竜の国の魔法使い

風結

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三章 竜の国と魔法使い

今日は 本当に 月が綺麗です

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 今日は月が頑張っている。などと失礼なことを考えつつ、地上を薄光で揺らしてくれる満月に感謝した。

 目が慣れれば、この薄暗闇は不思議なほど心地良い。

 コウさんを見つけ出すのは、難しいことではなかった。いや、正しく言えば、簡単だった。彼女が逃げる際に巻き込まれた、魔法人形が残した損壊のあとを辿っていけばいいだけだった。

 さっそく補修に取り掛かってくれている魔法人形の健気さに、感謝の念で涙が出そうだ。

 まぁ、実際には、斯かる命令をコウさんが下したのだろうが。となると、彼女も少しは落ち着きを取り戻したのだろう。適度に時間を空けたのは正解だったかもしれない。

 音を立てて近付いてゆく。魔力で気配を捉えられないので、遣って来たのが僕だと気付くだろう。

 小さな、丸まった背中。みーがすっぽりとコウさんの腕の中に収まっている。

 草地に座っていた彼女に、断りもなく背中合わせに腰を下ろす。

 触れ合った背中から、微かな動揺が伝わってくる。でも、それでは足りない。僕は、腕を持ち上げて、体を反らせながら小さな肩を掴む。丸まった背中を引き寄せて、背中をぴたりと合わせる。

「ふぁっ……」

 ぽふっと、少しだけ魔力が放出された。

 彼女に触れているので、淡金の魔力を知覚できる。風に馴染むように、いやさ、風の影響を受けていないようだったので、月の薄光に溶けるように、とでも表現するのが適当だろうか。

「肩に触れていい、と許可をもらっているので。駄目でしたか?」
「……駄目、じゃないのです」

 背中を合わせるという不躾ぶしつけなことを不問ふもんにしてもらう為に、ちょっと企んでみたが上手くいったようだ。

 ただ謝るだけでは、きっと凝りを残してしまう。なので、僕はコウさんに、もう一歩、今よりも近付いてみようと思う。

「提案があります。今の魔力放出ですけど、ただ消えてしまうだけではもったいないので、空に向かって打ち上がるようにして、空で爆発したあと、魔力が地上に降り注ぐようにしませんか? 魔力は、ある程度であれば、浴びても体にいいんでしたよね」
「……?」

 コウさんの戸惑いが、背中から伝わってくるようだった。いきなりこんなことを言われて、どう反応していいか迷っているのだろうか。

「出来ませんか?」
「出来ないことはないのです。そんなことする必要がないのです」

 怪訝けげんそうに二重否定ーー肯定のあとに否定をするコウさん。

 僕は、懐から人差し指くらいの長さの、厚みのある木の板を取り出して、後ろに向かってぐっと手を伸ばす。

「これを、どうぞ」
「これは、何なのです?」

 知らなくても無理はない。

 三寒国の風習で、声高に語るべきものではなく、どちらかといえば秘するものなので、意外と知られていない。

 差し出したまま待っていると、すっと木の板が引き抜かれる。コウさんの心臓の鼓動が、七回脈打ったあとだった。

「それは、コウさんの言うことを一度だけ何でも聞く、その証しともいうべきものです」

 小さな木の板の表には、僕の名前が刻まれている。そして、裏には真名が刻まれている。と言っても、真名のほうは形骸化けいがいかしていて、子に託す願いや信仰する神の名が刻まれることもある。

 「誓いの木」という捻りのない名称だが、そのただの木片に込められた重みに気付いてもらえたようで、コウさんの背中が小さく揺れる。

「手配した器具や道具類が必要ないのなら、今すぐ竜の狩場を出発して、取り止めにしてきます。でも、折角手にした、何でも言う事を聞かせられる権利です。そんなことに使ってしまうのは、もったいないと思いますよ?」

 言葉の最後に、茶化すように軽く揺さぶる。

「ぬーう、みーちゃんのはー?」
「みー様、何をお望みですか?」
「あーう、またおいしーものみーちゃんにみつぐのだー!」
「承りました。お土産たんまりみつがせてもらいます」

 今ならいいだろうか。悲願、などと大げさなものではないが、みーの頭を撫でるという願望を叶える絶好の機会である。

 僕は身を捩って、コウさんの肩越しに手を伸ばす。みーのほよほよした柔らかそうな髪に手を伸ばしてーー、

「あう」

 噛まれた。噛まれました。噛まれてしまいました。三度確認したので、間違いない。

 ちょっと舌足らずな可愛い声とは違って、実際には、がぶっ、とがっつり食い込んでいた。

 あまり目立っていなかったが、犬歯に位置する箇所にある、しっかりとした牙が手に突き立てられていた。それと、みーの炎眼にとろんとした愉悦ゆえつめいたものが揺蕩っていた。

「……っ!?」

 痛い?! 痛い! 痛いっ、痛いがっ、我慢の子である!

 未だに、みーに壁を作られているらしい僕としては、これ以上厚みや高さを増して欲しくない。遠くない内に、壁を破らせてもらうつもりなので、無理やり引き剥がすようなことはしたくない。

 更に体を捩って、噛まれた手を見ると、みーの喉がこくこくと動いていた。

 え? あれ? もしかして、血を吸われちゃったりしてますか?

