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一章 冒険者と魔法使い
オーグルーガーと魔物についての考察
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また足を引っ張ってしまった。
彼らの邪魔にならない、という消極的な目標を自らに課していたが、今日も達成できなかった。などという反省はあと、先ずは空気が欲しい。
「ぜーぜーはぁー、……ふぅ」
息を整えつつ惨状をーー現況を概観する。
動く魔物はいない。僕を追い掛けてきた巨鬼は、エンさんが倒してくれた。仇を討てず息絶えた彼らの無念の表情を思い出して、微かに胸を痛める。
果たせるかな、氷焔の圧勝である。
彼らは当然として、僕にも目立った傷はない。四十体を超える巨鬼が無残に倒れ伏す光景は、僕が慣れていない所為もあるのだろうが、心を粟立たせる。
正しい行いをすることと、それを当然と思うことは別のことである。二つを同じことだと思い、心を楽にする方法は僕には向いてなさそうだ。
性分かな。と独り言つ。
風が吹き始めて、臭いは多少増しになっている。と言っても、巨鬼の血を盛大に浴びた僕には、あまり効果はない。巨鬼の胸の塗料ほどではないが、彼らの血も相当臭う。
「色男んなったじゃねぇか」
エンさんが巨鬼の血でぐっしょりとなっている僕を当て擦る。などと思ってしまうのは、僕の心が捻くれているからだろうか。然もありなん、僕とは対照的な二人に目を向ける。
「わかっていても、やっぱり狡いですよ」
エンさんとクーさんは、返り血一つ浴びていない。
魔力を纏うことで様々な効果が得られるという。身体能力を向上させたり、衝撃を和らげたり、といったことが基本だが、その恩恵は幅広い。魔力操作で臭いや液体の遮断のみならず、防暑防寒も可能であるらしい。
「さっきは助けて頂いて、ありがとうございます」
「助け? ーー気にしなくて良い」
お礼を言うと、クーさんは不思議そうな顔をした。
彼女からすると、あの程度のこと助けた内に入らないのかもしれない。それに、僕と違って疲れた素振りを見せていない。何より立ち姿が様になっている。僕よりも親指一本分くらい背が高く、すらりとした肢体。
冒険者として相応の力強さはあるが、女性らしさを損なっていない。美人、と言っていいが、どちらかといえば、その振る舞いは、格好良い、という部類に入るだろう。
氷焔の三人は軽装である。軽装というか、エンさんとクーさんは、村であれば何処にでもいそうな、素朴で、少しばかり野暮ったい格好である。
魔力を纏う彼らは、防具を着ける必要がないので、戦闘では動き易い格好を好む。人前に出るときは、クーさんが仕立てた見栄えの良い服を着る。そして、要人と会うときは、鎧を着用することもあるらしい。
戦いから遠ざかるにつれて重装備になっていくのは、皮肉と言っていいものか。
「この魔物には毒があるらしい。付近にいる動物が食べてしまわないよう焼いてしまう」
クーさんは足元の巨鬼に視線を注いでいた。手には、二枚の紙とペン。
見ると、魔法で焼却する為なのだろう、エンさんは「火球」か何かで穿った穴に巨鬼たちを投げ込んでいた。
何処へ行ったのか、魔法使いは見当たらない。まぁ、これはよくあること。エンさんもクーさんも気にしていないので、問題ないのだろう。
「何をするんですか?」
何故巨鬼が毒を持っていることがわかったのか気になったが、先ずは卑近な疑問から質すことにした。血だらけだが、魔力を纏ってくれるだろうと、近寄って横から覗き込む。
「これは新種だろう。容貌や特徴を纏めて、組合に報告」
「へぇ、上手いですね」
簡単にさらさらっとペンを動かしているように見えたが、巨鬼の輪郭が歪むことなく描かれていた。そして、見る間に特徴を書き込んでゆく。
「鉤爪、根元まで露わに」
言葉少なに命令。どうやら集中しているらしい。
巨鬼の手の形状は、爬虫類に似ている。人の指に当たる、と言っていいのか、鉤爪は猛禽類の特徴があるが、長大な爪を支える為か奇妙に波打ち、硬化しているようだ。
だが、柔軟性も具えているようで、思った以上に動く。それは戦いの最中に確認できた。握ったり掴んだり、突き刺して引っ張ったりと、器用に使い分けていた。
爪の根元、内側の皮膚の膨らんだ箇所に触れてみると、殊の外柔らかい。
「どうした、リシェ」
「えっと、この膨らみ、歩くとき地面に触れる箇所だと思うんですけど、魔物は二足歩行でした。以前、聞いたことがあるんですが、生き物は皆、昔は鉤爪だったという説があるようです」
「ーー続き」
「あ、はい。この鉤爪は、新しく獲得したというより、元々あった古の名残が影響を及ぼしたと考えるほうが自然なのかな、と」
感興をそそられたのか、手を止めて僕の話に付き合ってくれる。
