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6.Music festival.-吉澤蛍の場合-
秋良の気持ち
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突然の様々な変化に驚き、引き寄せられた方を見るとそこには秋良がいて、雪弥と睨み合ったかと思うと手を捕まれ、引き剥がされていた。
徐々に遠くなる雪弥の表情ははっきりと見えなかったが、さぞ深い皺が眉間に刻まれている事だろう。
話の途中でその場を離れる事に後ろめたさを感じたが、手を引く彼の怒りも痛い程に感じる今、自分の意思で動く事は難しくて、身を委ねた結果、建物の外だ。
表通りに出ると秋良はタクシーを拾い、乗るように促す。
終始無言で揺らぐことのない瞳。
移動中も窓の外ばかり見てこちらを向こうともしなかった。
連れてこられたのにいたたまれない気持ちになると、心を無にして目的地に着くのをじっと待って凌いだ。
タクシーを降りると、再び手を強く引かれた。
─そんな事しなくても走って逃げたりなんかしないのに。
そういった信用みたいなものも失ってしまっているんだと、沈む気持ちとは反対に冷静な判断は出来るんだから不思議だ。
辺りは暗くどこで降りたのか分からなかった。
乗り込んだエレベーターの “7” のボタンを押した所で、目的地が秋良の家だという事にようやく気付く。
部屋の鍵を開けるという当たり前の動作も淡々と行われる事でビクついてしまう。
掴んだ手は暖かいのに、表情や態度は驚く程冷ややかだった。
「どうぞ」
「⋯ おじゃま、します」
帰るなんて言えそうもない雰囲気で、その最低限の一言に従うしかなかった。
リビングにあるソファの横まで来ると掴まれていた手は離れ、秋良はキッチンの方へ向かう。
座れという事なんだろう。
その黒いソファにゆっくり体を埋めると、膝を抱えて秋が戻ってくるのを大人しく待った。
何も映ってはいない真っ黒なテレビ画面を見つめていると無言でマグカップが差し出された。
「⋯ ありがとう」
隣に腰掛けた秋良がコーヒーを啜る。
静かな室内にカチコチと時計の音だけが部屋中に響いていた。
隣にいる秋良の存在が、どうしても緊張感を増していく。
凍った空気の中、やっとの思いで絞り出した言葉は消え入りそうでありきたりだった。
「秋、怒ってる?⋯ よね」
再びコーヒーを啜ると静かに口を開いた。
「怒ってるよ」
ローテーブルにマグカップを置くと、ソファに体を預けた。
視界の隅っこで何やら葛藤する秋良を見ながら、どう出ようかと考えていると溜め息が聞こえてきた。
「俺、結構分かりやすくアプローチしてきたつもりだったんだけど」
─わかっていたよ。
会う度に積極的になる秋に最初は戸惑ったけど、その内に秋のことを意識するようになっていた。
自分でも分かっていたけど、どんどん膨れ上がる気持ちと置かれた状況に追いつかなくなって気付かないふりをしていた。
自分の気持ちにも、秋の気持ちにも。
「蛍はズルイよね。相手の気持ちが自分にある事知っていて受け入れるわけでもないし、拒絶もしない。俺の事も、森田も大野も雪弥も。
変わる事がそんなに怖い?」
「⋯ こわ⋯⋯ いよ」
─そうだ、怖いんだ。
この心地良い関係が壊れてしまうのはもう耐えられない。
同性同士なんて周りの人間が気持ち悪がったり拒絶する事の方が多いんだ。
母さんのように。
だから人には言えない。
隠して、悟られない様に息を潜めていた。
想い合うなんて、できなくても良かった。
秋良が言うように、好意を寄せてくれているんだと感じた時もあった。
でもやはり、その友人という都合の良い関係が壊れてしまうのはどうしても嫌だったんだ。
真実を知って離れて行ってしまうのが。
「俺だって怖いよ⋯ 蛍が離れて行ってしまったら、ナナツボシは?俺の、気持は⋯ 」
─全部、臆病ではっきりしない俺のせい。
たったそれだけの為に、悲しませたくないこの人の事も悲しませていたんだ。
このままで良い?
