記憶堂書店

佐倉ミズキ

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二章

源助 中編

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この前の加賀先生の記憶の世界で見聞きしたことは、忘れるべきなのだろうか。
そんなことを考えていると、店の扉がガラッと開いた。
お客さんだろうかと龍臣は「いらっしゃいませ」と声をかける。すると、そこには汗を拭う修也が立っていた。
新学期が始まったのだろう。久しぶりに制服姿だった。

「涼しー」

店の中でかけているクーラーの風に当たりながら、修也はペットボトルの飲み物を口にする。

「龍臣君、さっき祖父ちゃん来た?」

外ですれ違ったのだろうか、「あぁ、来たよ」と伝えると困ったような顔をした。

「何か言ってた?」

それを聞いて龍臣は呆れたようにため息をつく。

「同じようなことを聞いて来るなよ」
「え?」
「心配していたぞ。僕にお互いのことを聞こうとしないで、ちゃんと話し合えよ」

挟まれる方はいい迷惑だ。
二人がきちんと話し合えば済む話なのに、それが出来ないでいるからすれ違いが生じているのだ。

「そうは言ってもさ、なんかね」

修也はさっきまで源助が座っていた位置に座る。

「育ててくれて感謝しているからこそ、無理はさせたくないっていうかさ」

他人の家の経済状況について、龍臣は口出せる立場にいない。しかし、双方の気持ちはよくわかる。

「堂々巡りだな。さっきも源助さんに言ったが、お前はまだ二年生だ。詳しい進路何て来年でも十分だろう」
「そうなんだけど、周りが受験勉強やら進路について話すことが増えたからなんとなく気持ちが急ぐんだよね」

と、修也は困ったように笑った。
まぁ、もう二年生も後半に差し掛かるとさすがに進路の話は頻繁に出るし授業もその対策に向けて進むのだろう。

「祖父ちゃんや祖母ちゃんが悪いわけでもないんだけど、親がいたらもっと話しやすかったのかなとか思ったりしてさ」

珍しく修也から親というワードが出た。
龍臣はついまじまじと修也をしてしまう。

「え、なに?」
「……お前さ、両親についてなんて聞いているんだ?」

龍臣は言葉にやや慎重になりながらそう尋ねた。
龍臣と修也が、修也の両親について話すことはあまりない。
だからこそ、修也が両親についてどう思っているのか、どこまで知っているのかがわからなかったからさっきまで悩んでいたのだ。
修也は特に顔色や様子を変えることなく、「んーと」と思い出すように首をひねった。

「父親は産まれてすぐくらいに死んで、母親は行方不明ってことくらい」
「死んだ?」

それには龍臣も驚いた。ということは、父親はあの後すぐに亡くなったということなのだろう。

「それ以外は? 母親が今どうしているかとか、連絡はないのかとか」
「何も。もしかしたら祖父ちゃんの所に連絡はあったのかもしれないけど、俺は何も聞いていないよ」

あっさりとした口調で話す修也に龍臣の方が狼狽えた。

「お前、知りたいとか会いたいとか思ったりしないわけ?」

一度くらいはあるだろう。そうでなければ、母親と友人だった加賀先生の所へ行って話をしたりなんてしないはずだ。

「まぁ、昔は思っていたけど。だから加賀先生にも母親について話を聞いたりしたけどさ、聞けば聞くほど遠いというか」
「遠い?」
「なんか身近に感じられないっていうか。話を聞いても、その人が自分の母親っていう感覚がないんだよね」

修也は赤ん坊の時に預けられたせいか、母親の記憶はない。
だから尚更、母親について想像できないのかもしれなかった。

「なるほどな……」
「でも、どうして預けられたかとか、失踪した理由は何かとかは一度は聞いてみたい気がするけど……、よくわかんないや」
「……そうか」

会いたいとかそう言うのではなく、どうしてかという理由を知りたいというのが一番だろう。
修也は見た目以上に、実は両親について考えているのではないだろうか。

「そんなに悩むなら、話したらどうなのよ」

唐突にそう声がして、龍臣はハッと振り返る。

「あずみさん」

修也も驚いているようだ。目線の先は二階へ続く階段付近を見ており、古い階段がぎしぎしと音を立てている。
どうやらあずみが起きて降りてきているようだった。

「あずみさん、もう起きたの?」

修也は外を見てから目を丸くして尋ねる。確かにまだ夕方ではない。
龍臣はまただ、と思った。
最近、こうして昼間に起きてくることが増えている。
どうしてなのだろう。
幽霊が夜ばかり現れるものとは限らないが、そればかりではなく、どうも近ごろのあずみはどこか様子がおかしい。
修也はあずみを昼間に見るのが珍しいのかぽかんとしている。
そして、説明を求めるかのように龍臣をチラッとみた。しかし、龍臣にもその理由はわからず、首を軽くひねるだけ。
あずみという幽霊の生活リズムが変わっただけなのか、他に理由があるのかすらもわからない。
しかし、あずみはそんな二人の様子などお構いなしに呆れたような怒ったような声を出す。

