竜の国の魔法使い

風結

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三章 竜の国と魔法使い

お金と鍛錬はとっても大事です

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「費用はどのくらいありますか?」

 夢や情熱をどれほど注ぎ込んだとしても、どうにもならないことが世の中にはある。

 無い袖は振れない。竜になれるのは夢の中だけである。

 彼らに頼らなければならないことは山程あるが、無一文に近い僕が、完全に寄り掛からなければならない事項である。

 本日は、僕が食事当番である。雨の心配はないので、拠点にしている大岩の側の、石の卓を皆で囲っている。

 穀物の粉を水で溶いて、細かく刻んだ具材を混ぜて焼くだけ、という簡単な代物。僕の出身地の郷土料理で、具材に何を使うか、上に何を載せるか、味を決める仕上げには地域差がある。

 今回は、朝食の残りを詰め込んだだけだが、竜の狩場自生の植物をふんだんに使っているので、食欲をそそる味に仕上がっているはずである。

「むぐむぐ……、これの三百倍くらいなのです。んくっ、手元にあるのが半分、もう半分は組合に預かってもらってるのです。はぐ……」

 答えるなり、すぐに口に放り込んで頬張るコウさん。

 好評なようで何よりである。魔力を大量に消費したので、お腹が空いているのかもしれない。

 聞いた話では、魔力を消費し過ぎると極度に疲労したり、命を落としたりすることもあるらしい。

 魔力を回復させる手段は単純である。

 よく食べて、よく寝て、すっきり目覚めれば、魔力は元通り。とはいえ、コウさん水準になると、回復にも限度があるかもしれない。

 コウさん以上に食いしん坊のみーは、全身全霊で食べることをお楽しみ中。みーにもちゃんと働いてもらったので、というか、みーは労働という概念を持っているのかどうか。

 コウさんにみー、仲良く行儀ぎょうぎが悪いのだが、初日である今日ばかりはクーさんも見逃してあげるようだ。

 和やかな夕餉ゆうげ

 そんな雰囲気とは裏腹に、僕は現実の厳しさと向き合い中。

「ぎりぎり……かな。全部使ってしまっていいんですか?」

 コウさんが置いた、卓の真ん中の宝石類を見ながら、僕は唸った。

 十個程の宝石は、個人なら一生遊んで暮らせるほどの大金だが、国造りの予算としては話にならないくらい雀の涙、いや、宝石だし、竜の涙にしたほうが、って、いやいや、言葉遊びをしている場合ではなく。

 ーーこの三百倍か。

 僕は、頭の中で算出した金額との摺り合わせを行う。

「全て使って構わない。氷焔の報酬と、依頼で赴く度に、コウが採集、採掘してきたもの。足りないなら、幾らでも場所はあるが、どうする?」

 クーさんは視線を西に、すでに陰に深い闇を抱えた、遥か向こうにある山脈に向けた。

「人の領分を守る。老師の言葉は、指針にする必要があると思います。山脈には手を出さず、採掘するのであれば竜の民自身の手で行ってもらいましょう。国造りでは、その基準を緩めなくてはなりませんが……」

 僕は、食事の間も聞こえてくる、作業の音がする方向に顔を向けた。

 コウさんに依れば、魔法人形たちは不眠不休で働いてくれるらしい。現在はコウさんの奮闘ふんとうもあって三千体まで数を増やしている。

 魔法人形一体を操ることさえ汲々きゅうきゅうとしている魔法使いに鑑みると、明らかに人の領分を超えているが、然り乍ら最後は良心に従って基準を決めるしかない。

「おかえいゆのあー? ふぃーひゃんかふかー?」

 料理人よろしく、僕が焼いた完成品を只管口に詰め込んでいたみーが、ごっくんと一息に嚥下して、栗鼠りすのような膨れほっぺを元のぷにぷにほっぺに戻した。

 すると、ゆくりなくお臍の辺りを、丸めた両手でぽんぽんと叩き始めた。

 然ても、何をしているのやら、みーの可愛らしい仕草に、皆の視線が集まって。お腹から胸へと少しずつ上に、それから喉に向かって叩く場所が移動してゆく。

「ふーう、きたのだーきたのだー」

 みーのぽんぽんが首元まで達すると、みーの首がぼこっと膨れた。って、ちょっと吃驚。

 大道芸で似たような芸を見たことがあるが、みーのように人の限界に挑むほどのものではなかった。

 みーは竜だし、これくらい訳ない、のかな?

