まだ、言えない

怜虎

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4.Autumn.

戸惑い

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昨日同様、夕食はホテルに戻る前に自由に食べる事になっていた。

夜になれば空腹感も感じるようになり、新鮮な食材が並ぶ海鮮市場で海鮮丼をセレクト。

しっかりとその丼を平らげると、ホテルでの点呼まではまだ時間がったが、先に戻ってゆっくりしようと早めに戻る事にした。


部屋に戻ると順番にシャワーに入る。

昨日は機嫌が悪かった秋良も、今日は普段通り。

今日は機嫌が良いまま一日を終われそうだと蛍は内心ほっとしていた。


最近の秋良の様子は、突然機嫌が良くなったり悪くなったりと心臓に悪い。

そんな事を考えながらスーツケースの中の整理を終えると、蛍は部屋に付いている小さなバルコニーに出てみる事にした。


9月といっても日中はまだ暑く、土地のせいか夜は少し冷える。

火照りっぱなしの蛍の体を冷やしてくれる夜風が気持ち良い。


ここ最近は色んな事が有り過ぎて、頭がついていかない。

どんどん入ってくる新しい情報に処理が追いつかず、混乱していた。

本当はしっかり考えて行動をしたい。

それに元々の性質はどちらかというと鈍い方だ。

相手の行動を何パターンも予想する事ができたら、毎度戸惑ったり赤面することもないだろうに。

そんな能力を持ち合わせていない蛍には想定外の事が多く、ただ事実を受け止めるのが精一杯だった。

秋良にしても悠和にしても、男相手だと言う事は分かっている筈だ。


「はぁ⋯」


誰かに相談できたら楽なのに。

思い出しては答えを出そうと試みたが、どれも自分ひとりでは解決できそうにもなかった。


「蛍?」


暫く悩んだ後名前を呼ぶ声が聞こえ、振り返ると秋良の姿があった。


「ここにいたのか」

「うん⋯夜景が綺麗だなぁと思って」

「そうか⋯体調悪くないか?」


秋良が隣に並ぶ。


「大丈夫、ありがとう」


少しの間2人して無言で夜景を見詰めていた。

ゆっくりと時が流れるのを感じながら、再び蛍が口を開いた。


「⋯夜景ってさ、不思議な気持ちにならない?このひとつひとつの明かりが家族の輪でさ。勿論ひとりで暮らしている人もいるんだけど、何かあたたかい気持ちになる」


「へぇ。1曲書けそうだな」

「あはは。そう?」


お互いを見て笑い合うと、秋良は優しい目をして話し始めた。


「⋯それ、本当に書いてみなよ。蛍が作った詩に曲付けたい」


その言葉に微笑してみせた。


「うん⋯考えてみるよ」

「後ユニット名もね」

「雨野が考えるのかと思ってた」

「まぁ候補はあるけど、フェスまで1ヶ月切ってるし蛍も一緒に考えてよ。
それより⋯いつになったら名前で呼んでくれるの?」


秋良の顔付きが変わり、見上げるとニヤリと口角を上げる。


「えっ⋯?」

「俺、苗字出せないからうっかり呼ばれたら困るんだけど」


冗談ぽく言う割には目は真剣で、秋良の突然の変化に蛍は戸惑いを隠せなかった。

その真剣で、そしてからかうような目から逃れたくて一歩後退りすると、すぐに距離を詰められる。


「雨野⋯」


肩を掴まれると力が入り体が緊張する。


「ほらまた。早く呼ばないとキスするよ」


そう言って整った顔がゆっくりと近付いてくる。

最近、秋良は本当に変だ。

やたら触れてくるし、時々鋭い目をする。

優しさも増したが、ドキドキさせられる事が断然多くなり、その度に蛍はわかりやすく戸惑った。


頭の後ろに手が回され引き寄せられると、いよいよ触れそうな距離になる。


「⋯あき」


秋良はピタリと動きを止め、チッと舌打ちをする。

今度は体ごと引き寄せられるときゅっと抱き締める。


「お前、本当卑怯」


卑怯なのはどっちだと抱き締められたまま、うまく働かない頭で考える。

暫くは抱きしめられているしかなくて、時間が経っても否定も肯定もする事は出来なかった。

