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黄昏
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翠緑宮から戻って一つ時、六つ音の鐘が鳴ってから外に出た。
綺麗な、それでいてどこか不安を想起させる枯色の空。
肌寒い。
暑い季節の余韻は、跡形も残らず来周期へと旅立ってしまったようだ。
もう一枚着てくれば良かったと後悔。
後悔ーーというのは、コルクスを見付けたので、戻る機会を失ったということだ。
「雷爪の傷痕」の建物の陰。
僕は、コルクスだけに聞こえるように、小さな足音を立てる。
気付いたコルクスは、ばつの悪そうな顔をする。
コルクスの肩に手を置いて、半歩。
気配を殺して陰から覗くと、ーー腰掛けに魔法人形を抱えて座るワーシュの姿。
「あとで話があるから、ここで待ってて」
コルクスに耳語してから、僕は踏み出した。
こちらを見ずに、ワーシュは話し掛けてくる。
「誰か居るような感じだったけど、ライルだったのね」
「ああ、皆と話そうと思い、捜していた」
コルクスの存在を誤魔化せるかどうか未知数だが、やれることはやっておく。
ワーシュは真ん中から右に寄って、左側を空けた。
僕は左端に座ったが、駄目だったようで、ロイムはワーシュの腕の中から抜け出した。
両手を振って去っていくロイムを見送ってから、僕はもう一度、遣って来た理由を告げる。
「何だかんだで、機会がなかった。皆と、ゆっくり話す機会が欲しかった」
「んー? 改まってマッテ、な~にかな~?」
「ワーシュは結婚しないのか?」
「ぶっぱぁ……」
竜水を盛大に噴き出したあと、凄い目でワーシュに見られたので、早々に言い訳をしておく。
「リシェの遣り様を真似てみた。他意はないわけではない」
「ちょっとちょっと~、真剣な感じだから何かと思ったら、どーゆーつもりモリモリ?」
「子供の頃、ワーシュに鼻を叩かれて鼻血が出たから、そのお返し」
「あれ、謝ったじゃない。何でいきなりそんな古い話を持ち出すのよ」
ワーシュは表情だけ、不機嫌さを装う。
僕は構わず、話を進める。
「さっきも言った通り。これから先、きちんと話す機会が持てるかわからないから。ーーあの頃のワーシュは、完全に自分中心で容赦がなかった」
「まーねー。言い訳だけど、自分の魔力と感覚に振り回されてたからね。ーーあたしには、二つの道があった。自分の殻に篭もるか、欲望のままに生きるか」
「もう少し言い方は考えたほうがいい」
「そーんなーんどーでーもいーわ。結局、何が言いたいのよー?」
今度は怒った振り。
僕は厭わず、話を続ける。
「ワーシュの親父さんは、僕かエルムスと結婚させようと考えていた」
「……それで?」
「ワーシュは、僕との間に一線を引いている。エルムスの性格は、ワーシュの好みではない」
「……ほーん?」
「ホーエルは靡かないので、残りはコルクス」
風の囁きに乗って、コルクスの気配が伝わってくる。
もう一度、風が吹いてから、ワーシュは溜め息を吐く。
「わかってて言ってるのよね」
「ああ、わかってて言っている。ワーシュはのめり込む性質で、粘着質なそれは、今はどこにも向かっていない。ワーシュが誰かを好きになることがあれば、相手が可哀想になるくらいに、ドロドロに愛情で縛り上げてしまう」
「……嫌ねぇ、反論出来ないわ」
「ワーシュが最も力を発揮するのは、一つのものを追い求めたとき。僕と初めて会った頃から、ずっと、それは見付かっていない。竜の国でならそれが見付かるのではないかと、僕は密かに期待している」
「……見抜かないでよ~。あたしだって期待しまく竜なのよ~。ーーもう無理なんじゃないかと思っていたのに、人が、竜が、魔力があたしを嗾けてくるのよ~」
ワーシュは膨れっ面になる。
越えられなくなってしまった壁の存在に、自身で気付いているようだ。
「ワーシュは、ミャンが羨ましい?」
「どーかしら? 羨ましい、というより、懐かしい、かな?」
「僕が言わなくても、すでにわかっていると思うけど。僕も、コルクスも、エルムスも、ホーエルも。ワーシュの幸せを願っているーーなんてことはない。たとえ破滅することになろうとも、ワーシュがワーシュらしくあることを願っている」
「何か、酷いことを言われてるような気がするんだけど」
「気の所為」
皆はワーシュの幸せを願っている。
それを否定するくらいのことを言わないと、優しいワーシュは、僕たちに気を遣ってしまう。
次回があるかどうかわからないが、ワーシュの表情を見るに、今回はここまでにしないといけないようだ。
「むぅー、人の恋路を心配しちゃってくれてるけどねー、自分はどーなのよー? いー感じなのー? リャナちゃんはー?」
「僕? 好み、ということなら、ミャンだ」
「ほ……?」
ワーシュは僕から視線を逸らして、それからまた僕を見た。
「……ほ?」
「別に、好みの人間や理想の相手を好きになるとは限らない」
「……うほ、久々のビサビサに、竜を投げ付けられたくらいに驚いたわ。んん~? 他にコウちゃんとか換金所のお姉さんとか、容姿だけならレイさんとかも有りだと思うけど、ーーミャンちゃん?」
