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二章
源助 後編
しおりを挟む翌日から、毎日のように来ていた修也は記憶堂に顔を見せなくなった。
あずみもあれから姿を見せなくなった。
当たり前のように常に記憶堂にいた二人が現れないことは、龍臣にとって驚きでありどうしたものかと頭を悩ませていた。
さすがに一週間たって、何となくこれはまずいだろうと思い、まずは修也のフォローが先だろうかと考えていると、源助さんが記憶堂にやってきた。
「どうだい、繁盛しているかい」
帽子を脱いで、ソファーに座った源助さんは笑顔でそう聞いてきた。
麦茶を出しながら龍臣は苦笑する。
「この店で繁盛は合わない言葉ですよ」
そう答えて向かいの椅子に座る。
「そうかい。さてな、龍臣君。修也の事なんだが……」
龍臣はやはり、と思った。
修也の様子がおかしいのだろう。だから源助さんは自分の所に来たのだろうと察することが出来た。
「修也の様子はどうですか?」
先にそう聞くと、源助さんは器用に片眉を上げた。
「やはり何かあったんだね」
確信めいた言い方に、龍臣は少し迷いつつも頷いた。
「先週から新学期で学校が始まったというのに、あいつはすぐに家に帰ってきて部屋に閉じ籠るんだ。今まではテスト期間ですら記憶堂に寄っていたというのに、だよ」
源助さんは困ったように苦笑しながら言った。
確かに修也はテスト期間だろうが何だろうが、二日に一回は顔を出していた。
それが記憶堂に寄りもしないで部屋に閉じこもっているなんて、相当ダメージを受けたのだろう。
龍臣は深いため息をついた。
「何があったんだい? 喧嘩でもしたか?」
源助さんは優しく聞いてきた。
いや。口調は優しいが、どこか「ちゃんと話せ」という迫力がにじみ出ている気がする。
龍臣は誤魔化しきれないと感じて、素直に話すことにした。
「実はちょっと、修也の両親について知る機会があって。それを少し話したんですよ。」
源助さんは「そうか……」と少しだけ驚いた様子で頷いた。
「どんな話だった?」
「母親は……、修也を大切に思っていたと」
そう伝えると、源助さんは少しだけ頭を垂れた。修也の母親である花江は源助さんにとって娘でもある。
「源助さんたちは、修也に両親のことをどこまで話しているんですか?」
差し出がましいとは思ったが、龍臣は聞いてみた。
「どこまでも何も、たいして話してはいない。父親は亡くなって、母親は行方不明。今はもう連絡すら寄越さない。どこで何をしているかも見当つかない。それだけだ」
「本当に?」
龍臣は眉を潜めて聞いた。
だってそれでは龍臣が知る少ない情報より、修也が知っていることは少ないではないか。
「修也が聞きたくないと言っていたんだ。だから細かい話はしていない」
「例えば、父親は入院していた事とか?」
龍臣の言葉に源助さんは顔を動かさず、目だけを向けてくる。
「……龍臣君。君は何をどこまで知っているんだい?」
「最近、知ることがあって……。それでも知っていることは極わずかですよ」
「それは、誰かの記憶の本を通して知ったのかい?」
そう聞かれて龍臣はドキッとした。
源助さんは今確かに『記憶の本』と言ってきた。記憶の本の存在を知っているということになる。
龍臣はあからさまに動揺した。
「どうして……、それを?」
すると、源助さんは穏やかに微笑んだ。
「君のお祖父さんに聞いたんだよ。私も修也ほどではないが、昔から何度もこの店に遊びに来ては、君のお祖父さんに話し相手になってもらっていた。その時、この店の不思議な力について聞いたんだ」
「そうだったんですか……」
龍臣はわずかばかり肩の力を抜いた。
どうしてもこの力について知る人は少ないため、警戒してしまった。
源助さんはすでに祖父から記憶堂の力について聞いていたのか。だから先日も「何か見たのか」なんて聞いて来たのだなと納得する。
「修也も不思議な力については知っているんだろう?」
「えぇ、まぁ」
「やはりそうか。まぁ、この狭い町だ。いつかは自分の両親について知っていくことが増えるとは思っていたよ」
ハハッと笑う源助さんに龍臣は頭を下げた。
