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第一章 マッチングアプリ

第十話

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 多季は焼け焦げ動かなくなった沙也加へと近寄った。周囲の瓦礫は少しも燃えておらず、沙也加のみが焼けている光景が少し異常だった。周囲に立ち込める生き物の肉と脂、それから血の焼けた臭いだ。

「相田さん……?」

 まだ白煙が燻っている沙也加に声をかける。けれども、もちろん返事など返って来ない。
 生きていないのかもしれない。そう思いつつも、多季は神喰イを構えた。

「神喰イ」

 多季の呼びかけに応えて、神喰イが鳴く。キーンという金属音とともに淡く輝いた神喰イの刃を、そのまま黒く焼けた塊に突き立てる。
 神喰イノ太刀はよく切れる。嵐丸が何でも焼いてしまうのと同じくらい、多季が望むものは何でも切れてしまうのだ。しかし、彼の炎と違い神喰イは手加減を知らない。鉄でも石でも豆腐のようにさくさくと切ってしまうため、多季はこの妖刀を慎重に扱わなければいけなかった。
 故に、多季はゆっくりと神喰イに霊力を流しながら、その切っ先で沙也加の「殻」を切っていく。間違っても「本体」を切ってしまわないように。

「いた……」

 ずぶずぶとした燃えた肉の中に、確かに違う感触があった。
 黒い肉を掻き分けて、両手でぐいと開くとそこには「沙也加」がいた。
 呪いに侵され、化け物と化した彼女だったが、まだ完全に同化してはいなかったのだ。細い身体は繭に包まれた幼虫のように、今にも溶けてしまいそうだった。けれども、まだ間に合う。そう多季は判断した。
 沙也加と呪いとの境目をゆっくりと神喰イでなぞる。少しずつ、少しずつ。ぴたりとくっついていた「殻」と「本体」を切り分けて、剥がしていく。

「あと、少し……」

 神喰イの刃が沙也加に当たれば、大怪我をさせてしまう。彼女はただ恋人からの贈り物を身に着けていただけなのだ。それなのにこんな目にあった彼女を、これ以上傷つけないよう丁寧に多季は手を動かした。

「相田さん」

 ぐったりとした沙也加は答えない。息をしていないように見えたけれど、それでも彼女はまだ生きていた。

「出てきた?」
「ん、もうちょい」
「なんや、鹿の解体みたいやな」
「そんないいもんじゃねぇだろ」

 血塗れになりながら、何とか沙也加を呪いから引き離そうとする多季を見て嵐丸が言った。それに苦笑しつつ、多季は時間をかけて沙也加と「殻」を切り分けた。
 神喰イの刃がもう少し短ければやりやすかったのかもしれない。手元で少しずつ動かすのに、刃渡り七十五センチを超える太刀はどうかんがえても不向きだった。けれども、これほど容易く呪いを切ることが出来る刃はおそらく神喰イ以外はないだろう。

 沙也加を呪いから「切り離す」行為は、「呪い」のえにしごと切ってしまえる神喰イノ太刀にしか出来ない。おまけに「呪い」を浄化出来る嵐丸の紫炎で焼いた後だからこそ、こうやって「切り離す」ことが可能だった。
 嵐丸と多季。どちらが欠けても沙也加は助からない。
 春の夕方は肌寒く、冷たい風が吹いていた。しかし、多季は緊張で汗だくだった。手汗と血糊のせいで柄を握る手が何度も滑りそうになる。しかし、それでも何とか沙也加と呪いの「殻」を切り分けることに成功した。

「嵐丸、ちょっと引っ張り出すの手伝ってくれ」

 嵐丸とふたり、沙也加の両手と両足を持って彼女を「殻」の中から引きずり出した。
 沙也加は青い顔でぐったりと目を瞑っている。首に手を当てれば、とくとくと微かに拍動が聞こえてきた。

 ――助けられた。

 それを確認して、ほっと多季は息を吐いた。

「多季」
「何?」

 嵐丸が多季に向かって手を伸ばした。白くて長い指は傷ひとつないはずなのに、多季と一緒に沙也加に触ったせいで真っ赤に汚れている。嵐丸は汚れていない白いスウェットの袖口で、多季の額を拭う。血や汗に塗れた顔が綺麗になって、心地よかった。

