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番外編

【書籍化記念SS】とある伯爵令息の聖夜

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 しんしんと静かに雪が降っていた。冷えた空気は凍えるようで、吹きつける風は体温を容赦なく奪っていく。見上げた空に浮かぶには、重く垂れこめる灰色の雲だ。
 北方の国シュテルンリヒト王国の冬は長く厳しいものだった。
 王都は降り続く雪に閉ざされ、街は一面の雪景色となる。人々は家に引きこもり、春を心待ちにして日々を過ごすのだ。

 とはいえ、そんなシュテルンリヒト王国にもわずかばかりの冬の楽しみというものがあった。雪遊びや冬の名物である砂糖をたっぷりと使った焼き菓子。それから、国を挙げて行われる聖夜祭と呼ばれる祭りなどだ。
 特に聖夜祭はケーキを食べたり、プレゼントをもらえたりと楽しい行事であるため、子ども心に毎年楽しみにしていた記憶がある。しかし、それも学園に入るまでのことだ。

「ミハエルは今年、聖夜祭はどうするの?」

 王立魔法学園の制服から騎士候補生のローブへと着替えていると、友人であるハインリヒが声をかけてきた。同じく騎士候補生のローブを身に纏った彼は、ミハエルの学園の同級生であり、幼くして王宮への出仕を許された騎士候補生だった。

「聖夜祭は……」
「二年生の先輩に誘われてなかった?」

 いいなぁ、と羨ましそうに言われて、ミハエルは苦笑を返すことしか出来ない。
 ハインリヒが言っているのは、数日前にミハエルがオメガの上級生に呼び出された件だろう。確かにミハエルは、全く接点のない二年生に聖夜祭を一緒に過ごさないかと声をかけられた。しかし、ミハエルとしてはハインリヒに羨ましがられるようなことは何もなかった。

「誘われたけど、断ったよ」
「え!? なんで!?」
「だって全然知らない人だし」

 そう答えるとハインリヒは大袈裟にえぇ、と声を上げた。

「知らない人かもしれないけど、これから知っていけばいいんだよ。せっかく誘ってもらえたのにもったいない」
「知らない人と聖夜祭を一緒に過ごすのが嫌だったんだよ」

 これから知っていけばいい、というのであれば、せめてもう少し早く声をかけて欲しかった、とミハエルは思う。そうすれば、少なくとも相手の好きな食べ物くらいは把握した状態で一緒に聖夜祭を過ごせたというのに。
 シュテルンリヒトで聖夜祭といえば、大切な人と過ごす日として認識されている。

 家族や友人、もしくは恋人と会ったり食事をしたりして、プレゼントを贈り合う習慣があるのだ。そんな日を友人ですらない相手と一緒に過ごすだなんて。騎士として品行方正に生きよ、と躾けられたミハエルからしたら、よく分からない感覚だ。

 しかし、ハインリヒを始めとした学園に通う生徒たちは、みな聖夜祭を誰と過ごすかという話題で持ちきりだった。思春期を迎えた年頃の若者たちは、恋に多大なる憧れがあるようで、数日後に聖夜祭を控え誰も彼もが浮足立っている。

「それに聖夜祭は予定が入ってる」
「予定?」
「うん。王妃様のお茶会」
「え、あれ呼ばれてるの?」
「雑用係としてね。毎年、人手が足りないんだ」

 ミハエルはハインリヒの言葉に頷いた。
「お茶会」と言っても、実際にお茶を楽しむ会が開かれるわけではない。シュテルンリヒトの王都では、毎年聖夜祭の日に「お茶会」と称した王妃主催のバザーが恒例になっているのだ。
 店を開くのは王国中の孤児院の子どもたちと王妃直々に許可を出した商店だ。
 孤児院の子どもたちはこの一年間、このバザーのために商品を作って来た。それは聖夜祭にちなんだ星女神の木彫りの像だったり、手作りのアクセサリーだったりと種類は様々だけれども、その売り上げは全て各孤児院の収入となるのだから力の入れようも違うというものだ。

 ミハエルは、ここ数年ずっと当日の運営本部の雑用係を頼まれていた。
 なにせ、このバザーには王妃アデル・シュテルンリヒトと一緒に、ミハエルの実母であるユーリス・ヨルク・ローゼンシュタインも参加する。ユーリスはアデルの侍従長であり、バザーが初めて開催された十年前からずっとアデルの手伝いをしているからだ。

 もちろんミハエルのふたりの弟たちも参加する。といっても、ふたりはまだ十一歳と八歳である。当然、本部の仕事などこなせないので、ヴァイツェンハイム孤児院の手伝いとして孤児たちと一緒に品物を売る係だ。つまり、ローゼンシュタイン家総出で参加するというわけだ。
 ちなみに何故「お茶会」と呼ばれているかというと、運営本部で王妃やその侍従たちが入れた紅茶が無償で振舞われるからだ。ミハエルはその準備や片づけ、および給仕を担当するのである。

