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一章
司書 後編
しおりを挟む修也に案内されて、本校舎の隣にある二階建ての建物に案内される。
そこには科学室や理科室、美術室、視聴覚室などのいわゆる移動教室が入っており、そこの一角に図書室があるのだという。
夏休みということもあってか、生徒の姿はなく遠くから部活をしている声が届くくらいに静かだった。
龍臣は注文された本を二冊抱えて、修也の後について図書室へ向かった。
「加賀先生。記憶堂の店主さんを案内してきましたー」
修也は図書室の扉を開けて中に声をかけると、本棚の間から「はぁーい」とのんびりした声が聞こえてきた。
「ありがとう、修也君」
現れた女性は40代前半くらいで、背が高く、ストレートの黒髪が良く似合う可愛らしい女性だった。
加賀先生と呼ばれたその女性は龍臣を見て軽く会釈する。
「暑い中、わざわざすみません。司書の加賀です」
「こんにちは。記憶堂書店の柊木です。これ、ご注文の歴史書です」
「はい、伺っています。お預かりしますね」
龍臣が歴史書が入った紙袋を掲げた時、「あっ」と思わず声が出てしまった。
「どうしたの、龍臣君?」
「あ、いや……」
不思議そうに振り返ってきた修也に笑ってごまかす。
しまった。
つい反応して声を出してしまった。
しかし、龍臣にははっきりと聞こえたのだ。記憶堂で記憶の本が落ちる音が……。
もちろん、その持ち主は龍臣でも修也でもない。
ということは、目の前にいる加賀先生の物なのだろう。
本が落ちて持ち主が近くにいるとその予測が付くこの感覚は、どこにいてもわかってしまう。
それが記憶堂の血筋なのだろうということはわかっているが、龍臣としては「またか」という気でしかない。
本を渡して、受領書に印鑑を押してもらう。
「それにしても、修也君にこんな素敵な友達がいたとはね。担任の先生に聞いてびっくりしたよ」
加賀先生曰く、担任の先生から修也の友達が記憶堂の店主だから、修也に案内させると話していたらしい。
「友達っていうのかな? 近所の幼馴染ではあるけど」
確かに友達というにはやや歳が離れているし、友達らしく外で遊んだりはしない。
龍臣にとって、修也は弟みたいなものだ。
龍臣が学校保存用の受領証を書いていると、修也は貸し出し受付のカウンターに寄りかかりながら加賀先生と親し気に話していた。
それを見て、龍臣はピンッと来た。
「修也、ここで授業をさぼっているだろう」
突然の龍臣の発言に修也はビクッと身体を震わせた。加賀先生も目を丸くする。
正解か……。
龍臣は自分の予想が当たったことに少し肩を落とし、修也に呆れたような目線を送った。
あからさまに二人は目線をさまよわせている。
不自然すぎて、正解だと言っているようにしか思えなかった。
カマをかけたつもりだったが、どうやら当たっていたようだ。
「やっぱりな」
修也が放課後、図書室に通うとは思えない。
それなのに司書である加賀先生とどこか親し気な雰囲気があるのは、そういうことなのだと気が付いてしまったのだ。
授業をここでさぼっている間に親しくなったのだろう。
不登校やいじめにあっている生徒が保健室や図書室に通うのは聞いたことがあるし、そういった事例には容認して良いと思うが、修也の場合はただのさぼりだ。
そこはちゃんと授業に出るよう、諭してほしい所ではある。
「加賀先生、こいつを甘やかせては駄目ですよ」
呆れてため息をつくと加賀先生は気まずそうに俯いた。
「はい……、すみません」
「違うんだ、俺が勝手にさぼっているだけで。ごめんなさい、先生」
指摘されてシュンとしながら、あっさりと認めた加賀先生を修也は慌てて庇い、謝った。
加賀先生は苦笑して「いいのよ」と首を横に振る。
「むしろ、私は先生なのに……。ごめんね、修也君」
その笑みにホッとしたように修也も照れくさそうにつられて笑みを浮かべた。
「笑う所じゃないだろ、修也。祖父さんにチクられたくなかったらちゃんと授業には出なさい」
「はぁい」
龍臣に注意されて、肩をすくませて返事をする。本当に響いているのか疑わしい所ではあるが。
そして、「これ本棚に仕舞ってくるよ」とカウンターに積み上げられた返却済みの図書を数冊持って逃げるように離れて行った。
「修也君、授業はきちんと出ているんですよ。本当にたまにこうしてここへ来て手伝ってくれるんです」
まるで怒らないで上げてという口ぶりだ。
龍臣ももちろんさぼりの常習ではないことくらいわかっているから、怒るつもりなど毛頭ない。
