記憶堂書店

佐倉ミズキ

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三章

あずみ 3

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龍臣が目を覚ました時、感じたのは床の冷たさだった。
顔を上げると、大きな窓から見えたのはしんしんと降り積もる雪だ。

「ここは……?」

倒れていた身体をゆっくりと起こし、辺りを見渡す。そこは記憶堂ではなかった。板張りの床にアンティークさを感じさせる、ソファーや机。どこか高級さも感じる。
どこか洋館風のお屋敷なのだろうか。

「龍臣君……」

呼ばれて振り向くと、少し離れた場所で修也が身体を起こしながら戸惑った表情を向けていた。

「どこなんだろう、ここ。俺たち、別の場所に飛ばされたってことなのかな?」
「あぁ、たぶん……。どこかはわからないが、あずみに触れた瞬間に光に包まれた。その時にここに飛ばされたんだと思う」

二人で周囲を見渡すが、部屋の中にヒントとなりそうな物は見当たらなかった。
すると、突然部屋の扉がガチャンと音を立てて開く。
ハッと顔を向けると、部屋の中に女性が入ってきた。
緑の着物姿に長い髪は後ろで一つにまとめてある。いつもと服は違うが、それはあずみだった。

「あずみさん!」

修也が声をかけるが、あずみはこちらに目を向けることなく机に向かっている。

「あずみ、いい加減になさい。相手の方にも失礼でしょう」

部屋の扉がノックされて、年配の女性が入ってくる。少しきつめの顔立ちだが、あずみによく似た綺麗な人だ。
一目であずみの血縁者だとわかる。

「失礼? どちらが失礼なんでしょう。お母様、私はお見合いだとは聞いていませんでした」

憤慨したように母と呼んだその女性をキッと睨み付ける。
この年配の女性はあずみの母のようだ。
そして、二人とも龍臣達のことが見えていないのか、全く目も向けず室内にいることに驚いた様子もない。

「事前に説明しなかったのは悪かったわ。でもね、お父様だってあなたを心配して……」
「心配? 心配しているのは自分の地位でしょう? お相手の方は財務省にお勤めだってお話ですもんね。銀行頭取のお父様からしたらこれ以上ないお相手でしょう。お父様があの方と結婚すればいいのよ」

あずみは一気に捲し立てると、憤慨した様子で肩で息をした。

「……とりあえず、今は落ち着きなさい。話はその後よ」

そう話して、あずみの母親は部屋を出て行った。
一人残されたあずみは悔し気に唇を噛む。
あずみは龍臣や修也の方を見ようとはしない。気にも留めていないようだ。龍臣たちは顔を見合わせ、あずみの隣へ立つ。

「あずみ……?」

声をかけるが、あずみは振り返ろうともしなかった。まるで、声が聞こえていないように。
いや、本当にあずみには見えていないし聞こえてもいないのかもしれない。

「もしかしたら、ここはあずみの記憶の世界なのか……?」

龍臣が呟くと、修也が「まさか……」と見返す。

「あずみに触れた時に光に包まれて、目が覚めたらここに居たんだ。記憶の世界とは言えなくても、ここはあずみの生きていた頃の世界なのかもしれない。だから当時の生きている人たちには僕たちが見えないんだ」
「え? 俺たちが死んだってこと?」
「そうじゃない。あずみの生きていた頃に飛ばされたんだ」

その証拠に、龍臣には目の前のあずみが透けて見えることはなかった。
生身の生きているあずみだ。
どこか胸が熱くなりながらも、困惑していた。
幽霊のあずみに、この世界に飛ばされたのだろうけど当の幽霊のあずみがいない。これでは帰り方がわからなかった。

「ねぇ、ということはここ、あずみさんの家? かなりお金持ちじゃない? お嬢様だったんだね」

確かにかなりのお屋敷だろう。父親は銀行の頭取と言っていた。
目の前のあずみはおもむろに服を着替え始めた。慌てて二人は後ろを向く。
そして、ガチャッと扉が開く音がして、ブラウスとスカートに着替えたあずみが部屋を出て行った。
龍臣達もそれを追う。