「龍臣もうじうじ悩んでいないで修ちゃんに話しちゃえばいいのよ」
「あずみ」

話を聞いていたのだろう。
龍臣は軽く制するが、あずみは聞こうとしない。

「修ちゃんの母親について知っているのはあの先生だけじゃぁないのよ」

突然の話に修也が戸惑っている。

「え、どういうこと?」
「ねぇ? 龍臣」

あずみはそう言って龍臣に話を振った。

「龍臣君、どういうこと?」

不思議そうに首を傾げる修也は、説明してと言うように龍臣をじっと見つめてくる。
あんな話の振り方なんて、明らかに龍臣が何か知っていますとでも言うようなものだ。
龍臣は思わず額を抑えてしまう。
こんなタイミングで言うつもりはなかった。
龍臣が知った修也の母親の話は気軽に出来るものではない。一度、源助さんに話してからでも良いのかとも考えていたのだ。

「龍臣君、何か知っているの?」

修也は不安げにこちらを見てくる。
龍臣は心の中であずみに余計なことを、と恨めしく思いながら修也が座るソファーの前に座った。

「……ある人の記憶の本にお前の母親が出て来たんだ」
「え……」

修也は驚いたように目を丸くした。

「お前の母親は、事情があってお前を祖父母に預けたそうだ。その事情って言うのは僕もわからない」
「事情……。まぁ、そうだろうね」

どこか自虐的に笑う。
事情がなければ子供を置いていくようなことは普通はしない。修也なりに何か理由があったのだろうと考えていたのだろう。

「でもお前のことは大切に思っていたぞ」

龍臣は修也の様子を見ながら簡潔に話した。
見たままを細かく話そうかとも思ったが、修也がどこまで受け止められるか図れなかったからだ。
しかもきっと龍臣より修也の祖父母の方が詳しく母親の様子や状況を知っているはずだ。その祖父母が話していないというならば、龍臣があれこれと出しゃばっていいことではないような気がした。

「龍臣君は誰の記憶の本で見たの?」
「それは言えない」

加賀先生の記憶の本を開いたとき、修也はいなかった。
だとしたらいくら修也とはいえ、案内人として客のプライバシーを配慮しなければならない。

「ふぅん。まぁ、予測はつくけどね」

修也は両手を頭の後ろで組んで、天井を見あげた。

「大切にねぇ……。本当に大切なら、普通は手放さないもんだけどな。やっぱり親の考えていたことがさっぱりわからないや」
「見たこと全てを細かく話した方がいいか?」

どこか呆れたように鼻で笑う修也にそう聞くが、やや食い気味に「今はいい」と断られてしまった。

「龍臣君、話そうか迷っていたんでしょ。ごめんね、俺なんかで困らせて」
「そんなことは別に大丈夫だ」

高校生に気遣われ、龍臣はバツが悪そうに顔をしかめる。
しかし、修也はどこかイライラとしているように見えた。やはり両親の話は、良いものも悪いものも修也にとっては複雑であまり気分のいいものではないのだろう。
しかし、少なからず知りたいという気持ちは残っている。
龍臣は修也の立場ではないし、両親に愛情を持って育てられたので修也の気持ちはわからない。
だからこそ、安易に口出しは出来ないと思っている。
修也を傷つけることだけはしたくなかった。

「とりあえず今日は帰るよ」

修也はそう言って「またね」と店を出て行った。去っていく背中がどこか哀愁が漂っているように見えるのは気のせいなのだろうか。
余計なことを言ってしまったなと後悔する。
その姿を見送ってから深くため息をついた。
そして店に入ると、「あずみ」とあずみの名前を静かに呼んだ。

「なぁに?」
「余計なことを言うな」

龍臣が珍しく厳しい口調であずみにそう言った。

「どうして? 龍臣が悩むくらいなら話せばいいことでしょう? 修ちゃんだって知る権利はあるわ」
「知る権利はあっても、修也がそれを望まなければそれは余計なことだ」
「知りたいって言っていたじゃない」
「知りたいけど知りたくない、複雑な気持ちなんだよ。そこは外野が慎重に気持ちを察して伝えなきゃならない」