「含蓄のある話だが、組合はそこまで求めていない。報告したところで宝の持ち腐れ」
「え? 組合は魔物の生態とか調査していないんですか?」
「組合の幹部は、現状で問題ないと考えている。手間と資金を浪費してまで、することではないと、自らの功績にはならないと顧みられていない」
「ああ、そういうわけですか……」
商人組合や職人組合が「古語時代」の初期に設立されたのと異なって、冒険者組合は百五十周期前と、比較的若い時代に創設された。
現在でも冒険者の地位は高くないが、当時は、盗賊より増し、といった程度で、当然組合もないので確度の低い情報しか手に入らず、ずいぶん難儀したことだろう。
いや、このような言い方は失礼に当たる。彼らは、その不確かなものにさえ縋って、命を懸けていたのだから。振り返れば竜、という絶望的な状況に追い込まれることも間々あったことだろう。
組合を創設した団も、その一つだった。
エルネアの剣と同じく、大量の魔物との遭遇。然し、史を繙くと、エルネアの剣を襲った魔物よりも手強く、凶悪な種族が多かったという。彼らは、仲間の半数を失い、生き残った者の多くも深手を負い、復帰の道は断たれた。
悲劇を繰り返さない為に、彼らは意を決した。順風満帆とはいかず、多くの困難に見舞われたが、彼らは遣り遂げた。
然は然り乍ら、元冒険者という門外漢が、組合の運営に長じているはずもなく、外部から雇うことになる。
組合の最前で働くのは、多くが負傷して引退を余儀なくされた元冒険者である。今に至るも組合の質が落ちないのは、創設者たちと同じく、彼らの熱意に因るところが大きい。
組織とは、存在した瞬間から腐敗する。と里で教わったが、冒険者組合は自浄作用が働いていると言えるだろう。
但し、それは現場のことで、百五十周期も経てば骨組みも意義も変容する。
組合の運営に携わる幹部に、元冒険者という肩書きを持つ者は殆ど居らず、目的が出世や利益に摩り替わっていたとしても不思議はない。その結果が、向上心に欠ける現状維持、沈滞を招くことになった、と。
「こんなことを言うのもなんですが。氷焔くらいの影響力があれば、働き掛けとか出来ないんですか?」
「氷焔には専属の担当がいる。そして、あたしたちに行使できるものがあったとしても、その担当を越えてはいかない。組織とはそういうもの。組合を変えたいというのなら、その担当が天辺まで辿り着くのを待つのが現実的」
「はは、世知辛いですね」
自然と乾いた笑いが出てくる。まぁ、交わらない二本の河では、水の質が変わることはない。
冒険者は、冒険者でなかった者が上に立つのを、認めはしても信頼することはない。運営の側もそれを承知していて、改善する気は更々ないと。
でも、これが二者の丁度良い距離なのかもしれない。近過ぎても、遠過ぎても、何かしらの問題は起こるのだ。
「えっと、ナイフ、ナイフはっと」
手を後ろに回して探る。投擲用のナイフ三本以外に、こちらも安物だが頑丈さが取り柄のナイフを一本装備している。
投げナイフは性質上、強度に問題があるし、用途が限られている。まぁ、実戦で使ったことはないし、すぐに回転してしまい目標には刺さらないので、多くの場合、牽制にしかならないのだけど。
片手剣を購入した際、残金でも買えたので入手したのだが、僕には向いていなかったのかもしれない。と今更の後悔。
ナイフを手にして、巨鬼を観察する。
胸の赤い塗料以外に興味を惹かれるのは、彼らの身に着けているもの。一目して粗末な衣服と断じたが、鉤爪でよくもまぁ作れるものだと感心する。
毛皮の他に、蔓や木の皮などで編まれた粗雑な服(?)の隙間に葉や羽が挟まっている。木の板を繋げたものを腰に巻いていたり、染料らしきものや泥で色付けされていたりと、よく見ると、個体それぞれに個性がある。
「ん? 出来ない?」
「大きな魔物なので戸惑っていただけです。出来ます」
戸惑う、というよりは、躊躇う、というか、直視したくなくて別のことに着目していたのだが、もう逃げ場はないと、観念の臍を固める。
あー、これでもまぁ、見栄を張りたい周期頃の少年なので、男としてなけなしの沽券くらい守っておかないと。
里では動物を狩ったり弱い魔物を退治したり、実地の教練のあと、解剖もやった。人型の大きな魔物だからといって怖じ気付く理由なんてない。いや、嘘です、ちょっと心が萎えています。
それを自覚したまま、鉤爪の根元の、皺だらけの皮膚にナイフを突き立てる。
見立て通り、皮膚は硬く、思ったよりも刺さらなかった。そこから、切るというよりは押し開く感じで力を込める。一度では割けず、二度三度と繰り返して、隠れていた妙に生々しい肉の色をした部分を外気に触れさせてゆく。
替えは少ないというのに、もう廃棄するしかない服の、汚れていない箇所で、滲んだ血とよくわからない透明な液のような……、って、ひょっとして、これ、毒!?
