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二章
源助 前編
しおりを挟むもう九月に入ったというのに、最近は昔に比べると夏の日差しが強くなったな、と龍臣は店先で水を撒きながら思った。
アスファルトに撒かれた水はあっという間に渇いてしまう。それでも、少しでも涼になればと汗を脱ぐって水を撒いていた。
昼は久しぶりに商店街にある中華屋でさっぱりと冷やし中華でも食べそうかな。
そう思っていると、穏やかな声が龍臣を呼び止めた。
「今日も暑いなぁ、龍臣くん」
低いしゃがれた声に振り替えると、にこやかに麦わら帽子を被ったポロシャツ姿のおじいさんがこちらに歩いてきた。
その顔を見て龍臣も自然と笑みが浮かぶ。
「源助さん」
源助さんは修也の祖父だ。
現在70歳。少し白髪が混じっているが、背筋も伸びており実年齢より若く見える。
龍臣の祖父の代から時々この記憶堂に足を運んでは雑談をして帰って行った。
そのうち、修也を抱っこして連れてくることが多くなった。ふたりがお茶を飲みながら話をしている間はよく龍臣が修也の面倒を見ていたのだ。
最近は修也のほうが記憶堂に入り浸るようになり、源助さんが来るのは久しぶりだった。
「どうだい、繁盛しているかい?」
「その言葉はこの店には無縁の言葉ですね」
そう笑いあいながら源助さんを「どうぞ」と涼しい店内へ案内する。
麦わら帽子をとって汗を拭う源助さんは、店の中を見回した。
「相変わらずだね、記憶堂は」
龍臣は冷蔵庫から奥のソファーに腰掛ける源助さんに冷たい麦茶を出す。
「それにしても珍しいですね。源助さんが来るなんて」
こうして店に訪れてくるのは一年ぶりくらいになるだろうか。
「最近は修也が常連だもんな。流石にちょっと遠慮はしていたよ」
麦茶をグビッと飲みながらそう話す。
なるほど、源助さんなりに気を遣っていたのか。
しかし、そうなると今日は何しに来たのだろうか。龍臣の疑問が顔に出ていたのだろう。源助さんは軽く咳払いをして、どこか言いにくそうに口を開いた。
「なぁ、龍臣くん。修也は最近どうだい?」
源助さんは少し口ごもりながらそう聞いてきた。
なるほど、ここに来たのは修也についてなにか聞きたいのだろう。龍臣になら何か話しているかもしれないと思って、ここに来たのだとわかった。
「どうって何がです?」
龍臣はあえてとぼけてみる。すると益々源助さんは困った表情をした。
「何がって、その……最近の様子というか……」
「そんなの源助さんの方が毎日一緒なんだからよく分かっているでしょう?」
苦笑しながらそう答えると源助さんはぐっと言葉に詰まって、気まずそうに頭をかいた。
「わからねぇから聞いてんだ。最近、修也は思春期ってやつなのか昔より可愛げがなくてな」
「思春期ねぇ……」
龍臣は腕組みをしながら最近の修也を思い浮かべる。確かに思春期を感じさせるところはあるが、龍臣に対してはあまり変わりはなかった。
一つだけ思い浮かぶとしたら。
「まだ進路についてもめているんですか?」
「もめてはいないけどね」
とっさに否定するが、龍臣がじっと見つめると源助さんはため息をついた。
「……あいつが大学に行きたくない理由はなんなんだ? 学力的には何とかなるだろう?」
やっぱり、と龍臣は思った。
進路について、源助さんは大学へ行かせたくて、修也はそれを迷っている、という状態がまだ続いていたのか。
源助さんはそれについて龍臣が何か知っているのではないかと思い、来たのだろう。
これには苦笑するしかない。
源助さんが期待するほど、龍臣が知っていることは何もないのだ。
それに、そこは家族でよく話し合いをしてもらわないと、と思うがそれもお互い気を遣って出来ていないのだろうと推測できる。
「理由は源助さんも感じているんじゃないですか?」
「……金の心配か?」
「まぁ、そればかりでもないようですけどね。修也自身がやりたいものが見つからなくて、進路に悩んでいるんですよ」
修也はやりたいことがないのに、大金を使わせてまで大学に行く意味があるのかと悩んでいた。
