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2.身代わりに
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「無理です! バレてしまうに決まっています!」
私はそう叫んだが、聞く耳は一切持ってもらえなかった。
「お前がジュアナの代わりに嫁ぐしか方法はないんだ! 王子の前ではいつも帽子を被るなり、俯くなりして顔を隠すようにしろ! この家のためなんだ! 言うことを聞けないと、今すぐここから追い出すぞ!! まともに働けないようにしてやる!! いや、まともに生きられなくしてやるからな! お前の人生なんてどうでもできるんだぞ!」
旦那様は鬼のような形相で私にそう吐き捨てた。
嫁いで失敗しても追い出されるのに、拒否したらクビにされた後もまともに生きられないなんて酷すぎる。しかし、子爵家の称号をもつ旦那様ならやりかねない。いや、本当に使用人一人ぐらいの人生なんて簡単にどうでもできるだろう。
(どのみち私には先がない……)
青い顔で旦那様を見つめるが、もう決定事項なのか何を訴えても無駄だと悟る。有無を言わさない圧力をひしひしと感じた。
「お前の荷物は後で送る。お前はこれからジュアナとして生きていくんだ。いいな!」
「はい……」
もう、返事をするしかなかった。
もうエルマとしては生きていけない。そう突き付けられたのだ。
私は泣きたい気持ちでいっぱいだった。しかし、ここで泣くわけにはいかない。もうお屋敷の門の前には、王宮からの使者様の馬車が横付けされるところだった。
旦那様は私の背中を軽くはたく。そして冷たい眼差しで私を見下ろした。
(失敗は許さないという顔だわ……。抵抗しても無駄なのね……。もう私はジュアナなんだ。ジュアナ・ラニマール。エルマ・ハンソンは私の使用人。お嬢様らしくしないといけないんだわ……)
私はジュアナだと何度も言い聞かせ、背筋を伸ばす。青い顔だけはどうしようもないが。
使者様は馬車から降りると、私たちの前にゆっくりと歩いてきた。その間も使者様は私から視線を外さない。穏やかな視線なのに、まるで私を見定めるかのようだ。
「王宮使者としてまいりました。コーランと申します。ラニマール殿。これを」
コーランと名乗った使者様から旦那様に手紙が渡された。どうやらそこには、正式な王宮からの迎えである旨の内容が書かれているようだった。
コーラン様は旦那様から私に視線を向けた。
「ジュアナ様ですね?」
「はい……。よろしくお願いいたします」
私は小さな声で呟くと、ドレスの裾をつまんでそっと礼をした。
貴族のマナーは幼いころからお嬢様が学ぶ横でじっと見てきた。実際使ったことはないが、思い出して真似することはできる。お嬢様は勉強の出来がいまいちだったから、何度も教師に繰り返し教わっていた。それが私には功をなしたと言える。
コーラン様は顎に手を当て、私を頭から足先までじろじろと見てくる。今度は不躾な視線だ。
(まさか、お嬢様ではないってバレたのかしら!?)
背中にじわっと冷や汗をかきながら、黙ってその視線を受け止める。
「何か!?」
旦那様がコーラン様に訪ねた。
「いえ。以前、社交界でお見かけしたときより、小柄な気がしたもので」
「あぁ、この日のためにダイエットをしたからでしょう。な、ジュアナ」
旦那様がすかさずそう言って私を見下ろす。
わずかだが、私はお嬢様より背が低く体が細い。しかしそれは屋敷内の人でも良くわからない程度だ。そこを見抜くなんて……。
私はわずかな焦りを感じながらも、それを見せずに頷いた。
「はい」
私が返事をすると、「そうですか」とコーラン様も納得したようだ。
こっそりホッと息を吐くと、「では行きましょう」と促される。
「じゃぁ、元気でな。ジュアナ」
旦那様は作り笑顔で私にそう微笑んだ。後ろでずっと黙っていた奥様もぎこちなさそうに「元気で」と呟く。お嬢様の兄二人はニヤニヤしながら少し離れたところから手を振っていた。
「旦……、お父様お母様。お元気で」
言葉少なくそう挨拶すると、私は意を決して馬車に乗り込んだ。
(もうこれで後戻りはできない……)
動き出す馬車の中、私は一人震える手をそっと抑え込んだ。
「……ナ様、……ジュアナ様?」
「あ、はい!」
呼ばれていたことに気が付かず、慌てて顔を上げる。ジュアナと呼ばれることに慣れていない。だって私はエルマなんだもの。
「大丈夫でございますか?」
「え?」
コーラン様は眼鏡の奥の瞳を優しげに和らげた。旦那様よりは若いけれど、そこそこ中年といった歳だろう。知的な感じがする。王子の婚約者を迎えに行く使者になるくらいだ。王宮内でも役職があるのかもしれない。
「顔色がお悪いです。馬車に酔いましたか? 王宮まではまだ少しかかりますが……」
「あ、いいえ。大丈夫です。ただ少し、緊張していて……」
私の呟きに、コーラン様は心得たように頷いた。
