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雷鳴
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雷守の執務室である、「雷鳴」。
室内の様に、所見を述べようとしたがファタに先回りされる。
「最近、アーシュさんがシィリさんを連れ回していますので、執務室が荒れ放題です」
「そーいや、ワーシュの部屋も、見兼ねたホーエルがよく掃除してたっけな」
「さ~てさて、何のことやら水竜暗竜~」
水竜と暗竜を捜して、そっぽを向くワーシュ。
コルクスの言う通り、我慢ならなかったのか、見兼ねたホーエルが部屋を掃除中。
ホーエル以外の皆は、ファタの不精の尻拭いなどしたくないようだ。
「ところでですが、用を足したいので、この糸を解いていただけませんか?」
「問題ない。僕は気にしないから、限界になったらそこで漏らせばいい」
ファタなら遣り兼ねない。
そう思ったが、たぶん僕は、ファタがそこまでするほどの相手ではないはず。
露骨に嫌そうな顔をしたワーシュが騒ぎ出そうとしたので、始めることにする。
「二日後に、先のことについて話そう。ファタが人払いを希望しているようだから、ホーエルもそのくらいでいい」
「中途半端は嫌なんだけど、……仕方がないかな」
「ケモちゃ~ん。まったあっした~ん!」
「……ケモ」
いつもとは逆に、ワーシュに止められて強制退場のホーエル。
ワーシュの積極的な態度に、自身の怯懦を恥じながらも、一生懸命にケモは手を振る。
ワーシュから見えない位置で、ぎこちない笑顔を浮かべたコルクスが手を小さく振る。
嬉しかったのか、両手を大きく振るケモ。
ケモに優しく頷いたエルムスは、部屋を辞す前に、ファタを一瞥。
竜の国に来てから、多くのことを学んだエルムス。
だが、ファタと昵懇の間柄になることには拒否感があるようで、何も言わずに立ち去っていく。
「ケモ?」
「マーキング? わかった、ケモ、お願い」
「ケモっ」
意を決して僕から離れると、ケモはファタに向かってーー行かなかった。
真横に歩いていって、壁にぺたり。
壁伝いに、障害物を避けつつ、ファタの視線も逃れて、椅子に座っている雷守の背後に。
ケモの呼吸が乱れていた。
ケモにとっては、精神的にとても長く、遠い道程だったようだ。
「終末の獣」の気配を背後に感じたファタは、恥も外聞もなく僕に助けを求めてくる。
「えっ、いえ、冗談ですよねっ、魔力を引っ掛けられるのはちょっと、……というかっ、後ろから何か凄いのが来ています!? お願いですっ、とっ、止めてください!?」
「魔触」でファタに「触れて」しまったからわかる、わかってしまう。
竜の許で育ったファタは、市井人よりも魔力に対しての感覚が優れている。
それの悪影響と言うべきか、リシェやケモの、潜在する魔力を感受してしまっているようだ。
「ケモモ~ケモモ~ケモケモモ~」
「っ……」
みー直伝の謎舞踊が気に入ったのか、ケモはマーキングの儀式を行う。
訳がわからず、ファタが気絶しそうだが当然、放っておく。
「ケモケモケモケモっケモケモモ~」
「っ、っ、っ」
「上手くいったようだ。戻っておいで、ケモ」
「ケモ~っ」
想いが先走ったのか、両手を床に着けると、四つ足で走って戻ってきた。
背後に回る間も惜しんで、正面から僕の足を抱き締めると、ぎゅ~と……骨が折れそうだったので魔力を纏う。
力の制御がまだ完全ではないようだが、ケモならすぐに学び取るだろう。
「……さすが『侍従長のお気に入り』。遣り様が、侍従長にそっくり…です」
「僕はリシェとは違う。だが、リシェから学ぶところは、少なからずある」
確かに、リシェから学ぶところはあるのだが。
ファタにもわかっているようで、嫌らしい笑みを向けてくる。
「確かに、アーシュさんと侍従長は、違います。あなたも気付いているようですね。侍従長の怖さの一つーー性質のことを」
「リシェ自身、まだ気付いていないのかもしれない。本当に恐ろしいのは、リシェの能力でも力でもない。ーー持ち直したのなら、そろそろ話を始めよう」
僕が告げると、明らかな不満顔。
愚痴くらいは聞いてあげるのが筋だろう。
「はぁ、私を捕らえる為の依頼を、浪費と思わないなんて、本当に、どうかしています。ぐちぐちぐちぐちグチグチグチグチ」
ぐちグチ言い始めた。
良くも悪くも、ファタは僕より上だ。
今のところ、経験と実績では遥かに及ばない。
精神的な意味で、「ぐちグチ」を聞いてあげられなくなった僕は、敗北を認めて本題に入ることにした。
「グチグチグチグチぐちぐちぐちぐち……」
「言わなくてもわかっているだろうが、リャナのことだ」
