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番外編

とある公爵の密談

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 月が眠り、星だけが空を照らす暗い夜。イェレミアス・ヴァイスリヒトは、星宮にある王妃の間に足を踏み入れていた。王と王妃の居室である星宮。その中でも、王妃の私室にまで入室を許されるのは限られた者のみだ。

 イェレミアスは他でもない王妃からの呼び出しを受けてここにいた。星宮に到着すれば教育の行き届いた侍従たちにより、流れるようにこの場に案内される。侍女や侍従だって選りすぐられた者しかいないから、ここは密談にはもってこいなのだ。

 座り慣れた長椅子に遠慮なく腰かけて、背もたれに背を預けた。足を組んだところで、部屋の主の登場だ。奥の扉から黒髪を優雅に結った、美しい女性が入ってくる。
王妃エリーザベト・リラ・シュテルンリヒトだ。

「イェレミアス」
「やあ、王妃。ご機嫌麗しく」

 尊大な態度のまま声をかければ、当の王妃は扇で顔半分を隠したまま目を細めた。黒いレースの扇で隠れて見えないが、美しく紅の引かれた唇は満足げに笑んでいるはずだ。

「報告は聞いたかい」
「ええ、聞きました。このたびはアデル・ヴァイツェンの護衛任務、ご苦労でした」

 向かいの長椅子に腰かけながら、王妃は言った。彼女が手で合図を送れば、優秀な侍女がすぐにお茶を用意する。花のような香りがするこの香茶は、ここ最近の彼女のお気に入りだ。

「帝国と通じ、王都の魔法結界を破壊しようとしたフロイントと、彼の主催したオメガの闇オークションで『商品』を競り落としたリべレは捕えてあるよ。王太子殿下の名前でね」
「アデル・ヴァイツェンは無事かしら?」
「多少の擦り傷はありそうだったけどね。あの程度なら自分で治すだろう。他の被害は想定内・・・だよ。問題はない」

 言えば王妃はそう、と小さく呟いた。
 青い瞳がこちらを探るように動いて、すぐに伏せられる。それから少しだけ考える仕草をして、ゆっくりとイェレミアスと目を合わせた。

 自らが産んだふたりの息子よりも、よほど甥に似ているその美貌は不惑を過ぎてもなお健在だ。昔馴染みと言えば聞こえはいいが、ようは腐れ縁。死ぬまで切れないであろうその縁のせいで、自分たちはさして親しくもないのにこうして毎回顔を会わせるはめになっている。

 お互いに相手を扱いにくいと思っているから、イェレミアスと王妃が面会するとき、彼女はより慎重に言葉を選ぶのだ。

「それで、ルードヴィヒはどうだったかしら」
「王太子殿下かい? それ、改めて聞く必要ある? あれを落第以外の何と言ったらいいかな」
「あら、酷い言われようだわ」

 イェレミアスの歯に衣着せぬ物言いに、王妃は面白そうに眉を上げた。
 それにイェレミアスはやれやれ、と大袈裟に肩をすくめる。

「王太子はフロイントの思惑に乗せられて、よく踊っていたよ。素直なのは彼の美点だけどね。将来の王がそれでは国は立ち行かないんじゃない?」
「あの子は人を疑うことが苦手なのよ。素直で寛大で善良。ルードヴィヒはそれでいいの。王が全てを担う必要はないのだから、汚いことはお前のようなものがやればいい」

 ――そのためのお前でしょう。

 王妃にそう言われて、イェレミアスはにこりと微笑んだ。もちろん、心中では盛大な舌打ちをしてやった。聞いたのは彼女であるのに、答えは「及第」以外は認めないというのはいかがなものか。
 しかし、王妃の言うことは一理あるので、それ以上の言及はしなかった。息子を溺愛する王妃から、余計な不興をかう必要はないと判断したからだ。
 けれども、やはり納得は出来ない。イェレミアスにだって言い分はある。

 そもそも、この「アデル・ヴァイツェン襲撃事件」の調査を、ルードヴィヒに担当させろと言ってきたのは他でもない王妃本人なのだ。その上、その補佐を本人には秘密にしたうえで「霧」に命じた。
 学園を卒業し成人した息子に、国政のいろはとともに人の悪意とやらを学ばせようと思ったらしい。

 正直、とんでもなく面倒くさい仕事だった。
 ルードヴィヒはよくも悪くも素直な質で、人の言葉をそのまま信じてしまう。愚鈍であるとは言わないが、人を疑わず物事の裏を読むことをしない。というか、人に裏側があるということすら知らないのかもしれない。
 大切に大切に育てられて来た、正妃の産んだアルファの王子らしい性格である。

 学業も運動も、剣術も優秀ではあるが、実戦にはまったくもって不向きな青年だ。
 そんな彼を指揮官にアデル・ヴァイツェン襲撃の任務を捜査しなければいけなかった。案の定、ルードヴィヒはフロイントが用意したダミー――つまり、イェレミアス本人を怪しいと睨んで監視を始めた。これが煩わしいことこの上なかった。

 特務部隊である「霧」は、その全てが極秘扱いだ。構成員はもちろん、長官であるイェレミアスも表向きの立場は貴族議会の議長のみだ。

 イェレミアスは議会派の筆頭貴族で、先日彼が手酷く婚約破棄をしたリリエルの父親。

 肩書だけ見れば、確かにルードヴィヒに恨みを持っていてもおかしくはないのかもしれない。しかし、イェレミアス自身を調べれば、すぐにその容疑は晴れるはずだった。イェレミアスとリリエルは親子と言っても疎遠であるし、イェレミアスは権力にさほど執着しない。
 むしろ、息子のド派手な婚約破棄劇は面白い見世物だと思っていて、だからこそ紛糾する愉快な議会の収拾にも手を貸したというのに。

