると、近付いてくる三人目が視界に入る。
来訪者の中では最も周期が若いだろうか、二十歳くらいの若者なのだが、どうしたことか呼吸が浅く強張った顔をしている。
邪魔だと言わんばかりに三寒国の二人を押し退けて、僕たちの前に立つと、書き殴るように紙に記入してゆく。
書き終えた用紙を差し出して、残った手を後ろに回して、
「ああ、書けたっ、ぞっ!!」
短剣を抜くなり、コウさんの心臓に突き刺して、剰え僕に魔法を放ったようだ。
「「ーーーー」」
「「「「「!?」」」」」
ゆくりない凶行に空気が張り詰める。僕は、全体を眺めるように見澄ました。
目的を達したと勘違いして、引き攣ったような笑みを浮かべる若者。
彼の他に、不審な動きをする者はいない。単独での犯行と見ていいだろう。
弱くはないが、そこまで強くもない、と言ったところか。夜毎のエンさんとクーさんとの鍛錬の所為、もといお陰か、だいぶ目が熟れてしまった。
居回りの反応から、魔法も然程強力なものではないと看取する。単純な攻撃魔法だろう。
そして、彼の形相から、これまで人を殺めたことがない、これが初めての、人としての禁忌を破ったのだと感受する。
そこに、僕たちが係わっている、ということ。竜の国を造ることで、このような、運命であったり行き先であったり、そういうものを捻じ曲げてしまう者が現れる。
然あれど、覚悟ならコウさんと同じ道を行くと決めたときに済ませてある。この程度のことで揺らいでなるものか。
「てめぇ、子供相手に何してやがるっ!」
三寒国の二人が、義憤に駆られて凶行に及んだ若者を取り押さえようとするが、彼はコウさんの胸に剣を残して、すでに手の届かないところまで退いている。
即座に逃げを選ぶ、その判断は悪くないが。
「はっははっ、これで大金は俺のもん……?」
遅過ぎる、と非難するのは可哀想だろうか、若者は異質さに気付いて、釘付けになる。
釣られて皆の目がコウさんにーー。
「「「「「ーーーー」」」」」
氷竜は、最大級の息吹を撒き散らして悠々と飛び去ってゆく。
炎竜が居ないので、僕の心象というか幻視宛らに、先程とは別種の空気が張り詰めて、男たちを凍り付かせる。
「……、ーーっ」
ーー失敗した。
もし暗殺を狙ってくる輩がいたら、その攻撃を受けてください。とコウさんにお願いしていたが、今更ながら後悔していた。
軽く考え過ぎていた。彼女には、通常の肉体と魔力体があって、片方だけならどれだけ傷付こうと死ぬことはない。
いくら平気とはいえ、その身で剣を受けて欲しい、などと言われたら、相手はどう思うだろう。加うるに、治癒魔法で治るとしても、痛みはあるのだ。
心臓を刺されるという絶命に至る、極限の苦痛、それだけではない、他者からそのような行為を受ける、それだけで多大な心痛を伴うだろう。
斯かる鬼畜にも劣る行いを他人に強要するような奴は、千度切り刻まれて、魔物の餌にでもなってしまえ。
なれど、どれだけ悔いても、取り返しがつくはずもない。
なら、僕の、下劣で低劣で卑劣なお願いを許容してしまったコウさんの、竜の国への思いを無駄にしてはならない。
「フィア様。失礼いたします」
僕は、心臓を一突きにされても無関心を装っているコウさんから、短剣を引き抜いた。刹那に、服の破れが修復されて、痕跡はなくなってしまう。服にも剣にも、血は付着していない。何もかも、元通りである。彼らの記憶と、僕らのそれ以外は。
彼女の魔法の効果だろうか、まるで風に刺さった剣を抜くかのように摩擦による抵抗は感じられなかった。
不思議と、手に残る空虚な感覚が僕の罪悪感をより一層刺激してくる。
「さて、この剣はどうしましょう。竜騎士団で訓練用のものとして使ってもらいますか」
「あ、その剣、高いんだ、返してくれ」
気が動転しているのだろうか、若者がそんなことを言ってくる。
「仕方ありませんね」
僕は、若者に向かって、手にした短剣を投げた。
「っ! 危ないだろ、何てことしやがる!」
「「「「「…………」」」」」
いや、別に強く抛ったわけではないし、ちゃんと掴み取って欲しい。それに、子供の心臓を、幼く起伏の少ない胸を、あ、いや、コウさんを貶める気は更々ないのだが事実は事実ということで、竜にも角にも、急所を一突きにした奴が何を言っているのやら。
居回りの男たちが、若者の唾棄すべき行為に白い目を向けている。
コウさんへの畏怖より、不埒者への嫌悪が勝ったのだろう。
僕は場が整ったことを知って、一旦すべての感情だったり雑念だったりを呼気とともに吐き出して心象を固める。
すうっと、頭の内と外の境がなくなって、風で満たされる感覚。
ーーそれでは、続けよう。
「あなたは、フィア様を弑するに当たり、そのことを依頼人以外の誰かに告げましたか?」
「なっ、……何でそんなこと言わなけりゃいけないんだ」
「では、成功しなくて良かったですね。もし成功していたら、あなたは依頼人から大金ではなく、不幸を手渡されていたでしょうから」
「はぁ? そんなことあるはずねぇだろ!」
正常な判断など出来ていないのだろう。若者は、反射的に威勢だけで返す。
「依頼人からすれば、あなたがこの世から退場することで、対象者から自分が特定される危険を排除でき、且つあなたの言う大金とやらを報酬として渡さずに済みます。あなたの依頼人が、その手段を採らない理由のほうがわかりません」
自身の目的、利益の為に、殺人を依頼するような人間である。そのくらいのことはやるだろう。
まぁ、首謀者からすると、依頼ではなく唆しただけ、ということになるのだろうが。
