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一章 冒険者と魔法使い
少年の特性と氷焔の名前
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三人は焚き火を囲っていた。
毎度のことながら僕が姿を現すと、クーさんの後ろに隠れる魔法使い。努めて意識しないよう心掛ける。
人に馴れない小動物のような魔法使いに対して、氷焔に加入してから三日間の試行錯誤を経た末に、その結論に至ったしだい。
エンさんとクーさんの言葉などを勘案して、魔法使いが接触してきてくれるまで待つのが得策、と相成ったわけだが。二人も無制限に魔法使いに甘いわけではないので、今はそこに期待。
日が暮れ掛かっている。見上げると、小さな空には明るくも暗くもある曖昧な色彩が蟠って。先に染め上がった周囲の闇が、空を絵取るように、夜の支配が棚引いてゆく。
林を抜けた先の、森にある巨岩。今回の依頼では、ここを拠点に活動していた。
人里に下りたいところだが、冒険者はあまり歓迎されない。名にし負う氷焔ともなれば、邪険にはされないだろうが、彼らは必要以上に人と接することを好んで、いや、望んでいないようだった。
まぁ、十中八九、魔法使いの人見知り(?)が原因なのだろう。ただ、氷焔の言行から他にも理由がありそうだと踏んでいるが、まだ試用期間中なので突っ込んで聞くのは躊躇われる。
森の中だけに、少し肌寒い。焚き火の熱が心地良く肌を撫ぜてゆく。
今日はクーさんの当番らしい。木の棒に生地を巻き付けて、火で炙っていた。複数の棒を器用にくるくると回して、稚気を感じさせる動きは宛ら妖精たちの舞踊といったところ。
一般的な硬いパンとは違う、軟らかいパン。世間では好まれていないようだが、いや、そもそも製法自体が伝わっていないという理由もあるが、僕は気に入っている。作り方を教えてもらったので、機会があれば作ってみよう。
「面白ぇな、まったくどーなってんだか」
僕が座ると、エンさんが呆れ顔を向けてきた。
いきなりそんなことを言われても、どうなっているかわからないのはこちらの方である。
「リシェが現れてから、エンはずっと魔法を放っていた。手加減なしの全力。一人楽しませるのも癪に障る。あたしも魔法でぐるぐるぎしぎしやってみたが効果は出ていない」
平然と語っているが、彼らの全力とは局地的な災害のようなものである。ただの人間に抗う術はない。ぐるぐる、とか、ぎしぎし、とか軽い表現をしていたが、いったいどんなことをされていたのやら。
クーさんは足元にあった石を拾って、掌に乗せた。すると石が弾かれて、僕の顔に直撃する。
当たった石は砕けるが、僕に損傷はない。傷付かないとわかっていても心臓に悪い。
「石は魔法で弾いただけ。石自体に魔法を使ったわけではないのに、なぜか損傷を与えられない。これはリシェに魔力がないというだけでは説明がつかない。魔力という概念そのものにも反応しているとしたら……」
「魔力量あん俺たちみてぇなんは、周りん奴らん気配とか状況とか、魔力ん感知してんとこあっからなぁ。もー慣れちまったが、最初ぁ死角から突然現れたみてーで、うっかりやっちまうとこだった」
紹介状を、直接渡してはいけない、とオルエルさんが言っていた理由がこれだ。
うっかりで殺されたら堪らない。オルエルさんに感謝である。
魔力量が少ない人は、違和感や嫌な気配を感じる程度だが、魔力量が漸増するにつれて、嫌悪感、拒否や拒絶といった悪感情を抱かれるようになる。
不幸中の幸い、と言っていいのか、それは初対面のときだけで、二回目以降は一気に軽減されてゆく。相手が慣れると、今度は僕を感知し難くなる。
エンさんが言った通り、魔力のない僕は、気配を感じ取るのが難しいらしく、人に驚かれること頻り。魔力がない、というのは、それだけのことであるはずなのだが、どうも僕のそれは、それだけに留まらないようなのである。
魔力がない僕が移動することによる影響。こちらはまぁ、わからなくもないのだが、もう一つ、魔法が効かない、或いは魔力の影響を受けない、ということに関しては、もはやわけがわからない。
大抵の人は、幼い頃に地域の魔法使いから魔力検査を受ける。僕を検査した魔法使いは然程魔力感知に長けていたわけではないようで、魔力量が非常に少ないので病気に気を付けてください、という診断だった。
病気どころか、風邪一つ引いたことがないので、魔力量が少ないくらいなら、まったくないほうがいい、と思えればいいのだが、事はそう単純なものではない。
魔法が効かない、ということは、治癒魔法も効かない、ということだ。大怪我をしても、薬師の治療と自然治癒に頼るしかない。他にも、僕が気付いていないだけで、何かしら問題が発生する可能性は否めない。
「ふふっ、確かに、通知がなかったらどうなっていたか。遠ざけて、排除しなくてはならない敵のような印象を抱く。近付いて攻撃するのを躊躇わせる気味悪さがあるから、先ずは魔法で牽制したくなる」
「はっはっはっ、慣れりゃあ薄気味悪さん消えんだけどな」