「好み、ともう一度前置きするが、周期が上の女性は好みではない」
「おややん? コウちゃん周期が下よん?」
「竜の許で育ったファタは、三十路でも二十歳ほどの容姿だった。恐らくコウは、自身の甚大な魔力の影響を受けている。もしかすると、百周期を越えているかもしれない」
「いやいやイヤヤン? さすがにそれはねぇ。リャナちゃんと話してたときの、王様なコウちゃんは確かに、周期が上っぽかったけど?」
ワーシュが訝しがるのもわかる。
肉体に精神が引き摺られるにしても、普段のコウの子供っぽさに鑑みて、百周期は言い過ぎだった。
「周期が下ってことなら、侍従次長や三人娘とかは?」
「侍従次長はーー。僕は美人が苦手だ」
「あれれん? ライルって、あたしが苦手だったんだ」
「……実はそうだったんだ」
「……何かごめん。無理やり言わせちゃってごめん」
当意即妙とはいかず、上手く返せなかった。
お詫びに、自滅させてしまったワーシュに、本心からの言葉を贈ることにする。
「ワーシュは美人かというと、そうではないと思う。では可愛いかというと、それも違うと思う。ワーシュはワーシュであるからこそ、魅力的だと思う」
下を向いたワーシュは、無言で僕、ではなく、僕を通り越した空間を指差した。
リャナやファスファールのように、ワーシュも発作を起こしたのかもしれない。
「ーー命令。あたしは部屋に戻ってもう寝るから、ライルは真っ直ぐにあっちに消えなさい」
「わかった。おやすみ」
逆らうのは得策ではないと、僕は腰掛から離れる。
真っ直ぐ行くと灌木に突っ込むので、ワーシュの命令は却下。
角を曲がって、何故か不機嫌だったコルクスを促してから外階段を上っていく。
二階建ての「雷爪の傷痕」の屋上は寂れていた。
翠緑宮のような華やかさはなく、転落防止用の柵があるのみ。
取り立てて景色がいいわけでもないので、話をするには悪くない環境だ。
「あー、俺は別に話すことなんてねぇんだけどな」
僕とワーシュの話を聞いていたコルクスが牽制してくる。
だが、僕は予期せぬ闖入者、もとい来訪者に意識を奪われていた。
自然と、溜め息を吐いてしまった。
出来れば二人で話したかったが、もし遣って来るのなら組み込むことにしよう。
コルクスが勘違いする前に、僕は空に向かって指を突き付けた。
「ラカールラカ」
「を? オイオイ、この距離でよく見えたな。仰向けで、ーー風に乗ってるのか? そんまま通り過ぎちまいそーだが」
コルクスの言う通り、上空の風に乗っているのか、どこ吹く風竜。
ラカールラカを目で追って、僕たちが真上を見上げると。
暗くなった空に映える、純白の竜。
飛べない鳥が飛ぼうとして、藻掻いているようだった。
「って、何だ? わたわたしてんな? 見えねぇ蜘蛛の巣にでも捕まったみてぇだな」
「いや、もう落ちてきている」
「……は?」
自由落下。
途中で竜から「人化」するラカールラカ。
ラカールラカを受け留めるべく、慌てて駆け寄ろうとしたコルクスを止める。
「大丈夫」
コルクスの行動を阻止する為に、僕は強い言葉をぶつける。
空中で反転したのか、ラカールラカはお腹から柵の上に落ちる。
本当に、普通に落ちてきたようで、鉄製の柵がひん曲がっていた。
「ヴァレイスナ」
「あら。よくわかったですわね」
「消去法」
「ここを通り掛かったのは偶然ですわ。聞き覚えのある声が聞こえたので、ちょっと愚痴を聞いてもらおうと降りてきたのですわ」
迷いなく僕が断言すると、ラカールラカの背中に座ったヴァレイスナが姿を現す。
ラカールラカは諦めたのか、身動きしなくなった、というか、寝てしまった。
不躾な来訪だったので、こちらもそれなりの対応で返すことにする。
「ペルンギーの宝石。髪留めの筒。若草色の布」
「ぴゅー?」
風の尻尾を掴んで左右に振ると、ラカールラカは目を覚ます。
コウやみー、それとリシェの性格。
可能性が高いのは、三つ目だろう。
「風髪を束ねている若草色の布は、リシェから貰ったもの?」
「ぴゅ~っ! わえのお気に入い」
純粋に喜んでいるラカールラカに顔を向けながら、横目でヴァレイスナを観察する。
リシェと同様に、僕たちに係わってきたヴァレイスナ。
許容範囲内で、氷竜の懐に踏み込むことにする。
「この布は既製品だ。翻って、リシェから貰ったであろうヴァレイスナの、氷の象徴のような髪飾りは、リシェが手ずから作った品」
「だから、何ですわ?」
「そんなに、嫉妬しなくてもいいと思う。そんなことをしても意味がないと、わかっているのにそれを止めるつもりがない。ヴァレイスナはヴァレイスナで、リシェに対して目的を持って動いている」
「ぴゅ~ぴゅ~ぴゅ~ぴゅ~っ!」
核心を衝いたのかどうか、怒れる(振りをした)ヴァレイスナは極寒を纏って、尻から冷気を噴出した。
みーを真似てのことだろうが、威力というか浸透力はヴァレイスナのほうが格段に上のようだ。
魔力か魔法で縛られているのか、じたばたするだけで逃げようとしないラカールラカ。
「いやいやっ、ライル!? 何でいきなり氷竜様に喧嘩売ってんだ!?」
「コルクス」
「へ?」
僕はコルクスを正視して黙らせてから、申し訳ないが利用させてもらうことにする。
