まだ、言えない

怜虎

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8.Winter song.-吉澤蛍の場合-

ベッド

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「蛍、お湯沸いてるけど大丈夫?」

「わっ!台本読んでて気にしてなかった⋯ ごめん、気を付ける」

「うん、あんまりぼーっとし過ぎて怪我しないようにな」


雪弥は髪をくしゃっと撫でると、ソファーに掛けておいたシャツを手に取った。



─いやそうじゃなくて、もし火事にでもなったらって話しだったんだけど⋯ 


いつもと変わらない雪弥の様子に、やはり自分の勘違いだったかもしれないと、力が抜けたのを感じた。


「蛍も入って来たら?今度は俺がやっておくから」

「あ、うん。ありがとう」


学校や仕事から帰ってきて外に出る予定がなければ、ご飯を食べるより何より先にお風呂に入りスウェットに着替える。

時間にもよるが、これが基本スタイル。

雪弥と同じ劇団にいた頃も夜連絡を貰っても、もう着替えたと言って頑なに夜の誘いには乗らなかった。

そんな昔からの自身のこだわりを思い出し笑いながらリビングに入ると、雪弥がお弁当をレンジから取り出す所だった。

テーブルの上には、まだ手をつけてないお弁当が置いてある。


「あれ?待っててくれたの?」

「一緒に食べた方が美味いんだろ?」

「⋯ うん。ありがとう」


雪弥は持ってきた弁当を置いて座っててと言うと、またキッチンに戻り味噌汁のお椀を2つ持ってきた。

慌てて手を伸ばしてひとつ受け取る。


「結局準備して貰っちゃってごめんね」

「そういうのお互い様だろ。いいから食べよ」

「⋯ うん」


手を合わせた雪弥に釣られて手を合わせると、雪弥はこちらを見てクスリと笑い割り箸を割った。

静かな部屋には変わらず時計の音。

その静かさが気になって、テーブルの上のリモコンを掴みテレビを付けた。


「あ、千尋だ」

「あいつ、今何やってるのか全然見えないな。
バラエティ出過ぎた」

「ソロじゃないの?」

「そうだけど、あいつは音楽に関係の無い仕事の方が多いから」

「雪弥もお芝居やるのに?」

「俺は⋯ 寧ろメインは芝居だから。それに大体音楽もセットだし。
あ、それで思い出した。今度の映画の曲、蛍作詞担当ね?」

「え⋯ ?いや、無理無理。俺書いたことないから」

「大丈夫だって。俺も見るからさ」

「⋯ うーん、俺に出来るかなぁ」


理由の無い “大丈夫” と雪弥の優しい笑顔につい頷いてしまった。


「うん、じゃあ取り敢えず書いてみてよ。
俺は単純に、月海や鷹の気持ちをそのままイメージした物を書こうと思ってたから、そんな感じで」

「そんな感じって⋯ 上手くできないかもしれないよ?」

「大丈夫、蛍なら書けるよ」


またしても理由のない大丈夫に安心してコクリと頷く。


「台本は読んだ?」

「まだ⋯ あと少し残ってる」

「ああ、蛍は台本じっくり読む人だったね」


変わらないなと雪弥は笑った。


「その方が覚えやすいから」

「へぇ。俺は何回も繰り返し読む方が頭に入る」

「繰り返しても読むけどね。
でもあまり読みすぎちゃうとその人物の人柄とか性格とか固定されちゃうから、最低限の設定を抑えて想像した方がやりやすいかな」

「覚え方、人によって全然違うんだな。
歌詞も台本読んでからで良い。出来たら教えて。
それとも曲先に書いた方が良い?」

「どっちの方がやりやすい?」

「うーん、俺はどちらのパターンもあるかな。
初めて書いた時は、曲のデモを貰って音の数に合わせて言葉を当てはめていく方法で書いたな。
正直、やりにくかったけどな」

「じゃあ歌詞先行の方がやりやすいってこと?」

「俺は最初そう感じたってだけだけど。
じゃあ、書き始めてもらって、俺も曲を書き始めるよ。途中でお互いのイメージを見せ合えばテーマとか2人の感覚を近付ける事が出来るし」

「うん、それが良いかも。
取り敢えず、台本読むね。読みおわったら書き始めてみる」

「ああ」


弁当を食べ終わったら早速台本を読もうと、残りの弁当を食べ始めると、インターホンが鳴った。

立ち上がろうとすると雪弥に征されて、雪弥がドアホンで応答する。

どうやら何か届いた様だ。


「荷物?」

「ああ、今日配達って連絡入ってたな」


玄関の前に来るまで時間がかかるだろうからと、残りの弁当を食べると空になった弁当とお椀を持って流しに持っていく。

ソファーに戻って来る途中で再びインターホンがなると、再びドアホンで応答して玄関に向かった。

少しして、爽やかに失礼しますと声が聞こえると荷物を届けに来た業者がリビングから見える廊下の前を横切る。

部屋まで荷物を運び入れてくれているらしい。

次は2人の業者が見え、2往復の荷物運びが終わると元気なありがとうございましたが聞こえて玄関の閉まる音が聞こえた。


「蛍、食べ終わったら来て。寝室の隣」


雪弥はリビングを覗いてそう告げると、寝室の方に歩いて行った。

そう言われた時には最後の一口を口に運び入れる途中で、返事をしそびれた代わりに咀嚼しながら空になった弁当を流しに運ぶ。

ビニールを丸める音がガサガサと聞こえる部屋を覗くと、雪弥の家に運んだスーツケースの横にベッドマットが横たわっていた。


「あ⋯ 」

「蛍用に買っておいた」


一緒に運び込まれた布団をベッドマットの上に敷いた後、雪弥は言った。


「うん⋯ ありがとう」

「じゃあ俺、先に寝かせてもらうよ。蛍、台本の残り読むだろ?」

「あ、うん⋯⋯ おやすみ」


正直、喜ぶことは出来なかった。

遠回しに雪弥に避けられているんだ、と。

一時、浮上した気持ちはその本人によって叩き落とされてしまった。

少しの間、その真新しい布団を見つめて、徐ろに洗い物の残るキッチンへと移動する。

流しに置いた空の弁当箱とお椀を洗うと、リビングの電気を消して新しく用意されたベッドに潜り込んだ。



─落ち込んでいる暇は無い。

明日はいつも通りに学校がある。

終わったら鷹城さんの迎えが来て、映画の顔合わせ。

台本を読めるのは今、と休み時間に移動中。

ザワザワした場所では気が散って読むペースが遅くなるから、夜の内に読み終わっておきたい。



下向きの気持ちをどうにか浮上させる様に、台本を読む事に集中した。


予定通り台本を読み終えると、程よいタイミングにきた睡魔に目を閉じる。



─今は明日の顔合わせに備えて役作りに集中したい。



昨晩そう思って眠りについたが、難しい事を考えなくても自然と月海の気持に近づいていった。

こんな時でも人間は置かれた状況に順応できてしまうんだと客観的に思うもうひとりの自分がいた。
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