捨て駒以下として弄ばれた自覚のない哀れで度し難い若者は周囲を見回すが、向けられているのは、そんなこともわからないのか、という蔑みの眼差しだけ。
「大金を手にしたい理由は、負債を返済する為ですか? あなたは勝負にのめり込む気質のようですから、賭け事は向いてないですよ?」
「っ! あ、ぅあ、馬鹿なっ、なな、な、何で知ってやがるんだ!?」
「ーーそんなもの、視ればわかります」
詰まらなそうに、少しだけ視線を逸らす。
僕のその演技に、狙い通り、若者だけでなく、男たちの目にも畏怖や嫌悪を超えた暗いものが宿ったことを感じ取る。
視ただけでわかる、然しもやは魔法ではあるまいし、そんな都合のいい能力など持ち合わせていない。
では、どうしたかというと、答えは簡単である。
事前に「遠観」でエルネアの剣隊と黄金の秤隊の面々に客人の姿を見てもらい、見知った者がいるか確認したのだ。
然てこそ該当する数人の情報を聞き出して有効活用した、というわけである。
自業自得とはいえ、そこまで強く若者を非難する気持ちがあるわけではない。彼は、利用されただけ。詮ずるところ条件に適えば彼でなくとも構わない。
自身に責任がなくとも、同じ境遇に置かれる者たちがいる。今日に余裕がない者は、明日を考えることが出来ない。この大陸には、今日のことしか考えることが出来ない者が、少なくない数存在する。
然し、困った。
予想の範疇ではあるのだが、あからさまに刺客を差し向けてきた。竜の国を受け容れられない者、或いは組織があるのか。ただの牽制とかならまだ増しなのだが。
しばし思惟の湖に漂っていると、雑音を響かせる者がいた。最後尾から、静寂を蹴飛ばして、青年が歩み寄ってくる。
優男とでも言えそうな容貌だが、表情には厳しいものがある。服装は商人のような形だが、彼が醸す鋭利な気配がそれを裏切っている。
「私は、ストーフグレフ国の者です。竜の国の侍従長、あなたには私がこの地を訪れた理由がおわかりになりますか?」
ユミファナトラ大河を挟んで、ストリチナ同盟国と比肩、或いは上回る、この大陸の中央に位置する雄国の名を耳にして、周囲がざわつく。
三寒国の二人が、困惑の表情を浮かべて、青年に場を譲る。ストーフグレフ、という名には、それだけの重みと威光がある。
青年は、紙に名と所属を記入すると、来訪の目的を空欄のまま、僕に差し出した。
予測とは別の形になったが、僕にとっての竜との対面だった。
再度、静かに息を吐く。
可能性という果てのない大海に潜って、必要なものを拾い上げる。蓋然性にまで落とし込んで、普段やっているように、僕の内に湖を心象。
足りない部分は勘で補うしかない。笑いが込み上げてきそうになる。先の若者ではないが、賭けの要素が強過ぎる。
「ストーフグレフであれば、あなたに連絡を取った上で竜の国に向かわせることが出来るでしょう。ですが、今回あなたは、あなた自身がここに、同胞に先んじて向かう必要があった。つまり、独断専行。竜の国の情報を得て、願うこと。それは、功績と引き換えにした、本国への帰還ではありませんか?」
「……その通りです」
青年の首肯で、賭けに勝ったことを知る。
彼の表情に、少しだけ陰りが見える。それは、僕を試す為というより、願いの発露であるように感じた。然あれば彼が記した紙を裏返して、さらさらと書き付けた。
ここに居る者に賭けで勝つのは当然のこと。僕は示さなくてはならない。賭けを仕掛けるべき者は、対等の相手として見るべき者は他にいる。
「あなたは竜の国に赴くことを同僚が知るようにしていったでしょう。あなたには、本国への帰還命令が下ります。ストーフグレフ王が、竜の国を実見した者の話を聞く為にです。あなたはそこで、竜の国について語ったあとに、独断専行した理由、何故本国に戻りたいのかを過たず告げます。そして最後に、僕がそのようにしろ、と言ったことを伝えた上で、この紙を渡してください。そうすれば、あなたの願いは叶う」
手渡した紙に書かれた文言を一読して、青年が固まる。
好奇心を抑えられなかったのか、長躯の男がひょいと紙を覗き込んで、絶句した。無意識に、だろうか、男が僕に顔を向けてきたので、軽く頷いて許可を出す。
彼は頭をがしがし掻いて気を取り直すと、震えを抑え切れない声で読み上げた。
「僕の勝ちですーー竜の国の侍従長ランル・リシェ……。これは……正気か?」
「ええ、きっと、ストーフグレフ王なら気に入ってくれるはずです」
僕は、口だけを薄笑いの形にする。
超然とした心象を現出しようとするが、地の底から死霊でも湧いたような居回りの反応に、意図したものと違うが、まぁいいか、と納得する。
英傑たるストーフグレフ王を利用させてもらう。
竜の国の侍従長は、彼に匹敵する存在であると嘯く。
青年には申し訳ないが、僕の予見通りに、上手く事が運ぶとは限らない。今ここに居る人間が誤解してくれるだけでいい。誤謬を犯して、大いに買い被って、虚像を広めてくれるなら尚ありがたい。
竜の国は一筋縄でいかないと、子供にしか見えずとも、国を運営するに相応しい資質を秘めていると、彼らの主に伝えてもらわなくてはならない。
「まだいらしたんですか? どうぞ、お帰りになって結構ですよ」
僕らの目的にそぐわない者が、刺客の若者がまだ居たので、南の竜道を手で指し示す。
「まっ、待ってくれ! 俺を竜の国に居させてくれ!」
少し突いてやれば退散するかと思ったが、意外な、いや、こんな言葉では足りない、慮外千万なことを言い出した。若者の必死な、そしてどこまでも身勝手で厚かましい振る舞いに、僕は応える術を知らない。
煩わしい限りだが言葉には言葉で返さなくてはならない。