いやいや、クーさんは何も言ってないし、きっと毒ではないのだろう。仮に毒だったとしても、食べたり傷口とかから入ったりしなければ、たぶん、きっと、大丈夫……のはず。
「ーーーー」
骨の先端を覆うようにして、そこから爪が伸びている。ここら辺は、構造におかしなところはない。
然し、まぁ、何というか、ぶっとくて禍々しい爪である。まともに正面から受けていたら、剣も盾も木っ端微塵だっただろう。
ただ只管に防御だけを磨くという、奇特、もとい奇矯な鍛え方をしていなかったら、どうなっていたことやら。
「ん。ーーせい」
「……へ?」
クーさんは右手で紙とペンを持って、いつの間に抜いたのか、左手で片手剣を振り上げていた。
僕など歯牙にも掛けず、剣を振り下ろして、鉤爪にぶち当てる。ひぃっ、と情けない悲鳴が僕の口から勝手に転び出てくるが、そんなことに気を配っている余裕はない。
竜から逃げ出す勢いで、僕は体を横に投げ出した。
巨鬼の血溜まりに飛び込む羽目になる、などと考えたーー半瞬後、僕がいた場所を、巨鬼の手から捥ぎ取られた鉤爪が通過してゆく。
人の血とは異なる、見慣れない不気味な黒血に手を突いたが、ずるっと滑って肩から落ちる。
跳ねた血が首と髪の毛に付着して、滴る感触に身慄いする。
「ぐぶっ! 何するんですか、クーさん!?」
「問題ない。魔力を込めて強振」
「……魔力が見えない僕にはわからないんですけど」
「そんな些事より、教示しても良い」
気持ち悪さを我慢して立ち上がって、クーさんをじと目で見たが、涼しい顔で返してくる。
良心的に解釈するなら、お詫びに良いことを教えてやろう、ということなのだろうが。
「お願いします」
提案を即決する。命の危機に瀕したことを些事扱いされたが、いや、勘違いだったわけだけど。氷焔と五日も一緒にいるので、だいぶ慣れた。
はぁ、慣れてはいけないような気がするけど、知的好奇心のほうが優先されてしまうあたり、僕も大概単純なのかもしれない。
僕の心肝などお見通しとばかりにくすくす笑うと、クーさんが問うてくる。
「この魔物、どうだった?」
「強かったです。通常の魔物とは一線を画していました」
含みのある言い方だったので、とりあえず強く印象に残ったことを答えとした。それと、頭に上りそうになる血を、意識して抑えようとする。
周期が上の、妙齢の女性と、こうして親しく話す機会は余りなかったので。然も、不意に魅力的な笑みなど浮かべられると、どぎまぎしてしまう。
これが交渉などの、明確な目的があるなら繕うことが出来る、とは思うが、ああ、これはもう慣れるしかないのだろうか。里で学んだこととは勝手が違う。
「そう、手捷く屈強。大概のオークと他種族の魔物はそんなに強くない。でも、逆だとしたら、どうだろう? 平常の魔物の強さがこの鉤爪オーク並みで、それ以下の弱い魔物は殆どいないとしたら」
「それは……」
現在、この大陸の主導権は人間が握っている。竜や魔獣が人間に敵対でもしない限り、これが揺らぐことはないだろう。
魔物が他種族間で共闘するようなことはなかったし、稀に巨鬼のような強い魔物が現れたとしても、この程度の規模ではどうにもならない。
ーー然り乍ら、通常の魔物が巨鬼並みの強さだとしたら。
もしそうなら、世界の有様が根本から変わってしまうのではないだろうか。いや、それは早計だと戒める。人や社会には柔軟性がある。
巨鬼は強かったが、倒せないほどではない。今回のような四十体ともなれば話は別だが、数体から十体程度であれば、地域の有力な団なら、あと十分に策を施した集団規模なら問題ないだろう。かなりの苦戦は免れないだろうが。
「総じて冒険者は戦士で、魔法使いや神官などは滅多にいない。でも、もし魔法使いの強力な魔法や、神官の『治癒』があったとしたら?」
「そうですねーー」
僕の思考が煮詰まったのを見取ったらしく、新たな、設定、と言っていいのだろうか、妄想、いやさ、空想や夢想が捗りそうな条件を追加してくる。
クーさんに促されるまま思惟の湖に沈む。
魔法使いは冒険者の団にとって、希少ではあるが貴重ではない。世間的に、魔法使いは研究者であって、戦力になると見られていない。
魔力量が多い者なら、魔法を使うのは難しくない。単純な攻撃系の魔法に限られるが、冒険者にとってはそれで十分なのである。
冒険者の足手纏いにならない水準の、戦闘に長けた魔法使いは少ない。「大陸最強の魔法使い」との呼び名があるガラン・クンくらいだろうか。仄聞するところによれば、彼以外に冒険者に帯同を要請される魔法使いはいない。
「治癒」の奇跡を施せる神官は、教会では高位の職にある。冒険者と行動を共にするとは思えない。
然り乍ら、それらの現実を無視して想見するなら。
魔法使いが強力な魔法で攻守を援護して、神官が傷付いた者を次々に癒やしてゆく。戦士のみで構成される団とはまったく様相が異なる。然らば、巨鬼数体くらいなら容易く倒せてしまえそうだ。
魔法使いや神官が所属する団。強大で、凶悪な魔物。ーーどう表現したらいいのだろう。何かが噛み合っていない、違和感のような。本来あるべき姿とはずれがあるような……。
「見てごらん」
クーさんは鉤爪を失った巨鬼の手を指差した。
