記憶堂書店

佐倉ミズキ

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三章

あずみ 4

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「龍臣君、俺見てられないよ。こんなあずみさん……」

ずっと今まで様子を見ていた修也が辛そうに顔をそむけた。部屋であずみは食事もとらず、泣いてばかりで憔悴していた。
龍臣もそんなあずみの姿は見たくなかった。しかし、どうしても目をそむけることが出来なかったのだ。
そして、閉じ込められてから三日がたった満月の日。
あずみの父親が部屋にやってきたのだ。

「あずみ、三彦はここを辞めたよ」
「え……」

突然の話にあずみは呆然として言葉をなくしている。

「使用人風情にたぶらかされおって。三彦には退職金をたくさん渡して、二度とこの町に近寄らないよう約束してもらった。あいつは幼い弟がいたからね、金を受け取ったよ。所詮、お前より金を選んだんだ。もうとっくにこの町にはいない。戻ってきたら、容赦しないと伝えてある。だからいくら待ってもあの男はここには来ないよ。お前は約束通り大沼様と結婚するんだ」
「嫌ぁ!!」

あずみは部屋を飛び出していく。部屋の窓から庭で取り押さえられているあずみの姿が見えた。髪を振り乱し、泣き叫んでいる。
父親はそれを静かに窓から見つめていた。

「あなた、これで良かったの?」

母親が入ってきてそう尋ねる。母親は娘の姿に涙を流していた。

「使用人との恋が許されるわけない。身分違いにもほどがある。これでいいんだ」

父親は冷酷にもそう告げて部屋を出て行った。

「そんな……、脅しじゃないか」

修也が苦しそうに呟いた。
龍臣達が生きる現代では考え付かない話だが、あずみの生きていた頃は違う。それほどまでにあずみは裕福で、身分さがあったということだった。
三彦はあずみをとても好きでいた。しかし、彼には幼い弟や家族がいたんだ。きっと彼が養っていた。
あずみと逃げることは簡単だ。彼だってそうしたかっただろう。しかし、それをしたら? 幼い弟や家族はどうなる? どんな目に合う?
それがわからない程、三彦は馬鹿ではなかったということだろう。

一週間後――――。

あずみはお見合い相手だという大沼と結納を交わした。
綺麗な着物に、化粧をして見繕ってはいるがその姿は見ていて痛々しいほどに痩せて顔色も悪かった。目は虚ろで、破棄もない。
精神を病んでいるのは一目瞭然だった。
その日の夜。
あずみは赤い袴にリボンで髪を一つに縛って、屋敷の裏へ向かった。そして――――。
その小屋の中で自ら命を絶ったのだった。

「どうして……」

修也は農薬を飲んで絶命しているあずみに駆け寄って泣いた。
あぁ、やはり。
龍臣はそう思った。
なんとなくこうなるだろうということは予想が出来ていた。あずみは記憶堂で、お婆さんの話を聞いてから全てを思い出していたんだ。
そして、再び悲しみに襲われていた。
それがこの場面だったんだ。だから龍臣達はここへ飛んできてしまったのだろう。
あずみは幸せになれなかった。
その事実が辛くて仕方がない。

「あずみ……。いるんだろう? あずみ……」

龍臣がボソッと呟いた。

「え? 何を言っているの、龍臣君」
「あずみ、いるんだろう。出て来いよ」

龍臣は声を張り上げて周りを見渡した。
すると、物陰から赤い袴姿で髪を下ろした女性が現れる。

「あずみさん……?」

修也は死んで倒れているあずみと、物陰から出て来たあずみを見比べていた。
物陰から出てきたあずみは、龍臣達がよく知る幽霊の方のあずみだ。

「あずみ、ここまでずっと近くで一緒に見ていたんだろう? 自分が死ぬまでをどうして俺たちに見せたんだ?」

そう尋ねると、あずみはやっと顔を上げた。
記憶堂で見た様な、気が触れた顔ではなくいつものあずみの顔だった。

「龍臣は気が付いていたのね。……どうしてだろう。ここは私の記憶の中だけど記憶の本から導き出されてきたわけじゃないから、後悔しているもう一つの選択肢なんて現れないのに。でももう全部思い出したのよ」

あずみは自分の亡骸を静かに見つめている。

「私が死んだあと、気が付いたら記憶堂に住み着いていた。そして龍臣に出会った。どうして龍臣にこんなに執着するんだろうと思っていたけど、三彦さんに瓜二つなのね。龍臣は三彦さんの血筋の人間なのかしら」

表情を変えることなく、ただ不思議そうに首を傾げる。
修也はそんなあずみを見て青ざめていた。
そこにいるあずみは、いつものような明るい表情なんて一切なくて、ただ無表情で感情が見えない。
初めて幽霊としてのあずみに対して恐怖を感じていた。
このあずみは怖い、そう本能的に感じていたのだ。
しかし、目の前にいる龍臣はそんなことを感じないのか、怖がる様子も臆する様子もなく淡々と接している。