 形からすると拳大、いや、両手を組んで丸めたくらいの球のようだが、みーの顔に苦痛の色はない。それどころか球が移動する感触を面白がっている様子。

 球が喉に達したのか、顎がくいっと上がると、

「ぱふぁーっ」

 みーは、もわっと大きく開けた口から、まるい物体を吐き出した。

 卓で何度か跳ねながら転がって、真ん中の宝石類に当たって止まる。一見して水晶玉かと思ったが、違った。

 透明な玉の中で、色彩と色彩がみがき合うように輝きを放ちながら、無数の光粒が揺らめいている。生きた宝石、と言われる所以ゆえんである。

 水の流れにも、舞い乱れる風にも譬えられそうな、幻想的な彩光の演舞。

 天の国を思わせる極限。美を司るアニカラングルさえ見蕩れるのではないかと思わせる、竜の結晶。

「こりゃ、『竜の雫』だなぁ。これって、竜んお腹んなかん出来るもんなんか?」

 エンさんは、色彩が踊る竜玉をむんずと掴み取って、しげしげと眺めた。いや、最高の宝玉と冠せられる高価な至宝を、そんな雑に扱っていいのだろうか。

「んーう、しらないのだー。そのたまは、まえにたべたやつー。みーちゃんのねどこに、ごろんごろんころがってるぞー」
「足りなくなったらみーに借りるとしよう。利子をたくさん付けて、返してやるぞー」
「おーう、もってけどろぼーなのだー」

 とりあえず、クーさんとみーの間で、合意が成った。とはいえ、こんな大きな竜玉、市場に流せる量は限られている。

 それと、何かと不都合が多過ぎるので、ミースガルタンシェアリとみーが暮らしていた北の洞窟は「結界」で封鎖しておく必要があるだろう。

「竜の魔力が結晶化したものなのです。ゆっくりゆっくりと遥かな時に揺られて育まれるのです。竜の雫からは微量の魔力が放出されていて、体に良い影響を与えてくれるのです」

 コウさんの説明を聞いて、僕は小さく溜め息を吐いた。

 その良い影響とやらも、きっと僕には効かないのだろうな。

 身に沁みて感じていると、僕の背中に雷竜がし掛かってきた。悪寒めいた電撃が体を貫く。

 あぐぅ、あ~、……どうして斯くも途轍もない重大な事柄を失念していられたのか。

 ミースガルタンシェアリにみー、色々あっていっぱいいっぱいあっぷあっぷだったとしてもこれはない。って、あれ?

 衝撃が大き過ぎたのか、思考が幼児というか単純化というか、みーみたいになっているのだが。

 あ~、いやいや、然なきだに問題が多いのだから、竜にも角にも、それは脇に追い遣っておくことにして。

 妄想の産物であるところの雷竜と、再会を約束しておさらばすると、自分の間抜けさに押し潰されそうになるが、ここで知らん振りが出来ようはずもない。

「……えっと、今気付いたというか、忘れていたというか、今更というか、あー、何が言いたいのかというと真に恐縮きょうしゅくなんですが、……竜の狩場に魔物が居ないんですけど?」

 竜の狩場には魔物が跋扈ばっこしている。

 二百周期前、人の侵入をいとうたミースガルタンシェアリが魔物を狩るのを止めた。

 以来、彼の竜とまみえた者はいない、とされていたはずだが。

「もしかして、みー様。魔物、全部食べちゃいましたか?」
「もょーう? あひつらあー、ちかうにきやころないかあ、たえたころなあおー」

 僕の冗談にちゃんと答えてくれるみー。

 食べながらでなければ完璧だったが、いやさ、舌足らずでお口をもぎゅもぎゅな姿も可愛いので、そちらこそ正義。……や、その、これは、やばい、竜の魅力に、終に脳までやられてしまったのか、クーさん並みの重篤じゅうとく患者になりつつある。