「この鉤爪オークは、エンの剣を鉤爪で弾いた強い個体。でも、エンより威力の弱いあたしの一撃で、鉤爪は見ての通り。どうしてだと思う?」
「今は弛緩。戦っているときは、鉤爪の周りの肉が、えっと、引き締まっていたから……?」
「その可能性もある。でも、今回は魔力。あたしやエンほどではないが、魔力を纏っていた。五体に一体くらいは、魔力を纏っていなかった。魔力の多寡に個体差がある」
僕が言葉を咀嚼するだけの時間を空けてから、クーさんは続ける。
「魔物が今より強かったら、きっと個体数は少ない。弱いから、その分、数が多い」
それは巨鬼のような通常とは異なる魔物にも当て嵌まるのだろうか。魔力と係わりがある事柄は、どうもその辺りをあやふやにさせる。
「生命は、そこに詰め込めるだけの生命を詰め込む」
大切なものを差し出すように、クーさんは囁く。
「師匠の言葉。生命が入り込める余地があるなら、必ずその隙間を生命が埋める。この林にも生命の隙間はなかった。鉤爪オークはいなくなった。それはどのくらいの余地なのか」
師匠なる人物のことを思い出しているのだろうか。周囲まで暖かくなるような、優しい微笑。
普段は、「薄氷」の二つ名の通り、冷静沈着といった風情だが、ひとたび氷が割れれば、その下から、これほどにも豊かな感情が溢れてくる。
「今はここまで。あと二日、一巡りするまで氷焔に居られたら、色々知ってもらう」
教えてあげる、ではなく、知ってもらう。今の話にしてもそうだが、氷焔には何か秘密めいたものがあるらしい。
〝目〟ではない彼女がこれほど聡明なのは、師匠という人からの影響が大きいのだろう。もしかしたら、僕らの先達という可能性もあるわけだが。
「はい。あと二日、がんばります」
「こらこら、そんな志が低くてどうする? 二日と言わず、団の一員になっておくれ」
クーさんが破顔する。氷焔として冒険者たちから恐れられているが、実際に接してみれば気のいい人たちである。
ただ、強さの基準が市井とは異なるので、身体的には凡人代表とも言える僕などは、気を付けないといけない。いや、ほんと、命が危ういので。
「お~し、終わったぞ~」
巨鬼の躯に火を放ったらしいエンさんが戻ってくる。
近くの樹木に火移りしないのは、樹を魔力で覆っているからだろうか。見ると、いつの間にか魔法使いがクーさんの後ろに。いつも通りの定位置である。
人見知りのようなもの、とクーさんは言っていたが、こうも警戒されるとちょっと凹む。未だ顔も見られていないし、声も聞いたことがない。然てこそ魔法を使っているところも同様である。
実は魔法が使えない、似非魔法使い、なんてことはないと思うが。それとも、何か隠さなければならない理由でもあるのだろうか。
先達の冒険者で、僕より断然役に立っているので、口に出すときは「コウさん」と呼んでいるが、まともに対応してもらえないので内心では「魔法使い」と呼んでいたりする。
魔法使いになる為には、魔法使いに師事するのが一般的である。僕より二、三周期は下の魔法使いが冒険者として活動しているのには、どんな訳があるのだろう。
「で、こぞー。こいつらん名前ぇ、決まったんか?」
こぞー、とは僕のことである。初対面からずっとそう呼ばれている。と言っても見下しているわけではなく、そう呼ぶのが適当だから呼んでいる、そんな感じで悪意はまったくないようだ。
エンさんは、クーさんを「相棒」、魔法使いを「ちび助」と呼んでいる。彼なりの愛称なのだろう。つまり、気にしたら負け、というやつだ。
背が高く、愛嬌がある。戦士としては平均的な体躯だが、貫禄がある。相反する性質を内包する不思議な魅力を持った人である。
そういえば、と記憶の片隅で消滅しそうになっていた案件を引っ張り上げる。
戦闘開始直後、通常のオークと異なる巨鬼の名称を考えておくようエンさんに命令、というか、頼まれていたのだ。直後に一つ、思い付きはしたが、戦闘中はすっかり頭から抜け落ちていた。
僕にとっては命懸けの戦いだったので、そこら辺は差し引いて考えてもらえると嬉しかったりするのだけど。竜にも角にも、ここで更に考える、などという選択肢はない。
戦闘のみならず、ここでも裨益することすら叶わないとなると、本当のお荷物でしかなくなってしまう。これまで氷焔に加入した人たちも、僕と似たような心境になったのだろうか。
「胸のところ、赤い塗料で描かれた、印のようなものがあるじゃないですか。それは彼らにとって何か意味のあるものだと思うんです。宗教的なもの、戦意高揚の手段、仲間意識の向上とか。ですので、賢い、という意味を込めて、『人喰い巨鬼』」
「おー、いーじゃねぇか。んじゃあ、そんで決まり」
「え? 決まりって、どういうことですか?」
見ると、クーさんが完成したらしい巨鬼の絵に上にオーグルーガーと書き込んでいた。
「正式な名称として決定。事前の目撃情報から、対象に名が付いていないことは確認済み。次に鉤爪オークが現れたとき、依頼書などにオーグルーガーと記載される」
「…………」
そんな簡単に決めてしまっていいのだろうか。と思いはするものの、命懸けの戦いは、精神にまで疲労を強いていたらしく、異議を唱えようなどという気力が湧こうはずもなく。
「さぁて飯ぃー飯ぃー。こぞーは血ぃ落としてこいよ。近くん湧き水あってよかったなぁ」
