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しろさきさんちのおにーさん。いち。
しおりを挟む五つ下の弟は、幼いころからできた人間だった。
賢い上に誰にでも優しく、それでいて戦うべきときには躊躇なく立ち向かう。
自慢の弟である。
我が家は結構大きな会社を経営している。
その割にはまともな家庭環境だと自負しているが、いかんせん親族という害悪どもが面倒くさい。
非常に出来の良い弟が跡を継いだ方が良い、そのためには血筋の良いお嬢さんを嫁に……と薦めてきたりする。
それというのも、弟自身の能力の高さもさることながら、俺の現在の妻が一般家庭の出身だったからだ。
俺たちの両親は好きでもない相手と結婚するのは不幸だというタイプだったので問題ない。
妻とは学生時代からの付き合いだ。親族どもは自分たちの息がかかったどこぞの女を宛がおうとしたのだが、俺が頑として譲らず籍を入れたものだから面白くないのだろう。
それによって会社を継げなくても構わないと考えていたのだが、肝心の弟が会社と関係のない別の仕事に就いた。
おそらく弟は俺に気を使ってくれたのだろう。
面と向かって尋ねても答えてはくれないだろうが、聡明で諍いを好まない優しい弟ならば十分考えられる。
弟は、両親の良いとこどりのような整った顔立ちをしているのだが、どこから出てくるのかわからない色気のせいか、どれほど真面目に見えるよう努力しても、遊んでいる男に見られる。
まだ身体が出来上がっていない小中学生のころは痴漢被害に遭うことが多かった。中身はとても真面目な性格だというのに、気の毒である。
ある日突然、マンションを購入すると言い出した。
………突然どうしたんだ、弟よ。
訝しく思いながらも、ハッと気づく。
改築もしたし、実家には昔からお手伝いさんなどが離れで暮らしていたりしたから気にしなかったが、新婚の兄夫婦と暮らすというのはやはり嫌なのではないだろうか。
ここでもまた弟に気を使わせてしまったらしい。
俺は弟の要望を最大限叶えるべく奔走して、立地も良く弟の条件に沿う物件を探した。
弟にはなるべく不便な思いをさせたくない。妻には「本当に仲が良いんだから」と苦笑されたけれど、仕方ないじゃないか。こんなに家族思いの良い弟なのだから。
弟のために募った候補の中から、弟が選んだのは閑静でありながらも治安は良く、パッと見た目は目立たないものの高級なマンションだった。
それはいいのだが………。
うきうきと家具を選ぶ弟を見て、ふと疑問が浮かぶ。
選ぶ家具のほとんどが、なんというか……ほんのり可愛らしいものが多い。
弟の趣味ならば、落ち着いたシックなものになる。現に弟が選んだ日用品……タオルとかコップとかはそういう感じだ。
だというのに、予備のタオルはお揃いでありながらも可愛らしい色合いのものだ。
……もしや、恋人と暮らすつもりなのだろうか。
それならば、何故紹介してくれないのか。
紹介できないような相手なのだろうか……。
そういえば、弟が誰かと交際していると聞いたことがない。
夜は大抵家にいるし、休日に友人と出かけるということはあっても多人数でのようだ。
実は同性愛者なのではないかという噂になっていて、それを気にした両親が見合い写真を用意しているのを知っている。
弟よ、大丈夫だ。
たとえ相手が男であっても、お前自身が幸せならば兄は祝福する。
ひとまず見合い写真は持っていくけどな。俺の弟は一人で良いのだ。弟がどうしても、というのなら義弟ができるのも吝かではないが。
そんなことを考えていたあの頃の自分。平和だった。
その日、帰宅してホッとネクタイを緩めたところで弟から電話がかかってきた。珍しい。
「どうした?」
『――――あ、兄貴?今付き合っている人が居るんだよね』
付き合っている人………!?
『だから見合い写真とか持ってこさせるの本気で止めて。』
「え……ああ……。う、ん。わかった。」
なんということだ。
弟が衝撃的なことを言い出した。理解するのに脳が追いつかない。
しかし……。性別とか聞いてもいいのだろうか。いや、「女か?」と尋ねてもおかしいし、「男か?」と尋ねるのはもっとおかしい。
だが精神の安定を図るためにも、できるだけ相手について聞き出しておかねば、気になって眠れないだろう。
俺は努めて平然とした声を出した。
「それで……、相手とはいつ籍を入れるんだ?」
これだ。
男ならば籍など入れられまい。どうしても入れるというなら海外だ。それならそういう話題になるだろう。「いつ式をするんだ?」では相手の性別などわからずじまいだが、これならきっと大丈夫。
咄嗟の思い付きにしては冴えている。知らず口角が上がるのを感じた。
『うん?結婚は彼女が卒業してからかなぁ。』
彼女。……よしきた。偉いぞ、俺。そして父さん母さん安心してください。弟は同性愛者ではありませんでした。
おかしな緊張から一気に解き放たれた俺は、笑みを浮かべてソファに座った。その前に妻がせっせと夕飯を並べてくれる。
ああ、いいなぁ。帰ってすぐに暖かい料理を並べてくれる妻。弟ももうじきこの幸せに浸れるんだと思うと感慨深い。
「学生なのか?どこの大学?学生時代に結婚するのはともかく、避妊には気を付けないとダメだぞ?」
先達として、きちんと釘を刺しておかねば。
なんといっても妊娠するのは女性なのだから、きちんと男側が気にかけるべきなのだ。
『いや、大学生じゃなくって高校生』
……………ん?
え……と、定時制とかに通っているとか?
全然いいよ。問題ないよ。むしろ昼間働きながら夜勉強するって凄いよね。頑張り屋さんだよね。
大事なのはお互いの気持ちと本人の資質だからね。家は問題ないよ。
だから頼む。それだけはやめてくれ。
震える声で、俺は相手の年齢を尋ねた。
『ん?16歳だけど?』
片手で目を覆い、ぐったりとソファに身を沈めた俺に妻が驚いて「どうしたの!?」と尋ねてくるが、それにこたえるゆとりがない。
じゅうろくさい………。
弟、現在お前はいくつだと思っている。
もしやお前の相手は、少し前まで中学生だったとか言わないよな?な?そうだといってくれ……!
何をどう話したのか覚えていないが、いつのまにか通話を切った俺はその夜一晩中眠れなかった。
一睡もできなかった夜が明け、朝になった。
隣では愛しい妻がくーくー眠っている。
いつもならば可愛い悪戯を仕掛けるところだが、そんな気分にはならなかった。
一晩中思い悩んだ俺は、結論を出した。
これは俺一人の手に余る。
「………家族会議を開こう……。」
ちゅんちゅんと鳥のさえずりを耳にしながら、俺はしょぼしょぼする目でそうつぶやいた。
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