「どこに行くんだろう?」
「さぁな」

屋敷の廊下を抜けて、一階へ下りたが玄関ではなく裏口の扉を開けて外へ出る。

「広いお家だなぁ」

修也が感嘆の声をもらす。
あずみはそのまま屋敷の裏手にある雑木林を抜けて、小さな小屋へたどり着いた。
外にはほうきやバケツが置いてある。見たところ、物置のように見えた。
あずみはサッと身なりを整えて、扉をノックした。

「はい」

中から声があり、扉が開く。
現れたのは一人の男性だった。
すらっとした背の高い男性で、歳の頃は20代前半。服は粗末だったが、がりがりには痩せていない。
その人を見て、修也が息を飲んだ。

「え? 龍臣君?」

修也がその男性と隣で唖然としている龍臣を見比べている。
小屋から出て来た男性は龍臣に瓜二つだった。

「どういうことだ……?」

龍臣も驚きで目を見開いている。
あずみは小屋から出てきた男性に微笑みかけた。

「三彦(みつひこ)さん、会いに来ました」
「あずみお嬢さん。何度も言いますが、こんなところに来てはいけません」

三彦と呼ばれた龍臣似の男性は困ったように眉を下げた。

「いいじゃない。今は休憩中でしょう?」
「そうだけど……。今日、お見合いだったんですよね?」

三彦は顔を曇らせながらそう尋ねた。あずみは大きく首を振った。

「そうね。でも私は誰ともお見合いなんてしないわ」

そう言って三彦を見つめる。三彦はますます困ったような顔になった。

「しかし……、そうはいかないでしょう。それにこんなこと、旦那様や奥様にもいつかばれてしまいます」
「ばれたら逃げればいいのよ」

あずみがそう言うと、三彦は悲し気に顔をゆがめた。

「なんて我が儘なお嬢様なんでしょう。下男を困らせないでください」
「仕方ないでしょう? そうでしか、私たちの道はないのよ……」

あずみは三彦の腕にしがみ付くそうに身を寄せた。三彦はその細い方をそっと掴む。
唖然と二人の様子を見ていた龍臣と修也は思わず顔を見合わせた。

「どういうことだ? あずみとあの三彦って人は恋人同士だったのか」
「きっとそうだね。でも、あずみさんと三彦さんは身分が違うんだ。あずみさんが産まれたのがいつかはわからないけど、推測からして大正末期から昭和初め。その頃なんて、身分違いなんてよくある話だし、ましてやお嬢様と下働きなんて許されるわけないよ」

修也は考えを早口で話した。それに龍臣も同意する。
つまり、あずみは身分違いの恋をしていたということか。

「でもなんで三彦さんは龍臣君にそっくりなんだろう?」
「さぁな。それはわからない」

龍臣は記憶を巡らせるが、身内に三彦なんて名前の人はいなかったと思う。
しばらくしてあずみは名残惜しそうに三彦の小屋から出て行った。
その夜。
あずみが部屋で本を読んでいると、突然部屋の扉が開いた。

中に入ってきたのは年配の大柄な男性だ。

「お父様! 驚かさないでください、ノックをしてください」

あずみがそう言うと、年配男性――父親は顔をしかめてあずみの前に立った。

「お前、今日のお見合い相手の大沼様にお断りの電話を入れるよう秘書に伝えたそうだな」
「えぇ。だって結婚なんてする気ないもの」
「許さん! お前は大沼様と結婚するんだ。もうこれは決定事項だ」
「勝手に決めないでください!」

父親の言葉にあずみが怒鳴り返す。しかし父親も負けじと強く言い返した。

「お前の結婚はもう決まっているんだ! いつまでも我が儘を言うでない!」
「嫌です。結婚なんてしません!」

あずみが譲らずにいると、父親は怒りで顔を赤くしてあずみを睨んだ。

「じゃぁ、誰とならするんだ!? あ? 言っとくが、使用人の三彦は絶対だめだぞ!」

そう言われてあずみは言葉に詰まる。

「知っていたんですか?」
「当たり前だ! あいつとだけは認めん!」
「どうして!?」
「身分が違う。あいつはただの使用人だ。いくら跡取りではないとはいえ、お前と結婚させるわけにはいかない。諦めるんだ」