そう言うとあずみは不満そうに鼻を鳴らした。

「私は修ちゃんの気持ちじゃなくて、龍臣の気持ちが優先よ」
「優先しなくていいから。空気や相手の気持ちを察してくれ。幽霊だってそれくらいは出来るだろう、人間だったんだから」

龍臣にしては珍しくはっきりとあずみに物を言うと、あずみが怒った雰囲気を感じた。

「そうよ! 幽霊よ! 死んだ人間は黙っていろってことね!?」
「そう言う意味じゃない」

すると近くにあった本が浮いて、龍臣に向かって飛んできた。
一瞬、あずみが投げつけて来たのかと思ったが高い位置の本や遠くの本棚の本も龍臣に向かって飛んできており、ポルターガイストのような現象をあずみが引き起こしているのだとわかった。

「痛い、やめろ! あずみ」

龍臣は本を避けながらあずみにそう怒鳴った。しかし本は強い風と共に龍臣に飛んでくる。

「痛いってば、やめろ。おい、あずみ!」

何度かそう叫ぶが、怒っているあずみに龍臣の声が届いていないようだった。
こんなあずみは初めてだ。
龍臣は腕で顔と頭を守りながら前を見ると、一瞬だけ二メートル先くらいに袴姿の女性が薄らと見えた。
それにハッとする。
赤い袴に長い黒髪を後ろで束ねている。色白で小顔の綺麗な顔立ちをしており、しかしその顔は怒りでゆがんでいた。
龍臣が初めて肉眼で見たあずみの姿だった。

「あずみ……」

龍臣が驚いていると、急に風も本もピタッと止んだ。
それと同時に龍臣に見えていたあずみの姿が見えなくなる。

「あ……、私……、今何を……」

あずみの唖然とした戸惑いの声だけが聞こえた。
姿は見えない。でもまだそこにはいる。
いつものように龍臣にはあずみの姿が見えなくなっただけだった。

「私……、今のって……」

どうやら正気に戻ったようだ。
怒りで自分が何をしたのか、わからなくなっているのだろう。

「あの、ごめんなさい……龍臣……、私……」

今にも泣きそうな震える声で謝ってくる。

「ごめんなさい!」

そう言うと階段を上がっていく音が聞こえて、あずみの気配が消えた。

「あずみ!」

龍臣の声かけ虚しく、一気に静寂になる。
ひとり残された龍臣はそっと呼吸を整えた。
何だったんだ、今のは。
あずみがあんなことをしたのは初めてのことだ。
あずみ自信、自分が何をしたのかわかっていないのだろう。
あれが、幽霊の力なのだろうか。
初めて見せつけられたその力に龍臣は恐怖を感じた。
心を落ち着かせるように深いため息をついて、周囲を見渡す。床は本が散らばっていた。
中には貴重な本や高価な本もあり、龍臣はそれらを丁寧に拾い上げ傷や損傷がないか確認する。
幸いにも本は無事だった。

「……どうしたっていうんだ」

自分が傷つけてしまったとは思っている。
しかしあそこまで激昂するあずみは今までになかった。
あずみにあんな力があるなんて……。
何かがおかしい。
あずみは今までとどこか違っている。
それは最近のあずみの様子と関係があるのだろうか。

「あずみ……」

龍臣は気配が消えた2階を見上げる。
初めて見たあずみは、怒りに顔が歪んではいたが美しかった。
実際に自分の目で見るとまた印象が違うものだな。
龍臣は俯きながら呟いた。

「全く……。顔を見たら忘れられなくなってしまうだろう」

声や存在以外に、顔を見てしまったら龍臣はあずみという幽霊を形ある者としてより強く認識するようになる。
幽霊とわかっていても、そこにあずみという女性が存在しているのだと感じるようになるからだ。
それは龍臣にとって、あまり歓迎出来ることではなかった。
龍臣はこれ以上、あずみという幽霊を、存在を認めたくはなかった。
あずみからの好意を感じれば感じるほど、それは意識的に思ってきたことだ。
だからこそ、ある程度の一定の距離を保ってきたつもりだった。

「それなのに……」

あずみは幽霊だ。
それは変えられない事実。
そして、あずみにとっても、龍臣にとっても残酷な事実であることには変わりないのだ。
龍臣が必死に守ってきたこの距離感は永遠に保たなければならないと思っていた。

「だからこそ顔なんて見たくなかったのに」

龍臣は悔しげに唇を噛んだ。


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