竜の国の魔法使い

風結

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プロローグ 旅立ち

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 山腹にある〝サイカ〟の里から下って、冠木門かぶきもんに到着。

 門柱に屋根はなく、笠木かさぎを通しただけの簡素な造り。にしう〝サイカ〟の学舎に通じているとは誰も思うまい。

 竜が首を突っ込む、などという古事から、竜首門などと呼ばれたりもするが、市井人しせいにんからすればあながち間違いとも言えない。〝サイカ〟を輩出するとなれば、しか想見そうけんするのもむべなるかな。

 ふぅ。僕でも感慨深く思うものらしい、雰囲気に酔ってしまい言葉が硬くなっているようだ。

 古語時代に設置されたのだろう、いかめしいが周期をけみした枯れた風合ふうあいは、優しい心地で目に馴染む。そのまま見上げて、空へと視線を遣って、

「ーーっ」

 ふわりと、迷い込んだ白い風。笠木の陰に隠れた純白の翼を追うも、棚引く雲が邪魔をして竜影を確認することは出来なかった。

「どうした、リシェ。『星回竜ほしまわりゅう』でも見っけたかぁ」

 後ろから嫌な声が聞こえてくる。悪友ーーと一応、友人の枠にくくっている青年。

 相手に気付かれないよう背後に立つ、という彼の悪趣味に付き合ってやる義理はないのだが。

 はぁ、油断した。こちらでは僕の完勝だったのに、最後の最後にられてしまった。

「もう門を下るんだから、その語呂ごろが悪い呼び方、止めてもいいだろ?」

 元々は「幸運の白竜」と、吉兆の知らせと受け取っていたのだが。陳腐ちんぷだと言い出してからかってきたエクと勝負して、完敗してしまった。
 
 まさか僕より嘘が得意な、もはや嘘で作り上げたような人間が存在しているとは思いも寄らなかった。

 星回り、と、竜、をくっ付けて、「星回竜」。何度聞いても間抜けな響きである。

 エクが、巷間こうかんで『竜患りゅうわずらい』との隠語を用いられる類いの者であると知ったのは、認定試験で組まされるようになってからだった。僕は僕で悪目立ちしていたので、彼と同期になってしまったのが運の尽きか。

 顔の作りは悪くないのに、総髪そうはつで常に嫌らしい笑みが貼り付いているので、胡散臭さが大爆発している。粗悪品しか売り付けない商売人のようである。

「仕様がねぇなぁ。あんまリシェをいじめるとアルンさんに睨まれるからな、ひゃひゃっ、これくらいで許してやるよ」
「はいはい。餞別せんべつとしてありがたく貰っておくよ」
「そうかそうか、じゃあ、次に会ったら半分くらい返せよ」
「わかったわかった。竜を付けて返してやるよ」

 こんなどうでもいい会話もこれで最後かと思うと、名残惜なごりおしいーーとかそんなことはまったくない。良くも悪くも、エクは他人の心に踏み込んでこない。敢えてそうしているのだろうが、「竜患い」もここに極まれり。もしかしたら、彼なりの信念なのかもしれない。

 もう一度見上げるが、新しい風を見付けたのか白竜は憧憬しょうけいの彼方へ。

 門を下る、旅立ちの日に遣って来てくれた白竜に、長いようで短かった六周期を思い起こそうとして、

「おっ、誰か来たみてぇだな」

 エクの声で現実に引き戻される。然し、未だ幻想の最中さなかにあるのかと錯誤さくごに陥りそうになる。

 華やかな風が吹いてくる。

 見るから貴族であるだろうと思わせる、白を基調としたドレス姿の女の子。

 かし、「幸運の白竜」は彼女を祝福しに来たらしい。って、いやいや、自分に自信がないとはいえ、そこまで卑下ひげすることはないだろう。

 白竜が転生したのではないかと思えるような白髪の女の子は、左の道から遣って来る。

 右の道は、外界へと一直線に繋がっている。左の道は、嫌がらせのように、と言うか、嫌がらせのーーいや、試練の道である。

 門へと至る、最初の試練。自らの力で門を潜らなければならない。そう、這ってでも。誰の力も借りず、意思を示さなければならない。

 彼女の後ろに師範が追行ついこうしている。荷物は持っていない。只管ひたすらに、地を見て歩いて、今にも倒れそうなくらいに疲弊ひへいして、すぐそこに門があることにも心付こころづいていないようだ。

