まだ、言えない

怜虎

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8.Winter song.-吉澤蛍の場合-

蛍と月海

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映画の台本を雪弥の分も受け取ってから事務所を出る。

駅近くのファミレスでご飯を食べる事にした。

頻りにお礼を言われ、ご飯代を持つと言われたが、大した事していないからと断わると顔を顰められた。

雪弥にも礼を言ってほしいと強く念を押されて、キリがないからと逃げる様に電車に飛び乗ったが、結局SNSアプリでお礼を言われ、その律儀さにひとり、笑ってしまった。


電車を降りて改札を潜り、駅前のロータリーを抜ける。

路肩に一台の車が停車すると、窓から雪弥が顔を出した。

乗るように促されて、助手席に回る。


「結構かかったな」

「山口とご飯食べに行ってた」

「そうか。どうだった?」

「社長と話したのは3分くらいかな。
後はバイトする為の事務手続きをしただけ。
あ、金曜日の顔合わせに山口も同行するって」

「鷹城さんは?」

「鷹城さんも来る」


雪弥はそうか、と頷いて信号を見詰めた。


「まぁそうだよな」

「あ、山口が本当にありがとうございましたって。雪弥に伝えくれって何度も言われたよ」

「良いのに」

「本当に。気にするなって言ってるのに、別れてもお礼のメッセージ送ってきてさ。電車の中でひとりで笑っちゃったよ」

「律儀なやつの友達は律儀なんだな。
類は友を呼ぶって言うし」

「え?」

「無自覚か」


雪弥はそう言ってクスリと笑った。


「何?どういう事?」

「いや、蛍はそういう所が良い。
 だからそのままでいてってこと」

「絶対嘘だし」

「ははっ⋯ 嘘は言ってないよ」


愉快そうに笑う雪弥の横顔を見たら、話を少し誤魔化された事なんかどうでも良くなった。


マンションの傍のコンビニに寄ってから、帰ってすぐにシャワーを済ます。

昨日から雪弥の家に来ているのに主は仕事で、今日初めて本来の目的である “役作り” に入っていける事を密かに楽しみにしていた。

夕飯はまだという雪弥がお風呂に入っている間に、途中寄ったコンビニで買っておいた卵を使い親子丼を作ると、今日追加で貰った台本を広げた。

読み進めていると、隣に雪弥が座りソファーが沈む。

髪をタオルで拭きながら台本を覗き込んだ。


「親子丼作ったけど食べる?」

「うん、ありがとう。貰う」


親子丼の具はフライパンに蓋をしていただけだったが、火を消してから時間もそう経っていない。

台本を置いてキッチンに向かうと、お椀にご飯をよそって具をのせ、海苔を散らす。

ついでに沸かしておいたお湯で即席味噌汁も付けよう。

短時間で作った割には上出来だろう。


「はい、簡単な物でごめんね」


台本を読み始めていた雪弥の前に親子丼を置くと、すぐに台本を閉じてテーブルの上に置く。


「ううん、有難いよ」


雪弥は手を合わせると、お椀を持った。

ひと口食べて美味いと言ったのを確認してからテーブルに置かれた台本を手に取る。


既に貰っている資料ではタイトルが未定となっていたが、流石に台本には印字されていた。


『いつか、あの鳥のように』


鷹と月海、またその仲間達の心の中の葛藤を描いた作品で、鬱葱たるものをイメージさせないタイトルを予定⋯ と資料で見た。

確かに、爽やかなイメージではあるだろう。


ひとり、うんうんと頷きながらページを捲っていく。


始まりは幼い月海が、施設でひとりでいる所から。

3歳とは想像出来ない様な行動ばかりが書かれている。

城原家に迎え入れられるシーンは、笑顔の両親と鷹が手を差し出すとその手を掴むだけのサッパリとしたシーン。

月日はどんどん流れ、笑顔は出ないものの、鷹に心を許していく月海。

徐々にではあるが、2人でいる時にだけ笑顔を見せる事がある様になる。

鷹以外には絶対に見せることの無い表情。

嬉しい反面、それを気にした鷹は月海が人並みに人付き合いが出来る様にと自身の所属する劇団に迎える。

冒頭で一気にそのシーンが纏めて流れると “回想” はこれで終わる。


役同士の “会話” があるシーンはこれ以降から。

と言っても月海はベラベラと喋るキャラクターでは無い。

最初の内は特に、否定や肯定をするか、劇中でセリフを喋るかくらいだ。

そのせいもあって、鷹のセリフは膨大。

月海とのシーンなんて毎回鷹がずっと喋っている様なもので、相槌を打つのはまだ良い。

 “ (頷く) ” なんて動作だけの相槌がザラだ。



─無表情。

いつでも月海はそうなんだ。

嬉しくても楽しくても、悲しくても。

好きな人に笑顔を向ける事だってしない。


どうして、そんな風になってしまったんだろう?


心の中の闇がそうさせる。

ずっと独りぼっちの寂しさが心を閉ざす。


いや、それは表向きな “月海の顔” だ。


心の奥底に閉まった、他人に笑顔を見せない理由が月海にはある筈だ。

人物設定や劇中には出て来ない月海の心の闇を掴まなくては、月海は演じ切れない。


その場でそっと目を閉じて想像する。

月海だったら、今この時をどう過ごすのだろう?

新しい演目の台本を貰って来た日の夜。

両親と離れて暮らしていていた兄・鷹の元に来てからはまだ数日しか経っていない。

それぞれ、稽古や仕事を終えて帰ってきた夜、こんな風に思い思いに過ごすんだろうか。

月海はきっと両親がいたら、部屋に篭っているんだろう。

でもこの家には鷹しかいない。

こうしてリビングで台本を広げられるのもこの環境だからだ。



─鷹の傍はとても居心地が良い。

鷹は昔から、何を考えているのか分からないような俺を可愛がってくれる。

血の繋がりだって無いのに、いつだって味方をしてくれる。

泣きたい程不安な時も、寂しくて押し潰されそうな夜も。

こんな風にいつでも傍に居てくれるんだ。

だから俺も鷹には何でもしてあげたい。

鷹が求めるものは何でも叶えてあげたい。

表には出さないけど、そう思っているんだ。



その月海の感覚にどんどん近づいていく内に麻痺していって、キスをされている事に気付いたのは唇が重なってから暫く経ってからだったと思う。


「ゆ、雪弥⋯ 待っ⋯ 」

「蛍⋯ 」


名前を呼ばれる力強く抱き締められていた。


「ごめん⋯ でも、社長命令とはいえ本当急で無茶な話受けてくれてありがとう。
またこうして蛍と過ごせて嬉しいよ」

「雪弥⋯ 」

「本当は秋の所になんて帰したくなかった。
けど、蛍がそれを望んでるなら俺は何も言えない」


雪弥は体を離すと、頬に指を滑らす。

優しさと、悲しみと、愛しさが混ざる眼差しに視線を奪われると暖かい手に頬を包まれた。


「⋯ 蛍、俺の所においでよ。
誰よりも蛍を想っている自信あるし、蛍を悲しませる様な事はしない」


親指で下唇をなぞると、再びキスが落ちてきた。
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