「ハインリヒも暇なら遊びに来てよ。焼き菓子とかホットチョコレートとかも売ってるからさ」
「へぇ、王都の広場でやるやつだよな。子どものときに親と一緒に行ったっきり行ってないなぁ」

 行ってみようかな、と呟く友人に、労働力としてでもいいぞ、とにやりと笑う。ちなみにバザーは孤児院への支援が目的のため、いくら手伝っても無償。ただ働きである。
 嫌がるかと思って言ったミハエルだったが、ハインリヒの反応は悪くないものだった。

「え、手伝っていいの?」

 嬉しそうに言うハインリヒが意外に思えて、ミハエルは思わず眉根を寄せる。

「なんだよ。ただ働きだぞ?」
「いいよ、いいよ。だって『王妃様のお茶会』って、王妃様ご本人もご参加なさるんだろ。侍従のオメガちゃんたちともお知り合いになれるかもしれないし、孤児院のオメガちゃんたちも可愛いだろうし、何よりあのお美しい王妃様をお近くで拝謁できるんだぞ!?」

 興奮気味に言われて、その下心を隠さない様子に思わず吹き出してしまった。

「まぁ、確かに顔見知りにはなれると思うし、王妃殿下とも周りのオメガとも会えるけどさ。でも相手は王妃殿下の侍従だからなぁ」

 確かに、ハインリヒの言うとおりバザーを主に運営しているのは王妃とその侍従たちだ。その全員がオメガで、番がいない者も多いため運営本部である天幕はいつもほんのりといい匂いがする。しかしである。

「みんな年上だし、おっかないぞ」

 相手はみな何年も王宮で働いているオメガたちである。見た目の美しさとは正反対に、芯も気も強い。

「いいの、いいの。見るだけでいいの。頑張って働きます」

 へらへらと笑うハインリヒに、コイツは本当に大丈夫だろうか、とミハエルは眉間を押さえた。

「でも、一家総出で手伝いって、お前ん家は聖夜祭は家族で過ごさないんだな。団長も仕事だろ?」
「あ~、まぁ、そうだな」

 ハインリヒの言う団長というのは、王国魔法騎士団の現団長でミハエルの父であるギルベルト・ユルゲン・フォン・ローゼンシュタインのことだ。
 元々、シュテルンリヒト王国の魔法騎士団団長は四大公爵家のひとつであるロートリヒト家が代々務めてきた。しかし、現在のロートリヒト家当主ゲオルグ・ロートリヒト卿はまだ三十を少し過ぎた年齢で、功績も経験も浅く昨年の前団長退任の際に団長にはまだ早いと判断されたのだ。繋ぎとして名が挙がったのが、国王や王妃の信頼も厚いミハエルの父ギルベルトだった。

 父ギルベルトは、元々とても多忙な人だった。子どもの頃だって剣の稽古をつけてもらったことはあれど、遊んでもらった記憶はほとんどない。もちろん、聖夜祭とて父も母も仕事で、それでも何とか都合をつけてくれた母と三兄弟だけで過ごした年の方が多いだろう。

 それが、団長になってからさらに忙しくなったのだ。最近にいたっては、ギルベルトは家にはほとんど帰って来ないし、そうなれば顔を合わせることもない。ミハエルの方は上司になるので、時折騎士団本部で遠くその姿を見ることもあるが、幼い弟たちはその存在すら忘れているのではなかろうか。

「まぁ、でも夜くらいは帰って来るだろ」
「団長?」
「そう。ちゃんとね、毎年帰って来てるんだよね。聖夜祭の日」

 そうなのだ。幼い頃は全く気付かなかったが、どうやらギルベルトは毎年聖夜祭の日は帰って来ていたらしいのだ。夜遅く、自分たちが寝静まった後に。
 それに気づいたのは、ミハエルが騎士団に入団して最初の年。騎士候補生として騎士団の本部に足を運ぶようになってからだった。

 騎士候補生ごときではまったく理解できない父の業務内容。それでも父がひどく多忙であることは理解出来た。その姿を憧憬も含めてミハエルはよく遠くから眺めていた。
 そんなある日、父が同僚と思われる騎士から軽口を叩かれていたのを聞いたのだ。それは聖夜祭が間近に迫った日のことだった。

 ――聖夜祭、今年は間に合うといいな。

 励ますように、かつ少しだけ揶揄いも入ったその言葉を聞いたとき、ミハエルは意味がよく分からなかった。何に「間に合う」といいのだろう。父はいつも何に「間に合わない」のだろう。
 その疑問は聖夜祭の当日に晴れることになる。