「シィリさんが雷竜で働くことを許可しただけで、彼女に関し、私は何の権限も有していません」
「それはわかっている。ファタにとって、リャナは居ても居なくても、何一つ影響はない」
僕の断定に、ファタは笑みを浮かべた。
話をするに値する、くらいには思ってもらえたようだ。
「リャナは優秀で、仕事熱心。周りから見れば、よく働いているように見えるが、ファタの仕事量は変わらない」
「そうですね。シィリさんが居なくなれば、その分の仕事を別の人にやってもらうだけです。ただ、何も変わらないわけではありません。シィリさんが居れば、仕事をしてくれる人たちの、やる気や志気に影響します」
ファタは一切の、感情の乱れなく言って退けた。
ファタの魔力の状態を知らせてくれたケモは、不思議そうに雷守の、笑っているようで笑っていない顔を見た。
ファタは。
言うなれば前哨戦だ。
こんなところで躓いてなどいられない。
「今朝、侍従の、ガルという少年が遣って来て、ニーウ・アルンの手紙を置いていった。そのあと、皆にニーウ・アルンの『依頼』を見てもらった。休養の間に、東域に戻るかどうか考えてもらうことにした」
「ガル君から受け取ったのは、侍従長の兄からの手紙だけでしょうか」
エルムスでも気付かなかったことに、ファタは容易に至る。
とはいえ、これは情報量の差が大きい。
ファタは会話を楽しんでいるようだから、そこにも触れてみるとしよう。
「リシェは、ファタをまったく信用していないのに、多くの情報を渡している」
「ええ、私は信用されていないので、信用されています。そうは見えないかもしれませんが、これでも侍従長に巻き込まれないように苦心しています」
「ーーそのリシェからの紙が、これだ」
僕は、皆に見せなかった二枚の紙を、拘束されているファタの目の前に持っていく。
当然というべきか、巻き込まれたくないファタは、目を閉じて断固拒否の構え。
「正直、これを皆に見せる気にはならない。紙に関して、ファタが相談に乗ってくれないというのなら、交渉材料にする」
「私と交渉ですか? 紙を見ないで済むのでしたら、ある程度の便宜は図ってあげられますが。侍従長の下僕である私に出来ることなど、高が知れています」
ファタはお道化てみせる。
無意味な、がらんどうな演技。
「ケモ?」
「うん。それはわからなくても仕方がない」
ケモに答えてから、再び心に力を入れる。
ここまでは上手くいった。
僕だけの力だけでは足りないので、ファタの天敵である、邪竜の威を借るギザマル。
紙と引き換えに望むのは。
聞く人が聞けば、首を傾げるであろう内容。
それでも僕は、これが最も重要であると判じて、天秤の片側に載せる。
「リャナの、邪魔をしないで欲しい」
ファタの、笑みでない笑みに、微笑の色がちらつく。
何か、ではなく、すべて。
ある意味、最も困難なことを突き付ける。
「出来ないことを要求するなど、まったく。人にとって、何が邪魔になるかなど、本人にだってわからないでしょうに。そんなことを私にしろと、アーシュさんは仰るのですか?」
「そんなことをファタにしろと、僕は望む」
ファタはこれから、僕に言うことがあるようだ。
ファタが何を言うかわかっているが、それを聞かないわけにはいかない。
「大人には、頼るものです。自分が何をしようとしているのか、きちんとわかっていますか?」
「みーの言う通りだ。わからないけどわかった。そう信じて、前に進むしかない」
「おうさま」に憧れていた、あの場所から、僕もまた歩き出さなければならない。
そうして気付く。
王様になれなかった、手放してしまった僕の、本当の望みに。
「ケモっ!」
「ありがとう、ケモ。一緒に作ろう」
僕の願いがケモに伝わって。
ケモの想いもまた、僕に伝わって。
僕の透明がケモの世界に響いて、ひとつの宝物になる。
ケモとの出逢いを、神にーーもとい、「半神」に感謝する。
必須ではないが、「半神」と「魔法王」にも会っておきたい。
出来れば、リシェと会う前に。
「僕とケモが羨ましいのなら、育ての竜に会いに行けばいい。今なら、昔とは違う、何かがあるかもしれない」
「嫌な予言をしてあげます。アーシュさんは未来で、必ず誰かに裏切られるでしょう。そのときになっても今と同じことが言えるのでしたら、手紙でも何でも寄越してください。予言を外したということは私の負けですので、ーー手紙は読まずに燃やしてしまいます」
「ケモ~」
捻くれた人間の心を理解出来るようになるには、まだ時間が掛かるようだ。
もう用は済んだ。
ケモを促して、執務室を辞す。
後ろから何かが聞こえてきたような気がしたが、僕とケモの心は一致していたので、世の雑音など無視する。
