まだ、言えない

怜虎

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2.Summer vacation.-吉澤蛍の場合-

観劇

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この会場に足を踏み入れてからもう直ぐ6時間が経とうとしていた。


本日2本目となる舞台は、カーテンコールをむかえていた。

舞台役者たちが次々に前に出て挨拶しては拍手が起こる。


暗い場内に不安が無い訳ではなかった。

気分が悪くなることも想定していたがそんな事は全くなくて、驚くほど暖かな気持ちになっていた。

胸の奥のワクワクがおさまらない。

こんな感覚は久しぶりだ。


2本も立て続けに見たというのにもっと観ていたいと思わせる程、素晴らしい舞台だった。



舞台の幕が下りると客席は一気にザワつき、ロビーへと向かう人で通路は塞がった。

予定を空けておいてと言われたが、具体的にどうすれば良いかまでは聞いていない。

それに、先程まで舞台上にいたのだ。

外に出てくるとしてもまだまだ時間はかかるだろう。

ナツから連絡があった時に受けられるようにと、オフにしていたスマートフォンの電源を入れてから、まだ冷め止まぬ余韻に浸っていた。


「吉澤さん?ですよね」


声のした方向を見ると、舞台前の通路からこちらに向かって来る男性と目があった。

グレーのスーツを着た彼の首にはSTAFFと書かれたものがぶら下がっていた。

はいと返事をすると彼は安心したように笑う。


「外に出ていなくて良かった。
私、Natsuのマネージャーの鷹城たかじょうと申します。Natsuから楽屋に案内する様に言われまして⋯一緒に来ていただいてもよろしいですか?」


ポケットからもうひとつSTAFF PASSを取り出すとそれを鷹城はこちらに差し出した。

蛍がそれを受け取り首に下げると、さぁ行きましょうかと言って鷹城は微笑んだ。

ロビーの端の階段を下った先の、STAFF ONLYの看板を避けて進んで行く。

緊張しながら鷹城の後ろを着いて歩くと、穏やかな声が聞こえてきた。


「2本も立て続けに観るなんて、疲れたでしょう?」


扉の前で立ち止まり、言い終わるとノックをした。

同時にいえ、とだけ返事をすると中から返事が聞こえる。


「ナツ、大丈夫?」


返事を待ってから鷹城は扉を開けると、中に入る様に促す。

蛍は部屋を見渡すと、その光景に目を丸くした。

中にいたのはナツとTRAPの2人。

鷹城に再び、どうぞと促されて部屋に入り、ナツに呼ばれるまま、椅子に腰を下ろした。


「TRAPが好きって言ってたから呼んじゃった」


いたずらな行動が嬉しくもあったが、今は緊張感でいっぱいだ。


「そうなの?嬉しい!どうだった?舞台」


千尋がこちらに向かって尋ねる。


「あ、はい⋯凄く、良かったです。
どちらもストーリーが面白くて、パラレルワールドっていうのを活かした舞台転換とか、あと曲のイメージも凄く好きです。勿論、役者さん達も良くて。特にナツは男の子の役ハマってたなって⋯」


ナツのクスクス笑う声で、喋りすぎであることに気付く。

恥ずかしくなって俯くと、雪弥が口を開いた。


「俺、あんたの事知ってるかも」

「「えっ?」」


ナツと千尋がハモる。

顔を上げて雪弥の顔をまじまじと見て考えたが、思い出しそうに無かった。


「蛍、だろ?」


突然、自分の名前が出たことに驚いたが、記憶を辿ってもやはり頭には浮かんでこない。


「⋯⋯」

「思い出せない?」

「はい⋯」


わかった、と言い残して雪弥は部屋を出て行った。


「あれ?雪弥ー?」


閉まった扉を見て不思議そうに首を傾げるナツと千尋に、蛍は雰囲気を払拭しようと言葉を掛ける。


「すいません、なんか空気乱してしまって⋯」

「いや、いつもあんな感じだから気にしないで?
さーて、僕も帰る準備しよー。楽屋戻るね!」


ナツと二人して手を振り千尋を見送る。

少しの間の後、ナツが問いかける。


「ごめんね、少ししか時間取れなくて。
雪ちゃんがああ言ってたってことは、知り合いなの?」

蛍は何も覚えていなかった。

「そう、なのかな?⋯本当に覚えてなくて」


微笑して見せるとナツはそれ以上その話題にはふれてこなかった。

それから劇場を出ると、マネージャーの鷹城と3人であまり人の出入りが少なくて穴場だと言う飲食店で食事をした。

帰りの車内では、海が見たいというナツの我儘と、保護者的感覚で意見をする鷹城の言い争いが繰り広げられていた。

結局、鷹城はナツの我儘を許したが、“誰が見てるかわからないし、女の子なんだから気を付けるように” と何度も念を押していた。

どこかで時間を潰して待っている、後で迎えに来ると言った鷹城に、家まで送り届けると約束する事で渋々納得してもらえた様だった。


台本2本分を同時進行、なんて凄くストレスが溜まるだろう。

そんな大きな事に挑んでいる彼女に、少し息抜きをしてもらいたいと、かつて役者と名乗った心が言っていた。

時間に縛られずに、ゆっくりしてもらいたいと。



ナツは堤防に腰掛け、靴を脱ぐと膝を抱えた。

海の音を聞いたり夜空を見上げたりと、嬉しそうにしているのが微笑ましい。


「今日は七夕だね」


ぼそっと言ったナツにうん、と返しつられて見上げた夜空は星がいつもより多く感じた。

「織姫と彦星は1年に一度だけしか会えないってわかってて、それでもその相手を選んだ。
⋯私は耐えられないな」


ナツの隣に腰を降ろすと、暗い海と空の境目を探すように地平線を見詰めた。



どれくらい時間が経っただろうか。


体を支えるように堤防に置いた右手にナツの左手が重なる。

視線をナツに移すと目が合った。

少し悲しげな、でもしっかりと意思を持つような瞳に魅了される。


「ナツ⋯」


その瞳に吸い込まれる様に、キスをする。

触れるだけの、少し長めのキス。

ゆっくりと唇が離れると、鼻先に彼女の前髪が触れる。


「誰が見てるかわからないよ」


そう小声で言ってクスっと笑うと、今度はナツからキスをした。


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