運命の改変、承ります

月丘マルリ(12:28)

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1巻

1-3

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「英雄様はこちらで引き取り、治療に当たらせていただきます。ご安心を」
「……治療するくらいなら、もっと大事にすれば?」

 カナンが憎々しげに言えば、男はわらった。

「ここだけの話、国王陛下は呪いを解くつもりはありませんでした。魔女の力で不老不死の戦士にしたかったんです。だから生贄いけにえ花嫁を探すだなどと大々的に宣伝した。役人から直接呪いの話を聞いた者はそれが事実だと知り、噂が広まった――――ほら、現に今も英雄殿にとつごうとする娘はいないでしょう?」
「……変だと思った……。どうあがいてもシュリスのためにならないもの」
「不老不死の戦士が手に入らないとわかった今、我が国のためにどのように英雄を活用するかが肝要かんようです。今はこうして危険な魔獣退治に一役買っていただいていますが、四肢が欠損して動けなくなれば毒薬の被検体に。その後は新人騎士に立ったまま斬られるだけの訓練人形に。最後は首だけにして毒見でもやらせるかという話も出ています。毎回この議論は白熱しておりますよ。首と切り離した胴体が動くかどうかで使い道が分かれますからね」
「……それはさぞかし胸糞むなくそ悪い会議でしょうね」
「いえ、結構たのしいですよ。家柄も剣の腕も美貌びぼうも名誉も最上の婚約者も、何もかも持っていた男の末路を決められるのですからね――――――連れていけ」

 男が合図すると、後ろにいた騎士たちがシュリスを抱えようと近づいた。

「――――動かないで」

 カナンはこれまでにないほど腹が立っていた。怒りのためか、普段は腹の奥底に留まっている魔女の力が、身体中を駆け巡っているのがわかる。

「あんたたち、シュリスのためならなんでも手伝うと言ったわね?」
「ええ、もちろんです。ですが英雄様は一人でなんでもできてしまわれますから――――」

 続けようとした言葉が、男ののどからつむがれることはなかった。

「そう、ならば手伝ってもらおうか」

 黒髪の魔女は、黒い瞳を炯々けいけいと輝かせていた。
 男たちの身体は、見えない鎖で縛りつけられたかのように動かない。

「お前たち程度では心もとないけれど……使えるものは使いましょうか」

 酷薄こくはくな笑みを浮かべ、魔女が手でくうを切ったように男たちには見えた。だが実際には魔女の黒い瞳にしかえない、男たちの運命のもやを切り取ったのだ。
 本来の持ち主から離されたもやが、英雄のくら禍々まがまがしいもやと混ざり込めば、ほんの少しだけその色が薄まる。代わりに、男たちを取りまくもやくらく変色した。魔女はその一つ一つに方向性を持たせてやる。 
 シュリスの呼吸が落ち着いてきたと思ったとき、突然騎士の一人が苦しみ出した。仲間の急変に驚く騎士たちに、カナンは冷たく言い放つ。

「今回シュリスが負うはずだった苦しみを分け与えたわ。シュリス一人が受ける分をあんたたち全員で分けて受けるんだから、まだマシでしょう? どのタイミングでどうなるかわからないけど、今のうちに家に帰ったら? 森の中で突然始まったら行き倒れるわよ。ああ、毒にもおかされてたみたいだから解毒げどくの準備も必要ねぇ。…………間に合うのかしら」

 くすくすとたのしそうに笑う姿に、騎士たちは戦慄せんりつした。見れば、英雄の身体からは先ほどまであったどす黒い色や傷跡がなくなっている。英雄はどんな傷を負っていた? どれほど多くの毒を受けた? 思い出せば思い出すほど顔色が悪くなり、騎士たちは魔女の家を飛び出していった。
 それを見届けたカナンは、扉をしっかり閉めて鍵をかける。ふぅ、とため息をき、シュリスのそばにへたり込んだ。