「ちょっ、いえいえ、糸っ、解いていってください! 嘘ではなくてっ、漏れ、ぅぐ、もうちょっとは我慢出来ますが……」
「リャナ。丁度良かった。今、『雷鳴』は使用禁止だ」
「ケモ」
扉を閉めて、近付いてきたリャナに話し掛けたのだが。
リャナの空色の瞳は、頭を下げて頷いたケモに釘付けだった。
「……可愛い」
「ケモ? ……ケモ!?」
薄々、そんな予感はしていた。
迷宮での、ケモに向けられていた、リャナの視線。
皆は、ケモに触れたくとも、我慢してくれていた。
ワーシュでさえも、欲望を聖竜に食べさせて抑えていたというのに。
リャナは自制心が強いように見えて、こちら方面の耐性はユルユルだったらしい。
夢遊病者のようにフラフラと歩いてくる。
「ギィ~っ」
「ケモ~っ」
リャナがケモに夢中であることが気に入らないのか、リャナの潰れ三角帽子の上のギル様が抗議のぴょんぴょん。
ケモを守ると誓ったが、まさかこんな近くで事案が発生。
僕は左に動いて、リャナの前に開かる。
ぽすんっと僕にぶつかったリャナは、僕の背中に腕を回してーー。
「ケモ。気付くまで待っていたほうがいいと思う?」
「ケモ、ケモ」
「え? 気付いたあとに、逃げられないように鹵獲、ではなく捕獲したほうがいい?」
「ケモ~、ケモっ」
「ケモちゃ~ん? ふあふあなケモちゃんなもふもふなケモちゃんなはずなのに、思ったよりも硬くて太くて立派で……?」
「ああ、リャナ。こんばんは」
「……ケモちゃんがライルさんに変身しました」
真顔で言われたので、ちょっと怖かった。
なので、捕獲出来なかった。
「っっっ!!!???」
「ケモっ、背中に!」
混乱の極みにあるリャナは、野生の猫よりすばしっこかった。
或いは、精神を仔炎竜に焼かれてしまって、通常以上の力を発揮していたのかもしれない。
邪竜から逃げるどころか、聖竜をぶち殺す勢いで、周囲に被害を振り撒きながら遠ざかっていく。
魔力なのか糖蜜なのか、しっかりと三角帽子にくっ付いているギル様。
黒い毛玉であるギル様の、毛の色つやが良くなっていた。
リャナが手入れをしたのだろう。
「ケモ」
「了解。短期決戦は諦めた」
リャナの匂いを辿れるようなので、速度を落とした。
魔力量は、リャナより僕のほうが多いので、じきに追い付くだろう。
「雷爪の傷痕」を出ると、ケモがリャナの行く先を教えてくれる。
「ケモ、ケモ」
「ありがとう、ケモ。でもね、人間というのは結構、狡賢い生き物でもあるんだ」
「ケモ?」
建物の裏で僕が足を止めたので、ケモは不思議そうに首を傾げた。
それから、リャナの魔力が逃げていく方角を見る。
「……気付いていたのですか、ライルさん」
「ケモ!?」
建物の陰からリャナが姿を現したので、驚愕するケモ。
リャナは潰れ三角帽子を被っておらず、ギル様はリャナの肩に乗っていた。
「リャナの魔力なら、僕は決して見逃さない」
「……っ」
「ケモ?」
持病を発症してしまったリャナを、ケモは心配そうに眺めていた。
ケモの視線が、再び森に向いたので説明する。
「枝や葉っぱなど、何かに魔力を籠めて誘導した。『結界』を張ればバレるから、別の方法で偽装。今回は、ケモの鼻を誤魔化せたことからして、普段から身に着けているーー三角帽子を魔力操作で囮に使った」
「……ケモ」
森から戻ってきた潰れ三角帽子と、帽子を被っていないリャナを交互に見て、頻りに感心するケモ。
感覚が鋭い故の、隙。
相手を把握出来ていたので、逆に警戒心が薄れてしまった。
このリャナの狡猾さは、魔香の素材を探しているときに磨かれたものだろう。
竜の国に移住する前は、足が鍛えられるほど野山を巡っていたはず。
「ケ~モ」
「うん、そうだね」
次からは、この程度の偽装ではケモは騙されない。
それに、今回は上手くいかなかったが、ケモともっと深く繋がれば、連携を取れるようになるはず。
戻ってきた帽子を掴むリャナ。
ギル様は、リャナの肩から帽子の上に。
「ギィー」
不満の表明なのか、ギル様は帽子の上をギザギザに転がっていた。
「……ケモちゃんと、仲が良いです」
「座ろう」
今は何を言っても無理そうなので、返答をせず行動で示す。
以前、ワーシュと座った腰掛けに、リャナと座る。
ケモは腰掛けの後ろに回ろうとしたが、迷っていたので横を空ける。
僕を挟んでリャナの反対側に、肘掛けと僕の隙間にケモがちょこんと座ると。
僕がケモと仲がいいことに嫉妬しているのか、じっと僕を見てきた。
「リャナがケモを大好きなのは知っているが、僕がケモと一緒に居るのを許して欲しい」
「えぇっ!? ええええっと、ちっ、ち、ち違います!!」
「ケモ?」
「ギィ?」
「ああ、『父が居ます』ではなく、吃って、『違います』の上に『ち』が余計に付いたんだ」