「王子に嫁ぐんですから緊張はしますよね。あぁ、それとも例の噂を聞きましたか?」
「噂?」
「冷徹のっていう……」
コーラン様の苦笑に曖昧に微笑んだ。堂々と肯定するのも気が引ける。
「まぁ、冷徹かどうかはその目でご確認ください」
「はい……」
正直、王子が冷徹だろうが何だろうが今はどうでも良かった。
ただバレてはいけない、でもジュアナとしてやっていけるだろうか、どこかでぼろが出てしまわないだろうか。
もしバレてしまったら、私はどうなるのだろう。王子に偽称したとして処刑されてしまうのだろうか。
そう考えて、さらに青ざめた。
旦那様の気迫に負けて、ジュアナとして生きていくことを了承したが、それは常に王子を偽り続けるということだ。
一国の王子、ひいては次期国王に対してとんでもないことをしでかそうとしている。
(そんなの……)
許されることではない。
「あ、あのっ……」
目の前に座るコーラン様に声をかけようとした時、「着きました」と遮られた。
「ここが王城ですよ」
コーラン様につられて馬車の窓から外を見る。
いつの間に着いたのだろう。目の前には大きくそびえ立つ王城があった。圧倒的な大きさに、開いた口が塞がらない。白を基調にし、いくつもの塔の屋根はグレーの瓦で屋根が作られている。ちょっとやそっとではどうにもならない立派な建物だ。
「凄い……」
私の小さな呟きにコーラン様は笑った。
「先日社交界でいらしたではありませんか。何を今さら」
「あ、あぁ。そうでしたね」
ギクッとして笑ってごまかす。
ここで社交界や舞踏会が行われていたのか。本当にジュアナお嬢様は貴族のお嬢様なんだなと、身分の違いを痛感させられた。
「そうはいっても、大ホール以外は入ったことがありませんもんね。後でご案内いたします」
「ありがとうございます」
私、実はジュアナお嬢様ではありません。
そう言おうとしていた。今ならまだ間に合うかもしれないと。しかし、それは思い違いだ。
ジュアナお嬢様の身代わりとなったあの瞬間から、もう歯車は動き出した。
私はもう引き返せないのだ。
このそびえ立つ王城を目の前にして、それを痛いほど痛感させられた。
私はそう叫んだが、聞く耳は一切持ってもらえなかった。
「お前がジュアナの代わりに嫁ぐしか方法はないんだ! 王子の前ではいつも帽子を被るなり、俯くなりして顔を隠すようにしろ! この家のためなんだ! 言うことを聞けないと、今すぐここから追い出すぞ!! まともに働けないようにしてやる!! いや、まともに生きられなくしてやるからな! お前の人生なんてどうでもできるんだぞ!」
旦那様は鬼のような形相で私にそう吐き捨てた。
嫁いで失敗しても追い出されるのに、拒否したらクビにされた後もまともに生きられないなんて酷すぎる。しかし、子爵家の称号をもつ旦那様ならやりかねない。いや、本当に使用人一人ぐらいの人生なんて簡単にどうでもできるだろう。
(どのみち私には先がない……)
青い顔で旦那様を見つめるが、もう決定事項なのか何を訴えても無駄だと悟る。有無を言わさない圧力をひしひしと感じた。
「お前の荷物は後で送る。お前はこれからジュアナとして生きていくんだ。いいな!」
「はい……」
もう、返事をするしかなかった。
もうエルマとしては生きていけない。そう突き付けられたのだ。
私は泣きたい気持ちでいっぱいだった。しかし、ここで泣くわけにはいかない。もうお屋敷の門の前には、王宮からの使者様の馬車が横付けされるところだった。
旦那様は私の背中を軽くはたく。そして冷たい眼差しで私を見下ろした。
(失敗は許さないという顔だわ……。抵抗しても無駄なのね……。もう私はジュアナなんだ。ジュアナ・ラニマール。エルマ・ハンソンは私の使用人。お嬢様らしくしないといけないんだわ……)
私はジュアナだと何度も言い聞かせ、背筋を伸ばす。青い顔だけはどうしようもないが。
使者様は馬車から降りると、私たちの前にゆっくりと歩いてきた。その間も使者様は私から視線を外さない。穏やかな視線なのに、まるで私を見定めるかのようだ。
「王宮使者としてまいりました。コーランと申します。ラニマール殿。これを」
コーランと名乗った使者様から旦那様に手紙が渡された。どうやらそこには、正式な王宮からの迎えである旨の内容が書かれているようだった。
コーラン様は旦那様から私に視線を向けた。
「ジュアナ様ですね?」
「はい……。よろしくお願いいたします」
私は小さな声で呟くと、ドレスの裾をつまんでそっと礼をした。
貴族のマナーは幼いころからお嬢様が学ぶ横でじっと見てきた。実際使ったことはないが、思い出して真似することはできる。お嬢様は勉強の出来がいまいちだったから、何度も教師に繰り返し教わっていた。それが私には功をなしたと言える。
コーラン様は顎に手を当て、私を頭から足先までじろじろと見てくる。今度は不躾な視線だ。
(まさか、お嬢様ではないってバレたのかしら!?)
