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3.食べる?食べない?

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人に愛されるってどういうことなのかな。
リユはずっと考えていた。

両親にも愛されずに捨てられたリユにとって、それは永遠の謎だった。もちろん、孤児院の幼子たちには慕われていた。必要とされていたと思う。けれど、それは愛だったのだろうか。
好きと愛はどう違うのだろう。

誰かを愛し、愛されたかった。

もし次に生まれ変わることができたとしたら、そんな人生を歩んでみたい。誰にも疎まれず、無償の愛を感じてみたい。あぁ、神様。生贄になって食べられるのならそれくらいの我儘を聞いてください。

「神……、様……」
「俺は神様じゃねぇよ」

ふいに耳元で不機嫌な声が聞こえ、リユの意識は一気に覚醒した。
はっと目を開けると、目の前に映ったのは白い天井だった。体の下はなめらかなシーツの感触。ベッドの上にいると理解はしたが、ここはどこだろう。天国とはこういうところなのだろうか。
混乱する頭で顔を横に向けると、そこには一人の少年がいた。整った顔立ちを軽く歪め、リユを見つめている。

「だれ……?」
「誰だと思う?」

呟くと、少年は口角を上げてぴょんとベッドに飛び乗り座った。
見たところ、年の頃は7~8歳。孤児院にいた上の幼子たちと同じくらいだろうか。幼子たちは痩せていたが、この少年は健康的な体つきと顔つきをしている。

とても綺麗な少年だ。艶やかな黒髪と黒い瞳、整った顔立ち。そして、どこか大人びた表情をしている。天使にしてはどこか不穏な空気をまとっている気がした。

「つーか、人に聞く前に自分から名乗れば? お前は誰?」
「私? 私は……」

不意にそう問われてのっそりと体を起こす。
良く見ると、そこは広い部屋だった。殺風景だが、家具はそろっている。キングサイズもあろうベッドに、清潔なシーツに布団。少し埃っぽい感じがするが……。掃除は十分ではないのかもしれない。

そして、リユは自分の体を見下ろしてギョッとした。見下ろせば、今までのような小汚いぼろきれの布ではなく、上質な肌触りの良い真っ白な服を着ている。
いったいこれは何だろう。何が起きた?死んだ割には感覚も生々しい。

両手を見つめて呆然としていると、少年は首をかしげた。

「なに? 名前忘れたか?」
「あ……、リユ……です」
「どうしてここへ来た?」
「ここ?」

ここって……。
室内を見渡すと、少年は頷く。

「そう、この悪魔の洞窟に」
「え……?」

少年の答えにぽかんと口を開けた。
ここが悪魔の洞窟? ということは、ここには悪魔様がいるということ。
そうか、そういうことか。

「では、私はまだ死んでいなかったのね? ということは……、これから悪魔様の生贄として……、食べられるということ……」

まだ生きていたことに一瞬喜びを感じた。しかし、すぐに状況を理解して言葉尻が小さくなっていった。
少しだけの生か。簡単には死なさせず、じわじわと不安と恐怖を与える。きっと悪魔様にはそれが良いスパイスにでもなるのだろう。

正直、村のためとか幼子たちのためとかちょっとカッコいいことを考えてみたけど、これから直面することを考えると怖くてたまらない。
震える手をそっと抑えた。

「顔色悪いな。まだ寒いか? この中は温かいはずなんだけど」

少年が室内を見渡す。
寒さなど感じない。久しぶりに温かい部屋の中にいる。顔色が悪いのはこれから死に行くためだ。

「いえ……。あの、あなたは悪魔様の僕か何かですか? あの、悪魔様にお伝えください。食べるなら一思いにお願いしますと。じわじわいたぶられるのは嫌なので……」

覚悟をもってそう伝えると、目の前の少年はキョトンとした顔をした後、吹き出して笑った。

「食べるって……、何千年前の話をしてるんだよ」
「え……? でも……」

生贄ということはそういうことだ。

「そもそも、俺は僕でも使い魔でもない」
「どういうこと?」
「お前はこの洞窟に村の生贄として捧げられたんだろう? 全く、村の連中は何千年も前からの言い伝えばかりを信じてやがる。今どき、悪魔が人間を食べるわけがないだろうが」

少年は年齢に見合わない大人びた口調で、可笑しそうにクツクツと笑う。
悪魔様は人間を食べない? 村の人たちはそれを知らなかったのか。では……。

「私は食べられることはない?」
「……そうだなぁ、どうしようかな」

少年はスイッと目を細める。しかしその瞳は笑っていない。リユはその瞳の冷たさにゾッとする。何も映していないような、漆黒の闇を見た気がした。

「あなた……、一体なに?」

僕でも使い魔でもないなら、この少年は何だというのだろう。
こんな小さな少年がどうしてここに? そしてリユはハッと気が付く。

「もしかして、あなたも生贄だったの!?」

そうとしか考えられない。こんな小さな子を生贄にして差し出した村があったのだろう。リユは一気に同情した。
しかし少年はため息交じりに言った。

「生贄? 俺が? んなわけあるか。あのなぁ、そもそもこっちは勝手に生贄を送られるのも迷惑なんだ。お前のことだってどうしたらいいか」
「生贄ではないの? というか、あなたは一体何なの?」
「俺? 俺はここの主。お前らが言う悪魔様ってやつだよ」

……は?
この少年が? 村の人たちが恐れていた悪魔様?

すべすべのぷっくりほっぺが可愛らしい。見たところ、本当にどこにでもいる少年だ。まぁ、やたらと美しい顔をしているが。この子が悪魔様だというのか。
リユがあまりにもキョトンとしていたためか、少年は気まずそうにガシガシと頭をかいた。

「あのなぁ、俺だって気を遣ってこんな姿に……。ハァ、まぁいい」

少年は顔を上げると、リユに問いかけた。

「で? お前はこれからどうするんだ? 俺は生贄なんかいらない。人間は食べないからな。村へ帰るか?」
「帰る……。帰れるの?」
「あぁ、ここに居ても仕方がないだろ。村の飢饉だって、たまたま天候がそうだっただけで俺は関係ないんだから」

生贄にならなくていい。その事実に安堵する。しかし、村へ帰ったところで、この話を信じてもらえるだろうか? そもそも孤児院はもうない。だったら幼子たちがいる隣村へ行く? 受け入れてもらえるだろうか?

「とりあえず、村へ行ってみたら?」
「うん……」

小さく頷くが、リユは不安がぬぐえなかった。


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