「悪王が居た。僕らの国を滅ぼす為に、一万人の兵士を送ってきた。神の祝福を受けたコルクスの魔弓は、一射で一万人の人間を消し去ることが出来る。ーーコルクスは、魔弓を射ることが出来る?」
「そ、そりゃ……、そんときになってみねぇと、……わかんねぇよ」
僕の例え話に面食らったコルクスだが、以前に類似の内容を想定して考えたことがあったのか、苦痛未満のもどかしさを抱えながら答える。
「僕やヴァレイスナは、相手が百万人でも鏖殺する」
「ひゃふ。そこに、勝手に私を含めるなですわ」
今のリシェにはなく、僕とヴァレイスナが持ち得ているもの。
僕が必要としなくなったそれを、あまりにも器用過ぎるが故に、不器用かもしれない竜に差し出す。
これ以上は。
竜の深淵に踏み込むには、僕では足りない。
「ここまでにしておく。ヴァレイスナ曰く、僕はリシェ並みの意地悪らしいから、期待に応えてみた」
「わかっていないですわね。父様の意地悪には、愛情が籠もっていますわ。だからこそ厄介でもあるのですわ。って、そんなことはどうでも良いですわ! 好い加減、私の愚痴を聞きやがれ、ですわ!」
「わかった。静聴する」
何事もなかったかのような僕とヴァレイスナの遣り取りに、コルクスが驚く。
ヴァレイスナの竜心に興味があったのか、ラカールラカは起きていたが、それも限界だったようだ。
だが、愛情の籠もっていない意地悪の矛先がラカールラカに向く。
ヴァレイスナは「風竜の尻」を、ささくれ立った魔力が籠もった手で叩いた。
「びゅ~。わえの所為じゃなー」
「そうですわね。風っころのお陰ですわ。ほれ、とっとと出すですわ。つっつと開帳ですわ」
「びゃ~。りえが居ないと、こんの意地悪がこんこんなのあ」
リシェが居ないところでは、意地悪が二倍増しになるらしい。
「ひゅー。今、出う」
風の隙間から現れた。
そう思えるほどの違和感を伴って、徐々に形作っていく。
ラカールラカが何かをしたようには見えなかったが、風に隠されていた剣が、呼吸一つ分の間に、現世に生まれ落ちた。
「これは、『結界』?」
「言うなれば、『半結界』ですわね。『結界』にそれ以外の性質を混ぜていますわ」
剣の異質さは伝わるが、僕たちに大きな差し響きはない。
人では理解が及ばない魔法を、容易に綾なすヴァレイスナは、コルクスに向かって竜の恩恵を滴らせる。
「コルクス。この『剣』の属性は何ですわ?」
「……風。それ以外なんて有り得ねぇくらいの、……圧倒的な風だ」
「風剣」。
それ以外に譬えようのない、純粋過ぎて禍々しくも見える、片手剣。
風が優位属性だと聞いたことはないが、コルクスは直視するのも難しいようだ。
「二人も知っている通り、うっかり実験に失敗してしまったのですわ」
「次は成功する自信、というより、確信があったから。今度は地下ではなく、空で実験することにした」
黙って聞いていると、「風剣」に魅了されてしまいそうになったので、話し掛けることにする。
「ーー本当に。父様とは違った視点で、よく見えてますわね。父様の叔父を思い出しますわ」
「褒めてもらったので、調子に乗って推測してみる。ヴァレイスナは、愚痴、と言った。そして、眼前にある『風剣』。ーー始めの実験では、自身の、ヴァレイスナの魔力を使って失敗した。今回は、ラカールラカの魔力を使って成功した」
コルクスは僕の推測に納得したようだが、これではまだ足りない。
ヴァレイスナが、愚痴、と口にするからには、もっと大きな要因が絡んでいるはず。
「そう、成功した。でも、そのあとに失敗したと思う」
「ん? どーゆーこった?」
「恐らく、無属性の素材はリシェが作った、或いは係わっているものだと思う。自身の魔力を使って失敗。そこで様々な知見を得て、成功を確信。属性に因る差異を確認しようとしたのか、ラカールラカの魔力を使って成功。そしてーー」
僕はヴァレイスナに視線を向けた。
ヴァレイスナは冷え冷えの無表情で、とばっち竜になりたくないのか、ラカールラカは無風だった。
「三回目、或いは三回目以降。ヴァレイスナの魔力を使って、『氷剣』を作ろうとしたが失敗した。ただ、失敗したことは然したる問題ではないと思う。ヴァレイスナを不機嫌にさせた事実は、別のことだ」
「あ、あー、そーゆーことか。リシェさんの素材と風竜様の魔力で成功したってのに、自分の魔力とでは失敗したってことは、相性がーーひゃっこい!?」
本当にひゃっこかったようで、極寒の視線に射竦められたコルクスは思わず口にしてしまったようだ。
頑是ない、というのとも、少し違うのかもしれない。
人と竜は、異なる生き物。
人よりも深く響いたとしても不思議はない。
竜という存在は、そんな風に出来ているのかもしれない。
「おかしいですわ。何で失敗しますわ。失敗する原因なんてないはずなのに、何故か失敗しますわ。これもきっと、父様のおかしな特性の所為ですわ」
「実際に、リシェの所為かもしれない。ヴァレイスナはリシェに噛まれた。あの、父娘の過剰なスキンシップで、ヴァレイスナの魔力が乱れていた可能性はある」
「ーーないですわ。私がどれだけ永い期間、研究に明け暮れてきたと思っていますわ。初期の実験に、不確実性なんて持ち込むはずがないのですわ。だからやっぱりたぶんきっと、ぜんぶみなみなあまねくすべて父様が悪いのですわ」