「……怖かった……」

 魔女は、ある日突然、世界に湧いて出るのだと言われている。そんな馬鹿なと一笑いっしょうしたいができない。みずからの身に起きたことだから、それが真実だと誰より知っている。
 カナンには別の世界で生きた記憶がある。アラフォーになるまで仕事に生き、婚活にいそしんで、やっと見つけた夫と幸せに暮らした記憶。その世界で十二分に生き、大体のことに満足して死んだはずだった。
 それが突然、気づけば幼い子供の姿でこの世界にたたずんでいた。精一杯生きて満足して死んだのに転生するとか、どういうことだと責任者に詰め寄りたかった。
 カナンを拾い育ててくれた魔女も同じようなものだったらしい。彼女が生きていたのはカナンがいたのとは異なる世界のようだったが、どうして自分がここに存在しているのかについては首を傾げていた。そんな育て親も、ある日突然帰ってこなくなって、カナンはこの世界で一人になった。
 カナンの魔女としての力はあまり使い道がなかった。カナンの力は、運命の改変。それも代償を必要とし、改変できるといっても、ごくささやかなものに限る。たとえば、必ず死ぬことになっている運命を変えることはできない。苦しみ抜いて死ぬのか、安らかにくのかを選ぶことはできるかもしれないが。 
 そんな力を持つカナンは、人の運命がどのようなものかることができた。それはその人自身を包み込むもやのようなもので、光り輝いていたり、くすんでいたり、色がついていたりした。
 運命を変えるときは、対象の運命に他人の運命を混ぜ合わせる。いい運命を持つ者からそれを分けてもらって悪い運命と混ぜるのだ。そのときに少しばかり方向性を指示してやれば、改変のできあがり。
 しかしカナンは滅多めったなことでは改変をおこなわない。普通に生きていておのれの運命がどのように転がるかわかる人間などおらず、誰もがその日を必死に生きているだけだ。それでいいとカナンは思う。どうなるかわからないからこそ、みな懸命に生きるのだ。
 魔王と呼ばれた魔術師が存在していたあのころ、街で会う人々がまとうもやは、どれもよどみ切っていた。ああ、きっともうすぐみんな死んでしまうのだとカナンは悟った。けれどそれを告げたとしても、いたずらに恐怖させ、混乱させるだけで何にもならない。ゆえに、森の魔女は沈黙していた。
 それなのにある日、街中の人々のもやからよどみがなくなり、誰もが色とりどりの明るいもやをまとうようになった。それは唖然あぜんとして立ちすくむカナンの視界に、春の花畑のように広がって――――――――…………
 その美しさに、涙が出た。
 穏やかに笑い合う人々がまとう様々な色合いの運命は、触れ合ったり離れたりしながら呼応するかのように小さくもキラキラと輝き、世界をいとしい色に染め上げる。
 あんなにも心が震えて涙したのは初めてだった。
 やがて、カナンは耳にする。魔術師を倒した聖騎士――――英雄のことを。
 人々の運命をまるっと全部変えた人間がいるのだ。
 それはまさしく英雄だと、一人納得して祝杯しゅくはいをあげた。
 なんのためにこの世界に魔女として生を受けたのかなんて、わからない。けれど、嫌だと思ったことにあらがえる力があることに、カナンは感謝した。くらよどんだ運命なんて、英雄にはまったくふさわしくない。光り輝く運命をまとって、愛する花嫁と幸せに暮らすことこそふさわしい。 
 英雄にかかった呪いを改変する代償は、花嫁だけではなかった。強力すぎる呪いの改変は、魔女の命すら求める。
 それでもいいと思っていた。寄る辺のない身でこのまま漫然まんぜんと過ごし、朽ちていくよりもずっといいと。だから、これくらいなんてことはない。とことんまで付き合ってやろうじゃないか。
 腹をくくった魔女は、不敵に笑った。


