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三章
あずみ 5
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修也の叫びに龍臣は一度きつく目を閉じ、あずみを見つめた。
「ごめん、あずみ。僕は行けない」
「龍臣!」
「ごめん。あずみ、僕は三彦さんじゃないから身代わりになれないよ」
あずみの心に引っ張られていた龍臣だが、我に返った。
いくら似ていても、三彦にはなれない。
必死に引き止める修也を置いて、あずみと逝くわけにはいかなかった。
「あずみ、本当の三彦さんは向こうで君を待っているんじゃないかな?」
「え……?」
あずみは驚いたような顔をする。
「君はもう何十年も前に死んでいるんだ。きっと、三彦さんももう向こうに行っている。君を待っていると思う」
龍臣の優しい言葉かけにあずみが動揺する。
あずみの中では、三彦に裏切られた、だから龍臣を連れて行けばいいとそれしかなかった。まさか三彦が待っていてくれるなんて考えもしなかったのかもしれない。
あずみにはそれくらい、年月も何もかもわからないまま記憶堂に住み続けていたのだ。
「待っている……?」
「うん、待っているよ。もし、いなかったら僕を迎えに来てもいい」
「龍臣君!」
修也の叫びを龍臣は片手で制する。
「あの世へ行って、三彦さんと会えなかったら僕を迎えに記憶堂へおいで。そうしたら今度こそ一緒に逝こう」
「いいの……?」
「あぁ、誓うよ」
そう言って、龍臣はあずみの頬にそっと口づけした。
あずみは一気に赤くなる。しかし、もう落ち着いた様子だった。
「わかったわ。約束よ、龍臣……」
「あぁ、約束しよう。でももし三彦さんに会えたなら、今度こそ幸せになって」
龍臣がそう言うと、あずみは静かに涙を流した。
「約束するわ」
そう満足そうに呟いて、微笑みながら光の中へ消えて行った。
あずみが光に吸い込まれて行くのを見つめていると、最後にその光が弾けるようにスパークし、龍臣と修也はその光に包まれた。
修也は咄嗟に、来た時と同じように龍臣の服を握りしめる。
そしてそのまま光に飲み込まれていった――――……。
――――。
龍臣が次に目を覚ますと、記憶堂の床に倒れていた。体を起こすと、酷い頭痛がするものの身体に怪我はない。
ふと時間を見ると、あれから一時間程度しか進んでいないようだった。
龍臣が安堵のため息をつき、辺りを見渡すとすぐそばに修也が倒れていた。
「修也、おい、修也」
「ううっ」
揺さぶって起こすと、修也も頭を押さえながら体を起こす。辺りを見渡し、記憶堂だとわかるとあからさまにホッとしたような表情を見せた。
そして、目の前にいる龍臣を見あげ、目に涙をためた。
「なんだよ、驚かせやがって」
そう悪態をつく修也に微笑みながら頭をなでる。
「ありがとう、修也」
修也のお蔭で龍臣はこの世に残ることを決めた。
ひとりだったら間違いなく、あずみに着いて行っただろう。別に、命を粗末に考えていたわけではない。
ただ、自分に縋るあずみが愛しく感じていた。
そして、それと同じくらいにあの時はあずみが哀れに見え、自分が側にいなくてはという使命感に似たものまで感じていたのだ。
身代わりでもいい。あずみの側に居たいと思ったから、着いて逝こうと思ったしあんな約束までした。
「あずみさん、本当に成仏してあの世へ行ったのかな?」
修也はどこか恐れる風な様子を見せながら周囲や二階の階段を覗き込んだ。
「行ったよ。わかる、記憶堂にあずみの気配が微塵も感じられない」
龍臣は立ち上がって、大きく伸びをした。酷く疲れていた。
修也も同じように身体を伸ばしてから、龍臣をチラッと見た。
「ねぇ、あの約束……、本当にあずみさんが迎えに来たらどうするの?」
「もちろん、守るよ」
「えっ」
龍臣が頷くと、修也は目を丸くした。顔には焦りが見える。
それに龍臣は微笑んだ。
「約束は約束だから」
その約束をしたことを、龍臣は微塵も後悔していなかった。
むしろ、三彦に少し嫉妬した。
何十年たってもあずみの心を離さない、それくらいにあずみが夢中で愛した人。
羨ましくて仕方なかった。
幽霊と人間じゃなかったら。
何度でもそう思う。
それくらい、あずみは龍臣にとって特別な存在だったのだ。
――――
季節は冬になっていた。
外がとても寒く、店の中が温かいせいか店のガラス窓が少しだけ曇っている。