「血塗れ」
「はは、電車で帰んのしんどいな」
「電車で帰る気やったんか。二度見されるわ」

 くすくすと笑われて、多季は嵐丸の手をそっと握った。
 もう、嵐丸の姿は元に戻っている。妖狐の霊力も暴れてはおらず、「割玉の交わり」は必要ない。だから多季は霊力を流すことはしなかった。けれども、その白い手を握っていたかった。

「帰るで」
「ああ、うん」

 倒れたままの沙也加をちらりと見て、また嵐丸に視線を戻した。嵐丸が黒曜石のような瞳でゆっくりと瞬いて、多季を見つめ返した。

「東雲が来る」
「うん」
「頭、手当せんといかんし」
「うん」

 自分たちにやれることはもうない。そう言われて、多季は素直に頷いた。
 後始末は東雲の仕事だ。倒れた沙也加も壊れた大学の建物も、多季にはどうすることも出来ない。多季に出来るのは、神喰イノ太刀で怨霊や呪いを祓うことだけだ。そのことを多季は嫌というほど理解していた。けれども、やはり意識のない沙也加をこのままここに置いていくわけにはいかない。

「ちょっと待って」

 嵐丸の手を離し、多季は沙也加のそばにしゃがみ込んだ。そして彼女を抱き起す。

「ほかっとけばええのに」
「そういうわけにもいかないだろ」

 悪態をつく嵐丸を往なしながら、多季は沙也加を自らの背中に背負い上げた。
 意識のない人間というものはひどく重い。沙也加は多季よりも小柄な女性ではあるが、それでも五十キロ弱はあるはずだ。意識がなければ自ら「抱えられる体勢」を取ることが出来ないから、今の彼女はずっしりとした水袋のようなもので、とてもじゃないがフィクションのようにお姫さま抱っこなんて無理である。

「東雲さんのところに連れて行くから」
「へいへい」

 疲れた。早く帰りたい――。嵐丸がそう言わんばかりに肩をすくめる。
 妖狐化するほど霊力を使うとたいそう体力を消耗するらしい。
 大学の正門の方向から、何やら大勢の人間がこちらにやって来るのが見えた。先頭にいる黒いスーツの男は東雲で、手を血に染めた嵐丸を見て何やら叫び声をあげている。
 その様子を見て、多季はああ、とため息をつく。

「また、説教されそう」
「東雲に? なんて?」
「なんてって、『嵐丸さまの手を汚させて』的な?」

 多季の言葉に、嵐丸が吹き出した。

「なんやそれ。血で手を汚すって言葉そのものやんか。洗えば落ちるで」
「東雲さんはそれでも怒るよ。俺に」

 東雲の多季への態度はまさに小姑のそれだ。多季のすることは大体気に食わなくて、本当に些細なことだって口を出してくる。

「悪い人じゃないんだけど、面倒くさいんだよな」
「大丈夫やで。東雲が面倒くさくなかったことなんて今まで一回もあらへん」

 過保護やからなぁ、と言う嵐丸が突然強く多季の手を引いた。

「逃げよか、捕まったら長いやろ」
「わ!?」

 そのまま長い足で駆けだす。それに多季は沙也加を背負ったまま慌ててついていく。

「東雲~」
「嵐丸さま!?」
「この子、よろしく頼むわ」
「は!? ちょっと!」

 嵐丸は多季が背負っていた沙也加を抱え、そのまま東雲に手渡した。
 そして、脱兎のごとく多季を連れて走り出した。遠くで東雲が多季を呼ぶ声が聞こえる。内容はたぶん多季へのお小言だ。このまま逃げたら後でもっと面倒くさいことになるんじゃないだろうか。なんて思ったけれど、多季は何も言わなかった。嵐丸が楽しそうだったからだ。

「東雲さーん! 相田さんを頼みまーす!」

 振り返って大きく手を振ると、前を行く嵐丸が声を上げて律儀やなぁと笑った。
 日が暮れて、紫色に染まった空の下を多季は嵐丸と手を繋いで駆けていく。宵闇がすぐそこに迫っていて、東の空には小さな月がぽかりと顔を出していた。



 事務所に戻った多季と嵐丸に東雲から連絡が来たのは、その数日後のことだった。
 沙也加は神楽宮家と繋がりのある病院に運ばれ、一命を取り留めたらしい。未だ意識は戻っていないが命に別状はなく、身体的な後遺症もないだろうということだった。けれども呪いによる影響は全くないとは言い切れず、数年は神楽宮家の監視の元生活をすることになるらしい。