「可愛いおべべを着てまぁ、ーー

 おべべって、はぁ、エクにとっては見世物のようなものなんだろうけど。

 エクを楽しませてしまっている、推察できる事柄が、彼の後ろの言葉に集約されている。

「ーーーー」

 険しい道を、ドレス姿で登ってくるなど、正気の沙汰ではない。しもやは彼女は荷物を背負っていない。そう、可哀想に、女の子はドレスあれしか着るものを持っていないのだ。

 相応の事情があるようだ。服もそうだが、靴も。あんな綺麗な、何より歩き難い靴では、靴擦くつずれを起こしているだろう。

 彼女は〝サイカ〟の里に遣って来た。目にまるだけの才があるということだ。であれば、服や靴に手を加えて歩き易くすることも出来たはず。

 然し、誇りか、意地か、或いは他の何かか、女の子は苦難の道を自ら選んだ。

 きっと、門を潜る際に見せる、彼女の目が教えてくれるはず。

 僕が門を潜ったのも、女の子と同周期の頃だった。兄さんとの道行みちゆきだったので、ひとりで遣って来る彼女を見るに付けて、申し訳ない気持ちにさせられてしまう。

 エクが真ん中に行って邪魔をしようとしたので、彼をともなって道の端に寄る。

「着いたよ。この門から向こうが、〝サイカ〟の里だ」

 師範の、普段とは異なる優しい声に、女の子が顔を上げようとした刹那にーー、

「っ!!」

 閃いた金の瞳が僕を捉えて、右腕が突き出される。門柱の、僕の顔の高さにある部分が、がりっ、と削られる。

 師範が彼女の腕をずらしていなければ僕の顔に直撃していたかもしれない。

「ひゃひゃっ、危ねぇ危ねぇ~。いやはや、おっかないお嬢さんだねぇ」

 咄嗟とっさに僕の背後に隠れたエクは、背中からひょいっと顔だけ出して、彼女の罪悪感を殊更ことさらに刺激する。彼は僕の特性のことを知っているので、盾にしたことは責めないが。

「はぁ。忘れていたよ、リシェ君。君は、ね」

 悪友よりもこちらの対処のほうが先のようだ。さうず、門を目の前に気が抜けたのか、倒れ掛けた女の子を支えてぇぐっ、

「っ!?」
「ぐぇっ」

 ……中々に良い拳打をしていらっしゃる。横腹の痛みをこらえながら、体勢を崩した女の子を立たせてあげる。

「今のは、リシェ君が悪いな」
「ああ、リシェが悪い。もはや世界の法則だなぁ」

 酷いや、二人とも。一応善意でやったんだから、もう少し言葉をにごしてくれてもいいだろうに。

 自分の行動にぽかんとしていた女の子だが、性根が腐っているエクと違って良い子のようだ、僕に謝ろうと踏み出して、

「きゃっ」

 足の痛みがぶり返したのか、倒れ込む。今度は助けず、師範に要請する。

「ほら、門を潜りましたよ。早く『治癒』を施してあげて下さい」

 今ので足の皮がけてしまったのかもしれない。激痛に涙を堪えて、弱音を吐くまいと歯を食い縛っている女の子。

「『治癒』はーー」
「ほ~れ、ほ~れ、二重ダブルの治癒魔法だ! 食らえ~いっ」

 「治癒」を拒もうとした彼女の言葉を遮って、「竜患い」のエクが師範と一緒に治癒魔法を施す。人の嫌がることをするのが大好きなエクだが、このときばかりは止めることはしない。