拗ねているだけーーという言葉は、氷竜が凍ってしまうかもしれないので、言わないことにする。
本当に愚痴を言いに来ただけの可能性もあるので、有意義な方向に話を持っていく。
「リシェが悪いーーということには、僕も賛同する。それで、愚痴を言ってスッキリしたところで、興味があるので『風剣』のことを教えて欲しい」
「二人とも、『風剣』の気配だけで察しているかもしれませんが、ある意味、『風剣』は父様の折れない剣よりヤバいものですわ。『風剣』を持てるのは、風っころだけ。そして、ーー『風剣』を持った風っころは、私よりも強いのですわ」
「ひゅー。そうだけど、どうせ数日でこんはどうにかしてしまー」
ラカールラカの見立ては正しいのか、ヴァレイスナは特に反応を示さなかった。
ヴァレイスナの意識はもう、別の対象に向かってしまっていた。
「正直に言うと、製作者である私は、『風剣』を風っころに遣りたくないのですわ。ですが、どうやったところで、『風剣』が風っころの手に渡るのを防ぐことは出来ないのですわ。ただ、これも他に所有者が居たなら、話は変わりますわ」
「っ……」
ヴァレイスナが唆すと、覿面に効果を現す。
「風剣」に向けるコルクスの眼差しが険しくなる。
竜の来訪を利用としたが、裏目に出てしまったようだ。
コルクスと話そうとしていた事柄を、ヴァレイスナに看破されてしまう。
だが、事ここに至ってしまっては、致し方ない。
ヴァレイスナにも手伝ってもらおうーーそう結論付けた僕は、直後に自身の愚かさを呪った。
コルクスの内にある猛炎を、或いは颶風を甘く見ていた。
「コルクス!」
「いっぎぃっ、ごあああぁぁっ!!」
「風剣」を掴んだコルクスは、獣の如き叫びを上げる。
わずかに遅れて、ラカールラカはコルクスの手の上から「風剣」を握り締める。
ヴァレイスナに邪魔をされたようだ。
本来なら間に合っていた。
それ以前に、「風剣」を掴むことなどコルクスには出来ないはずだった。
「あぁぐっ、ぃっ……」
膝を突いたコルクスは、右手首を左手で掴んだ。
だが、それで痛みがどうにかなるはずもない。
手首から先は、肉が吹き飛んで骨だけになっていた。
妙に冴え冴えしい白さ。
現実とは思えない光景。
「あら、知らなかったのですわ? 私は父様ほど優しくないのですわ」
ヴァレイスナは掌を上に、魔力を乗せて前に出す。
恐らく、コルクスの手を構成していた魔力だろう。
ヴァレイスナとラカールラカは、コルクスに「治癒」を施す。
「……こん。わえだって、怒るのあ」
コルクスの「治癒」を終えたラカールラカの顔に、風色の文様が浮かび上がった。
応じて、ヴァレイスナの顔に、手足に、氷色の文様が浮かび上がる。
「怒るのは結構ですわ。ただ、その前に、もう少し、人というものを学んでからにするですわ」
「びゅ~?」
ヴァレイスナの言葉を、ラカールラカは理解できなかったようだ。
二回目なので、僕は止めることはしない。
「がぁああっ、ぃっ……」
「ぴゃっ!? 何してるのあ!」
初回と同様の結果に終わる。
今度は両手で行った所為か、骨に肉片がこびり付いていた。
ヴァレイスナが勝ち誇った顔でコルクスに「治癒」を掛けると、木枯らし顔でラカールラカも倣う。
手は元通りになったコルクスだが、すべてが元通りというわけにはいかない。
全身の脂汗に、削り取られた精神。
何より、膨れっ面の風竜。
「コルクス。ラカールラカの風が澱んでいるから、吹き払ってあげて」
浮かんでいたラカールラカの背中を押そうとしたら、ラカールラカは逃げるようにコルクスにくっ付いた。
「ひゅー?」
ラカールラカは僕の言行の意図を察したのか、コルクスに抱き締められて大人しくなる。
ヴァレイスナが言及した通り、人というものをーー合理的でない生き物のことを学ぼうと、風を吹かせたようだ。
ラカールラカの風を受け留めたコルクスは、訥々と話し始めた。
「……俺は、皆とは違った。皆は特別だった。特別な何かを持ってた。俺だけが、持ってねぇ。皆は……、そんなことねぇって言うかもしんねぇ。だけどな、駄目なんだ、俺が俺を認めらんねぇんだ。ーーラカールラカ様に、十七番の『まなまな』だって言われたとき、俺は喜んだ。そーなんだ、喜んじまったんだ。俺にも、特別、ってやつが出来たんだって。そんで、そんな自分が情けなくて、惨めになって……」
コルクスは言葉を詰まらせる。
そうなってしまった理由をヴァレイスナが語ろうとしていたので、睨んで止めさせる。
ここは、ラカールラカの出番だ。
「ふる、わえはりえに頼み事をされてう。でも、明日、迷宮に潜るまでにやっておけばいいから、ふるの風が無くなるまで手伝ってやってもいー」
ラカールラカのお墨付き。
これで止める者が居なくなってしまった。
夜の帳が降りた屋上に、ラカールラカの「光球」が浮かび上がる。
「すんませんね。これでも男の子なもんで」
コルクスの笑みが、ラカールラカの風を吹き払う。
一人と二竜が見守る中。
ヴァレイスナが張った「結界」の内に、コルクスの絶叫が響き渡る。
寝床に運ぶ役目を、二竜に譲るわけにはいかない。
自然な動作で僕から離れていったラカールラカは、ヴァレイスナの背中にくっ付いた。
ミニレムだけでなく、みーもそうだったが、ラカールラカも同様らしい。
「いぎゃあぁっ……」