 大学の方は件の脅迫による爆発事件として扱われることとなった。とはいえ、被害は文学部棟のみで修復作業はすぐに行われるという。
 すっかり元通りになった事務所のデスクで、多季と嵐丸は東雲からの電話を聞く。

『関東内で複数の呪いによる事件が起こっていると警察より解呪依頼が来ています。そのいくつかは相田沙也加と同じように、マッチングアプリで出会った相手からもらったものが原因のようですが、詳しいことは調査待ちですね。彼女とやり取りをしていた相手の詳細は未だつかめず、どこの誰だったのかも不明です。そちらも警察に捜査依頼をしておりますが、尻尾をつかめるかどうか。相田沙也加の登録していたマッチングアプリには相手のデータそのものが残っておらず、それも何かの術を使っていた可能性がありますね』
「その解呪依頼、俺んとこにも回して。直接見てみるわ」
『よろしいのですか? ではすぐに手配をいたします』
「ん、頼んだで」
『かしこまりました』

 そこまで言って、嵐丸はスマートフォンの液晶画面をタップしようとした。おそらく、用件が終わったため通話を切ろうとしたのだ。けれども東雲の『ところで』という言葉に遮られる。

『割玉さまはそちらにいらっしゃいますか』
「……はい」

 きたきた、と思いながら多季は小さな声でおりますよ~、と返した。

『割玉さま、先日嵐丸さまはどうして血塗れだったのですか? まさか、お怪我をされたわけではないと思いますが、嵐丸さまのお手を煩わせるようなことは極力謹んで――』

 そこから東雲は怒涛のように多季への小言を続ける。途中で反論でもしようものなら鬼のようにさらなる小言が追加されるので、多季はそのまま聞き流すことにした。どうせ電話だ。相手に多季の態度など見えていない。
 用意していたコーヒーをずずっと啜る。嵐丸が窓の外――電柱に留まる烏をぼんやりと眺めていた。

「客は来ないし、東雲さんは止まらないし……」
「ほんとにまぁ、元気やなぁ。東雲は」

 嵐丸がいて、多季がいて。それから今日も事務所は閑古鳥が鳴いている。
 それが神楽宮陰陽探偵事務所の日常だ。



 ◇◇◇



 男は自らの「種」が壊されたのを感じた。
 それはいくつかばら撒いた中で、最も育った種だった。
「種」は上手く育たないことが多い。相性のいい相手を見つけて植えているはずなのに、上手く芽吹かなかったり、芽吹いても途中で枯れてしまったりするのだ。

 だからこそ男は種がきちんと育つようにたくさん工夫をした。芽吹くまで近くで見守ってみたり、肥料を与えてみたり。そうやって試行錯誤を繰り返し、丁寧に世話をしてようやくあそこまで育ち切ったというのに、花が咲く前に壊されてしまった。

 それは男にとってとても悲しいことだった。
 男はたくさんの花を集めなければいけない。男の望みを叶えるためには、美しく咲いた満開の花がたくさん必要だからだ。

 それなのに、あれほど綺麗に育った種を壊されてしまった。
 落ち込みそうになる男だったが、しかし、いいこともあった、と気を取り直した。種を壊した霊力に覚えがあったのだ。

「――」

 男は自らの最愛の名前を呼ぶ。
 それは懐かしく、愛おしい、大切な名前だ。

 ――もうすぐ彼女に会える。

 そんな予感に男は身体を震わせた。












ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

第一章はこちらで終わりになります。
第二章は多季と嵐丸の出会いを書いた過去編を予定しております。
どうぞまたお付き合いいただけると幸いです。
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みんなの感想(2件)

guraneko
2024.04.21 guraneko

第一章、非常に面白かったです!!
ありがとうございました!!
毎日毎日、更新されていないか何度も確認してしまうくらい、楽しい日々でした。
出会い編の第二章もとってもとっても楽しみにしております!!

仁茂田もに
2024.04.21 仁茂田もに

感想ありがとうございます!
読んでいただきとても嬉しいです。更新が不定期になってしまい大変申し訳ありませんでした。
第二章は過去編、こちらはまだ幼い嵐丸と多季を書いていきますので少し期間は開いてしまいますが、どうぞよろしくお願いします!

解除
丁
2024.04.18

手に汗握る臨場感!
いつも素晴らしい作品をありがとうございます。

仁茂田もに
2024.04.19 仁茂田もに

感想ありがとうございます!!
こちらこそいつも読んでいただき嬉しいです!
また続きもよろしくお願いします。

解除
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