ばしんっ、と背中を叩かれたが、痛みはなかった。どうやら魔力を纏ったまま叩いたらしい。僕に付着した血で汚れたくなかったのだろう。
風向きが変わって、咳き込みそうになる。
火勢は衰えてきているのだろう。それは、燃えるものがなくなってきているから。じきに焼き尽くされるだろう。生命の痕跡、それさえも辿ることが難しくなっていく彼らに同情するなんて、以ての外かもしれないけど。
エンさんは穴の周辺に「火球」を放って、灰となった彼らを豪快に埋めてゆく。
呆気ないもので、巨鬼の姿はもうない。でも、この場所を離れる前に、偽善とわかっていてもやっておきたいことがあった。
ほんの少しだけ、巨鬼たちの為に祈る。
祈りを捧げるなど、僕たちに害された彼らが望んでいるとは思えないから。だから、少しだけ。
振り返ると、魔法使いが居た。とてとてと人型の暗色の塊は二人を追い掛けていった。見られていたようだ。気恥ずかしいので、何となく頭を搔いて誤魔化す。
「早く戻らないと、またエンさんに僕の分を食べられてしまうかもしれないな」
湧き水と泥で血を落として、服を着替えてから皆のところへ急いで戻った。
彼らの邪魔にならない、という消極的な目標を自らに課していたが、今日も達成できなかった。などという反省はあと、先ずは空気が欲しい。
「ぜーぜーはぁー、……ふぅ」
息を整えつつ惨状をーー現況を概観する。
動く魔物はいない。僕を追い掛けてきた巨鬼は、エンさんが倒してくれた。仇を討てず息絶えた彼らの無念の表情を思い出して、微かに胸を痛める。
果たせるかな、氷焔の圧勝である。
彼らは当然として、僕にも目立った傷はない。四十体を超える巨鬼が無残に倒れ伏す光景は、僕が慣れていない所為もあるのだろうが、心を粟立たせる。
正しい行いをすることと、それを当然と思うことは別のことである。二つを同じことだと思い、心を楽にする方法は僕には向いてなさそうだ。
性分かな。と独り言つ。
風が吹き始めて、臭いは多少増しになっている。と言っても、巨鬼の血を盛大に浴びた僕には、あまり効果はない。巨鬼の胸の塗料ほどではないが、彼らの血も相当臭う。
「色男んなったじゃねぇか」
エンさんが巨鬼の血でぐっしょりとなっている僕を当て擦る。などと思ってしまうのは、僕の心が捻くれているからだろうか。然もありなん、僕とは対照的な二人に目を向ける。
「わかっていても、やっぱり狡いですよ」
エンさんとクーさんは、返り血一つ浴びていない。
魔力を纏うことで様々な効果が得られるという。身体能力を向上させたり、衝撃を和らげたり、といったことが基本だが、その恩恵は幅広い。魔力操作で臭いや液体の遮断のみならず、防暑防寒も可能であるらしい。
「さっきは助けて頂いて、ありがとうございます」
「助け? ーー気にしなくて良い」
お礼を言うと、クーさんは不思議そうな顔をした。
彼女からすると、あの程度のこと助けた内に入らないのかもしれない。それに、僕と違って疲れた素振りを見せていない。何より立ち姿が様になっている。僕よりも親指一本分くらい背が高く、すらりとした肢体。
冒険者として相応の力強さはあるが、女性らしさを損なっていない。美人、と言っていいが、どちらかといえば、その振る舞いは、格好良い、という部類に入るだろう。
氷焔の三人は軽装である。軽装というか、エンさんとクーさんは、村であれば何処にでもいそうな、素朴で、少しばかり野暮ったい格好である。
魔力を纏う彼らは、防具を着ける必要がないので、戦闘では動き易い格好を好む。人前に出るときは、クーさんが仕立てた見栄えの良い服を着る。そして、要人と会うときは、鎧を着用することもあるらしい。
戦いから遠ざかるにつれて重装備になっていくのは、皮肉と言っていいものか。
「この魔物には毒があるらしい。付近にいる動物が食べてしまわないよう焼いてしまう」
クーさんは足元の巨鬼に視線を注いでいた。手には、二枚の紙とペン。
見ると、魔法で焼却する為なのだろう、エンさんは「火球」か何かで穿った穴に巨鬼たちを投げ込んでいた。
何処へ行ったのか、魔法使いは見当たらない。まぁ、これはよくあること。エンさんもクーさんも気にしていないので、問題ないのだろう。
「何をするんですか?」
何故巨鬼が毒を持っていることがわかったのか気になったが、先ずは卑近な疑問から質すことにした。血だらけだが、魔力を纏ってくれるだろうと、近寄って横から覗き込む。
「これは新種だろう。容貌や特徴を纏めて、組合に報告」
「へぇ、上手いですね」
簡単にさらさらっとペンを動かしているように見えたが、巨鬼の輪郭が歪むことなく描かれていた。そして、見る間に特徴を書き込んでゆく。
「鉤爪、根元まで露わに」
言葉少なに命令。どうやら集中しているらしい。
巨鬼の手の形状は、爬虫類に似ている。人の指に当たる、と言っていいのか、鉤爪は猛禽類の特徴があるが、長大な爪を支える為か奇妙に波打ち、硬化しているようだ。
だが、柔軟性も具えているようで、思った以上に動く。それは戦いの最中に確認できた。握ったり掴んだり、突き刺して引っ張ったりと、器用に使い分けていた。
爪の根元、内側の皮膚の膨らんだ箇所に触れてみると、殊の外柔らかい。
「どうした、リシェ」
