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二章
修也 前編
しおりを挟むすっかり夏も終わって、秋が深まり始めた頃。
修也はテスト期間が終わると、今まで通り記憶堂に通いだした。変わらない様子の修也に少しだけホッとする。
しかし、修也は時々両親についてポロッと話すことが増えていったのだ。
それは本当に些細なことで、例えば『加賀先生に、目元が母親に似ているって言われた』とか、『父親がいたらどう言うかな』とか、『じいちゃんは母親が産まれた時に花が咲いたようだって思ったから花江ってつけたらしい。俺の名前の由来はなんだろう』とか、サラッと会話の中に盛り込まれることが多くなったのだ。
それに対して龍臣も同じようにサラッと返していたが、修也自身の両親に対しての意識がどこか変わったのだろうと思う。
だからある日、龍臣は意を決して聞いてみた。
「修也は両親のこと、前より知りたいと思うのか?」
何気なく聞いたつもりだが、龍臣は少しドキドキしていた。
デリケートな話になる。様子を見ながら話を進めなくてはと思っていた。
でも修也は予想に反して二つ返事で頷いた。
「うん。なんかね、少しずつ両親についてちゃんと知っておこうかなって思うようになってきたんだ」
「良い話ばかりじゃないだろう。知るということは、良いことも悪いこともひっくるめて知ることになるんだぞ? 辛い結果の場合だってある」
「そんなのとっくにわかり切っているよ。そもそも、俺を捨てて言った時点でいい話じゃないだろう」
修也は困ったように苦笑した。
その通りだ。それもわかって、知りたいと思うのか。
「ねぇ、龍臣君は記憶堂の仕事をしていて様々な人の記憶の中を見て来たんでしょう?」
「あぁ」
「そこに、俺の両親についての話があったんでしょう?」
「……あったな」
「教えてくれない?」
修也が初めて龍臣に教えてほしいと言って来たのだ。
突然の申し出に、龍臣の方が一瞬言葉に詰まる。
すると、龍臣が答える前に「いいんじゃない?」といつの間にか起きて来たあずみがカウンターに頬杖をつきながら答えた。
起きて来た気配は感じていたから驚きはしなかった。しかし、そんな簡単に言われてもと少しだけ思う。
そんなあずみをチラッと見て、龍臣はため息をついた。
「お前が思っているほど生易しい話ではなくなるぞ」
「ある程度最悪な話は予想している。まぁ、現実はそれを上回りそうだけど」
修也は肩をすくめてそう言った。口では軽いことを言っているけど、目が真剣だ。
あぁ、まるで何か決めた花江の瞳に似ているなとも思った。
「知ったらお前は確実に深く傷つく」
「うん」
「源助さん達とも気まずくなるかも」
「そうかもね。でも隠し事されている今も、俺からしたら気まずいよ」
「お前は泣きわめくかも」
「泣いたらスッキリするかもよ」
「引きこもりになるかも」
「そこは大丈夫だと思う。ていうか、何? 話したくないの?」
回りくどい龍臣の様子に、ついに焦れた修也が頬を膨らませてぷんぷんしながらカウンターに詰め寄った。
しかし龍臣は修也を真っ直ぐ見つめる。
「お前は僕にとって弟のようなもんなんだよ。傷つくところを見たくないって言うのは当たり前だろう!」
龍臣がはっきりそう言うと、修也が目を丸くした。
「なんだよ」
「いや……、そんな風に思っていてくれるなんて思いもしなかったから」
といって、急に照れたようにへへっと笑った。
そんな反応されると、龍臣も恥ずかしくなる。
二人で妙に照れていると、あずみは冷めたような視線を寄越してきた。
「なんなの二人して気持ち悪い。とにかく、修ちゃんは聞きたがっているんだから今こそ話すべきよ」
あずみは言いながら朗らかに笑う。
その笑顔に後押しされたように、龍臣も頷いた。
「そうだな。夏代さんとの約束もそろそろ守らないと。今度の日曜にお前の家に行くよ。源助さんと夏代さんにも話がある。その時に話すでいいかな」
「わかった」
修也はしっかりと覚悟をした瞳で頷いた。
修也が帰って、店も閉店時間になった。
龍臣は戸締りをして簡単な片づけをする。あずみは暇そうに龍臣の後をついて回る。
「修ちゃん、良かったね。聞く気になってくれて。これで龍臣の心のもやもやも少しは晴れるんじゃない?」
「まぁ、そうだな」
確かにあずみの言う通りだ。話すことは少し緊張するが、どこかホッとしている自分がいる。
「でしょう? 全くあなたはいつも肝心な所で迷うから」
他の本を覗き込みながらあずみはふふっと微笑んだ。
しかし龍臣はその横顔を見つめる。
『あなた』
あずみにしては珍しい呼び方だ。龍臣はすぐにピンと来た。あずみが言う、『あなた』とは自分を指しているわけではないと。
しかし当の本人はそれに気が付いていない。
「この前、出かけた時だって――……」
あずみが話しながら龍臣を振り返って、顔を見たとたんにハッとした表情で凍り付いた。
龍臣もどう反応して良いものかわからず、穏やかな表情を作って見つめ返すしかない。
「あ……あれ? 私、今何を話していたんだっけ? あれ? ……龍臣?」
混乱をしているようだった。
