まだ、言えない

怜虎

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3.Summer vacation.-雨野秋良の場合-

歌声

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いつもと違う感触と、いつもと違う匂い。

ゆっくりと目を開けると見慣れない壁。

何故この場所にいるのかを忘れている訳では無いが、肝心のその人物がいない。

明るくなった部屋に目が慣れないうちに起き上がり部屋を見渡してもやはり、見当たらなかった。


少し顔を見ないだけで、逢いたくて仕方ない。

そんな衝動に駆られ、秋良はリビングに降りてみる事にした。


部屋の扉は開いていた。

その向こうには楽器を抱える蛍の姿があった。

エレキギターの様だがアンプには繋がず、弾いた時に出る音だけでシャカシャカと鳴らし、口元は何か口ずさんでいる様で楽しそうなその表情につられて口角が上がる。


部屋の入口まで近付くと床がぎしりと音を立てた。

その音に反応し蛍がこちらを見る。


「あ、雨野起きた?おはよう」


その笑顔に、秋良は一瞬で癒された。


蛍は一見無口だが、話してみると誰ともつるんでいないのが不思議なくらい話しやすい。

その無口さからか、女子には硬派と人気があるのが少々気に食わない。

黒目がちの瞳はどこか冷酷で、端正な顔を際立てている気がした。

それに似合わず、すぐに照れて顔を赤くするのは可愛いところだ。


「おはよ」


昨夜は少し強引だったと思いながらも、蛍の様子も変わったところは無さそうだ。


「よく眠れた?」

「ごめん、結構寝ちゃったみたいで。外にも出れないし、退屈だった?」

「大丈夫だよ、ギター弾いてたし⋯」


蛍は目線を泳がせると、ギターの弦を撫でた。


「好きなんだ?音楽」

「⋯うん」

「何か歌ってよ」

「えっ?」


唐突な発言に蛍は戸惑っているようだったが、少しの間の後口を開いた。


「⋯そんなに見せられたもんじゃないよ」


エレキギターからアコースティックギターに持ち替えると、弦を弾き始める。

手早く感覚でチューニングをしているところを見ると “見せられたものじゃない” は謙遜だろう。

調整を終えると、小さく深呼吸をしてから演奏を始めた。


それは誰かの恋心を歌った甘く切ないラブソング。

蛍の甘い声が切なく響く。

斜め下辺りを見つめるその横顔は艶っぽく、思わず見入ってしまう程だ。

歌も演奏も、そこらの歌手よりも上手く趣味レベルではない。

こんな才能を持っていてもその控えめな振る舞いがまた愛らしいと秋良の口元は緩んだ。


「⋯上手すぎ。ちょっと引くくらい」


演奏が終わり、素直な意見を言うと蛍は首を振った。


「そんなことないよ。でも⋯ありがとう」


自分の才能なんて自分じゃわからないと言うのもわかるが、この出来で謙遜するならば蛍の感覚はおかしい。


「もっと歌ってよ」

「じゃあ、歌おう?雨野も」


そう言って返事も待たずに音を奏でる。

アコースティックギターで弾きやすい様になのか若干アレンジが加わっているが、TRAPのバラード曲だ。

歌い始めは同じだったはずが、いつの間にかメインを歌わされ、蛍はハモるだけ。

はめられた感があるのは拭えないが、また蛍の新しい一面を見れた事に秋良は満足気に頷いた。


「雨野上手い!」


ハモりが良いとここまで違うものか、と今まで経験したものとの違いに驚いていた。


「蛍にはかなわないよ」

「そんな事無いって」


その困った顔は、やはり謙遜ではなく本心の様だった。


「⋯そうえばお昼、準備したけど食べる?」


はぐらかす作戦だろうか。

秋良は少し口角を上げてから頷いた。


「うん」


笑顔で告げると、蛍は早速キッチンに向かった。

準備をしながら蛍が話しかける。


「今日は用事ないの?」


まるで夫婦の休日だ。


クスっと笑うと蛍が不思議そうな顔をする。


「夕方から。昼食べたらもう行かなきゃいけない」

「わかった。俺も駅前まで出たいから一緒に行く」

「ああ」


そして、昼食をあっという間にたいらげると、準備をして蛍の家を出た。



話をして歩く駅までの距離は短くて、こんなに長い時間を過ごしたというのに離れ難い。

会おうと思えばすぐに会える距離。


しかし、夏休みに入ってしまった今、“毎日学校に行けば会えていた” が、“約束しなければ会えない” に変わるのだ。


「また遊びに行っても良い?」


駅まで見送りに来てくれた蛍に、別れ際にそう告げると笑顔で即答してくれた。


「勿論!」


そう言って俯いた蛍の髪をくしゃっと撫でてから、次の目的地へと向かった。

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