ハッキリと言われてあずみは涙目になる。

「嫌です。私は三彦さんが好きなんです。彼とでなきゃ結婚なんて出来ません」
「いいや、婚姻関係なんてただの紙切れだ。好きだのどうだのなんてことは後からでもどうとでもなる。お前は大沼様と結婚するんだ。お前の意思など関係ない。話は進める」
「お父様!!」

あずみの悲痛な声が響くが、父親は取り合おうとはしない。
父親は外から部屋の鍵をかけると、あずみを閉じ込めた。

「開けて! お父様!」

何度も扉を叩くが全くビクともしない。
あずみはその場に泣き崩れてしまった。
部屋の隅で一部始終をみていた龍臣は、思わず駆け寄ってその震える肩を抱きしめそうになった。
あんなに辛そうなあずみを見るのは初めてだ。
ひとしきり泣いたあずみは頬を拭って、窓を開けた。そして下を覗き込んでなにやら考え込んでいる。

「え、まさか……」

龍臣の隣で修也が顔を引きつらせている。
二人が見えていないあずみはお構いなしに、シーツを繋ぎ合わせてベッドに括り付けた。そしてそのシーツを外にたらす。
そして、意を決したようにそのシーツを伝って降りて行った。

「えぇ! ここ二階……!」

龍臣と修也が慌てて窓から下を覗き込むと、あずみは無事に降り立って走り去っていくところだった。
行先は三彦の所だろう。龍臣と修也もその後を追いかける。

「あずみさんにこんな過去があったなんて知らなかった」

追いかけながら修也が呟く。

「あぁ……。しかもなんでこの場面なんだ」
「え?」

龍臣は嫌な予感しかしない。
どうして自分たちはあずみのこの場面に遭遇しているのだろう。
もし、仮にここがあずみの記憶の世界だったら幽霊のあずみはどこにいるんだろうか。
そんなことを考えてあずみを追っていると、屋敷の裏口から出て通りを二つ曲がったところで止まった。
小さな木造のアパートだ。きっとここが三彦の家なのだろう。
あずみは二階の部屋へ向かう。小さく扉をノックすると、中から三彦が出てきた。

「お嬢様!? どうしたんですか、こんな時間に」

三彦は驚きを隠せない。あずみは三彦の顔を見るなり泣き出してしまった。
三彦は仕方なくあずみを部屋に入れる。
そして、あずみは泣きじゃくりながら事の顛末を話して聞かせた。

「そんな……」

三彦は顔を真っ青にさせて言葉がない。ただあずみの小さな白い手を握るしかできずにいた。

「私は三彦さんと離れたくない。ねぇ、三彦さん、二人で逃げよう?」

あずみがそう切り出すと、三彦はビクッと肩を震わせた。

「え……?」
「二人で駆け落ちしよう? そうでないと、私、結婚させられてしまう……」

突然の話に三彦は動揺を隠せないでいる。長い沈黙の後、あずみを見つめた。
そして、ゆっくりと口を開いた。

「あずみお嬢様。俺はあなたが好きです。とても好きだ。でも……」

そう言いかけると、あずみは大きく首を振って三彦に抱き付いた。

「嫌よ! それ以上は何も言わないで。次の満月の日に、裏の小屋で待っているわ。一緒に逃げましょう」

あずみの言葉に三彦が口を開きかけた時、部屋の扉が開いた。

「あずみお嬢様! やはりここでしたか!」

やってきたのは数人の使用人と思われる男性たちだ。

「ちょっと、離しなさい」

抵抗するあずみにお構いなしに抱えて連れ出そうとする。

「三彦さん! 三彦さん!」

あずみの叫びに、三彦はただ立ち尽くすしかなかった。
あずみは屋敷に帰ると両親に酷く叱られた。そして、部屋から一歩も出ないよう、閉じ込められてしまったのだ。
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