龍臣は年末に向け二階の掃除をしていた。あずみがいなくなって、なんの気配もない二階はどこか寂しい。
あれから、しばらくはあずみが迎えに来るのではと店に来るたびに二階を覗き、あずみの気配を探っていたが、あずみは待てど暮らせど迎えに来る様子はなかった。
三彦と会えたのだろうか、それともあの世でまだあきらめきれずに三彦を探しているのだろうか。
そう思って、フッと笑みがこぼれた。
あずみは諦めが悪いからな。
もしかしたら突然、龍臣を迎えに来るかも知れないとすら思う。
「龍臣、おはよう」
そう言っていつものように二階から入りてきそうな気がした。
「それはそれで悪くないかもな……」
そんなことを呟いてしまう自分こそ、諦めが悪いのかもしれない。
二階を片づけ、いくつかの蔵書を売り場へ持っていこうとした時、パサッと記憶の本が落ちる音がした。
記憶の世界へは相変わらず通じている。
一時は幽霊であるあずみの力なのかと思っていた時もあったが、やはりこれはこの記憶堂の不思議な力なのだろう。
一階へ下りると、やはり床に一冊の記憶の本が落ちていた。それを取り上げ、カウンターへ持っていく。
近いうちに持ち主が現れるだろう。
大切な本だからと、そっとしまった。
すると、突然店の扉が開く音がした。
記憶の本の持ち主にしては来るのが異常に早いな。そう思って、入口に目を向ける。
逆光になって、顔は見えなかったが小柄な女性だ。
そのシルエットを見て、龍臣はドキンとした。
髪を一つに束ねており、赤い服を着ている。
その姿に見覚えがあった。
「あずみ……?」
無意識にそう呟くと、その女性は可愛らしく首を傾げた。
女性が扉を閉めて中へ入ってくると、その顔や姿が良く見えた。
色白で小顔、目鼻立ちがはっきりしている美人だ。
黒い髪は後ろで一つに束ね、着ていた紺色のコートを腕にかけている。白いシャツの上に赤いカーディガンを着ていた。
あずみによく似た女性だった。
「あの、ここは記憶堂書店で間違いないですよね?」
女性の口から発せられた声に、呆然としていた龍臣はハッとした。
あずみによく似ているが、しかし、よくよく見るとあずみではなかった。
安堵なのか、落胆なのかよくわからない気持ちが押し寄せたがふうっと息を吐いてそれを落ち着かせた。
あずみが迎えに来たと思った。
けれど、実際はどうやらお客さんのようだ。しかもちゃんと生きている。生身の人間だ。
「あ……、いらっしゃいませ。記憶堂へようこそ」
龍臣がそう告げると、女性は合っていた事にホッとしたようだった。
「初めまして、私、近野明日香と申します」
女性は鞄から名刺を取り出し、龍臣へ渡した。そこにはオカルト系の雑誌名に記者と書かれていた。
「あすか……さん」
小さく呟く。顔だけでなく、名前の響きまでもあずみに似ている。
しかし、雑誌の記者なんて来られても困る。
今までも記憶堂の噂を聞きつけてやってきた記者もいたが、たいていは眉唾物の噂だとして帰って行くことばかりだ。
……いや追い返しているとでもいうべきか。
明日香もそういった類だろう。
そう思うが、あからさまに追い返すと怪しまれるためとりあえずソファーで話を聞くことにした。
お茶を出すと、明日香は「いただきます」と一口飲んだ。
しかし、本当に良く似ている。
龍臣は苦い気持ちが胸に広がり、軽く唇を噛んだ。あずみに似ているが、この人はあずみではない。
「それで、記者さんがいったい何の用ですか?」
小さく深呼吸してからそう尋ねると、明日香は鞄から一枚の写真を取り出した。
白黒で薄汚れているため見にくい。大きな屋敷のような建物の前で、大勢の人が写真を撮っている。
「これは?」
「記憶堂さん、あずみという人物をご存知ですか?」
思いがけない名前に龍臣は息を飲む。一瞬、呼吸を忘れた。
龍臣の反応を見て、明日香はやはりという顔つきになる。
「この写真は私の家にあったものです」
「どういうことですか?」
「ここに写る男性、これは私の曾祖父であずみさんの兄に当たります」
「兄……?」
写真に写っていた背の高い男性を指差す。そしてその隣にいる小柄な女性を指差して「こっちがあずみさん」と教えてくれた。
龍臣は写真を食い入るように見つめる。確かにあずみの面影があるような気もするが……。
写真自体の古さもあってか、正直よく分かりにくかった。
しかし、明日香があずみの兄のひ孫にあたるということは、あずみの血縁者ということか?