リャナの父親を捜していたケモとギル様に説明する。
他にも疑問があったようでケモが尋ねてくる。
「ケモ?」
「大丈夫。リャナは優しいから、僕を嫌いになったりはしないよ」
「……ケモ?」
「僕の勘違い? ケモじゃなくて、僕?」
「ギィ~」
「あっ、あのっ、それでどのような御用件でしょうか!」
何か忽せに出来ないことでもあったのか、リャナは僕とケモの会話に割り込んでくる。
何故かリャナは切羽詰まっているようなので、用件を切り出すことにする。
「リャナは、『魔法使い』の称号を得る為の、認定試験は受けないのか?」
「え? あ、はい」
想定外の質問だったのか、目をぱちくりさせるリャナ。
リャナは「地竜の杖」を持っていない。
ワーシュが以前、言っていた。
杖や道具は、魔力的に馴染むまで時間が掛かると。
急いで馴染ませる必要はないと、リャナは仕事を優先させた。
「ミャンは認定試験を受ける。僕は、リャナにも受けて欲しい」
「……っ」
「ケモ」
「え? そんなに見詰めたら、駄目?」
「ケモ、ケモ」
「っ……」
何故だろう、話が進まない。
ケモの言葉の意味は理解出来ていないはずなのに、何故かリャナはケモの言葉に動揺している。
順を追って話そうかと思っていたが、先に見せてしまったほうがいいのかもしれない。
僕は、ニーウ・アルンの手紙を、リャナに差し出した。
「僕たちへの、そして僕への、ニーウ・アルンーーリシェの兄からの手紙だ」
「依頼……ですか?」
戸惑いつつも、リャナは手紙を受け取った。
ニーウ・アルンの能筆を、リャナの瞳が追っていって。
最後は、瞬きを忘れたかのように、目を見開いて読み切った。
「……暗竜エタル…キア?」
「朝、皆にも手紙を読んでもらった。一つ目の依頼は、暗竜エタルキアの『捜索』の依頼」
「侍従長やヴァレイスナ様でも、ーー無理なのでしょうか。……いえ、もしかして竜に秘密でーー」
「いや、それは違う。リシェは、この一件を知っている」
聡明なリャナは、あっさりとこの依頼の不自然さに気付く。
そして、「聡氷」の称号を得られなかったことを証明するかのように、竜の翼は羽搏かない。
そして、もう一つ。
依頼、というよりは、提案。
「もう一つ。ニーウ・アルンは国を造ろうとしている。ーー皆が望むのなら、僕は東域に戻る」
「ケモ?」
「はは、ケモには隠し事が出来ないね。そうだね、僕自身が確かめる為にも、皆に力を貸してもらえるように頼まないといけない」
「ケモっ!」
「うん。心強いよ、ケモ」
僕とケモが話している間、リャナの反応はなかった。
考え込んでいるのではなく、頭が、思考が麻痺して、真っ白になっているのだろう。
「……ライルさんは、ケモちゃんに優しいです。あたしには……」
リャナの本音だろうか。
返答は期待していないようだったので、黙ったままでいる。
空気を読んだのか、静かにしているギル様。
転がって帽子から落ちると、リャナの掌の上に。
「僕は。ミャンは合格して、『青魔法使い』になると確信している」
「ーーっ」
「僕は。リャナには、杖を持って欲しいと思っている」
「っ……」
たぶん、伝わっていないだろう。
伝えようかどうか迷うが、僕は言葉を継ぐことで振り切る。
「僕は明日、竜の都に行く。リシェ、ヴァレイスナ、コウ、グロウ、あとーーファスファール。会えるかどうかわからないが、コウかヴァレイスナに会えたら、魔法陣のことについて尋ねるつもりだ」
「……魔法陣、ですか?」
「恐らく魔法陣は、基礎研究から行わなければならない分野だ。初期には、成果を残せないだろう。だが、誰かがやらなければ、発展もまた有り得ない。僕が思うに、この分野は、コウが苦手とするものだ。ーー魔力の多寡は関係ない。初期に求められる資質は、別のものだ」
「ケモ?」
「うん。それは今から言うよ」
「……?」
「リシェを通して、『会う約束』を取っている者が一人居る。それは、ダニステイルの纏め役である、マホメット・マホマールだ」
「纏め役に……?」
「そう、マホマールに会ってくる。何故、会うのか。それはリャナが、認定試験を受ける、と言ってくれたら教える」
意地悪をしたいわけではないが、結果的にそうなってしまったかもしれない。
頭の整理が付かないだろうリャナに、一方的に差し出す。
リャナが「地竜の杖」を掴み取ったときに決めたこと。
「アポ」ーー迷宮でリシェにした頼み事。
歩き出したリャナには、ミャンと違って複数の道がある。
歩き出していない、リャナを追い掛ける僕が、最後にすること。
「ケモ……」
「ギィ……」
ケモとギル様の、リャナを心配する声。
僕はケモを促す。
僕が立ち上がって、ケモも立ち上がって、一人と一獣が姿を消すまで。
