竜の国の魔法使い

風結

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二章 竜と魔法使い

仔竜は魔法使いが大好き?

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 目を開けると、そこには懐かしくも忌ま忌ましい光景がーー。

 ……僕は心に溜まったおりのようなものを、溜め息に隠して静かに吐き出した。

 懐かしいと思ってしまったことに、わずかな痛みを覚える。空を蝕む、山の洪水が幼き日々を思い起こさせる。

 クーさんはこの世界を、創世神ではない神が創った不完全なものであると喝破かっぱしていたが、いや、彼女には悪いが、それを確かめたわけではないので、仮説の一つに過ぎない。

 然りとて、否定する必要もない。逆に、そのほうがしっくりくる。むべなるかな、懐かしさに勝る、この忌ま忌ましい気持ちに、答えが与えられるのだから。

「起きたんか、こぞー」

 ありがたいことに、エンさんが懐旧かいきゅうの元となった景色の大部分を覆い隠してくれた。

 彼の隣にはクーさんの姿がある。二人が移動してしまう前に、僕はそびえる山脈を背に起き上がった。

 体にまだ鈍い部分があるが、一眠りしてだいぶ回復できた。あざは、痛いだけなので、自然治癒に任せる。というわけで、痛みが麻痺まひするまでは我慢の子である。

 随分ぐうすかと寝こけていたようだ。日が高いが、暑さは然程でもない。

 竜の狩場に足を踏み入れたのは、日が昇ってからだった。

 東の入り口から竜の狩場までは、概ね平坦な道が続いているだけだった。崖崩れや陥没などの跡はあったものの、難所と言われるほどの険しさは感じなかった。

 ただそれは、真夜中で周囲の状況がわからず、疲弊ひへいしていた僕は三人の後ろを何も考えずに付いていっただけなので、危険感知が機能不全に陥っていたと思われる。

「『東の竜道』は、何というか、ずいぶん真っ直ぐな道でしたね」

 僕の視線の先に、薄っすらと竜の狩場を囲う山脈がある。

 竜の狩場は、平均的な国の一つと半分くらいの大きさである。きっと、竜の狩場の中心にでも行けば、山の威勢もなくなるだろう。

 人家も畑もない、広大な土地というのは初めて目にするが、不安と同時に、これは期待なのだろうか、何か迫ってくるものがある。

「東の竜道、か。悪くない。これから様々な名称を付ける機会がある。すべてリシェに任せるとしよう」
「そーだなぁ。ありゃどでけぇ剣でどかんってやったんじゃなくて、『風刃』でさくって感じか。ーー狩場ん遣って来た巨大魔獣ん『風刃』でしゅばっ! 炎竜躱しざまん息吹んどぼおぁ! そん壮絶ん戦闘ん爪痕が、東と南の竜道んであったーー完」

 矢庭やにわに炎竜物語を創作して演じるエンさん。

 戦闘場面だけあって、いつもより動作が機敏きびんだった。僕は肯定も否定もできず、複雑な心境で短過ぎる物語を観覧かんらんした。

 彼は即興で物語を作っただけで、当然それが事実だとは思っていないだろう。だが、それが事実であってもおかしくないだけの力と永い歴史がミースガルタンシェアリにはある。

 人の歴史が奏でられる遥か過去から、世界をつむいできた悠久の語り部ーー。

 自覚がある。僕は緊張している。神経が過敏になって、体にぴりぴりと、嫌な感じの小さな痺れが這いずる。

 これから、伝説の竜であり「最古の竜」、「始まりの炎竜」「要の真竜」と数々の二つ名を持つ、そうだった、更に「守護竜」を追加された、希代きたいの存在に会いに行くのだ。

「何をしていたんですか?」

 掌に掻いた汗を、二人からは見えないように服で拭いながら、僕は話を振った。

 呼吸を整えつつ、竜の狩場を眺め遣る。

 見渡す限り平野が広がっている。文献に依れば、炎竜の塒である北の洞窟の周辺以外は、起伏の少ない地形になっているらしい。

 二人は近くにある大岩に向かって歩いているようだった。そこにコウさんが居るのだろうか。

 そういえば、今日の食事当番は誰だったかな。

 欲望に忠実な無節操なお腹の虫が、食べ物を寄越せと反乱を企てている。その内、竜でも呼んできかねないのでーーとそこまで考えて、ここが竜の狩場であることを実感して、内心の軽口を打擲ちょうちゃくして黙らせる。