エンさんは呵呵大笑。いやはや、本当に楽しそうに笑う人である。これも彼の魅力なのだろう。それだけで、何でも許してしまいそうになる。
気味悪いとか薄気味悪いとか、二人とも、赤裸々に事実を語っているだけなのだが、言葉にされると凹む。エンさんやクーさんは魔力量が桁違いなので余計にそう感じるのかもしれない。
初対面の相手に良い印象を持たれないことはよくあった。魔法で攻撃されたことも、見えないのでたぶんだが、何度かあった。道の角を曲がると、出し抜けに殴り掛かられたり、子供に泣かれたり動物に吠えられたり。
魔力は量の多寡に違いはあれど誰でも持っているものである。でも、僕には魔力がない。不便はあったが、これまで深刻に受け止めたことはなかった。これも僕の個性の一つかな、くらいにしか思っていなかったが。
「こぞー。こぞーん、何で生きてんだ」
……エンさんに哲学的な質問をされてしまった。意想外の事態に戸惑っていると、クーさんが助け舟を出してくれる。
「こら、それではリシェに伝わらない。とはいえ、話してしまって良いものか」
クーさんが悩み始めた。助け舟かと思ったら、実は泥船だったとかは無しにして欲しい。
「いーんじゃねーの? 今日ぁ五日目、最長記録ん並んだんだし、こぞーだって自分のこたぁもーちょい知りてーだろ?」
「えっと、はい。お願いします」
二人の会話から、僕の特性の、秘密の一端を知ることが出来るかもしれないと、逸る心を抑えながら、エンさんの勧めを奇貨として真摯に頭を下げる。
それが効いたのか、不承不承といった体は崩さないものの、クーさんが向き直る。慌てて僕も体裁を整える。
「世界にはエルシュテルを始めとして幾柱もの神々がいるが、それ以外に創世神と呼ぶべき存在がいる。神々と創世神は同格。ただ創世神は、世界を創る力を持っている。
そして、ここからが重要。あたしたちの居るこの世界は、創世神が創ったものではない。神々の中で、創世神と似た力を持つ神が創った世界。その後、あたしたちの世界を創った神は、他の神々と仲違いしたらしく、この世界から去っていった」
教会の創世神話では、神々が協力して世界を創った、ということなっている。
然て置きて、いきなり神話とはどういうことなのだろう。あと、その話は事実なのだろうか。創世に纏わる神話とかされても、話が大き過ぎて頭がついていかない。
「その辺気んすんな、こぞー」
良い時機でエンさんが合いの手を入れてくれる。確かに、ここからが本題ーーかどうかはわからないが、拘り過ぎれば真意を見失い兼ねないので、頭を切り替える。
「この世界は不完全。その一つの結果が、世界の魔力量。創世神が創り給うた世界よりも多量の魔力に満ちている。魔力は世界に、生命に馴染んだ。人の命にまで入り込んでいる」
クーさんは、親指で自分の心臓辺りをとんとんと叩いた。
「エンの、何故生きているか、という問い。この世界では、生命活動に魔力は必須。ずっと多量の魔力に浸ってきた生命は、そうなってしまった。つまり、魔力がないものは、生きていないのと同義。魔力がないのに生きているリシェは、本当なら生きてゆけないはずのリシェは、どうして、どうやって命を繋いでいるのか」
今度は僕の心臓のある場所を人差し指でとんとんと叩いた。
焚き火と求知心に揺れる瞳は妖艶さを孕んで、僕の良心を誑かそうとしているのではないかと、危惧の念を抱いてしまう。
氷焔と帯同後、負担が掛かっている心臓がまたぞろ煩くなる前に目を逸らそうとしたところで。服を引っ張られたのか、クーさんの上体が微かに前後する。
「ん?」
「…………」
どうやら背中に隠れている魔法使いに呼ばれたようで、小首を傾げるクーさん。
「…………」
「ほほう」
「…………」
「それで?」
「…………」
「ふふっ、それはまた」
魔法使いは、僕には聞き取れない、だけでなく、極力姿を見せないようにしながらクーさんに耳語する。
三角帽子の下から、顎くらいは見えないかな、と期待したが、竜の角も尻尾もお預けのようだ。
「コウが言うには、リシェは魔力がないのではなく、魔力を失い続けているらしい。そうなるとあれか。魔力を失い続ける魔法でも使っているのかもしれない」
魔法使いの言葉をおざなりに代弁すると、ぐるりと回転して魔法使いを掻き抱く。
然ればこそ、魔法使いに抵抗されていた。拒まれても構わず魔法使いを撫で回して、クーさんの顔が駄目な感じに崩れていた。
美人が台無しである。世の少年は、女性に対して幻想を抱くと言われているが、僕の中の憧れに似た何かも、只今崩壊中の幻滅中である。
僕にとって、特性に付随する魔力のことは掛け値なしに重要なことなのだけど。もはやクーさんには路傍の小石ほどにも興味がないことのようだ。
しゅっ。
何かが漏れたような、或いは飛んでいくような音がした。
「今の音って何ですか?」
氷焔と行動を共にしてから、何度か聞いた音だった。
音がするだけで、何があるわけでもない。魔法や魔力に関係しているとしたら僕にはわからないことなので尋ねてみる。
「へぇ~、聞こえんのか、そりゃよかった。ありゃ魔力ん放出してんだ。あと二日経ったら、こぞーんやってほしーことん一つだ」