どうりで……、と妙に納得する。それくらい明日香はあずみに似ているのだ。
「記憶堂さんはあずみさんのこと、ご存知でしょう?」
今度は確信めいた聞き方をしてきた。口調までもあずみを感じさせ、龍臣は混乱しそうだった。
「なぜ、そんなことを聞くんですか?」
平静さを保ちながら聞き返すと、明日香は前のめりだった身体を後ろに引いて、ソファーにもたれ掛かった。
「調べました。曾祖父……政信と言うんですが、政信さんがあずみさんの恋人だった三彦さんの行方を探していたんです。政信さんの当時の日記が最近見つかって……。何となく私が調べた方がいい気がして調べていたんです」
「ずっと調べていたんですか?」
「本職は記者なので、まぁ色々と駆使して調べました。で、この記憶堂さんにたどり着いたんです」
それには龍臣は首を傾げた。
あずみは記憶堂の中、しかも龍臣と修也の前にしか現れない。それなのに、どうしてここに行きつくのだろうか。
あずみと記憶堂のつながりがどうしてわかったのだろう。
龍臣の疑問が伝わったのだろう。明日香は頷いた。
「この記憶堂書店は、三彦さんの弟さんが創業したものなんですよ。ご存じなかったんですね」
「えっ、弟が!? ……それは、知らなかった」
龍臣は唖然とした。
三彦は龍臣によく似ていた。それは本当に血縁者だったからなのか。
だとしたら、あずみがこの記憶堂や龍臣に執着したのも理解できた。
「三彦さんは弟さんを育てた後、病気で亡くなりました」
龍臣は膝に腕を乗せて、顔を覆った。
あずみは無事に三彦に会えたのだろうか。
死んでからさまよった挙句、今度は無事に再会できたのだろうか。
龍臣が三彦の血縁者だと知ったらどんな反応をしただろう。
「……記者をしていると、不思議な話を耳にするんです」
明日香は静かにそう呟いた。
龍臣が顔を上げると、あずみがまるで優しく微笑んでいるかのようだ。
「この記憶堂には若い女性の幽霊が住み着いていて、記憶の本があると」
「……なんですか、それ。まるでファンタジー小説のようですね」
龍臣がはぐらかすと、明日香はフフッと笑った。
「いえ、今日は記者として来たわけではないので、そこは追及しないです。今のところは」
そう言って、あずみにそっくりないたずらっ子のような表情を見せる。
「まぁ、とりあえず」と明日香はソファーから立ち上がった。
「曾祖父が探していたあずみさんの思い人の血縁者にも会えたし、今回はこの記憶堂に来てみたかっただけなのでもう帰ります」
明日香は身支度を整えて、店の入り口へ向かった。
龍臣もそれに続く。
すると、そこに修也が学校から帰って来て扉を開けた。
「ただいまー……、あずみさん!?」
そこにいた明日香を見て身体をびくつかせる。驚きで固まっているようだ。
飛び出さんばかりに目を見開いて明日香を見る修也に龍臣は内心、あちゃーという気持ちでいた。
明日香は龍臣を振り返って、ニコッと笑みを見せる。
「今度は仕事でお伺いしますね」
「そうですね……」
龍臣も引きつった笑みを浮かべてそう答えるしかなかった。いや、そう答えざるを得ない迫力があった。
本当に、そんな所まであずみにそっくりだった。
商店街を抜けて帰って行く明日香の背中を見送りながら、修也は龍臣に青い顔を向けた。
「何、あの人……。生きているよね? あずみさんが龍臣君を迎えに来たかと思った」
「……また来るってさ」
そう伝えて店の中へ戻る。
次は仕事で来ると話していた。
好奇心丸出しで、記者の目をしている。普段ならそういった類は追い返していたのに、何も言えなかった。
むしろ。
龍臣は深くため息をついた。
どうしてだろう、なぜか次に明日香が訪ねてくるのが待ち遠しく感じてしまう自分がいた。
彼女はあずみではない。
でも、あずみがいなくなった途端に現れた。
それには何か意味があるのだろうか。
龍臣は軽く口角を上げながら、掃除をするために箒を手にした。
END
「ごめん、あずみ。僕は行けない」
「龍臣!」
「ごめん。あずみ、僕は三彦さんじゃないから身代わりになれないよ」
あずみの心に引っ張られていた龍臣だが、我に返った。
いくら似ていても、三彦にはなれない。