     * * *


 ――――思いのほか、楽に呼吸ができる、とシュリスは感じた。 
 今回討伐した魔獣は鋭い爪と強力な毒を持っていた。騎士団の面々は後方で待機し、自分だけが戦う。ここ最近の討伐ではずっとそうだった。
 討伐に向かう部隊に、親しい者たちが組み込まれなくなったのはいつからだったか。ほぼ初対面の者ばかりが集まっていて、英雄の足手まといになるわけにはいかないなどとうそぶき、後方支援を買って出る。そんなことがずっと続いていた。
 もしも昔なじみの騎士たちがいれば――――共に魔術師を倒した仲間がいれば、何か違っていただろうか。それとも、彼らも同じようにシュリスを矢面やおもてに立たせただろうか。
 左腕をなくしたとき、『価値が下がった』と言われた。呪いを受けて以降、シュリスの肉体は傷がつくと血を流し、痛みも感じるが、一晩も経てば傷はふさがるようになった。さすがに喰われた腕は戻らなかったが。
 あの魔術師がかけたのは本当の意味での呪いだったのだろう。きっとすべてを失い、絶望しか残らないのが呪いというものなのだ。 
 家族も、仲間も、婚約者も、騎士としての信念も、国への忠誠心も、大切だったはずの何もかもが失われていく。親しい者たちは離れていくのに、なぜかそうでない者だけが周囲に群がってきて、身動きどころか呼吸もままならなくなる――――――――
 このまま使い物にならなくなったと判断され、捨て置かれるようになった方が楽だろうか。呪いの効力がなくなるそのときまで、どこかに身を隠すべきだろうか。
 誰かと一緒にいることで感じる絶望も痛みも苦しみも、もう何も欲しくはない。いっそこのまま死ねたらいいのに、この身にはそれも許されない。
 ……そうか、とシュリスは気づく。死は何より公平に与えられる神の恩恵。それを奪われたならば、どこにいようが地獄なのは当然か。


 ゆっくりまぶたを上げれば、木の天井が見えた。城の医務室ではないようだ。というか、ここ最近ずっと来たかった場所にいるように思えた。

「まじょ、どの……?」
「何」

 まさかと思いつつつぶやけば、返事があって驚く。視線を巡らせると、不機嫌そうな顔つきの魔女がいた。そして人の顔を見てため息をく。そこに安堵あんどが込められているのを感じ、シュリスは込み上げてくるものをぐっとこらえた。

「あんたねぇ……、いじめられてるなら相談しなさいよ」

 シュリスは一瞬固まった。

「いじめ……」

 自分が、いじめられていた……? 聖騎士であり、英雄と言われた自分が? 認めるのはものすごく抵抗があった。しかし魔女は容赦しない。

「そうよ! いじめ以外のなんだって言うのさ!」

 憤慨ふんがいする魔女がなんだか可愛らしくて、思わず笑ってしまったら、何をへらへらしているのだと怒られた。しばらくそうして怒っていた魔女だが、やがて思いついたように言う。

「そうだ、あんたさ、とりあえず私で手を打たない?」
「は?」
「いや、だから呪いの話」

 どくりと心臓が音を立てた。

「俺と、魔女殿が……?」

 思わず『俺』と言ってしまったことに気づいたが、それほど狼狽ろうばいしていた。

「そう、それ」

 軽く頷く魔女を呆然と見やり、この人は本当にその意味がわかっているのだろうかと不安になる。

「あの、魔女殿、理由をお聞きしても……?」

 いくら自分でも、この魔女が自分を好いていたとは勘違いできない。……いや、魔女はかなり変わっているから、あれもこれもすべて照れ隠しの愛情表現だったとか……? それはそれで……などと内心混乱しているシュリスに対し、魔女はあははと明るく笑った。 

「いや~、ちょっとやらかしちゃってさぁ、もしかしたら魔女狩りとかされるかもぉ~」
「魔女狩りっ……!?」

 あっけらかんとした魔女の発言に、シュリスは固まった。この国では魔女の存在は容認されている。よほどのことがなければ、魔女狩りなどされるはずがない。

「だからさ、あんたも相手いないままじゃ使いつぶされて終わりだし、いっそのこと私で手を打たないかなと思って」

 呪いを変えることができればシュリスは神殿に籍を置くことになり、国から解放される。カナンも魔女狩りにあわずに済む。

「ほ~ら、どっちを向いてもいいことずくめ!!」
「事はそのように簡単では……」
「やだ、大丈夫よ。本当に好きな相手ができたら、その子と交代してあげるから」
「こう、たい……?」
「そう。婚姻の誓約せいやくは不貞を働かなければいいだけで、本当の夫婦になる必要もないし、今後シュリスが誰かを本当に好きになったとき、私がいれば運命の改変をおこなうことが可能だわ」