「やりたいものがなくても、今の時代、とりあえず大学に行ったりするものだろう。就職にも有利になるし、みんなそのために行くようなもんだ」
確かにそこは大きい。
なんだかんだ言って、学歴を問われることは少なくない。
将来の就職のためとりあえず大学へ行くという若者のほうが今は多いのではないだろうか。実際に進んだ学部と就職先が違うなんてこともよくあることだ。
だからこそ、源助さんのとりあえず大学へ行けという気持ちはわかるが、経済的に豊かではないとわかっているから尚更、修也は渋るのだろう。
修也は慎重で真面目な性格だ。
だからこそ、迷っているのだろう。
修也自身、大学へ行く意味や意義を持ちたいのだと思う。
「まだ二年生ですから、もう少し待ちませんか。きっと答えを見つけますよ」
「そうか……」
源助さんは少しシュンとしながら頷いた。
親がいないからといって不自由させたくない源助さんと、経済的に負担を掛けさせたくない修也。
お互いが思いやっているからこそ、すれ違うのだろう。
しかし、お互いが遠慮しあって本音を言えないのではどうしようもない。
源助さんは自分を納得させるように数回頷くと顔を上げた。
「ありがとう、龍臣くん。これからも修也をよろしく頼むよ」
源助さんがそう言って立ち上がろうとしたのを、龍臣は咄嗟に「待ってください」と声をかけた。
「あの、源助さんにお聞きしたいことがあって」
「なんだい?」
座りなおした源助さんは小首を傾げた。
一瞬、龍臣は言葉に詰まる。つい声をかけたは良いものの、なんと言って切り出そうか何も考えていなかった。
先日見た修也の母親の記憶についてどう話そうか、話しても良いものだろうかと迷う。
そもそも、龍臣がそのことを知っていること自体が不審だろう。
さてどうしたものかと迷う。
「どうした?」
「あ、いや……。その……」
源助さんは未だに修也の母親と連絡を取っていたりするのだろうか。父親はどうなったのだろう。
修也に言えないだけで、本当は何か知っているのではないだろうか。
疑問は多い。
しかし聞きたい気持ちと他人が口出すことではないという気持ちとで口ごもる。
すると、龍臣の様子を見て源助は苦笑した。
「龍臣くん。もしかして何かを見たのかい?」
「えっ……」
穏やかな、しかしどこか確信めいた口調でそう聞かれ、龍臣は戸惑った。
見たとはどういう意味なのだろう。
どういった意味合いで見たのかと聞いたのだろうか。
源助さんの見たというのは、修也の両親の過去のことなのだろうか。龍臣がそれを記憶の本で見て知ったと気が付いたのだろうか。
だとしたら、源助さんは記憶堂が持つ力のことを知っているのか?
記憶の本について祖父からでも話を聞いていたのだろうか。
龍臣は修也以外に記憶の本について話したことがない。
しかし、祖父と親交があった源助さんなら何か聞いていたのかもしれなかった。
けれどその確証もない。
龍臣は混乱した。記憶堂の力についてあまり人に言ってはいけないものだとわかっているからこそ、確信をついて切り出しにくかった。
ここは相手が言うのを待つしかないか。
「その……見た、とは?」
しかし、源助は微笑みながら軽く首を振る。
「……いや、何でもないよ。また話そう。君と話をするのは好きなんだ」
「ありがとうございます」
そんなことを言われるとは思わず、少し驚く。
龍臣の反応に源助はふっと笑うと店を出ていった。
その姿を見送りながら、やはり源助さんは記憶堂の力について知っているのかもしれないと思った。
そして、龍臣が修也についてなにか見たのだと思ったからああ言ったのではないだろうか。
しかし、確証がないのに龍臣から切り出しにくい。
そもそも、身内でもない龍臣が修也の問題について首を突っ込んだとして、源助が話してくれるとは限らないのだ。
「単に僕がモヤモヤするだけなのか……」
軽いため息とともに扉を閉める。
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