僕の疑問符だらけの顔を一瞥すると、
「俺たちんこと、ちょろっと話してやろう。まー、そん前んーー」
エンさんは、がさごそと後ろの荷物を漁って、見覚えのある封筒を取り出した。そして、自分の手ごと焚き火の中に突っ込んだ。
もうそのくらいでは驚かない。魔力で自分の手だけでなく、手紙も覆っているのだ。手紙は燃えず、手もそのまま、火傷を負う様子はない。
「俺ぁ火ん魔法しか使えねぇからなぁ。色々応用鍛錬したんだ。こん魔力ん浸透も苦労した。あー、治癒魔法あんけど、俺んしか使えねぇし、使えんうちにゃ入らねぇな。で、おっちゃん手紙、読むか?」
エンさんは思い付いたことをそのまま話す癖があって、ときどき脈絡がない感じになることがある。
ただ、巨鬼との戦いでもそうだったが、野生の勘、と言ったら失礼になるかもしれないが、斯かる会話でも要点や核心を衝いてくることがあるので侮れない。
「いえ、燃やしてしまっていいですよ」
とりあえず、最後の部分に答えた。手紙の文面は気になるが、もう必要のないものである。
いや、本音を言うと、読みたい気持ちはある。ただ、読んだ後に自分が後悔する姿をまざまざと思い浮かべることが出来るので、きっと読まないのが正解である。
エンさんが手にする封筒が燃えてゆく。
燃え尽きると、それを待っていたかのような時機でクーさんが回転して向き直る。ふらふらの魔法使いは、それでも彼女の後ろにぺたり。
事実を語るのは気が引けるので、日和った発言をしてみる。
「仲が良いですね」
「だろうっ! コウにはあたしの子供を産んでもらうんだ!!」
……やばい。まだ普段のクーさんに戻っていないようだ。
子供が欲しいのなら自分で産んでください。と宥めようとしたが、よくよく考えてみるとかなり際どい発言なので、喉元まで出掛かった言葉を無理やり呑み込む。
「じじーん言ってたな。『こん娘ぁできる娘なんだけど弱点多いからなぁ』てな」
「じじー」とは、クーさんの言う「師匠」のことだろう。師匠を尊敬しているらしいクーさんが黙っているはずもなく、壁に当たって跳ね返るように、即座に言い連ねる。
「エンは馬鹿そうに見えて、事実馬鹿なんだが、妙に勘が鋭いところがあるというか、途中をすっ飛ばして答えだけわかるとか、ただの馬鹿なら無視しておけば良いが、そうではないからいちいち考慮に入れなくてはならないので、面倒臭くて堪らない」
悪口なのか、エンさんを評価しているのか、微妙なところである。
さすがは幼馴染み。今の遣り取りでクーさんの浮ついていた言行が収まった。そして、何事もなかったかのように阿吽の呼吸を見せてくれる。
「そろそろ。持ち上げて」
「あいよ」
エンさんは下に手を回すと、よっ、という軽い掛け声とともに焚き火を持ち上げた。その間に、窪んだ場所に納まっていた大きな卵形の物体をクーさんが取り出す。
卵と言うには歪な形。大きな葉っぱに巻かれて湯気を立てている。美味しそうな匂いがもうもうと。
「これも魔力で覆っていたんですか?」
焚き火の下にあったのだから、本来なら焼け焦げているはず。然し、葉っぱには焦げ一つ見当たらず、緑色のままであった。
「そう、火の熱だけが通るようにしておいた」
クーさんが、包んでいた葉っぱを手で剥くと、ぶわっと蒸気が広がった。
現れたのは肉の丸焼きだった。周りには茸や山菜が散らされている。
そして右手を縦に、左手を横に振ると、肉に切れ目が入って、食べ易い大きさになって崩れ落ちた。肉の中には木の実や香辛料を詰めていたらしく、一緒にばらばらと広がっていったが、剥いた葉っぱの端で壁に遮られたように止まった。
「…………」
日常に魔法とか魔力とかが入り込むと、常識というものを忘れてしまいそうになる。
それぞれ信仰する神に祈りを捧げてから、食べ始める。三人は土の神ノースルトフルに、僕は知識と想像力の神サクラニルに。
「ところで、この肉は、何の肉なんですか?」
聞きながら、パンに肉と山菜を挟んで齧り付く。魔法料理の恩恵なのか、肉汁がじゅわぁと出てくる。表面のかりかりに焼けた食感と肉の柔らかさが舌を喜ばせてくれる。
「だめだ駄目だダメだ考えちゃ駄めダっ!」
「これはコウが獲ってきた。ありがたく頂戴しろ。残したらリシェを焼いて喰う」
「まー、こりゃ、なぁ、肉擬きみてぇな、もんだ」
二人とも目が泳いでいた。ごめんなさい、どうやら竜の尻尾を踏んでしまったようだ。
確かに、美味しいものが普通の見た目だったり、部位だったりするとは限らない。あー、つまり、このとても美味しい肉のようなものは、氷焔の二人をも唸らせる、もとい呻かすほどの、得体の知れないものであると。
クーさんが言っていたように、肉擬きは、魔法使いが獲ってきたものである。巨鬼の討伐後、姿を消していたが、まさか魔法より狩猟のほうが得意とか、そんなことがあるのだろうか。
「そーだった、俺たちんことちょろっと話すんだったな。名前ぇなんてどうだ、相棒頼む」
エンさんが露骨にはぐらかすと、クーさんもそそくさと話題に乗っかった。
魔法使いは素知らぬ風に、クーさんの後ろでもぐもぐ食事中。ここら辺は三人の中での、微妙な力関係があるのかもしれない。う~む、未だに魔法使いの立ち位置が掴めない。
