竜の国の魔法使い

風結

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二章 竜と魔法使い

王様 やってみませんか?

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「じじーん言われたとーり、気配消してたんだが、戻ってこれてよかったなぁ」

 エンさんの嫌味のない笑顔が迎えてくれた。

 然てこそ老師の苛めにも挫けず、皆のところへ帰ってくることが出来た。さっそく老師への文句を口にしようとしたが、是非に尋ねなければならない事案が発生したようなので心の健康の為にも晴らしておこう。

「コウさんは何をしているんですか?」

 然ても、疑念は払拭ふっしょくできるのだろうか。

 きっと何か意味があるのはわかるのだが、不自然極まりない。くだんのコウさんは、膝立ちの姿勢でぷるぷるしていた。

「このまま説明しないほうが面白いかもしれない。だが、無事に戻ってきたリシェの功績にむくいる為に説明しよう」
「……お願いします」

 僕に断られることなど微塵も考えていなさそうな、ほくほく顔でクーさんに言われたので、しっかりと要求に応えておいた。

 ここで、説明は要りません、なんて言ったら、たがが外れ掛かっているクーさんから、それはそれは凄惨な目に遭わされるであろう予感がひしひしと這い寄ってくる。

 老師が僕に何を話したのか、皆は当然知っているはずなので、その微妙な空気をどうにかしようとしてくれているのだと、彼女の言行を好意的に解釈する。

「この度、コウは本来の力を解放するという失態を演じた。禁じられていたことを破った。そんなことをすればどうなるのか。決まっている。『おしおき』するに決まっている。
 今日は十回。なんと清々しい日であるか。ノースルトフルに感謝を。一回一回堪能たんのうしながら、この身の魂を震わせながら、心を竜にして『おしおき』を祝福した」

 恍惚の表情で解説するクーさん。心做こころなしか肌が艶々しているような。

 これは駄目だ。そんな気はしていたが、やっぱりクーさんは壊れてしまった。話が進むに連れて言葉が出鱈目ぱっぱらぱーになってゆく。

 ああ、何だろう、感謝されたノースルトフルが可哀想に思えてくる。そもそも「おしおき」で何を祝福したのやら。

 コウさんは、祝福の遣り過ぎで病んで、もとい酩酊めいていしている風情の姉から目を背けてぷくっと頬を膨らませていた。

 指で突きたくなるような、柔らかそうな丸みのあるぺたは、拗ねて機嫌を損ねている彼女を、頑是無い愛くるしさで包み込んで、これは庇護欲ひごよくなのだろうか、僕の内からもぞもぞと何やら如何ともし難いものが湧き上がってくる。

「もーわかってーと思うが、俺と相棒ん助かったんは、ちび助ん治癒魔法でだ。怪我なら、死んでなけりゃどんな傷でん治っちまう。あ、そーだ、冒険者崩れん奴らぁちび助ん『結界』張ってやったかんな、全員無事だ」
「あ、あー、そうですね……」

 世界の終焉の如き災厄に巻き込まれた彼らのことを、すっかり忘れていた。

 まぁ、自分の身に起こったことを理解するだけで精一杯、然しもやはこれからのこともつらつら惟る必要があったので。と言い訳の言葉を重ねながら、彼らの存在を加えてりようかちがあるとはんだん、案を修正する。