「周囲の探索。あと、東の竜道をどのように活用するか判断する為の材料。地質や植生、水捌みずはけを調べてきた。少し奥に行けば、もう光が届かない。利用価値は少なそうだ」

 確かに、人の行き来くらいにしか使えないし、使うとなると道を整備しなくてはならない。果たして、それに見合うだけのものを得られるかどうか。

「大きな岩の付近を拠点にすることが多いですよね。何か意味があるんですか?」

 身長の五倍くらいの高さがある大岩の日陰から出ると、すでに天頂付近まで昇っている太陽が目に入る。

 熱波が過ぎ去ったこの時節、竜の狩場の外よりは、幾分涼しいかもしれない。標高はそこまで高くないが、風や湿気などの影響を調べる必要があるだろう。

「ちび助ぁ巨岩大好き人間なんだ。でっかければでっかいほどいーらしーぞ」
「魔力との親和性が高いらしい。あたしたちにはわからないが安心感のようなものが得られるそうだ」

 相変わらず、二人の回答は面白い。

 足りないところをおぎない合っているようでもあり、同じ答えを別々の言葉で語っているような奥深さを感じることもある。

 大岩に沿って歩いていると、コウさんの姿が視界に入った。三角帽子の下に、楽しげな笑顔がある。

 今以て竜の狩場に居るという事実に、強張こわばっていた体が解れてゆく。

 コウさんの笑顔には、人を穏やかで優しい心地にさせる魔法の効果が……と、あまりにも恥ずかしいことを考えてしまっていたことに気付いて、思考を強制停止いないいないりゅうさせる。

 一抱えもある岩の上部が削り取られて、テーブルの役割を果たしていた。恐らく風の魔法か何かで加工したか、剣で両断したのだろう。

 卓の中心に食材が置かれて、岩の端の部分だけ火の魔法で熱せられているらしく、食欲をそそる音で僕のなか空腹むしさんが大暴れである。

 卓の周囲には、同じく加工した岩の椅子が四台あった。その一つにコウさんが座っている。

 彼女は次々に食材を焼いていって、焼けたものからばくばくと、手掴みで口に放り込んでゆく。満面の笑みで、食べることを心から楽しんでいることがわかる。

「…………」

 然も候ず、軽い衝撃に、というか、眼前の事実に心が追い付かなかったので、正確性を欠いてしまったが、焼いているのはコウさんで、食べているのは彼女の膝の上に座っている子供である。

 コウさんより、三、四周期は下だろうか。僕たちが姿を現してもまったく意に介することなく夢中で食べ続けている。

 子供は、ぼろぼろの貫頭衣かんとういを着ていた。

 服というよりは、ただ布を被っただけという粗末な様が哀れさを誘う。無頓着むとんちゃくというか何というか、さっきから動く度に際どいところが見えそうで、冷や冷やさせる。

 そうして露出する肌に、別の意味で目を奪われる。

 たけき炎竜の心象がある、燃え立つような文様が、腕や足に巻き付くように塗られている。いや、塗ったというより、始めから皮膚の色がそうであったような自然な色合いである。

 手足と首は左右対称に、それ以外に頬と額に火色で描かれている。

 その火色より更に紅く、それでいて炎の一面である優しさや温かさが揺蕩たゆたうような、炎色の髪と瞳が目を惹くが。

 それ以上に目立つものが頭部にあった。

 額の左右から二本の角が、頭の形に沿うように、頭頂辺りまで生えていた。

 つり目がちの大きな目がくりくりと動いて、愛嬌がある。コウさんの髪を表現するなら、さらさら、という感じだが、子供の場合は、ふわふわ、という感じだろうか。

 肩口に届かない長さの髪がゆらゆらと、宛ら火の粉と戯れる精霊のようである。

 子供は僕たちに気付くと、炎の色に目を輝かせて身を乗り出そうとする。

「みーちゃんです!」

 とっておきの宝物を自慢するような、どうだと言わんばかりのしたり顔でコウさんが炎髪の子供を紹介した。

 ーーさて、彼女は何を成し遂げたのだろう。

 ……心中に去来するのは不安なのか、期待なのか。みーちゃん、という名前から連想できるもののことが頭に引っ掛かって、得も言われぬ脱力感に見舞われる。

 竜にべろりと舐められたら、或いは味見されたらこんな気分になるのだろうか。いや、食べられないこと前提ではあるが、って、そうではなく。僕の心情などお構いなしに、角の生えた子供が自己紹介をする。