竜の祝福が得られない僕は、コルクスが力尽きてぶっ倒れるまで付き合うのだった。
綺麗な、それでいてどこか不安を想起させる枯色の空。
肌寒い。
暑い季節の余韻は、跡形も残らず来周期へと旅立ってしまったようだ。
もう一枚着てくれば良かったと後悔。
後悔ーーというのは、コルクスを見付けたので、戻る機会を失ったということだ。
「雷爪の傷痕」の建物の陰。
僕は、コルクスだけに聞こえるように、小さな足音を立てる。
気付いたコルクスは、ばつの悪そうな顔をする。
コルクスの肩に手を置いて、半歩。
気配を殺して陰から覗くと、ーー腰掛けに魔法人形を抱えて座るワーシュの姿。
「あとで話があるから、ここで待ってて」
コルクスに耳語してから、僕は踏み出した。
こちらを見ずに、ワーシュは話し掛けてくる。
「誰か居るような感じだったけど、ライルだったのね」
「ああ、皆と話そうと思い、捜していた」
コルクスの存在を誤魔化せるかどうか未知数だが、やれることはやっておく。
ワーシュは真ん中から右に寄って、左側を空けた。
僕は左端に座ったが、駄目だったようで、ロイムはワーシュの腕の中から抜け出した。
両手を振って去っていくロイムを見送ってから、僕はもう一度、遣って来た理由を告げる。
「何だかんだで、機会がなかった。皆と、ゆっくり話す機会が欲しかった」
「んー? 改まってマッテ、な~にかな~?」
「ワーシュは結婚しないのか?」
「ぶっぱぁ……」
竜水を盛大に噴き出したあと、凄い目でワーシュに見られたので、早々に言い訳をしておく。
「リシェの遣り様を真似てみた。他意はないわけではない」
「ちょっとちょっと~、真剣な感じだから何かと思ったら、どーゆーつもりモリモリ?」
「子供の頃、ワーシュに鼻を叩かれて鼻血が出たから、そのお返し」
「あれ、謝ったじゃない。何でいきなりそんな古い話を持ち出すのよ」
ワーシュは表情だけ、不機嫌さを装う。
僕は構わず、話を進める。
「さっきも言った通り。これから先、きちんと話す機会が持てるかわからないから。ーーあの頃のワーシュは、完全に自分中心で容赦がなかった」
「まーねー。言い訳だけど、自分の魔力と感覚に振り回されてたからね。ーーあたしには、二つの道があった。自分の殻に篭もるか、欲望のままに生きるか」
「もう少し言い方は考えたほうがいい」
「そーんなーんどーでーもいーわ。結局、何が言いたいのよー?」
今度は怒った振り。
僕は厭わず、話を続ける。
「ワーシュの親父さんは、僕かエルムスと結婚させようと考えていた」
「……それで?」
「ワーシュは、僕との間に一線を引いている。エルムスの性格は、ワーシュの好みではない」
「……ほーん?」
「ホーエルは靡かないので、残りはコルクス」
風の囁きに乗って、コルクスの気配が伝わってくる。
もう一度、風が吹いてから、ワーシュは溜め息を吐く。
「わかってて言ってるのよね」
「ああ、わかってて言っている。ワーシュはのめり込む性質で、粘着質なそれは、今はどこにも向かっていない。ワーシュが誰かを好きになることがあれば、相手が可哀想になるくらいに、ドロドロに愛情で縛り上げてしまう」
「……嫌ねぇ、反論出来ないわ」
「ワーシュが最も力を発揮するのは、一つのものを追い求めたとき。僕と初めて会った頃から、ずっと、それは見付かっていない。竜の国でならそれが見付かるのではないかと、僕は密かに期待している」
「……見抜かないでよ~。あたしだって期待しまく竜なのよ~。ーーもう無理なんじゃないかと思っていたのに、人が、竜が、魔力があたしを嗾けてくるのよ~」
ワーシュは膨れっ面になる。
越えられなくなってしまった壁の存在に、自身で気付いているようだ。
「ワーシュは、ミャンが羨ましい?」
「どーかしら? 羨ましい、というより、懐かしい、かな?」
「僕が言わなくても、すでにわかっていると思うけど。僕も、コルクスも、エルムスも、ホーエルも。ワーシュの幸せを願っているーーなんてことはない。たとえ破滅することになろうとも、ワーシュがワーシュらしくあることを願っている」
「何か、酷いことを言われてるような気がするんだけど」
「気の所為」
皆はワーシュの幸せを願っている。
それを否定するくらいのことを言わないと、優しいワーシュは、僕たちに気を遣ってしまう。
次回があるかどうかわからないが、ワーシュの表情を見るに、今回はここまでにしないといけないようだ。
「むぅー、人の恋路を心配しちゃってくれてるけどねー、自分はどーなのよー? いー感じなのー? リャナちゃんはー?」
「僕? 好み、ということなら、ミャンだ」
「ほ……?」
ワーシュは僕から視線を逸らして、それからまた僕を見た。
「……ほ?」
「別に、好みの人間や理想の相手を好きになるとは限らない」
「……うほ、久々のビサビサに、竜を投げ付けられたくらいに驚いたわ。んん~? 他にコウちゃんとか換金所のお姉さんとか、容姿だけならレイさんとかも有りだと思うけど、ーーミャンちゃん?」
「好み、ともう一度前置きするが、周期が上の女性は好みではない」
「おややん? コウちゃん周期が下よん?」
「竜の許で育ったファタは、三十路でも二十歳ほどの容姿だった。恐らくコウは、自身の甚大な魔力の影響を受けている。もしかすると、百周期を越えているかもしれない」