「あたしたちの先祖の話。ーー二人の男が居た。彼らは親友同士で、同じ頃に子供が生まれた。余程嬉しかったのか、男の一人は子供に過去の偉大な王の名を付けた。すると、もう一人の男は子供に神の名を付けた。二人の男は喧嘩した。
下らないと言えば確かに下らない話。それ以後、なぜか村では凝った命名をするのが当たり前になっていった。始めは娯楽の一種だったが、しだいに本気になっていった、というところか。そうして家系ごとに特徴や決まり事などを作って差別化を図ることで、この命名騒動は落ち着く。あたしの名前、『クグルユルセニフ』にも家系の特徴がある。クグルとユル、ユルとセニフ、そして全て纏めたときの響きが良くなるようにしてある」
エンさんの名前が「エン・グライマル・キオウ」。魔法使いが「コウ・ファウ・フィア」。クーさんも含めて、確かに聞き慣れない響きの名前である。
「こん妙ん名前ぇで、貴族ん子弟だの竜人だの言われっことんあったなぁ」
さぞかし面倒なことだったのだろう。しょっぱい思い出でもあるのか、乾燥させた苦虫に岩塩を塗して噛み砕いたかのように、眉をぐにぐにと顰めていた。
竜人とは、竜と人の間に生まれた者のことで、姿は人間だが竜の力を宿しているという。歴史上、竜人であると名乗り出た者は多くいるが、確定された者はいない。
氷焔の二人を竜人とする、市井人や冒険者の心情がわからないわけではない。
斯くの如く誤解が生じるのは、無論、名前だけの所為ではない。彼らの常人を遥かに超えた力がそう思わせる。自分より優れた者がいたなら、その者には特別な何かがあると思いたがる。その者に及ばない、納得できる理由を探そうとする。
隔絶した力を持つ、氷焔。彼らが強いのは、竜人であるから。
自らを誤魔化すのにこれほど都合の良いものはない。
「実は竜人だった、とかはないですよね?」
ほんの少しだけ、もしかしたら、という気持ちを込めて尋ねてみる。
「ぶはっはぁ! こぞー、面白ぇこと言うなぁ。俺と相棒ぁ、村人一と村人二だぞ!」
「村人一と二としては楽しい人生を歩めている。重畳々々」
彼らは陽気に否定する。嘘を吐いているようには見えない。
残念に思う気持ちが、微かに芽生える。彼らが竜人なら、竜についてわずかなりとも触れることが出来たかもしれないが。竜は今猶、幻想の彼方から現れることはない。
「明日は、この付近の調査の最終日。魔物との遭遇はあるかもしれない。油断はしないこと。明後日は、氷焔に遺跡調査の依頼が来ていたから受諾。謎解きがあるらしいから、リシェに期待しておこう」
「……そこで役に立たないと、一巡り丸ごと足を引っ張ってたってことになるので、頑張ります。あとは、明日も足手纏いにならないように、善処します」
明後日の依頼は僕の力を見る為に、若しくは活躍する場を設けようと受けてくれたのだろう。
最善と最悪は一昨日の内に考えておけ。里で教わったことだけど、今は勘弁。先のことを考えるより、明日を無事乗り切らないと。それで精一杯である。
「そこまで気んしねぇでいーんだけどな。もー贅沢ぁ言わねぇ、残ってくれさえすりゃいー。戦力なら俺と相棒で足りてんだがなぁ、どーも氷焔くる奴ぁ俺たちん横立つ三人目んなりてえってんがほとんどでな。そんだと三日持たねぇ。こぞーん他、今日まで持ったんは天才だけだったもんなぁ」
「天才? その人は、どんな人だったんですか?」
エンさんが渾名を天才とするほどの人物がいることに驚いた。
その言葉が甘やかな記憶を呼び覚ます。僕もサクラニルの祝福を一身に受けた「俊才」を知っている。仕方がないとはいえ里を出てから文の遣り取りは途絶えている。
兄さんは今、どうしているだろう。
「どんなって言ってもなぁ。三日目にゃ、もーちび助ん話してたしな。こっちからお願いして氷焔入って欲しかったんだがな。まー天才ん俺たちん同じで、冒険者ぁ目的じゃなくて手段だったみてーだし。冒険者ん技術身ん付けて、俺たちん目的違って俺たちん利用できんってわかったら、明日あっさり去ってたなぁ」
「…………」
……エンさんの説明に慣れるには、まだ時間、というか、経験が必要なようだ。こんなときは大抵クーさんが補足してくれるのだけど、何故かこのときばかりは我関せずと食事の後片付けを優先していた。
片付けが済むと、森には逸早く夜の帳が下りる。
夜営には色々大変なことがあるのだが。その大変さの大部分が、「結界」を張った、で済んでしまうあたり、もはや繊細なのか大雑把なのかわからなくなりそうだ。
見上げると、森の木々の隙間にーー。
寝転がる場所もないくらいの小さな夜空から、月が迷惑そうに焚き火を覗き込んでいた。暗闇と光と、僕たちと影とが揺れて、空と大地の境界線で惑いそうになる。
「……、ーー」
束の間の錯覚が解けて、焚き火に揺らされる星空は薄く、程好い曖昧さで心の懐かしい部分を染めてゆく。炎とともに在り続けた人の、刻まれた太古の記憶なのだろうか。
手を伸ばしそうになって。手を伸ばしたら、きっと笑われるだろうな。そう思えたことが嬉しい。
ここにいて、楽しめている。それはきっと、大事なことだろう。冒険者だから、大変なこともあるけど、ここにいるからこそ見えてくるものがあるはず。