いや⋯ そんな筈無い。
悲しませたくない。
あの太陽みたいな笑顔で笑っていてほしい。
一度くらい、素直になっても良いのかもしれない。
こんなにも心の中をさらけ出してくれるのだから。
信用してもいいのかもしれない。
前屈みになって俯く秋の襟元を掴み、少し強めに引き寄せると、悲痛に歪む顔に唇を寄せた。
コーヒー味のキスだった。
自分からキスをしてしまったら、秋良を想っている事を伝えたくて、秋良の不安を消したくて夢中でキスをした。
いつもの秋良からは想像もつかない程の受け身体制に、蛍は様子を伺うように体を離す。
ほんの少し、動けば直ぐに唇が触れる距離。
その距離で甘く低い声が響いた。
「蛍も俺の事考えてくれてるって、思って良いの?」
「⋯⋯ うん」
微かな声はしっかりと捉えられていて、後頭部に、そして腰に回した手で更に体を引き寄せられた。
いつの間にか主導権は秋良の手に渡っていて、蕩けるようなキスに翻弄された体は芯から熱い。
「蛍、好き。すげー好き」
何度も重なる唇に、2人分の息遣いが静かな部屋に響いた。
徐々に遠くなる雪弥の表情ははっきりと見えなかったが、さぞ深い皺が眉間に刻まれている事だろう。
話の途中でその場を離れる事に後ろめたさを感じたが、手を引く彼の怒りも痛い程に感じる今、自分の意思で動く事は難しくて、身を委ねた結果、建物の外だ。
表通りに出ると秋良はタクシーを拾い、乗るように促す。
終始無言で揺らぐことのない瞳。
移動中も窓の外ばかり見てこちらを向こうともしなかった。
連れてこられたのにいたたまれない気持ちになると、心を無にして目的地に着くのをじっと待って凌いだ。
タクシーを降りると、再び手を強く引かれた。
─そんな事しなくても走って逃げたりなんかしないのに。
そういった信用みたいなものも失ってしまっているんだと、沈む気持ちとは反対に冷静な判断は出来るんだから不思議だ。
辺りは暗くどこで降りたのか分からなかった。
乗り込んだエレベーターの “7” のボタンを押した所で、目的地が秋良の家だという事にようやく気付く。
部屋の鍵を開けるという当たり前の動作も淡々と行われる事でビクついてしまう。
掴んだ手は暖かいのに、表情や態度は驚く程冷ややかだった。
「どうぞ」
「⋯ おじゃま、します」
帰るなんて言えそうもない雰囲気で、その最低限の一言に従うしかなかった。
リビングにあるソファの横まで来ると掴まれていた手は離れ、秋良はキッチンの方へ向かう。
座れという事なんだろう。
その黒いソファにゆっくり体を埋めると、膝を抱えて秋が戻ってくるのを大人しく待った。
何も映ってはいない真っ黒なテレビ画面を見つめていると無言でマグカップが差し出された。
「⋯ ありがとう」
隣に腰掛けた秋良がコーヒーを啜る。
静かな室内にカチコチと時計の音だけが部屋中に響いていた。
隣にいる秋良の存在が、どうしても緊張感を増していく。
凍った空気の中、やっとの思いで絞り出した言葉は消え入りそうでありきたりだった。
「秋、怒ってる?⋯ よね」
再びコーヒーを啜ると静かに口を開いた。
「怒ってるよ」
ローテーブルにマグカップを置くと、ソファに体を預けた。
視界の隅っこで何やら葛藤する秋良を見ながら、どう出ようかと考えていると溜め息が聞こえてきた。
「俺、結構分かりやすくアプローチしてきたつもりだったんだけど」
─わかっていたよ。
会う度に積極的になる秋に最初は戸惑ったけど、その内に秋のことを意識するようになっていた。
自分でも分かっていたけど、どんどん膨れ上がる気持ちと置かれた状況に追いつかなくなって気付かないふりをしていた。
自分の気持ちにも、秋の気持ちにも。
「蛍はズルイよね。相手の気持ちが自分にある事知っていて受け入れるわけでもないし、拒絶もしない。俺の事も、森田も大野も雪弥も。
変わる事がそんなに怖い?」
「⋯ こわ⋯⋯ いよ」
─そうだ、怖いんだ。
この心地良い関係が壊れてしまうのはもう耐えられない。
同性同士なんて周りの人間が気持ち悪がったり拒絶する事の方が多いんだ。
母さんのように。
だから人には言えない。
隠して、悟られない様に息を潜めていた。
想い合うなんて、できなくても良かった。
秋良が言うように、好意を寄せてくれているんだと感じた時もあった。
でもやはり、その友人という都合の良い関係が壊れてしまうのはどうしても嫌だったんだ。
真実を知って離れて行ってしまうのが。
「俺だって怖いよ⋯ 蛍が離れて行ってしまったら、ナナツボシは?俺の、気持は⋯ 」
─全部、臆病ではっきりしない俺のせい。
たったそれだけの為に、悲しませたくないこの人の事も悲しませていたんだ。
このままで良い?
いや⋯ そんな筈無い。
悲しませたくない。
あの太陽みたいな笑顔で笑っていてほしい。
一度くらい、素直になっても良いのかもしれない。
こんなにも心の中をさらけ出してくれるのだから。
信用してもいいのかもしれない。
前屈みになって俯く秋の襟元を掴み、少し強めに引き寄せると、悲痛に歪む顔に唇を寄せた。
コーヒー味のキスだった。
自分からキスをしてしまったら、秋良を想っている事を伝えたくて、秋良の不安を消したくて夢中でキスをした。
いつもの秋良からは想像もつかない程の受け身体制に、蛍は様子を伺うように体を離す。
ほんの少し、動けば直ぐに唇が触れる距離。
その距離で甘く低い声が響いた。
「蛍も俺の事考えてくれてるって、思って良いの?」
「⋯⋯ うん」
微かな声はしっかりと捉えられていて、後頭部に、そして腰に回した手で更に体を引き寄せられた。
いつの間にか主導権は秋良の手に渡っていて、蕩けるようなキスに翻弄された体は芯から熱い。
「蛍、好き。すげー好き」
何度も重なる唇に、2人分の息遣いが静かな部屋に響いた。
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