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第一章 勇者の求婚

第三話 勇者との生活

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 ハロルドがニコの家に住み着いてから、あっと言う間にひと月が経っていた。
 魔王討伐の噂を聞いたのは、春の終わり。北の寒村にもようやく春の陽気が訪れ、黒の森にも花々が咲き始めた頃だった。
 あの日、絶対に出て行かないとニコに宣言したハロルドは、自らの言葉どおり本当にニコの家に居座った。ニコが懸念していたハロルドの分の家具がないという問題は、彼自身の手によって無事に解決されている。ハロルドは自ら森の木を使って椅子を作り、食器は近くの村で買い足していた。

 もとより、ハロルドは私物を持たない主義のようで、手荷物は小屋にやって来たとき抱えていた最小限の旅具と聖剣のみだ。魔王討伐の旅を経験した勇者には、この小屋の不便さなど可愛いものだったらしい。
 それから、ハロルドはよく食べる自らのために、一抱えもある小麦粉を買ってきたり、野菜を庭に植えたりした。元々薬草を育てるための小さな畑はあったけれど、その畑はハロルドの手によって三倍の大きさになっている。

 少しずつ、少しずつ、ニコの家にハロルドが馴染んでいく。
 けれども寝台だけは未だにひとつきりで、ハロルドは床に毛布一枚で寝ている。何でも、ニコと夫夫ふうふになったときに寝台を新調したいから、今は我慢しているらしい。少し照れながら言われて、ニコは何と返していいか分からなかった。

 この小屋に居座ってからのハロルドはずっとニコのそばにいた。これまでのニコの生活がそうだったように、ニコは朝起きてささやかな朝食をとると森に出かける。春に芽吹く珍しい花や新芽は、一年間でこの時期しか採集できない。毎年、春は一日中森で過し、せっせと目当ての薬草を集めるのだ。その採集にもちろんハロルドもついてくる。

「ニコ」

 木陰でスターフラワーを摘んでいると、ハロルドが話しかけて来た。手に持っているのは薬草を集めるための籠で、中にはこの辺りに咲いているフラウの花がたっぷりと入っている。フラウの花は薄紅の可愛らしい小花で、煎じて飲むと痛み止めになる。

「これくらいでいい?」
「うん。ありがと」

 籠の中を覗いてニコは頷いた。とりあえず、今日はこれくらいでいい。そう言えば、ハロルドは嬉しそうに破顔した。ニコに褒めてもらうのが、何よりも嬉しいらしい。
 フラウの花はその葉とともによい薬になるが、この時期しか取れない。ニコは毎年春の数日間はフラウの花集めに費やすけれど、今年はずいぶんと早く目標の量が集まりそうだった。

「ニコは何を集めてるの?」
「俺はこれ」
「スターフラワーだ」

 ハロルドの問いに、ニコは持っていた花を差し出した。ニコが集めているのは青い星型の花で、スターフラワーという花だった。スターフラワーは乾燥させて煮出すと咳止めになる。
 冬の間、季節風の関係で村には魔族の住む魔域から瘴気を含んだ風が吹く。瘴気を吸うと咳が出るから、この村でスターフラワーのお茶は冬の必需品だ。これも一冬分摘んでおく必要があった。

「スターフラワーって、なんだっけ。えーっと、風邪薬?」
「惜しい、咳止め」
「咳止めか」

 先日の宣言通り、ハロルドはニコに薬作りを教わることにしたらしい。とはいえ、昔から物覚えは悪くない。こうして森で薬草を詰みつつ、その効能をひとつひとつ覚えていく。

「俺も手伝う」

 そう言ってハロルドはニコの隣にしゃがみ込んだ。大きな身体を小さく丸めて細かい花をせっせと摘むハロルドの姿に、ニコは思わず笑みが零れた。
 まだニコが魔術を使えていた七年前。ハロルドの背がニコの胸あたりまでしかなかった頃、よくこうして一緒に薬草を摘んだのを思い出したのだ。あの頃のハロルドは、いくら教えても薬草の種類を覚えようとはしなかった。生意気にも怪我なんてしない、俺は強いから大丈夫だ、なんて宣っていたくらいだ。

「何だよ」
「え?」
「人の顔見てにやにやして」

 ハロルドを眺めていたことがばれてしまったらしい。少々照れ臭そうに、ハロルドがニコを睨みつけてくる。

「いや、大きくなったなぁって」
「そりゃ、もう十九だし。それに、これでも勇者だからな」
「うん、まぁそうなんだけど」

 背中に背負った聖剣や捲った腕に付いた傷痕。ニコを呼ぶ声は低く落ち着いていて、呼ばれるたびに違和感を覚える。離れていた六年間で成長したハロルドはまるで知らない人のようで、けれどもその中にはやはりニコのよく知るハロルドがいるのだ。

「これくらいでいい?」
「そうだな。フラウの花もスターフラワーも持って帰って乾燥させなきゃいけないから、それ以上取ると干す場所がなくなる」
「部屋の中に干すのか?」
「外に物干しがあるから、そこに干そうかな」
「了解」
「あ、でもハロルドは薪割って欲しいんだけど」

 思いついて言えば、ハロルドがああ、と頷いた。割った薪の残りが少なくなっていたことを思い出したのだろう。薪割りはニコにとって重労働なので、ハロルドが来て以来彼の仕事になりつつあった。
 籠を抱えたハロルドが手を差し伸べる。地面に座り込んだニコは、立ち上がるのが少々難しい。ハロルドはそれを分かっていて手伝ってくれる。

「ありがとう」

 掴んだ手をハロルドの逞しい腕がぐいと引き上げてくれた。触れた手のひらは胼胝や肉刺でざらざらとしている。その努力の跡を肌で感じてニコは目を細めた。


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