僕は、やっぱり空に手を伸ばした。
毎度のことながら僕が姿を現すと、クーさんの後ろに隠れる魔法使い。努めて意識しないよう心掛ける。
人に馴れない小動物のような魔法使いに対して、氷焔に加入してから三日間の試行錯誤を経た末に、その結論に至ったしだい。
エンさんとクーさんの言葉などを勘案して、魔法使いが接触してきてくれるまで待つのが得策、と相成ったわけだが。二人も無制限に魔法使いに甘いわけではないので、今はそこに期待。
日が暮れ掛かっている。見上げると、小さな空には明るくも暗くもある曖昧な色彩が蟠って。先に染め上がった周囲の闇が、空を絵取るように、夜の支配が棚引いてゆく。
林を抜けた先の、森にある巨岩。今回の依頼では、ここを拠点に活動していた。
人里に下りたいところだが、冒険者はあまり歓迎されない。名にし負う氷焔ともなれば、邪険にはされないだろうが、彼らは必要以上に人と接することを好んで、いや、望んでいないようだった。
まぁ、十中八九、魔法使いの人見知り(?)が原因なのだろう。ただ、氷焔の言行から他にも理由がありそうだと踏んでいるが、まだ試用期間中なので突っ込んで聞くのは躊躇われる。
森の中だけに、少し肌寒い。焚き火の熱が心地良く肌を撫ぜてゆく。
今日はクーさんの当番らしい。木の棒に生地を巻き付けて、火で炙っていた。複数の棒を器用にくるくると回して、稚気を感じさせる動きは宛ら妖精たちの舞踊といったところ。
一般的な硬いパンとは違う、軟らかいパン。世間では好まれていないようだが、いや、そもそも製法自体が伝わっていないという理由もあるが、僕は気に入っている。作り方を教えてもらったので、機会があれば作ってみよう。
「面白ぇな、まったくどーなってんだか」
僕が座ると、エンさんが呆れ顔を向けてきた。
いきなりそんなことを言われても、どうなっているかわからないのはこちらの方である。
「リシェが現れてから、エンはずっと魔法を放っていた。手加減なしの全力。一人楽しませるのも癪に障る。あたしも魔法でぐるぐるぎしぎしやってみたが効果は出ていない」
平然と語っているが、彼らの全力とは局地的な災害のようなものである。ただの人間に抗う術はない。ぐるぐる、とか、ぎしぎし、とか軽い表現をしていたが、いったいどんなことをされていたのやら。
クーさんは足元にあった石を拾って、掌に乗せた。すると石が弾かれて、僕の顔に直撃する。
当たった石は砕けるが、僕に損傷はない。傷付かないとわかっていても心臓に悪い。
「石は魔法で弾いただけ。石自体に魔法を使ったわけではないのに、なぜか損傷を与えられない。これはリシェに魔力がないというだけでは説明がつかない。魔力という概念そのものにも反応しているとしたら……」
「魔力量あん俺たちみてぇなんは、周りん奴らん気配とか状況とか、魔力ん感知してんとこあっからなぁ。もー慣れちまったが、最初ぁ死角から突然現れたみてーで、うっかりやっちまうとこだった」
紹介状を、直接渡してはいけない、とオルエルさんが言っていた理由がこれだ。
うっかりで殺されたら堪らない。オルエルさんに感謝である。
魔力量が少ない人は、違和感や嫌な気配を感じる程度だが、魔力量が漸増するにつれて、嫌悪感、拒否や拒絶といった悪感情を抱かれるようになる。
不幸中の幸い、と言っていいのか、それは初対面のときだけで、二回目以降は一気に軽減されてゆく。相手が慣れると、今度は僕を感知し難くなる。
エンさんが言った通り、魔力のない僕は、気配を感じ取るのが難しいらしく、人に驚かれること頻り。魔力がない、というのは、それだけのことであるはずなのだが、どうも僕のそれは、それだけに留まらないようなのである。
魔力がない僕が移動することによる影響。こちらはまぁ、わからなくもないのだが、もう一つ、魔法が効かない、或いは魔力の影響を受けない、ということに関しては、もはやわけがわからない。
大抵の人は、幼い頃に地域の魔法使いから魔力検査を受ける。僕を検査した魔法使いは然程魔力感知に長けていたわけではないようで、魔力量が非常に少ないので病気に気を付けてください、という診断だった。
病気どころか、風邪一つ引いたことがないので、魔力量が少ないくらいなら、まったくないほうがいい、と思えればいいのだが、事はそう単純なものではない。
魔法が効かない、ということは、治癒魔法も効かない、ということだ。大怪我をしても、薬師の治療と自然治癒に頼るしかない。他にも、僕が気付いていないだけで、何かしら問題が発生する可能性は否めない。
「ふふっ、確かに、通知がなかったらどうなっていたか。遠ざけて、排除しなくてはならない敵のような印象を抱く。近付いて攻撃するのを躊躇わせる気味悪さがあるから、先ずは魔法で牽制したくなる」
「はっはっはっ、慣れりゃあ薄気味悪さん消えんだけどな」
エンさんは呵呵大笑。いやはや、本当に楽しそうに笑う人である。これも彼の魅力なのだろう。それだけで、何でも許してしまいそうになる。
気味悪いとか薄気味悪いとか、二人とも、赤裸々に事実を語っているだけなのだが、言葉にされると凹む。エンさんやクーさんは魔力量が桁違いなので余計にそう感じるのかもしれない。