 ふぅ、これは一歩、いや、三歩くらい下がって、自分を見詰め直す必要があるようだ。と気合いを入れ直したところで、現実に回帰。今は魔物についてである。
 
 然てこそみーは魔物は食べたことがないようである。

「はーい、みーちゃん。食べながらお話をしては……、お口に食べ物を入れたまま話してはいけませんよ~。きちんと飲み込んでから話しましょうね~」

 今しがた食べながら話していたコウさんに注意されて、幸い彼女の行儀の悪さに思い寄ることはなかったようで、みーはこくこくと頷くと、食事を再開した。

 どうやら、話すことより食べることのほうが優先順位が高かったらしい。

「魔物は、方角で言えば、北東に追い遣って、『結界』で閉じ込めている。地下に人工のものらしい洞窟があったので、拡張して迷宮に改装。これは習性なのか、魔力が関係しているのか、地上も迷宮も奥に行くほど強い魔物が棲み付いている。狩場は弱肉強食だったから、弱い魔物は今のほうが棲み良くて、喜んでいるかもしれない」

 いつの間にやら、力尽くで懸案が片付けられていたらしい。

 然らば次の段階に移っていいだろう。僕が担当すべき分野で、遣らなければならないことが山積している。

 魔物の存在を失念していたという、碌でもない失敗は、闇竜の寝床に、ぽいっ、である。失敗を引き摺って、失敗を繰り返すなど、馬鹿のすることである。

 そうした失敗を何度も経験してきた僕の言葉なのでーーというか、ほんとに、僕は好い加減学習しないと。

「明日からの、二巡り分の指示書を朝までに仕上げておきます」
「こぞーは、何すんだ?」
「下準備、と言ったところです。有力商人の使いと称して販路を確保したり、潰れそうな貴族の屋敷などから仕入れ難いものを買い取ったり、ああ、その為の保管場所も必要ですね。住人を迎え入れる為の馬車などの手配は今からしておかなくてはなりません。ファタさんに頼んであること以外の、実際に目にしなければわからないことは優先的に回らないと。数十人程度の人材を使う目星めぼしは付いているので、その交渉から始めるとして、そうだった、これはコウさんと摺り合わーー」
「ぐぁ、やめろー、呪いん言葉ぁ吐くなぁー!」

 頭を抱えて、紛う方なき苦しみに身を捩るエンさん。

 難しい、というか、面倒な話で、どうやら許容量を超えてしまったようだ。自分から尋ねたことなので、聞き流すことに失敗したらしい。

 面白いので、ほんのちょっとだけだが続けたい気持ちがちろりちろりと湧いてくるが、残念ながら今は国造りの真っ最中である。

 有用な労働者ばしゃうまに深刻な衝撃を与えてはならないので、話題を転換する。

「みー様は、明日からの二巡り、僕を乗せて各地を回る、なんてことをしてくれますか?」
「うー? うー、う……、うーう」

 口に詰め込んだままなので、ふるふると頭を左右に振って、拒絶の意を表した。然し、竜の狩場の、外の世界を見せてあげたいという欲求がむくむくと膨らんできたので、もう少し食い下がってみることにした。

 まぁ、勿論、みーと仲良くなれるかも、という打算したごころがないわけではないが。

 そうなると、コウさんも連れて行ったほうがいいのだろうか。

「各地で美味しいものが食べられるという特典付ですが、行ってみたくなりませんか?」
「うー? ううー? うー、う~、う……、う~~、うーう!」

 悩んだみー。

 残念ながら、食べ物では釣れなかったようで、ごっくんこっ、と口に詰め込んだ料理を飲み下すと、コウさんに甘えながら、

「あーう、こーのほーがいーのだー! こーがいーのだー! こーなのだー! こそくなかんけーでうろたえるみーちゃんじゃないんだぞー!」

 断固拒否の構えである。ではあるのだが、その威勢も長続きはせず、お腹一杯になったのだろうか、骨のない生き物のようにふにゃふにゃになったみーの動きが緩慢になってゆく。