「はーう、みーちゃんはみーちゃんなのだーっ!」

 ぼわっと空に向かって飛び上がって、同じ勢いで、

「ふぁはぁーっ」

 驚きつつ、その中に楽しさを詰め込んだような歓声を上げながら、コウさんの膝の上に戻った。

 今の不自然な動きは、コウさんの魔法で引き戻した結果なのだろう。

「おー、ちみっ子かー?」
「さーう、ちみっこはみーちゃんかー?」
「ちみっ子は、ちみっ子だー!」
「みーちゃんがちみっこかー!」

 ぐばっとエンさんが近付くと、ぐりんっとみーが向き直った。なにやら似たような動きをする二人である。

 たちまち意気投合した二人は、どちらがより楽しく笑えているか競い合うかのように、お日様のようなぽかぽかしたあったかいものを周囲に振り撒いていた。

 みーの純粋な炎のような初々しさいっぱいの、無邪気と純真と天真爛漫を百個ずつ集めて固めてみたらこんな感じになりました、といった元気一杯夢一杯の、あどけなくしどけない可愛らしさ満天の姿に、クーさんがじっとしていられるはずがない。

「あたしの名前はクー! コウごとみーぅばぁっ……」

 二人を丸ごと抱き締めようとしたクーさんが何もない場所にぶつかって、恨めしげな視線をコウさんに向けていた。

 恐らくコウさんが張った「結界」なのだろう。

 「結界」の外で、諦め切れずに彼女がわさわさともがいていると、内からみーが真似をして、「結界」にくっ付いてわひゃわひゃと同じ動きをする。

 珍しい光景である。「結界」を張ってまでクーさんの邪念を払い除けるとは。何か理由がありそうだが。

「『結界』張って拒否きょひられるたぁ、とーとー愛想つかされたかぁ?」

 僕と同じことを思ったのか、エンさんが冗談半分に揶揄する。

 心に余裕がないクーさんは、彼の戯れ事を真に受けて、蜘蛛くもの巣から逃れようとする虫のような必死さでわしゃわしゃと動きを加速させた。

「あーう、はやいなーはやいねーはやいのー」

 みーもクーさんに合わせて二倍速になった。

 笑顔も二倍増しである。そして、貫頭衣の捲れ具合がやばい域に、というか手遅れである。

 ……見てない、見てませんよ。見える前にちゃんと目を逸らしたので、いくら子供とはいえ、色々と、はばかられるものもあるので。

「クー姉に頼みたいことがあるの。少し大人しくしててなの」

 またぞろみーがコウさんの膝の上に引き戻されると、頼みごとがあるという彼女の言葉に光明を見出したのか、風がなくなった風車のようにクーさんが減速していった。

「はい。みーちゃん、もう一回ですよ~」
「おーう、やるぞー」

 みーは、差し出されたコウさんの手首辺りを掴むと、手に力を入れた。

 ぱきっという乾いた音と、じゅっという焼けたような音が同時に聞こえてきた。

 何事かと目を凝らすが、異常は発見できなかった。

「もうちょっと弱めですよ~。みーちゃん、がんばれ~」
「はーう、みーちゃんにまかせろなのだー!」

 コウさんの声援を受けて、俄然がぜんやる気になるみー。

 むむむー、と唸りながら、真剣な表情でコウさんの手首をぎゅっと握った。

「みゃーう、ぷにぷにー」

 手首をむぎゅむぎゅしていたみーの手が、むぎゅむぎゅしながら肘に向かって動いてゆく。

 先程と同じことをしているだけなのに、みーの炎眼には、生まれて初めて降り積もった雪に触れるような幼子の純真さが揺らめいていた。

「みーちゃん~、おめでとう~!」

 コウさんは、みーを抱き締めたい衝動をぐっと堪えて、みーの邪魔をしないよう優しく頭を撫でていた。

 みーのむぎゅむぎゅは止まらない。コウさんの二の腕、腿からお腹へ、抱き付いて背中を。最後に、えいやっ、と飛び付いて頬と頬をくっ付けてすりすりする。

「やわやわなのだーやわやわなのだー」

 みーの顔がとろけていた。
 
 世界で一番安らげる場所を見つけて、幸せの海にどっぷりと浸かっているような、夢心地でコウさんにすべてを委ねている。