 昼も夜も関係なく、王太子の手の者に監視されていたおかげで、屋敷の外に出るのも非常に気を遣う羽目になった。「霧」の仕事にも支障が出るほどだった。
 まぁ、任務を全て部下任せにするのはいつものことではあったが。

「私だって、いつまでも若いわけではないんだけれどもね。それを補うためのリリエルとの婚約だったのに。あの子はそれを破棄しただろう」
「リリエルは確かに王妃の器でしたけれど、やはり恋慕う相手と婚姻をするのが一番なのよ。あの婚約はわたくしたちが急ぎすぎてしまったの。それに、アデル・ヴァイツェンもなかなかの逸材でしょう」

 ほほほ、と扇で口を隠したまま王妃が言った。
 国政は綺麗ごとでは済まないのだ。万を助けるために千を犠牲にしなければいけないときだってある。王が清濁併せ吞むことが出来なければ、必然的にその役割を肩代わりする人物が必要で、今はその役割をこの王妃とイェレミアスで担っていた。
 リリエルにはその器があり、将来、ルードヴィヒを支えるよき妃となるはずだったけれど。

「アデル・ヴァイツェンの魔法の才能のことを言っているのであれば、確かにあれは稀有な存在だけれどね。彼に君の代わりが務まるかな」
「わたくしの代わりなんてたくさんいるでしょう。けれど、アデル・ヴァイツェンの代わりはいなくてよ。万が一、今回のように帝国へ連れ去られるようなことがあれば、それは国にとって大きな損失です」
「まぁ、今回のアデル・ヴァイツェンの働きは、王太子殿下よりはマシだったけど」

 王妃の言葉に、イェレミアスは曖昧に頷いた。
 彼の無鉄砲とも言える行動力は、今回の事件収束に大いに役立ったと言っていいだろう。しかし、別にアデル自身が事件解決に役立ったわけではない。

 アデルが無茶をすれば、常に彼に付き添っている教育係のユーリスが一緒に巻き込まれる。それを憂慮したギルベルトが必死に頑張った結果、事態の早急な解決に至ったに過ぎない。

 それは王妃自身も分かっているのだろう。優雅に微笑みながら、ローゼンシュタインは働き者でいいわね、なんて平然とした顔で言う。

 結局、あのふたりの結婚において、最も大きな後ろ盾はこの王妃なのだ。
 そもそも、それくらいの権力を持った者に後押しがなければ、平民出身でオメガの青年が、いくら魔法の才能に溢れていたからといって王太子妃になれるわけがない。

 そういえば、ヴィルヘルムがこそこそユーリスの縁談を握り潰していたときも、王妃が裏でこっそり手を貸していた。眉一つ動かさず敵兵の殲滅を命じるような女が、なんとも感傷的なことだとイェレミアスは思う。
 誰かを恋い慕い、一生をかけて愛することなど、イェレミアスにとってまったく理解できないことだった。

「君は相変わらずオメガには優しいな」

 ――もはや『彼女』は、あなたのオメガではないというのに。

 言葉にせず、視線だけでそう告げれば、王妃は柔らかく微笑んだ。
 無言の笑みの意味は、肯定。

 彼女は本当に息子が愛するオメガとともに生きるために、公爵たるイェレミアスを利用した。今回把握できたルードヴィヒの弱みは、今後イェレミアス自身がその補佐をしていくことになるだろう。

 本当に理解できない。

 愛したオメガと番えないからと、弟にそのオメガを託した彼女も。一生妃の心が手に入らないことを理解していて結婚した王も。それから姉の恋人と番い、心からそのオメガを愛してしまった友人も。何もかも。
 叶わなかったご自分の恋が、息子たちを幸せにすることで報われるとでも思っているのだろうか。
 いっそ滑稽で哀れな女だとも思う。

 この王国におけるオメガとアルファの因習に囚われ、ただ「王妃」としてのみ生きることを決めた彼女は、けれどもひどく気高くも美しい。閉じられた扇と、現れた真紅の唇。
 夜半だというのに予想通り、見事に化粧の施された秀麗な美貌は、彼女の戦装束なのだろう。

「わたくしはあの子たちが幸せに過ごしてくれれば、それでいいのよ」

 ほほ、と微笑む姿は妖艶で、しかしその瞳はまったく笑ってはいなかった。

「フロイントの件はこれで片付いたけれど、他にもまだこの婚姻が気に食わない者たちは大勢いるのだから、これからも油断しないで頂戴ね」
「分かっているとも」

 床の上に跪けば、差し出される手があった。促されるままにその手を取り、口づける真似をする。

「帝国の不穏分子がまた何やら動いているとか」
「その件については、今調べさせている最中だよ」

 北の国境のことを問われ、イェレミアスは応えた。
 帝国は相変わらずで、北方は落ち着かない。「霧」はアデル・ヴァイツェンにばかり構っている暇はなかった。

 イェレミアス・ヴァイスリヒトは王国の影だ。
 国王と王妃に忠誠を誓ったわけではない。ただそれが面白そうで、自分にそれを成し遂げるだけの能力があったから、敢えてその任を負っているだけだ。
 人を愛したことはないけれど、そうして生きる人生は盤上遊戯の様でなかなかに愉快だと思っている。

「お前は相変わらず生きるのが楽しそうね、イェレミアス」
「エリーザベト、君は相変わらず死んだような顔をしているね」

 立ち上がり、踵を返そうとしたところで王妃が言った。それに軽く返して、王妃の間を後にする。
 近日中に、更なる「霧」の任務が届くだろう。
 また、ローゼンシュタインに任務を振ったら怒るだろうなぁ、と思いつつ、イェレミアスは自らの屋敷を目指した。



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