「竜の国は、逃亡者が訪れる場所ではありません。自らの意思で遣って来るべき場所です。竜の国は竜の民を護りますが、逆もまた然り、竜の民は竜の国を、王を護らなくてはなりません。自分さえ護れないあなたに、何が出来るというのでしょう」
率直に、不味いな、と思った。視界の端で人影が揺れる。僕の隣で、少女が向き直る。
「リシェさん」
気負いのない、静かだが深く染み渡るような声。僕は、コウさんの真っ直ぐな姿勢から発せられる声が好きだった。
王としての資質に声が挙げられるとするなら、彼女は間違いなく合格だ。
「この方を、竜の国に居られるようにしてあげてください。お願いします」
僕に深々と頭を下げた。
……これは、どうしたものか。王が臣下に頭を下げることの是非は措くとして、竜の国がどのような国でありたいのか、それを示すには良かったのかもしれないが。
王と竜の民に、身分の違いはなく、ただ役目と役割が違うだけ。この時代、奇異を以て迎えられるこの施策は、竜の国の本懐ーー大き過ぎる魔力を持つコウさんが居られる場所を作るーーとして、成し遂げなくてはならないものである。
世界を救うことが出来ても、世界を滅ぼすことが出来ても、他人の助けがなければ生きていけない、強くて弱い、魔法使い。
王に護られるだけの国を、民が王に頼るだけの国を造ったとしても、長続きはしないのだ。
コウさんや老師にすべてを話してもらったわけではないが、幾許かの予想はついている。
僕とコウさんの捉え方に違いがあるのはわかっていた。
コウさんの生い立ちに鑑みれば、僕より深く竜の民を愛するであろうことも。その齟齬をあえて放っておいたのは、心のどこかで疑っていたからなのかもしれない。
理想は砕かれるものだ。その先に現実がある。妥協で鍛えた現実を、理想で糊塗して、人々に差し出す。
そんな安易な道を選んでしまわないかと、流されてしまわないかと、最後の最後までは、信じることが出来なかった。
ここでコウさんを否定できない僕に出来るのは、一つだけだった。
とても卑怯な遣り方で、彼女の願いを壊してやる必要がある。彼女の願いの源泉はそのままに、僕の責任として、彼女の優しさか甘さか判断の分かれる思いから溢れ出た過ちの種を排除する。
「一国の王が、あなたの為に頭を下げています。あなたより周期が下の少女が、あなたが殺そうとした娘が、あなたの罪を許してくれと、懇願しています」
「……っ!」
若者の顔が歪んで、次々に感情の色が浮かんでゆく。百面相というほど豊かなものではない。そこに表れるのは、どこまでも自分勝手な表情。
後は、一押しするだけである。
「それで、あなたは、どうするのですか?」
若者に選択を委ねてみれば。果たして、彼は逃げ出した。
「フィア王。今は届かずとも、あなた様の言葉は、いずれあの者に届くでしょう。その後、再び竜の国を訪れるかどうかは、あの者次第です」
竜の国の王を一顧だにせず、冷たく言い放つ。
慇懃無礼になるよう、形だけの礼儀を尽くす。ここで小馬鹿にしたように一笑に付すのは遣り過ぎか、と無表情で通す。
「それでは、皆さん、湖竜に乗って対岸まで行きましょう。湖竜は、竜の国にある魔工技術を用いたものの一つで、乗り心地を確かめてみてください。先に行って準備してきます」
一人帰ったので、右から六体目のミニレムの肩に触れて、六体を随行させる。
気丈に振る舞うコウさんの健気さに、男たちの視線が向けられる。それは、総じて暖かいものだった。冷たいものは、すべて僕が引き受ける。
結果として、斯かる仕儀となったからには、このまま冷徹侍従長……って、何か語呂が悪いな、冷血侍従長、もしっくりこないが、とりあえずそんな感じのものを演じるとしよう。
まぁ、これで成功しただろうか。
離れた場所から、コウさんと手続きを行う客人を見ながら、独り言つ。
ミニレムが僕を労わるように、ぽんぽんと足を叩く。
心配するな、俺たちはすべて理解ってるぜ(訳、ランル・リシェ)、とでも言いたげである。僕はほんのり涙を流しながら、客人たちから見えないようにミニレムたちの頭を撫でてあげるのだった。
国の物流を担うことになる重要な地点である。
彼方まで見渡せる空と風から視線を下ろせば、清浄な青を湛える人造湖。余熱を攫う、緩やかで肌寒い風が湖面を小さく波立たせて、耳に快い微かな余韻を響かせている。
中央の大路と、八つの竜地に続く左右四つずつの中路が放射状に、古の巨人の手のように広がっている。まぁ、そうなると指が長過ぎなので、手と表現すると語弊がありそうだ。
湖の群青に揺られてしまえば、その路が空まで届くような錯覚に抱かれることだろう。水と光が戯れていなければ、薄っすらと、対岸とその先の山々を望むことが出来る。
それぞれの路の左右には、魔工技術を用いた運搬装置である湖竜が浮かんでいる。
実はこの湖竜、初期の計画よりだいぶ複雑になって、現行の技術を大掛かりにしただけ、というコウさんの言葉では説得力がない出来栄えになってしまった。
始めは一本の縄に複数の湖竜を固定するという方式だったのだが、湖竜の転覆が相次いでしまった。因みに、原因は不明である。
そこで、まぁ、僕が提案したのだが。一本の縄は一定区間だけで稼動して、終わったら次の縄に移行されるーーという湖竜を一本ではなく複数の縄で引く方式に改良。
つまり、巨人が一人で縄を引くのではなく、たくさんの中人(そんな魔物はいない、はず)が、自分の担当する場所だけ引っ張っている、と言ったらわかり易いだろうか。
然しもなき問題が二つあった。
いや、一つは重要だが、気付かれなければ問題は起こらない、かな?