背中にじわっと冷や汗をかきながら、黙ってその視線を受け止める。
「何か!?」
旦那様がコーラン様に訪ねた。
「いえ。以前、社交界でお見かけしたときより、小柄な気がしたもので」
「あぁ、この日のためにダイエットをしたからでしょう。な、ジュアナ」
旦那様がすかさずそう言って私を見下ろす。
わずかだが、私はお嬢様より背が低く体が細い。しかしそれは屋敷内の人でも良くわからない程度だ。そこを見抜くなんて……。
私はわずかな焦りを感じながらも、それを見せずに頷いた。
「はい」
私が返事をすると、「そうですか」とコーラン様も納得したようだ。
こっそりホッと息を吐くと、「では行きましょう」と促される。
「じゃぁ、元気でな。ジュアナ」
旦那様は作り笑顔で私にそう微笑んだ。後ろでずっと黙っていた奥様もぎこちなさそうに「元気で」と呟く。お嬢様の兄二人はニヤニヤしながら少し離れたところから手を振っていた。
「旦……、お父様お母様。お元気で」
言葉少なくそう挨拶すると、私は意を決して馬車に乗り込んだ。
(もうこれで後戻りはできない……)
動き出す馬車の中、私は一人震える手をそっと抑え込んだ。
「……ナ様、……ジュアナ様?」
「あ、はい!」
呼ばれていたことに気が付かず、慌てて顔を上げる。ジュアナと呼ばれることに慣れていない。だって私はエルマなんだもの。
「大丈夫でございますか?」
「え?」
コーラン様は眼鏡の奥の瞳を優しげに和らげた。旦那様よりは若いけれど、そこそこ中年といった歳だろう。知的な感じがする。王子の婚約者を迎えに行く使者になるくらいだ。王宮内でも役職があるのかもしれない。
「顔色がお悪いです。馬車に酔いましたか? 王宮まではまだ少しかかりますが……」
「あ、いいえ。大丈夫です。ただ少し、緊張していて……」
私の呟きに、コーラン様は心得たように頷いた。
「王子に嫁ぐんですから緊張はしますよね。あぁ、それとも例の噂を聞きましたか?」
「噂?」
「冷徹のっていう……」
コーラン様の苦笑に曖昧に微笑んだ。堂々と肯定するのも気が引ける。
「まぁ、冷徹かどうかはその目でご確認ください」
「はい……」
正直、王子が冷徹だろうが何だろうが今はどうでも良かった。
ただバレてはいけない、でもジュアナとしてやっていけるだろうか、どこかでぼろが出てしまわないだろうか。
もしバレてしまったら、私はどうなるのだろう。王子に偽称したとして処刑されてしまうのだろうか。
そう考えて、さらに青ざめた。
旦那様の気迫に負けて、ジュアナとして生きていくことを了承したが、それは常に王子を偽り続けるということだ。
一国の王子、ひいては次期国王に対してとんでもないことをしでかそうとしている。
(そんなの……)
許されることではない。
「あ、あのっ……」
目の前に座るコーラン様に声をかけようとした時、「着きました」と遮られた。
「ここが王城ですよ」
コーラン様につられて馬車の窓から外を見る。
いつの間に着いたのだろう。目の前には大きくそびえ立つ王城があった。圧倒的な大きさに、開いた口が塞がらない。白を基調にし、いくつもの塔の屋根はグレーの瓦で屋根が作られている。ちょっとやそっとではどうにもならない立派な建物だ。
「凄い……」
私の小さな呟きにコーラン様は笑った。
「先日社交界でいらしたではありませんか。何を今さら」
「あ、あぁ。そうでしたね」
ギクッとして笑ってごまかす。
ここで社交界や舞踏会が行われていたのか。本当にジュアナお嬢様は貴族のお嬢様なんだなと、身分の違いを痛感させられた。
「そうはいっても、大ホール以外は入ったことがありませんもんね。後でご案内いたします」
「ありがとうございます」
私、実はジュアナお嬢様ではありません。
そう言おうとしていた。今ならまだ間に合うかもしれないと。しかし、それは思い違いだ。
ジュアナお嬢様の身代わりとなったあの瞬間から、もう歯車は動き出した。
私はもう引き返せないのだ。
このそびえ立つ王城を目の前にして、それを痛いほど痛感させられた。
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