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1. リユの決意

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「悪魔様を怒らせた代償は取らねばならん」

長老は煙草を深く吸い込むと、ハァァと思いっきり吐き出した。

「ならば、孤児院から誰かひとり生贄に差し出そう」

長老の言葉に、村長は小さく唸って頭をかいた。深夜になろうという時間。二人しかいないのに、村長は周囲をはばかる様に声を潜める。

「しかし、どいつもこいつも痩せて汚いガキ共ですぞ? そんなのを贄にして悪魔様がさらに怒ったら……」
「出さないよりはいいだろう。それに、ほら。ちょうど良いのがいるだろう? リユが……」
「リユ……。なるほど。あの娘ならちょうど良いかもしれませんね……」

その名前に、長老も村長も顔を合わせてニヤリと笑った。


――――


「リユ、ほら早く起きて支度して! さっさと水を汲んで来なさい!」

リユは院長先生の怒鳴り声で目が覚める。のっそり起きると、院長先生はチッと舌打ちをした。

「お前は本当に愚図ね。15歳にもなってもろくに働けやしない」

そう吐き捨てられるのも毎日のことだ。
リユはこっそりため息をつきながら、粗末なベッドから降りた。やせ細った素足は床に触れると一瞬ヒヤッと凍える。

布切れのような簡素な寝巻から、同じく布切れのような汚らしい普段着へと着替える。背中まで伸びた茶色い髪はゴムで適当にまとめる。

上着を羽織って外に出る。吐く息が白い。こんな薄い上着では着ていてもいなくても同じようなものだ。
しかし、両親もおらず孤児院育ちのリユにとっては、これ以上の贅沢など想像もつかなかった。冬になる前に上着をもらえただけ良かった。といっても、使い古しのぼろきれだが……。

「今日も冷えそうね……」

井戸から水をくむと、そう呟いたリユはバケツの中で揺れて飛び跳ねる水も気にせずに施設の中へと戻って行った。


この村のこの孤児院にはリユを含めて5名ほど在籍している。
15歳のリユが一番年上で、他はみんな5~7歳の幼子だ。だからこの施設ではリユが一番の働き手だった。そのため、いつも院長先生に辛く当たられる。

「ほら早くガキどもを起こしておいで。ガキどもの支度が終わったらさっさと飯を作るんだ!」

院長先生はリユに命令すると、新聞を広げてコーヒーを飲みながら椅子に座っている。もちろん、食事や洗濯、年下の子たちの面倒はほぼリユが一人で見ていた。
院長先生はただ見て命令するだけ。それが当たり前だった。

一人ですべてをこなすのは大変だが、施設を追い出されると野垂れ死ぬだけ。文句など言えない。
でも、五年前までいたおじさんの院長先生の時に比べたらまだいい。おじさん院長先生の時は、リユより年上の少女たちは皆、おじさん院長の慰み者として扱われていた。
そして、ほとんどの少女が病気になって死んでいくのだ。

あぁ、次はきっと自分の番なのだろう。

諦めと絶望を感じていると、おじさん院長も病気になってあっけなく死んだ。そして今のおばさん院長先生がやってきたのだ。

「彼女たちに比べたら私はまだまし」

今の院長先生にどんな扱いを受けようとも、あの頃の女の子たちに比べたらまだいい方なのだ。
リユはいつも自分のそう言い聞かせていた。

「さぁ、みんな。おはよう。お着換えするわよ」
「リユちゃん、おはよう」
「リユちゃん、まだ眠いよう~」

リユの声掛けに、幼子たちはブツブツ言いながら起き上がる。

「リユちゃん、寒いよう」

一番下のファズが目を擦りながらリユに抱き着く。寝起きのぽかぽかの体がとても心地いい。リユは自然と目を細めた。

「ご飯を食べたらきっと温まるわ。スープを作ってあげるからね」

ファズを慰める様に優しくそう答える。しかしファズは小さな口を尖らせた。

「えぇ、またお野菜の切れ端スープ? もう飽きたなぁ」
「あら、お野菜はとても大切よ。切れ端でも栄養はあるんだから」
「お野菜やお魚ばっかりでつまんない。たまにはお肉が食べたいなぁ……」

「ぼくも」「わたしも」と幼子たちの不満に困った顔で微笑む。

「お魚だって美味しいじゃない」
「でも最近は寒いから、お魚だってまともに食べられないよ」
「それは、うちだけじゃないわ。この村自体、食糧不足なんだから文句を言ってはダメよ」

リユはやんわりと幼子たちをたしなめた。

この村は夏の酷暑で野菜が育たず、ちょっとした飢饉に陥っている。村の人々が日々食べていくだけで精一杯なのだから、孤児院など野菜の切れ端がもらえるだけでもありがたいという状態なのだ。

リユは幼子たちの着替えを手伝ってから、台所へ立つと朝食の準備を始めた。朝食と言っても、硬いパンに野菜の切れ端の薄い味のスープだけだ。それでも何も食べないよりはいい。