 諦めたのか、つやのある白髪の女の子は大人しく「治癒」を受け容れる。

 治療を終えて立ち上がった女の子は、僕を見上げて、麦畑を渡る風の心象がある、吸い込まれるような金瞳に猜疑さいぎを宿して詰問きつもんした。

「あの……、あなたは何者ですか……?」

 まぁ、難詰なんきつに聞こえてしまったのは、僕の心持ちの所為せいだろう。

「ふっふっふっ、聞いて驚け! 此奴こやつこそは『神遁しんとん』の二つ名を持つ男っ、神すら逃げ出すと言われたその力っ、とくと味わうがいい~~っ!」

 馬鹿、もとい天の邪竜エクは放っておくと厄介なので、しっかりと訂正しておかなければ。

「サナリリス君。これは忠告だ。里で、リシェ君に損傷ダメージを与えたと、そのたぐいのことを言ってはいけない。まぁ、君が注目されたいのなら、止めないがね」

 注目されない、というのは無理だろう。白竜の祝福を受けたような風付ふうつきに、怜悧れいりな意志が垣間見える整ったかんばせ

 僕のことを抜きにしても、耳目じもくを集めてしまうだろう。

「どうせなら、きちんと訂正して下さい。神水準の逃げ足だ……と?」

 ん? 何だろうか、師範が哀れな子羊を見るような目を向けてくる。

「兄は『俊才しゅんさい』。弟は『神遁』。十周期は語り継がれるだろうね。ただ、それは君がやらかさなければ、の話だ」
「…………」
「何故だろうね。君は普通に見えて、そのじつイクリア君よりも厄介だった。君が何もしでかさないことを、私は祈っているよ」

 おかしいなぁ。そこまでやらかした記憶はーー、うん、少ししかないというのに。

 言外げんがいに、里には迷惑を掛けてくれるなよ、と忠告、もとい警告をしてくる師範。次いで、彼はエクにも、門を下る教え子に言葉を贈る。

「イクリア君。ーー君は頑張るな。止めても、いましめても無益むえきだろうが、これだけは言っておく。竜にも角にも、始末だけはきちんと付けなさい。そうすれば、三周期以内に、笑いながら死ぬことにはならないだろう」

 何やら凄いことを言われているが、僕らと係わり合いになるのはこれで最後なので、心からの言葉なのだろう。

 エクには無意味だろうが、僕は恩師の言葉に殊勝しゅしょうに耳を傾けることにする。まぁ、ではどうすればいいのかについては、答えを貰えなかったのだけど。

「で、これどーすんだ?」

 エクが門柱を指差す。それなりに貴重な竜首門が傷付いている。

 特性のことを忘れていた僕の所為とも言えるし、魔法を放ったらしい女の子ーーサナリリス、そして咄嗟に軌道を変えた師範の所為だとも言える。

「見なかったことにしよう」

 にまにましているエク以外の皆さんは、竜に乗る勢いで僕の提案にどうじてくれる。

「六周期、お世話になりました」

 エクの頭を掴んで一緒に下げると、語り尽くした師範は、一つ頷いて、サナリリスを伴って里に戻ってゆく。自ら選んだ道でないとはいえ、人生の重要な期間での六周期は、決して小さくない想いを魂に刻んだ。

 頭を上げると、女の子が驚いている姿が見えた。彼女の視線を辿ると、黒曜の瞳とがっつりと合ってしまった。

 ……あー、これは駄目だ、逃げられない。いや、逃げ切れるだろうけど、逃げたらきっと、破滅的な何かを齎してしまう気がひしひしと。

「知り合いかしら。随分と仲が良いようですね」

 どうやら彼女は、遠くから僕がサナリリスを支えたのを見ていたらしい。そして、横っ腹を打擲ちょうちゃくされたことには気付いていないようだ。

「あー、何だ、カレンさんよ、知らなかったのか? あの幼女は、リシェの婚約者だぞ」
「っ!?」

 殺意、という言葉を目で表現したら、きっとこんな双眸そうぼうになるのだろう。

 いや、ちょっと現実を直視したくなくて、余計なことを考えていました。って、いやいや、すでに剣に手が掛かっているので、今すぐただちに至急に可及的速かきゅうてきすやかに誤解を解かなければっ!