 不思議なもので、みーを軟らかに抱くコウさんの仕草に、母性を感じてしまう。みーを慈しむ彼女の眼差しが、あまりにも透明だったので、がれてしまう。

 ーーいや、焦がれると言っても、恋心のような甘やかなものではない。手の届かない、何か切ないもの。

 答えに辿り着けない曖昧なものがじれったく、振り払うように気になっていたことを尋ねた。

「今の、手首を握っていたのは、何をやっていたんですか?」
「『甘噛あまがみ』なのです」

 浮かんだ疑問の、小さいほうから質すと、コウさんはみーを見詰めたまま答えてくれた。

 じゃれ合うことで相手を傷付けない力加減を学ぶ。里で習った野の獣に関する事柄だが、まさかこんなところで実演が見られようとは。

 先程の、みーがコウさんに触れたときの音は、骨折と火傷のものだったようだ。

 然し、何という無茶をするのか。

 みーが手首を傷付けた瞬間、治癒魔法を行使して一瞬で怪我を治してしまったのだろう。糅てて加えて、みーのほうにも問題がある。

 コウさんを傷付けても罪悪感がまるでなかった。ただ、これは子供特有の無邪気な残酷さからのものなのか、竜の狩場に居たのなら、いや、竜が人と触れ合う機会など基本ないのだから単に経験不足からのものなのか、早計に答えは出せない。

 若しや、この子は竜人なのだろうか。

 みーの爛漫たる子供っぽさにそぐわない能力は、人の域を超えているように思えるが、然てしも有らず、恐れるだけでは解決しない。

 コウさんの振る舞いがその辺りを意図してのものなら、僕も彼女やエンさんに続かなくては。

「みーちゃん、僕はランル・リシェです。よろしく」

 コウさんの後ろに回り込んで、屈んでみーと目線の高さを合わせてから挨拶をすると、みーのぽかぽか陽気が突風に吹かれて、陰気な雨模様に変わってしまった。

 こうして目を合わせると、コウさんの、翠緑の輝きを想起させられる。

 心ならずに、炎色の、鮮やかだが透き通る瞳に、みーの深炎に惹き込まれそうになるが、

「がーう、みーちゃんをみーちゃんとよぶななのだー!」

 指を突き付けて、がぁーと唸るみーの姿に、あえなく現実に回帰させられてしまう。

「えっと、じゃあ、みー様」

 いきなり嫌われてしまったようだが、これも魔力がない僕の特性の所為だと諦めて、妥協点を探ってみる。

 みーのぐじゅぐじゅ雨模様が曇り空になって、いっきに晴れ渡った。

「えっへんっ!」

 みーは盛大に胸を逸らして、そのまま後ろに倒れそうになったところを、コウさんが魔法で引き寄せて、どや顔のみーをぽふっと抱き留めた。

 僕の「敬譲けいじょう作戦」が上手くいったのか微妙なところだが、しばらくはみーの機嫌を損ねないよう「みー様」にへりくだるとしよう。

 いや、別に、積極的にそうしたいわけではないですよ。対等な関係に至る為の第一歩ということで。

 あー、でも、仲良くする為に、一方が損をしなければならないというのは、本来はおかしなことなのだけど。それでも、みーに嫌われたくないと思ってしまうのは、相手が純真(?)な子供だからだろうか。

 子供とは、人を映す鏡でもある。

 コウさんに「待て」をされたクーさんは、神妙な面持ちで待機中だったので、エンさんに「甘噛」について話を振ってみた。

「じじーん話、聞いたんならわかんだろーが、昔んあん頃ん比べりゃ、すぐ治ん骨折とか火傷なんか、ちび助にゃ痛みん内にゃ入らねぇ。まー、度ぉ過ぎりゃ『おしおき』だがな」

 聞こえない振りをしたのがしっかりとわかるようなぎこちなさで、みーの世話焼きを続行中のコウさん。竜にも角にも、僕とみーの間を取り持ってくれる気は更々ないらしい。

「は~い、じゃあみーちゃん、最後に属性を抑えましょうね~」
「さーう、ぞくせー?」
「みーちゃんは炎でめらめらのあっちっちなので普通の人は近付けないのですよ~。じっくりことことほんのりのあっちっちにしましょうね~」
「むーう、よくわからないけど、よくわかったのだー。みーちゃん、がんばりゅーなのだー!」