中人引き方式は、明らかに現在の魔工技術の水準を超えてしまい、コウさんの魔力を過剰に注ぎ込んだ由々しき問題を孕んだ代物になってしまった。
もう一度言うが、犯罪はばれなければ、もとい革新的技術はばれなければただの一般的技術。
そして、もう一つ、僕にとってはこちらのほうが大問題、って、とどのつまり二つとも問題だらけなのだが、まぁ、こちらも僕が我慢すれば大丈夫、なのかな。
然ても、何があったかというと、僕がいみじくも問題を解決してしまったが為に、魔法の第一人者を標榜している、とまでは言わないが、魔法に並々ならぬ熱意を注いでいるコウさんが拗ねてしまったのだ。
「竜の残り香」の説明を聞けなかったのも、その所為だったりする。
子供っぽい、と言えばそれまでだがーーん? ああ、そういえばそうだった。彼女は紛う方なき子供だった。
周期相応の癇癪と言っていいが、これから王様になるのだし、可愛らしい膨れっ面や愛らしい仕草など、卒業しなくてはならない。
……いや、それはもったいないかも。
うん、強制すべきものではないだろうし、自然にそうなっていければいいな、ってことで。
「その醜く歪んだ顔は、悪いことを考えてるときのものなのです」
エンさんだけでなく、コウさんまで断言してきた。いや、エンさんより酷い。ただ考え事をしていただけだというのに、僕の惟る表情は、そんなにも悪人顔に見えるのだろうか。
「その美しく儚げな顔は、千の竜が焦がれる姫そのものなのです」
然てこそ仕返しである。即興で返した割には、まあまあの出来だと自負する。
僕とコウさんが居るのは、南の竜道から出て二十歩くらいの場所である。そこに横長の机を置いて二人で仲良く座っている。という風に見えればいいが、どうだろう。
コウさんが左で、僕が右に座っている。そして、僕たちの後ろには二十体のミニレムが控えている。
人々と接するので、本日は正式な服装である。
僕たちに散々に、もとい執拗に、……ああ、まぁ、そんな感じで見られ捲って、王様の、魔法使いの服に慣れたかと思ったが、まだまだのようで、ときどき短いスカートの丈を気にしている。
当然、今日は謎塊禁止。顔が良く見えるようにと、三角帽子は僕が強奪して、ミニレムに預けてある。
見ると、帽子と杖を捧げ持つミニレムの姿は、どことなく誇らしげである。
さて、コウさんだが、残念なことに魔力放出には至らなかった。
言い返そうとして、それが出来ず、然ても、毛を逆立てた子猫のような健気な威嚇の姿を見せられると……。いや、別に、もっと苛めたくなるとか、そんなことは微塵も考えていませんよ。本当ですよ?
はてさて、コウさんだが、どうやら、美しい、という表現より、可愛い、のほうが効果があるようだ。
次の参考にしよう。
可愛らしい容姿と子供っぽい感じが似合うコウさんにとって、美人という言葉は劣等感をちくちく刺激するものなのかもしれない。さて、って、さて、ばかりを繰り返しているが、知らず知らず緊張していたのだろうか。
多少なりとも自覚があったので、王様で魔法使いな女の子を見ていたわけだが、然ても有り果てず。とはいえ、まったく効果がなかったわけではなく、さてさて、コウさんで和む時間は終了。
光を背にした山々は暗い色を投げ掛けて、空を突き刺すような単調な輪郭になった東の山脈から、炎竜の寝惚け眼のような陽が昇ったので、「もてなし作戦」の開始である。
「それでは、コウさん、魔法を解いてください」
「竜に千回舐められて、三日間くらいひりひりするといいのです」
機嫌を損ねてしまったらしいコウさんは、ぷぅー、と幻聴が聞こえそうな、竜のほっぺと甲乙付け難い王様ほっぺで、膨れながら手を上げた。
いや、竜に舐められるって。
みーに舐められている心象が鮮明に……げふんっげふんっ、然に非ず、僕の中の倫理観とか羞恥心とかそういうものが総動員された結果、妄想は完全無欠に消え去るのだった。
普通なら、竜の姿のみーを想見すべきなのに、どうして「人化」したみーを対象としてしまったのか。
……深くは追及、いや、追究しないことにしよう。
コウさんが手を下ろす。
クーさんの言い付けを守って、魔法を使う際の演技である。
始めの頃は慣れていない所為で、魔法と演技の時機が合わないことがあったが、クーさんの演技指導と、みーに情けない姿を見せまいとするコウさんの熱意によって、今では自然な動作で、普通の魔法使いと遜色のない低水準である。って、ああ、この表現は間違っているかな。というか、他の魔法使いの方々に対して、酷く失礼な物言いになってしまった。
心中で、世界中の魔法使いに誠心誠意頭を下げる。
然てしも有らずのんびり構えていられるのもここまで。呼気一つの間だけ目を閉じる。
僕は気持ちを切り替えた。ここから先は、竜の国の侍従長である。隣にコウさんが居てくれるお陰か、すっと気持ちが入った。
ーー残念、全員、男か。
それまで誰もいなかった南の竜道に、十五人の男が現れた。
服装はまちまちで、どこの街にでも居そうな住人や冒険者風、制服や商人らしき格好の者まで様々だ。一人くらい女性が交っていれば、コウさんの緊張が解れていたかもしれないのだが、是非に叶わず。
「なっ!?」
「ぅわ?!」
「ここは……」
「ひっ!!」
「……やっとか」
「おー、絶景絶景!」
男たちが驚くのも無理はない。
彼らからすれば、突如目的地に辿り着いて、周囲には自分と同じ境遇の男たちが屯していた、といった按配なのである。
中には、自分の置かれた現況を理解していて、納得や呆れなど、別の表情を浮かべている者が幾人かいた。