 魔女はにっこり笑った。

「今現在相手が見つからないんだから、これが一番いい考えだと思うんだよね。あんたの花嫁探しは次に持ち越しってわけ」

 意見しようとしたシュリスは、思いのほか真剣な目に見つめられて動きを止める。

「……魔女殿、もしや本当に御身おんみが危ないのですか……?」
「危ないねぇ。ちょっと力を見せつけたから、魔女狩りにあって拷問ごうもんされるかなんかして、しまいには国にいいように使われちゃうかも? ぜ――――――――ったいお断りだけど」

 それは、本当にまずいのではないか。魔女を利用しようと考えそうな人間の顔がいくつも頭に浮かぶ。そのすべての原因はシュリスにあるのに、恨み言一つ言わない魔女の目は優しくて――――

「私は別に、なぁーんにも未練ないから、捕まる前に死んでもいいんだけどさぁ、どうせなら何かの役に立てた方がいいでしょう?」
「それが、りゆう、ですか?」

 身体が震える。気づいているだろうに、魔女は何も言わずにニヤニヤ笑う。

「そうそう。それにもしかしたら、転生先で私も会いたい人に会っちゃったりするかもしれないでしょ。希望があるっていいことさ」
「そんな、かんたんに……」

 冗談めかしたセリフに、なぜだか嫌だと感じた。いつぞやの魔女の表情が脳裏によみがえる。遠く離れた誰かを愛しげに思い出すような、あの表情が。

「そういうわけだから、とりあえず私で手を打とう!」
「押しが、強い、ですね……」

 ようやく絞り出した声はかすれていたが、魔女は気づかないふりをしてくれる。

「まぁ、いいじゃない。多少苦しい道のりでも、またお酒飲みながら愚痴ぐち聞いてあげるからさ! 婚活頑張ろう! まだまだ先はある!」
「……あなたと誓約せいやくしたら、いずれ重婚することになるじゃないですか……」

 弱々しくツッコめば、それもそうかとあっさり返ってくる。

「その辺はおいおい考えましょう。大丈夫。辛いことは半分こするに限る!」

 それが目の前で笑う魔女を終わりの見えない運命に巻き込むことだと理解しているのに。シュリスには差し出された手を振り払うことなどできなかった。
 最後まで、魔女はシュリスの頬が濡れていることには触れないでいてくれた。



   第二章 悪い魔女のわるだくみ


 呪われた不死の英雄が死んだ。
 ここ数年、ガランバードン国で常に話題になっていた英雄の死に、当初は誰もが驚きを隠せなかった。数多あまたの魔獣をあやつり、シェアラスト国を滅ぼした魔術師。それをほふったガランバードンの聖騎士、英雄サラディンは救い主だった。
 しかし彼はいにしえの呪いをかけられた。
 それは今では失われた呪法。英雄たちは解呪かいじゅのために奔走し、この大神殿にも助けを乞うてきたが、残念ながら何もできなかった。それが一転したのは、巫女が神託しんたくを得たためだ。
 神はガランバードンの外れの森にむ魔女だけが、この呪いを緩和することができると告げた。その神託しんたくを受けたのは巫女アリアリィンだと言われているが、実際は他の巫女だ。だが大神殿としては、自分たちさえ事実を認識していればいいので放っておいた。
 魔女。いつの間にかこの世に現れる不可思議な存在。魔術とは異なることわりの力を使う者。その存在についてわかることは少ない。何しろ、彼女たち自身もよくわかっていないのだ。魔女たちはここではない別の世界に生きていたらしいが、自身のあり方について疑問に思うこともなく静かに過ごすという。まるで、そうあるべきと定められているかのように。
 ――――いや、今は魔女のことではなく、英雄サラディンについて考えねば。
 目にしていた書類を机上きじょうに置き、グリュディアートは眉間みけんみほぐした。彼が神託しんたくにより大神殿の神殿長を拝命して久しい。正直、肩がる立場など遠慮したかったが、神託しんたくならば引き受けるほかない。
 目を通していた書類は、ガランバードンに潜入していた間諜かんちょうが寄こしたものだ。
 かの国の王は不老不死の秘密を手に入れたかったようだが、それが叶わないと知り、不死の英雄を酷使こくししたという。他の書類には、呪われた英雄の活用方法がずらずらとしるされている。よくもまぁ、これほどのことを思いつけるものだと感心すらした。