必死に引き止める修也を置いて、あずみと逝くわけにはいかなかった。
「あずみ、本当の三彦さんは向こうで君を待っているんじゃないかな?」
「え……?」
あずみは驚いたような顔をする。
「君はもう何十年も前に死んでいるんだ。きっと、三彦さんももう向こうに行っている。君を待っていると思う」
龍臣の優しい言葉かけにあずみが動揺する。
あずみの中では、三彦に裏切られた、だから龍臣を連れて行けばいいとそれしかなかった。まさか三彦が待っていてくれるなんて考えもしなかったのかもしれない。
あずみにはそれくらい、年月も何もかもわからないまま記憶堂に住み続けていたのだ。
「待っている……?」
「うん、待っているよ。もし、いなかったら僕を迎えに来てもいい」
「龍臣君!」
修也の叫びを龍臣は片手で制する。
「あの世へ行って、三彦さんと会えなかったら僕を迎えに記憶堂へおいで。そうしたら今度こそ一緒に逝こう」
「いいの……?」
「あぁ、誓うよ」
そう言って、龍臣はあずみの頬にそっと口づけした。
あずみは一気に赤くなる。しかし、もう落ち着いた様子だった。
「わかったわ。約束よ、龍臣……」
「あぁ、約束しよう。でももし三彦さんに会えたなら、今度こそ幸せになって」
龍臣がそう言うと、あずみは静かに涙を流した。
「約束するわ」
そう満足そうに呟いて、微笑みながら光の中へ消えて行った。
あずみが光に吸い込まれて行くのを見つめていると、最後にその光が弾けるようにスパークし、龍臣と修也はその光に包まれた。
修也は咄嗟に、来た時と同じように龍臣の服を握りしめる。
そしてそのまま光に飲み込まれていった――――……。
――――。
龍臣が次に目を覚ますと、記憶堂の床に倒れていた。体を起こすと、酷い頭痛がするものの身体に怪我はない。
ふと時間を見ると、あれから一時間程度しか進んでいないようだった。
龍臣が安堵のため息をつき、辺りを見渡すとすぐそばに修也が倒れていた。
「修也、おい、修也」
「ううっ」
揺さぶって起こすと、修也も頭を押さえながら体を起こす。辺りを見渡し、記憶堂だとわかるとあからさまにホッとしたような表情を見せた。
そして、目の前にいる龍臣を見あげ、目に涙をためた。
「なんだよ、驚かせやがって」
そう悪態をつく修也に微笑みながら頭をなでる。
「ありがとう、修也」
修也のお蔭で龍臣はこの世に残ることを決めた。
ひとりだったら間違いなく、あずみに着いて行っただろう。別に、命を粗末に考えていたわけではない。
ただ、自分に縋るあずみが愛しく感じていた。
そして、それと同じくらいにあの時はあずみが哀れに見え、自分が側にいなくてはという使命感に似たものまで感じていたのだ。
身代わりでもいい。あずみの側に居たいと思ったから、着いて逝こうと思ったしあんな約束までした。
「あずみさん、本当に成仏してあの世へ行ったのかな?」
修也はどこか恐れる風な様子を見せながら周囲や二階の階段を覗き込んだ。
「行ったよ。わかる、記憶堂にあずみの気配が微塵も感じられない」
龍臣は立ち上がって、大きく伸びをした。酷く疲れていた。
修也も同じように身体を伸ばしてから、龍臣をチラッと見た。
「ねぇ、あの約束……、本当にあずみさんが迎えに来たらどうするの?」
「もちろん、守るよ」
「えっ」
龍臣が頷くと、修也は目を丸くした。顔には焦りが見える。
それに龍臣は微笑んだ。
「約束は約束だから」
その約束をしたことを、龍臣は微塵も後悔していなかった。
むしろ、三彦に少し嫉妬した。
何十年たってもあずみの心を離さない、それくらいにあずみが夢中で愛した人。
羨ましくて仕方なかった。
幽霊と人間じゃなかったら。
何度でもそう思う。
それくらい、あずみは龍臣にとって特別な存在だったのだ。
――――
季節は冬になっていた。
外がとても寒く、店の中が温かいせいか店のガラス窓が少しだけ曇っている。
龍臣は年末に向け二階の掃除をしていた。あずみがいなくなって、なんの気配もない二階はどこか寂しい。
あれから、しばらくはあずみが迎えに来るのではと店に来るたびに二階を覗き、あずみの気配を探っていたが、あずみは待てど暮らせど迎えに来る様子はなかった。