「カレン。カレンはエクが嘘吐きだと知っているのに、どうして騙されてしまうのかな?」

 心臓がばくばくだが、溜め息を吐きつつ呆れたふうを装う。

 これは以前から不思議なのだが、冷静沈着な彼女は、時々ころりとエクに騙されてしまう。そして何故か、僕が八つ当たりの対象になってしまうのだ。

「なっ、ななっ、な、何もかも、あなたが悪いのですっ、ランル・リシェ!」

 どうにも対処のしようがなく、カレンから目を背けると、予想通り、諸悪の根源であるエクがとんずらこいていた。

 まぁ、こんな別れ方が僕たちらしくていい。東域に、故郷に帰ると言っていた悪友。もう二度と会うことはないだろうが、エクのことである、ひょっこりと何処どこかで出くわすことになるかもしれない。

 どうでもいいエクのことは頭の中からほっぽり出して、今はサナリリスでさえ見惚れた少女のことである。

「というか、何でここにカレンが居るの?」

 里では今、お別れ会という名の告白大会が開催中である。

 門を下る前に、懸想人けそうびとが最後の戦いに挑んでいる。意中いちゅうの人に、運命を懸けた決戦にのぞむ者もいる。

 ある意味、大会の主役であるはずの彼女が、何故こんなところに居るのだろうか。

「……何で、も何も、あなたは私に挨拶もなく去るつもりだったのですか」
「えっと、挨拶は昨日、したよね?」
「ーーっ」
「って、何かよくわからないけど、ごめんっ、謝るから許して!」

 カレンは、僕が里に遣って来てから、最初にやらかしてしまった相手である。それ以来、ずっと嫌われたまま、その一件が里に知れ渡って、女性陣からは総すかんを食らってしまった。

「……ランル・リシェ。あなたは私に何か言うことは……ないのですか」

 背後の竜。やばい、これは返答を間違えたら地の国へと直行便ごしょうたいってやつだ。

 余程腹にえかねたものがあるのか、炎竜の炎を宿したかのように上気している。

「ーーカレンは、何処に向かうか決めているのかな?」
「私はお爺様のすすめで北方にーー」
「そうなんだ。僕は南方に向かうから、もうカレンの邪魔はしないから、大丈夫だよ」

 真っ正直な彼女のことである。僕に謝られるようなことは望んでいないだろう。

 なぜ彼女に嫌われているのか、最後までわからなかった唐変木とうへんぼくだけど、別れの言葉はーーって、何で無言で片手剣を抜いているんですかカレンさん!?

「ーーランル・リシェ。剣で千回斬られるのと、山麓さんろくまで私に同行するのと、どちらをご所望しょもうかしら」
「ちょ、待っ、カレン! それ、僕に選択肢ないからっ!!」

 不貞腐ふてくされるように、ぷいっと横を向いてしまった同期の少女。

「知りませんっ。ほら、早く行きますよ!」
「これで最後だし、ゆっくり下りようよ」

 炎竜だけでなく氷竜も一緒に宿したらしいカレンが、相反する感情がごちゃ混ぜになっているのか、怒るんだか喜んでいるんだかわからない表情をしているのだが。

 はぁ、周期頃の少女の心は本当に摩訶不思議である。

 これから僕らは〝目〟として、〝サイカ〟に至る為に、日夜研鑽けんさんを積んでいかなければならない。然あれど、僕の目的はそれとは異なる。〝目〟がやらないようなことをする必要がある。

 そうだなぁ、やっぱり冒険者から始めてみようか。

 再び、空を見上げる。穏やかな天気だが、もう少しすれば炎竜が喜ぶような熱波が襲ってくる。

 それまでに、どの団に所属するか決められればいいのだが。先行きの見えない道に、不安と、それに倍する期待が胸に溢れてくる。

 爽やかな風に包まれながら門を下って、最初に行うのは、知識と想像力の神サクラニルに、良き旅になるよう祈ることだった。のだが、その前に。

 まるで僕の前途を予感させるような、出だしからのつまずきに、内心で盛大に溜め息を吐く。

「でも、それも僕らしくていいかな」
「何か、言いましたか?」

 女心と炎竜氷竜きまぐれなりゅう

 どうやら僕は、左の道に行こうとおまわりしようとしているご機嫌な彼女を、説得するところから始めなければいけないらしかった。

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