 コウさんとみーの楽しげな様子とは裏腹に、不穏な言葉が散らされているのだが。

 コウさんにしつけられて、未だに大人しいままのクーさん。何だかちょっと可愛く見えてきたので、もとい姉妹の邪魔してはいけないと、再びエンさんに尋ねることにした。

「属性とは、魔力に関係することなんですか? 魔力を制御するということでしょうか」

 すると、竜が盗み食いをしているところを目撃してしまったかのような引き攣った顔を向けられてしまった。

 ああ、いや、エンさんなら竜と一緒に楽しく御飯を食べていそうな気がするので、この比喩は正しくないか。って、いやいや、そんな錯誤に陥っている場合ではなく。

 エンさんの目が、大量の豆料理を前にしたかのような、とてもよろしくない風に変化していったので、これ以上あくいが追加されない内に、早々に言葉を継ぐ。

「僕、何かおかしなことを言いましたか?」
「いんや、改めてこぞーん人外だったってこたぁ、思ぇ知ってただけだ」
「えっと、そんなしみじみと嘆いていないで、お願いですから教えてください」
「こぞーは気付いてねぇみてーだが、俺と相棒んほぼ全力ん体ぁ魔力で覆ってんだ。そーしなきゃ、全身火傷で俺ぁ重傷、相棒ん天の国行きだなぁ。ちみっ子ん属性抑えらんなきゃ、ちび助ぁどーにかすんだろーが、まーちみっ子だから大丈夫だろ」

 エンさんは火の魔法が得意。

 炎に対して耐性があるだろう彼でさえこうなのだ、クーさんが「結界」を張られて近付けなくされたのは、彼女を護る為でもあったらしい。というか、クーさん、そんな危ない状況でみーを抱き締めようとするなんて命知らずにも程がある。

 然て置きて、何故かエンさんは、みーに絶大な信頼を寄せているようだ。

 似た者同士ということで、そういうことがわかったりするのだろうか。それと、人外水準の力を持ったエンさんに人外扱いされるのは心外である。と言いたいところだが、コウさんも、普通の人は近付けない、と言っていたということは、僕の特性は竜の属性に因る影響まで無効化してしまっているようだ。

 人外と呼ばれるのもむべなるかな。などと納得し難い気持ちが湧いてくるのは何故なのか。

 う~ん、僕の特性は制御できないし、実感がないからかな。

 見ると、みーが宣言通りに頑張り捲って、その結果なのだろうか、体の炎色の文様が薄くなっていた。

 強火から中火になったというところか、果実なら美味しそうな色合いである。

 みーは、自身の文様が薄くなっていることに気付いて、更に頑張り注入中。

「むーい、むいむいむいむいむ~い、むいむいむいむいむぅ~い」

 集中しているのだろうか、体の前に持っていった両手が宙を掻いている。

 爪をいでいる猫のようで、一生懸命なみーには申し訳ないが、微笑ましい姿に頬が緩くなってしまう。

「みーちゃんっ、もう少しですよ~。がんばりゅ~がんばりゅ~」
「みゅーう、みーちゃんがんばりゅりゅー、りゅりゅりゅりゅーなのだー。みゅいみゅいみゅいみゅいみゅ~いっ、みゅいみゅいみゅいみゅいみゅ~いなのだーっ」

 息を止めているのだろうか、むぎゅっと顰めた顔が炎色に染まって、手の動きが速くなって、って、ちょっと、速過ぎて残像ざんぞうしか見えないんですけど!?

「みゅぎゅみゅぎゅみゅぎゅみゅぎゅみゅぎゅう~~なのだーー!!」

 ぼふんっ、と蒸気みたいな真っ白なものが噴き出したかと思うと、みーはぐったりとコウさんに寄り掛かった。

 精根尽き果てたやまかじがちんかしたといった体である。

「みーちゃんおめでとうです~。属性の制御もできました~」
「ふひゃひゃ~、みーひゃんやっあのあー、ふひゅひゅ~」

 見ると、みーの体の、炎色の文様が消えていた。

 コウさんが太鼓判を押したように、制御に成功したのだろう。ふむ、これで角以外は、人間の子供と変わらないーーのだろうか。

 疲れ果てて倒れたのかと思ったみーだが、コウさんに抱き付いてすりすり甘えていると、彼女の魔力を分けてもらったのだろうか、どんどん活力が戻っていって、たちまち猛炎のような元気っ子の復活である。