掌のギル様を見下ろす、リャナからの返答はなかった。
室内の様に、所見を述べようとしたがファタに先回りされる。
「最近、アーシュさんがシィリさんを連れ回していますので、執務室が荒れ放題です」
「そーいや、ワーシュの部屋も、見兼ねたホーエルがよく掃除してたっけな」
「さ~てさて、何のことやら水竜暗竜~」
水竜と暗竜を捜して、そっぽを向くワーシュ。
コルクスの言う通り、我慢ならなかったのか、見兼ねたホーエルが部屋を掃除中。
ホーエル以外の皆は、ファタの不精の尻拭いなどしたくないようだ。
「ところでですが、用を足したいので、この糸を解いていただけませんか?」
「問題ない。僕は気にしないから、限界になったらそこで漏らせばいい」
ファタなら遣り兼ねない。
そう思ったが、たぶん僕は、ファタがそこまでするほどの相手ではないはず。
露骨に嫌そうな顔をしたワーシュが騒ぎ出そうとしたので、始めることにする。
「二日後に、先のことについて話そう。ファタが人払いを希望しているようだから、ホーエルもそのくらいでいい」
「中途半端は嫌なんだけど、……仕方がないかな」
「ケモちゃ~ん。まったあっした~ん!」
「……ケモ」
いつもとは逆に、ワーシュに止められて強制退場のホーエル。
ワーシュの積極的な態度に、自身の怯懦を恥じながらも、一生懸命にケモは手を振る。
ワーシュから見えない位置で、ぎこちない笑顔を浮かべたコルクスが手を小さく振る。
嬉しかったのか、両手を大きく振るケモ。
ケモに優しく頷いたエルムスは、部屋を辞す前に、ファタを一瞥。
竜の国に来てから、多くのことを学んだエルムス。
だが、ファタと昵懇の間柄になることには拒否感があるようで、何も言わずに立ち去っていく。
「ケモ?」
「マーキング? わかった、ケモ、お願い」
「ケモっ」
意を決して僕から離れると、ケモはファタに向かってーー行かなかった。
真横に歩いていって、壁にぺたり。
壁伝いに、障害物を避けつつ、ファタの視線も逃れて、椅子に座っている雷守の背後に。
ケモの呼吸が乱れていた。
ケモにとっては、精神的にとても長く、遠い道程だったようだ。
「終末の獣」の気配を背後に感じたファタは、恥も外聞もなく僕に助けを求めてくる。
「えっ、いえ、冗談ですよねっ、魔力を引っ掛けられるのはちょっと、……というかっ、後ろから何か凄いのが来ています!? お願いですっ、とっ、止めてください!?」
「魔触」でファタに「触れて」しまったからわかる、わかってしまう。
竜の許で育ったファタは、市井人よりも魔力に対しての感覚が優れている。
それの悪影響と言うべきか、リシェやケモの、潜在する魔力を感受してしまっているようだ。
「ケモモ~ケモモ~ケモケモモ~」
「っ……」
みー直伝の謎舞踊が気に入ったのか、ケモはマーキングの儀式を行う。
訳がわからず、ファタが気絶しそうだが当然、放っておく。
「ケモケモケモケモっケモケモモ~」
「っ、っ、っ」
「上手くいったようだ。戻っておいで、ケモ」
「ケモ~っ」
想いが先走ったのか、両手を床に着けると、四つ足で走って戻ってきた。
背後に回る間も惜しんで、正面から僕の足を抱き締めると、ぎゅ~と……骨が折れそうだったので魔力を纏う。
力の制御がまだ完全ではないようだが、ケモならすぐに学び取るだろう。
「……さすが『侍従長のお気に入り』。遣り様が、侍従長にそっくり…です」
「僕はリシェとは違う。だが、リシェから学ぶところは、少なからずある」
確かに、リシェから学ぶところはあるのだが。
ファタにもわかっているようで、嫌らしい笑みを向けてくる。
「確かに、アーシュさんと侍従長は、違います。あなたも気付いているようですね。侍従長の怖さの一つーー性質のことを」
「リシェ自身、まだ気付いていないのかもしれない。本当に恐ろしいのは、リシェの能力でも力でもない。ーー持ち直したのなら、そろそろ話を始めよう」
僕が告げると、明らかな不満顔。
愚痴くらいは聞いてあげるのが筋だろう。
「はぁ、私を捕らえる為の依頼を、浪費と思わないなんて、本当に、どうかしています。ぐちぐちぐちぐちグチグチグチグチ」
ぐちグチ言い始めた。
良くも悪くも、ファタは僕より上だ。
今のところ、経験と実績では遥かに及ばない。
精神的な意味で、「ぐちグチ」を聞いてあげられなくなった僕は、敗北を認めて本題に入ることにした。
「グチグチグチグチぐちぐちぐちぐち……」
「言わなくてもわかっているだろうが、リャナのことだ」
「シィリさんが雷竜で働くことを許可しただけで、彼女に関し、私は何の権限も有していません」
「それはわかっている。ファタにとって、リャナは居ても居なくても、何一つ影響はない」