 もうおねむの時間であるようだ。

 北の洞窟に一人で居たときには体験することが出来なかった、たくさんの出来事に、心地良い疲れを感じているのか、目を閉じたみーの顔には幸せそうな、暖かなものが浮かんで、夜風よりも優しく僕たちの心をほころばせる。

「……みーちゃん、連れてくのです?」
「半分以上は冗談ですよ。まだみー様には外の世界は早過ぎます。そういうわけで、国が完成するまで、みー様の教育係をお願いします」

 そんな軟らかな名残を十分に堪能することなく、コウさんは意地悪で底意地が悪そうな悪意ある人間を見るような、……いや、自分で言っていて哀しくなってくるのだが、まぁ、そんな感じの、もの言いたげな目を僕に向けてくる。

 然てこそ論点をずらして彼女の視線の険しさを緩めようと試みた訳だが、効果は芳しくない。ここしばらくの遣り取りや僕の振る舞いに対して、コウさんは疑心暗竜になっているようだ。

 なるべく演技に頼らないよう優しく提案してみるが、彼女の疑念をまったく払拭できていなかった。

 しかあれど、この距離感が好都合なのが、また厄介なのである。

 コウさんの感情、精神とか情動とかも含まれるのだろうか、そこに溜まった魔力を排出する為、彼女の「やわらかいところ」を刺激する必要がある。

 現況は対策がし易い、のではあるのだが。あえて適度に嫌われる、その状態を維持することを目的に行動するのは、何だか本末転倒な気がしてならない。

 まぁ、今のところ、態と嫌われようとする必要もなく、いい感じに、もとい程好く嫌われて、……いやまあ、そんな小さな差異はどうでもいいのだが、はぁ、ここら辺は後の課題というか、成るようにしか成らないというか。

「二巡りかぁ。ここんとこ魔力出せてんし、そんくれぇなら大丈夫かなぁ?」
「二巡りなら、問題ない。ただ、だいぶ溜まるだろうし、戻ったらコウのを多めに抜かないといけない。こちらでも一巡り分程度の『やわらかいところ』対策はしておくとしよう」

 真剣な会話なのだが、どうしても間抜けな遣り取りに聞こえてしまう。

 それはきっと、コウさんが魔力を放出できず、呻吟する姿を見ていないからだろう。しかあればどうも気恥ずかしさが先に立ってしまうのだ。

 こんなことではいけないと、わかってはいるのだが。

「こぞー、んじゃー行くぞー」

 エンさんが立ち上がると、追従ついじゅうしてクーさんが準備を整える。

「氷焔は魔物との戦闘のほうが得意。困ったことに、事実として立証。先を考えるなら、対人戦をおざなりにして良い理由はない。黄金の秤との戦闘での、無様ぶざますすぐ為の対策が必要。心配いらない。魔法剣でリシェは傷付けられない」
「はっはっはっ、これほどいー鍛錬相手んいるなんざ、俺たちゃついてるなぁ」

 完全無欠にやる気満々で、獲物を甚振いたぶる準備は完竜な御二人。

「リシェさん。剣と盾を貸してなのです」

 コウさんは、優しい声音とは裏腹に、荷物の横に置いてあった僕の片手剣と小盾を魔法で強引に引き寄せた。

 貸して、と言いつつ、所有者に許可を得ることなく、問答無用で事を進めてゆく。

 剣と盾に手を添えて、魔法を使ったようだが、一瞬だったので何をしたのかわからなかった。

 見たところ、安物の剣と盾に変化はないようだが。

「『折れない剣』と『壊れない盾』なのです。これまでの研究成果の結晶なのです。これで、エン兄とクー姉と全力で戦えるのです。り切れるまで戦えなのです」

 コウさんは、非常に友好的な笑顔を浮かべながら、剣と盾を返してくれた。

 あれ? なにか、すご~く、ものすご~く、不自然な言葉が最後に聞こえてきたのですが。そして、妹から許可を貰った魔物より恐ろしい人の形をした獣が、竜の狩場に放たれた。

 放し飼いはいけませんよ。などと軽口を叩ける雰囲気ではなく。

 とりあえず、選択肢は一つだけ、というか、それでは選べていないような?

 竜にも角にも、然く僕は遁走した。
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