「えっと、この膨らみ、歩くとき地面に触れる箇所だと思うんですけど、魔物は二足歩行でした。以前、聞いたことがあるんですが、生き物は皆、昔は鉤爪だったという説があるようです」
「ーー続き」
「あ、はい。この鉤爪は、新しく獲得したというより、元々あった古の名残が影響を及ぼしたと考えるほうが自然なのかな、と」
感興をそそられたのか、手を止めて僕の話に付き合ってくれる。
「含蓄のある話だが、組合はそこまで求めていない。報告したところで宝の持ち腐れ」
「え? 組合は魔物の生態とか調査していないんですか?」
「組合の幹部は、現状で問題ないと考えている。手間と資金を浪費してまで、することではないと、自らの功績にはならないと顧みられていない」
「ああ、そういうわけですか……」
商人組合や職人組合が「古語時代」の初期に設立されたのと異なって、冒険者組合は百五十周期前と、比較的若い時代に創設された。
現在でも冒険者の地位は高くないが、当時は、盗賊より増し、といった程度で、当然組合もないので確度の低い情報しか手に入らず、ずいぶん難儀したことだろう。
いや、このような言い方は失礼に当たる。彼らは、その不確かなものにさえ縋って、命を懸けていたのだから。振り返れば竜、という絶望的な状況に追い込まれることも間々あったことだろう。
組合を創設した団も、その一つだった。
エルネアの剣と同じく、大量の魔物との遭遇。然し、史を繙くと、エルネアの剣を襲った魔物よりも手強く、凶悪な種族が多かったという。彼らは、仲間の半数を失い、生き残った者の多くも深手を負い、復帰の道は断たれた。
悲劇を繰り返さない為に、彼らは意を決した。順風満帆とはいかず、多くの困難に見舞われたが、彼らは遣り遂げた。
然は然り乍ら、元冒険者という門外漢が、組合の運営に長じているはずもなく、外部から雇うことになる。
組合の最前で働くのは、多くが負傷して引退を余儀なくされた元冒険者である。今に至るも組合の質が落ちないのは、創設者たちと同じく、彼らの熱意に因るところが大きい。
組織とは、存在した瞬間から腐敗する。と里で教わったが、冒険者組合は自浄作用が働いていると言えるだろう。
但し、それは現場のことで、百五十周期も経てば骨組みも意義も変容する。
組合の運営に携わる幹部に、元冒険者という肩書きを持つ者は殆ど居らず、目的が出世や利益に摩り替わっていたとしても不思議はない。その結果が、向上心に欠ける現状維持、沈滞を招くことになった、と。
「こんなことを言うのもなんですが。氷焔くらいの影響力があれば、働き掛けとか出来ないんですか?」
「氷焔には専属の担当がいる。そして、あたしたちに行使できるものがあったとしても、その担当を越えてはいかない。組織とはそういうもの。組合を変えたいというのなら、その担当が天辺まで辿り着くのを待つのが現実的」
「はは、世知辛いですね」
自然と乾いた笑いが出てくる。まぁ、交わらない二本の河では、水の質が変わることはない。
冒険者は、冒険者でなかった者が上に立つのを、認めはしても信頼することはない。運営の側もそれを承知していて、改善する気は更々ないと。
でも、これが二者の丁度良い距離なのかもしれない。近過ぎても、遠過ぎても、何かしらの問題は起こるのだ。
「えっと、ナイフ、ナイフはっと」
手を後ろに回して探る。投擲用のナイフ三本以外に、こちらも安物だが頑丈さが取り柄のナイフを一本装備している。
投げナイフは性質上、強度に問題があるし、用途が限られている。まぁ、実戦で使ったことはないし、すぐに回転してしまい目標には刺さらないので、多くの場合、牽制にしかならないのだけど。
片手剣を購入した際、残金でも買えたので入手したのだが、僕には向いていなかったのかもしれない。と今更の後悔。
ナイフを手にして、巨鬼を観察する。
胸の赤い塗料以外に興味を惹かれるのは、彼らの身に着けているもの。一目して粗末な衣服と断じたが、鉤爪でよくもまぁ作れるものだと感心する。
毛皮の他に、蔓や木の皮などで編まれた粗雑な服(?)の隙間に葉や羽が挟まっている。木の板を繋げたものを腰に巻いていたり、染料らしきものや泥で色付けされていたりと、よく見ると、個体それぞれに個性がある。
「ん? 出来ない?」
「大きな魔物なので戸惑っていただけです。出来ます」
戸惑う、というよりは、躊躇う、というか、直視したくなくて別のことに着目していたのだが、もう逃げ場はないと、観念の臍を固める。
あー、これでもまぁ、見栄を張りたい周期頃の少年なので、男としてなけなしの沽券くらい守っておかないと。
里では動物を狩ったり弱い魔物を退治したり、実地の教練のあと、解剖もやった。人型の大きな魔物だからといって怖じ気付く理由なんてない。いや、嘘です、ちょっと心が萎えています。
それを自覚したまま、鉤爪の根元の、皺だらけの皮膚にナイフを突き立てる。
見立て通り、皮膚は硬く、思ったよりも刺さらなかった。そこから、切るというよりは押し開く感じで力を込める。一度では割けず、二度三度と繰り返して、隠れていた妙に生々しい肉の色をした部分を外気に触れさせてゆく。
替えは少ないというのに、もう廃棄するしかない服の、汚れていない箇所で、滲んだ血とよくわからない透明な液のような……、って、ひょっとして、これ、毒!?