 これで、属性問題は解決したのだろう。

 然あればコウさんはクーさんの「待て」を解除して「良し」にした。

「クー姉、みーちゃんに服をお願いなの」

 コウさんはみーと、こつん、と額を当てて微笑むと、クーさんにみーを託した。

「『遠見』を付けておくの。クー姉とみーちゃんも一緒に聞いておいて欲しいの」
「はーう、くーがみーちゃんにくれるのだー?」
「みーには、とっておきをやるぞー!」
「みゃーう、どんとこいなのだー!」
「どんどんどこまでどこにでもーっ!」

 みーを抱えたクーさんは、砂糖より甘そうな、どろりとした顔のまま、大岩の反対側に獣じみた速度で消えていった。二人の耳にコウさんの言葉が届いていたかどうか。

 コウさんは、二人の声が聞こえてくる「遠見」に向かって話し始めた。

「昨日、ではなく、今日、竜の狩場に着いてからの話なのです……」

 ああ、やっぱりみーとクーさんには届いていなかったようだ。コウさんの話を押し退けて、「遠見」から二人のきょうずる声が聞こえてくる。

「ほれー、脱げー、みー」
「たーう、ばーんばーんざーいなのだー」
「水、ぶっかけー」
「くーのて、みずなのだー! もっとみずみずーうまうまー」
「ほーれ、次は、あわあわだー」
「みーちゃんあわあわー、あわあわのみーちゃんだぞー」
「隅から隅まで綺麗に洗って……ごぷっ」
「さーう、くーがたいへん、へんたいかー?」
「な、何のこれしき……」

 何をかいわんや。まぁ、クーさんにはそのまま楽しんでいてもらおう。

「先ん飯、食っちまおう」

 エンさんの建設的な提案に、僕とコウさんは無言で頷いた。

「くーもあわあわになれーなのだー」
「うりうりーぐりぐりー」
「みゅーう、そこ、もゆもゆするー、おかえしだぞー」
「みー、そこは優しくー、強くすると痛いからなー」
「むーう? くーのぽよぽよ、こーとみーちゃんないぞー」
「胸はー、大きくなれば、大きくなるかもなー。ほーれ、あわあわを水で流すぞー」
「あわあわなさよならーなのだー!」

 「こー」というのはコウさんのことだろう。

 ……駄目だ。怖くて、そちらを向けない。視界の隅で、はっきりとはわからなかったが、コウさんが引き攣った笑みを浮かべていた。

 いや、一応、コウさんの名誉の為に言っておきますが、ちゃんとわかるくらいにはちゃんとありますよ?

 女性の胸について知識がなかったらしいみーには、無いと判断してしまうくらいのものではあるかもしれないが、あるとないにはきっと僕にはわからない深遠が横たわっていて、未熟な僕が踏み込んでいい領域ではないと。

 ふぅ、……頭を冷やそう。

「これ、初めて見ましたけど、美味しいですね」

 肉厚のある葉っぱのようなものや、植物の大きな根のようだが色鮮やかなもの、それぞれ独特の味で好みは分かれるだろうが、しっかりとした強い味は、食材として広く受け入れられるだろう。

 焼いただけでこの味なら、調理次第でもっと美味しくなりそうだ。

「竜の狩場に自生してる植物なのです。何種類か見付けたので、名物か特産品にならないかな、と思って採ってきたのです」
「俺ぁ、こん緑ん駄目だなぁ。苦いぞぉ苦いぞぉ」

 そう言いつつ、あっさりと口の中のものを、ごっくんと嚥下えんかするエンさん。ノースルトフルの教義に、食べ物を粗末にしてはならない、という教えがあるのかもしれない。

 そうして、食材談義をしながら食事を終えると、足音が聞こえてきた。

 出て行ったときと同じ速度で、みーを背負ったクーさんが戻ってきた。そして僕たちの前で急停止ーーのはずだったのだろうが、足を滑らせた彼女は顔から地面に突っ込んだ。

 魔力を纏っていたとは思うが、あの勢いである、かなり痛そうなのだが。

「はーう、とーちゃーくなのだー!」

 クーさんの背中から淡い緑の塊が飛び出して、たうっ、という掛け声とともに見事に着地。

 然ても然ても、お披露目である。元気一杯夢満杯おおばんぶるまい、緑塊がどばっと弾けた。
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