「状況を理解していない方がいるかもしれないので、説明します。一人ずつ対応するのは面倒なので、フィア様の魔法で皆さまにはその場所で待機してもらいました。皆さまは、重要な客人ですが、同時に、竜の国への不法入国者です。相応の扱いを受けても仕方がない、ということで納得してください」
間者、密偵、斥候など、呼び名は何でもいいが、そういう役目を負っているであろう人々に語り掛ける。或いは、ただの好奇心で遣って来た者がいるかもしれない。
斯くの如き人物が居てくれたなら、喜ばしいことである。願わくば、竜の国で雇いたいものだ。
今説明した通り、一昨日の挨拶回りの結果、竜の国の存在を確認に、若しくは否定しに遣って来た人々への対処の為、コウさんに魔法を使ってもらった。
彼らには、景色の変わらない場所でぐるぐる回ってもらっていた。
コウさんの魔法に気付く者はいても、さすがに破る者はなく、行使された複数の魔法を正しく看破した者も皆無と思われる。
それら冠絶の魔法を易々と成した王様が、ちらりとこちらを窺ってきたので。正面を向いたまま、彼らから見えない位置で掌を裏返す。
きゅっと結ばれた口元が、ゆくりなく仔竜の炎のような優しさに彩られて。僕の求めに応じて、ふわりと、﨟長けた余裕を醸しながら立ち上がると、軽く胸に手を添える。
その女性らしい仕草に、且つ幼く愛らしい笑みを浮かべる妖しさに、男たちが息を呑んだ。
「「「「「……っ」」」」」
「…………」
斯く言う僕も、彼女の見慣れぬたおやかな振る舞いに放心しそうになるが、理性とか自制心とか人間に具わっている、いや、後天的でも何でもいいのだが、竜にも角にも、然く尊いもので己を奮起させて視線を男たちに戻して役割を思い出す。
「こちらは、竜の国の王、コウ・ファウ・フィア。僕は、侍従長のランル・リシェです。東の竜道に遣って来た人数は五人。そちらは、宰相のクグルユルセニフと竜騎士団団長のエン・グライマル・キオウの二人が案内人を勤めています」
正規の来訪者ではないので、ある程度、くだけた物言いにする。
「それでは、こちらの紙に名前や所属、来訪の目的などの記入をお願いします。偽名や無記名でも構いませんが、その場合、優先順位が低くなり、相応の扱いを受けることになるかもしれません。あと、お帰りの際に、竜の国のお土産を渡せなくなります」
「おーしおしっ、一番~一番~」
先程、絶景、と叫んでいた長躯の男が、先んじて遣って来る。
それを見て、突っ立っているより有益と判断したのだろう、他の男たちも互いを牽制しながら近付いてくる。
「はい。どうぞ、竜茶です。北の洞窟の近くで収穫される、竜の魔力を浴びながら育った茶葉を使用しています。穫れる量が少ないので、重要なお客様や各国への贈答品として用いる予定です。ーーここに居られる方で、もう一度味わえる方はいらっしゃらないでしょうから、話の種としても飲んでおいたほうがよろしいでしょう」
コウさんの受けがいいようなので、僕は逆に嫌味の成分を程好く散らして、嫌われ者を演じることにする。
ただの水も、汚水を見た後では、清水と見紛うーーことを期待。
王と侍従長を名乗ったとて、そこに居るのは子供が二人。どうしたって、侮りの対象となる。
コウさんの力が知られている今、正しく彼女の魔法が危険なものであると理解してもらわなくてはならない。その上で、コウさんという女の子のことを、王とか魔法とか人を惑わす要素を摘み取って、蕾が綻ぶのを、不器用で優しい、どこにでも居そうな普通の女の子だとわかってもらうのが目的である。
これで、魔法だけではない、コウさんの良性が引き立ってくれればいいのだが。
コウさんは、用意しておいたカップに竜茶を注いでゆく。
優雅で気品がある、まるでどこかの貴婦人のようである。こんな隠れた引き出しを持っているとは。随分と彼女を知った気になっていたが、浅はかだった。
内心で、麗しの魔法使いに謝っておく。
「ほう、こりゃ美味い。確かに、飲んどかなきゃ損だな」
物怖じしない人である。一番手の長躯の男は、三十路くらいだろうか、屈託のない愛嬌のある笑顔はエンさんを彷彿させるので、コウさんも接し易いかもしれない。
「俺は寒国の果て、キュレイスの者だ。うちの王様の花道を作ってくれたみたいなんでな、お礼を言いにきた。その場に居合わせることが出来なかったのが残念でならん」
どうやら、一昨日の一件が伝わっているようだ。
距離的に鑑みて、早期に情報が届くことは有り得ない。即ちそれを可能にする何らかの手段ーー恐らくは魔法に依るものだろうーーを持っているということ。
エンさんとの闘いから、猪突猛進の王かと思っていたが、「最果ての王」は案外抜け目のない方だったのかもしれない。
「よう、兄弟。こっちも似たようなものだ。『凍土』との壮絶な一騎打ちが話題になっている。お互いに仲良くできそうだし、挨拶に来たってところだ」
二番手は、故郷の人のようだ。
長躯の男より周期が幾分上だろうか、中肉中背だが、戦士然とした風貌がある。然あれど、根は三寒国の気風の人らしく、記入を終えると、相好を崩して竜茶に舌鼓を打っていた。
三寒国の人々は、同じ境遇を経てきた為か、連帯感が強い。
ストリチナ同盟国のような盟約ではなく、同胞、仲間意識で繋がっているので、兄弟や同志といった言葉でお互いを呼び合うことがある。
僕が三寒国の出身であることを告げるか迷ったが、嫌われ役を担うと決めたので、親近感を持たれない為にも黙すことにした。
予想していた通り、三寒国と友好関係を結ぶのは難しくなさそうだ。エンさんが喧嘩を売ったときは、何てことをするんだ、と頭を抱えそうになったが、良い影響を与えていた(?)ようで一安心である。