「……血を飲んだとて、長寿になれるわけがなかろうに……」

 欲の深い愚かな人間はどこにでもいるものだが、もはや呆れるしかない。報告書によれば、死した英雄のかたわらには、魔女の遺体もあったそうだ。不死であるはずの英雄が死に、そのかたわらに魔女しかいないのであれば、魔女が花嫁になったと考えてよいだろう。
 しかし、かの国は何を思ったのか――――おそらくは王の怒りに触れたなどという理由だろうが――――英雄をしいした罰として魔女の遺体をさらしたのだ。おまけに、悪い魔女が悲劇の英雄をだまして殺し、永遠の花嫁になったなどという歌が面白おかしく流行はやり出した。
 この世界を救うほどの功績を残した英雄と、その英雄を救った魔女を悪く言うことなど何人なんぴとにも許されない。そう判断し、ガランバードンがした仕打ちを含めて、真実を公表しようとしたのだが――――

「……まさか、本人から待ったをかけられるとは思いもしませんでした」

 ある日、大神殿に現れたのは、転生してきた魔女だった。
 黒い髪と黒い瞳の小さな魔女は神殿長への面会を求めた。英雄との誓約せいやくにより、神殿は英雄とその伴侶はんりょの求めに応じる義務がある。
 そうして出会った魔女は、幼い外見をしていたが、話しぶりは見た目を完全に裏切っていた。

「死んでから、もう三年も経っていたのね。それとも、たった三年で転生したことに驚くべきなのかしら」

 彼女いわく、魔女が花嫁となったことで色々と齟齬そごが生じたらしい。本来、転生はこれほど早くおこなわれるものではないはずだった、と魔女は言う。

「英雄サラディンは……」
「たぶん今年中にどこかで生まれるんじゃないかしら。ほら、私は魔女だから」

 魔女だからの一言で済まされてしまい、グリュディアートは大いに困惑するが、魔女はまったく意に介さず身を乗り出した。

「それでね、ちまたで歌われている物語は規制しないで、放っておいてほしいのよ」
「なぜですか? 魔女様は英雄を救ってくださったのですよ!?」

 普段は温厚な傍付きの神官が大声をあげる。他の神官たちも同様に色めき立っていた。
 大神殿でもどうにもできなかった呪いを、身をささげてまで変えようとした魔女に感銘を受けた神官は多い。そもそも神官や巫女は神の導きによって神殿の門を叩く者が多く、彼らの中では自己犠牲の精神がとうといとされている。

「実は私たち、偽装結婚でさぁ」
「は?」

 今は言うなれば仮初かりそめの花嫁。転生後に英雄殿の真の花嫁を探すつもりだったと熱く語る魔女に、グリュディアートはやはり困惑するしかない。

「だからね、噂をこのままにしておけば、自分こそが英雄をお救いしたい! と夢見るお嬢さんが絶対いるはずだと思うの!」
「はぁ……」
「あ、神殿長さんも、いい娘さんがいたら紹介してください! よろしくお願いします!」
「はぁ……」

 魔女は明らかにやる気に満ちていた。

「魔女様……、しかしそれでは魔女様が悪いままになってしまいます。それにあの国では魔女様のご遺体にひどい仕打ちをしたのです」

 それでいいのかと問えば、魔女はにやりと口角を上げた。あどけない顔にはまったく似合わない表情だ。

「それはそれで、ちゃーんと報復したから平気。呪いをかけてきたわ!」
「呪いを……!?」

 呪術はとうの昔に失われている。かの魔術師がどうやっていにしえの呪術に通じたのか見当もつかないほどだ。それに、魔女の能力は一人につき一つと言われている。改変の魔女である彼女に、呪いをかける力などないはずなのだ。
 驚く周囲を他所よそに、魔女は薄く平たい胸を張った。