初対面の相手に良い印象を持たれないことはよくあった。魔法で攻撃されたことも、見えないのでたぶんだが、何度かあった。道の角を曲がると、出し抜けに殴り掛かられたり、子供に泣かれたり動物に吠えられたり。
魔力は量の多寡に違いはあれど誰でも持っているものである。でも、僕には魔力がない。不便はあったが、これまで深刻に受け止めたことはなかった。これも僕の個性の一つかな、くらいにしか思っていなかったが。
「こぞー。こぞーん、何で生きてんだ」
……エンさんに哲学的な質問をされてしまった。意想外の事態に戸惑っていると、クーさんが助け舟を出してくれる。
「こら、それではリシェに伝わらない。とはいえ、話してしまって良いものか」
クーさんが悩み始めた。助け舟かと思ったら、実は泥船だったとかは無しにして欲しい。
「いーんじゃねーの? 今日ぁ五日目、最長記録ん並んだんだし、こぞーだって自分のこたぁもーちょい知りてーだろ?」
「えっと、はい。お願いします」
二人の会話から、僕の特性の、秘密の一端を知ることが出来るかもしれないと、逸る心を抑えながら、エンさんの勧めを奇貨として真摯に頭を下げる。
それが効いたのか、不承不承といった体は崩さないものの、クーさんが向き直る。慌てて僕も体裁を整える。
「世界にはエルシュテルを始めとして幾柱もの神々がいるが、それ以外に創世神と呼ぶべき存在がいる。神々と創世神は同格。ただ創世神は、世界を創る力を持っている。
そして、ここからが重要。あたしたちの居るこの世界は、創世神が創ったものではない。神々の中で、創世神と似た力を持つ神が創った世界。その後、あたしたちの世界を創った神は、他の神々と仲違いしたらしく、この世界から去っていった」
教会の創世神話では、神々が協力して世界を創った、ということなっている。
然て置きて、いきなり神話とはどういうことなのだろう。あと、その話は事実なのだろうか。創世に纏わる神話とかされても、話が大き過ぎて頭がついていかない。
「その辺気んすんな、こぞー」
良い時機でエンさんが合いの手を入れてくれる。確かに、ここからが本題ーーかどうかはわからないが、拘り過ぎれば真意を見失い兼ねないので、頭を切り替える。
「この世界は不完全。その一つの結果が、世界の魔力量。創世神が創り給うた世界よりも多量の魔力に満ちている。魔力は世界に、生命に馴染んだ。人の命にまで入り込んでいる」
クーさんは、親指で自分の心臓辺りをとんとんと叩いた。
「エンの、何故生きているか、という問い。この世界では、生命活動に魔力は必須。ずっと多量の魔力に浸ってきた生命は、そうなってしまった。つまり、魔力がないものは、生きていないのと同義。魔力がないのに生きているリシェは、本当なら生きてゆけないはずのリシェは、どうして、どうやって命を繋いでいるのか」
今度は僕の心臓のある場所を人差し指でとんとんと叩いた。
焚き火と求知心に揺れる瞳は妖艶さを孕んで、僕の良心を誑かそうとしているのではないかと、危惧の念を抱いてしまう。
氷焔と帯同後、負担が掛かっている心臓がまたぞろ煩くなる前に目を逸らそうとしたところで。服を引っ張られたのか、クーさんの上体が微かに前後する。
「ん?」
「…………」
どうやら背中に隠れている魔法使いに呼ばれたようで、小首を傾げるクーさん。
「…………」
「ほほう」
「…………」
「それで?」
「…………」
「ふふっ、それはまた」
魔法使いは、僕には聞き取れない、だけでなく、極力姿を見せないようにしながらクーさんに耳語する。
三角帽子の下から、顎くらいは見えないかな、と期待したが、竜の角も尻尾もお預けのようだ。
「コウが言うには、リシェは魔力がないのではなく、魔力を失い続けているらしい。そうなるとあれか。魔力を失い続ける魔法でも使っているのかもしれない」
魔法使いの言葉をおざなりに代弁すると、ぐるりと回転して魔法使いを掻き抱く。
然ればこそ、魔法使いに抵抗されていた。拒まれても構わず魔法使いを撫で回して、クーさんの顔が駄目な感じに崩れていた。
美人が台無しである。世の少年は、女性に対して幻想を抱くと言われているが、僕の中の憧れに似た何かも、只今崩壊中の幻滅中である。
僕にとって、特性に付随する魔力のことは掛け値なしに重要なことなのだけど。もはやクーさんには路傍の小石ほどにも興味がないことのようだ。
しゅっ。
何かが漏れたような、或いは飛んでいくような音がした。
「今の音って何ですか?」
氷焔と行動を共にしてから、何度か聞いた音だった。
音がするだけで、何があるわけでもない。魔法や魔力に関係しているとしたら僕にはわからないことなので尋ねてみる。
「へぇ~、聞こえんのか、そりゃよかった。ありゃ魔力ん放出してんだ。あと二日経ったら、こぞーんやってほしーことん一つだ」
僕の疑問符だらけの顔を一瞥すると、
「俺たちんこと、ちょろっと話してやろう。まー、そん前んーー」
エンさんは、がさごそと後ろの荷物を漁って、見覚えのある封筒を取り出した。そして、自分の手ごと焚き火の中に突っ込んだ。