「三彦さんの血筋かどうかはわからない。ただ、あずみは僕にどうしてほいいんだ? 僕はたまたまあずみの記憶の世界に引きずり込まれたのか?」

龍臣がそう聞くと、あずみは小さく「ふふっ」と笑った。
どこか恥ずかしそうな表情で、修也はゾクッとする。

「あのね、私、死んだ後に彼の姿を探して、しばらくは幽霊のまま彼の近くにいたの。屋敷からかなり遠い、知らない街で弟と暮らしていた。隙あれば一緒に連れて行こうと思って」

あずみは悪戯に失敗した子どものようにテヘッと笑う。

「でもね、どうしても上手くいかなくて。彼は私の死を知らずに、弟を大切に守りながら生きていた。だからなのかな、彼を連れていけなかったの」
「それで……?」

龍臣はあずみの言葉を落ち着いて聞いている。まるでこれから発せられる台詞がわかっているかのようだ。
あずみは龍臣の促しに満足そうに微笑んだ。

「彼が連れていけないなら、彼に似たあなたでもいいかなって」
「何を……言っているんだ?」

あずみの言葉にそう返したのは修也だった。
当の龍臣は言われることが予想着いていたのか、表情変えることなく落ち着いている。
修也は明らかに動揺した。

「あずみさん、自分が何を言っているか分かっているの? 龍臣君でも良いって……、龍臣君を連れて行こうということ? そんなこと許されるはずないじゃないか!」

そう叫ぶが、あずみは取り合おうとしない。

「ねぇ、龍臣。私には龍臣が必要なの。私を悲しみの底から引き揚げてくれたのはあなたしかいない。あなたが好きよ。とても好き。だから一緒に行こう?」
「……そう言うと思った」

龍臣は予想していたようで、苦笑した。
修也にとっては奇妙なやり取りにしか見えない。ますます焦った。

「龍臣君、あずみさんの言うことを聞いちゃダメだ! 連れて行くってどういう意味か分かっているの?」

修也の叫びにチラッと目を向けて頷く。

「どうして落ち着いていられるんだ。可笑しいよ、こんなの」
「龍臣、一緒に行ってくれる? 龍臣も私が好きでしょう? 今度は幽霊と人間じゃなく、お互い同じ立場で愛し合えるのよ。幸せなことよね」

あずみは嬉しそうに微笑んで、龍臣の腕に触れた。
いつものように、触れられている感覚ではなく生身で感じるような明確な感触だ。
龍臣は穏やかにあずみを見つめている。どこか慈愛に満ちているようにも見えた。

「だめだ! 龍臣君、行っちゃいけない!」
「うるさい! 修ちゃんは黙っていて!」

あずみにそう怒鳴られ、空気がビリッと震える。

「修ちゃんに何がわかるの? 愛しているって言ってくれたのに、彼は私を捨てて行ったの! 一緒に逃げてくれなかった。絶望した私の気持ちなんてわからないでしょう!? やっと龍臣なら連れていけるって、そう思った。だから邪魔しないで!」

あずみの迫力に修也は圧倒される。
あずみは本気だった。本気で龍臣を連れて行こうとしている。
修也は縋るように龍臣を見つめた。
あずみの周りが眩く明るくひかり、空間が歪み始めた。周囲の明るさに反して、その奥は暗く先が見えなくて深い。
修也は青ざめた。まるでそこは地獄の入口だ。
ここに吸い込まれたら、龍臣は死んでしまう。
あずみにはもう話が通じない。修也は今度は龍臣をしっかりと見つめた。

「龍臣君、行かないで。お願いだから、あずみさんに着いていくのは辞めて」
「修也……」
「頼むよ。行かないでくれ。行ったら龍臣君は死んでしまうんだよ」

それに龍臣は冷静に頷く。

「そうだな。でもあずみはずっと一人で待っていた。その気持ちを救ってあげたいと思うんだ」

そう言われるが、修也は激しく首を横に振った。

「龍臣君が行ってどうなるんだよ。所詮は身代わりなんだ」
「身代わりでも良い気がしてきた……」

そう呟くと、修也は激しく首を振る。

「ねぇ、じゃぁ俺は? 俺のことは置いていくの? 両親に置いて行かれた俺を今度は龍臣君が俺を置いていくの?」
「え……」
「龍臣君は俺の大切な兄貴のような存在なんだよ。龍臣君が行ってしまったら、俺はひとりになる。俺を見捨てないでくれ!」

修也は自分でも何を言っているか途中からわからなくなった。それでも龍臣を引き止めなくては、という思いで必死だった。
修也の必死の訴えに、龍臣はハッとした顔になる。
明らかに動揺し始めた。

「龍臣君、行かないで!」
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