三彦と会えたのだろうか、それともあの世でまだあきらめきれずに三彦を探しているのだろうか。
そう思って、フッと笑みがこぼれた。
あずみは諦めが悪いからな。
もしかしたら突然、龍臣を迎えに来るかも知れないとすら思う。
「龍臣、おはよう」
そう言っていつものように二階から入りてきそうな気がした。
「それはそれで悪くないかもな……」
そんなことを呟いてしまう自分こそ、諦めが悪いのかもしれない。
二階を片づけ、いくつかの蔵書を売り場へ持っていこうとした時、パサッと記憶の本が落ちる音がした。
記憶の世界へは相変わらず通じている。
一時は幽霊であるあずみの力なのかと思っていた時もあったが、やはりこれはこの記憶堂の不思議な力なのだろう。
一階へ下りると、やはり床に一冊の記憶の本が落ちていた。それを取り上げ、カウンターへ持っていく。
近いうちに持ち主が現れるだろう。
大切な本だからと、そっとしまった。
すると、突然店の扉が開く音がした。
記憶の本の持ち主にしては来るのが異常に早いな。そう思って、入口に目を向ける。
逆光になって、顔は見えなかったが小柄な女性だ。
そのシルエットを見て、龍臣はドキンとした。
髪を一つに束ねており、赤い服を着ている。
その姿に見覚えがあった。
「あずみ……?」
無意識にそう呟くと、その女性は可愛らしく首を傾げた。
女性が扉を閉めて中へ入ってくると、その顔や姿が良く見えた。
色白で小顔、目鼻立ちがはっきりしている美人だ。
黒い髪は後ろで一つに束ね、着ていた紺色のコートを腕にかけている。白いシャツの上に赤いカーディガンを着ていた。
あずみによく似た女性だった。
「あの、ここは記憶堂書店で間違いないですよね?」
女性の口から発せられた声に、呆然としていた龍臣はハッとした。
あずみによく似ているが、しかし、よくよく見るとあずみではなかった。
安堵なのか、落胆なのかよくわからない気持ちが押し寄せたがふうっと息を吐いてそれを落ち着かせた。
あずみが迎えに来たと思った。
けれど、実際はどうやらお客さんのようだ。しかもちゃんと生きている。生身の人間だ。
「あ……、いらっしゃいませ。記憶堂へようこそ」
龍臣がそう告げると、女性は合っていた事にホッとしたようだった。
「初めまして、私、近野明日香と申します」
女性は鞄から名刺を取り出し、龍臣へ渡した。そこにはオカルト系の雑誌名に記者と書かれていた。
「あすか……さん」
小さく呟く。顔だけでなく、名前の響きまでもあずみに似ている。
しかし、雑誌の記者なんて来られても困る。
今までも記憶堂の噂を聞きつけてやってきた記者もいたが、たいていは眉唾物の噂だとして帰って行くことばかりだ。
……いや追い返しているとでもいうべきか。
明日香もそういった類だろう。
そう思うが、あからさまに追い返すと怪しまれるためとりあえずソファーで話を聞くことにした。
お茶を出すと、明日香は「いただきます」と一口飲んだ。
しかし、本当に良く似ている。
龍臣は苦い気持ちが胸に広がり、軽く唇を噛んだ。あずみに似ているが、この人はあずみではない。
「それで、記者さんがいったい何の用ですか?」
小さく深呼吸してからそう尋ねると、明日香は鞄から一枚の写真を取り出した。
白黒で薄汚れているため見にくい。大きな屋敷のような建物の前で、大勢の人が写真を撮っている。
「これは?」
「記憶堂さん、あずみという人物をご存知ですか?」
思いがけない名前に龍臣は息を飲む。一瞬、呼吸を忘れた。
龍臣の反応を見て、明日香はやはりという顔つきになる。
「この写真は私の家にあったものです」
「どういうことですか?」
「ここに写る男性、これは私の曾祖父であずみさんの兄に当たります」
「兄……?」
写真に写っていた背の高い男性を指差す。そしてその隣にいる小柄な女性を指差して「こっちがあずみさん」と教えてくれた。
龍臣は写真を食い入るように見つめる。確かにあずみの面影があるような気もするが……。
写真自体の古さもあってか、正直よく分かりにくかった。
しかし、明日香があずみの兄のひ孫にあたるということは、あずみの血縁者ということか?