僕の断定に、ファタは笑みを浮かべた。
話をするに値する、くらいには思ってもらえたようだ。
「リャナは優秀で、仕事熱心。周りから見れば、よく働いているように見えるが、ファタの仕事量は変わらない」
「そうですね。シィリさんが居なくなれば、その分の仕事を別の人にやってもらうだけです。ただ、何も変わらないわけではありません。シィリさんが居れば、仕事をしてくれる人たちの、やる気や志気に影響します」
ファタは一切の、感情の乱れなく言って退けた。
ファタの魔力の状態を知らせてくれたケモは、不思議そうに雷守の、笑っているようで笑っていない顔を見た。
ファタは。
言うなれば前哨戦だ。
こんなところで躓いてなどいられない。
「今朝、侍従の、ガルという少年が遣って来て、ニーウ・アルンの手紙を置いていった。そのあと、皆にニーウ・アルンの『依頼』を見てもらった。休養の間に、東域に戻るかどうか考えてもらうことにした」
「ガル君から受け取ったのは、侍従長の兄からの手紙だけでしょうか」
エルムスでも気付かなかったことに、ファタは容易に至る。
とはいえ、これは情報量の差が大きい。
ファタは会話を楽しんでいるようだから、そこにも触れてみるとしよう。
「リシェは、ファタをまったく信用していないのに、多くの情報を渡している」
「ええ、私は信用されていないので、信用されています。そうは見えないかもしれませんが、これでも侍従長に巻き込まれないように苦心しています」
「ーーそのリシェからの紙が、これだ」
僕は、皆に見せなかった二枚の紙を、拘束されているファタの目の前に持っていく。
当然というべきか、巻き込まれたくないファタは、目を閉じて断固拒否の構え。
「正直、これを皆に見せる気にはならない。紙に関して、ファタが相談に乗ってくれないというのなら、交渉材料にする」
「私と交渉ですか? 紙を見ないで済むのでしたら、ある程度の便宜は図ってあげられますが。侍従長の下僕である私に出来ることなど、高が知れています」
ファタはお道化てみせる。
無意味な、がらんどうな演技。
「ケモ?」
「うん。それはわからなくても仕方がない」
ケモに答えてから、再び心に力を入れる。
ここまでは上手くいった。
僕だけの力だけでは足りないので、ファタの天敵である、邪竜の威を借るギザマル。
紙と引き換えに望むのは。
聞く人が聞けば、首を傾げるであろう内容。
それでも僕は、これが最も重要であると判じて、天秤の片側に載せる。
「リャナの、邪魔をしないで欲しい」
ファタの、笑みでない笑みに、微笑の色がちらつく。
何か、ではなく、すべて。
ある意味、最も困難なことを突き付ける。
「出来ないことを要求するなど、まったく。人にとって、何が邪魔になるかなど、本人にだってわからないでしょうに。そんなことを私にしろと、アーシュさんは仰るのですか?」
「そんなことをファタにしろと、僕は望む」
ファタはこれから、僕に言うことがあるようだ。
ファタが何を言うかわかっているが、それを聞かないわけにはいかない。
「大人には、頼るものです。自分が何をしようとしているのか、きちんとわかっていますか?」
「みーの言う通りだ。わからないけどわかった。そう信じて、前に進むしかない」
「おうさま」に憧れていた、あの場所から、僕もまた歩き出さなければならない。
そうして気付く。
王様になれなかった、手放してしまった僕の、本当の望みに。
「ケモっ!」
「ありがとう、ケモ。一緒に作ろう」
僕の願いがケモに伝わって。
ケモの想いもまた、僕に伝わって。
僕の透明がケモの世界に響いて、ひとつの宝物になる。
ケモとの出逢いを、神にーーもとい、「半神」に感謝する。
必須ではないが、「半神」と「魔法王」にも会っておきたい。
出来れば、リシェと会う前に。
「僕とケモが羨ましいのなら、育ての竜に会いに行けばいい。今なら、昔とは違う、何かがあるかもしれない」
「嫌な予言をしてあげます。アーシュさんは未来で、必ず誰かに裏切られるでしょう。そのときになっても今と同じことが言えるのでしたら、手紙でも何でも寄越してください。予言を外したということは私の負けですので、ーー手紙は読まずに燃やしてしまいます」
「ケモ~」
捻くれた人間の心を理解出来るようになるには、まだ時間が掛かるようだ。
もう用は済んだ。
ケモを促して、執務室を辞す。
後ろから何かが聞こえてきたような気がしたが、僕とケモの心は一致していたので、世の雑音など無視する。
「ちょっ、いえいえ、糸っ、解いていってください! 嘘ではなくてっ、漏れ、ぅぐ、もうちょっとは我慢出来ますが……」
「リャナ。丁度良かった。今、『雷鳴』は使用禁止だ」
「ケモ」