「すみません。僕も修也にどう伝えるべきか迷ったんですけど」
「迷ったから大切に思っていた、とだけ伝えてくれたんだね」
源助さんはありがとうと言ってくれた。
その言葉に後押しされるように、龍臣は記憶の本で見たことについて話をした。
「見たのは、修也を源助さんに預ける少し前位の頃だと思います。花江さんの話だと父親は入院中で、花江さん自身もどこかへ行かなくてはいけないと話していました」
「そうか……」
「修也は大切だけど、でも行かなくてはいけないと……。決心を固めていた様子でした」
そう話すと、源助さんはため息をついた。
「なぁ、龍臣君。どうして私には記憶の本が現れないんだろうね」
「え?」
「私は花江のことをとても後悔しているよ。あの日、花江が修也を預けに来た時にもっと引き止めて、なんとかあの子の状態を助けてあげられていたら……、修也にこんな寂しい思いをさせることはなかったのではないかって。もし家に閉じ込めるくらいに強く引き止めていたらどうなっていただろう。記憶の本が現れて見せてはくれないだろうかって……。ずっと思っていたよ。ねぇ、どうして私には現れないんだろうね」
「それは……、僕には何とも……」
記憶の本は龍臣がコントロールできるものではない。
いくら源助さんが後悔していることがあったとしても、龍臣にはどうすることも出来ないのだ。
「そうだね、すまない。君を責めているわけではないんだよ。……私が最後に花江に会ったのは、修也を預けに来た日だった。いくら説得しても、引き止めても怒っても……。何をしても無駄だった」
「どこへ行くとかは?」
そう尋ねると、源助は小さく首を振った。
花江は詳しい理由を言わずに行方不明になったのだと言う。
「……修也の父親は優しくていいやつだった。自分の両親を亡くしていてね、その分、家族に憧れを持っていた。だから花江をとても大切にしてくれていたんだ。でも、仕事への才能はなくてね。自分の親が残してくれた工場を潰してしまったんだ」
そう言うと、喉を潤すように麦茶を一口飲んだ。
「莫大な借金をして、昼も夜も問わずに働いて結局は身体を壊してしまった。入院することになったんだ」
「その、失礼ですけど、源助さん達からの援助とかは?」
「したよ。でもそれでもこちらも限界はあった。娘のためにギリギリまで手助けしたが、借金も入院費や治療費もどうにも賄えなくなってきたんだ」
源助さんはハァとため息をついて、困ったように苦笑した。
「それでも娘は修也を身ごもったこともあって、絶対に別れないと言っていた。でも、とうとう彼の状態も悪くなりだしてね。もう、ほとんど手遅れになっていた。そんな時……」
源助さんは眉間にしわを寄せ、苦しそうな顔をした。話すのが辛いと言った様子だ。
「大丈夫ですか? 無理して話してくださらなくても」
「いや、何故だか君に聞いて欲しいんだ」
そう呟いてため息を吐いた。そして意を決したように息を大きく吸い込む。
「そんな時にね、花江はある男性に見初められたんだ」
源助さんはゆっくりと話し出した。
花江は当時、夫の入院費と借金返済のため、修也を源助さん達に見てもらいながら近くの飲食店で働いていた。
そこで、出会ったのが新森(にいもり)という男性だったという。
40代くらいで背の高い、見た目は悪くはない男だったという。
新森は花江を一目で気に入り、何度もアプローチしてきた。
しかし、花江は夫も子どももいるからと断った。それでも、新森は諦めなかった。そして言って来たのだ。
「夫と別れて自分の元へ来るなら、夫の入院費と治療費、借金、全てを清算してあげようと」
「全てですか!?」
とんでもない条件を突き付けて来たのだと言う。花江の心は大きく揺れた。
借金もなくなり、夫も良くなるならこれほど良いことはない。
けれど――……。
「新森はね、ヤクザだったんだ」
その言葉に龍臣は言葉を失った。
新森は実は暴力団の二代目で、花江に後妻になれと言ったのだと言う。
花江は新森を恐れた。
いくらお金を肩代わりしてもらうからといって、ヤクザの妻にはなりたくなかった。
何より、夫を愛していたのだ。
しかし、新森も諦めなかった。