「はっはっはっ、ちび助にゃさんざん仕込んでやったかんな。ちゃんと『結界』張ったんは偉い偉い。誰かやっちまってたら『おしおき』三十回だったぞ」

 エンさんがぐりぐりとコウさんの頭を撫でるが、彼女は抵抗せず受け入れていた。然り乍ら反抗的な眼差しはしっかりとエンさんに向けられている。

 しかあれば頭を撫でるのを止めぬエンさん。老師の話を聞いた後なので甘心かんしんしようが。余程の信頼関係がなくば斯くも自然な振る舞いは成し得ぬだろう。

 ん? ーーおっと、不味い、思考がかたよってきている。

 子供の頃からのくせみたいなもので、古めかしい言葉を多用し始めると大抵求める答えから外れていってしまうのだ。

 はぁ、これまでも大概だったが、老師の述懐から案を煮詰めて、頭の許容量を超えてしまったのかもしれない。

 兄さんなら、これくらい訳もないだろうに、僕のぽんこつ頭め。仕方がない、幾つかの事項は後回しにして、今は考えないようにしよう。

「死ななけりゃ助かるかんな、体ん重要んとこだけ魔力ん覆って、死神あっちいきやがれってがんばったさ。剣抜かれんでよかった。さすがん血ぃ足りなくなっちまったら気絶しちまうし、そしたら魔力ん維持できねぇで、ノースルトフルん土んなっちまうとこだ」

 普段、長話をしないエンさん。話の邪魔をしてはいけないと思い、静聴する。

「俺と相棒は、死んだらふつーん死んじまうが、ちび助ゃそうもいかねぇ。ちび助ぁふつーんこん体と、魔力んできた体ぁあんだ。ちび助ん死ぬにゃ、こん体と魔力ん体ぁ両方一緒んやらねぇと駄目なんだ。ふつーん体だけなら、首ちょんぱされてん心臓ぐりんぐりんされてん真っ二つんされてん、あっさり回復しちまう。蘇生魔法は、じじーん禁止してるんだよな」
「蘇生魔法……って、そんな魔法まで使えるんですか!?」

 好奇心を刺激しまくる話に、我慢できずに聞いてしまった。

「……使えるかどうかはわかりません。新しい魔法を会得する為には研究が必要です。でも、師匠は蘇生魔法を研究すること自体を禁止しています。あと、天候を操る魔法、時間に関連する魔法、人の嗜好や記憶を改竄かいざんする魔法、他にも色々ありますが、師匠が許可しない魔法は研究できません。……あと、神々に接触することを禁じています。こちらは、世界の枠内を超えるような魔法は使うな、ということだと思います」

 話が魔法に及んだところで、コウさんが加わってきた。やはり魔法のことは好きみたいだ。いつもより饒舌じょうぜうで、楽しげな様子が伝わってくる。

 僕は、一歩踏み込んでみることにした。

「一つ、お願いしてもいいですか?」
「……はい、どうぞ」

 コウさんは幾分か警戒を含んだ声で、それ以上に不信感を溜め込んだ目で、僕を見ながら許可してくれた。

 まだ一巡りしか接していない、ほぼ他人である僕に、自分の秘密を知った相手に向けるものとしては、これでも穏やかなほうだろう。

「いつも敬語で話しているわけではないですよね? 僕にも、普通に話し掛けてくれたほうが嬉しいんだけど、どうかな?」
「ふぁ……」

 予想外の言葉だったのか、コウさんが呆気に取られていた。

 見開いた目の、翠緑の輝きが増す。間違いないようだ。

 やはり感情がたかぶったとき、いやさ、感情が色付いたとき、と表現しよう、魔力量の多い彼女だからなのだろうか、不純物を含まない水底を覗き込んだような気分にさせられる。のだが、少女の変梃へんてこりんな姿で、現実に強制送還である。

 変わらず膝立ちのまま、ぷるぷるしながら。ちょびっと右に傾き、もぞもぞ。細やかに左に傾き、もそもそ。ほどほどに右に傾き、もそもそ。適度に左に傾き、もぞもぞ。

 もはや儀式めいた雰囲気を漂わせる謎舞踊を、僕は煩い心臓の音を聞きながら待ち続けて。

 そしてーー。

 僕を見上げるコウさんの、少しばかり潤んだ瞳が、透き通る翠緑の純粋さが、彼女の答えを教えてくれる。

「……や、です」
「…………」

 ……ぎゃふん。

 や、というのは、嫌、という意味なのだろう。どうしよう、仲良くなりたくない宣言をされてしまった。

 いや、これはきっと、世界の法則のほうが間違っているのだ!