扉を閉めて、近付いてきたリャナに話し掛けたのだが。
リャナの空色の瞳は、頭を下げて頷いたケモに釘付けだった。
「……可愛い」
「ケモ? ……ケモ!?」
薄々、そんな予感はしていた。
迷宮での、ケモに向けられていた、リャナの視線。
皆は、ケモに触れたくとも、我慢してくれていた。
ワーシュでさえも、欲望を聖竜に食べさせて抑えていたというのに。
リャナは自制心が強いように見えて、こちら方面の耐性はユルユルだったらしい。
夢遊病者のようにフラフラと歩いてくる。
「ギィ~っ」
「ケモ~っ」
リャナがケモに夢中であることが気に入らないのか、リャナの潰れ三角帽子の上のギル様が抗議のぴょんぴょん。
ケモを守ると誓ったが、まさかこんな近くで事案が発生。
僕は左に動いて、リャナの前に開かる。
ぽすんっと僕にぶつかったリャナは、僕の背中に腕を回してーー。
「ケモ。気付くまで待っていたほうがいいと思う?」
「ケモ、ケモ」
「え? 気付いたあとに、逃げられないように鹵獲、ではなく捕獲したほうがいい?」
「ケモ~、ケモっ」
「ケモちゃ~ん? ふあふあなケモちゃんなもふもふなケモちゃんなはずなのに、思ったよりも硬くて太くて立派で……?」
「ああ、リャナ。こんばんは」
「……ケモちゃんがライルさんに変身しました」
真顔で言われたので、ちょっと怖かった。
なので、捕獲出来なかった。
「っっっ!!!???」
「ケモっ、背中に!」
混乱の極みにあるリャナは、野生の猫よりすばしっこかった。
或いは、精神を仔炎竜に焼かれてしまって、通常以上の力を発揮していたのかもしれない。
邪竜から逃げるどころか、聖竜をぶち殺す勢いで、周囲に被害を振り撒きながら遠ざかっていく。
魔力なのか糖蜜なのか、しっかりと三角帽子にくっ付いているギル様。
黒い毛玉であるギル様の、毛の色つやが良くなっていた。
リャナが手入れをしたのだろう。
「ケモ」
「了解。短期決戦は諦めた」
リャナの匂いを辿れるようなので、速度を落とした。
魔力量は、リャナより僕のほうが多いので、じきに追い付くだろう。
「雷爪の傷痕」を出ると、ケモがリャナの行く先を教えてくれる。
「ケモ、ケモ」
「ありがとう、ケモ。でもね、人間というのは結構、狡賢い生き物でもあるんだ」
「ケモ?」
建物の裏で僕が足を止めたので、ケモは不思議そうに首を傾げた。
それから、リャナの魔力が逃げていく方角を見る。
「……気付いていたのですか、ライルさん」
「ケモ!?」
建物の陰からリャナが姿を現したので、驚愕するケモ。
リャナは潰れ三角帽子を被っておらず、ギル様はリャナの肩に乗っていた。
「リャナの魔力なら、僕は決して見逃さない」
「……っ」
「ケモ?」
持病を発症してしまったリャナを、ケモは心配そうに眺めていた。
ケモの視線が、再び森に向いたので説明する。
「枝や葉っぱなど、何かに魔力を籠めて誘導した。『結界』を張ればバレるから、別の方法で偽装。今回は、ケモの鼻を誤魔化せたことからして、普段から身に着けているーー三角帽子を魔力操作で囮に使った」
「……ケモ」
森から戻ってきた潰れ三角帽子と、帽子を被っていないリャナを交互に見て、頻りに感心するケモ。
感覚が鋭い故の、隙。
相手を把握出来ていたので、逆に警戒心が薄れてしまった。
このリャナの狡猾さは、魔香の素材を探しているときに磨かれたものだろう。
竜の国に移住する前は、足が鍛えられるほど野山を巡っていたはず。
「ケ~モ」
「うん、そうだね」
次からは、この程度の偽装ではケモは騙されない。
それに、今回は上手くいかなかったが、ケモともっと深く繋がれば、連携を取れるようになるはず。
戻ってきた帽子を掴むリャナ。
ギル様は、リャナの肩から帽子の上に。
「ギィー」
不満の表明なのか、ギル様は帽子の上をギザギザに転がっていた。
「……ケモちゃんと、仲が良いです」
「座ろう」
今は何を言っても無理そうなので、返答をせず行動で示す。
以前、ワーシュと座った腰掛けに、リャナと座る。
ケモは腰掛けの後ろに回ろうとしたが、迷っていたので横を空ける。
僕を挟んでリャナの反対側に、肘掛けと僕の隙間にケモがちょこんと座ると。
僕がケモと仲がいいことに嫉妬しているのか、じっと僕を見てきた。
「リャナがケモを大好きなのは知っているが、僕がケモと一緒に居るのを許して欲しい」
「えぇっ!? ええええっと、ちっ、ち、ち違います!!」
「ケモ?」
「ギィ?」
「ああ、『父が居ます』ではなく、吃って、『違います』の上に『ち』が余計に付いたんだ」
リャナの父親を捜していたケモとギル様に説明する。
他にも疑問があったようでケモが尋ねてくる。
「ケモ?」
「大丈夫。リャナは優しいから、僕を嫌いになったりはしないよ」