いやいや、クーさんは何も言ってないし、きっと毒ではないのだろう。仮に毒だったとしても、食べたり傷口とかから入ったりしなければ、たぶん、きっと、大丈夫……のはず。
「ーーーー」
骨の先端を覆うようにして、そこから爪が伸びている。ここら辺は、構造におかしなところはない。
然し、まぁ、何というか、ぶっとくて禍々しい爪である。まともに正面から受けていたら、剣も盾も木っ端微塵だっただろう。
ただ只管に防御だけを磨くという、奇特、もとい奇矯な鍛え方をしていなかったら、どうなっていたことやら。
「ん。ーーせい」
「……へ?」
クーさんは右手で紙とペンを持って、いつの間に抜いたのか、左手で片手剣を振り上げていた。
僕など歯牙にも掛けず、剣を振り下ろして、鉤爪にぶち当てる。ひぃっ、と情けない悲鳴が僕の口から勝手に転び出てくるが、そんなことに気を配っている余裕はない。
竜から逃げ出す勢いで、僕は体を横に投げ出した。
巨鬼の血溜まりに飛び込む羽目になる、などと考えたーー半瞬後、僕がいた場所を、巨鬼の手から捥ぎ取られた鉤爪が通過してゆく。
人の血とは異なる、見慣れない不気味な黒血に手を突いたが、ずるっと滑って肩から落ちる。
跳ねた血が首と髪の毛に付着して、滴る感触に身慄いする。
「ぐぶっ! 何するんですか、クーさん!?」
「問題ない。魔力を込めて強振」
「……魔力が見えない僕にはわからないんですけど」
「そんな些事より、教示しても良い」
気持ち悪さを我慢して立ち上がって、クーさんをじと目で見たが、涼しい顔で返してくる。
良心的に解釈するなら、お詫びに良いことを教えてやろう、ということなのだろうが。
「お願いします」
提案を即決する。命の危機に瀕したことを些事扱いされたが、いや、勘違いだったわけだけど。氷焔と五日も一緒にいるので、だいぶ慣れた。
はぁ、慣れてはいけないような気がするけど、知的好奇心のほうが優先されてしまうあたり、僕も大概単純なのかもしれない。
僕の心肝などお見通しとばかりにくすくす笑うと、クーさんが問うてくる。
「この魔物、どうだった?」
「強かったです。通常の魔物とは一線を画していました」
含みのある言い方だったので、とりあえず強く印象に残ったことを答えとした。それと、頭に上りそうになる血を、意識して抑えようとする。
周期が上の、妙齢の女性と、こうして親しく話す機会は余りなかったので。然も、不意に魅力的な笑みなど浮かべられると、どぎまぎしてしまう。
これが交渉などの、明確な目的があるなら繕うことが出来る、とは思うが、ああ、これはもう慣れるしかないのだろうか。里で学んだこととは勝手が違う。
「そう、手捷く屈強。大概のオークと他種族の魔物はそんなに強くない。でも、逆だとしたら、どうだろう? 平常の魔物の強さがこの鉤爪オーク並みで、それ以下の弱い魔物は殆どいないとしたら」
「それは……」
現在、この大陸の主導権は人間が握っている。竜や魔獣が人間に敵対でもしない限り、これが揺らぐことはないだろう。
魔物が他種族間で共闘するようなことはなかったし、稀に巨鬼のような強い魔物が現れたとしても、この程度の規模ではどうにもならない。
ーー然り乍ら、通常の魔物が巨鬼並みの強さだとしたら。
もしそうなら、世界の有様が根本から変わってしまうのではないだろうか。いや、それは早計だと戒める。人や社会には柔軟性がある。
巨鬼は強かったが、倒せないほどではない。今回のような四十体ともなれば話は別だが、数体から十体程度であれば、地域の有力な団なら、あと十分に策を施した集団規模なら問題ないだろう。かなりの苦戦は免れないだろうが。
「総じて冒険者は戦士で、魔法使いや神官などは滅多にいない。でも、もし魔法使いの強力な魔法や、神官の『治癒』があったとしたら?」
「そうですねーー」
僕の思考が煮詰まったのを見取ったらしく、新たな、設定、と言っていいのだろうか、妄想、いやさ、空想や夢想が捗りそうな条件を追加してくる。
クーさんに促されるまま思惟の湖に沈む。
魔法使いは冒険者の団にとって、希少ではあるが貴重ではない。世間的に、魔法使いは研究者であって、戦力になると見られていない。
魔力量が多い者なら、魔法を使うのは難しくない。単純な攻撃系の魔法に限られるが、冒険者にとってはそれで十分なのである。
冒険者の足手纏いにならない水準の、戦闘に長けた魔法使いは少ない。「大陸最強の魔法使い」との呼び名があるガラン・クンくらいだろうか。仄聞するところによれば、彼以外に冒険者に帯同を要請される魔法使いはいない。
「治癒」の奇跡を施せる神官は、教会では高位の職にある。冒険者と行動を共にするとは思えない。
然り乍ら、それらの現実を無視して想見するなら。
魔法使いが強力な魔法で攻守を援護して、神官が傷付いた者を次々に癒やしてゆく。戦士のみで構成される団とはまったく様相が異なる。然らば、巨鬼数体くらいなら容易く倒せてしまえそうだ。
魔法使いや神官が所属する団。強大で、凶悪な魔物。ーーどう表現したらいいのだろう。何かが噛み合っていない、違和感のような。本来あるべき姿とはずれがあるような……。
「見てごらん」
クーさんは鉤爪を失った巨鬼の手を指差した。
「この鉤爪オークは、エンの剣を鉤爪で弾いた強い個体。でも、エンより威力の弱いあたしの一撃で、鉤爪は見ての通り。どうしてだと思う?」
「今は弛緩。戦っているときは、鉤爪の周りの肉が、えっと、引き締まっていたから……?」
「その可能性もある。でも、今回は魔力。あたしやエンほどではないが、魔力を纏っていた。五体に一体くらいは、魔力を纏っていなかった。魔力の多寡に個体差がある」
僕が言葉を咀嚼するだけの時間を空けてから、クーさんは続ける。
「魔物が今より強かったら、きっと個体数は少ない。弱いから、その分、数が多い」
それは巨鬼のような通常とは異なる魔物にも当て嵌まるのだろうか。魔力と係わりがある事柄は、どうもその辺りをあやふやにさせる。