時々のさぼりくらい龍臣にも身に覚えはある。
「でも、修也君には甘くなっちゃうな」
「どうしてですか?」
ふふっと笑う加賀先生に顔を向けて首を傾げる。
修也にだけ甘くなるのはひいきと言われてしまうのではないか。さすがにそれはまずいだろう。
すると、加賀先生は声を潜めて言った。
「私、修也君の母親の花江と同級生なんですよ」
「え……」
まさかの名前に龍臣は目を丸くする。
「修也の母親ですか?」
「そう。でも今は行方が分からないそうですね。蒸発したって」
それに対して龍臣は黙って返答はしなかったが、加賀先生は事情を把握しているようだった。
「私が最後に花江に会ったのは、修也君を妊娠している時かな。街中で偶然再会して……。あの時は元気そうだったけど」
「それから連絡は取っていないんですか?」
「ええ。花江、連絡先変えてしまったようで電話もメールもつながらないの」
「そのこと、修也には?」
「言ってあります」
そうだったのか、と龍臣は一瞬天井を見上げた。
修也が図書室に来る理由はさぼりだけではなかったのかもしれない。加賀先生に母親の話を聞きに来ていたのだろう。
「だから、大目に見てくださいね」
龍臣が修也が来る理由に気が付いたのを加賀先生は優しく微笑んでそう言った。
帰り道。
龍臣が無言で歩いていると、修也は気まずそうに顔を覗き込んできた。
「サボりのこと、怒ってるの?」
「いや? 別に怒ってないよ」
「そう? なんかムスッとしているからさ」
少しホッとした様子を見せながら、痛いところを突いてくる。
別にむすっとしていたわけではないが、修也にはそう見えたのだろう。しかし、あんな話を聞いてニコニコとはしていられない。
龍臣は「それは……」と口ごもってから、修也を見た。
これは本人に聞くのが一番だろう。
「……加賀先生に母親の事、聞きに行ってたんだろ?」
龍臣の言葉に一瞬目を丸くしたが、すぐに照れ臭そうに微笑んだ。
「やっぱりバレた? 聞いたんだね。 実は加賀先生、お母さんと同級生だっていうから何か知っているかなって思ってさ」
そう話す声は明るい。
「で、何か聞けたのか?」
そう聞くが、修也は首を横に振った。
「大人になってからは会ってなかったらしいから……。でも、学生時代の話は聞けたよ。お母さん、美人でモテたって」
ヘヘッと笑う修也に、静かに「そうか」と返事をした。
自分を置いて行方のわからない母親の事でも、何か知ることが出来るのは嬉しいのだろう。
修也はあまり自分の両親について、話したりしない。
付き合いの長い龍臣でも、修也が心でどう思っていたのかなんてわからないのだ。
記憶堂に着いて、開店準備を始めると二階からカタンと音がした。
「あれ? あずみさん。もう起きたの? 早いね」
修也が二階へ繋がる階段を見上げた。
どうやらあずみが起きて来たらしい。しかしまだ時間は午前中である。
「あずみ、どうした。まだ早いぞ?」
あずみはいつも夕方になると現れる。
しかし、最近たまにこうして昼間に出てくることがあった。
いや、正確には昼間に出てくることが増えたと言える。その理由はわからないが。
「目が……覚めたのよ」
あずみがポツリと呟くと、龍臣の胴体が暖かくなった。
あずみが抱きついているのだ。
「あずみ」
龍臣があずみが居るであろう場所を見下ろして諭すが離れる気配はない。
「さっき、本が落ちたわ。記憶の本が……。誰のかしら」
あずみの言う記憶の本は、きっとさっきの加賀先生の物だろう。
本の音で目が覚めたのか? 今まではそんなことで起きなかったのに。
「あぁ、きっともう少ししたら来ると思うよ」
「女……?」
あずみは呟いて、しがみつくようにさらにきつく抱き着いてきた。
思いがけず強い力で顔をしかめる。
「あずみ、ちょっと痛いから」
「あずみさん! 龍臣君が苦しそうだよ」
二人に同時に言われ、あずみはハッとしたように龍臣から離れた。
「あ、ごめんなさい。何してるのかしら、私……」
「寝ぼけてるの?」
修也はしかたないなぁと言うように苦笑する。
「そうかも」とあずみも微笑むが、龍臣は無言であずみがいるであろう場所を眺めていた。
寝ぼけていた?
それにしては寝ぼけて抱きつく力とは思えないくらいに、力は強かった。
男である自分が苦しく痛いと感じるほどに。
「修ちゃん、学校は?」
「夏休みだよ」
また聞かれた、と呆れる修也を横目に龍臣はあずみにどこか違和感を感じていた。
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