「いやいやイヤヤン? さすがにそれはねぇ。リャナちゃんと話してたときの、王様なコウちゃんは確かに、周期が上っぽかったけど?」
ワーシュが訝しがるのもわかる。
肉体に精神が引き摺られるにしても、普段のコウの子供っぽさに鑑みて、百周期は言い過ぎだった。
「周期が下ってことなら、侍従次長や三人娘とかは?」
「侍従次長はーー。僕は美人が苦手だ」
「あれれん? ライルって、あたしが苦手だったんだ」
「……実はそうだったんだ」
「……何かごめん。無理やり言わせちゃってごめん」
当意即妙とはいかず、上手く返せなかった。
お詫びに、自滅させてしまったワーシュに、本心からの言葉を贈ることにする。
「ワーシュは美人かというと、そうではないと思う。では可愛いかというと、それも違うと思う。ワーシュはワーシュであるからこそ、魅力的だと思う」
下を向いたワーシュは、無言で僕、ではなく、僕を通り越した空間を指差した。
リャナやファスファールのように、ワーシュも発作を起こしたのかもしれない。
「ーー命令。あたしは部屋に戻ってもう寝るから、ライルは真っ直ぐにあっちに消えなさい」
「わかった。おやすみ」
逆らうのは得策ではないと、僕は腰掛から離れる。
真っ直ぐ行くと灌木に突っ込むので、ワーシュの命令は却下。
角を曲がって、何故か不機嫌だったコルクスを促してから外階段を上っていく。
二階建ての「雷爪の傷痕」の屋上は寂れていた。
翠緑宮のような華やかさはなく、転落防止用の柵があるのみ。
取り立てて景色がいいわけでもないので、話をするには悪くない環境だ。
「あー、俺は別に話すことなんてねぇんだけどな」
僕とワーシュの話を聞いていたコルクスが牽制してくる。
だが、僕は予期せぬ闖入者、もとい来訪者に意識を奪われていた。
自然と、溜め息を吐いてしまった。
出来れば二人で話したかったが、もし遣って来るのなら組み込むことにしよう。
コルクスが勘違いする前に、僕は空に向かって指を突き付けた。
「ラカールラカ」
「を? オイオイ、この距離でよく見えたな。仰向けで、ーー風に乗ってるのか? そんまま通り過ぎちまいそーだが」
コルクスの言う通り、上空の風に乗っているのか、どこ吹く風竜。
ラカールラカを目で追って、僕たちが真上を見上げると。
暗くなった空に映える、純白の竜。
飛べない鳥が飛ぼうとして、藻掻いているようだった。
「って、何だ? わたわたしてんな? 見えねぇ蜘蛛の巣にでも捕まったみてぇだな」
「いや、もう落ちてきている」
「……は?」
自由落下。
途中で竜から「人化」するラカールラカ。
ラカールラカを受け留めるべく、慌てて駆け寄ろうとしたコルクスを止める。
「大丈夫」
コルクスの行動を阻止する為に、僕は強い言葉をぶつける。
空中で反転したのか、ラカールラカはお腹から柵の上に落ちる。
本当に、普通に落ちてきたようで、鉄製の柵がひん曲がっていた。
「ヴァレイスナ」
「あら。よくわかったですわね」
「消去法」
「ここを通り掛かったのは偶然ですわ。聞き覚えのある声が聞こえたので、ちょっと愚痴を聞いてもらおうと降りてきたのですわ」
迷いなく僕が断言すると、ラカールラカの背中に座ったヴァレイスナが姿を現す。
ラカールラカは諦めたのか、身動きしなくなった、というか、寝てしまった。
不躾な来訪だったので、こちらもそれなりの対応で返すことにする。
「ペルンギーの宝石。髪留めの筒。若草色の布」
「ぴゅー?」
風の尻尾を掴んで左右に振ると、ラカールラカは目を覚ます。
コウやみー、それとリシェの性格。
可能性が高いのは、三つ目だろう。
「風髪を束ねている若草色の布は、リシェから貰ったもの?」
「ぴゅ~っ! わえのお気に入い」
純粋に喜んでいるラカールラカに顔を向けながら、横目でヴァレイスナを観察する。
リシェと同様に、僕たちに係わってきたヴァレイスナ。
許容範囲内で、氷竜の懐に踏み込むことにする。
「この布は既製品だ。翻って、リシェから貰ったであろうヴァレイスナの、氷の象徴のような髪飾りは、リシェが手ずから作った品」
「だから、何ですわ?」
「そんなに、嫉妬しなくてもいいと思う。そんなことをしても意味がないと、わかっているのにそれを止めるつもりがない。ヴァレイスナはヴァレイスナで、リシェに対して目的を持って動いている」
「ぴゅ~ぴゅ~ぴゅ~ぴゅ~っ!」
核心を衝いたのかどうか、怒れる(振りをした)ヴァレイスナは極寒を纏って、尻から冷気を噴出した。
みーを真似てのことだろうが、威力というか浸透力はヴァレイスナのほうが格段に上のようだ。
魔力か魔法で縛られているのか、じたばたするだけで逃げようとしないラカールラカ。
「いやいやっ、ライル!? 何でいきなり氷竜様に喧嘩売ってんだ!?」
「コルクス」
「へ?」
僕はコルクスを正視して黙らせてから、申し訳ないが利用させてもらうことにする。
「悪王が居た。僕らの国を滅ぼす為に、一万人の兵士を送ってきた。神の祝福を受けたコルクスの魔弓は、一射で一万人の人間を消し去ることが出来る。ーーコルクスは、魔弓を射ることが出来る?」
「そ、そりゃ……、そんときになってみねぇと、……わかんねぇよ」