 当時、十三歳になったミハエルは、ようやく子供部屋から出てひとり部屋で就寝するようになっていた。ローゼンシュタイン邸の別館の子ども部屋――かつてミハエルが母と一緒に寝ていた部屋は、今では弟たちがふたりで使っている。
 例年であれば、聖夜祭の晩餐が終わり母から贈り物をもらえば、そのままもらったおもちゃを腕に抱いて寝台に入る。興奮して眠れない、と思っていてもそこは子どもだ。日中の疲れもあり、目を閉じるといつの間にか眠りについてしまう。
 しかし、その年、少しだけ大人になったミハエルは、少しだけ夜更かしすることが出来た。寝台に入ってからも少しだけ頑張って目を開けておいたのだ。

 そして、ミハエルは日が変わる直前に、父が帰宅していることを知った。
 物音に気付き、僅かに扉を開けて廊下を見れば、隣にある子ども部屋を覗き込む父の姿があった。また間に合いませんでした、沈んだ声で肩を落とすその様子に、ミハエルはひどく驚いたのを覚えている。同時に、そのときの父に声をかける母の甘い声にも。

 ――お仕事ご苦労様です。ギルが選んだプレゼント、みんなとても喜んでいましたよ。

 そう言って背中を撫でる母に、父はゆっくりと微笑んで口づけた。
 母は普段、父のことを自分たちの間では決して名前では呼ばない。もちろん、父も母にそんな甘えるような態度を取ることもない。自分たち兄弟の前でも両親はいつだって少しだけ他人行儀でお互い敬語で話していたし、いつだって少しだけ距離があった。

 夫夫仲は悪くはない。なにせ、母の発情期にだけは父はしっかりと休暇を取るし、子どもだって三人もいる。しかし、特別仲睦まじいわけではいと思っていた両親の甘やかな様子に、ミハエルは再度驚くことになる。おそらく、これがふたりきりのときの本当のふたりなのだろう。

 もちろん、その後ミハエルが起きていることはあっさりばれた。あのときは声も出していないのに、ととても不思議だったけれど、父のすごさが分かった今ならばその理由が分かる。あれだけ気配がだだもれなら、そりゃあすぐに見つかるだろう。父は人の気配を読むのがものすごく上手いのだ。
 ミハエル、と名前を呼ばれたとき、ミハエルは当然叱られるものだと思っていた。しかし、ギルベルトは叱ることなく小さく微笑んで言ったのだ。

 ――今年はどうやら間に合ったようだな。

 そして起きていたミハエルに驚いた母と一緒に、三人でお茶を飲んだ。あまり飲むと眠れなくなりますからね、と言いながらジャムを入れた紅茶を出してくれた母も、後で歯を磨くように、と言いながらジンジャークッキーを勧めてくれた父もまるで眩しい物でも見るようにミハエルを見て目を眇めていた。
 あれ以来ミハエルは、聖夜祭の夜は少しだけ夜更かしをして父親の帰りを待つようにしている。ひっそりと開かれるローゼンシュタイン家の聖夜のお茶会だ。そのうち、すぐ下の弟も参加するようになるだろう。

 それがミハエルの聖夜祭の過ごし方だ。大切な人たちと穏やかな時間を過ごすこと。
 同じ年頃の友人たちに言えば、馬鹿にされるかもしれない。家族と過ごすことが、一番大切だなんて。しかし、その泣きたくなるくらい幸せな時間が、ミハエルはとても好きだった。
 いつか、自分にも父と母のような関係を築ける相手が見つかるといいと思う。けれども、それは別に急ぎというわけはない。
 少し照れ臭くなりながらもそう言えば、ハインリヒはけろりとなんで笑うんだよ、と言った。

「いいじゃん、ユーリス様の入れた紅茶、美味しいもんな。じゃあ、今年もやるの? その、一家団欒夜のお茶会」
「どうかな。もしかしたら今年こそ父上が早く帰って来て、弟たちとも一緒に夕飯食べられるかもしれないから、そしたらしないよ」
「……俺、団長室に書類の山が出来てるの見たよ」
「俺は明日の『王妃様のお茶会』の警備計画書を、キルシュバウム卿が作り直してるのを見たよ」

 これは夜のお茶会決定かもしれないな、とミハエルはハインリヒと顔を見合わせる。
 しんしんと静かに雪が降っていた。冷たい風は雪を舞い上げ視界を白く染める。王都の家々には真っ白な雪が降り積もっていた。しかし、街灯には聖夜祭の飾りがつけられ、行き交人々の足取りもどこか軽やかだ。
 寒いなぁ、とミハエルは窓の外を見ながらローブの襟をかき合わせた。
 今日の業務は王都の広場に「お茶会」のための会場を作ることだ。寒くないように、と母ユーリスが持たせてくれた魔導懐炉を胸ポケットに入れて、ブーツの靴紐をきつく結んだのだった。


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