結局、目を閉じたまま何も出来ずにいると秋良は照れ臭そうに言い訳めいた言葉を並べる。


「でも、表では苗字呼ばれると困るのは本当。母さんの仕事の邪魔にはなりたくないから⋯ 体冷えちゃったな。中に入ろう?」


ゆっくりと体が離れていく。

蛍がコクリと頷くと、秋良は微笑んで手を引いた。
「ねぇ、教えてよ。ユニット名の候補」

「言ったら蛍の考えを偏らせると思うからダメ」


秋良は蛍を部屋の中に引き込むと、バルコニーのドアを閉めた。

鍵をかけカーテンを引く秋良の後頭部にけちと呟くと、帰ってきた予想外の優しい言葉に戸惑う。


「旅行の間くらい考えてみて」

「え?⋯うん」

「⋯⋯⋯」


少しだけ冷えた指でスッと頬を撫でられると、心臓が跳ねる。

頬の火照りが増していくのを感じた。

その真っ直ぐな目に耐えられなくなり目を逸らす。


「雨野、んっ⋯」


顎をすくい上げると包み込むようなキスをした。


「言ったでしょ。雨野って呼んだらキスするって」


鋭さの中に、確かに優しさが残っていて、蛍はそのギャップに戸惑い目を伏せた。


「次名前で呼ばかったらまたキスするからね」


秋良はそう宣言すると、ムニっと蛍の頬を摘んだ。


「いはい⋯」


その秋良の行動が空気を和ませた。


「ふふ、可愛い」

「嬉しくない⋯」

「可愛いから仕方ない」


益々笑いが大きくなる秋良に蛍は思い切り反論する。

頬を軽く引っ張って、摘んでいた手を離すと、頭をかき回して秋良は笑った。


「さて。もう寝ようか。明日も早いし」

「⋯うん」

唇や頬、頭に残る感触が後を引く。

こんなにも頻繁に触れられたら体がもたない。

思い出しては恥ずかしさで死にそうだ。


きっと今も、赤い顔をしているんだろう。

少しでもそれを紛らわそうと、部屋に上がる前に買ったペットボトルのお茶を飲んでからベッドに入ってみたが、それでも頭の中は先程までの事が次々に蘇ってきて眠りを妨げる。

朝の事をふと思い出す。

確か目覚めたのは自分のベッドではなく、秋良のベッドだ。

朝は寝惚けている風を装い、何のツッコミも入らない内に部屋を出る事が出来たせいか、その後は思い出しもしなかった。

お陰で日中気まずい思いをしないで済んだのは良いが、何故秋良のベッドにいたのかという疑問が残る。


連れてこられた?いやまさか。

ならば、自分で寝惚けて入り込んだのか?


そうだとしたら、凄く大胆な事をしてしまった。

寝惚けているにしても酷すぎる、と蛍はベッドの中で一人頭を抱えた。


布団から顔だけを出し、気付かれない様に秋をチラリと見ると、既に寝息を立てていた。

その口元を見ると妙に意識してしまい、ひとりで赤面する。

それを隠すように枕に顔を擦り付けた。


秋良が寝ていて良かったと蛍は胸を撫で下ろした。

しかし、すぐに冷静にはなれない。

その夜は言うまでもなく、なかなか寝付けない夜となった。




目覚めると、暖かい腕が絡み付いていた。

まただ。

蛍は秋良のベッドで寝ていることに気付く。

どうやって移動したかなんて覚えているはずはなくて、全く記憶にないこの状況に、起きたての脳をフル回転させ、ない記憶を辿る。


「おはよ、蛍」


秋良は先に起きていたようで、寝起きの低い声が耳元で響く。


「おはよう⋯つかぬことをお伺いしますが、秋さん。ベッドにお邪魔したのは俺⋯ だよね」


秋良の動きが一瞬止まったと思ったら、次の瞬間小刻みに震えた。

どうやら笑っているようだ。


暫くの間続く笑いに段々恥ずかしくなってくると、やっと秋良が口を開く。


「くくく⋯そうだね」

「笑うなよ⋯リアル、夢遊病かと思ってるのに」



笑い声は続く。


「はぁ苦しい⋯くくく」



どうにも止まらないようで、秋良の腕から逃れるとベットから起き上がった。


「ずっと笑ってろ!」

「ごめんって。怒んないで、蛍?」


笑いの抜けない声が背中越しに聞こえる。


「もぅ良い」


勢い良く角度を変えて、洗面所に逃げ込んだ。

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