僕の例え話に面食らったコルクスだが、以前に類似の内容を想定して考えたことがあったのか、苦痛未満のもどかしさを抱えながら答える。
「僕やヴァレイスナは、相手が百万人でも鏖殺する」
「ひゃふ。そこに、勝手に私を含めるなですわ」
今のリシェにはなく、僕とヴァレイスナが持ち得ているもの。
僕が必要としなくなったそれを、あまりにも器用過ぎるが故に、不器用かもしれない竜に差し出す。
これ以上は。
竜の深淵に踏み込むには、僕では足りない。
「ここまでにしておく。ヴァレイスナ曰く、僕はリシェ並みの意地悪らしいから、期待に応えてみた」
「わかっていないですわね。父様の意地悪には、愛情が籠もっていますわ。だからこそ厄介でもあるのですわ。って、そんなことはどうでも良いですわ! 好い加減、私の愚痴を聞きやがれ、ですわ!」
「わかった。静聴する」
何事もなかったかのような僕とヴァレイスナの遣り取りに、コルクスが驚く。
ヴァレイスナの竜心に興味があったのか、ラカールラカは起きていたが、それも限界だったようだ。
だが、愛情の籠もっていない意地悪の矛先がラカールラカに向く。
ヴァレイスナは「風竜の尻」を、ささくれ立った魔力が籠もった手で叩いた。
「びゅ~。わえの所為じゃなー」
「そうですわね。風っころのお陰ですわ。ほれ、とっとと出すですわ。つっつと開帳ですわ」
「びゃ~。りえが居ないと、こんの意地悪がこんこんなのあ」
リシェが居ないところでは、意地悪が二倍増しになるらしい。
「ひゅー。今、出う」
風の隙間から現れた。
そう思えるほどの違和感を伴って、徐々に形作っていく。
ラカールラカが何かをしたようには見えなかったが、風に隠されていた剣が、呼吸一つ分の間に、現世に生まれ落ちた。
「これは、『結界』?」
「言うなれば、『半結界』ですわね。『結界』にそれ以外の性質を混ぜていますわ」
剣の異質さは伝わるが、僕たちに大きな差し響きはない。
人では理解が及ばない魔法を、容易に綾なすヴァレイスナは、コルクスに向かって竜の恩恵を滴らせる。
「コルクス。この『剣』の属性は何ですわ?」
「……風。それ以外なんて有り得ねぇくらいの、……圧倒的な風だ」
「風剣」。
それ以外に譬えようのない、純粋過ぎて禍々しくも見える、片手剣。
風が優位属性だと聞いたことはないが、コルクスは直視するのも難しいようだ。
「二人も知っている通り、うっかり実験に失敗してしまったのですわ」
「次は成功する自信、というより、確信があったから。今度は地下ではなく、空で実験することにした」
黙って聞いていると、「風剣」に魅了されてしまいそうになったので、話し掛けることにする。
「ーー本当に。父様とは違った視点で、よく見えてますわね。父様の叔父を思い出しますわ」
「褒めてもらったので、調子に乗って推測してみる。ヴァレイスナは、愚痴、と言った。そして、眼前にある『風剣』。ーー始めの実験では、自身の、ヴァレイスナの魔力を使って失敗した。今回は、ラカールラカの魔力を使って成功した」
コルクスは僕の推測に納得したようだが、これではまだ足りない。
ヴァレイスナが、愚痴、と口にするからには、もっと大きな要因が絡んでいるはず。
「そう、成功した。でも、そのあとに失敗したと思う」
「ん? どーゆーこった?」
「恐らく、無属性の素材はリシェが作った、或いは係わっているものだと思う。自身の魔力を使って失敗。そこで様々な知見を得て、成功を確信。属性に因る差異を確認しようとしたのか、ラカールラカの魔力を使って成功。そしてーー」
僕はヴァレイスナに視線を向けた。
ヴァレイスナは冷え冷えの無表情で、とばっち竜になりたくないのか、ラカールラカは無風だった。
「三回目、或いは三回目以降。ヴァレイスナの魔力を使って、『氷剣』を作ろうとしたが失敗した。ただ、失敗したことは然したる問題ではないと思う。ヴァレイスナを不機嫌にさせた事実は、別のことだ」
「あ、あー、そーゆーことか。リシェさんの素材と風竜様の魔力で成功したってのに、自分の魔力とでは失敗したってことは、相性がーーひゃっこい!?」
本当にひゃっこかったようで、極寒の視線に射竦められたコルクスは思わず口にしてしまったようだ。
頑是ない、というのとも、少し違うのかもしれない。
人と竜は、異なる生き物。
人よりも深く響いたとしても不思議はない。
竜という存在は、そんな風に出来ているのかもしれない。
「おかしいですわ。何で失敗しますわ。失敗する原因なんてないはずなのに、何故か失敗しますわ。これもきっと、父様のおかしな特性の所為ですわ」
「実際に、リシェの所為かもしれない。ヴァレイスナはリシェに噛まれた。あの、父娘の過剰なスキンシップで、ヴァレイスナの魔力が乱れていた可能性はある」
「ーーないですわ。私がどれだけ永い期間、研究に明け暮れてきたと思っていますわ。初期の実験に、不確実性なんて持ち込むはずがないのですわ。だからやっぱりたぶんきっと、ぜんぶみなみなあまねくすべて父様が悪いのですわ」
拗ねているだけーーという言葉は、氷竜が凍ってしまうかもしれないので、言わないことにする。
本当に愚痴を言いに来ただけの可能性もあるので、有意義な方向に話を持っていく。
