まだ、言えない

怜虎

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4.Autumn.

不意打ち

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朝は時間が経つのが早く、時計を見ると退出予定時刻までそう時間はなかった。

今夜は宿泊先が別の場所に変わる事になっている。

出る時には全ての荷物をまとめていなくてはならない。

途中秋良の視線を感じたが、気付かないふりをしてスウェットや洗面道具をスーツケースに詰め込んだ。


準備終わると、スーツケースをベッドから下ろして持ち手を引き出す。

一足先に準備を終え、ベッドでスマートフォンをいじっていた秋良から声がかかる。


「もう出れる?」


じとっとした目で一度見て、無言のまま部屋の出口に向かう。


「蛍、まだ怒ってるの?」


秋良の言葉には反応せず、ドアノブに手をかけた。

扉を15センチ程開けたところで後から手が伸びてきた。

そのまま扉を押し締めると、ドアノブに近い方の蛍の肩を掴み反転させると、そのままトンとドアに押し当てられた。

驚いて見上げると触れるだけのキスが落ちてくる。

すぐに唇が離れると自身の下唇をぺろりと舐め、悪戯に笑った。


「夜は大部屋だから」


2人部屋なら夜も⋯


脳内で直訳されると頬が暑くなったのがわかった。

黙り込むと手を引かれ、秋良の胸の中に収まっていた。


「可愛い」


ギュッと抱き締めると、秋良は満足気に笑った。

やりたい放題の秋良にもはや何も反論できなかった。

されるがまま。

完全に主導権を握られている。

悔しい気持ちはあったが、蛍はそれ以上の幸福感があった。


──コンコン


背中のすぐ後ろで扉を叩く音が聞こえると、秋良の大きな溜息が漏れる。


「⋯絶対あいつら」


抱き締めたまま言うと仕方なくといった様に体を離し、雑に扉を開ける。


「おはよう!なんだ準備できてる⋯って雨野何か怒ってる?」


ムスッとした表情の秋良を見て、山口は慌てた様子で尋ねた。


「蛍、おはよう。体調どう?」


山口の横からひょっこり悠和も顔を出す。


「おはよう。うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」

「じゃあ機嫌が悪い雨野は置いて朝食、行こうか!」


秋良は自分の考えを曲げられたり、遮られるのが嫌いなようで、途中で強制終了されたのが気に食わなかったのだろう。

しかし、何故かと聞かれたとしても真実を言える訳がない。

目が合った山口に向けた笑顔は、それはぎこちない物だったに違いない。

とんでもない質問が出てきやしないかとヒヤヒヤしながら、その場をやり過ごす方法を必死に考えたが、そう簡単には思いついてくれそうにない。


「行こう、蛍」


蛍の名前だけ呼ぶと、秋良はエレベーターのある方向に歩いていった。


「何だよ、折角迎えに来たのに」

「あいつ、前からああなんだよ。気に食わない事あると機嫌が悪くなるんだよね⋯ 」


2人が口々に言うと秋良の大きな声が廊下に響く。


「蛍!」

「はい!⋯ごめん、俺追いかけるね」


そう言い残して、秋良の後を追った。


蛍がエレベーターに乗り込むと、秋良は直ぐにボタンを押し扉を閉めた。

迎えに来てくれた悠和と山口には申し訳ないが、今は秋良の機嫌を損ねない様に行動した方が良さそうだ。

しかし具体的に何をしたら良いのかすぐには思いつかず、階数ボタンの上に設えられたディスプレイの、カウントダウンしていく数字をただ見つめていた。


7階から2人で乗ったエレベーターは、殆どの階で止まり、みるみるうちに人数が増えていった。

人の波に、エレベーターの奥の方まで押し寄せられついに満員状態になった時、蛍の体は秋良が後ろから抱き締めるような位置に収まった。

すると秋良は蛍の肩に顔を埋める。

定員オーバーでないにしても、箱いっぱいになったエレベーターの中でそんなに密着されたら、変な目で見られるかもしれない。

蛍は横目で知り合いが居ないか確認すると、少しの間止めていた呼吸をゆっくりと整える。


──チュッ


一階に付くと同時に鳴った軽快な音と同じタイミングで、秋良は蛍の首筋にキスをした。

音に紛れたのか、満員のエレベーター内では気にする人なんていない。

してやったりと得意げな秋良に、蛍はただ驚くことしか出来なかった。


「この短時間で雨野の機嫌を治すなんて、流石は吉澤先生」


隣のホテルに移動する途中、ニヤニヤしながら山口が声を掛けてきた。

不ん機嫌な様子で先にロビーに降りてしまった秋良に、2人を待とうと提案すると、それは思いの外すんなり聞き入れられた。


「先生って⋯特に何もしていないけど」


エレベーター内での事は、自分でも何が起こったのか理解するのに時間がかかったが、言うなれば “された” が正解だ。

左側の首筋を手で押さえると、唇の感触が蘇る。

頬が熱くなった気がして、その表情の変化に気付かれまいと少し俯いて歩いた。


「ふーん⋯吉澤は最近順調なの?」

「何?急に」

「いや、夏休み前は凄いヘコんでたけど、今は元気そうに見えるからさ。夏休み中に復縁でもしたのかなと思って」


唐突な質問に目を丸くすると、天井を見上げ記憶を辿る。

夏休み前⋯確かにその頃はナツの事で頭がいっぱいだった時だ。

ナツと出会ったその頃に、秋良と仲良くなった事で山口とも交流する様になったのだが、印象を悪くしない様にと元気に振る舞うようにしていた事を覚えている。


「山口にはお見通しって感じだな」

「そうか?」

「うん⋯彼女はいないよ。夏休み前に振られたから」


蛍は精一杯の作り笑顔を山口に向ける。

忙しくして思い出さないようにしていたけれど、思い出に触れるとまだ少し胸が痛んだ。


「まだ好きなの?その子の事」

「⋯分からない。もう連絡も取れないし」

「そうか。話聞く事なら出来るから、言って楽になるなら話して?」

「ありがとう⋯今は忙しくて、結構気が紛れてるんだ。だから大丈夫」


そう言った蛍の表情は、先程のぎこちない笑顔とは比べ物にならないくらい安心したものだった。


山口は相当な気遣い屋だ。

周りの人間の変化に気付くのはいつも山口が最初で、何というか争いを好まない平和主義者。

ふざけたり真剣だったりと色々な表情を見せるが、彼なりに、ふざけて良いのか悪いのかと細かく計算している様子も伺える。

その判断は大したもので、被害を被ることなど今まで一度としてない。

寧ろその言動に助けてもらうことが多く、喧嘩や言い合いをしている所なんて見たことがない人が殆どではないだろうか。


「さぁご飯食べよ。吉澤昨日食べなかったから今日は食べて。ここの料理、なかなか美味かったから」


そう言って山口は取り皿を手渡すと、お勧めの料理を次々と盛っていく。

昨日に比べ食欲は増したが、流石にこれは取りすぎだと笑うと、山口は大丈夫と自信満々に答えた。


「食べれなかったらあいつらが食べさせるから」


続けて言った直後に、大量の料理を運んできた2人を見て顔を見合わせて笑う。

ここ数日で、最も穏やかな朝だった。

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