まだ、言えない

怜虎

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3.Summer vacation.-雨野秋良の場合-

プレゼンテーション

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「お疲れ様です!」


社長と鷹城に続いて千尋が入ってくると、感じの良い元気な声が響いた。

後に続く姿を想像し眉間に皺を寄せると千尋は迷わず重い扉を閉めた。


「僕もお邪魔して良い?」

「あぁ、構わない⋯ 雪弥は来てないんだ」

「うん。仕事があるって言ってたよ」


雪弥の性格からして、仕事があったとしても様子を見に来るなんてことは有り得ないだろう。

そう思う一方、説明のできない “もしかしたら” というモヤモヤとした考えがずっとまとわりついていた。


社長がピアノの椅子に腰掛ける様子を見ながら、頭の片隅にあったモヤモヤの正体を認識する。

気にしていないつもりでいたが、自分で思うよりも大分意識をしていたようだ。

頭の中で整理しながら、念の為と持ち込んでいた譜面をまとめる。


「イス出そうか?」


社長の斜め後ろで壁に寄りかかった鷹城と、その近くに腰を下ろした千尋に気遣うと、本人達は大丈夫と既に聴く体制の様だ。


「じゃあ早速。2曲やります」


蛍と顔を見合わせる。

その表情が柔らかく、思った程緊張はしていない様だ。

始まりの合図に頷くと、蛍も頷いた。


1曲目はTRAPのマゴコロ、アコースティックバージョン。

あれから更に手を加えて、蛍の歌が映えるように仕上げた。

歌詞やメロディラインは変えていないから、別の曲には聞こえないだろう。

音の厚みを出したいと、途中まではどちらも演奏する構成で練習をしていたが、今回は蛍の歌を披露する場でもあった為、蛍には歌に専念してもらいアコギ一本で演奏する事にした。