 噛まれた手の痛みは、鈍痛へと至って、血が失われている感覚はない。どうしようか迷っていると、弾けるような眩い光筋が目を焼いた。

「ぽぎゃっ??」

 鋭利な厚みのある光に取り巻かれたみーが、雷に打たれたように、などという比喩ではなく、コウさんが放った「雷撃」の魔法に打たれて、命の危険があるんじゃないかと思うくらい、びくんびくんっと体を跳ねさせた。

「みーちゃんっ! そんなばっちいの吸っちゃ駄目です!」

 みーを叱りつつ、コウさんは未だびくっびくっとしているみーをひしと抱き締めた。

 いや、コウさん、ばっちい、って、そんな。咄嗟とっさに出た言葉なので、それは彼女の本心なのだろう。血を飲むのはいいことではないけど、僕は汚らわしい存在なのだろうか。

 あれ、何だろう、心が折れそうだ……。

 ああ、あと、目が焼けたかと思ったが。僕は反射的に目を閉じたが、「浸透」の効果だろう、コウさんを通して、或いは魔法を知覚して、鮮明に「電撃」を見ていた、というか、捉えていた。

 然ても然ても、見る、という行為に伴う、その周辺の感覚をあやふやにさせる。のだが、それも、世界の一幕。コウさんが馴染んできた、紛う方なき、うつし世。

 それらは、色々と心を乱れさせるものだが、今はコウさんに触れたことを、世界に近付けたことを、僥倖に感謝して、喜ぶに留めておこう。

「みゃーふ、こーおいうこおきうのらー、みーしゃんあんできうのらー」

 まだ体が痺れているようで、上手く口が回らないらしい。

 この程度で済んだみーが凄いのか、仔竜とはいえ、竜にここまで損傷を与えられたコウさんが凄いのか。

 まぁ、両方なのだろう。然て置きて僕の血は美味しかった(?)ようだが、これは朗報ろうほうなのだろうか。

 僕は、常備するようになった軟膏を手に塗った。

 痛みは然程ではないが、みーは遠慮呵責かしゃくなく噛んでくれたので、治るまでそれなりに掛かるかもしれない。

 これまでと、そしてこれからのことを惟て、僕にも効く治癒魔法の研究をコウさんにお願いしてみようかと、本気で考えてしまう。いや、コウさんのことだから、もう研究はしてくれている、かも?

 妙なことになったが、僕は体の位置を元に戻して、再びコウさんと背中を合わせる。

「それで、どうしますか? 何かお願いがあるなら、何でも言ってください」
「……いいの、わかったの。あとで後悔するといいの」

 どうやら動揺は収まっていないらしい。

 「あと」と「後悔」が重言じゅうげんになっている。疼痛が痛い、とか言って揶揄したい衝動に駆られるが、仲直りの機会を逸すると、口をしっかりと手で塞いで、想念というか邪念というか、余計なものが消えるまで只管我慢する。

「ーーーー」

 ふぅ、誓いの木は、現在ではなく未来に使われることに決まったようだ。

 これで、僕とコウさんの間の蟠りは解けただろうか。異性の扱い方や対応は、一応里で習ったが、どうも身になっている自覚はない。なので、今回は心の赴くままに行動してみたが、どうだろう。

 墓穴を掘ったような気がするが、きっと勘違いのはずである。

 沈黙に堪え兼ねたのか、れたコウさんが尋ねてくる。

「何も聞かないのです?」
「そうですね。今、気付きました。大きなことじゃなくて、小さなことを少しずつ、積み重ねていけたらいいな、と。これは、たぶん、僕の勘違いだと思います。今は言葉を交わすより、こうして背中を合わせているほうが、コウさんのことをたくさん知っていける、そんな気がするんです。ここで同じ夜空を見上げていることが、半分ずつ世界を眺めていることが、嬉しいと思える。ーー今日は、本当に、月が綺麗です」
「……前からそうじゃないかと思ってたのです。リシェさんは、恥ずかしい人なのです」

 僕の頭に、こつりとコウさんの頭が当たった。彼女も夜空を見上げている。

 触れているところの、熱が心地良い。熱くて、痺れているような、不可思議な暖かさ。

「子供の体温は高いって聞きますが、本当だったんですね」

 優しい熱に絆されながら、思ったことが素直に口から流れ出た。

 こうして触れ合っていると、ここが世界の中心なのではないかと幻想を抱いてしまいそうになる。

 風に吹かれることが、こんなにも優しい。などと浸っていると、後ろから言葉の振りをした闇が漂ってきた。

 それはそれは、氷竜もかくやと思わせるくらい冷たくて、凍えてしまいそうだった。

「……『星降』『星降』『星降』……『星降』『星降』」
「…………」

 背中を合わせていたので、コウさんの魔法を知覚できた。

 コウさんは、みーを連れて、「転移」の魔法でエンさんとクーさんの許に戻っていった。支えを失った僕は、後ろにぱたりと倒れる。

 空のお星様は、見上げるもので、体で受けるものではないと思います。

 切なる願いが悠久なる天の星々に届くことはなくーー。

 あ、因みに、「星降」は僕の意識や感覚が追い付かなかったのか、精神が引っ掻かれるような衝撃を残しただけだった。どうも、星を降らすだけの、単純な魔法ではないらしい。

 今日は、星の光が、五回瞬いた。

 ああ、どうしたものか、コウさんは魔法人形に撤退を、いや、撤収のほうがいいだろうか、まぁ、どちらでもいいか、指示していかなかったようで、今も懸命に働いてくれている。

 然ても、コウさんやみー、エンさんやクーさん、皆も一緒に夜空を見上げているのだろうか。

 あれ、おかしいな、あんまり嬉しくなぁびっ……。

 ……ぐはっ。ごばっ。ぐげっ。……ぶげっ。べもっ。
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