「生命は、そこに詰め込めるだけの生命を詰め込む」
大切なものを差し出すように、クーさんは囁く。
「師匠の言葉。生命が入り込める余地があるなら、必ずその隙間を生命が埋める。この林にも生命の隙間はなかった。鉤爪オークはいなくなった。それはどのくらいの余地なのか」
師匠なる人物のことを思い出しているのだろうか。周囲まで暖かくなるような、優しい微笑。
普段は、「薄氷」の二つ名の通り、冷静沈着といった風情だが、ひとたび氷が割れれば、その下から、これほどにも豊かな感情が溢れてくる。
「今はここまで。あと二日、一巡りするまで氷焔に居られたら、色々知ってもらう」
教えてあげる、ではなく、知ってもらう。今の話にしてもそうだが、氷焔には何か秘密めいたものがあるらしい。
〝目〟ではない彼女がこれほど聡明なのは、師匠という人からの影響が大きいのだろう。もしかしたら、僕らの先達という可能性もあるわけだが。
「はい。あと二日、がんばります」
「こらこら、そんな志が低くてどうする? 二日と言わず、団の一員になっておくれ」
クーさんが破顔する。氷焔として冒険者たちから恐れられているが、実際に接してみれば気のいい人たちである。
ただ、強さの基準が市井とは異なるので、身体的には凡人代表とも言える僕などは、気を付けないといけない。いや、ほんと、命が危ういので。
「お~し、終わったぞ~」
巨鬼の躯に火を放ったらしいエンさんが戻ってくる。
近くの樹木に火移りしないのは、樹を魔力で覆っているからだろうか。見ると、いつの間にか魔法使いがクーさんの後ろに。いつも通りの定位置である。
人見知りのようなもの、とクーさんは言っていたが、こうも警戒されるとちょっと凹む。未だ顔も見られていないし、声も聞いたことがない。然てこそ魔法を使っているところも同様である。
実は魔法が使えない、似非魔法使い、なんてことはないと思うが。それとも、何か隠さなければならない理由でもあるのだろうか。
先達の冒険者で、僕より断然役に立っているので、口に出すときは「コウさん」と呼んでいるが、まともに対応してもらえないので内心では「魔法使い」と呼んでいたりする。
魔法使いになる為には、魔法使いに師事するのが一般的である。僕より二、三周期は下の魔法使いが冒険者として活動しているのには、どんな訳があるのだろう。
「で、こぞー。こいつらん名前ぇ、決まったんか?」
こぞー、とは僕のことである。初対面からずっとそう呼ばれている。と言っても見下しているわけではなく、そう呼ぶのが適当だから呼んでいる、そんな感じで悪意はまったくないようだ。
エンさんは、クーさんを「相棒」、魔法使いを「ちび助」と呼んでいる。彼なりの愛称なのだろう。つまり、気にしたら負け、というやつだ。
背が高く、愛嬌がある。戦士としては平均的な体躯だが、貫禄がある。相反する性質を内包する不思議な魅力を持った人である。
そういえば、と記憶の片隅で消滅しそうになっていた案件を引っ張り上げる。
戦闘開始直後、通常のオークと異なる巨鬼の名称を考えておくようエンさんに命令、というか、頼まれていたのだ。直後に一つ、思い付きはしたが、戦闘中はすっかり頭から抜け落ちていた。
僕にとっては命懸けの戦いだったので、そこら辺は差し引いて考えてもらえると嬉しかったりするのだけど。竜にも角にも、ここで更に考える、などという選択肢はない。
戦闘のみならず、ここでも裨益することすら叶わないとなると、本当のお荷物でしかなくなってしまう。これまで氷焔に加入した人たちも、僕と似たような心境になったのだろうか。
「胸のところ、赤い塗料で描かれた、印のようなものがあるじゃないですか。それは彼らにとって何か意味のあるものだと思うんです。宗教的なもの、戦意高揚の手段、仲間意識の向上とか。ですので、賢い、という意味を込めて、『人喰い巨鬼』」
「おー、いーじゃねぇか。んじゃあ、そんで決まり」
「え? 決まりって、どういうことですか?」
見ると、クーさんが完成したらしい巨鬼の絵に上にオーグルーガーと書き込んでいた。
「正式な名称として決定。事前の目撃情報から、対象に名が付いていないことは確認済み。次に鉤爪オークが現れたとき、依頼書などにオーグルーガーと記載される」
「…………」
そんな簡単に決めてしまっていいのだろうか。と思いはするものの、命懸けの戦いは、精神にまで疲労を強いていたらしく、異議を唱えようなどという気力が湧こうはずもなく。
「さぁて飯ぃー飯ぃー。こぞーは血ぃ落としてこいよ。近くん湧き水あってよかったなぁ」
ばしんっ、と背中を叩かれたが、痛みはなかった。どうやら魔力を纏ったまま叩いたらしい。僕に付着した血で汚れたくなかったのだろう。
風向きが変わって、咳き込みそうになる。
火勢は衰えてきているのだろう。それは、燃えるものがなくなってきているから。じきに焼き尽くされるだろう。生命の痕跡、それさえも辿ることが難しくなっていく彼らに同情するなんて、以ての外かもしれないけど。
エンさんは穴の周辺に「火球」を放って、灰となった彼らを豪快に埋めてゆく。
呆気ないもので、巨鬼の姿はもうない。でも、この場所を離れる前に、偽善とわかっていてもやっておきたいことがあった。
ほんの少しだけ、巨鬼たちの為に祈る。
祈りを捧げるなど、僕たちに害された彼らが望んでいるとは思えないから。だから、少しだけ。
振り返ると、魔法使いが居た。とてとてと人型の暗色の塊は二人を追い掛けていった。見られていたようだ。気恥ずかしいので、何となく頭を搔いて誤魔化す。
「早く戻らないと、またエンさんに僕の分を食べられてしまうかもしれないな」
湧き水と泥で血を落として、服を着替えてから皆のところへ急いで戻った。
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