 あ~、いやいや、在り来たりな現実逃避をしている場合ではなく。カレンにしても、コウさんにしても、どうしてこうなってしまうのやら。

 二人はまったく似ていないというのに、コウさんの顔に、嘗て仲良くなれなかった少女の面差しが重なる。

「こらー、相棒ー。相棒ん言うからがんばって説明してみたってーんに、すんごく失敗した気配ぷんぷんしてやがるぞー」

 僕とコウさんが齟齬、いや、単に僕だけが水のない水車のように空回っている姿に、って、水が無いなら回ることなんて、いやいや、そうではなく、珍しくエンさんが本気でこんがらがっていた。

 エンさんだけではなく、僕の頭も空々からからのようである。はぁ、僕が先走って失敗しただけで、エンさんの所為ではないので、気にしないで欲しいところだが。

 エンさんに救援を求められて、異世界に旅立っていたクーさんの精神が回帰してきた。口元のよだれを拭っているような仕草に一抹いちまつの不安を覚えたが、

「先延ばしにしたところで、得るものはない。結論といこうか、リシェ。正しく伝える為に、師匠の言葉を使わせてもらう」

 老師に言及したことで、彼女が落ち着きを取り戻していることを知る。

 結論、という言葉を聞いて、やや緩んでしまっていた気持ちを引き締める。

「人の内に在りたいのなら、人の領分の内に在りなさい」

 一度言葉を切って、これまでと同じく老師の本意を告げる。

「もしも望まぬ結果を招いたなら、すべて私の責任である。人が取れる責任など自分のものだけに過ぎないが、先ずはそこに私の命をべよう。それはゆるしにはならないが、人に求めた人間の最低限の努めである」
「俺たちん村ぁ出んときん約束だな。じじーとの約束守ってん間ぁ、じじーが命懸けで俺たちん守ってやるっつー、傍迷惑はためいわくん約束だ」

 余計なお世話だと言わんばかりのエンさんの言葉だが、きっと老師との約束は彼らの心の拠り所となったことだろう。

 自分を大切に思ってくれる、心配してくれる、そうした人の存在は心に暖かいものを与えてくれる。

「人の領分に収まらないコウの力が露見。冒険者は、目的ではなく手段。目的は言わずもがな。あたしたちは一旦、師匠の許に戻る。その後どうするか決まっていない。そういうわけで、ここでお別れ」
「エン兄! クー姉!」

 堪らず、コウさんが弾けるようにクーさんに抱き付いた。

「私なら一人でも大丈夫なの、二人は冒険者を続けてもいいのっ!」

 二人をしたう痛切な思いが、涙声で打ち付けられる。遣る瀬無い気持ちがコウさんの小さな体から溢れて、僕たちを、誰よりも彼女を傷付ける。

 二人が受け容れないことがわかっていても、それでも叫ばずにはいられないのだろう。

 三人の間に僕は踏み込めない。わずかな巡りしか係わっていない僕が踏み込んではならない。

 ーーそれでも。それでも、踏み込むと決めた。ならば、覚悟しなくてはならない。

「一つ提案があるのですが、よろしいでしょうか?」

 感情を交えない場違いな僕の声に、三人の視線が集まる。

 僕はこれまで、いつでも誰かに道を作ってもらっていた。その上を歩いているだけだった。そんな僕が、誰かの為に道を作る、いや、こうして自分の意思で係わろうとしたから心付く。