「私自身を呪いに投じたせいで、できるようになったことがあるのよ。あの国の王族は豊穣期ほうじょうきのお祭りで、城から民衆に顔見せするでしょう? そのとき、呪いかけてきちゃった」
「かけてきちゃった、って……!」

 呆然とする一同に構わず、魔女は「英雄殿が来るまでお世話になるわね~」と言いながら、戸惑う神官や巫女に挨拶あいさつ回りを始めた。


 その後、くだんの魔女は下級巫女用の部屋で寝起きしている。いや、下級巫女用の一部屋を占拠しているという表現が正しい。英雄の花嫁として、きちんと侍女などをつけると言ったのだが、本人が嫌がり、下級巫女と一緒に薬草などをせんじて働いているのだ。
 神官たちはよく働く魔女に好感を持っているようだが、グリュディアートは知っている。あれもまた、巫女の中に英雄殿にふさわしい花嫁がいないか探しているのだ。
 一度、巫女は結婚できるのかと聞かれた。当然、神官や巫女も結婚できるが、神殿にいる者は死した後、神の御許みもとにて仕えることができると教えられている。転生を繰り返すことは、神に仕えるほまれを辞するという意味合いから、どうしても忌避きひしてしまう。
 そう説明すれば、魔女様は納得してくれ、今度は神殿に出入りする業者たちに狙いを定めた。いい娘の情報を、より広く集める気らしい。


 数か月後、グリュディアートは神官と巫女を引き連れ、ガランバードン国の王太子の成婚の儀をおこなうために、かの国に降り立った。

「……」
「どうしたのだ、神殿長」
「いえ……失礼いたしました。お久しぶりでございます。国王陛下」
「うむ」

 目の前で絢爛豪華けんらんごうかな玉座にゆったりとする国王の――――――白いものが交じった髪が明らかに薄くなっている。不自然にならないように視線を巡らせれば、その先にも同じ状態の人物がいた。彼は確か、王弟おうてい殿下だ。
 一度気になると、視界に入る王族の頭がやけに目についてしまう。いや、貴族の中にも……
 ――――まさか、魔女様……
 顔が引きつりそうになるのをなんとか抑え込み、グリュディアートは成婚の儀に臨んだ。
 儀式の最中にも彼は気づく。王太子殿下の髪は、今はまだふっさりとしているようでいて、よくよく見ればひたいが後退を始めていることに。
 証拠は何もない。きっと直接聞いても、あの魔女は笑ってごまかすだろう。グリュディアートはそっとガランバードン城を去った。


 その後、魔女と下級巫女が開発した精巧なかつらが、ガランバードンの王侯貴族の間でよく売れるようになったそうだ。


     * * *


 気づくと、カナンはまたこの世界に発生していた。以前と同じ、幼い姿で。

「……あれ?」

 自分の手を見れば、どんよりとした重苦しい灰色のもやがかかっていた。目にするだけで気が滅入めいるような色だが、呪いを受けていながら灰色ならまだマシかと思い直す。たぶんシュリスも灰色のもやを持って生まれるだろう。

「ちゃんと服を着てる……不思議」

 前回発生したときもそうだが、カナンはぱだかではない。頭からかぶるだけの白い貫頭衣かんとういと、柔らかな布の靴を身につけていた。不思議だが、ありがたいことに変わりはない。発生するたびに服を探すところから始めるのは正直辛い。
 それよりも、どうやら改変の力が多少変化したらしい。これも呪いの影響だろうか。

「おし。ちょっくら情報収集といきますか」

 少し歩くと、ここがガランバードンで、カナンが住んでいた場所の近くだとわかったので森に向かう。
 カナンの家は残っていた。家の中は荒らされていたが、隠しておいた貯蓄は残っていたので、それを手に家を出る。交流していた街の人たちは気になるが、死んでからそれほど時間が経っていなかった場合、面倒なことになるので行くのはやめ、歩いて半日かかる別の街へ向かった。


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