常に職場の居酒屋にも現れるようになり、そのせいで他の客が居づらくなり客足が遠のいてしまっていた。花江は仕事を辞めざるを得なかった。
そして、ついに病院にも新森が現れるようになり花江は観念したのだ。
「ある日、花江は私の所へ来て頭を下げたんだ。修也を預かってください、お願いしますと」
源助さんは組んでいた手を額に当てた。
「花江は当時、この事を黙っていた。私と妻には、夫と別れて遠くで再婚したい、修也は置いていくと。一方的に告げて出て行ってしまった。花江とはそれきりだ」
「え? 花江さんは事実を話さなかったということですか?」
ではどうして源助さんは花江の見に起きたことを知っているのだろうと首を傾げた。龍臣の疑問は伝わったようで、軽く苦笑された。
「調べたんだ。どうしても娘の言うことが信じられなくて、興信所を使って徹底的に調べた。そしてわかったことがこれだったんだ」
源助さんは苦虫を潰したような表情で、ため息をついた。
「修也の父親はどうなったんですか? 亡くなったと言っていましたけど本当に?」
「……新森は約束通り入院費も治療費も全て払ったようだ。でも、彼は助からなかった……」
「そんな……」
修也の父親の葬儀は源助さん夫妻がひっそりと執り行ったそうだ。
「どうして、修也にはその事を教えないんですか?」
「自分の両親が借金をして、挙句父親は身体を壊して死んだ。母親はお金のために自分を置いてヤクザの後妻になった、なんて知りたいと思うか?」
源助さんはこの時、初めて龍臣にやや強めの口調で聞いた。
「あの子だって、今まで両親について細かく聞いてこようとはしなかった。あの子だって真実は知りたくないんじゃないのか?」
源助さんの言いたいことは龍臣もよくわかっていた。むやみに修也を傷つけたくはない。その気持ちは理解できる。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。
「そうでしょうか?」
龍臣は疑問を呈した。
少し前まで龍臣も源助さんと同じようなことを思っていた。だから修也に両親の話を聞いたりすることはなかった。
しかし、本来なら自分の親について、少しでも知りたいと思うことは自然なことだ。現に修也だって加賀先生に母親の昔話を聞いていたくらいだ。
感心なようなそぶりを見せてはいたが、本当にそれが修也の本心なのだろうか。
「修也の学校に花江さんの友人が先生でいます。修也は時々その先生に母親の昔話を聞いていたそうですよ。今回だって、僕が伝えたことが修也を動揺させたのかもしれませんが、本当は修也は心のどこかで両親のことを知りたいと思っているのではないでしょうか?」
龍臣には珍しく、相手を説得させるような口調で力説した。
源助さんもそんな龍臣に驚いたのか、一瞬目を丸くさせたがすぐに頬を緩ませた。
「そうか……、修也がそんなことを……」
「修也ももう高校生です。時間はかかるかもしれませんが、理解できない年頃でもないでしょう? まずは修也が両親についてどう思っているか聞くことから始めませんか?」
そこまで言って龍臣はハッとした。
何を出過ぎたことを言っているのだろう。
これは修也と源助夫妻が決めることだ。簡単に他人が口出ししていいことではない。
だからこそ、自分だって悩んでいたのに一度堰が切れたら思っていたことが全て口から出てきてしまった。
「すみません。出過ぎたことを言いました。僕には関係ないことなのに……」
そう言うと、源助さんはゆっくりと首を横に振った。
「いいや。君は修也にとって兄のような身近な存在だ。もしかしたら私達より懐いているんではないかと思うくらいにね。だから、君が修也について色々と考えていてくれていることが嬉しいよ」
フフッと源助さんは笑うと、大きくため息をついた。
「全てを知って、あの子は幸せだろうか。ちゃんと幸せになっていってくれるだろうか?」
「なれますよ。あいつはそこまで馬鹿じゃないです」
龍臣が断言すると、源助さんはやっと嬉しそうに「そうだな」と笑った。
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