龍臣は優しく、「大丈夫だよ」と透明なその肩を擦る。
「ごめんなさい。なんか時々、昔の記憶と混同しちゃうみたい……」
「昔の記憶を思い出したのか?」
龍臣が知る限り、あずみは生きていた頃の記憶がない。
自分がいつ生まれ、どこの誰で、いつ死んだのかさえも覚えていないと話していた。
わかるのは、気が付いたらこの記憶堂に住み着いていたということ。
龍臣の祖父が店を切り盛りしているころから居て、龍臣の代になって姿を現すようになったということ。それくらいだった。
だから自分でもこういうときは混乱してしまうのだろう。
「明確には思い出せてないけれど。でも、なんか時々フッと思い出すと言うか……」
あずみは気まずそうに頭をかく。
龍臣も「そうか」とだけ返して、それ以上は追及しなかった。
「龍臣……、ちょっとだけ抱き付いてもいい?」
あずみは不安な気持ちがぬぐえないのか、甘えたい様子だった。
龍臣としてもあまり混乱はさせたくない。静かに頷いて手を広げると、ホッとしたように身を寄せてきた。
あずみから匂いなんてするわけないのに、どこか甘い香りがするようで龍臣は苦しくなった。
日曜日。
良く晴れた日に、龍臣は修也の家を訪ねた。
実は事前に簡単に源助さんには事の詳細を電話で伝えていた。しかし、修也からも話を聞くからと言われていたようで、渋々と了承してくれたのだ。
龍臣が訪問すると、夏代が出迎えてくれた。
「いらっしゃい、龍臣君」
そう言って覗かせた顔はどこか不安げだ。
きっと源助さんから話は聞いているのかもしれなかった。花代について、なにを話されるのだろうかという様子が見られる。
龍臣は安心させるように、笑顔で「おじゃまします」と答えた。
リビングへ通されると、そこには既に修也と源助さんが座って待っていた。
「よっ」と軽く手を上げて、「待っていたよ」とリラックスした様子でくつろいでいる。
それには少しだけ拍子抜けした。
もっと緊張した顔をしているかと想像していたが、それは源助さんだけだったようだ。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
出されたお茶を一口飲んで、ホッと一息つく。
さて、と顔を上げると修也以外は眉間にシワを寄せて龍臣を凝視していた。思わず苦笑してしまう。
「あの、そんなに怖い顔して見られると話しにくいんですが」
「あぁ、すまん」
源助さんは焦ったように自分のお茶を飲む。
「あちっ」
「あらあら」
「祖父ちゃん、落ち着きなよ」
源助さんが溢したお茶を夏代が慌てて拭いている。
「新しいものを入れてくるから、先に話し始めていて」
夏代はそう言って席を立ち、台所へ行くが龍臣はその背中に声をかけた。
「いえいえ、待ちますよ。だって夏代さんに話をするって約束しましたからね」
そう言うと、夏代は「え?」と驚いた顔をして急いでお茶を入れ替えて持ってきた。
「そういえば、この前、記憶堂へ行ったとき。帰るときに約束がどうのって話したと思うんだけど、あれってなんのことだったのかしら。自分で言っててわけわからなくなっちゃって」
「僕が夏代さんと約束したんです。夏代さんが見た記憶の世界での花江さんの話をするって」
そう伝えるとキョトンとした顔をされた。
修也と源助さんは記憶堂の不思議な力について知っているが、夏代は知らないのだ。
龍臣は全てのことを話した。
記憶堂の不思議な力のこと、記憶の世界に夏代が行ったこと、そこで見た花江との選ばなかったもうひとつの世界での出来事。
ひとつひとつをゆっくりと、相手の反応を見ながら気遣いながら話した。
案の定、夏代は泣き出し、源助さんも目が赤い。
修也は泣きはしなかったものの、苦悶の表情を浮かべている。
龍臣は話し終わると、一口お茶を飲んだ。
「僕が知るのはここまでです。後はお二人がどこまで修也に話すか……です」
「あぁ、ありがとう。龍臣君、話してくれてありがとう」
わずかな沈黙の後、最初にそう口を開いたのは源助さんだった。
しゃくりあげて泣く夏代の背を優しく撫でながら、源助さんは自分を落ち着かせるように深くため息をついた。
「私に記憶の本が現れない理由がわかった気がしたよ。私は後悔ではなく、後悔すれば記憶の世界で花江と会えると思っていたんだ」
源助さんは自嘲気味に笑う。
「夏代は何一つ悪くない。誰も悪くはない。ただ、不運だった」
源助さんはそう言って目頭を押さえた。
「祖父ちゃん、俺話聞けて良かった。いや、もう少し早く聞いていれば良かったのかもしれない」
ずっと黙っていた修也が落ち着いた声でそう話した。
「なんか聞けて凄く嬉しかった。もっと聞きたい」
祖父母の様子とは反対に、修也は嬉しそうだった。
祖父母が知る両親について、もっと教えてほしいとねだり、どんな内容でも受け入れる準備は出来ているのだそうだ。
修也の様子に源助さんは少し面食らったようだったが、すぐにホッとした顔になった。
やはり修也の反応が一番気になる所だったのだろう。
龍臣も安心した。
これなら大丈夫だろう。
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