食べ終えると、掃除と洗濯などやることが多いから大変だ。リユは掃除をしながら窓の外を眺める。

「……今年の冬は大雪になるかしら」

呟きは白い息で消される。
外は今にも雪が降りそうで、体の芯まで凍える。リユは痩せた体をそっとさすった。

(お腹空いた。あんな粗末な朝食ではお腹が満たされないわ……。少しでもチビたちに食べさせないと、厳しい冬は乗り越えられないかもしれない……)

幼子たちが少しでも多く食べられるよう、いつもリユの食事は減らして分けていた。しかしそれも限界が近い。庭の畑で作る作物も土が悪いのか、うまく育たないので期待できない。
この寒さだと山の果物や作物も育ってはいないだろう。
なにか手立てを考えなければ、そう思ってもリユには何も浮かばなかった。


その日の夜。
幼子たちを寝かしつけると、リユは院長先生に呼ばれた。

「何でしょうか」

部屋に入ると、そこには長老と村長もいる。なぜ二人がいるのだろう。孤児院に来ることは滅多にないというのに。

それにしても、院長先生の部屋はいつも薪がたかれて温かい。リユ達にはもったいないからとほとんど使わせてもらえないのに。
少しだけ面白くない感情が顔に出たのだろう。院長先生は「なんだいその顔は!」と叱った。

「リユ。お前は今いくつになる?」

長老の問いかけに「……15歳です」と答える。

ふとリユの脳裏に、昔施設にいた少女たちの姿が浮かんだ。

(まさか、私も同じ目に合うのかしら……)

こんな貧相な体ですら、売れば金にはなるだろう。「女」というだけで、男たちの欲のはけ口にはなるのだと少女たちを見て学んでいた。
ゾッとして、長老と村長を怯えたまなざしで見返す。
しかし、返ってきたのは意外な答えだった。

「実はこの施設の取り壊しが決定した」
「え……? 取り壊し?」
「この村の財政状況から、ここの維持はもう難しい。そこでだ、子供たちを隣村の施設へ移動させようと思ってな」

村長の言葉に目を丸くする。
隣村は少し離れた場所にあるが、村民も多くこの村よりは過ごしやすいと聞いたことがある。
そこでなら、こんなつらい思いをしながら生活しなくても良くなるのかもしれない。なにより、幼子たちが食べることに困らずに生きていけるかもしれない。

希望が見えて、リユは笑顔が浮かぶ。

「あ、ありがとうございます! それで、いつから……」
「リユは別だ」
「え……?」

想像しなかった返事に笑顔が凍る。

「別とは……?」
「幼子たちは隣村の孤児院へ移そう。しかし、リユは他に行くべきところがある」

他に行くべきところなんて、今までリユには存在しなかった。
ということは、やはり自分は売られてしまうのだろうか。慰み者か奴隷か……。
絶望で目の前が暗くなると、予想とは違う答えが返ってきた。

「エトラン山の洞窟に住む悪魔様にお前を捧げようと思う」
「悪魔……様……」

それを聞いて、リユは言葉を失う。
エトラン山とは村に隣接する大きな山だ。その山の影響は大きく、エトラン山に住む悪魔様が微笑むと作物も良く育ち、悪魔様を怒らせると飢饉になるという言い伝えがある。
この村の飢饉は悪魔様を怒らせたせいだとひそかに噂されているのは知っていた。

(そこに捧げるということは……、つまり私は生贄にされるということ……?)

慰み者や奴隷ですらなかった。
生贄になるということは、死んでその身を捧げるということだ。この身と引き換えに村の安寧を得る。
リユは孤児で身内がいない。生贄にするにはちょうど良いのだろう。

「お前も噂は知っているだろう? 今年は悪魔様がお怒りの様子だ。ここまれにみる酷い飢饉。働き者のお前を贄にするのは忍びないが、これも村のためと思って引き受けてくれないか?」

村長は穏やかな顔でそう問いかける。目の前の少女を生贄にするのに、どうしてそんな顔が出来るのだろう。絶望の中で、ふとそんなことを思った。
あぁ、まぁ当然かとリユは思う。
自分が生贄になれば村は救われる。その未来に安堵しているのだ。リユの気持ちなどこれっぽっちも考えてなどいない。

「わ、私は……」

どんなに貧しくても、どんなに辛くても死にたくはなかった。
しかし彼らは平然とした顔でリユに死を迫っている。リユは震える手を胸の前で組んだ。

「貧相な私が……、生贄になったところで悪魔様は満足など致しません……」
「お前が断るというなら、幼子の誰かを捧げるしかないな」

ずっと黙っていた長老が口を開いた。ハッと顔を上げると、長老は口角を上げる。

「どうする?」

卑怯だ。そんなことを言われて、リユが断るはずがない。弟妹のように可愛がっていた幼子たちを差し出して、自分が生き延びる等できなかった。

「あの子たちは隣村で穏やかに過ごせますか?」

私の呟くような問いかけに、長老と村長、院長先生は頷いた。

「……わかりました。私、生贄になります」

リユは自分の死を覚悟した。




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