竜茶を飲み終えた二人の許に、二体のミニレムがとたとたと歩いて近付いてゆく。
一人に一体、ミニレムが随行することになっている。
申し訳ないが、彼らにはミニレムの運用試験の手伝いを強制的にしてもらうことになっている。竜の民と接する前の、最後の確認である。
ミニレムを目で追っていると、近付いてくる三人目が視界に入る。
来訪者の中では最も周期が若いだろうか、二十歳くらいの若者なのだが、どうしたことか呼吸が浅く強張った顔をしている。
邪魔だと言わんばかりに三寒国の二人を押し退けて、僕たちの前に立つと、書き殴るように紙に記入してゆく。
書き終えた用紙を差し出して、残った手を後ろに回して、
「ああ、書けたっ、ぞっ!!」
短剣を抜くなり、コウさんの心臓に突き刺して、剰え僕に魔法を放ったようだ。
「「ーーーー」」
「「「「「!?」」」」」
ゆくりない凶行に空気が張り詰める。僕は、全体を眺めるように見澄ました。
目的を達したと勘違いして、引き攣ったような笑みを浮かべる若者。
彼の他に、不審な動きをする者はいない。単独での犯行と見ていいだろう。
弱くはないが、そこまで強くもない、と言ったところか。夜毎のエンさんとクーさんとの鍛錬の所為、もといお陰か、だいぶ目が熟れてしまった。
居回りの反応から、魔法も然程強力なものではないと看取する。単純な攻撃魔法だろう。
そして、彼の形相から、これまで人を殺めたことがない、これが初めての、人としての禁忌を破ったのだと感受する。
そこに、僕たちが係わっている、ということ。竜の国を造ることで、このような、運命であったり行き先であったり、そういうものを捻じ曲げてしまう者が現れる。
然あれど、覚悟ならコウさんと同じ道を行くと決めたときに済ませてある。この程度のことで揺らいでなるものか。
「てめぇ、子供相手に何してやがるっ!」
三寒国の二人が、義憤に駆られて凶行に及んだ若者を取り押さえようとするが、彼はコウさんの胸に剣を残して、すでに手の届かないところまで退いている。
即座に逃げを選ぶ、その判断は悪くないが。
「はっははっ、これで大金は俺のもん……?」
遅過ぎる、と非難するのは可哀想だろうか、若者は異質さに気付いて、釘付けになる。
釣られて皆の目がコウさんにーー。
「「「「「ーーーー」」」」」
氷竜は、最大級の息吹を撒き散らして悠々と飛び去ってゆく。
炎竜が居ないので、僕の心象というか幻視宛らに、先程とは別種の空気が張り詰めて、男たちを凍り付かせる。
「……、ーーっ」
ーー失敗した。
もし暗殺を狙ってくる輩がいたら、その攻撃を受けてください。とコウさんにお願いしていたが、今更ながら後悔していた。
軽く考え過ぎていた。彼女には、通常の肉体と魔力体があって、片方だけならどれだけ傷付こうと死ぬことはない。
いくら平気とはいえ、その身で剣を受けて欲しい、などと言われたら、相手はどう思うだろう。加うるに、治癒魔法で治るとしても、痛みはあるのだ。
心臓を刺されるという絶命に至る、極限の苦痛、それだけではない、他者からそのような行為を受ける、それだけで多大な心痛を伴うだろう。
斯かる鬼畜にも劣る行いを他人に強要するような奴は、千度切り刻まれて、魔物の餌にでもなってしまえ。
なれど、どれだけ悔いても、取り返しがつくはずもない。
なら、僕の、下劣で低劣で卑劣なお願いを許容してしまったコウさんの、竜の国への思いを無駄にしてはならない。
「フィア様。失礼いたします」
僕は、心臓を一突きにされても無関心を装っているコウさんから、短剣を引き抜いた。刹那に、服の破れが修復されて、痕跡はなくなってしまう。服にも剣にも、血は付着していない。何もかも、元通りである。彼らの記憶と、僕らのそれ以外は。
彼女の魔法の効果だろうか、まるで風に刺さった剣を抜くかのように摩擦による抵抗は感じられなかった。
不思議と、手に残る空虚な感覚が僕の罪悪感をより一層刺激してくる。
「さて、この剣はどうしましょう。竜騎士団で訓練用のものとして使ってもらいますか」
「あ、その剣、高いんだ、返してくれ」
気が動転しているのだろうか、若者がそんなことを言ってくる。
「仕方ありませんね」
僕は、若者に向かって、手にした短剣を投げた。
「っ! 危ないだろ、何てことしやがる!」
「「「「「…………」」」」」
いや、別に強く抛ったわけではないし、ちゃんと掴み取って欲しい。それに、子供の心臓を、幼く起伏の少ない胸を、あ、いや、コウさんを貶める気は更々ないのだが事実は事実ということで、竜にも角にも、急所を一突きにした奴が何を言っているのやら。
居回りの男たちが、若者の唾棄すべき行為に白い目を向けている。
コウさんへの畏怖より、不埒者への嫌悪が勝ったのだろう。
僕は場が整ったことを知って、一旦すべての感情だったり雑念だったりを呼気とともに吐き出して心象を固める。
すうっと、頭の内と外の境がなくなって、風で満たされる感覚。
ーーそれでは、続けよう。
「あなたは、フィア様を弑するに当たり、そのことを依頼人以外の誰かに告げましたか?」
「なっ、……何でそんなこと言わなけりゃいけないんだ」
「では、成功しなくて良かったですね。もし成功していたら、あなたは依頼人から大金ではなく、不幸を手渡されていたでしょうから」
「はぁ? そんなことあるはずねぇだろ!」
正常な判断など出来ていないのだろう。若者は、反射的に威勢だけで返す。