 僕が道を作るのではない、ーーまだ途切れていない、失われていない道があることに、見えなかった、見つからなかった道に、気付いてもらいたい。

 父さんを、兄さんを思い出す。

 ただ、誰かが誰かの為にしてあげたかった。叶うかどうかはわからない。それでも、切っ掛けの一つになれたのなら、これほど嬉しいことはない。

 勘違いで構わない。翠緑の瞳に誘われるままに、エンさんとクーさんの合間に、膝に手を突いて屈んで、真正面から瞳を合わせる。

 そういえば、何と言って差し出すべきか、決めていなかったけど、いや、そんな必要はない、答えはもう僕の内にある、有りっ丈の僕でいいのだ。

 ここにはまだ何もなくて、この先にも何があるのかわからなくて、行き当たりばったり。

 僕と魔法使いの始まりは、きっとそんな場所がお似合いだろう。

「えっと、コウさん。王様、やってみませんか?」

 思い掛けない反応だった。つたない、僕の言葉が彼女を花開かせる。

 竜が笑った。古い童話に、そんな場面があったけど、ーー僕を通り越した遥かな根幹が震えた。

 コウさんの悲しみに暮れた硝子ガラス玉のようなぼんやりとした瞳に、一瞬で翠緑の、眩い輝きが透徹とうてつした。

「やる。おうさま……」

 おうさま、の言葉のあとの、解けて散り散りになる間際の欠片を拾い集めて、僕の中にある言葉と照合する。

 それは、昔読んだ童話の、竜が笑っても、笑わなかった、おうさま。

 ひとりぼっちのーーと聞こえた気がした。

「って、おいおい。そりゃ、どっかん嫌われ者の王でもぶっ飛ばして、王んなんことくれぇならできんだろうさ。だが、そりゃ駄目だ」
「同感。為政者が気に入らないなら、そこに住む人間たちが自分たちの責任に於いて、どうにかすべき問題。あたしたちが王を倒したら、本来責任を負うべき人間たちが何も支払わずに利益だけを得る。それは必ず将来に禍根を残すし、何よりあたしたちが望まない」
「皆で王さん倒そーてことんしたら絶対ぇ誰かぁ傷付けちまう。俺たちゃそこまで望んじゃいねぇ」

 予想通り、エンさんとクーさんが噛み付いてくる。

 二人の目的は、コウさんを護ること。すべてはそこに集約しゅうやくされる。では、護るとは、何を護れば、本当の意味で、最も良い形で、彼女の為に、差し出すことが出来るのだろう。

「はい、二人の懸念はもっともです。ですが、王を打倒する必要はありません。王を退けることなく、王となり、民には、自らの意思で選んでもらおうと思います。それを成し得る為に、国を造ろうと思います」
「何処に造る? 山奥の人が来ないような場所? それとも草の海? あそこは土地は余っているが、利権が絡まり捲っている。どうにも出来ない」

 クーさんは、無意味な問答を続けることに苛立っていた。

 彼女は諦めてしまっている。すでに決定していることを穿ほじくり返されて、感情が抑えられないのだろう。

 コウさんは黙り込んでいる。兄と姉に、自分より大切に思っている人に反対されて、おうさまをやりたい、と望んでしまったことをいているのかもしれない。

 思っていたより単純だった。自分が遣りたいと思った、理由のようなもの。

 下を向いてしまった彼女に、もう一度だけ上を向いて欲しい、と。ただ、それだけのことだった。

 今は、僕だけが僕を信じよう。嘘でも何でもいい、顔を上げてもらえるだけの、強さでも暖かさでもいい、僕にそれがあるのだと、信じて。

 僕は恐れず前を向いた。

「そこに人は居ません。そこに人は近付きません。そこには広大な土地があります。そこは何処かの国のものではありません。そこには魔物がたくさんいて、そして竜がいます。その場所は、竜のものです。誰もがそう認めたが故に、そこは人のものではありません。そこは竜の、炎竜のーーミースガルタンシェアリのものです」

 力強く言葉にするはずだったのに、なぜだろう、自分でもわかる、この哀しくて優しい魔法使いに、どうしても受け取って欲しかったからだろうか、穏やかな声で締め括った。

「竜の狩場に国を造ります」

 わずかな静寂のあと、反駁はんばくの声が上がって。

「って、おい、ん?」
「いや、待て、だが……っ!」

 二人が僕の真意に気付いて、言葉を失う。

 馬鹿な話だ。荒唐無稽こうとうむけいにも程がある。夢を見ているのなら、さっさと目を覚ませ。世界中の人間が嗤ってくれていい、いや、知らずにずっと嗤っていろ。

 でも、知っている。それは夢物語だろうか。それは空に手を伸ばすだけの憧れだろうか。

 エンさんとクーさん、老師、そして僕が知っている。僕たちだけが知っている。

「ふぇっ?」

 あと一人。気付いて欲しい人は、まだ気付いていない。その戸惑ったような、あどけない少女の顔が上げられる。そこが僕たちの始まりだった。
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