ギターを弾きながらでも問題無く歌えるが、歌う事に専念してもらう方が何倍も良い出来だった。


2曲目は蛍の部屋で弾いたモダンジャズ。

自身もハモリを入れたり、メインで歌う場所も設け、メロディーラインと歌詞をしっかり固めて、より昭和歌謡っぽく仕上げた。


やはり、雪弥と進めていた企画で蛍を使わずに正解だった。

この蛍の歌声は、TRAPのイメージでは潰れてしまう。

緊張も解けたようで楽しそうに歌う蛍と、曲間では見せなかった為平達の反応を見て、この路線しかないと確信した。


「秋ちゃん、蛍くん、カッコイイよ!」


興奮気味に千尋が言うと、鷹城も頷いていた。


「社長、どうだった?」

「いや、凄く良い。蛍の歌も、曲も⋯ お前も、やっと歌う気になったんだな」


為平がニヤリと笑う。

納得させることが出来た安心感と喜びをわかち合おうと蛍に視線を移すと、やり切ったのか宙を見つめて惚けていた。

背中を撫でるとゆっくりこちらを向いた蛍に、やったなと笑いかけると満面の笑みが返ってきた。


「年内予定だっけ?俺はもっと早めても良いと思うけど。鷹城、スケジュール確認と調整しておいて」

「はい、社長」


為平はそう言い残し足早にスタジオを後にした。


「本当に蛍くん、声良いね。ココ最近聞い中でも1番上手いと思ったよ」


鷹城が感心する。


「え?僕はダメってこと?」

「千尋はね、別ジャンル」

「それはわかる気がする」


鷹城の言葉を肯定すると、千尋は首を傾げた。


千尋は元々モデルとしてROOTに所属をしていた。

モデル歴の方が長いせいか、何をしていてもそのイメージが抜けない。

千尋の音楽は“魅せる音楽” というイメージで、蛍とは全く違う。


「ふーん。よくわからないけどまぁ良いか。
ねぇ秋ちゃん。この前の話、今からお願いできる?」

「ああ、この前は悪かったな」

「ううん、大丈夫。
蛍くんも、ごめんね。邪魔しちゃって」

「あ、いえ。大丈夫⋯ です」


千尋に相談されてからタイミングが合わないまま1ヶ月近く経ってしまった。

今日の為に練習時間を多く取っていたという理由はあるが、千尋に連絡入れるのを忘れていた事に今更気付く。

少し拗ねたような素振りを見せた千尋の機嫌を損ねないように、蛍に断りを入れると千尋に向き直った。


千尋の相談は新曲の歌い方について。

どうもしっくりこない部分があるらしい。

本来はアップテンポの曲だが、アコースティックギターを使ってゆっくり伴奏し勧めていく。


「ここの音。僕の歌う音と雪弥の音がいつもぶつかってる気がして気持ち悪くてさ」

「千尋歌ってみて」


TRAPでこういった練習は全くと言って良い程しない。

レコーディングとは別の機会にこうしてメンバーの歌を聞くことも珍しい。


「蛍、ちょっと歌える?」

部屋の隅で携帯を弄りながら待機していた蛍を呼ぶ。


「うん?」

「千尋が雪弥のパート。蛍が千尋のパートね」

「えっ?うん」


当たり前だが世には出ていない曲だ。

蛍には聞かせたこともない曲だが、一部分とはいえ千尋が練習していたこの短時間でメロディを覚えている所は流石と言えるだろう。

しかも携帯を弄りながら耳に入ってくる程度のメロディだ。

意識的に聞けば本家を超える可能性だってあるだろう。


「ここは、ワンコーラス目とツーコーラス目でギターの音が半音違う。ワンコーラス目は上がりきらない方が良い。ツーコーラス目はむしろその音を出さないと不協和音になる」

「なるほど⋯わかった!蛍くんパートチェンジでもう一度歌って貰える?」

「あ、うん。わかった」


千尋は蛍が歌ったようにメロディーを合わせると、眉を寄せて訪ねた。


「大丈夫だった?」

「うん。OK!
この音は凄く調節しづらいし、音の感覚も短いところだから俺としてはよく気付いたなって所だったよ。千尋上手くなったな」


秋良が褒めると千尋は満面の笑みを浮かべた。

蛍が猫なら千尋は犬だ、とひとり納得する。


「ありがとう、秋ちゃん!蛍くんもつき合わせちゃってごめんね」

「録る時はは別々に歌うからな。時間合って良かったよ。全然時間取れなくてごめんな」

「ううん、レコーディング前に聞けて良かった」
気付くと鷹城はいなくなっていて、千尋もこの後打ち合わせがあるからと何度か例を言ってスタジオの外へ出ていった。


このまま練習をしようかとも考えたが、今日まで猛練習してきたんだ。

美味しいものでも食べに行こうと蛍を誘い、スタジオを出ることにした。

学生の “豪華” の定番といえばこれだろう。

家の近くにあると蛍に進められた焼肉に店に向かう。

その途中に雨が降り出し、急いで店に向かった。


食べ終わる頃には雨が弱まっていることに期待していたが、帰る頃には外は酷い嵐になっていた。

少し長居して雨が弱まるのを待ってみたが、窓ガラスに勢いよく打ち付けられる横殴りの雨は、量を増して降り続けるばかりだった。


「これじゃあ帰れないよね⋯うちの方が近いと思うし、良かったら来る?」


ここからだと駅も蛍の家も変わらないくらいの距離だ。

まだ夏休み中で、佳彦に蛍の事を話さなければいけないと思っていた所だ。

その好意に、ここは甘えてしまおう。


「そうさせてもらおうかな」


十分もかからない位の距離。

幸い、楽器は持っていなかったから身軽だ。

土砂降りの雨と風の中を2人してぎゃーぎゃー言いながら、所々出来た大きな水溜りを踏んでしまうことも気にせずに蛍の家を目指した。

家に着くと玄関の明かりがぼんやりと灯っていた。


「父さん、帰ってきてるんだ」


確か前に聞いた話では、佳彦は仕事が忙しく家に帰って来ないことが多いらしい。

帰ってきたとしても、起きている時間に帰ってくる事は珍しくこの時間からいるなんてと少し嬉しそうに蛍は部屋のドアを開けた。


「お帰り」


視界に入ったのは佳彦よりも大分背丈の高い男。


「あれ?はや兄??」


服や髪から滴る雨を払いながら蛍が声をあげた。

普段掛けている眼鏡をしていなかっただけで、すぐに気付くことができなかった。

蛍の読んだ名前に胸の辺りがざわつく。


「蛍、おかえり。あれ?雨野⋯」

「あ⋯雨が酷くて。寄ってもらった」

「そっか。タオル、持ってくるよ」


風呂上りのスタイルで、スウェット、上半身は裸に濡れた髪。

肩に乗せていたタオルを蛍の頭に移し簡単に拭いてやると、勝ち誇ったかのような笑みを浮かべて部屋の中に入って行く。


「なんで、森田が⋯」

「父さんと約束かな?」


頭に被せたタオルの間から目を瞑る蛍の顔が覗いた。

その穏やかな表情や口ぶりから、蛍の約束ではないことが分かる。


「はい、タオルね」


タオルを持ってきたのは佳彦で、大きめのタオルを広げると濡れた髪を優しく拭いてくれた。

てっきり隼人が来るものだと警戒していたが、どうやらその役を放棄したらしい。


「すいません、急にお邪魔しちゃって」

「ふふ、秋良くんは息子みたいなもんだから気にしないで良いんだよ」

「ありがとう⋯ございます」


タオル越しの佳彦の手がやけに “父親” を思い出させると一人照れて俯く。

頭を拭かれたままの体制で蛍に顔を覗き込まれると、慌てて顔を引き締めた。


「雨野ー?先入って。風呂」

「⋯蛍先入れよ」

「いいから、先使って!」


そう言った蛍に勢いよくバスルームに押し込まれてしまった。

閉められた扉をわざわざ開けてまで順番を譲るのも気が引けて、大人しく先にバスルームを借りる事にした。

蛍が濡れたまま待っていると思うと自然と動作も早くなる。

雨に降られた体をゆっくり温めることも無く、いつもよりも早く済ませると、蛍と入れ替わった。

佳彦の前で勝手に蛍の部屋に行くのは忍びないと思い、リビングに顔を出した。

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