「依頼人からすれば、あなたがこの世から退場することで、対象者から自分が特定される危険を排除でき、且つあなたの言う大金とやらを報酬として渡さずに済みます。あなたの依頼人が、その手段を採らない理由のほうがわかりません」
自身の目的、利益の為に、殺人を依頼するような人間である。そのくらいのことはやるだろう。
まぁ、首謀者からすると、依頼ではなく唆しただけ、ということになるのだろうが。
捨て駒以下として弄ばれた自覚のない哀れで度し難い若者は周囲を見回すが、向けられているのは、そんなこともわからないのか、という蔑みの眼差しだけ。
「大金を手にしたい理由は、負債を返済する為ですか? あなたは勝負にのめり込む気質のようですから、賭け事は向いてないですよ?」
「っ! あ、ぅあ、馬鹿なっ、なな、な、何で知ってやがるんだ!?」
「ーーそんなもの、視ればわかります」
詰まらなそうに、少しだけ視線を逸らす。
僕のその演技に、狙い通り、若者だけでなく、男たちの目にも畏怖や嫌悪を超えた暗いものが宿ったことを感じ取る。
視ただけでわかる、然しもやは魔法ではあるまいし、そんな都合のいい能力など持ち合わせていない。
では、どうしたかというと、答えは簡単である。
事前に「遠観」でエルネアの剣隊と黄金の秤隊の面々に客人の姿を見てもらい、見知った者がいるか確認したのだ。
然てこそ該当する数人の情報を聞き出して有効活用した、というわけである。
自業自得とはいえ、そこまで強く若者を非難する気持ちがあるわけではない。彼は、利用されただけ。詮ずるところ条件に適えば彼でなくとも構わない。
自身に責任がなくとも、同じ境遇に置かれる者たちがいる。今日に余裕がない者は、明日を考えることが出来ない。この大陸には、今日のことしか考えることが出来ない者が、少なくない数存在する。
然し、困った。
予想の範疇ではあるのだが、あからさまに刺客を差し向けてきた。竜の国を受け容れられない者、或いは組織があるのか。ただの牽制とかならまだ増しなのだが。
しばし思惟の湖に漂っていると、雑音を響かせる者がいた。最後尾から、静寂を蹴飛ばして、青年が歩み寄ってくる。
優男とでも言えそうな容貌だが、表情には厳しいものがある。服装は商人のような形だが、彼が醸す鋭利な気配がそれを裏切っている。
「私は、ストーフグレフ国の者です。竜の国の侍従長、あなたには私がこの地を訪れた理由がおわかりになりますか?」
ユミファナトラ大河を挟んで、ストリチナ同盟国と比肩、或いは上回る、この大陸の中央に位置する雄国の名を耳にして、周囲がざわつく。
三寒国の二人が、困惑の表情を浮かべて、青年に場を譲る。ストーフグレフ、という名には、それだけの重みと威光がある。
青年は、紙に名と所属を記入すると、来訪の目的を空欄のまま、僕に差し出した。
予測とは別の形になったが、僕にとっての竜との対面だった。
再度、静かに息を吐く。
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足りない部分は勘で補うしかない。笑いが込み上げてきそうになる。先の若者ではないが、賭けの要素が強過ぎる。
「ストーフグレフであれば、あなたに連絡を取った上で竜の国に向かわせることが出来るでしょう。ですが、今回あなたは、あなた自身がここに、同胞に先んじて向かう必要があった。つまり、独断専行。竜の国の情報を得て、願うこと。それは、功績と引き換えにした、本国への帰還ではありませんか?」
「……その通りです」
青年の首肯で、賭けに勝ったことを知る。
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ここに居る者に賭けで勝つのは当然のこと。僕は示さなくてはならない。賭けを仕掛けるべき者は、対等の相手として見るべき者は他にいる。
「あなたは竜の国に赴くことを同僚が知るようにしていったでしょう。あなたには、本国への帰還命令が下ります。ストーフグレフ王が、竜の国を実見した者の話を聞く為にです。あなたはそこで、竜の国について語ったあとに、独断専行した理由、何故本国に戻りたいのかを過たず告げます。そして最後に、僕がそのようにしろ、と言ったことを伝えた上で、この紙を渡してください。そうすれば、あなたの願いは叶う」
手渡した紙に書かれた文言を一読して、青年が固まる。
好奇心を抑えられなかったのか、長躯の男がひょいと紙を覗き込んで、絶句した。無意識に、だろうか、男が僕に顔を向けてきたので、軽く頷いて許可を出す。
彼は頭をがしがし掻いて気を取り直すと、震えを抑え切れない声で読み上げた。
「僕の勝ちですーー竜の国の侍従長ランル・リシェ……。これは……正気か?」
「ええ、きっと、ストーフグレフ王なら気に入ってくれるはずです」
僕は、口だけを薄笑いの形にする。
超然とした心象を現出しようとするが、地の底から死霊でも湧いたような居回りの反応に、意図したものと違うが、まぁいいか、と納得する。
英傑たるストーフグレフ王を利用させてもらう。
竜の国の侍従長は、彼に匹敵する存在であると嘯く。
青年には申し訳ないが、僕の予見通りに、上手く事が運ぶとは限らない。今ここに居る人間が誤解してくれるだけでいい。誤謬を犯して、大いに買い被って、虚像を広めてくれるなら尚ありがたい。
竜の国は一筋縄でいかないと、子供にしか見えずとも、国を運営するに相応しい資質を秘めていると、彼らの主に伝えてもらわなくてはならない。
「まだいらしたんですか? どうぞ、お帰りになって結構ですよ」
僕らの目的にそぐわない者が、刺客の若者がまだ居たので、南の竜道を手で指し示す。
