まだ、言えない

怜虎

文字の大きさ
上 下
32 / 118
3.Summer vacation.-雨野秋良の場合-

悪夢の回避

しおりを挟む
視界に広がるのは真っ青な海。

事務所からはなかなかの距離があるにも関わらず、海岸まで来ていたようだ。


嫌なことがあると無意識の内に現実逃避をしてしまう癖があるらしい。

好きなことだけに没頭したり、落ち着ける場所にいつの間にか来ていたり⋯昔から変わらないこの癖が、何だか無性に笑えた。


やっぱりこの場所は落ち着く。

無意識の内に求めていただけある、お気に入りの場所。

納得する余裕が出てきたと一人頷くと、時間を忘れてぼーっと海を眺めていた。

日差しは強いのに、少し強い風のお陰か大分涼しく感じる。

海風に乗ってこの苛立ちも飛んでいけば良いのになんて、思いながら飽きもせず海を見つめていた。


「雨野」


突然名前を呼ばれ、ビクリと体が跳ね上がったが、振り返った先のその笑顔に心が揺れた。

そのまま引き寄せられるように腕を伸ばす。


「⋯ 雨野?どうしたんだよ?」


蛍の肩に顔を埋め、そのまま両手で抱きしめるように腕を回した。

蛍は戸惑いながら言葉にならない声で焦りを表現していたが、いつもと違う雰囲気を感じたのか大人しく抱かれていた。


「はぁ⋯ 今日も悪夢コースか」


心が落ち着いたと思ったら一気に現実に引き戻される。

でも抱きしめた腕は決して緩めなかった。


「悪夢?」

「うーん⋯ 俺案外デリケートなのかも」


そう言ってクスっと笑う。

抱きしめられたままの蛍の表情は見えないが、頭の上にハテナが浮かんでいるのは安易に想像できた。


「どういうこと?」


それは直ぐに言葉へと変わる。


「雪弥との意見交換は俺にとって凄く刺激的らしい。毎度の事なんだけど夜、夢に出てくるんだ」

「意見交換って、昨日の?あれだけ激しいのに “意見交換” ?」


抱き締めたままコクリと頷くと、話を逸らすように蛍が口を開いた。


「それよりそろそろ離さない?誰かに見られたら⋯ 」


やはり蛍はそういう事に敏感らしく、羞恥心があると声は小さくなる。


「やだ」

「やだって⋯ 」

「⋯ 今日一緒に眠ってくれるなら離す」


蛍は一度動きを止めてから秋良のシャツの裾を掴んだ。


「⋯ 良いよ。俺がいたら悪い夢、見ない?」


出た彼からの意外な返事に驚いた。

断わられる前提で発した言葉のフォローの為に準備した言葉が引っ込むと、もう一度蛍の体をきつく抱きしめてから腕を解く。

約束はしっかり守らなければいけない、というのもそうなのだが、そんな可愛い事を言ってしまう蛍がどんな顔しているのか、という方が気になってしまった。

ゆっくり体を離すと予想通りその顔は赤く染まっていて、ニヤつく顔を隠すようにもう一度抱き締めた。

蛍は自身の状態には気づいてないかのように、ぽんぽんと背中を叩くと行こうかと駅の方向へ促す。

どうやら本当に “一緒に眠ってくれる” らしい。


大した努力もせず掴んだチャンスに感謝して促されるまま歩き出すと、ふと疑問が浮かんだ。


「そう言えば蛍、どうしてこんな所にいたの?」


並んで歩く蛍に問い掛けると、苦笑いを浮かべた。


「うん⋯ 駅で見かけて。雨野の様子がおかしいように思えて、追いかけた」


予想外の回答だったが、ここに来たのは無意識のうちの行動だ。

つけられていることに気付かないのも納得出来たが“様子がおかしいように見えた” という部分は少々引っかかった。

そんなにわかり易く感情が出るような顔や表情をしているつもりは無いが『怒り』と言う感情は別物かもしれない。

しかし、そのお陰で蛍とこうして会うことが出来たのだし悪い事ばかりではないのだろう。

期待していなったからこそ感じる満足感と、凍りついたこの心を溶かしていく蛍の存在は、一番大きなものとなっていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

アルバイトで実験台

夏向りん
BL
給料いいバイトあるよ、と教えてもらったバイト先は大人用玩具実験台だった! ローター、オナホ、フェラ、玩具責め、放置、等々の要素有り

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

男子高校に入学したらハーレムでした!

はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。 ゆっくり書いていきます。 毎日19時更新です。 よろしくお願い致します。 2022.04.28 お気に入り、栞ありがとうございます。 とても励みになります。 引き続き宜しくお願いします。 2022.05.01 近々番外編SSをあげます。 よければ覗いてみてください。 2022.05.10 お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。 精一杯書いていきます。 2022.05.15 閲覧、お気に入り、ありがとうございます。 読んでいただけてとても嬉しいです。 近々番外編をあげます。 良ければ覗いてみてください。 2022.05.28 今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。 次作も頑張って書きます。 よろしくおねがいします。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

こっそりバウムクーヘンエンド小説を投稿したら相手に見つかって押し倒されてた件

神崎 ルナ
BL
バウムクーヘンエンド――片想いの相手の結婚式に招待されて引き出物のバウムクーヘンを手に失恋に浸るという、所謂アンハッピーエンド。 僕の幼なじみは天然が入ったぽんやりしたタイプでずっと目が離せなかった。 だけどその笑顔を見ていると自然と僕も口角が上がり。 子供の頃に勢いに任せて『光くん、好きっ!!』と言ってしまったのは黒歴史だが、そのすぐ後に白詰草の指輪を持って来て『うん、およめさんになってね』と来たのは反則だろう。   ぽやぽやした光のことだから、きっとよく意味が分かってなかったに違いない。 指輪も、僕の左手の中指に収めていたし。 あれから10年近く。 ずっと仲が良い幼なじみの範疇に留まる僕たちの関係は決して崩してはならない。 だけど想いを隠すのは苦しくて――。 こっそりとある小説サイトに想いを吐露してそれで何とか未練を断ち切ろうと思った。 なのにどうして――。 『ねぇ、この小説って海斗が書いたんだよね?』 えっ!?どうしてバレたっ!?というより何故この僕が押し倒されてるんだっ!?(※注 サブ垢にて公開済みの『バウムクーヘンエンド』をご覧になるとより一層楽しめるかもしれません)

4人の兄に溺愛されてます

まつも☆きらら
BL
中学1年生の梨夢は5人兄弟の末っ子。4人の兄にとにかく溺愛されている。兄たちが大好きな梨夢だが、心配性な兄たちは時に過保護になりすぎて。

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

処理中です...