もうそのくらいでは驚かない。魔力で自分の手だけでなく、手紙も覆っているのだ。手紙は燃えず、手もそのまま、火傷を負う様子はない。
「俺ぁ火ん魔法しか使えねぇからなぁ。色々応用鍛錬したんだ。こん魔力ん浸透も苦労した。あー、治癒魔法あんけど、俺んしか使えねぇし、使えんうちにゃ入らねぇな。で、おっちゃん手紙、読むか?」
エンさんは思い付いたことをそのまま話す癖があって、ときどき脈絡がない感じになることがある。
ただ、巨鬼との戦いでもそうだったが、野生の勘、と言ったら失礼になるかもしれないが、斯かる会話でも要点や核心を衝いてくることがあるので侮れない。
「いえ、燃やしてしまっていいですよ」
とりあえず、最後の部分に答えた。手紙の文面は気になるが、もう必要のないものである。
いや、本音を言うと、読みたい気持ちはある。ただ、読んだ後に自分が後悔する姿をまざまざと思い浮かべることが出来るので、きっと読まないのが正解である。
エンさんが手にする封筒が燃えてゆく。
燃え尽きると、それを待っていたかのような時機でクーさんが回転して向き直る。ふらふらの魔法使いは、それでも彼女の後ろにぺたり。
事実を語るのは気が引けるので、日和った発言をしてみる。
「仲が良いですね」
「だろうっ! コウにはあたしの子供を産んでもらうんだ!!」
……やばい。まだ普段のクーさんに戻っていないようだ。
子供が欲しいのなら自分で産んでください。と宥めようとしたが、よくよく考えてみるとかなり際どい発言なので、喉元まで出掛かった言葉を無理やり呑み込む。
「じじーん言ってたな。『こん娘ぁできる娘なんだけど弱点多いからなぁ』てな」
「じじー」とは、クーさんの言う「師匠」のことだろう。師匠を尊敬しているらしいクーさんが黙っているはずもなく、壁に当たって跳ね返るように、即座に言い連ねる。
「エンは馬鹿そうに見えて、事実馬鹿なんだが、妙に勘が鋭いところがあるというか、途中をすっ飛ばして答えだけわかるとか、ただの馬鹿なら無視しておけば良いが、そうではないからいちいち考慮に入れなくてはならないので、面倒臭くて堪らない」
悪口なのか、エンさんを評価しているのか、微妙なところである。
さすがは幼馴染み。今の遣り取りでクーさんの浮ついていた言行が収まった。そして、何事もなかったかのように阿吽の呼吸を見せてくれる。
「そろそろ。持ち上げて」
「あいよ」
エンさんは下に手を回すと、よっ、という軽い掛け声とともに焚き火を持ち上げた。その間に、窪んだ場所に納まっていた大きな卵形の物体をクーさんが取り出す。
卵と言うには歪な形。大きな葉っぱに巻かれて湯気を立てている。美味しそうな匂いがもうもうと。
「これも魔力で覆っていたんですか?」
焚き火の下にあったのだから、本来なら焼け焦げているはず。然し、葉っぱには焦げ一つ見当たらず、緑色のままであった。
「そう、火の熱だけが通るようにしておいた」
クーさんが、包んでいた葉っぱを手で剥くと、ぶわっと蒸気が広がった。
現れたのは肉の丸焼きだった。周りには茸や山菜が散らされている。
そして右手を縦に、左手を横に振ると、肉に切れ目が入って、食べ易い大きさになって崩れ落ちた。肉の中には木の実や香辛料を詰めていたらしく、一緒にばらばらと広がっていったが、剥いた葉っぱの端で壁に遮られたように止まった。
「…………」
日常に魔法とか魔力とかが入り込むと、常識というものを忘れてしまいそうになる。
それぞれ信仰する神に祈りを捧げてから、食べ始める。三人は土の神ノースルトフルに、僕は知識と想像力の神サクラニルに。
「ところで、この肉は、何の肉なんですか?」
聞きながら、パンに肉と山菜を挟んで齧り付く。魔法料理の恩恵なのか、肉汁がじゅわぁと出てくる。表面のかりかりに焼けた食感と肉の柔らかさが舌を喜ばせてくれる。
「だめだ駄目だダメだ考えちゃ駄めダっ!」
「これはコウが獲ってきた。ありがたく頂戴しろ。残したらリシェを焼いて喰う」
「まー、こりゃ、なぁ、肉擬きみてぇな、もんだ」
二人とも目が泳いでいた。ごめんなさい、どうやら竜の尻尾を踏んでしまったようだ。
確かに、美味しいものが普通の見た目だったり、部位だったりするとは限らない。あー、つまり、このとても美味しい肉のようなものは、氷焔の二人をも唸らせる、もとい呻かすほどの、得体の知れないものであると。
クーさんが言っていたように、肉擬きは、魔法使いが獲ってきたものである。巨鬼の討伐後、姿を消していたが、まさか魔法より狩猟のほうが得意とか、そんなことがあるのだろうか。
「そーだった、俺たちんことちょろっと話すんだったな。名前ぇなんてどうだ、相棒頼む」
エンさんが露骨にはぐらかすと、クーさんもそそくさと話題に乗っかった。
魔法使いは素知らぬ風に、クーさんの後ろでもぐもぐ食事中。ここら辺は三人の中での、微妙な力関係があるのかもしれない。う~む、未だに魔法使いの立ち位置が掴めない。
「あたしたちの先祖の話。ーー二人の男が居た。彼らは親友同士で、同じ頃に子供が生まれた。余程嬉しかったのか、男の一人は子供に過去の偉大な王の名を付けた。すると、もう一人の男は子供に神の名を付けた。二人の男は喧嘩した。