「……ケモ?」
「僕の勘違い? ケモじゃなくて、僕?」
「ギィ~」
「あっ、あのっ、それでどのような御用件でしょうか!」
何か忽せに出来ないことでもあったのか、リャナは僕とケモの会話に割り込んでくる。
何故かリャナは切羽詰まっているようなので、用件を切り出すことにする。
「リャナは、『魔法使い』の称号を得る為の、認定試験は受けないのか?」
「え? あ、はい」
想定外の質問だったのか、目をぱちくりさせるリャナ。
リャナは「地竜の杖」を持っていない。
ワーシュが以前、言っていた。
杖や道具は、魔力的に馴染むまで時間が掛かると。
急いで馴染ませる必要はないと、リャナは仕事を優先させた。
「ミャンは認定試験を受ける。僕は、リャナにも受けて欲しい」
「……っ」
「ケモ」
「え? そんなに見詰めたら、駄目?」
「ケモ、ケモ」
「っ……」
何故だろう、話が進まない。
ケモの言葉の意味は理解出来ていないはずなのに、何故かリャナはケモの言葉に動揺している。
順を追って話そうかと思っていたが、先に見せてしまったほうがいいのかもしれない。
僕は、ニーウ・アルンの手紙を、リャナに差し出した。
「僕たちへの、そして僕への、ニーウ・アルンーーリシェの兄からの手紙だ」
「依頼……ですか?」
戸惑いつつも、リャナは手紙を受け取った。
ニーウ・アルンの能筆を、リャナの瞳が追っていって。
最後は、瞬きを忘れたかのように、目を見開いて読み切った。
「……暗竜エタル…キア?」
「朝、皆にも手紙を読んでもらった。一つ目の依頼は、暗竜エタルキアの『捜索』の依頼」
「侍従長やヴァレイスナ様でも、ーー無理なのでしょうか。……いえ、もしかして竜に秘密でーー」
「いや、それは違う。リシェは、この一件を知っている」
聡明なリャナは、あっさりとこの依頼の不自然さに気付く。
そして、「聡氷」の称号を得られなかったことを証明するかのように、竜の翼は羽搏かない。
そして、もう一つ。
依頼、というよりは、提案。
「もう一つ。ニーウ・アルンは国を造ろうとしている。ーー皆が望むのなら、僕は東域に戻る」
「ケモ?」
「はは、ケモには隠し事が出来ないね。そうだね、僕自身が確かめる為にも、皆に力を貸してもらえるように頼まないといけない」
「ケモっ!」
「うん。心強いよ、ケモ」
僕とケモが話している間、リャナの反応はなかった。
考え込んでいるのではなく、頭が、思考が麻痺して、真っ白になっているのだろう。
「……ライルさんは、ケモちゃんに優しいです。あたしには……」
リャナの本音だろうか。
返答は期待していないようだったので、黙ったままでいる。
空気を読んだのか、静かにしているギル様。
転がって帽子から落ちると、リャナの掌の上に。
「僕は。ミャンは合格して、『青魔法使い』になると確信している」
「ーーっ」
「僕は。リャナには、杖を持って欲しいと思っている」
「っ……」
たぶん、伝わっていないだろう。
伝えようかどうか迷うが、僕は言葉を継ぐことで振り切る。
「僕は明日、竜の都に行く。リシェ、ヴァレイスナ、コウ、グロウ、あとーーファスファール。会えるかどうかわからないが、コウかヴァレイスナに会えたら、魔法陣のことについて尋ねるつもりだ」
「……魔法陣、ですか?」
「恐らく魔法陣は、基礎研究から行わなければならない分野だ。初期には、成果を残せないだろう。だが、誰かがやらなければ、発展もまた有り得ない。僕が思うに、この分野は、コウが苦手とするものだ。ーー魔力の多寡は関係ない。初期に求められる資質は、別のものだ」
「ケモ?」
「うん。それは今から言うよ」
「……?」
「リシェを通して、『会う約束』を取っている者が一人居る。それは、ダニステイルの纏め役である、マホメット・マホマールだ」
「纏め役に……?」
「そう、マホマールに会ってくる。何故、会うのか。それはリャナが、認定試験を受ける、と言ってくれたら教える」
意地悪をしたいわけではないが、結果的にそうなってしまったかもしれない。
頭の整理が付かないだろうリャナに、一方的に差し出す。
リャナが「地竜の杖」を掴み取ったときに決めたこと。
「アポ」ーー迷宮でリシェにした頼み事。
歩き出したリャナには、ミャンと違って複数の道がある。
歩き出していない、リャナを追い掛ける僕が、最後にすること。
「ケモ……」
「ギィ……」
ケモとギル様の、リャナを心配する声。
僕はケモを促す。
僕が立ち上がって、ケモも立ち上がって、一人と一獣が姿を消すまで。
掌のギル様を見下ろす、リャナからの返答はなかった。
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