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第一章 勇者の求婚

第四話 勇者の過去

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 ハロルドとニコが出会ったのは、今から約九年前。ちょうどハロルドが十歳の誕生日を迎える少し前のことだった。

 当時、王国は魔族との戦争の真っただ中だった。大陸はその大半が魔族の支配下に置かれ、北の大国と言われた王国も魔族の侵略を止めることが出来ない状況だった。膨大な魔力を持ち、戦闘に秀でた魔族は人よりもずっと強く、容赦がなかった。どれほど死力を尽くしても街は焼かれ、無辜の民は蹂躙される。
 日に日に悪化する戦況に人々が怯え、憂いていたとき、世界を創造した女神により神託が下される。――曰く、女神により七人の子どもたちが選ばれた。加護を受けた彼らのうちひとりが将来勇者となり、魔王を討ち滅ぼすだろう。

 当然、その神託を受けた国は子どもたちを全力で魔族から守ろうとした。そのために王国の誇る七人の魔術師を子どもたちの元に派遣したのだ。
 その魔術師のうちのひとりが当時王国軍魔術部隊に所属していたニコであり、そのときのニコの位階は第四席。国内でも屈指の実力者だった。

 ニコがハロルドの担当になったのは、ただの偶然だ。選んだわけでもなく、望んだわけでもない。むしろ貧乏くじを引かされたと言ってもいいだろう。もしくは平民出のニコが国王の勅命を受けたことへの嫌がらせだったろうか。
 何せ、ハロルドの暮らしていた村は王都から遠く離れた辺境の村で、おまけにハロルドは孤児だった。貴族出身の魔術師たちが僻地の孤児を担当することを嫌がり、ニコに押し付けたのだ。

 そのときは確かに憤りを感じたニコだったが、実際にハロルドに会ってみてこの子の担当が自分でよかったと何度も思うことになる。今思い返してみても、王都でふんぞり返っていた貴族たちに、あの頃のハロルドの相手は無理だったはずだ。
 何故ならば、初めて出会ったときの彼はまさに浮浪児といった風体で、垢じみた襤褸を着た痩せこけた子どもでしかなかった。

 山間にある地図にも載っていない貧しい村は、親のいないハロルドに決して優しくはなかった。せめて、両親が村の出身であれば多少は扱いが違ったのかもしれない。けれども彼の母親はふらりと村に訪れた余所者で、ハロルドを産み落としてすぐに死んだらしい。
 そんなものだから、母親の素性も不明だし、もちろん父親がどこの誰かも分からない。母親がハロルドに残せたのは、死ぬ間際に付けた「ハロルド」という名前だけだった。

 赤ん坊の彼を育てたのはそんなハロルドを憐れんだ子どものいない夫婦で、その夫婦も数年前に死んだとニコは聞かされた。それからのハロルドは、村の雑用などをこなしながら、対価として僅かばかりの食料を恵んでもらっていたのだという。つまり、齢十にも満たない子どもであるハロルドは、家もなく保護してくれる大人もなく、たったひとりで食うや食わずの生活をしていたのだ。

 けれども、ハロルドは間違いなく女神に選ばれた勇者候補だった。光り輝く光属性の魔力は女神の与えた加護の証。おまけに魔術師のニコが驚くほどのとびきりの魔力量だった。
 そこでニコは護衛として村に駐在するにあたり、ハロルドに教育を施すことにした。

 路上で木の根を齧っていた彼に温かい食事を与え、同じ家に住んだ。それまで碌に「育てられた」経験がなかったハロルドは、当然ひどく戸惑った様子だった。しかし、いくら拒絶されてもニコは諦めなかった。
 汚れた身体を洗って、一緒の布団で眠る。体温を分け合うとそれだけで家族になったような気がした。そんな生活を続けていると、ハロルドはニコの差し伸べた手が気まぐれでも悪戯でもないと次第に理解してくれたようだった。ゆっくりと、けれども確実にニコに心を開いてくれて、少しずつ笑顔を見せてくれるようになった。

 護衛対象を「育てよう」と思ったのは、別に立派な勇者になってもらいたいとかそういう意図ではなかった。どちらかと言えば稀有な光属性を持つ少年への魔術師としての好奇心。それから僅かばかりの憐憫だ。
 自分と同じように早くに親を亡くし、満足な食事すら与えられないハロルドが、かつての自分と重なったのだ。ニコには魔術の才という救いの手があったから、王国に保護されて魔術を学ぶことが出来た。魔術は魔族と戦う際の最も効果的な攻撃方法で、国はひとりでも多くの魔術師を求めていた。
 だからこそ魔術師よりもさらに求められているはずの勇者候補であるハロルドも、ニコと同じかそれ以上に手厚く保護されて然るべきだと思ったのだ。

 ぼさぼさだった髪を整え、石鹸で垢を落したハロルドはたいそう美しい子どもだった。くすんだ灰色だった髪の毛は実は陽光のような金髪で、前髪で隠れていた瞳は澄んだ青色をしていた。とてもじゃないが、こんな辺鄙な村には似つかわしくない見た目をしていた。

 しかし、いくら見た目がよくても魔族に勝てるわけではない。まず最初に、ニコはハロルドに文字を教えることにした。本を読み、知識を蓄えることが出来れば、仮にハロルドが勇者ではなくても将来どうにか生きていけるはずだと思ったからだ。それにこれから魔術を勉強する上で、文字の読み書きは必須だった。
 生来のものか、それとも女神の加護の賜物か。ハロルドは幼いながらに頭がよく、物覚えもよかった。王国で使う大陸共通語の読み書きはもちろん、いつの間にかニコがよく読んでいた魔術書に記された古代文字まで読めるようになっていたことにはひどく驚いた。

 褒めて頭を撫でればはにかむように笑って、ニコに抱き着いてくる。親の愛情に飢えていたハロルドは、ニコに褒められたい一心で勉強に励むようになった。
 またニコは剣の扱い方もハロルドに教えた。といっても、ニコは剣士ではない。剣術については多少の心得すらないから、剣術指南の書物を読みながらの指導だった。もっとも身体も小さく枯れ枝のように細いハロルドの腕では木剣すら持てなくて、結局ふたりで剣術のまねごとをして笑い合う以上のことは出来なかった。

 毎日がとても穏やかに過ぎていった。思ったよりも自我が強いハロルドと時折言い争いもしたけれど、結局いつもニコの方が折れてしまう。ニコは全身で懐いてくるハロルドが可愛くて仕方がなかった。それまでの生活では得られなかったであろう愛情や安らぎを、ただハロルドに与えてやりたかった。

 そうして辺境の村で二年を過ごして、ハロルドは十二歳になった。ハロルドは初夏の生まれで、毎年誕生日の時期にはリリードロップの花が咲く。リリードロップは白い花弁をつける花で、森の中によく群生している。出会って一度目の誕生日は村に来たばかりで知らず祝えなかったから、二度目の誕生日はケーキとともにリリードロップを食卓に飾って誕生日を祝った。

 そしてその年、ハロルドが十二歳になった三度目の夏。リリードロップを飾って、ふたりで細やかな誕生日祝いをした数日後、ハロルドとニコは魔族による襲撃を受けたのだ。


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