下らないと言えば確かに下らない話。それ以後、なぜか村では凝った命名をするのが当たり前になっていった。始めは娯楽の一種だったが、しだいに本気になっていった、というところか。そうして家系ごとに特徴や決まり事などを作って差別化を図ることで、この命名騒動は落ち着く。あたしの名前、『クグルユルセニフ』にも家系の特徴がある。クグルとユル、ユルとセニフ、そして全て纏めたときの響きが良くなるようにしてある」
エンさんの名前が「エン・グライマル・キオウ」。魔法使いが「コウ・ファウ・フィア」。クーさんも含めて、確かに聞き慣れない響きの名前である。
「こん妙ん名前ぇで、貴族ん子弟だの竜人だの言われっことんあったなぁ」
さぞかし面倒なことだったのだろう。しょっぱい思い出でもあるのか、乾燥させた苦虫に岩塩を塗して噛み砕いたかのように、眉をぐにぐにと顰めていた。
竜人とは、竜と人の間に生まれた者のことで、姿は人間だが竜の力を宿しているという。歴史上、竜人であると名乗り出た者は多くいるが、確定された者はいない。
氷焔の二人を竜人とする、市井人や冒険者の心情がわからないわけではない。
斯くの如く誤解が生じるのは、無論、名前だけの所為ではない。彼らの常人を遥かに超えた力がそう思わせる。自分より優れた者がいたなら、その者には特別な何かがあると思いたがる。その者に及ばない、納得できる理由を探そうとする。
隔絶した力を持つ、氷焔。彼らが強いのは、竜人であるから。
自らを誤魔化すのにこれほど都合の良いものはない。
「実は竜人だった、とかはないですよね?」
ほんの少しだけ、もしかしたら、という気持ちを込めて尋ねてみる。
「ぶはっはぁ! こぞー、面白ぇこと言うなぁ。俺と相棒ぁ、村人一と村人二だぞ!」
「村人一と二としては楽しい人生を歩めている。重畳々々」
彼らは陽気に否定する。嘘を吐いているようには見えない。
残念に思う気持ちが、微かに芽生える。彼らが竜人なら、竜についてわずかなりとも触れることが出来たかもしれないが。竜は今猶、幻想の彼方から現れることはない。
「明日は、この付近の調査の最終日。魔物との遭遇はあるかもしれない。油断はしないこと。明後日は、氷焔に遺跡調査の依頼が来ていたから受諾。謎解きがあるらしいから、リシェに期待しておこう」
「……そこで役に立たないと、一巡り丸ごと足を引っ張ってたってことになるので、頑張ります。あとは、明日も足手纏いにならないように、善処します」
明後日の依頼は僕の力を見る為に、若しくは活躍する場を設けようと受けてくれたのだろう。
最善と最悪は一昨日の内に考えておけ。里で教わったことだけど、今は勘弁。先のことを考えるより、明日を無事乗り切らないと。それで精一杯である。
「そこまで気んしねぇでいーんだけどな。もー贅沢ぁ言わねぇ、残ってくれさえすりゃいー。戦力なら俺と相棒で足りてんだがなぁ、どーも氷焔くる奴ぁ俺たちん横立つ三人目んなりてえってんがほとんどでな。そんだと三日持たねぇ。こぞーん他、今日まで持ったんは天才だけだったもんなぁ」
「天才? その人は、どんな人だったんですか?」
エンさんが渾名を天才とするほどの人物がいることに驚いた。
その言葉が甘やかな記憶を呼び覚ます。僕もサクラニルの祝福を一身に受けた「俊才」を知っている。仕方がないとはいえ里を出てから文の遣り取りは途絶えている。
兄さんは今、どうしているだろう。
「どんなって言ってもなぁ。三日目にゃ、もーちび助ん話してたしな。こっちからお願いして氷焔入って欲しかったんだがな。まー天才ん俺たちん同じで、冒険者ぁ目的じゃなくて手段だったみてーだし。冒険者ん技術身ん付けて、俺たちん目的違って俺たちん利用できんってわかったら、明日あっさり去ってたなぁ」
「…………」
……エンさんの説明に慣れるには、まだ時間、というか、経験が必要なようだ。こんなときは大抵クーさんが補足してくれるのだけど、何故かこのときばかりは我関せずと食事の後片付けを優先していた。
片付けが済むと、森には逸早く夜の帳が下りる。
夜営には色々大変なことがあるのだが。その大変さの大部分が、「結界」を張った、で済んでしまうあたり、もはや繊細なのか大雑把なのかわからなくなりそうだ。
見上げると、森の木々の隙間にーー。
寝転がる場所もないくらいの小さな夜空から、月が迷惑そうに焚き火を覗き込んでいた。暗闇と光と、僕たちと影とが揺れて、空と大地の境界線で惑いそうになる。
「……、ーー」
束の間の錯覚が解けて、焚き火に揺らされる星空は薄く、程好い曖昧さで心の懐かしい部分を染めてゆく。炎とともに在り続けた人の、刻まれた太古の記憶なのだろうか。
手を伸ばしそうになって。手を伸ばしたら、きっと笑われるだろうな。そう思えたことが嬉しい。
ここにいて、楽しめている。それはきっと、大事なことだろう。冒険者だから、大変なこともあるけど、ここにいるからこそ見えてくるものがあるはず。
僕は、やっぱり空に手を伸ばした。
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