「まっ、待ってくれ! 俺を竜の国に居させてくれ!」
少し突いてやれば退散するかと思ったが、意外な、いや、こんな言葉では足りない、慮外千万なことを言い出した。若者の必死な、そしてどこまでも身勝手で厚かましい振る舞いに、僕は応える術を知らない。
煩わしい限りだが言葉には言葉で返さなくてはならない。
「竜の国は、逃亡者が訪れる場所ではありません。自らの意思で遣って来るべき場所です。竜の国は竜の民を護りますが、逆もまた然り、竜の民は竜の国を、王を護らなくてはなりません。自分さえ護れないあなたに、何が出来るというのでしょう」
率直に、不味いな、と思った。視界の端で人影が揺れる。僕の隣で、少女が向き直る。
「リシェさん」
気負いのない、静かだが深く染み渡るような声。僕は、コウさんの真っ直ぐな姿勢から発せられる声が好きだった。
王としての資質に声が挙げられるとするなら、彼女は間違いなく合格だ。
「この方を、竜の国に居られるようにしてあげてください。お願いします」
僕に深々と頭を下げた。
……これは、どうしたものか。王が臣下に頭を下げることの是非は措くとして、竜の国がどのような国でありたいのか、それを示すには良かったのかもしれないが。
王と竜の民に、身分の違いはなく、ただ役目と役割が違うだけ。この時代、奇異を以て迎えられるこの施策は、竜の国の本懐ーー大き過ぎる魔力を持つコウさんが居られる場所を作るーーとして、成し遂げなくてはならないものである。
世界を救うことが出来ても、世界を滅ぼすことが出来ても、他人の助けがなければ生きていけない、強くて弱い、魔法使い。
王に護られるだけの国を、民が王に頼るだけの国を造ったとしても、長続きはしないのだ。
コウさんや老師にすべてを話してもらったわけではないが、幾許かの予想はついている。
僕とコウさんの捉え方に違いがあるのはわかっていた。
コウさんの生い立ちに鑑みれば、僕より深く竜の民を愛するであろうことも。その齟齬をあえて放っておいたのは、心のどこかで疑っていたからなのかもしれない。
理想は砕かれるものだ。その先に現実がある。妥協で鍛えた現実を、理想で糊塗して、人々に差し出す。
そんな安易な道を選んでしまわないかと、流されてしまわないかと、最後の最後までは、信じることが出来なかった。
ここでコウさんを否定できない僕に出来るのは、一つだけだった。
とても卑怯な遣り方で、彼女の願いを壊してやる必要がある。彼女の願いの源泉はそのままに、僕の責任として、彼女の優しさか甘さか判断の分かれる思いから溢れ出た過ちの種を排除する。
「一国の王が、あなたの為に頭を下げています。あなたより周期が下の少女が、あなたが殺そうとした娘が、あなたの罪を許してくれと、懇願しています」
「……っ!」
若者の顔が歪んで、次々に感情の色が浮かんでゆく。百面相というほど豊かなものではない。そこに表れるのは、どこまでも自分勝手な表情。
後は、一押しするだけである。
「それで、あなたは、どうするのですか?」
若者に選択を委ねてみれば。果たして、彼は逃げ出した。
「フィア王。今は届かずとも、あなた様の言葉は、いずれあの者に届くでしょう。その後、再び竜の国を訪れるかどうかは、あの者次第です」
竜の国の王を一顧だにせず、冷たく言い放つ。
慇懃無礼になるよう、形だけの礼儀を尽くす。ここで小馬鹿にしたように一笑に付すのは遣り過ぎか、と無表情で通す。
「それでは、皆さん、湖竜に乗って対岸まで行きましょう。湖竜は、竜の国にある魔工技術を用いたものの一つで、乗り心地を確かめてみてください。先に行って準備してきます」
一人帰ったので、右から六体目のミニレムの肩に触れて、六体を随行させる。
気丈に振る舞うコウさんの健気さに、男たちの視線が向けられる。それは、総じて暖かいものだった。冷たいものは、すべて僕が引き受ける。
結果として、斯かる仕儀となったからには、このまま冷徹侍従長……って、何か語呂が悪いな、冷血侍従長、もしっくりこないが、とりあえずそんな感じのものを演じるとしよう。
まぁ、これで成功しただろうか。
離れた場所から、コウさんと手続きを行う客人を見ながら、独り言つ。
ミニレムが僕を労わるように、ぽんぽんと足を叩く。
心配するな、俺たちはすべて理解ってるぜ(訳、ランル・リシェ)、とでも言いたげである。僕はほんのり涙を流しながら、客人たちから見えないようにミニレムたちの頭を撫でてあげるのだった。
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そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。
そして誰もいなくなった。
彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。
これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。
◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。
3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。
3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました!
4/1、完結しました。全14話。
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