どうりで……、と妙に納得する。それくらい明日香はあずみに似ているのだ。
「記憶堂さんはあずみさんのこと、ご存知でしょう?」
今度は確信めいた聞き方をしてきた。口調までもあずみを感じさせ、龍臣は混乱しそうだった。
「なぜ、そんなことを聞くんですか?」
平静さを保ちながら聞き返すと、明日香は前のめりだった身体を後ろに引いて、ソファーにもたれ掛かった。
「調べました。曾祖父……政信と言うんですが、政信さんがあずみさんの恋人だった三彦さんの行方を探していたんです。政信さんの当時の日記が最近見つかって……。何となく私が調べた方がいい気がして調べていたんです」
「ずっと調べていたんですか?」
「本職は記者なので、まぁ色々と駆使して調べました。で、この記憶堂さんにたどり着いたんです」
それには龍臣は首を傾げた。
あずみは記憶堂の中、しかも龍臣と修也の前にしか現れない。それなのに、どうしてここに行きつくのだろうか。
あずみと記憶堂のつながりがどうしてわかったのだろう。
龍臣の疑問が伝わったのだろう。明日香は頷いた。
「この記憶堂書店は、三彦さんの弟さんが創業したものなんですよ。ご存じなかったんですね」
「えっ、弟が!? ……それは、知らなかった」
龍臣は唖然とした。
三彦は龍臣によく似ていた。それは本当に血縁者だったからなのか。
だとしたら、あずみがこの記憶堂や龍臣に執着したのも理解できた。
「三彦さんは弟さんを育てた後、病気で亡くなりました」
龍臣は膝に腕を乗せて、顔を覆った。
あずみは無事に三彦に会えたのだろうか。
死んでからさまよった挙句、今度は無事に再会できたのだろうか。
龍臣が三彦の血縁者だと知ったらどんな反応をしただろう。
「……記者をしていると、不思議な話を耳にするんです」
明日香は静かにそう呟いた。
龍臣が顔を上げると、あずみがまるで優しく微笑んでいるかのようだ。
「この記憶堂には若い女性の幽霊が住み着いていて、記憶の本があると」
「……なんですか、それ。まるでファンタジー小説のようですね」
龍臣がはぐらかすと、明日香はフフッと笑った。
「いえ、今日は記者として来たわけではないので、そこは追及しないです。今のところは」
そう言って、あずみにそっくりないたずらっ子のような表情を見せる。
「まぁ、とりあえず」と明日香はソファーから立ち上がった。
「曾祖父が探していたあずみさんの思い人の血縁者にも会えたし、今回はこの記憶堂に来てみたかっただけなのでもう帰ります」
明日香は身支度を整えて、店の入り口へ向かった。
龍臣もそれに続く。
すると、そこに修也が学校から帰って来て扉を開けた。
「ただいまー……、あずみさん!?」
そこにいた明日香を見て身体をびくつかせる。驚きで固まっているようだ。
飛び出さんばかりに目を見開いて明日香を見る修也に龍臣は内心、あちゃーという気持ちでいた。
明日香は龍臣を振り返って、ニコッと笑みを見せる。
「今度は仕事でお伺いしますね」
「そうですね……」
龍臣も引きつった笑みを浮かべてそう答えるしかなかった。いや、そう答えざるを得ない迫力があった。
本当に、そんな所まであずみにそっくりだった。
商店街を抜けて帰って行く明日香の背中を見送りながら、修也は龍臣に青い顔を向けた。
「何、あの人……。生きているよね? あずみさんが龍臣君を迎えに来たかと思った」
「……また来るってさ」
そう伝えて店の中へ戻る。
次は仕事で来ると話していた。
好奇心丸出しで、記者の目をしている。普段ならそういった類は追い返していたのに、何も言えなかった。
むしろ。
龍臣は深くため息をついた。
どうしてだろう、なぜか次に明日香が訪ねてくるのが待ち遠しく感じてしまう自分がいた。
彼女はあずみではない。
でも、あずみがいなくなった途端に現れた。
それには何か意味があるのだろうか。
龍臣は軽く口角を上げながら、掃除をするために箒を手にした。
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