「リシェが悪いーーということには、僕も賛同する。それで、愚痴を言ってスッキリしたところで、興味があるので『風剣』のことを教えて欲しい」
「二人とも、『風剣』の気配だけで察しているかもしれませんが、ある意味、『風剣』は父様の折れない剣よりヤバいものですわ。『風剣』を持てるのは、風っころだけ。そして、ーー『風剣』を持った風っころは、私よりも強いのですわ」
「ひゅー。そうだけど、どうせ数日でこんはどうにかしてしまー」
ラカールラカの見立ては正しいのか、ヴァレイスナは特に反応を示さなかった。
ヴァレイスナの意識はもう、別の対象に向かってしまっていた。
「正直に言うと、製作者である私は、『風剣』を風っころに遣りたくないのですわ。ですが、どうやったところで、『風剣』が風っころの手に渡るのを防ぐことは出来ないのですわ。ただ、これも他に所有者が居たなら、話は変わりますわ」
「っ……」
ヴァレイスナが唆すと、覿面に効果を現す。
「風剣」に向けるコルクスの眼差しが険しくなる。
竜の来訪を利用としたが、裏目に出てしまったようだ。
コルクスと話そうとしていた事柄を、ヴァレイスナに看破されてしまう。
だが、事ここに至ってしまっては、致し方ない。
ヴァレイスナにも手伝ってもらおうーーそう結論付けた僕は、直後に自身の愚かさを呪った。
コルクスの内にある猛炎を、或いは颶風を甘く見ていた。
「コルクス!」
「いっぎぃっ、ごあああぁぁっ!!」
「風剣」を掴んだコルクスは、獣の如き叫びを上げる。
わずかに遅れて、ラカールラカはコルクスの手の上から「風剣」を握り締める。
ヴァレイスナに邪魔をされたようだ。
本来なら間に合っていた。
それ以前に、「風剣」を掴むことなどコルクスには出来ないはずだった。
「あぁぐっ、ぃっ……」
膝を突いたコルクスは、右手首を左手で掴んだ。
だが、それで痛みがどうにかなるはずもない。
手首から先は、肉が吹き飛んで骨だけになっていた。
妙に冴え冴えしい白さ。
現実とは思えない光景。
「あら、知らなかったのですわ? 私は父様ほど優しくないのですわ」
ヴァレイスナは掌を上に、魔力を乗せて前に出す。
恐らく、コルクスの手を構成していた魔力だろう。
ヴァレイスナとラカールラカは、コルクスに「治癒」を施す。
「……こん。わえだって、怒るのあ」
コルクスの「治癒」を終えたラカールラカの顔に、風色の文様が浮かび上がった。
応じて、ヴァレイスナの顔に、手足に、氷色の文様が浮かび上がる。
「怒るのは結構ですわ。ただ、その前に、もう少し、人というものを学んでからにするですわ」
「びゅ~?」
ヴァレイスナの言葉を、ラカールラカは理解できなかったようだ。
二回目なので、僕は止めることはしない。
「がぁああっ、ぃっ……」
「ぴゃっ!? 何してるのあ!」
初回と同様の結果に終わる。
今度は両手で行った所為か、骨に肉片がこびり付いていた。
ヴァレイスナが勝ち誇った顔でコルクスに「治癒」を掛けると、木枯らし顔でラカールラカも倣う。
手は元通りになったコルクスだが、すべてが元通りというわけにはいかない。
全身の脂汗に、削り取られた精神。
何より、膨れっ面の風竜。
「コルクス。ラカールラカの風が澱んでいるから、吹き払ってあげて」
浮かんでいたラカールラカの背中を押そうとしたら、ラカールラカは逃げるようにコルクスにくっ付いた。
「ひゅー?」
ラカールラカは僕の言行の意図を察したのか、コルクスに抱き締められて大人しくなる。
ヴァレイスナが言及した通り、人というものをーー合理的でない生き物のことを学ぼうと、風を吹かせたようだ。
ラカールラカの風を受け留めたコルクスは、訥々と話し始めた。
「……俺は、皆とは違った。皆は特別だった。特別な何かを持ってた。俺だけが、持ってねぇ。皆は……、そんなことねぇって言うかもしんねぇ。だけどな、駄目なんだ、俺が俺を認めらんねぇんだ。ーーラカールラカ様に、十七番の『まなまな』だって言われたとき、俺は喜んだ。そーなんだ、喜んじまったんだ。俺にも、特別、ってやつが出来たんだって。そんで、そんな自分が情けなくて、惨めになって……」
コルクスは言葉を詰まらせる。
そうなってしまった理由をヴァレイスナが語ろうとしていたので、睨んで止めさせる。
ここは、ラカールラカの出番だ。
「ふる、わえはりえに頼み事をされてう。でも、明日、迷宮に潜るまでにやっておけばいいから、ふるの風が無くなるまで手伝ってやってもいー」
ラカールラカのお墨付き。
これで止める者が居なくなってしまった。
夜の帳が降りた屋上に、ラカールラカの「光球」が浮かび上がる。
「すんませんね。これでも男の子なもんで」
コルクスの笑みが、ラカールラカの風を吹き払う。
一人と二竜が見守る中。
ヴァレイスナが張った「結界」の内に、コルクスの絶叫が響き渡る。
寝床に運ぶ役目を、二竜に譲るわけにはいかない。
自然な動作で僕から離れていったラカールラカは、ヴァレイスナの背中にくっ付いた。
ミニレムだけでなく、みーもそうだったが、ラカールラカも同様らしい。
「いぎゃあぁっ……」
竜の祝福が得られない僕は、コルクスが力尽きてぶっ倒れるまで付き合うのだった。
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